第103話 過去と現在

 ステアリングを握り締め、秋晴れの高速道路を走る。

 ヤマシロ県とカワチ県を繋ぐ比較的新しいこの道路は、基本的に週末にはこちらと逆方向が混んでいる。

 中央分離帯を挟んで反対側の渋滞を横目に見ながら、こちらは涼しい顔をして快適なドライブだ。

 窓を開けると風の音がうるさいが、例年よりも暑い日が続くとは言え、空気が流れると流石に涼しい。

 車内をかき混ぜる外気に気分を害する事も無く、鼻歌すら口ずさみそうな上機嫌でクルマを走らせている。

「運転、変わろうか?」

「いいよ。ペーパードライバーにはもっと安全な道の時にお願いするから」

 毎日通勤で運転しているこちらと違って、ソウは学生の頃に免許を取った後、卒業して今のマンションに引っ越しても、ずっとクルマを買わずに過ごしてきた、完全なるペーパードライバーだ。

 頭も運動神経も悪いわけではないので、教習所の事を忘れているという事はなかろうが、経験が薄いとやはりぎこちなくなる。高速道路は流れているうちはいいが、車間が詰まり出すと、経験の差が割と出てきたりする。

 この身体になる前、サクラダ中央市にある今のマンションへの行き来は、全て電車で移動していた。その方が安全だし、何より早い。

 それに、自分もクルマは割と早々に処分してしまった。都市部だとコストがかかるばかりで、金のない若い人間には維持が大変なのだ。

 金銭的に余裕のできた今なら、一台ぐらい持っても問題は無い。ただ、折角防衛省から維持費が殆どかからないクルマを借りられているのだから、無理をして買う必要もない。

「リンちゃん、ワイアーで大喜びしてたね」

 ソウの実家とのグループチャットで、彼が週末に帰っても良いかと打診したところ、物凄い速さで姪のリンが反応していた。

「『ミサキお姉ちゃんのお料理が食べられる!』ってな。客に食事の支度をさせるのはどうかと思うが」

「あはは、いいよ、別に。料理は好きでやってるんだから」

 自分の用意した食事を美味しそうに食べている子供を見ると、作って良かったと心から思える。特別凝った料理でなくとも、美味しかった、ごちそうさまでしたと言われればやはり、嬉しいものだ。

 その点、このソウも毎日こちらの作った料理を、美味い美味いと喜んで食っている。一緒にいて心地良いというのは、こういう相性みたいなものもあるのだろう。

 ヤマシロ県の南側に近い出口を一つ通り過ぎ、街中からは少し離れたインターチェンジから下道に降りる。目指すはかつて自分たちが、子供の頃に暮らしていた地域だ。


「懐かしいな」

「そうだね。でも、所々変わってるね」

 中心部と比べれば比較にもならない規模の街だが、その中心部からの交通の便が良く、所謂ベッドタウンのような扱いになっている。

 西の山側は昔、都市部から離れた閑静な高級住宅街として開発されたのだが、今は住人の高齢化が進んで大きな問題になっていると聞く。しかし、こちらの側はそうでもない。

 複数の交通機関が交差する駅の周辺は開発が進み、川沿いには大きなマンションがいくつも屹立している。小中学校も多いので、若い世帯は中心部を避けてこちらに住む事も多いようだ。

「昔あそこ、バンジージャンプがあったよな」

「あー、あったあった。他県からも見に来てる人がいたけど、結局飛ぶ人が殆どいなくて潰れたんだっけ」

 広い幹線道路の脇、大きなスポーツジムがある周辺の敷地には、昔は様々なアミューズメント施設があった。子供の頃、夏休みなんかには、少ない子供の小遣いをやりくりして、少し奮発して遊びに行ったものだ。

「今じゃ残ってるのはあのジムとショッピングモールだけ、か。ショッピングモールも資本が変わったんだったっけ」

「ああ。土地の利用料が高いからな。あそこの地主とも会ったことはあるけど、やっぱりちょっと偏屈な人だったし」

「会ったことあるんだ。私は顔も知らないよ」

 地元の事情にはソウの方が詳しい。土地持ちである以上、周辺の土地活用事情がどうしても流れてくるのだそうだ。

「ま、うちは山と住宅地ばっかりだし関係ねえよ。商業地は小さな商店街だけだしな」

「それでも広いよ。とんだ玉の輿に乗っかっちゃった」

 いずれ相続が発生すれば、莫大な額の相続税が課されるだろう。多分、キョウカもこちらも、二人の稼ぎだけでは到底支払う事ができないのは間違いない。そうなれば、いくらか手放す事になる。民間に適正な価格で売却されればまだ良いが、そうでない場合は活用されない国有地が増えていくのだ。

 幹線道路を脇に入り、民家の並ぶ少し狭い道を通り過ぎる。用水路沿いの広い広い駐車場に入って、ソウに言われた番号の所に駐めた。この駐車場も彼の実家の持ち物だ。

 周辺の住民は、みんなここの駐車場を使う。それでも月極は満車にならずに、いくらか余裕があるというのだから、その広さが知れようというものだ。

 利用料は月額6000エンだと聞いている。街中では到底考えられない安さだが、この辺では妥当な金額らしい。

 駐車場を出て、ソウの実家がある方へと歩いて戻る。途中で顔見知りの老婆が、こちらを見つけて手を振った。

「ソウちゃん、帰ってきたのかい?隣のお嬢さんは、お嫁さん?」

 子供の頃、学校帰りに良く見た、大きな犬を散歩させていたおばさんだ。彼女もソウの実家が持っている土地に家を建てている。

「こんにちは、ヤマニシさん。そうですよ、嫁のミサキです」

 顔見知りなのに改めて紹介されるというのは変な気分だ。それでもこんにちはと笑顔で挨拶すると、老婆は顔を綻ばせて何度も頷いた。

「そうかいそうかい、ハルコさんもずっと心配してたからねえ、良かった良かった。こんな綺麗なお嬢さんをつかまえて来るなんて、やっぱりソウちゃんは面食いだったんだねえ。中々お嫁さんが見つからないのはそうだろうと、私もうちのと言い合っててねえ、そうかい。お子さんはまだかい?」

「ええ、ちょっと事情があって。欲しいとは思っているんですけど、もう少し先になりそうです」

「そうかい、はやく元気な子を作って、ハルコさんと先生を安心させてやんなよ。じゃあね、後でお祝い、持っていくからね」

 ソウはお気遣いなく、とこちらと一緒に何度も会釈をしながらその場を離れた。30を越えた大人になっても、近所の人からはソウちゃん、なのである。

「おばさん、変わってないね」

「そうだなぁ。あの人も、カワチに息子さんとお孫さんがいるんだけど、滅多に帰ってこないらしいから。リンにも良くしてくれるし、多分、寂しいんだと思う」

 今の時代、早く子供を作れ、というのは、ハラスメントと取られる事もある。ただ、近所付き合いの長い人であり、子供の頃からよく知っている人だけに悪意も何も感じない。あの人は、心からそう思っているというのが分かっているのだ。

「早く竜災害、収まるといいな」

「うん」

 少しだけ胸の奥がちくりとした。しかし、彼に握られた手から、その痛みは霧散していく。

 どれだけ理不尽な扱いをされようと、どれだけ死ぬような戦場を潜ろうと。

 帰って来れば彼がいる。こちらの作った料理を笑顔で平らげ、こちらの話を聞いて理解し、そして何度も愛し合える、そんな彼が。

 それを考えれば、多少の事などどうという事はない。いずれ竜を駆逐し終えた暁に、必ず彼との子供を作ろう。心の柱となれる存在が、これほどありがたいものだとは思わなかった。

 こちらもぎゅっと手のひらを握り返し、生け垣に囲まれた大きな屋敷の方へと歩いて行った。



 良く整えられた生け垣に挟まれた、大きな和風の門扉の前で、場違いに近代的なインターフォンのボタンを押す。はーいというあまり聞き慣れない声が聞こえて、ソウが応対している。

 ロックの外れる音が聞こえたので、引き戸を開けて敷地の中へと入る。石畳の両脇に芝生の広がった、広い敷地を持つお屋敷が、目の前にでんと構えていた。

「懐かしいか?」

「そうだね。最後に来たのはいつだっけ、学生の頃かな」

 ソウが今のマンションに引っ越してからは、ここには一度も訪れたことがない。思えば、結婚してから彼の実家にやってくるのは初めてだ。

 普通は一度、実家に挨拶に来るのが普通だろうとは思うものの、そもそも自分とソウの家族は勝手知ったる仲である。挨拶自体も彼の両親が勝手にマンションにやってきて済ませてしまった為、別に良いだろうと延び延びになっていた結果がこれである。

 芝生の中の石畳を通って、屋敷のこれまた大きな玄関へと到達する。引き戸を開けて広いたたきに入ると、フローリングの廊下から割烹着を着た中年の女性が歩いてきた。

「お帰りなさい、若先生。と、お嫁さんの……え、ええっ!?」

 中年女性はこちらの顔を見て仰天した。知っていたか。

「ただいま、トミオカさん、お久し振り。もう30を越えてるんだから、若先生はやめてよ」

 彼の実家で雇っている家政婦さんのようだ。自分は初めて会うが、来る前にソウから聞いている。

 彼が学校を卒業してから雇った家政婦さんらしく、主に昼間、屋敷内の清掃や洗濯を主として行ってくれているらしい。

 自分が遊びに来ていた頃も家政婦さんはいたが、この人とは違う人だった。自分とソウが子供の頃で、既にもう結構な歳だったと思われるので、代替わりしたという事だろう。

「こんにちは、初めまして。ソウの妻のミサキです」

 口を開いたまま硬直している彼女に頭を下げる。彼女はこちらとソウの顔を交互に見比べて、漏れ出すような声でようやく反応した。

「ミサキさん、って、あの、ミサキさん、だったんですか!?え?既婚者!?」

「そうだよ、トミオカさん。内緒にしててね、大騒ぎになっちゃうから」

 目を白黒させている彼女の脇で、靴を脱いで並んでいたスリッパに足を通す。と同時に、奥からぱたぱたと走ってくる音が聞こえた。間違いない、この体重と足音は。

「ミサキお姉ちゃん!いらっしゃい!」

 予想通りに、既にこちらに来ていたリンが飛びついてきた。

「こんにちは、リンちゃん。良い子にしてた?」

 持ち上げて頬ずりしてから下に下ろす。屈託がなく無邪気で元気な姿に、荒んだ心が浄化されていくようだ。

「してたよ!宿題ももう終わったし!ね、こっちこっち。早く来て!」

 ぐいぐいと腕を引っ張られ、綺麗に磨かれたフローリングを滑るようにして案内されていく。

 背後では未だ戸惑いを隠せない家政婦を、適当な男が適当に説明しながら追いかけてきていた。


 ソウの実家は、外観こそヒノモト風の家屋ではあるが、内装は和洋ごっちゃの住みやすさを重視した構造になっている。

 玄関から続く長い廊下の途中には、洗濯機の置いてある広い脱衣所と浴室、同じ並びにトイレ、洋室と続いて、中央にある階段の前を通り過ぎ、突き当たりには広い洋風のリビングがある。

 概ねかれらが食事をしたり集まったりするのがこの部屋であり、自分が子供の頃にも、時々ここで昼食や夕食をごちそうになった事があった。

 一度大きくリフォームしたらしいが、構造自体は変わっておらず、内装もそれほど変化は無い。間取りが変わるとどうしても最初は違和感があるので、それをハルコが嫌ったのだろう。

「ミサキさん、いらっしゃい。今の実家に来るのは初めてじゃない?」

 リビングには、フユヒコも含めた全員が既に揃っていた。大きなテーブルの上にはプラスチック製の麦茶のポットが置いてあり、大きなお屋敷のいち風景としては不釣り合いにも思える。なんとも牧歌的で庶民的な印象だ。

「キョウカちゃん、皆さんもこんにちは。そうだね、リフォームしたって聞いてからは初めてかな?あんまり変わってない感じがするけど」

 全体的により綺麗にはなっている。もっとも、記憶の中にあるソウの実家は、自分から見れば非常に綺麗なお屋敷であり、そのイメージが強い分、あまり変わらないように見えるのかもしれないが。

「ミサキ君、いや、ミサキさん。ありがとうね、本当にもう。この子ったら、いくら見合いを勧めても蹴っ飛ばしてばっかりだったから」

「うるせえなあ。もういいだろ、それは」

 大げさに涙ぐんで頭を下げるハルコに、ソウは困ったように返している。こちらはただ笑っている事しかできない。

 そもそもこの男は、二次元と結婚すると言って憚らないような人間だったのだ。親の心配もわかるのだが、本人の嗜好はもうどうしようもない。

「ミサキ君、副総理から聞いているよ。本当にすまない。私としても本意ではないのだが、こればっかりは」

 フユヒコはあの計画の事を知っているのか。

 大きな役職のない彼ではどうしようもなかったのだろう。仕方がない。

「いえ、大丈夫です。人類が滅びては意味がないですからね。こうやって遊びに来れるのも、世界があるお陰ですから」

「うん、それはそうなんだが。息子の事も任せきりで、何もかも申し訳ない」

「なんだよ親父、人をお荷物みたいに」

 不満を漏らしたソウに、一同から笑いが上がる。立ったままでは何なので、空いていた椅子に並んで座った。そこでハルコが思い出したように、後ろにいた家政婦に向かって言った。

「トミさん、もう少ししたらお寿司が来るから、受け取っておいてもらえる?トミさんの分もあるから、今日はそれを食べたら上がってもらってもいいから」

 家政婦はわかりました、ありがとうございますと言ってリビングを出て行った。

「そういや、トミオカさんにミサキの事、言ってなかったのか?滅茶苦茶驚いてたぞ」

 家政婦が出て行った後、ソウが両親に向かって言う。確かに、事前に言っておけばあそこまで驚かれる事は無かったはずだ。

「言ってあるわよ?ソウのお嫁さんはミサキさんって言うのって」

「いや、それじゃ伝わらねえだろ……DDDのって言わないと」

「別にそれは必要ないでしょ?そもそも、あんまり言いふらす事でもないんだし」

「それはまぁ、そうだけど。どうせ知るんだから、驚かないようにしてあげたっていいだろ」

「サプライズよ、サプライズ」

「意味わかんねえし」

 母親とどうでもいい会話を繰り広げている夫を尻目に、こちらに声をかけてきているキョウカたち一家の方を向く。

「テツヤさんは、今日は休みですか」

 キョウカの夫は役所で働く公務員だ。といっても、自分が以前いた市役所ではなく、この区の区役所勤めである。役職は確か、係長だと言っていたか。

「ええ、どうにか。10月は休日にしなければならない事もあまり多くないですからね。ミサキさんは呼び出しがあったら、問答無用でしょう?そちらの方が大変じゃないですか?」

 真面目で温和そうな顔つきの義理の弟に、笑って答える。

「まぁ、それはそうなんですが。普段はトレーニングばっかりで、それほどする仕事がないので。勿論、出動があった場合は報告書なり申請書を書いて出すんですけど」

「はあ、大変そうですね。危険な戦いの後に事務作業というのも。やはり、紙ですか?」

「紙ですね。流石にもう慣れましたが」

 データ提出ではなく、紙に書いて提出である。嵩張るし筆記具は必要だしで、大変な事この上ない。普段字を書き慣れていないと、丁寧に書かないと字が崩れてみっともない。履歴書ですら端末で作ってプリンタで印刷する時代に、なんとも時代遅れな事だ。

「ミサキお姉ちゃん!戦いは?最近はどんな恐竜をやっつけたの?」

 悪意の無い子供の質問に苦笑する。子供にとっては、自分たちは悪い恐竜をやっつけるヒーローなのである。

「そうだね、一番最近のは、央華に出たやつかな。今までで一番大きくて、派手な恐竜だったよ」

 被害も他に類を見ない甚大なものだった。あまり笑顔で話したい内容ではない。

「一番大きいの!?水族館で見たサメよりも?」

「ジンベエザメだね。あれよりもずっと大きかったよ」

 そう答えると、リンは目を丸くして驚いている。その巨大さに想像がつかないのだろう。

「だれがやっつけたの?ミサキお姉ちゃん?」

「みんなでだよ。ジェシカちゃんと、メイユィちゃんと、アトランティックの三人と、連邦の人。あと、防衛隊の人や央華の兵隊さんたちも、みんなで一緒に。それでもギリギリだったかな」

 軍の支援がなければ我々も上手く動く事ができない。実際、どうにか倒せたのは、駆逐者全員の協力体勢とヒノモトの支援ドローン、竜の位置の確認をしていた央華人民軍の情報と、支援体制を整えていた兵站があったお陰だろう。

 実際、倒した後の被検体の回収や被害地域の後処理も、比較的スムーズにできたらしい。新しい主席であるワンが、直接指揮したのだと聞いている。

 ただ、それでも大きな市街地の全滅というショッキングな被害状況というのは変わらない。あのサイズのものが出現した場合、人の多い地域であれば、その竜災害は甚大すぎる被害を齎す。何しろ刈り取る意識を持った知性のある竜だ。危険なことこの上ない。

「リン、沢山の人が亡くなったんだから、あんまり嬉しそうに話しちゃだめだよ。ごめんなさい、ミサキさん。大変だったでしょ?」

 フォローを入れてくれたキョウカに、穏やかに微笑んで頷いた。リンも幼いながらに察したのか、わかったと言って頷いた。

 倒すべき対象がいる。それは単純に見れば正義と悪の二元対立だろう。子供でも分かりやすい構図である。

 だが、実際には子供向けアニメのように、さっぱりきっぱりとしたものではない。竜災害は災害だ。沢山の人が死ぬし、怪我をするし、建物も壊れる。

 人の立場から見れば恐竜は悪者に見えるかもしれないが、あちらから見れば生きるために邪魔な存在を始末している、といったところだろう。善悪は立つ側によって変わる。

 少し場の空気が沈みかけたが、折よくトミオカが届いた寿司を持ってリビングに現れた。

 テーブルの上に並べられた華やかな寿司桶を前に、賑やかな昼食が始まった。


「やっぱ寿司には冷酒だな。ビールもいいけど、腹が膨れすぎるんだよな」

「どうせ夜も飲むんだから、あんまり飲みすぎないようにして」

 寿司をつまんで猪口をぐいっと傾けた適当な男に、しっかりと釘を刺す。

 いただきものだという上等な純米大吟醸酒をフユヒコが取り出した為、口当たりの良い華やかな香りのするそれを、ソウは遠慮なくぐいぐいと飲んでいる。

 普段良く飲むビールよりも度数が高いので、あまり調子に乗るといくら彼でも飲みすぎになってしまう。

「ミサキ君、どうかな。いっそ私の地盤を継いで立候補してみては」

「いや、無理でしょう。投票に有利になる知名度は兎も角、議会の途中に超音速機ですっ飛んでいく議員なんていませんよ」

「だめよあなた。ミサキさんはソウと一緒にこの家を継ぐんだから。ずっとムサシ県に出ずっぱりなんて、ダメダメ」

「いや、それもちょっと」

「ミサキさん!男の子産んで男の子!リン一人だと不安だから!」

「いえ、それもまだちょっと、今は」

「ミサキお姉ちゃん!私もミサキお姉ちゃんの赤ちゃん見たい!」

 酒が入ったせいか、ほぼ全員の口が軽くなっている。リンまでもが空気に乗せられて、嬉しそうにはしゃいでいる。これはこれで平和で良いのだが、話の種にされるこちらは少し大変だ。

 少し困りはしているものの、折角なので寿司を箸で摘んで軽く醤油をつけ、口に入れる。

 白身魚の刺身の柔らかい甘さと旨味に、程よくほぐれる酢飯。香りの良い上等なわさびが刺激を追加し、その後にこれまた上質な純米大吟醸をきゅっと吸う。これは口も軽くなろうというものだろう。

 回っていない寿司は久しぶりだ。この寿司桶は、ここの近所にある、値段が高い事で有名な寿司屋の出前のもので、高価な分、味も折り紙付きだ。

 聞いた話によれば、元々魚屋だった目利きが寿司職人となり、毎朝中央市場で選んだ魚を買い付けてくるのだという。冷凍輸送されたものも多いのだろうが、それでも丁寧な処理がしてあるのか十分に美味い。

 海辺の街には流石に勝てないだろうが、内陸のこの地でこれだけのものが食べられるというのは、実に素晴らしい。冷凍冷蔵技術と流通の発達に乾杯だ。

 リンも大好きな玉子の寿司を口いっぱいに頬張って、笑顔で口を動かしている。ほっぺについた一粒の酢飯が可愛らしい。

 キョウカが娘の頬から飯粒を取ってやり、そのついでとばかりにエンガワを美味そうに咀嚼し、嚥下した後に聞いてくる。

「ミサキさん、夜はどうする?」

「お昼ごはんを食べながら、夕食の話をするの?まぁ、いいけど。リンちゃんは何が食べたい?」

「ミサキお姉ちゃんのご飯なら、なんでもいい!」

 なんでもいい、か。適当な性格はどうやら、この家系の特徴らしい。とはいえ、寿司の後に似たようなものを要求されるよりはずっと良いか。

「魚の後だから、肉にしようか。おばさん、買い物の必要は?」

「ミサキさん、もうおばさんは駄目よ。お義母さん、お義母さんだから」

「はあ、そうですねお義母さん。それで」

「冷蔵庫の中の物、どれでも使っていいわよ!そうだ、肉ならあれがあったかしら、ねえ、あなた」

 ハルコは猪口を傾けていたフユヒコの袖をつつく。

「うん?ああ、そうだな。いただきものだが、ブランド牛があったな。うちはあまり料理をしないと遠慮したんだが」

 ブランド牛。この辺りでよく聞くものだと、オウミかイセ辺りだろうか。しかし、そんな高級な肉を使って、適当なものを作るというのも。

「牛肉!ねえミサキお姉ちゃん、私、すき焼きが食べたい!市役所の近くで食べたことあるけど、おうちでは一度もないから!」

 市役所の近くですき焼き。いやいや、思い当たる店は一件あるが、あそこは超高額な牛肉を食わせることで有名な店だ。まさかな。

「キョウカちゃん、市役所の近くですき焼きってまさか、マジマ亭?」

「えっ?うん。そうだね、そういえば連れて行った事あったね」

 念の為聞いてみれば当たってしまった。何たる事だ。

 あそこは一人一食2万エンから、という高級店ではないか。自分は怖くて入った事など無いぞ。

「あーあそこ。俺も何度か食った事あるけど、美味かったな」

「お肉のブランドは指定せずに、その日に一番良いのを仕入れてくるらしいわねえ」

 生活水準の違いが目の前に立ちはだかっていた。上院議員であるフユヒコならば

兎も角、ソウもハルコも、当たり前のようにあの高級店に足を運んでいたようだ。

「すき焼きは作れるけど、あそこと比べるのは、その、ちょっと」

「いいじゃん。家庭料理と外食は違うって、いつも言ってるだろ?」

 軽々しく言う適当な男。まぁ、それもそうなのだが。

 キラキラと目を輝かせるリンに負け、渋々とすき焼きにしようか、と頷いた。有名店と比べられるプレッシャーがすごい。

 リンと一緒に、隣のソウまでもが歓声を上げた。やはり、昼間から飲みすぎではないだろうか。酒は程々のところでやめさせて、こちらは後で冷蔵庫を見て、足りない材料があれば買ってこないと。


 冷蔵庫に入っていた肉にはきちんと牛脂まで付いており、更にかなりの量があったが、七人で満足いくまで食べるとなると、少し足りない気がした。

 ネギやキノコはあったものの、白菜や春菊、焼き豆腐なんかも入っていなかった。

 近くの商店街に買い物に行くと言うと、リンが一緒に行くと主張し、キョウカも勉強のためについていくと言い張った。拒む理由もないので、三人で揃って大きな屋敷を出る。

 案の定、ソウだけでなくハルコやテツヤまでもが飲みすぎでダウンし、リビングにあるソファで高いびきをかいていた。

 彼らの面倒はフユヒコに任せて、下から順に、若い女三人で買い出しと相成ったのである。

 子供の頃からずっと過ごしていた地元なので、商店街までは勝手知ったる道だ。リンと手を繋いで、酒に火照った顔を冷ましながら、のんびりと秋晴れの道を歩く。

「ミサキお姉ちゃん、何を買うの?」

「お肉があれだけじゃ多分足りないから、お肉と、白菜、春菊、焼き豆腐と、あとしらたきかな」

 冷蔵庫の中にあったのは、比較的日持ちのする野菜や乳製品が多かった。卵も十分にあったので問題なさそうだ。

「キョウカちゃん、お義母さんはあんまり料理しないんだよね?なんで結構食材が入ってたの?」

 ハルコはあまり料理が得意ではない。その娘であるこのキョウカも、最初はひどいものだった。自分が教えてどうにかまともにはなってきたものの、まだ彼女も料理修行中の身である。

「うん、ミサキさんが来るからって、おトミさんに買ってきてもらったんだって。何作るかわからないから、汎用性のあるものをって」

「汎用性って。まぁ、なるほど。それで」

 日持ちのする一般的なものが多かったわけだ。人参やゴボウなんかの根菜がメインだった。すき焼きには人参を入れてもいいので、折角だから使わせてもらおう。

「でも、それだと使わなかったものはどうするの?」

「うーん、私が使うかな。でも、余っちゃうかも」

 キョウカの作れる料理の種類は、まだそんなに多くない。効率良く食材を消費するには、多少の慣れが必要なのだ。腐って捨ててしまうのはもったいないし、帰る前に何か手を打っておいた方が良いだろうか。

「それにしても、キノコが沢山あったね。えのきやぶなしめじは買ってきたものだろうけど、舞茸やらヒラタケやら。当たり前のように松茸もあったけど」

 新聞紙に包まれて不揃いなものもあったので、恐らくは栽培したものではない。自然に生えているのを採ってきたもののようだった。見た感じ明確に食べられる種類のものだったが。

「ああ、あれ。つい昨日、許可を貰ってうちの山にきのこ狩りに行った人が、お礼に置いていったものだよ」

「あぁ、そうなんだ。へぇ、ちゃんと許可取りに来るようになったんだね。この前のおじいさん?」

 神社のあるサメガイ家の持ち山の一つで花見をした時、無許可で山に入っていた老人がいた。そのせいでイノシシに襲われ、連鎖的に色々と面倒な事になったのだが。

「ううん、その人じゃないよ。うちの近所に住んでる人。毎年この時期に、一度だけきのこ狩りさせてくださいって来るの」

「あ、ああ。そうなんだ。あのおじいさんは、結局連絡は?」

 キョウカは黙って首を振った。やはり、決まりが悪いのか何なのか、あの老人は連絡を寄越さなかったようである。

 神社には神主の家族がいるものの、常に山道を見張っているわけではない。山への進入路はそこ一つでもないので、入ろうと思えば、いくらでも無断侵入できてしまう。あれに懲りて入るのをやめたのならばそれで良いが、最悪まだ同じことを続けている可能性もある。

 私有地に無断で入って、そこに生えているものを持っていくのは、不法侵入であり、窃盗だ。今でこそ当たり前のように大体の人間はそう認識しているが、昔は殆ど放置状態だった場所も多い為、その時の感覚で勝手に入って勝手に採っていく者がいる。

 立て看板はしてあるものの、そういった人間には中々効果が無いようだ。バレなければ良い、と考えているのかもしれない。

「まぁ、折角美味しそうなキノコだし、使わせてもらおうか。舞茸やヒラタケはすき焼きに入れても美味しいから」

 舞茸と一緒に加熱すると、何故か肉が柔らかくなる。

「そうなんだ。いつも食べ方が分からなくて近所の人にあげちゃったりしてたから。楽しみだね、リン」

「楽しみ!」

 舞茸やヒラタケ、ぶなしめじとえのきだけはすき焼きに使って良いだろう。しかし、あの、最高級とされるヒノモトのきのこの王様はどうすべきだろうか。

「松茸も、あげちゃってたの?」

「そうだよ。貰った人、凄く喜んでたけど」

 そりゃあ喜ぶだろう。国産のあのサイズのものなら、店で買えば数万エンは取られる超高級品だ。まず一般庶民の口には入らないものである。

 食べ方を知らないというのは、ヒノモト人としては少々問題ではなかろうか。土瓶蒸しに茶碗蒸し、お吸い物にするだけでもその香りと食感を十分に楽しめる。炊き込みご飯なんかにしても非常に美味しいきのこだ。

 あのサイズのものを毎年とって来られるという事は、その近所の人というのは、山中のシロと呼ばれる松茸発生地を把握しているという事になる。適正量を採る事で毎年一定量の収穫があるという事は、きのこ狩りをする人間としては、相当な熟練者だ。

 普段口にできないあれをどうするか、と考えている内に、近所の商店街に到着した。

 規模としてはかなり小さい所だが、ある程度なんでも揃うし、当時はスーパーで買うよりも安く良いものが手に入る事が多かった為、地元にいた頃も比較的良く利用していた場所だ。

 最近はどうなっただろうと心配していたのだが、若い世帯が周辺に住み着くことが増えた為か、表から見た限りでは、昔と変わらないようにも見える。

 しかし残念ながら、子供の頃良く利用していた駄菓子屋はシャッターが閉まっていた。子供が少なくなった時期にやめてしまったのか、あるいは跡を継ぐ人間がいなくなってしまったのだろう。寂しいが仕方がない。

 午後の早い時間帯のせいか、あまり買い物に来ている客の姿は多くない。それでも道の両脇には、ちらほらと買い物袋を提げた人の姿も見える。

「どこから行く?」

「まずは野菜かな。八百屋さん」

 店舗の大きさとしては商店街でも一番大きな店だ。一際目立つ庇の出ているそこへと向かって歩き出す。

「らっしゃい!キョウカちゃん、最近良く来るね!」

 店番をしていたのは、ねじり鉢巻きをした白髪交じりの中年の男だった。確か自分が子供の頃はもっと若く、親父さんと一緒に店番をしていた青年だった。時間の流れを感じてしまう。

「料理をミサキさんに教えてもらったからね。今日はすき焼きにするの」

 地元の人間は、現在は大きなお屋敷の隣に住んでいる、周辺一帯の大地主のお嬢さんの事を良く知っている。そもそも子供の頃からこの周辺を遊び場にしているのだ。この地域である程度年齢のいったものであれば、彼女はサメガイ家のご息女だと誰もが知っている。

 ソウと遊び回っていた頃も、そこいらじゅうで声をかけられた。今の自分を見て、当時の子供を思い出せる人間は絶対にいないだろうが。

「ミサキさん?ああ、そちらの……えーと、どこかでお会いしましたか?」

「いえ、多分、初対面ですね」

 こちらは彼の顔を良く知っている。だが、自分の姿は当時とはまるで似ても似つかないものになってしまった。若干の郷愁は覚えるものの、それは仕方のない事だ。

「えーと、なんだっけ、何を買うんだっけ?」

「白菜と、春菊だよ。白菜は大きいのを一玉と、あと春菊は三わほど」

 店を見回すと、あるある。見事などでかい白菜がダンボールに入れられて並んでいる。

「はいよ!白菜と春菊ね!まいど!」

 昔と変わらず元気の良い男に金を払い、礼を言う。最後まで彼はこちらに気が付かなかったが、後で思い返して驚くかもしれない。できればその思い出す切欠が、週刊誌の記事などでない事を願う。

 八百屋の次は豆腐屋に寄り、最後に肉屋へやってきた。ここのコロッケは揚げたてが非常に美味しくて、しかも安い。良くソウと二人で買い食いをしたものだ。

「あら、キョウカちゃん。リンちゃんもいらっしゃい。今日は何?またカレー用?」

 店番をしていたのは恰幅の良い中年女性。体型はあの頃とあまり変わっていないが、やはり少し老けたようだ。

「違うよ、今日はすき焼き用。ミサキさん、どれが良いの?」

「そうだね」

 すき焼き用のもので、あの肉と遜色ない、違和感がないぐらいのものでないと駄目だろう。途中から食味が変わってしまうのは仕方がないが、できるだけ似たような。

「え?ミサキさん?って、本物!?あら!まあ!」

 気付かれた。まぁ、気が付く人は誰かしらいるだろうとは思っていたが、よりにもよってこのおしゃべりなおばちゃんか。

「ええまあ。ええと、すき焼き用のこの肉、400グラムください」

「あら、失礼。はいはい、ちょっとお待ちくださいね!」

 ショーケースに並んでいる中で、ステーキ用を除けば最も値段の高いものだ。これでもあのブランド牛には単価は及ばないだろうが、それでも見た限りでは十分に良い肉だ。

 さしも入っていて、色も綺麗。この店のご主人は、肉を見る目が非常に優れているのだろう。

「はい、どうぞ。3200エンね。ちょっとおまけしといたから。でも、キョウカちゃん、ミサキさんと知り合いなの?」

「そうだよ、お友達。あんまり言いふらさないでね、おばちゃん。はい」

 金を払ったキョウカは肉を受け取り、こちらの手提げの中に入れた。これで買い物は完了である。

「そっかー、おばちゃん、びっくりしちゃったよ。そういえばさ、ソウちゃんのお友達。彼もミサキくんって言ったよね。男の子でも女の子でも違和感の無い名前だけど、ミサキさんがテレビに出てきた時、ちょっと思い出しちゃった」

 まさかそのミサキ君が目の前のミサキさんだとは夢にも思うまい。どうにも、地元というのはこういったニアミスが起こりやすくて危険だ。

「そうだねえ。あ、おまけしてくれてありがと、おばちゃん。また来るねー」

 軽やかに話を打ち切ったキョウカは、こちらを連れてごく自然に店を離れた。あのおしゃべりなおばちゃんは、捕まると色々と根掘り葉掘り聞かれるのだ。流石に彼女は手慣れている。

「ママ、お肉のおばちゃん、いつもおまけしてくれるね」

「お得意さんだからねえ」

「おとくいさん?」

「良く来るお客さんってことだよ」

 のんびりと帰り道を歩く二人の母娘らしい会話に、思わず頬が緩む。あの騒がしいソウの妹が、きちんとお母さんしている事が、何だか嬉しいような、寂しいような、そんな気分にさせられてしまう。

 商店街の人達も、歳こそ相応にとっているものの、以前と変わらない生活ぶりを続けているようだ。

 自分に見えない範囲でも、人の生活というのはそれぞれ続いている。そんな当たり前の事を、改めて実感させられた。

「よし、それじゃあ、帰ってお料理の支度をしようか」

「おー!」

 リンは拳を振り上げたが、キョウカは不思議そうな顔をしている。

「流石にまだ早くない?」

 時刻はまだ午後三時にもなっていない。確かにすき焼きならそう時間はかからないので、今から準備というのは流石に早すぎる。

「作るのはすき焼きだけじゃないからね。買ってきてもらった材料を余らせたら、もったいないでしょ?」

 今日は実に腕の奮い甲斐がありそうだ。


 買い物から帰ってきても、まだ三人は眠っていた。かれらに呆れたフユヒコだけが、自分で淹れた茶をゆっくりと啜っている。

「ああ、お帰り。変わったことは無かったか?」

「無いよ。お肉屋さんに、ミサキさんがいることがバレちゃったけど。お友達って言っておいた」

「そうか」

 リビングの奥にあるキッチンに移動して、買ってきた肉と野菜をそれぞれの場所に入れていく。この家の冷蔵庫も大きいが、やはりソウと同じく、大量に缶ビールが冷やされている。しかも普通のものではなく、全て高いプレミアムビールだ。

「よし、じゃあ、まずはあれからいこうか。キョウカちゃん、手伝ってくれる?」

「勿論です師匠!宜しくお願いします!」

「だから、師匠はやめてって」

 料理を教える段になると、彼女は唐突にこちらを師匠と呼び始める。違和感が半端ではない。

 冷蔵庫から卵を取り出し、大きなボウルに割り入れていく。出汁と水を少し加え、具合を見ながら泡立てないようにして溶きほぐす。

「これは、何をしているんですか、師匠」

「茶碗蒸しを作るんだよ。卵を溶く時は、あんまり泡立てないように気をつけて。キョウカちゃん、そっちのぶなしめじとヒラタケ、石づきを取って、小指半分ぐらいのサイズに切ってくれる?」

「わかりました!……えーと、石づきってどうやって取るんですか?」

「ああ、うん」

 そうだった。そこからだ。

 ぶなしめじを包装から剥がして、尻部分、おかくずの付いた場所の上から包丁の先を入れる。ゆっくりと包丁を上下させながら、切っ先で、回すようにして切れ目を入れていく。

「包丁で切る、というよりも、回して包丁に当てていく感じかな。こうやって一周すると、ほら、綺麗に取れた」

 かっぽりとおがくずの付いた部分だけが切り離されて、軸と傘の部分だけが残る。培地は食べられないので、残念ながら生ゴミ行きである。

「ははあ、なるほど。こっちのほうは?」

「こっちは普通に、お尻の先を切り取るだけだね」

 根本の部分、少し色が変わっている部分を切り落とした。

「それじゃ、ぶなしめじは三分の一ぐらいでいいかな。ヒラタケも同じぐらいの量、さっき言ったサイズに切り分けて。真横に切るより、縦か斜めのほうが食感が良くなるよ」

「了解です!」

 包丁を握り締めた彼女は、危なげなくきのこを刻んでいる。こちらは大丈夫そうだ。

 ボウルの卵を茶こしで濾して滑らかにして、棚から蓋付きの食器を取り出した。

 料理はしないというのに、食器や調理器具は一通り揃っている。ひょっとして、ソウのあのなんでも買い揃えてしまう癖というのは、母親譲りなのであろうか。

 何にしても、蒸し器まできちんと揃っている辺りがありがたい。一応出る前に確認しておいたのだが、料理店の厨房並に器具が揃っている。これで料理をしないというのだから、宝の持ち腐れにも程があるだろう。

 もしかしたら、以前は料理をする人がいたのかもしれない。あのトミオカという家政婦さんは料理はしないという話だったが、昔の家政婦さんか、あるいはハルコの父か母が料理をする人だったのだろうか。

 キョウカがきのこを刻んでいる間に、蒸し器に水を入れて強火にかける。春菊を少しだけ取り出して、調理バサミでちょんちょんと小さいサイズに切り揃えておく。

「師匠!できました!」

「はいはい。じゃあ、こっちの茶碗の中に、均等に入れていってね」

 刻んだきのこを、パラパラと均等に入れていく。入れ終わった後で、先程の卵液を慎重に注ぎ、最後に先程の春菊をちょこんと乗せた。

「本当はミツバを使うんだけどね。その場合は熱を通さなくても最後に乗せればいいよ。ただ、今回はわざわざ買ってくるほどでもないし、春菊で代用」

 アルミホイルで容器に蓋をして、湯気の立ち始めた蒸し器の中にいれて、蒸し器に蓋をする。

「強火で……5分くらいかな。その後弱火にして20分ぐらい。キッチンタイマーがあると便利だね」

 キョウカはふむふむと頷きながら聞いている。

「ミサキお姉ちゃん、それ、何をつくってるの?」

 祖父の膝の上から降りてきたリンが、キッチンに入ってきて、湯気の上がっている蒸し器を不思議そうに見ている。

「これはね、茶碗蒸しだよ。食べたことあるかな」

「ちゃわんむし?プリンみたいなやつ?」

「そうそう、プリンみたいなやつ」

 甘くないプリンだ。どっちも卵のタンパク質凝固作用を利用したものである。まぁ、ゼラチンを使っている場合もあるのだが。

「あの黄色い豆みたいなの、あんまり好きじゃないかも」

 黄色い豆。ああ、ギンナンか。あまり子供に沢山食べさせるものではないし、今回は入れていない。

「今日は黄色い豆は入ってないよ。あれはギンナンっていう、イチョウの種だね」

 独特の風味があるので、好まない子供は割と多い。だが、自分は結構好きだ。

 殻ごとフライパンで煎って、もちもちになったものに粗塩を付けて食べると美味い。ビールにもよく合うし、焼酎や清酒にも合う。大人の秋の味覚だ。

 ただ、ギンナンにはメチルピリドキシンという成分が含まれていて、沢山食べると中毒を起こす可能性がある。茶碗蒸しに入っている一粒程度ならば問題はないが、美味しいからと沢山食べてはいけない。

「イチョウ?あの臭いやつ?」

「そうそう、表道路にいっぱい立ってるよねえ、あれ。落ちてるギンナンの殻が割れると、凄く臭いんだよね」

 イチョウには耐火性があることから、街路樹として植えられることが多い。全て雄の木ならば種子は実らないのだが、当然、雌の木が混じっている事がある。この時期、自然に成ったギンナンが道路や歩道に落ちて、それをうっかり踏みつけて割ると、強烈な臭いがする。あれだ、生物的なうんちの臭いに近い。

「あんなの食べてたの!?うええ……」

「あはは、勿論、食べる時に臭いはしなかったでしょ?リンちゃんにはまだ早いかなぁ」

 基本的に、未就学児にはギンナンを食べさせないようにするのが基本だ。子供はメチルピリドキシンの許容量が小さい為、人によっては痙攣を起こしたりもする。

「おとなになっても食べられなくてもいいよ。でも、プリンみたいなところはおいしかった」

「今作ってるのはきのこだけだから、安心して。きのこの出汁が出て凄く美味しいから」

 そう告げると、リンは嬉しそうに頷いて戻っていった。

 イチョウか。そういえば、イチョウは古代からある植物であり、先日の竜に使った植物の仲間だ。何故その種子が恐竜に効果的なのかはわかっていないが、数少ない、駆逐者ではない一般の人間が使える対抗手段である。

 場合によってはクマ撃退スプレーのようなものに加工すれば、一般人でもSクラス程度であれば、逃げる時間を稼げるかもしれない。ただ、ヒノモト原産の植物の種子を使っていて、大きく品種改良をしているが故に、中々他国では使用許可が降りないそうだ。

 粉末にしてしまえば外来種も何もあったものではなかろうと思うのだが、各国の検疫がそうなっているのだから仕方がない。しかし、世界の一大事であるのに、そのぐらいは融通を利かせれば良いのではと思ってしまう。

 茶碗蒸しが蒸し上がったので、耐熱ミトンをつけて取り出し、少し冷ましておく。粗熱が取れたら冷蔵庫に入れておけば、あとは食べたい時に取り出して並べるだけだ。

「簡単でしょ?」

「うん。もっと手の込んだ料理だと思ってた」

 懐石なんかにも並んでいる事が多いので勘違いしがちだが、これは一般的な家庭料理だ。諸外国にも似たような料理は沢山ある。

 そもそもカスタードプリンの元、プディングだって、別に全てお菓子というわけではない。熱を加えて固めた料理の総称だ。

「じゃあ次、サラダを作ろうか。ゴボウを使った根菜サラダね」

「わかりました!」

 残しておいても腐らせるだけなら、この際存分に使うだけだ。時間はまだまだたっぷりある。思い切り楽しんで作って、キョウカのレパートリーも増やしてやろう。



 清酒の飲みすぎでダウンしていた三人が起きてきたのは、夕刻、大分日が傾いてきてからだった。

 土曜日という事もあり、日頃の疲労が出たのだろう。酒が残っているという風もなく、三人ともよく寝た、という感じで、さっぱりとした顔をしている。

「おそよう。良く寝てたね」

 ほんの少し皮肉を交えてソウに言うと、彼は吸い込まれそうな大あくびをした。

「あー……今、何時だ?」

「もう5時だよ。あと一時間もしたら夕食にしようかって言ってたところ」

 食べて飲んで、寝て起きたらまた食べて飲む。どこのお大尽の生活だろうか。

 ただまぁ、ハルコは兎も角、二人とも平日は忙しく働いているのだ。トレーニングをしてネットを見ているだけの自分と違って、心労も溜まっている事だろう。たまにはだらけた日があったって構わない。

 ハルコにしたって、この家の責任者として、普段はあちこちに気を使っているのだ。心労という意味では、彼女にも相当な負荷があるはずだ。

「そうか、なんかやること、あるか?」

「もう準備も終わってるから、なにもないよ」

 ソファからテーブルに移動してきた彼は、こちらの淹れた濃い緑茶を啜って顔をしかめた。熱かったらしい。

「お兄ちゃん、暇なら二人で今日寝る部屋にでも行ってきたら?掃除はおトミさんがしてくれてるけど、動かせないものとかまだ残ってるから。布団、敷くんでしょ」

「あー、そうか。場所の確保はいるかぁ」

 寝癖のついた適当な男が茶を飲み終わるのを待って、リビングを出て廊下を戻り、途中にある階段を上った。

「懐かしいか?」

「懐かしいね」

 二階にあるのは主に、この家に住んでいる者たちの部屋だ。

 一度踊り場を経由して折れ曲がった階段を上り切り、廊下の右側、右手の一番奥がソウの部屋。

 子供の頃はよくここに遊びに来て、部屋で二人でゲームをしたり、漫画を読んだりしていたものだ。

 時々豆柴のマルちゃんが半開きの扉から転がり込んできて、所構わず歩き回っているのを眺めたりもしていた。

 扉を開けて中に入ると、昔から置いてある学習机はそのまんま。隅に置いてあったベッドは無くなっていて。彼が残していった物らしきダンボールが三つ、部屋の隅に置かれている。

 片付けるようなものはあまり無い。リフォーム前からあった絨毯も綺麗に掃除されているし、ほぼ空になった棚にもチリ一つ無い。あの家政婦は、随分と丁寧に掃除をしてくれているようだ。

「別に片付けるようなもんはないな。何だ、あいつ」

 彼はそう言って、部屋の隅に積み上げてあるダンボールの、一番上の蓋を開けた。

「ああ、懐かしいな。このゲーム、良く二人でやったよな」

 ソウが取り出したのは、昔のゲームハード対応のディスクソフト。『ディフェンダーズ』というゲームソフトのパッケージだった。

「キャラ格差酷かったなぁ。まぁ、アクションゲームだからいいんだけど、対戦ゲームとしては大味だった」

「まぁな。協力プレイのストーリーモードがメインコンテンツだし」

 当時、わいわいと騒ぎながらこの部屋で遊んだことを思い出す。この部屋に置いてあったテレビとテレビ棚は既に他の部屋に移動したのか、あるいはリフォーム時に廃棄したのか。古びた絨毯にはその時の家具跡がうっすらと残っている。

「あの時は、ミサキとこんな事になるなんて、夢にも思わなかったな」

 少し自嘲気味に笑った彼に、こちらも唇の端で微笑み返す。

「当たり前でしょ。常識的に考えて、ありえない事が起こってるんだから」

 世の中の常識は覆ってしまった。一度滅びた種族は目の前にもう現れない。完全な性転換など有り得ない。人体の限界を超えるには、人体の形状そのままでは不可能だ。

 だが、彼の考えていたその『ありえない事』は、少し違った意味を持っていたようだ。

「まぁ、そうだな。俺が異性としてお前を好きになるなんて、ありえないと思ってたよ。電器屋で初めてお前のその姿を見た時にはな」

「本当に?」

「当たり前だろ、二十年来の親友だぞ」

「そっか、そうだね。私も最初はそう思ってたよ」

 こいつなら大丈夫だろう、とは思っていた。だが、もしかしたら、という懸念も無かったとは言えない。覚悟自体は最初からできていたのだ。なので、こちらの感覚とソウのそれは少し違うのだろう。

「でも、今は?」

 近寄って顔を近づけると、彼も素直に応じてきた。

 見上げるような姿勢で重ね合わされる唇から、彼の本心が伝わってくる。この事だけは、言わなくても、態度で分かる。

 傾き始めた日が差し込むがらんとした部屋で、暫くそうやってただ、抱き合っていた。


 階段を降りてリビングに戻ると、キョウカが何故か驚いた顔をして、素っ頓狂な声を上げた。

「あれ!?早かったね」

 何が早かったのだというのだろうか。何もない部屋をただ眺めて戻ってきただけだ。

「何がだよ。片付ける物なんて何も無えじゃねえか」

 ソウが不信感を込めた声で言うと、キョウカは誤魔化すようにして乾いた笑いを出した。

「あ、あはは。いやあ、一戦ぐらいしてくるかなあって」

 いやいや、何を言っているのだこの義妹は。夕食の前、しかも家族のいる実家で堂々と。流石にそれは無いだろう。

「ママ―、いっせんって何?戦うの?」

「あ、なんでもないよ、リン。さ、お夕飯の支度をしようね」

「やったー!すき焼き!」

 気の利かせ方の方向性が違う。そのためにソウの部屋へと送り出したのだとすれば、こちらの事を、どこでも盛る獣だとでも思っているのだろうか。

 まぁ、懐かしくなったのと、暫く抱き合っていたのは事実なので、あまり彼女を批難する気にもなれないのだが。

 仕方がないな、とこちらも彼女を追いかけてキッチンに入る。リビングで聞いていた他の家族は、ハルコ以外はソウと同じように、ひどく呆れた顔をしていた。


 テーブルの上、あまり深さの無い鍋をカセットコンロにかけて火を点ける。肉に付いていた牛脂を菜箸で掴み取り、鍋の上で塗るようにして、ゆっくりと滑らせる。

 白く煙が上がってきたところで、長く美しくサシの入った牛肉を、その鍋の中へと横たえた。

 たちまち上がる香ばしい肉の焼ける香り。そこに砂糖を匙で掬って振りかけ、予め沢山作っておいた割り下を絡める。

 醤油と酒の焦げる香りが立ち上った所ですぐに肉を引き上げ、リンの目の前、溶き卵を満たした食器の中に入れた。

「はい、リンちゃん、一番にどうぞ」

「いただきます!」

 卵を絡めた甘辛い肉を口にした彼女は、咀嚼しながらこの上ない幸せそうな笑顔を零れさせている。

「おいひい!やわらかくて、甘くて、しょっぱくて。お店で食べたのよりおいしい!」

 流石にそれは言い過ぎだ。専門店の、しかもあの高級店のものと比べれば、流石に一段落ちるはずである。

 ただ、家族揃って、皆の目の前で食べるというのは、少なからず感情という味覚に影響を与える。そう考えると、あながち彼女の感想というのも的外れというわけではないのだろう。

 大好きな家族と一緒にする食事というのは、何物にも代え難い時間だ。外食も良いが、家でこうやって楽しみながら食べる、というのも、とても大切な経験である。

 続けて肉を焼き、全員に配っていく。牛脂を塗り直し、自分の分も確保して二順したところで、纏めて肉を入れ、更にどっさりと用意した野菜の中からネギを投入して焼いていく。

 他の野菜やきのこも投入し、割り下と砂糖を少しずつ加えて味を調整していく。ここから先はもう、他の鍋と大して変わらない。

「久しぶりに食ったが、美味いな。しかも本格的だし」

「ミサキさん、本当に料理上手ねえ」

 ソウとハルコが嬉しそうにこちらを褒めるが手順通りにやっているだけだ。美味いのは肉の質が異常に良いからである。

「誰が作ってもこうなりますよ。お野菜を煮込んでいると水が出てきて薄くなるので、好みでお砂糖と割り下を足してくださいね」

 自分も肉と焼き豆腐をお玉で掬って、溶き卵の入った容器に入れる。ややオレンジがかかった黄色い卵の中に、割り下の茶色い色が少しずつ滲み出ている。

 卵が絡み、冷まされた肉を頬張る。まろやかな溶き卵の味わいに、割り下と砂糖の甘みと塩辛さ。噛みしめる度にとろけるように舌の上を転がる、上等な牛肉の脂。

 どこかの誰かが、すき焼きは質の悪い肉をごまかして食べる方法だ、などと言っていたそうだが、とんでもない。

 確かに肉の味そのものだけを目的とするのならば、いくらでも別の食べ方があるだろう。だが、すき焼きは濃い味に負けない肉の力も感じられる、素晴らしい料理だ。豆腐や野菜にも割り下が染み込んで、きのこはその中にいても尚、その自らの旨味を主張している。

 肉や野菜の癖が小さくなった現代でも残っている料理なのだから、そこにはきちんとした理由があるのだ。

「うん、美味いな。店で食べるものと本当に遜色ない」

「本当ですね。肉も美味しいけど、特にこのきのこ。舞茸ですか?」

 フユヒコもテツヤも、肉よりは野菜やきのこをより好んでいるようだ。

 肉は上質すぎる分、脂が非常に多い。歳を取るとあまり沢山食べるのはきつそうだ。

「舞茸、美味しいですね。これ、山で採れた天然ものですよね」

 コリコリとした食感に加えて、スーパーで売っているものよりも遥かに濃い風味と旨味。全く別物と言っても良い。

「そうそう。毎年ね、ウツミさんが採らせてくれって許可を貰いに来るの。それで、夕方にお礼で貰うんだけど。こんなに美味しかったのねえ」

「今までよそにあげてたけど、これならうちで食べちゃいたいかも」

 大量にあった具材が、みるみるうちに無くなっていく。ビールの空き缶が並び、卵の殻が積み上がる。食べて、入れて、煮て、味をみて、食べて。湯気の中に家族の笑顔が浮かぶ。

 多すぎるか、と思われた具材の量だったが、その殆どが綺麗に7人の腹の中に収まった。

 シメに投入したうどんもきれいさっぱり平らげて、楽しい夕食は終わりを告げた。

「おいしかったぁ……ミサキお姉ちゃん、また食べたい!」

「うん、また機会があれば作ろうね」

 洗い物はソウとテツヤがしてくれるというので、ありがたくそれに甘え、リビングでゆったりと寛いでいる。

「しかし、羨ましいな。ソウは自宅で毎日こんな料理を食べているのか……そういえば、あの麻婆茄子もとても美味しかった」

「いやいや、すき焼きをしたのは初めてですよ。普段はもっと簡単な料理が殆どです」

 フユヒコが膝に載せたリンの頭を撫でながら言ったが、流石に毎日こんな手の込んだものばかりを作るのは無理だ。駐屯地から帰ってきてから、という事になると、どうしてもある程度手抜きをしたものになる。時間があれば凝ったものも作りたいのだが。

「でも、すごいね、ミサキさん。晩ごはんだけじゃなくて、お弁当も作ってるんでしょ?」

「弁当は、おかずの殆どを準備して冷凍しておいてあるからね。そんなに大変じゃないよ。朝ごはんのついででもあるし」

「いやいや、私じゃまずその準備ができないって。リンの学校が給食で良かったよ」

 リンが通っている学校は、自分とソウの通っていた所と同じ。すぐ近くにある公立の小学校だ。

 給食も自分達の頃は調理室があり、調理員さんが毎日大きな鍋で作っていてくれたが、今はどうなのだろうか。

「リンちゃん、学校の給食は美味しい?」

 フユヒコの膝に座っている彼女は、少し考えたが、こくんと頷いた。

「おいしいよ。苦手なのも時々あるけど」

 気を使っているのではなければ、おそらく体制は変わっていないのだと思われる。今は食材の高騰のせいか、今までの給食費では賄えなくなってきており、量も少なく、どうにも貧相な給食が多い、という話を耳にしたことがあるのだ。

「中学も近くの公立にするなら、キョウカちゃんもお弁当が作れるようになったほうが良いかもしれないね」

 リンの前では言わないが、自分とソウが通っていた近くの中学校には、給食が無い。

 自分は早くに母を亡くしていた為、暫くは父から昼食代を貰って購買でパンを買っていたのだが、昼の激しい争奪戦や同じ味ばかりのパンにどうにも飽きてしまい、そのうち自分で弁当を作り始めた。

 じきに同じ中学に上がってきた妹や、仕事に出ていく父にも作るようになったため、手抜きの方法を覚えていったのはその頃だ。積み重ねがあるからこそ、毎日作るのも苦にならないのだ。

 その頃の妹はまだ素直で、毎日弁当箱を返す度にあれが美味しかった、これが美味しかったと感想を伝えてくれた。多分、料理が好きになったのは妹のお陰だ。

 弟も程なくして中学に上がってきた為、結局家族全員の食事を一手に引き受けることになってしまった。

 中学、高校と剣道部に所属していたものの、時間が取れず、満足に練習ができないことから、高校二年の半ばあたりで辞めた。

 元々体育会系の空気が肌に合わなかった事もあるし、剣道の精神性は気に入っていたものの、大学に入ってからも再開しようという気は起こらなかった。

 父は元々家族を十分に養える程の収入を得ていたが、流石に三人を大学に送るには辛かろうと思い、高校時代にアルバイトで金を貯め、更には返済不要の地元奨学金を運良く受けられて、そこそこの大学に通うことができた。

 ただ、その奨学金の返済不要の条件というのが、地元企業に就職すること、であった為、給料は安いが、工学部の知識を活かす事ができ、比較的自由な時間が取れると思ったビルメンテナンス業を営む会社に就職した。

 妹は殊更優秀で、中学時代からその知能の高さを発揮し始めたため、古い考えで渋る父を説得して帝大系の法学部に行かせた。

 要領の良い弟はと言えば、そこそこの大学を卒業して、持ち前のコミュ力を使って結構な大企業に潜り込み、あっという間に結婚して一女一男に恵まれた。

 結果としてみれば、長男であった自分が最も能力が無かったのだと言える。料理ができようが趣味の領域は出ず、年収も下二人の半分程度にしか及ばない。

 それでも、休みの日には気の合う友人と遊び、独身貴族さながらに、悠々と暮らしていた。その最中にこうなった、というわけだ。結果に恵まれたとは言えども、なんとも理不尽な話である。


 時間も遅くなったので、朝ごはんはこっちで作るから食べに来て、と隣の家にキョウカたち三人を送り返し、広い風呂を借りた後、リビングで再び晩酌を開始した。

「悪いわねえ、お客さんなのに、買い物から食事の支度まで全部させちゃって」

「気にしないでください。料理は好きでやってる事ですから」

 多分、世の中の姑や夫という立場から今の自分のやっている事を見れば、あまりにも都合の良い存在に見えるだろう。

 そこそこの年収を稼ぎ出し、朝は早く起き出して朝食と弁当まで作り、夫が仕事を終えて戻ってきたら、既に夕食の準備ができている。まだ子供がいない事を考慮に入れたとしても、とんだスーパーウーマンだろう。

 夫の実家に帰って来れば、文句一つも言わずに率先して食事の支度をして、親戚の子供の面倒を喜んで見る。一体いつの時代の理想の嫁だ、と言いたくなる。

 だが、別に無理をしているわけではなく、好きでやっている事であるので、こちらの負担感はまるで無い。疲れにくい駆逐者だという事もあるだろうが、内面自体は元からこういう性格なのだ。

 こういう事を当たり前にしていると、世の中の大変な奥様方に怒られてしまうかもしれない。お前がそんなに完璧にやるから、こちらも要求されて大変だ、と。

「ミサキ君、無理はしなくていいんだぞ。食事が出前や外食に偏りがちなのは、元からなんだから」

「はぁ、いえ、無理はしていませんね。割と子供の頃から家族に料理を作ってはいたので」

 そう言うと、フユヒコは怪訝そうな顔をした。

「それは所謂、ヤングケアラーというものかな。昔遊びに来た時は、とてもそうは見えなかったが」

 普通の子供に見えただろう。当然だ。別に無理して生活を削っていたわけではないのだから。

「そんな大げさなものじゃないですよ。料理も、その頃から手抜きをあれこれとしていましたから。自分を蔑ろにした事はありませんし」

 でなければ、とてもじゃないが続かなかっただろう。いくら料理が好きでも、自分の時間を削ってまで尽くす気は更々無かった。面倒になれば、親から金を貰って惣菜でも買って来れば良いだけだ。逃げ道があればいくらでも手も気も抜ける。

「ミサキは遊びに来ても時々飯作ってくれてたからなぁ。ありがたいありがたい」

「ソウは食事を適当にし過ぎるの。目を離したらすぐに牛丼で済まそうとするんだから」

 別に牛丼で悪いというわけではない。だが、毎食面倒だからとそんな事をしていては、すぐに身体を壊してしまう。事実、ソウは自分が食事を作り始めるまでは、結構な頻度で腹を壊したり、風邪をひいて熱を出していたのだ。

「……こう言ってはなんだが、ミサキ君が女性になって、息子と一緒になってくれて、非常に感謝しているよ。言葉を飾らずに言えば、あまりにも都合が良い」

「ちょっと、あなた」

 ハルコが流石に窘めたが、笑って答える。フユヒコも承知でそれを言っているのだ。

「そうですね、非常に都合が良いです。まるで誂えたかの様に、パズルのピースが嵌ったかのように。何がしかの作為的な意図を感じざるを得ませんよね、普通なら」

 見えざる手、という表現は、主に経済の分野で使われる。自分にとっての効率的な利益を追求すれば、自然と全体の調和が取れるような方向にならざるを得ない、というものだ。

 全てがそうだという事では無いが、自分が生存権を求めてソウを頼った結果、それが彼にとっても、彼の家族にとっても非常に都合の良い結果になっている、というわけだ。

「今の所、それは無いと言っておきましょう。研究者が調べて分かる事でも無いでしょうけど、ソウを頼ることになった経緯はごく自然です。お義父さんが懸念していらっしゃるような事は、多分無いと思います」

 穏やかな上院議員は、頬を緩ませて言った。

「君は本当に、子供の頃から賢いね。やはり議員に、と、これは既に辞退された後だったか。いや、それならば良いんだ。何者かが君の人生を歪めてしまって、結果として息子や我々の得になっていたとしたら。それは極めて問題のある事だからね」

「何者か、って。有り得るとすれば誰だよ、それは」

「さあな。人か、神か、或いは恐竜か、宇宙人かもしれないな?」

「なんだよ、それ」

 冗談交じりにはぐらかすフユヒコは、海千山千の議員であるが故に、こういった問答に慣れているのだろう。実はソウも無意識にこういう話し方をする事があるので、血は争えないという事だろうか。

 何者かが自分の人生を歪めた。それはある意味正しい。

 古代の知性ある生き物が、かれらの因子を撒いたが故に起こっている事だと推測できるからだ。

 だが、何故自分にその因子が発現したのかは分かっていない。他の仲間との共通点を探そうにも、殆どが記憶のない者ばかりだ。

 しかし、都合がよい、といえば、自分よりも遥かに周囲の都合に合わせた転換をした者がいる。フレデリカだ。

 彼女は自分と同じく男性として産まれ、そして性別を偽って女性として育てられた。

 彼女が女性として性転換した事は、家族にとって天啓とも言える出来事だっただろう。親の身勝手ではあるものの、望まれた姿になったのは、結果的に彼女の為にもなっている。

 同じく血の繋がった家族がいるルフィナはどうだろうか。聞いた話だけでは今ひとつ全貌は見えないものの、彼女が記憶を失った事で都合が良かったのは、おそらく彼女の母だろう。

 忌まわしい過去の出来事を綺麗さっぱり忘れ、再び穏やかな母娘生活を始められた、と、最初は思われる。ただ、結果としてルフィナは国家に捕捉され、再び過酷な運命に翻弄される事となってしまったのだが。

 ジェシカたちにも同じような過去があるのだろうか。だが、彼女たちは実際に血の繋がった肉親や、転換前の記憶を持っていない。ロロに至っては、その経緯自体がまるで不明だ。

「都合、といえば。子供はまだ、無理そうなの?」

 これはハルコとキョウカの都合だろうが、残念ながらそちらはまだだ。

「欲しいんだけど、流石に今は無理だって。央華の被害、聞いただろ?あんなのがまた出てきたら、ミサキは絶対に必要だろうし」

「それはそうなんだけど」

 流石にこちらの都合だけで全世界を危機に晒すわけにはいかない。優先度というものがあるのだ。

「目処がついたら、なんですけど。今は少し難しそうです」

「そう?大丈夫かしら。ミサキさんは兎も角、男も歳を取ると作りにくくなるらしいし」

「まだ大丈夫だって。ほら、酒も飲み終わっただろ?もう遅いし、歯磨いて寝ようぜ。腹いっぱいで、俺も眠くなってきたし」

 ソウが強引に話を打ち切った。確かに無理なことをいつまでも話していても意味がない。ハルコも渋々といった風情で立ち上がった。



 布団で寝るのは久しぶりだ。一人暮らしをしていた時もベッドだったし、実家にいた時以来となると、十年以上も前になる。

 モノがなくなってがらんとした昔のソウの部屋に、大きな布団を二つ敷く。何となく、畳ではなくて絨毯の上、というのが不思議な感覚だ。旅行に行っても、布団を敷くのは大体和室である。布団とは、畳の上に敷くものだ、という先入観があるのだ。

「なんか変な感じがするな」

 それはソウも同じだったようで、しきりに首を捻っている。どうやら彼はその違和感の正体が何であるか、気が付いていないようだ。

「畳じゃないからじゃない?前はそっちに、ソウのベッドがあったよね」

「あーそっか。普通、下が絨毯やカーペットだとベッドだもんなぁ」

 やっと合点がいった、とばかりに彼は頷いた。布団の上に座り込み、スマホを確認している。こちらも寝る前に一度立ち上げてみると、ワイアーが来ていたので確認する。弟の嫁、ミオからだ。


『ミサキさん、ウミがミサキさんのすき焼きが食べたいって……』


 ああ、と天を仰いだ。

 恐らくリンが、ウミにワイアードで今日の事を自慢したのだろう。当然の権利の如く、ウミも主張しはじめるに決まっている。次の週末はトシツグの所か。

「どうした?」

「ウミが、すき焼きが食べたいって」

「ああ……まぁ、そうなるか」

 そうなるのだ。これは約束された未来であり、必然である。

 SNSの発達したこの時代、最早ウミとリンは同じ情報を常に共有していると言っても良い。もう、面倒だから次は両方に都合の付く日にしたほうが良いだろうか。

「来週か、その次かなぁ」

「しょうがないな、リンだけ特別扱いするわけにもいかないし」

 そう、片方が良い思いをすれば、もう片方も同程度の事をしないと不公平だ。同じ年頃の姪なのである。まだ小さい甥のショウは兎も角として、彼女たちは価値観が非常に近い。

 ミオとトシツグに都合の良い日を教えてくれとだけ返信して、スマートホストをスリープ状態に戻した。ソウも一通り確認が終わったのか、同じ様に充電ケーブルを接続して、枕元に置いている。

「明日は?」

「昼前には帰るか。ここにいると昼飯の時に飲んじまいそうだから」

「別にソウは飲んでもいいよ?」

「そんなわけにいくかよ。帰りは俺が運転する」

 大丈夫だろうか。まぁ、勝手知ったる地元の道ならば大丈夫だろうが。

 彼が立ち上がって、入口付近にあるスイッチで部屋の照明を落とした。足探りの状態で布団に戻ってくる。

 どちらも、おやすみ、とは言わなかった。



 キッチンで前日に仕込んでいた炊飯器のスイッチを入れて、他のおかずを作り出す。

 材料はまだ沢山余っているが、この程度であれば余ったものを小鉢に入れておいて、昼や夜に食べるだけで全て消費できるだろう。

 それにしても、食材を入れる事のない冷蔵庫というのは恐ろしく虚無感の漂うものだ。

 今回あの家政婦さんが買ってきた食材は日持ちのする無難なもので、作ろうと思えばいくらでも色んなものを作れるラインナップだった。だが、日常的に料理をしない家庭の冷蔵庫というのは、それを取っ払ってしまうと残ってしまうのが飲料だけという、凄まじい光景だ。

 思えばソウのマンションの冷蔵庫も、訪れる度にこんな感じだった。不毛すぎて笑うことすらできない。

 扉を開ければ見えるのは、プラスチックケースに入ったお茶、野菜ジュースに炭酸飲料、残りは全て酒類という、恐ろしい景観だ。こんなものが冷蔵庫だとは私は認めない。

 ともあれ、今朝は自分がいる。せめて二日だけでも冷蔵庫の本懐を遂げさせたことに、我ながらささやかな満足を感じている。

 最後の卵をボウルに割り入れて、泡立て器でかき混ぜる。普通のだし巻きだけでも良かったのだが、リンがいるのでもっと華やかなものがあれば良かろうと思ったのだ。

 彼女は割と洋風のものを好む傾向がある。すき焼きは単純に好きな味付けだったのだろうとは思うが、だし巻きとオムレツでは後者の方を好むのだ。

 すき焼きに隠れて放置されていた茶碗蒸しを取り出す。良く冷えて、実にプリンのようである。

 茶碗蒸しの淡い味わいでは、すき焼きと高級肉の強い脂の味に勝てないと思って、出すのは今朝に回したのだ。今朝はあの王道料理がある為、その相性は抜群である。

 かき玉汁に茶碗蒸しと、卵系が続いているが問題ない。卵は万能食材だ。何に入れても美味しいし、どう調理しても美味い。デザートをふんわりスフレ風にしても、朝食ならば許される。

 牛乳と砂糖をこれでもかとどっさりと入れて、駆逐者特有の持久力とパワー、速度でかき混ぜる。今ならばアイスクリームだって平然と作れるだろう。

 材料をオーブンに入れて、時間をセットしたところで一息ついた。やるべきことはやりきった。清々しい気分である。

 昨夜の事を思い出して頬が緩む。やはり、料理もアレも生は良いものだ。

 一番最初に起きてきたのは、当然というか何というか、義父のフユヒコだった。

「おはようございます、お義父さん」

「ああ、うん、おはよう。何というか、ミサキ君におとうさんと呼ばれるとむず痒いな」

「すぐに慣れるんじゃないですか」

 お茶を入れてテーブルに置く。朝食はもう少し揃ってからの方が良いだろう。

「おお?この香りは……」

 彼はテーブルにつくなり、鼻をひくつかせた。流石に美味いものを食べ慣れている上院議員は気がついたようだ。

「そうです。楽しみにしてくださいね」

「そうか、確かに貰ったと言っていたな。実は大好物でね、あまり表立っては言えないのだが」

「でしょうね。マスコミの格好の餌食ですから」

 議員が高価なものを食べているというだけで記事になってしまう。そもそも国民の代表たるものが貧相な食事をしているというのは、実はあまり外聞の良い事ではないのだが、庶民受けを狙うには格好の素材になってしまうのだろう。別に無駄遣いをしたり、税金の浪費をしているというわけでないのなら、一々目くじらを立てるものではないのだが。

 今までに無い程に穏やかな表情を浮かべている義父の次にやってきたのは、眠そうな目を擦っているテツヤを引っ張ってきたリンだった。

「ミサキお姉ちゃん!おはよう!」

「おはよう、リンちゃん。テツヤさんも。大丈夫ですか?」

 休みの日も娘に引っ張り回される哀れな公務員。それでも彼は健気に大丈夫ですよと笑った。

「リンちゃん、ママは?」

「ママはねてた。ミサキお姉ちゃんのお料理について来れそうもないので置いてきた」

「あ、ああ、そう」

 料理についてくるとか言葉の意味が良くわからないが、兎に角すごい自信満々なので頷いておいた。

 料理自体は人数分きちんとあるので、別に食べそびれるという事は無いだろう。出来立てを食べるのが一番美味しいというのはその通りなのだが。

 遅れてハルコとソウが降りてきた。顔色を見るに、二人共昨夜の酒が残っているという事もなさそうだ。

 概ね揃ったので、キョウカには悪いが作っておいたものを出していく事にした。メインは間違いなくこれ、松茸の炊き込みご飯だ。

「うおお、すげえ。いい香りだ……料亭で食うのはみんな冷めてるからな」

「ほんと、いい香り。炊き込みご飯だとたまらないわね」

 感想を漏らしたソウとハルコ以外は、感無量といった感じで茶碗を前にしている。特にフユヒコは年甲斐もなく目を輝かせ、それでも理性で他の料理が並ぶのを待っている。

 次に並べたのは二種のキノコの茶碗蒸し。ぶなしめじと天然ヒラタケを使った贅沢なものだ。ちなみに舞茸を茶碗蒸しに使おうとすると、卵が固まらないのでNGである。

 お吸い物はかきたま汁で、具はわかめとヤマシロのブランドネギ。それと普通のだし巻きに、昨日の肉の残りを使った細切れ角煮の煮凝り冷製ジュレ風である。

 最後に大根の浅漬とゴボウサラダも添えると品数がそれなりに多いので、人数分が並ぶと流石に壮観だ。ちょっとした旅館の朝食である。

「デザートに和風スフレがあるので、楽しみにしていてください。卵ばっかりですけど、食感とか風味は全部違いますから」

 甘いきなこ風味のスフレである。昔、妹のために作って大喜びされた自信作だ。

 一通り並べ終わって、キョウカ以外が揃った所でいただきますと相成った。

「うん……うん……美味い。この香りに、ほんのりと感じる出汁の味わい。だし巻きも良い具合だ」

 一々頷きながらフユヒコが黙々と箸を動かしている。気に入ってくれたようで何よりだ。

「茶碗蒸しも、この肉もうめえな」

「ほんと、これ、どうやって作ったのかしら」

「すごい、これ、いくらでもご飯が進みますね。あっ!ご飯が松茸ご飯だった!もったいない!」

 高級牛肉の煮凝りジュレも非常に好評だ。特に白飯によく合うが、今回は松茸ご飯なので贅沢が過ぎる。

 一番楽しみにしていたであろうリンはと言えば、無言で黙々と箸を動かして全ての料理を掻き込んでいる。特にお気に入りはだし巻きのようだが。

「お姉ちゃん!おかわり!」

「はいはい」

 松茸ご飯を入れるための茶碗を受け取ると、遠慮がちに他の家族からも要求が出る。嬉しい。こんなに気に入ってもらえるとは。

 争うように食事を続けている光景を見て、昨夜に続いて心の内がどんどん満たされていく。

 自分が工夫して作った料理を、家族が嬉しそうに食べている。それだけでもう、涙が出そうなほどに胸がいっぱいになる。

 思えば料理を始めた動機も同じだった。家族が喜んで、美味しそうに、楽しそうに食べてくれる。それがただひたすらに嬉しくて、料理を作ろうというモチベーションになっていたのだ。

 喜んで食べてくれる相手がいるという事は幸せな事だ。そこには、毎日違った感動が溢れている。笑顔で食事をしている家族を見ているだけで、もうこれでいいんじゃないかと思ってしまう。

「あまーい!ふわふわでやわらかい!」

 デザートに出したきなこスフレも、特にリンに好評だった。通常はカラメルソースをかけるのだが、きなこと篩にかけたパウダーシュガーをかけてある。

「いや、美味かった。朝食にこんなものを食べてしまうと、もう午後からは何を食べても味気なくなってしまいそうだ」

「今日は特別ですよ。材料も高級品ばっかりでしたからね」

 全員がお腹を抱えて、腹いっぱいに朝食を詰め込んだ。満腹であるというのは幸せなことだ。

 それにしても、高価な食材を食べ慣れている義父が喜んでくれたのが嬉しい。少なくとも自分の料理で、舌の肥えた人を満足させられたのだという実感がある。

 全員が食後の玉露で穏やかにしているところで、漸くキョウカがやってきた。

「えっ……何、これ。何があったの?何?この幸せオーラ」

「ママ。ママは一生かかってもミサキお姉ちゃんには勝てないよ」

「えぇ……何、それ。何なの?ミサキさん」

 笑いながら彼女の分に残していた朝食を出した。キョウカにはこのレシピも教えておこう。

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