第二話 星の友情

「どうしたの?」


「い、いや。なんでもないよ」


 何でもないということは決してない。予想はしていたのだが、俺と勘解由大路沙也加は尾行されている。白のTシャツに白のミニスカート。カジュアルな彼女の服装には例のブラックベリーの色はどこにも見当たらない。夏の日差しを反射しているからなのか神々しくて彼女を直視できない。そんな天界から降臨された女神様を連れた俺は目立ちすぎだ。いや、俺は影のようなもので目立っているのは彼女である。そして休日で賑わう商店街を、きっとスパイ映画のノリで尾行していたのは俺の愛すべき罰ゲーム仲間たちだった。


「はあ……。ハジメ君、あなたこの私が気づかないとでも思っているのかしら?」


「ん?」


 そう俺に告げると彼女は、慌ててたまたまここにいたんだと言わんばかりの、酷い演技力を晒す小物連中のほうへと歩き出す。


「ふむ、これぞ完璧なウォーキング」


 すぐ隣だと緊張して直視できない勘解由大路沙也加も、距離があるとその姿を堪能できる。これは男女の骨格なんかの違いなのか、それとも育ちの良さってものが勝手に滲み出てしまうのか。歩くという人間の基本動作だけでこの俺を魅了してしまうとは……。細いウェスト、そしてあの柔らかそうな……、いやエロい見方をしているのではない。これは人間観察なのだ。俺は自分にそう言い聞かせて左右に揺れるお尻に集中する。


 俺が女体の神秘に想いを馳せている間に、三バカたちは勇気ある戦略的撤退を行ったようである。男のケツに興味は全く無いのでほとんど見ていなかったのだけど。戦場において友情などというものは簡単に切り捨てられてしまう儚いものなのだよ、同志諸君。


「さあ、行きましょ」


 何事も無かったかのように戻ってきた沙也加さまが、その美しい姿勢で再び歩き始める。一瞬、俺のさっきまでの視線が気づかれていやしないかと緊張するが、問題は無さそうであった。


「それで、あいつらには何て?」


「彼らには友情というもののあり方について語ってきたわ。Sternen-Freundschaft. ニーチェの『星の友情』ね」


「星の……友情?」


「 Wir waren Freunde und sind uns fremd geworden. Aber das ist recht so, und wir wollen's uns nicht verhehlen und verdunkeln, als ob wir uns dessen zu schämen hätten. …… Aber unser Leben ist zu kurz und unsre Sehkraft zu gering, als daß wir mehr als Freunde im Sinne jener erhabenen Möglichkeit sein könnten. Und so wollen wir an unsre Sternen-Freundschaft glauben, selbst wenn wir einander Erden-Feinde sein müßten.」


「へっ!? 何語?」


「ドイツ語よ。中学まではドイツのライプツィヒで暮らしてたの」


「おおっ、知らなかった……です」


「ニーチェは二艘の舟の例えで友情を語っているの。それぞれが目的地も行先も違って航海を続けているの。ときにすれ違うことがあるかもしれない。でもいずれ再び異なる海洋へ私たちを駆り立てることになるわ。もう過ぎ去ってしまった想い出がすばらしいものとなるよう、私たちは互いに尊敬しあえるようにならなくちゃいけないし、自分を高めなければならないの。でも、人生なんて短いものだから、時に敵とならねばならなかったとしても友情を信じましょうってね。私たちは孤独な歩みを続けるのだけど、それが大いなる星辰軌道にあるのならこの星の友情には意味があるって私は思うの」


「う、うむ」

  

 正直あまりに高尚すぎて俺には理解ができなかった。おそらく愛すべき三バカたちも同じ感想を持ったことだろう。でも、熱く語る彼女を見ていると何か重要な宇宙の真理に触れたような気がして、俺も賢くなったのではないかと錯覚してしまう。それにそのつぶらで黒目がちな瞳に見つめられていると、俺の深部体温は大きく上昇しているのではないかとさえ思えてくる。脳が正常に機能していない俺はさらに続く彼女の説明にただ頷いているだけだったのだけど。


「じゃあ、行きましょう! 道はこっちね」


「ああ……」


 大通りといったわかりやすい進路をとらず、彼女は路地裏の細い道へ侵入する。これは俺が子どもの頃から使っている最短路……。どうして彼女は迷わず自信ありげに歩けるのか? あの形の良い頭のなかにはGPSでも搭載しているんだろうか。


「待って」


 俺を先導していた彼女が突然立ち止まる。その肩越しに見えるのは、いつの昭和だよという雰囲気のガラの悪そうな兄ちゃんたちだった。

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