第100話 既構システム

「新しいトレーニングシステムですか?」

「そうです。外部の協力も得て、ずっと開発を続けていましたが、ようやく実用レベルになりました。この後、皆さんに試してもらおうと思っています」

 先日の激しい戦闘の余韻が収まった頃、オオイが朝のミーティング時に、唐突にその話を持ち出した。

「何なのですか?新しいトレーニング機器ですか?」

 早速ジェシカが手を上げて質問をしている。ぴっちりしたトレーニングウェアに包まれた、大きな胸がその反動でぶるんと揺れる。

「そうですね、マシンというよりは、シミュレーションシステムです」

 オオイがそう答えると、今度はサカキにべったりとくっついていたメイユィが反応した。

「シミュレーションシステム!ねえねえ、それってゲームみたいなやつ?」

「そうですね、ゲーム、と言えばゲームでしょうか。私も一度試してみましたが、非常に良く出来ています。当然駆逐者向けの難易度なので、私では手も足も出ませんでしたが」

 ゲームのようなトレーニングシステム、と聞いて、思い出したのはコントローラーを振り回して、部屋の中で運動をするアレだ。駆逐者向けである以上は、流石にあの程度の軽い運動レベルではないのだろうが。

「本当!?やってみたい!ねえ、ハルナ。今すぐやろう!それ、どこにあるの?」

 メイユィはゲーム好きだ。やる事が無い時など、部屋に籠もってロールプレイングゲームのレベル上げばかりしている。ジェシカも見た目から活発な方かと思いきや、こちらもアニメを観たりマンガを読んだりが主な余暇の過ごし方である。

 軟禁状態なので仕方がないとは思うのだが、年頃の美少女がそのような時間の使い方をしていると、なんだか不思議な気分になってくる。勿論、外出時には相応に大騒ぎをしているのだけれども。

「それでは、二人とも着替えて武器を持って上に行きましょうか。ここでは少し狭いので、専用のスペースを用意してあります。ミサキさんも、動きやすい格好に着替えてきてください」

「動きやすい……といっても、着てきているこの服か、トレーニングウェアか戦闘服しか無いですけど」

 今着ているのは通勤用の白いブラウスに、動きにくい長めのタイトスカートである。

 部屋の中であればあのぴっちりとしたトレーニングウェアでいいし、出動があるなら戦闘服にコートだ。他に運動用に適した服など、持ってきていない。

「ああ、うーん。どっちもどっちですね……駐屯地内を移動するので、できれば露出度は……」

 露出度は、と言われても、これを用意したのは防衛省側である。それをして露出度が高いと仰るのは、一体どういった了見であろうか。

「戦闘服で、コートを着ていけば良いんじゃないかな。少なくとも移動中はそれで大丈夫じゃない?」

 マツバラが当然の案を出した。確かにそれはそうだ。

 夏場でも戦闘服で出動する際には、暑苦しくて地味なロングコートを羽織っていく。それは寒い高高度を飛ぶからというだけではなく、基地内であまり防衛隊員の目の毒になっては困るからという配慮もあるのだ。

「そうですね、それじゃあそうします。着替えてくるので、待っていてもらえますか」

 トレーニングルームを横切り、右手にある自分の部屋に向かって移動する。サカキにくっついていたメイユィと、トレーニングウェアだったジェシカも、それぞれの部屋へと引き上げていった。

 彼女たちは、それぞれ通販やサカキに頼んで買ってきてもらった、動きやすい服装を持っている。

 外出した時にも買ってくるので、今では結構な量になっているはずだ。

 部屋にクローゼットはついているので収納には困らないだろうが、本棚やフィギュア棚を大量に置いているジェシカの部屋は少し大変そうだ。

 場合によっては、使っていない部屋を物置として使わせてもらう事も考えたほうが良いだろう。地震でも起きたら、本人は怪我をしないにしても、部屋が大荒れになってしまう。

 いつもの様に部屋で全裸になって、真っ黒な戦闘服を身に着ける。毎度毎度思うのだが、一体何の材質でできているのだろうか。地肌に着けていると肌触りも悪くなく、耐久性もあって伸縮性も大きい。非常に高価なものだとは聞いているが、一般には出回っていないものである。

 暑苦しくてファッション性皆無なコートを羽織り、少し暑いので前をはだけた状態で、次が完成するまでの間に合わせの、以前の大太刀を持ってトレーニングルームを出た。二人はまだ着替え終わってきていないようだ。

 自然と視線を逸らしているサカキの横で、マツバラがこちらに目を止めて近寄ってきた。

「カラスマさん、システムの体験が終わったら、後で少し時間もらってもいい?」

「私だけですか?構いませんが。どうせ暇ですし」

 出動がなければ報告書や申請書を書く必要もないし、大体が語学の勉強をしているか調べ物をしているか、あるいは可愛い動画を見てにやけているだけだ。マツバラの話というのであれば仕事の一環だろうし、断る理由は何もない。

 しかし、なんだろうか。またこの間の『ゾーン』の実験のような事なら、できれば遠慮したいのだが。

 そのまま暫く四人で待っていると、ジェシカもメイユィもほぼ同時に扉を開けて戻ってきた。

 ジェシカは真っ赤なハーフパンツに、白いゆったりとした丸首の半袖シャツ。メイユィはといえば、シックな黒いキュロットに、上はノースリーブのこちらも黒いブラウス。網目状のデザインが妙に色気を出している。

 ゴスロリの好きな彼女らしいといえばらしいが、どちらかと言えばキュートな彼女には、もう少し明るい色調が似合うように思う。だが、似合っていないわけではない。元が良ければなんでも似合うのだ。

 というか、ジェシカの方は何の変哲もない部屋着のはずなのに、盛り上がった胸元が異常にいやらしい。スタイルが良すぎて、どんな服装でもエロく見えてしまうのだ。

 まぁ、これが扇情的でいやらしいからやめろ、などと言う人はいまい。彼女のスタイルが良いのは仕方のない事であるし、大事な部分が隠れている以上は、どんな格好をしようが当人の自由だ。

「準備は良いですね。では、行きましょうか」

 ぞろぞろと6人で連れ立って部屋を後にする。階段を上りながら、ジェシカがマツバラに不思議そうに聞いた。

「ヒトミも一緒なのですか?」

「そうだね、一応初めてのトレーニングらしいから。皆は無いとは思うけど、ああいうのって慣れてないと気分が悪くなったりする事もあるから」

 という事は、3Dシミュレーションのようなものだろうか。そういえば、初めてそういったゲームをした時に、少し酔った事があったのを思い出した。すぐに慣れたが。

「気持ち悪くなったら、シュウトさんが介抱してくれるよね?」

「僕で良ければ、喜んで。でも、ジュエさん。気持ち悪くなる前に言ってくださいね」

「わかってるよ。でも、気持ち悪くなくても介抱はして欲しいな」

 べたべた、いちゃいちゃとしている二人には、もう何も言う事は無い。

 この二人、流石に平日は時間が無いのだろうが、休日になると二人きりで出かけていくそうだ。どこに行くのかは当たり前のように想像がつく。

 サカキがついているので決まり上も問題は無く、オオイも分かっていて黙認している。

 ある程度顔も隠してクルマで出ているそうなので、余程の事が無い限りバレる事はないだろう。彼らが向かうであろう所謂アミューズメントホテルは、駐車場から直接建物に入る事ができる場所が多い。

 何にせよ、二人が幸せなのであればそれで良い。もう二度と、例え神であろうとも、二人を引き離す事はできないだろう。

「しかし、どうするんでしょうか。結婚、するんでしょうか」

「え?」

「いや、メイユィの話ですよ」

 彼女には聞こえているだろうが、前を歩いているオオイにこっそりと話しかける。

「どうなんでしょう。私はちょっと、そういう事は」

「そうなんですか。すみません、変な事を聞いてしまって」

「いや、謝らないでください。微妙に悲しくなるので」

 そう言えば、自分がソウと入籍するという話をした時も、オオイは相当に困惑していたようだった。防衛隊一筋で生きてきて、結婚するという事を考えたことも無かったのかもしれない。

 年頃の女性であれば大体一度は考えるのだろうと思っていたのだが、どうやらそれは偏見だったようだ。反省すべき点である。

「国際結婚ってどういう手続きが必要になるんでしょう。多分サカキさんは良く知っているんだと思いますが」

「さ、さぁ……どちらを本籍地にするかで変わるんじゃないですか」

 メイユィはもう、央華に戻りたいと言う事は無いだろう。まず間違いなくこちらに籍を置くと言うはずだ。

 姓はどうなるのだろう。この国ではまだ夫婦の別姓が認められていないので、手続き上はどちらかに統一する必要がある。自分も公的な書類上では、カラスマではなくサメガイという事になっている。

 となると、メイユィ・サカキになるのか。違和感が物凄い。続けて二人を呼んでいるような気分になってくる。

 彼の実家はムサシ県だと聞いたことがあるし、竜災害が無くなれば、そちらに住むことになるのだろう。

 だが、あの異形と同じような竜が一体いくらいるのか、見当もつかない。そうなるのは恐らく、まだまだ先の事になるだろう。

 となれば、この近辺に家を買うか部屋を借りるか、という事になる。その場合、サカキは仕事で戻された場合、また二人は離れ離れになってしまうだろう。無論、そうならないように、ある程度外務省側が融通をきかせるだろうが。

 自分の事でもないのにあれこれと真剣に考えてしまう。多分、それはメイユィとジェシカの事が大切だからだ。

 一緒にいた時間はそこまで長くない。だが、出会った時から何故か強烈な仲間意識を感じたし、過ごした時間は非常に濃厚なものだ。もう、お互いを子供の頃から知っているかのような、親密な関わり合いである。

 願わくば、竜災害が終わっても二人とは、いや、フレデリカたちやルフィナとも、付き合いを続けていきたい。

 希望ではあるが、必ずそうしよう、という意思のようなものを胸の内に秘めながら、オオイと並んで基地の北側に向かう。連れてこられたのは、以前にMクラスの死骸を置いていた、大きなバンカーの一つだった。

 本来は戦闘機などを格納しておくその広い場所は、今は中のものがほとんど片付けられ、広々とした空間だけが広がっている。その中央付近に、三人の人間と大きなトレーラーが待っていた。

「あれは、ユリアとユイではないですか!ヘイ!ユリア!ユイ!」

 ジェシカが待っていた三人のうち、二人の顔に遠目で気が付いて、駆け出していった。

 言わずと知れた大企業、ユリア・エンターテイメントグループの、代表取締役社長にして最高経営責任者であるユリア・スギタに、ビデオゲーム関係の広報をしている、ゲーム業界での意外と有名人、ユイ・アヤベ。

 アヤベとはコスプレをしたイベント以来だが、スギタとはリュウキュウでも世話になった。防衛省に協力しているという話だったが、シミュレーションシステムもユリアが手掛けていたのか。

「こんにちは、皆さん。お久し振り、という程でもないかしら」

 相変わらず穏やかな慈母の笑みを浮かべているスギタに、ジェシカが飛びついていって抱きついた。

「ジェシカ、あまり激しくしては失礼ですよ。スギタ社長、アヤベさん、お久し振りです。わざわざ社長自らお越しくださったんですか」

 どうにもこの社長は、見た目に反して活動的だ。普通はこういうのは、担当者に任せるものだと思うのだが。スギタは抱きついてきたジェシカの背中をぽんぽんと叩いてから離れると、一旦こちらに向き直る。

「うふふ、そうね。大切な試験機のテストだから。オグリさん、もう最高難度の最終調整はいいのかしら?」

 オグリと呼ばれた30代後半ぐらいの男性は、大丈夫です、と大きく頷いた。

「そう、ありがとう。紹介しておくわね、ミサキさん。この人は、このシステムの開発責任者、ダイゴ・オグリ。調整班はあっちのクルマの中で、開発したのが外で待機してる人たちね。オグリさん、概要を説明してあげてくれる?」

 そういえば、バンカーに入る前に、入口付近に見慣れない人たちがいたのを思い出した。防衛隊の人ではないので、どこかの外部の業者だろうなとは思っていたのだが。

 技術者、という割にはしっかりとスーツを着込んだ男性は、こちらに一步近づくと、穏やかな微笑みを浮かべて、自己紹介と説明を始めた。

「オグリです。DDDの皆さんにお会いできて光栄です。今回、我々が防衛省と協力して開発を進めていたのが、対新古生物戦闘シミュレータというものです。基本的にはヴァーチャル・リアリティだと思って貰えれば結構ですね。ゴーグルと、身体の幾つかにセンサを着けていただいて、映像内で実戦さながらに戦闘を行っていただけます」

 概ね予想していたのと同じもののようだ。いくらシミュレーターと言えども、パッドを持って操作したのでは意味がない。実際に身体を動かして訓練しよう、という事でなければ。

「まぁ、まずは実際にやってみていただいた方が分かりやすいでしょう。最初はどなたが」

 アヤベがこちらを見渡すと、サカキにしがみついていたメイユィが真っ先に手を上げた。

「はいはい!ワタシ!アヤベさん!ワタシがやる!」

 ゲームのようなものと聞いて我慢のできなくなった彼女は、我こそ一番乗りとばかりに、頭の上のおだんごを揺らしてアピールしている。触りたい。

「相変わらずアグレッシブですねえ、メイユィさん。それじゃ、これを着けてください」

 アヤベの持っていた黒いサポーターのようなものを、メイユィは両手首と足首、それから胴体に巻きつける。最後にオグリの手渡したVRゴーグルを装着して完了だ。

「これ、無線なんですか」

「近距離超高速通信を使っています。遅延はほぼありませんよ」

 確かに線を着けたまま動き回るというのは難しいだろう。当然と言えば当然だ。

「メイユィさん、映像が見えますか?」

 オグリが彼女に話しかけると、ゴーグルをつけたままの彼女は小さく頷いた。

「何もないけど、線でできた地面と、あと壁みたいなのが近くに見えるよ」

「壁はトレーラーですね。そこにはぶつからないように気をつけて下さい。あと、武器ですが」

 床に置いてあった彼女の槍をオグリが持ち上げようとしたので、慌てて駆け寄って持ち上げた。

「一般の方では、我々の武器を持ち上げようとしても腰を痛めるので」

 重量上げの選手ならば兎も角、システム開発の人間がこんな馬鹿みたいに重たい武器を持ち上げられるはずがない。自分達の武器の中でも特別に重たい槍を持ち上げて、手探りをしているメイユィに手渡した。

「えー、メイユィさん、そのまま、持ったままお待ち下さい」

 オグリとアヤベは先程の黒いサポーターのようなものを、彼女の槍の前後にも巻き付けた。マジックテープで止められるものらしい。

「あっ!槍が出てきた!すごいすごい!どうやってるんだろう」

 唐突にメイユィが手に持った槍を目の前に掲げて見るような仕草をしている。さっきの巻き付けたセンサーで表示しているのだろう。

「これで準備はOKです。それじゃあ、そのまま暫くお待ちください。他の人は、トレーラーの中へ」

 言われるがまま、ぞろぞろとトレーラーの後部から中へと乗り込んでいく。中には強く冷房が効いていて、壁際のラックには沢山のサーバー用コンピュータ―が並び、これでもかと発生する熱を外へと追い出している部屋だった。

 奥の比較的広いスペースには数人のスタッフが椅子に座ってそれぞれの画面を見ている。メイユィの着けているゴーグルでの視界も、ここで確認できるようだ。

「こちらへどうぞ。配線に躓かないように気をつけて」

 オグリに誘われるまま、スタッフの合間を縫ってもう少し奥に行くと、オペレーションルームのように整えられた場所があった。

 左右に大きな三つのモニターが接続され、斜め上部にも四方向、青い線で囲まれたフィールドが映し出されている。

 オグリは近くにあったキーボードを片手でカタカタと操作して、映っている画像を俯瞰型に変えた。長い棒を携えた、顔も何もない人形が映っている。

「プレイヤーの動きはこのように、第三者の見下ろし視点で確認する事ができます。主観視点は先程の部屋にありますが、動きの確認をするなら、基本的にはこちらの方が良いかと思いまして。あーあー、メイユィさん、聞こえますか」

 オグリがスタンドマイクのスイッチを入れて話しかけると、上のスピーカーから、きこえるよー、と可愛らしい声が返ってきた。

「プレイヤーとのやり取りも、このようにゴーグルを通して可能です。実際に訓練中に何か話しかけるという事は無いかと思われますが、開始と終了の合図は必要ですので」

 かなり本格的だ。これを見れば、第三者からプレイヤーの動きで悪い所を確認する事もできるだろう。スポーツトレーニングにも応用できるのではないだろうか。

「それでは、早速やってみましょうか。まず手始めに、Sクラス一体から。メイユィさん、準備は良いですか」

『いつでも大丈夫だよー』

 オグリは今度は隣にあったマウスを操作して、小さなウィンドウにずらりと並んだリストの中から、一番上の文字列を選んでダブルクリックした。

 唐突に、画面の上部からSクラスの恐竜が降ってきた。形状は以前、南コリョに大量発生していた小型竜。本物そっくりの外観に加えて、油断なくゆっくりとメイユィの方を見ながら歩くその様は、ヴァーチャル・リアリティとは思えないほどに良く再現されている。

「それでは開始します。Sクラス、シジロミムス一体、スタート」

 オグリがエンターキーを叩くと、動き回っていた竜が青い人形の方を向く。

 槍を構えた人形は、その竜が鎌首をもたげた瞬間、物凄い速度で突進して、その頭部を持っていた棒で貫いた。

「終了です。流石にSクラス一体では相手になりませんね」

『当たり前だよー。もっと強いの出して!』

「それではMクラス、いってみましょうか。今度は二体ですよ」

 次に降ってきたのは先程よりも大分大きな羽毛の生えた二体、これも見たことがある。確か、東南諸国のサイアム王国に出現した恐竜だ。

「Mクラス、トリヴェサウルス二体、スタート」

 今度の中型竜は左右に展開し、待つこと無く同時にメイユィに襲いかかった。

 後方に軽く跳躍して距離を取ったメイユィを追いかけ、その幅を狭める。下がって頃合いを見ていたメイユィは、二体の追いかける位置に差ができたと見るや、即座に足元を蹴って突進した。

 やや前方にいた竜の頭が、鋭い一撃で粉砕される。すぐ後ろに迫っていた二体目の顎を、槍を閃かせて柄の部分で下から払うと、そのまま風車のように回転して戻ってきた穂先を喉元に突きつけ、連続突きを放った。

 一撃一撃が必殺の威力を持った連打に、Mクラスの首から上は一瞬にして弾け飛び、消滅した。血や肉が飛び散らないので実に清潔で良い感じだ。

「おお、これでも余裕ですか。素晴らしいですね、メイユィさん。これは中級クラスの設定なんですが」

『この程度、普段でも余裕だよー。まだまだ、どんとこい!」

 張り切っているメイユィの声を聞いて、これでは訓練にならないだろう、と思って横から口を出した。

「オグリさん、これ、最大何体まで出せるんです?」

「え?そうですね、今のスペックだと、Sクラスで10体、Mクラスで5体ぐらいでしょうか。それ以上は描画が追いつかないので」

 なるほど、それならば。

「Sクラス、10体同時にお願いします。メイユィは対多数が苦手なので、訓練としてならこのぐらいが妥当でしょう」

 彼は一瞬驚いたものの、分かりましたと言って先程のウィンドウを開いた。

 リストをずるずるとスクロールして、かなり下の方にあるものから選び取る。

「それでは、メイユィさんのテストはこれで最後にします。Sクラス、メリディオニクス10体、スタート」

 どさっと大量に降ってきたSクラス恐竜。VRだと分かっていても流石にこれは怖い。一人ではまず対処できない程の数だ。

『えええ!ちょっと、これ、これは無理!無理だって!』

「メイユィ、訓練なのですから、無理なものをどうにかするのを学ぶのですよ」

 マイクのスイッチを押してそう呼びかける。彼女を取り囲む大量の竜は、つい最近見たばかりのものだ。そう、央華に出現したあの大量の竜。

 彼女にとってはトラウマものかもしれない。数だけで頼んだが、これは失敗だったか。

 モニターの中の青い人形は、囲まれた状態で頭をぐるぐると巡らせている。死角ばかりでどうしようもないのだろう。

 包囲を狭める竜に対して、メイユィは真正面に突撃した。

 正面にいた一体を屠り、そのまま走り抜けて包囲を突破しようとする。

 しかし、竜の方もそれをさせない、半円の包囲を解かないまま、逃げる彼女の方に鶴翼の陣で追いかける。広いバンカーとは言え、フィールドの広さは限られている。またたく間に彼女は壁際に追い詰められてしまった。

 壁を背にした彼女は、槍を突きつけ、油断なく周囲を警戒している。そこに、三体が同時に襲いかかった。

 一体を倒したところで、このままではやられる、と判断したメイユィは、先程と同じ様に槍を振り回し、ほぼ同時にSクラスの頭を薙ぎ払う。

 ただ、当然ながらそれでは撃破判定は出ない。当たって怯んだものの、すぐに立ち直って噛み付いてくる。更には次の竜が襲いかかってきて、メイユィはどうにか正面と右にいた竜を始末したものの、背後からの一撃を食らって被弾判定が出た。

 ブザー音が鳴り響き、画面が赤く染まる。その時点でシミュレーションは終了した。

「撃破4で終了です。流石に無理でしたか」

『無理だよ!?絶対に無理だから!こんなの、ミサキじゃなきゃ無理だよ!』

 一旦トレーラーから表に出ると、ゴーグルを外して憤慨したような表情のメイユィが待ち受けていた。

「あんなの無理だって!せめてもっと広くて、地形が有利に使えるならまだしも」

「それは確かにそうですが、恐竜は地形なんてお構いなしに出てきますから。いつも有利な場所で戦えるわけではありませんよ」

「それは、そうだけど」

 少し厳しかっただろうか。だが、これはVRだ。危険が無いのであれば、危険な状態の経験もしておいたほうが良い。

「可否は置いておいて、どうでした?メイユィさん。実際の戦闘との違いは」

 アヤベが頬を可愛く膨らませたメイユィに聞く。

「そうだね、良く出来てるとは思うけど、やっぱり触覚が乏しいのが一つかな。腕も槍も振動するけど、実際はもっと肉に食い込んだ感触とかがあって重たいから」

 それは実際に突き刺しているわけではないから当然だろう。それでも衝撃を伝える振動があるだけ良く出来ている。

 しかしメイユィは、それだけではない重要な点を更に指摘した。

「あとは、やっぱりVRだと、頼れるのが視覚しか無いのが大きいかな。実際の戦闘だと、生き物の呼吸だとか空気の振動、あと音ももっと細かい音がするから。実戦だったら多分、さっきの数でも、たった四体で終わったという事は無いと思うよ」

 そうか、実体が無いが故に、生き物特有の気配というものが存在しないのだ。

 となれば、自分の『ゾーン』もこのシミュレーションではあまり役に立たない。あれは視覚以外の様々な情報を大量に読み取っているので、多方向からの攻撃にも対応できるのだ。

「ふむ、それはそれで、訓練になりそうですね。実戦では視覚のみに頼るというのは危険ですが、視覚しか頼るものが無い、というのもまた一つの制限です。次は私が試してみても良いですか?」

 メイユィからゴーグルを受け取る。ジェシカが不満の声を上げたが、一回だけだから、と言って宥めておいた。

 一回で良い。『ゾーン』を使って、視覚のみでどこまでできるか試してみるのも良いだろう。

 コートを脱ぎ、メイユィの着けていたサポーターをアヤベに手伝ってもらって装着し、ゴーグルを被った。なるほど、先程トレーラーの中で見たフィールドが、自分の視点で広がっている。

 広さはこのバンカーよりも、少し狭く設定されているようだ。壁にぶつからないように、という配慮だろう。だが、そのせいで大型の竜を出した場合、入り切るのかどうか疑問だ。

『どうですか、準備はよろしいですか』

 ゴーグルの耳元からオグリの声が聞こえる。普段のヘッドセットで慣れているので、違和感は全く無い。

「大丈夫です。難易度ですが、一番難しいものをお願いします」

『一番、となると、先日の超Gクラスになりますが。大丈夫ですか?』

「訓練なのでしょう?大丈夫に決まっています」

 負けても死ぬ事は無い。ならば、一番厳しいものに挑んでおくべきだろう。

 先日の異形竜では、皆のサポートがあったからどうにか勝てた。シミュレーションがあれと全く同じ強さだとは思わないが、それでも視界のみに頼って勝つ事は難しいだろう。だが、それで良いのだ。

『それでは、名称未定、超Gクラス、スタートします』

 大音量と共に、目の前に見上げるほどの大きさのアレが姿を現した。

 再現度はかなり高い。巨大な赤い体躯に切り立ったトサカ、大きな翼とコブ付きの尾。見た目は瓜二つと言っても良いだろう。

 だが、実際の戦闘力はどのようなものか。即座に『ゾーン』状態となって、視覚に神経を集中する。

 違和感がすごい。

 目以外から入ってくる情報が、駐屯地のバンカーの中の様子だ。なのに、目の前にはそのセンサーに引っかからない巨大な竜。

 幻影の竜が、その巨体を少し動かした。これは、あれだ。最初に飛んできたあの一撃。

 大きく後ろに飛び下がってその一撃を回避する。風も何も無く、目の前を巨大な尻尾が通り過ぎていく。

 画面が黄色く点滅した。なんだ、これは。

『被弾判定です。回避しきれていません』

 何だと。完全に間合いの外に逃げたし、尾も目の前を通り過ぎていったが。

 文句を言っても仕方がない。これはシミュレーションだ。多少の誤差があって当然だろう。少し軽く感じる以前の大太刀を構え、巨大な竜に向かって突進した。

 上から鉄槌が降ってくるのが見える。大きく横っ飛びに躱して、その尾に目掛けて飛び乗って……すり抜けて地面に着地した。画面が赤く染まる。

「え?今の、被弾になるんですか?」

『終了です。一旦止めますね』

 拍子抜けだ。実際にあの方法で竜によじ登ったのだが、考えてみれば実体が無いものに飛び乗るというのは不可能だろう。これは、攻撃を避けて攻撃を当てる、というだけのシミュレーションか。

 『ゾーン』を解除してゴーグルを外す。途端に強い倦怠感が全身を覆う。

 あの短い時間でもこれだ。異常なく振る舞える限界ギリギリの時間は、恐らく十秒かそこら。それでも小型竜を屠るだけなら十分だろうが。

 降りてきた全員を待ち受ける。オグリは何故か興奮した様子でこちらに近寄ってきた。

「すごいですね、ミサキさん。あの一撃、絶対に避けられない設定なのに。先読みでもしないと無理ですよあんなの」

「はあ……まぁ、『ゾーン』状態だったので。通常であれば、視覚だけの情報であれを避けるのは無理ですよ。速度まですごい再現度ですね」

 一体どういう描画をしているのか、そもそもFPSという概念が目視できるデジタルの映像にはあったはずなのだが、そのレベルを超越しているように思う。

「技術的には映像の限界点を突破していますからね。どうやっているのかは企業秘密で言えませんが。それで、いかがでしたか?」

 確かに訓練にはなりそうではある。なりそうではあるのだが。

「これによる訓練が効果的かと言えばそうでしょう。私達は普段、沢山の情報を無意識に取得して判別している、というのが良く分かります。なので、視覚のみに制限して対多数戦闘を行うというのは、慣れる意味でも有効だと思います。ただ――」

 百点満点で有効だと褒められるか、というと、そうでもない。

「この戦い方に慣れてしまうと、視覚を頼りにしすぎる癖がついてしまうかもしれません。なので、普段の実戦を帳消しにしてしまうような頻度で行うのは問題だと思われます。あとは、実際の戦闘では障害物や竜の身体自体を利用して戦う事も多いので、武器で倒す、以外の選択肢が消されるのも問題でしょうか。それと、先程の最高難易度をやりすぎても、自信の喪失や萎縮に繋がるかもしれません。適切な範囲で利用しないといけないでしょうね」

 実戦とVRは違う、という事を理解しておかないと、実戦で訓練の癖がでてきてしまうかもしれない。いかに本物に近かろうが、シミュレーターと現実の間には、まだまだ大きな乖離がある。フライトシミュレーターは安全で練習には最適だが、それを飛行時間にカウントしないのと同じだ。

「なるほど、なるほど。当たり判定は確かにどうかと思いましたが、実際に駆逐者の話を聞くと腑に落ちますね。ある程度はアップデートでどうにかなりそうですが、音は兎も角、空気の動きや接触判定は難しそうです。ただ、ミサキさんがそのような認識を持っておられるのでしたら大丈夫でしょう。適切に使っていただければと」

 満足げに頷いたオグリの横で、アヤベが一生懸命メモを取っている。そういえば、彼女は広報のはずだが、どうしてこの場にいるのだろうか。今更ながらに気になった。

「アヤベさん、アヤベさんはどうしてここにいらっしゃるのですか?社長の付き添いですか?」

 そう聞くと、彼女は少し恥ずかしそうに頭を掻いた。

「いやあ、実はですね、このシミュレーター、一部一般向けの難易度に改造して、アーケードゲームとして売り出すつもりなんですよ。なので、ミサキさんの意見は勉強になるなあと思いまして」

「はぁ、なるほど。ですが、相当コスト高では?」

「それはそうですね。なので、グラフィック描画を中心に一部コストダウンして、大型店舗専用の体験型ゲームとして売り出すつもりです。複数人でのプレイも可能にすれば、きっと売れますよ。キャッチコピーは、『君もDDDになれる!』です。まぁ、子供向けですが」

 流石に営利企業だけあってちゃっかりしている。確かにアミューズメント施設に設置でもすれば、それなりに受けそうだ。開発や設置のコスト回収ができるかどうかは売り方次第だろうが。

「まぁ、ここだけで使うというのも技術がもったいないですからね。あ、次、ジェシカさん、やります?」

「やってみたいです!」

 手を上げた彼女にゴーグルを渡し、サポーター他も外してジェシカに装着していく。

 メイユィの時と同様にSクラス10体をやらせてみたところ、彼女は6体まで撃破して終了となった。流石に間合いの短い武器を使っているだけあって、対集団での細かい動きはジェシカの方に分があるようだ。

 一通り楽しんだ、というと訓練なのに不適切だと言われるだろうが、相応に体験したところでお開きとなった。現状、無線通信と振動モーターに使うバッテリーの関係上、連続稼働時間は4時間が限界なのだという。

 平日は開発のメンテナンス班を、交代で毎日三名置くという事なので、いつでもやってきて訓練して良いそうだ。いつものトレーニングに加えて、毎日一人一時間程度までなら大丈夫そうだ。

 オオイが言うには、アトランティックにも導入をどうかと打診してみたらしいが、今の所色良い返事は帰ってきていないのだという。実際、維持コストの分の効果があるかというのを疑問視されているらしい。導入するにしてもこちらの利用結果を見て、という事になるそうだ。

 帰っていくスギタたちを見送って、トレーニングルームと研究室のある建物へと歩いて戻る。道すがら、マツバラが隣に並んで話しかけてきた。

「どうだった?良さそう?」

「動体視力は鍛えられそうですね。『ゾーン』の練習にはあまり向いていないですが」

 得られる情報が制限されている以上、視覚の為だけに使うのはどうだろう、というところだ。あまりにも無駄が多い。

 故に、シミュレーションによる訓練を重ねた所で、あの二人がこちらと同じ能力を得られるというわけではなさそうである。

「まぁ、そうだね。私も見てたけど、研究者視点だとやらないよりはマシ、って感じかな。二人は楽しそうにしてたから良いんだけど」

 楽しんで訓練をするというのは大切な事だ。精神衛生上も、モチベーションの維持にも繋がる。そういった意味では、あの二人には比較的向いている訓練方法だと言えるかもしれない。

 地下までオオイとサカキもついてきたものの、二人は仕事があるから、と一旦引き上げていった。メイユィが名残惜しそうにしていたが、毎日会えるのだからと宥めてトレーニングルームへと戻った。


「それで、お話って何ですか?」

 緑色の絨毯が敷かれた自室、隅にあった折りたたみ椅子をマツバラに勧めて、自分はデスクの椅子に座って彼女の方を向いた。

「ええ、お願いがあるの」

「お願い、ですか」

 また実験だろうか。それとも、何か提供して欲しいものでもあるのだろうか。

 毛根のついた髪の毛や頬の内側の細胞なんかを提供する事は、比較的頻繁にあった。採血も稀にあったし、尿検査なんかも比較的多い。大きい方は今の所欲しがられていないが、恐らく消化器系は調べてもあまり意味がないと思われているのだろう。それはそれで恥ずかしくないので助かる。

 マツバラは少し言い淀んでいるようだったが、一拍置いて、意を決したようにその要求を舌の上に乗せた。

「カラスマさん、採卵させて欲しいの」

 さいらん。さいらんって何だ。

 聞いた単語に馴染みが無かったため、頭の中で暫く文字を検索した。西蘭、再欄、採卵。そう、これだ。卵を採る。今、この場に一番ぴったりくる単語はこれだ。

「……何に使うんですか?」

 卵子が欲しいというのだ。生殖細胞、赤ちゃんの素。正直言ってロクな理由ではない気がする。まさかこちらを慮って、閉経を見越して冷凍保存してくれる、というわけではあるまい。

「所長からは黙ってろって言われてるけど、それは不誠実だから教える事にする。有り体に言えば、生殖実験をするの。この間の竜の精子を使って」

 それはそれは。

 それはそれは。

 何とも、生命倫理に反した実験である事だ。

 まさかこの良心的な産婦人科医でもあるマツバラから、そのような事を要求されるとは。

「大丈夫なんですか、それ。制御できます?竜の精子ですよね?受精した途端に急激に増殖して、手のつけられない事になったりしませんか?」

 出た言葉は、こちらの感情によるものではなく、極めて現実的で理性的な疑問だった。本当はもっと、別の事を言いたかった。

「その心配は無いはず。生物である事に変わりは無いから。少なくともその点は大丈夫」

 では、どの点が大丈夫かどうかわからないのだ。というか、それ、それは。

「私とあの異形の竜の子供が、体外受精、人工子宮で作られるという事ですか」

「そうなる。だから、断ってくれて構わない」

 断りたい。絶対に断りたい。何が悲しくてあんな化け物との子供を作らねばいけないのだ。こちらは竜災害が落ち着いたら、ソウとそれを成そうとしていたのに。

「どうしてそんな、非人道……いえ、生命倫理から外れたような事を?」

 マツバラが言い出した事だとは思えない。あのフェルドマンが言い出しそうな事ではあるが、それでも、彼だって一般的なある程度の倫理を持ち合わせた科学者ではないか。羊や猿のクローンを作るのとはわけがちがう。乳のよく出る牛を産ませるのとも意味が異なる。

「知性のある生き物というのは、その大半の倫理観を後天的に学習する。つまり、新古生物の力をより持ち合わせた、人間の味方を作ろう、というのがこの計画の趣旨」

 計画。今、計画と言ったか、実験ではなく。つまり、これは研究者たちの間だけではなく、上からの承認を得て成されようとしているという事か。

「竜の本能が勝ったらどうするのですか」

「その確率は極めて低い、という試算結果が出てる。まぁ、ゼロではないけど、可能性で言えばそうなる」

 何事にもゼロリスクというのは存在しない。この場合もそのレベルに収まっている、という事だろうか。だが、それにしてもなんというか、ひどい。

「それって、戦うための兵士を作り出す、という事ですよね」

「否定はできない。だけど、育った子は恐らく、人として扱われる」

 本当にそうだろうか。今でさえ、自分たちを取り巻く環境は微妙に割れている。悪魔と罵られ、また逆に救世主だと崇められる。そんな環境で育った子供が、果たして正常な人としての感覚を持ったまま、健全に成長できるのだろうか。

「その『計画』とやらは、どこまで出来上がっているのですか」

「あくまでも受精に成功し、養育が可能と判断された場合の話だけど、9割方、完成してる」

「育てるのは誰ですか」

「私達研究者」

「父親と母親は誰だと教えるのですか」

 マツバラは黙った。まさかそれが計画に入っていないというわけが無かろう。子が成長するに従い、社会と触れ合い、疑問に思うはずだ。私の両親は誰なのだろう、と。

「マツバラ先生は、その計画に賛成の立場ですか、反対の立場ですか」

 彼女は口を開こうとして、また閉じた。同じ様にぱくぱくと何度かそれを繰り返した後、漸く音声がその喉から発せられる。

「ずるい言い方だけど、生命倫理的に問題はあると思う。ただ、合理性や将来性の観点から見れば、必要な事だとも思う。この間の竜、あんなものが何度も現れたら、いくらカラスマさん達だって危なすぎる。私達、人類には、より強い、生き延びるための保険が必要なの」

 理屈は通っている。人類が生き残る為であれば、形振り構ってなどいられないというのはその通りだ。

 実際、あの竜を倒せたのは、駆逐者全員が集まって、ドローンでのサポートもあり、全力で、かつ協力できたからこそ、ギリギリの勝利を掴むことができたのだ。

 仮に、あれよりも強力な竜が侵略してきたり、或いは同程度のものが二体も同時にやってきたりしたら……絶望的だ。

 それに対処するために、戦力を増やすというのは正しい。だが、本当に他に何も方法は無いのだろうか。

「仮に、私が断ったら、どうなりますか」

 マツバラは酷く苦しそうな顔をした。恐らくこの質問は想定していたのであろうが、できれば答えたくなかった、という感情が見えている。

「カラスマさんが断った場合、ジェシカとメイユィに話を持っていく。駆逐者ならば誰でも構わない、と言われているから」

 ああ、なんとずるい答えだろうか。もう、断る事などできないではないか。いつだってそうだ。人生の選択肢は無限に与えられているようでいて、その実、取り得る選択肢は一つしかない。

「わかりました。私の卵子を提供します」

 こう言うしか無いではないか。

 だって、あの二人を人質に取られたら。

 ジェシカもメイユィも、自分と違って駆逐者転換前の記憶がない。純粋無垢なあの二人にそんな事をさせるぐらいならば、いっそ自分が犠牲になった方がマシだ。

 仮にあの二人が承諾したとしても、この事は一生自分の心に残り続けてしまうだろう。十字架を背負い、聖痕を刻まれて生きていく人生なんて、真っ平御免だ。

「ごめんなさい」

「謝らないでください。謝られても、こちらに赦す赦さないの権限は無いんですから」

 計画を定めたのは上と研究者。そこには一定の合理性があり、更に言えば我々の人権は一部制限されている。その『一部』が、今回また拡大されただけだ。戦況の悪化に伴って、という、戦争特有の理由によって。

 人類の培ってきた倫理などというものは、存外脆いものだ。滅びを前にしては、その回避が何よりも優先される。

 それは種として当然の選択であり、叡智の人、などと自らを名付けた種族とて例外ではない。生物は基本的に、生存を何よりも優先する。

「そうだね。私は赦してもらうつもりは無いけど。それじゃあ、詳しい説明はまた明日、研究室でするから。当然だけど、あの二人には黙っておくから」

 当たり前だ。彼女たちに知らせて良いはずがない。知らない内に、自分たちの代わりに友人が犠牲になっていたなどと知れば、彼女たちの心をひどく傷つけてしまうだろう。それだけは絶対に駄目だ。

 知らせる、と言えば、ソウには何と言おう。というか、何て言えば良いんだ。

 マツバラは俯いたまま、こちらに一度頭を下げてから出て行った。


 グロテスクな話だ。

 SFの中でしか、物語の中でしか聞いたことのないような話が、自分の身に降り掛かっている。

 そこまで思い至って、乾いた笑いが自然と出た。

 今更、なんだ。

 女体化した挙げ句にとんでもない力で竜を殺して回っているのだ。フィクションだと?今更、今更。今更も今更、大今更だ。

 仕方がない。自分と我が子が人類の礎となるのならば、それは光栄なことだ。

 くれてやろうじゃないか。生殖細胞のひとつやふたつ、取られたところでどうという事はない。閉じてしまうにはまだまだ時間がある。

 侵略してくる恐竜どもを討滅うちほろぼし、平和になった暁に、改めてソウとの間に子を成せば良い。竜との子がいたとしても、こちらが母親として接する必要もないだろう。

 半ば自棄になりつつも、開き直ればどうという事は無かった。例えそれが虚勢だったとしても、張り続ければ本音になって行くだろう。そう思った。

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