分断

第98話 裏側

「フリッカ、なんでロロの部屋で見るんだ?」

「ロロの端末は外部に繋がっていないだろう?僕やトゥルーデの端末では見られないのさ」

 宮殿の二階、中庭に面した西側の小さな部屋が、ロロの普段寝起きしている居室となっている。

 ここに来た当初は慣れずにあちこち壊したり破いたり汚したりしていた彼女も、今ではすっかりと慣れて、彼女の好みに適合するような部屋となっている。

 彼女の好みとは、即ち食事に関する事である。

 スマートホストで撮影した各国の料理や、取り寄せた雑誌の切り抜きなど、美味しそうな料理の写真や記事が、壁のそこいらじゅうに貼り付けてある。あまりにも独特で斬新な部屋だ。

 彼女の部屋に端末を導入する際にも、スマホで撮影した写真を保存しておきたいから、という理由で部屋に置いたのだ。そんな経緯からか、彼女の端末が繋がっているのは、写真のカラー印刷に使うプリンターのみ。完全に料理や食材写真の保管庫として使われているのである。

 端末を立ち上げてみると、出かけた地方ごとや食材の種別ごとに細かく分類した、画像ファイルの入ったフォルダが、画面の三分の一ほどをびっしりと覆い尽くしている。

 ウェブブラウザアプリは隅に追いやられ、彼女の嗜好を極端に反映したデスクトップ画面だ。彼女らしくて実に微笑ましい。

「そんなわけだから、ロロ。今から見るファイルは、他の人には絶対に見せてはいけないよ。端末のログインパスも、できるだけ複雑なものにしておいてくれ」

「ミサキのあのすごい力の理由が書いてあるんだな?わかったぞ」

 素直に頷いた彼女に満足して、本体の端子にスティックを押し込む。要求されたパスワードにDEVIと打ち込むと、かなり大きなサイズのファイルが表示された。

「凄い量だな。ヒノモトの研究所は、一体どれだけの情報を持っているのだろうか」

「いいから、早く見るぞフレデリカ。この中にミサキのあの能力の秘密があるのだろう?」

「わかってるよ。急かさないでくれトゥルーデ」

 巨大なPDFファイルを開くと、結構な読み込み時間がかかって、300ページ以上に渡る論文の表紙が表示された。タイトルは、『駆逐者の極限能力とその根源』。

 筆頭にはアロン・フェルドマンの名前があり、共著には総勢7名の研究者が名を連ねている。その中に、何度か顔を合わせたあのヒノモト人女性医師、ヒトミ・マツバラの名前もあった。

「彼女は三人の健康管理をしていると言っていたが、研究者でもあったのか。なるほど、近くで健康管理をしている医師であれば、様々な事に気がつくだろうな」

 しきりに頷いていると、横からゲルトルーデがぐいっと胸を押し付けてきた。彼女の右手がマウスに重なる。

「そんな事はどうでもいい。目次から、要点を先に見よう」

「トゥルーデ、もう少し恥じらいを持ったほうが良いぞ」

「我々の仲だろう。まどろっこしいのは無しだ」

 彼女の指がホイールを転がし、ページを捲っていく。目次からは各項目にリンクされているらしく、少し重かったのは恐らくはこのせいもある。

 せっかちな研究者でも見られるようにと配慮した、読みやすい作りになっているのだろう。

「む……これは、どれを見れば良いのだ?」

「そうだね、どれも重要そうだが。ミサキの情報は後回しにして、身体変化の項目から見ていこうか」

 被験者の情報が、数ページに渡って取られている。それだけで一項目を成す程なので、かなりの細かい個人情報まで含まれているに違いない。漏洩するとまずいというのは、恐らくこの点を含めた意味もあるのだろう。

 ミサキは既に結婚して、配偶者がいる。世間的には隠されているが、あまり公にして良いものだとも思えない。

 雑誌では刺激的な水着姿も掲載されていたので、ヒノモトの男性諸君が彼女が既婚者であったと知れば、殆どありえない僅かな可能性すらも摘み取られた気分になってしまうものだろう。

 自分ですら彼女のように魅力的な女性であれば、伴侶として共に歩いていきたいと思わせる程の人だ。なので、これは絶対に隠しておくべきだ。

 項目をクリックすると、その項目の頭にページが飛ぶ。今まで全く使われていなかったロロのウェブブラウザは、これを見るためだけに使われている事になる。

 アップデートはされていないものの、どうせ外部に接続する事は無いのでセキュリティの心配は無い。このポータブルドキュメントフォーマットファイルにも、問題なく対応していた。

「……これは。血液成分から脳波、組成細胞に至るまでの変化、か。各項目が相当に細かいが、ミサキはこんな実験を受けていたのか?」

「良くわからないぞ。これ、何の意味があるんだ?」

 横から覗き込んだロロの頬がこちらの頬に密着する。彼女にはあまりこういった知識が無いため、成分の名称や数字を見てもちんぷんかんぷんなのだろう。

「この項目は変化の状態を示したものだよ。ロロも戦闘になったら体が熱くなってくるだろう?それを、ミサキは意識的に行っているんだ。自然になるものよりも変化が随分と著しいようだが」

 ある瞬間を境に、全ての数値が大幅に跳ね上がっている。測定限界を越えたらしきものまである。

 実験は三度に渡って行われた事を示しているが、その最後、三度目の変化が物凄い。

「これは……ミサキはこんな事をして、本当に平気だったのか?」

「何かおかしいのか?」

「ああ。僕も専門家ではないので詳しい事はわからないが、どうみても、この三度目の数値は異常だ。僕らの体でも、恐らくは肉体が耐えきれなくなって破裂してしまうのではないだろうか」

 あるいはミサキであったから可能だったのかもしれない。肉体強化と共に、そういった体の頑丈さまでも高めているのだ。血管や細かな体細胞の組織まで変質させているのだろうと思われる。

「うん?測定値が途中で途切れているな。ああ、文章部分に但し書きがあるな。ええと……な、何!?」

 三度目の測定の数値が、幾つかの項目で少しの時間差を置いて途切れている。グラフの下に続いていた論文には、こう書いてある。被験者の暴走により、機器が破壊されたため。

「暴走……どういう事だフレデリカ」

「こっちが聞きたいぐらいだよ。けが人が出たというのはこの時か。おいおい、パシフィックは随分と危険な実験をしているんだな。ミサキも、暴走して無事だったのか?そもそも、暴走ってどんな状態だ?」

「続きがあるぞ。ええと」

 文章を目で追っていた彼女が絶句した。こちらも同じ部分まで読み進めて、思わず硬直する。

 『肉体の新古生物化』

 虹彩のみならず瞳孔の変化、皮膚の変質、理性の消失。体液の大量喪失にも関わらず動き回り、実験器具の投擲により人の頭蓋骨を容易く砕く。

 描写は真に迫っており、これを書いた人間は小説家志望なのかと言いたくなるほどに、その恐ろしい現象が事細かに書き連ねられている。

「これは……『ゾーン』の過剰使用による暴走結果か!何て事をさせるのだパシフィックの研究者は!あまりにも非人道的だろうに!」

 ミサキは、『ゾーン』を使用した後に動けなくなると言っていた。それは、脳が処理限界を迎えて肉体を制御できなくなったからだと言う。

 反動による疲労もあるのだろうが、肉体を酷使しなくても同じ状態になると言っていた。とすれば、人を人たらしめる大脳が悲鳴を上げているという事になる。

 理性を失って暴走した、というのは即ち、脳が壊れてしまったのだ。何故、何故ミサキは普通に生きている?駆逐者は、壊れた脳までも再生できるというのか?

 知らずにやらせたというのなら、この研究者たちは被検体の安全を無視する、科学者とは言えないような人間だ。再生すると確信していたにせよ、そこは未知の領域だ。突発的なイレギュラーを考慮に入れれば、どう考えてもリスクが大きすぎる。一体何を考えてこんな実験をしたのか。

「思っていたよりも過激な人間の集まりのようだぞ、あっちの研究所は。まさかあの医者までもがこんな実験に加担していたとは。しかしその割に、ミサキたちは普通に接していたな」

「安全だと分かっていたのではないのか?」

「だったらけが人なんて出すわけがないさ。間違いなく、暴走は事故だ。それにしても、こんなに堂々と。いや、そういえばセキュリティロックがかかっているのだったか」

 外に漏れたら大変な事になる、とラマンが言った理由がわかった。こんな非人道的な実験をしていた事が公になれば大問題だろう。まさか人権意識の高い西側でこんな事がなされているとは。

「ここからはあの『ゾーン』に関する情報は得られそうにないな。ただ、無理して使うと危険なのは理解した」

 ゲルトルーデはバックボタンを押して目次に戻った。次はどこから見ようか、と画面を睨んでいる。

「これは何だ?『古生物因子による体細胞変化』」

 彼女がクリックして飛んだ先には、今までの研究から得られた知見によるまとめのような部分だった。

「僕らの体には、恐竜に近い部分がいくつも見られる、という事だね。これはこっちでも散々指摘されて研究が進められているが」

 見る所は無いように思われるが、それでも画面をスクロールして読んでいく。殆どは知っている事ばかりだったが、後半部分に差し掛かると、思わずといった様子でゲルトルーデの指が止まった。

「ミサキとその他の駆逐者との相違点、か。基本的な体細胞にはそこまで差が見られない、というが……待て、おい、これは」

「調べたのか、アレを」

「げー、アレをか?」

 体に不要と判断されて毎月のように排出しているの細胞に、ミサキと他の二人とは明確な差が見られた、というのである。

 その記述は、ヒトの精子でも受精が可能である可能性が高いだとか、採取した月によって変化の度合いが違い、それが何に影響しているのか、という事まで事細かに書かれている。

 どうやらミサキの幹細胞の増殖にも成功したらしく、それで色々と表には出せないような実験まで行っているようだ。

 彼女が許可したのであれば問題ないが、これはこれで色々と問題が大きい。というか、この論文自体が、まるで大戦中に各国で行われていた、非人道的な実験を思い出させる。

 本人を使っていないにしても、薬物耐性やヘイフリック限界に関する実験まで行われている。行き着く先は強引なドーピングかクローン生成か。

「この調子であれば、他の項目も色々と危ない事が書いてありそうだな。どうする、二人とも」

 聞くと二人はげんなりした様子で首を振った。

「気分が悪くなってきたぞ。ロロはもういい。これを読んでも、ミサキみたいになれるわけじゃなさそうだぞ」

「私も同感だ。これはもう、実験のための実験だとしか思えない。私は部屋に戻る」

 ゲルトルーデが踵を返したのに続いて、この部屋の主であるロロもその後ろについていった。

 二人の気持ちはよく分かる。知ってか知らずか、あちらの駆逐者は裏で随分な扱いをされているようだ。

 それでも『ゾーン』に関する情報を得たいという思いは抑えきれず、二人が去った後、論文の頭から、もう一度ゆっくりと目を通していく事にした。

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