第12話 涙
「ナナ、お願いだから待ってよ……!」
僕は転びそうになりながらも、暗い森の中をひたすら疾走していた。あの子とまた会いたくて。もう一度一緒に遊びたくて、話がしたくて。本当に、ただそれだけだった。
「君が僕の前から去ったのは、僕に加護を与えたから? それならもう、加護なんていらない! だから、止まってよ……!」
遠ざかる少女に向かって僕は力の限り走り、叫ぶ。何故なのかはわからないけど、ほかのことが何もかもどうでもよくなるような、そんな不思議な魅力を彼女は持っていた。
「……はぁ、はぁ……こ、ここは……?」
気が付けば、僕は森じゃなくて街の中に立っていた。いつの間にかここまで走ってきたのか、それとも瞬間移動してきたのか、それすらも判然としない。とても見覚えがあることから、ここがタオリアの街中なのは火を見るよりも明らかだった。
ナナも近くにいるのかな……? ってあれは……。
僕が見つけたのは、一輪の白い花だった。引き寄せられるようにしてそれを拾ってからまもなく、僕はハッとなった。
「……」
僕が今立っているのは、二階建ての古びた建物の前であり、そこは僕にとって一番馴染みのある『クラインベーカリー』だったんだ。トントンと何かを金槌で叩く音や話し声が聞こえてきて、僕は咄嗟に物影へと隠れる。
「あなた、どれくらいかかりそう?」
「……あぁ。大分ガタがきてるが、これくらいならすぐ終わるだろう」
「それにしても、あなたが扉の修理をしてくれるなんて、珍しいこともあるわね」
「普段からさぼってるみたいに言うな。仕事で忙しかっただけだ」
「あら。仕事がないときでも家を抜け出してお酒を飲む時間はあるのに?」
「ごほっ、ごほっ……」
「……」
どうやら、店舗の扉を父さんが修理してくれてるみたいだ。家の手伝いなんてほとんどしてこなかったのに、確かに母さんが言うようにとても珍しい。天気は凄くいいけど雨が降るかもね。
「お母さん。アルムは今頃、どうしてるだろうかね。あれから音沙汰がないけど、たまには顔を出してくれりゃいいのに……」
「ミーナ。昔っから、便りがないのは良い便りっていうだろ。あたしゃ、それだけアルムが頑張ってる証拠だって思ってるんだよ。あの子はとても芯の強い子だから、きっと上手くやってるだろうさ」
「アルムか……。あんなドラ息子にはまったく関心もないが、もし逃げ帰ってきたらまたこっ酷く叱って追い返してやらんとな」
「あなたったら、そんなこと言って、アルムが出て行った日はしばらく寝込んでたくせに」
「……馬鹿を言うな、ミーナ。あれは、ただの風邪だ」
「まったく。アレン。あんたってやつは本当に素直じゃないんだから」
「本当にね。お母さんの言う通りだわ。熱も全然なかったくせに」
「ごほっ、ごほっ。こりゃ敵わんな……」
「……」
僕は無意識のうちに目元を拭っていた。泣くつもりなんてなかったのに。でも、こんな会話を聞いちゃったんだからしょうがない。
僕は音を立てないようにその場をそっと離れると、振り返ることなく一気に駆け出した。
自分のためだけじゃない。家族のためにも、あの家にはまだ帰れない。冒険者としてもっと立派にならなきゃって、そう強く思えたから。
もしかしたら、弱気になっていた僕にナナはこのことを伝えたかったのかもしれない……。
■□■
「待たせたな、リリ」
【超音波】スキルの周波を感じ取り、黒蛇組の寮の使用人リリの元へと駆けつけた人物がいた。舎弟頭のシビル・エルフィンである。
「お待ちしておりました。シビル様、お疲れ様です」
リリは主人のシビルの訪問に対し、寮の入り口で敬礼する。
「見張りを捕まえるのに少々手を焼き、それで遅れてしまった。で、リリ。【超音波】を使ったということは、遂にあいつが網にかかったのか? アルムには悪いが、それを囮にしてでもやつを誘き寄せて蹴散らすことが、アルムを守るためには一番いい方法だからな」
「……」
「リリ、どうした? そんなに浮かない顔して……って、まさか……」
シビルは、表情のないリリの微々たる変化さえも見逃さなかった。
「申し訳ありません、シビル様。私はアルム様の監視を怠り、逃してしまいました……」
「な、なんだと……」
リリの報告を聞き、ショックのあまりか放心したような顔になるシビル。
「どうか……無能な私めを今すぐ解雇してください、シビル様……」
「いや、それだけはできない」
「シビル様……?」
「リリ……お前は俺と同じ孤児として、一緒に頑張ってきた仲じゃないか。俺は両親の仇を討つため、そして組長に恩を返すために黒蛇組に入ったが、お前には何もない。赤子のときに両親に捨てられ、リリという名前すらも院長から他の子供と区別するためにつけられたものだ。そんなちっぽけに見えるようなものでも、お前はその小さな手で握りしめて、ずっと手放さずに大事にしている。そんな健気なお前を無碍にできるものか……」
「シビル、様。ありがたきお言葉……」
表情を一切変えることなく、リリは頬を濡らした。
「とにかく、リリ。一緒にアルムを探すぞ。もしやつに襲われたら、いくらアルムでも命が危うい。それと、何があっても無理だけはするな」
「はっ、承知致しました……!」
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