第97話 戦後の変動

 通常の半分程度に照明の落とされた会議室の中、プロジェクターと端末の設定を終わらせて、近くの椅子に腰を下ろした。

 重要な報告がある時にのみ訪れる、防衛省の総本山。その地下の会議室において、この国の防衛に関わる重鎮らを前に、これから恐るべき事実を伝えねばならない。

 事はトップシークレットとなるため、プロジェクターの設定にここの事務員を使うわけにはいかなかった。

 部屋の使用許可は取ってあるものの、誰が来るのか、何の為に使うのかは伏せてある。防衛省や外務省では、意外とこういった使い方も多い。

 一応、制服組のトップには、事前にファクスでミサキの書いた報告書を上げてある。

 ただ、内容があまりにも荒唐無稽な為、証拠としてこの映像を見せる必要がある。更に言えば、同時に背広組や大臣にも確認してもらう必要があるのだ。

 それだけの重要な内容が、先日の竜災害鎮圧における戦闘には含まれていた。

 アトランティックの方はと言えば、フレデリカも流石に彼女自身の裁量でこれを公開する事はできない、と、一旦本国へ持ち帰った。

 こちらの報告は合衆国と央華にも行っているため、トップ同士のホットラインを使って、発表の時期を決める事になりそうだという。

 だが、その前に事実確認だ。

 荒唐無稽、驚天動地。まさか、現代人よりも優れた科学技術を、古代に滅びた恐竜が持ち合わせていようとは。

 央華に現れたあの超Gクラスの映像自体は、既に上は確認済みだ。だが、今日これから見せるのは、驚愕の戦闘。そしてミサキと竜との会話という、何とも筆舌に尽くしがたいものだ。

 余裕を持って準備をしてきたので、少し時間が余ってしまった。駅中のコンビニで買ってきた、甘くてぬるい缶コーヒーを取り出してプルタブを引く。

 ブラックではだめだ。胃がキリキリと痛んでいるので、これ以上消化器系に負担をかけるわけにはいかない。乳脂肪と砂糖が入って、舌が甘ったるくなるぐらいが丁度良い。

 時間の5分前丁度。扉の外から、時間に正確な防衛省の人間の足音が聞こえたので、椅子から立ち上がって出迎える。

 ぞろぞろと先に入ってきたのは制服組。統合幕僚長であるウチダ陸将を筆頭に、副長のシノノメ空将以下、情報担当や陸海空の幕僚監部の長まで、ずらりと総勢10名以上。

 続いて入ってきたのは、この国の現副総理大臣であるアシダ。防衛大臣のキウチに続いて、防衛副大臣、政務官に補佐官に参与、事務次官と、事務方のこちらもぞろぞろと大量に引き連れてくる。

 一応現総理大臣であるモリヤマにも声をかけたそうだが、副総理と防衛大臣に任せる、と行って逃げてしまったらしい。この決断を迫られる時に、これが国のトップだとは、何とも情けない事である。

 全員が着席したのを見計らって、マイクのスイッチを入れて始める事にした。

「皆さん、お忙しい中、お集まり頂いて恐縮です。わたくし、DDD監理官をしておりますハルナ・オオイと申します。本日は、先日の央華社会主義人民共和国、北東部にありますツェン市で発生した、過去最大規模の竜災害において、新たに発見された事実をお知らせすると共に、皆さんに今後の指針を模索していただくのが目的となります」

 居並んだ面々は、いずれも自分よりも立場が上の者ばかりだ。責任ある者は、責任ある決断を下さねばならない。

「今から流す映像は、実際に竜と遭遇した際の一部始終です。主にDDDパシフィックのリーダーである、ミサキ・カラスマの視点となっております。一部ショッキングな映像も含まれますが、修正はしておりませんのでご了承下さい。それでは、開始します」

 リモコンで部屋の照明を落とし、端末に接続してあるマウスを操作した。プロジェクターによってスクリーンに映し出された鮮明な画像は、道路を凄まじい速度で疾走している所から始まっている。

「こちらは、発生した超Gクラスの新古生物が、通常とは異なるイレギュラーな動きをした為、軍の退避する時間を稼ぐ意味も含めて、迎撃のために移動している所です。Gクラスを相手にする場合、本来であればもう少し遮蔽物の多い、こちらに有利な場所を選びます」

 映像は程なくして、視界の中に巨大な異形の姿を収める。既に映像を見て知っていた制服組以外は、そのあまりの異常な形状と大きさに、思わずざわめきを発している。

 あちこちから連合王国語が聞こえたかと思うと、脇を走っていたアトランティックの面々が少し離れていく。かと思った瞬間、目の前に現れた巨大な獣脚類の足に向かって衝撃が走った。

 あまりの高速戦闘に、何が起こっているのかまるでわからない。

 物凄い速度で巨大な竜とDDDの者たちが遭遇したかと思えば、その足下に向かって一斉に攻撃を開始した、という事しかわからない。相変わらず、状況の判断速度や行動の迅速さがどんどん加速していく。そのうち人間の目では捉えきれなくなるのではないだろうか。

 こちらの攻撃が命中して、竜の足に多数の負傷を与えた、と思った直後、その傷だらけの足がこちらに向かって振り下ろされてくる。

 ガタン、と机に何かをぶつける音が聞こえた。あまりの臨場感に体が動いてしまったのだろう。

 ミサキ達は再び落ちてくる足を攻撃し始めたが、すぐに砂塵が舞って、次の瞬間には遠く離れた所に竜は移動していた。

 ジェシカの飛べるのか、という感嘆の声に対し、跳躍補助だとミサキが答えている。だとすればあの巨大な羽は、そのためだけについているという事になる。やけに無駄が多い。

 距離が離れた為、一旦間を置いたのか、と思った直後、目の前を何かが通り過ぎていった。

 ミサキが二人を呼んでいる。何が起こったのか、映像だけではまるで把握できない。

 報告書を読んでいなければ、これがあの竜の尾による攻撃だったとは気が付かなかっただろう。スロー再生のコマ送りにして、漸くそれが確認できるほどの刹那だ。

「今のはこの超Gクラスによる、尾の攻撃です。パシフィックのジェシカ・サンダーバードとジュエ・メイユィ、及びアトランティックのゲルトルーデ・アルブレヒトとロロ・アイナが、この一撃だけで一時戦線離脱をしています」

 場がざわめく。たったの一撃、戦闘始まって間もないこのタイミングで、重大な戦力の喪失がなされたことに動揺が走る。

 そもそも一般人には目で捉える事のできない攻撃だ。通常の人間であれば、何が起こったのかわからないまま、吹き飛ばされるまでもなく、その場で身体を粉微塵にして死んでいる。ジェシカ達が曲がりなりにも復活してきたのは、彼女たちが一応は防御態勢を取れたからだとミサキは言っていた。

 あの一瞬で防御を選択できたジェシカ達四人も凄いが、あの予備動作が殆ど見えない攻撃を避けてみせた三人の実力は、頭一つ抜けている。

 だが、その三人をもってしても尚、あの四人が戻ってこなかったら死んでいた、とミサキは言っている。報告書から滲み出る、あの戦闘の恐ろしさ、生々しさは、このような映像として見ると、背中に氷を貼り付けられたかのような実感を伴って目の前に迫ってくる。

 竜が何事か、唸っているのが聞こえる。その後すぐに、すぐ近くで同じような唸り声が聞こえた。

 この声はミサキの声だ。喉の奥を唸らせて、何事か必死に竜の方へと訴えかけている。

「なんだね、これは。カラスマ君は一体何をしているのだ」

 我慢できずに防衛大臣のキウチが発言した。彼はまだ報告書に目を通していないのだ。

「これは、新古生物が唸っているのを、言語だと認識した彼女が呼びかけているのです。今の状態では人間の声帯であるため、相手に通じてはいませんが」

「人間の?当たり前じゃないか。一体何を」

 再び目の前に見えない一撃が飛んできた。アスファルトが激しく砕け、黒い瓦礫と粉が舞い上がる。

 すぐに映像の中のミサキが、連合王国語でこれは言語だと叫んでいる。それが分かるものは驚愕に目を見開き、連合王国語に堪能でない者は訝しげな目をこちらに向けている。

 もう一度、ミサキが竜に向かって大声で唸った。今度は先程とは違って、より獣のような、目の前の竜が発しているものに近いような音だった。

 同時に竜の動きがぴたりと止まる。これが、言葉の通じた瞬間だった。

 ミサキは目の前の巨大な存在と、唸り声による対話をしている。竜の攻撃が止まったことで、フレデリカとルフィナも近くへやってきて、彼女へどういう事かと問いかけている。

「本当に、会話をしているのか……新古生物と。知性のない獣ではなかったのか」

「今までの竜災害ではそうです。知性のある新古生物は、これが初めてです」

 ミサキは必死に竜と会話、いや、交渉をしている。報告書によれば、竜の発した言葉から情報を可能な限り引き出し、時間稼ぎの為に共存の提案まで持ち出したのだという。

 だが、その努力も限界を迎えた。竜が最後に何事か唸った後、彼女たちを避けるようにして、その場を通り過ぎようとしている。

 ミサキが交渉決裂だ、と言った直後、二人は即座に竜の後方へと展開し、再び凄まじい戦闘が始まった。

 最早何が起こっているのか、常人には理解し難い。

 かろうじてわかるのは、竜の攻撃を避けたと思ったら、その懐に入り込んで、信じ難い跳躍力でその股下を斬り裂いている、という事と、いつの間にか跳び上がって竜の背中に飛び乗り、その上を駆け上がっているという事ぐらいだ。

 駆け上がる、といっても、立ち上がっている獣脚類の背中である。その勾配はきつく、こちらには物凄い速度でボルダリングをしているようにしか見えない。

 またたく間にその高い崖を上り詰めたミサキの目線の先に、細剣を構えた貴公子、いや、フレデリカの姿があった。

 目線だけでコミュニケーションを取ったのか、こちらの姿を認めた彼女は、即座にその細く長い剣を、竜の後頭部に突き刺した。

 まるで抵抗なく、すっと通ったように見える。だが、そんな事はありえない。

 竜の背後は厚く硬い鎧に覆われている。彼女とて尋常の膂力ではないし、恐らくその継目を探り当てる洞察力にも特別優れているのだ。

 ビクリと目の前の山が痙攣したかと思うと、すぐにミサキは飛び出し、その喉首目掛けて大太刀を振り下ろした。

 会議室内に、おお、という声が上がった。

 ミサキの刀は、確かに大きく竜の首を斬り裂いた。

 人であれば動脈に達し、致命傷となり得るような強烈な一撃だ。

 だが、次の瞬間、反対側に移動しようと動いた画面が宙に舞った。

 一瞬、ミサキが飛び降りたのかと思ったが違った。ぐるぐると空が回転し、ぐしゃりというかなりきつい音がして、目の前には大地。落下したのだ。

「な、何だ!?何があった!?」

「翼に打ち据えられて、叩き落されました。幸いにも致命傷ではありません」

 致命傷ではない。だが、大ダメージなのは間違いがない。

 実際、報告書ではミサキはこの時に僅かに気を失ったと書いていた。バランス感覚に優れた彼女が気絶するなど、余程のことだ。

「あ、あれで生きているのか?」

 キウチの疑問はどちらに向かって言っているのかわからない。喉首を掻っ切られた竜に対してか、十メートル以上も落下したミサキに対してか。

 質問には答えずに、すぐに動き出した動画を眺める。キウチもそれ以上は聞いて来ず、目まぐるしく変化する戦闘に、息を呑んで見入っている。

 ミサキは落下の衝撃で武器を手放してしまったのか、転がったり飛び跳ねたりして、竜の攻撃を回避する事に専念している。

 逃げ回るうち、彼女は頭上から降りてきたフレデリカとはち合わせる形で合流した。

 二人とも素晴らしい回避を見せているが、避けるだけでは当然、竜は倒せない。

 よく見ると、時々ルフィナの操る鉄球が舞っている。どうやら彼女の攻撃が援護射撃となって、二人に回避の余裕を与えているらしい。あのような特殊な武器を使って正確な攻撃が繰り出せるというのは、この連邦の駆逐者というのも相当な実力だ。

 このままでは埒が明かないと判断したのか、再びフレデリカと合流したミサキが彼女に呼びかける。15分、と彼女が発言したのを聞いて、背広組が僅かに動揺した。

 彼女が僅かに唸った、と思った瞬間、画面が動いた。

 映像だけでは何をしているのか、本当に何もわからなくなった。

 尋常ならざる速度で動き回る彼女は、空にいたかと思うといつの間にか竜の背にいて、鋭く飛んできた彼女の刀を受け取っている。声が聞こえたので、フレデリカに拾って投げて貰ったのだろう。

 彼女は目の前の茶色い翼に目を向けたかと思うと、飛び上がり、その刃を思い切り振り下ろした。

 室内に驚きの声が満ちる。ミサキは飛び降りた勢いでもって、竜の片翼を一撃の下に斬り飛ばした。かと思うと、今度は反対側に目を向け、今度は裂帛の気合でもって、強引にもう片方も斬り落とす。何もかも、今までとは違いすぎる速度と力だ。

「こ、これは。ひょっとして、南コリョで見せていたあの動きか?」

「そうです。彼女は短時間ながら、その能力を大幅に引き上げることができます。無論、代償はあります。これを使った後は暫く動けなくなるので、映像で彼女が言っていた通り、本当に最後の切り札です」

 あの時よりも力も速さも数段上になっている。恐らく鍛錬によるものなのだろうが、彼女自身もこの『ゾーン』の扱いに慣れてきているのだろうと思われる。

 ここで映像は別の視点に切り替わった。上空から俯瞰するように、竜の上にいるミサキを映し出している。

「到着が少し遅れましたが、支援の為に送り込んだドローンの映像です。彼女が会話で時間を稼いでくれた為、ギリギリ間に合いました」

 ミサキは竜の肩口に取り付き、その刃を先程の傷口にもう一度叩き込んだ。

 今度は更にその首を深く抉り、刃は深々とその肉を斬り裂いていく。だが、彼女は驚愕の表情を見せて硬直した。

「武器が壊れました。竜骨芯に加えて最新鋭の特殊鋼を使用していたのですが、この超Gクラスの頑丈さと、彼女の全力に耐えきれなかったようです」

 地上で考えうる限り、最も頑丈な武器にしたつもりだった。だが、彼女の力と異形の竜の硬さはそれを上回った。

 激しい攻撃を受けた竜は、ついにその痛みからか暴れ始めた。周辺を踏み荒らし、全力で彼女を振り落とそうと巨体を大きく揺すっている。

 画像が乱れ、粉塵で視界が悪くなる。ドローンは一旦上空に逃れたが、その視界の中、全力で走って戻ってくる四人の姿が映った。

『DDDフルメンバー、復帰しました。これより支援行動を開始します』

 防衛隊員の声が終わるか終わらないか。四人が暴れる竜の足下へと飛び込んでいく。彼女たちの攻撃が足に効いたのか、暴れる竜の動きがやや鈍くなる。

『対竜催涙弾、投下準備』

『投下準備。ミサキ・カラスマの退避を要請』

『ミサキさん!離れてください!』

 よく通る外務省職員の声が、戦場に響き渡る。即座に反応した彼女が離脱すると同時に、粉末の詰め込まれたカプセルが竜の鼻面に投下された。

 着弾と同時に弾けたカプセルは、周辺に赤い粉塵を撒き散らす。視界が赤く染まる中、竜は唐突に悶え始めた。

「これが、例の支援兵器だな」

「そうです。以前エゾで使ったものよりも約70パーセント、効果を向上させています」

 足下攻撃と催涙粉末に耐えかねた竜が、徐々にその首を落としていく。再びサカキの合図が聞こえたかと思うと、黒い粉塵の中から鋭い槍が飛び出てきた。

 閃光の一撃は巨大な竜の首を三分の一程も抉り取り、それを放ったメイユィは、勢い余って竜の背後に抜けていく。

 即座に、いつの間にかその手に巨大な大剣を携えたミサキが、そのメイユィの穿った傷跡に、容赦なくその刃を叩き込んだ。

 こちらにも聞こえるほどの金属音がして、剣が止まる。直後、再び下から飛んできたハンマーを彼女は受け取り、思い切り頭上で一度、二度、振り回した。

『終わりだ!古代の異形!』

 止まった大剣にその鉄槌を叩き込んだミサキ。みしり、バキンと嫌な音がして、千切れかけていた竜の首が傾いでいく。

 ぶちぶちとこれも気味の悪い音がして、ついに竜の首はその巨大な胴体から引き離された。映像はここで終わった。

 どことなく安堵の空気が流れている中、リモコンで部屋の照明を元に戻す。居並んだ面々は、疲れ果てているようにも見えるし、どこか興奮しているようにも見える。

「良く、勝てたな」

 アシダ副総理が、絞り出すようにして言った。

「どこか一つ、掛け違えても負けていたでしょう。支援行動も含め、全員が全力でギリギリの勝利です」

 七人と支援のドローン、どれか一つでも欠けていたら、ああはならなかっただろう。

 フレデリカとルフィナの牽制行動、ジェシカ達四人の復活と足止め行動、アトランティックの二人による武器供与に、メイユィの貫通攻撃、そして、それらを可能にしたミサキの会話による時間稼ぎと、『ゾーン』による強力な致命攻撃。

 本当にすれすれの勝利だった。いきなり四人の戦線離脱には流石にもう終わりかと思われたが、そこから会話で時間稼ぎをしたミサキは間違いなくこの作戦のMVPだろう。

「今後も、ああいった新古生物が現れるというのか」

 絶望的な表情になった官僚側の代表として、キウチ防衛大臣も陰鬱な声を漏らす。

「カラスマがこの新古生物から得た情報によれば、恐らく間違いは無いかと。詳細は報告書をご覧になっていただければと思いますが……」

 映像を見せるまでは止めておく、と、ウチダ統合幕僚長は言っていた。これを見た以上、いくら荒唐無稽でも信じざるを得ないだろう。彼女が竜と会話した、という事実を。

「それだ、それだよオオイ君。一体彼女はどうやって竜と会話したのだ?そもそも、何故あの恐竜に言語を操る知性があると気がついたのだ?」

 誰もが疑問に思うだろう。最初の切欠がなければ、そもそもあんなにゴテゴテと派手で巨大なトカゲに知性があるなどとは思わない。

「これは本人の言なのですが、体が憶えていたと」

「体が?言語も記憶も脳ではないのか?」

 主に発言をしているのは、報告書を読んでいない背広組だ。二度手間になるが、仕方がない。この場でいくらか決断をしてもらわねばならないのだから。

「副次的に得られた情報になるのですが、恐らく、駆逐者達の体内には、古代の竜が埋め込んだ、かれらの肉体に関する遺伝的要素が含まれています。それは脳ではなく、肉体に直接作用するものである、と、経験則から分かっています」

 常識的に考えればあり得ない話だ。だが、良く考えれば、生き物には脳が直接司令を出さずに勝手に動く機能もある。脊髄反射であったり、筋肉の不随意運動がそれだろう。心筋だって不随意筋だ。

「そんな馬鹿な。そんな事が」

「あり得るのです。事実、目の前にその証拠が転がっていたではありませんか」

 彼女たちの異常な肉体強化は、意識してやっているものではなかった。恐らく、脳の命令でもそれは可能なのだろうが、不意の攻撃にも強い耐久力を発揮する以上、肉体自身が何らかの個別反応をしている可能性が高い。

 困惑した大臣以下は黙った。説明を続ける。

「彼女の得た情報で、大きなポイントは三つ。一つは、アースの古代から、知性のある恐竜達が、現代に尖兵という名で知性の無い恐竜を送り込んでいた事、そして、それは何らかの手段で観測されていた事」

 一旦言葉を切る。質問はない。

「二つ目は、先程も言いましたように、その竜達が、かれらの因子を他の生物に埋め込み、それが回り回って現代、駆逐者達に発現しています。彼女たちの肉体に、新古生物との共通点が多数見られるのは、恐らくそれが原因です」

 何故、竜災害が発生し始めてから彼女たちが発見されたのか。恐らく、竜の出現によって、彼女たちの中にあったその因子が反応し、表に出てきたからではないかと思われる。

 そして、どうして駆逐者が女性ばかりなのか、という事だが。

「何故、知性のある新古生物はそんな事をしたのだ?ただの実験か?」

「いいえ。恐らく、かれらの中では、何故か雌が産まれないようになってしまったそうです。病気なのかその他の原因があるのかは判明していませんが、その因子を埋め込むことによって、子孫を残せるような、つまり、交配が可能な生物を作ることが目的だったようです」

 どうしてそれがヒト、ホモ・サピエンスという種族に出てきてしまったのかは不明だ。この辺りも研究者の発表待ちという事になる。分かっていない事が多すぎる。

「交配って……あの、巨大な竜の、生殖器を。すまない、オオイ君。これは純粋な疑問なので、予めセクハラではないと言っておこう。ものなのか?」

 副総理は長い前置きをして、誰もが疑問に思う事を聞いてくる。

「わかりません。ただ、先の異形の新古生物は、それが可能であるというような口ぶりだったそうです。彼我のサイズ差を見れば正直、無理だと思われますが、何らかの手段があるのでしょう」

 これも央華で食事をした時にミサキから聞いて、その上で報告書に書かれてあった受け売りだ。あるのだろう、という憶測でしか無いが。

「そうなった場合、どうなる?」

「仔が産まれた場合、ですか。再び恐竜の時代が訪れるのではないでしょうか。知性のある大型の竜たちによって、この惑星の支配者は彼らにとって替わられます」

 これから言う3つ目にも関わることだ。だが、副総理は尚も質問を続けてくる。

「つまり、駆逐者は諸刃の剣という事か。竜を殺せるのも彼女たち、竜を繁栄させられるのも彼女たち。仮に……あり得ない話だと前置きしておく。仮に、彼女たちが、竜についた場合、人類は」

「滅亡します」

 分かりきった事だ。そもそも、竜を駆逐する彼女たちが、竜を駆逐しなくなった時点で終わる。我々人類は、彼女たちのご機嫌を損ねないように、大事に大事に扱うべきなのだ。

「厄介だな。新古生物に知性があると分かった以上、場合によっては彼女たちが籠絡される可能性もあるという事か。今の所、竜と会話ができるのは、カラスマ君だけか?」

「そうです。声帯を変化させて竜の言語を操れるのは、目下のところ彼女一人です。言語については学者に解析を急がせていますが……」

 望み薄だろう。あの高音と低音が入り混じった唸り声のようなものが言語などと、人間の口腔と舌、呼吸と声帯によって発せられるものとは、全く違う表現方法だ。まだ海洋哺乳類の鳴き声の方が分かりやすい。

「兎も角、彼女たちが人類を見限らないように気を付けるのは、以前と変わらない大前提です。そしてその上で、3つ目。知性のある竜たちは、明らかにこちらを侵略する目的で現代に現れています。カラスマの報告書からですが、その理由として恐らく、古代でのっぴきならない事象があったか、あるいは予測しているから、だという事です」

 恐竜は滅びる。それは既に分かっており、決定した事実だ。

 アース上に巨大隕石が激突し、強烈な熱波の後に分厚い粉塵層に覆われて急激に冷え込んだアースは、当時生きていた殆どの生物を滅ぼした。所謂K-Pg境界の大量絶滅と呼ばれているものだ。

「それは、大絶滅を予測して、現代に逃げようとしている、という事か」

 キウチの言葉に頷く。

「可能性としてはそれが最も高いと思われます。どうしてそれを恐竜たちが予測できたのか、というのは不明ですが、そもそも次元転移を行うような、高度な科学力を有している者たちです。その程度の予測は、我々以上に可能なのではと」

 意図的にこちらに送り込んでいた、という事実は、あまりにも衝撃的だった。我々は竜災害の出現に法則性を見出し、そういった現象が何故起こるのか、を突き止めようとしていたのに。何もかも、送り込んでいる側の都合だったという事になる。

「その、すみません。よろしいですか?意思疎通ができるのであれば、その、和解という手段は取れないものでしょうか」

 事務次官がやや遠慮がちに手を上げて発言した。

「少なくとも、先の竜との交渉は決裂しました。今後はどうなるかわかりませんが」

「ミノベ君、無理だろう。あの巨体を維持するのに、どれだけの食料資源が必要になると思うのかね。そもそも人類だって今現在、足りていないところは足りていないというのに」

「はあ、それは勿論、そうなのですが。それだけ高度な科学力を持っているのであれば、協力すればお互いに何か良い解決策が見つかるのではないかと」

 このミノベという防衛事務次官の言うことも、あながち間違いではない。

 次元転移が行える、という事は、ここ以外の新天地を探す事だってできるはずなのだ。何らかの理由で未来にしか転移できない、というのであれば、こちらも技術を提供し、例えば移住可能な惑星を探す、などの研究も不可能ではないのではないか。

「その見つかるまでの間、恐竜を養うのかね。それは……難しいのではないだろうか」

「はぁ……食糧問題も同時に、何か解決策があればと思ったのですが」

 多分、古代では、手つかずの豊富な資源であの巨体を支えられていたのだろう。現代でそれが可能かと言われれば、微妙なところだ。かれらが研究しているかどうかもわからない。

 そこで、アシダ副総理が両手をパンと打ち合わせて言った。

「話は分かった。喫緊の課題としては、今後の知性ある竜に対する策が必要だという事だろう。ウチダ君、例の、ユリアとの件はどうなっている?」

 ウチダ統合幕僚長が、その言葉に頷いて返答する。

「ほぼ、完成しております。間もなく配備予定ですが、今回の新古生物のデータも入れてもらうようにお願いしています。来週中には」

「結構だ。まずは駆逐者の強化、それから、知性ある新古生物の情報を、どの程度まで公開するかだが――」

 アシダは一旦そこで言葉を区切り、周囲を見渡す。

「これは、合衆国、央華、欧州連合と相談の上で決定する。我が国としては、一旦は秘匿しておく方が良いだろう。無用な混乱が発生すれば、彼女たちにも影響がある」

 無難なところだ。

 ミサキは竜と会話ができる、などという事が知れ渡ってしまえば、益々特定の団体やミサキアンチが騒ぎ出す。

 かれらだけで騒いでいるのならば問題はないが、問題は世の中にそういった、駆逐者に対する負の感情が広がることだ。

 今現状、こちらの広報作戦は上手くいっており、世の中の大半の人々は駆逐者たちに好意的だ。

 だが、どう足掻いても反感を持つ人間というのは一定数存在する。その声が大きくなれば、それこそ彼女たちの機嫌を損ねる事に繋がる。

 人類に守る価値無し、と彼女たちに判断されてしまえば、またたく間にこの地の覇権は竜たちのものになってしまうだろう。それだけは絶対に避けねばならない。

 そもそも、心優しいあの三人、特にミサキがそういった選択をするとは思えないが、彼女は今まで散々に嫌がらせや迫害を受け、人の汚い部分を見ている。心の天秤はいつ、どちらに傾くかわかったものではない。

「モリヤマ総理には私から話しておこう。では、本日はこれで解散とする。ウチダ君、報告書とやら、極秘に私とキウチさんに送ってくれ。目を通しておく」

 統合幕僚長は、かしこまりました、と言って、彼自身も席を立った。ひと先ずはこれで結論が出た。

 動く事は何もない、現状維持という事に変わりは無い。

 だが、上が危機を認識し、諸外国とも話し合いをすると言っているのだから、これ以上こちらの出せる手というものは無い。まずは上に投げ、今はどうにか手を離れたという事だ。

 静かになった会議室で、プロジェクターの片付けを始める。

 肩の荷が下りた、という感覚もあるが、それでもまだ不安はしこりのように心の奥に残り続けている。

 果たして、自分たちは彼女たちが命を賭けてでも守るに値する程の価値があるのだろうか。そしてそれは、本当に彼女たちにとって幸せな事なのだろうか。

 答えの出ない問いは、誰にも聞くことができずに残り続ける。今までも、これからも。



『見たまえ!素晴らしいサンプルだよ、ヒトミ!ある程度予測していた事だが、まさか真実だったとは!』

『所長、喜んでいる場合ではありません。我々が滅びてしまえば、研究など続けられないのですから』

『勿論、その通りだ!我々はより、新たな領域に踏み込むことを求められている。ヒトミ、我々に今必要な事は何だと思うかね?』

『駆逐者の戦力増強でしょうか。或いは、新古生物の弱点研究など』

 目の前の枯れ枝のような老人は、少し気障ったらしく指を振った。

『当然、その通りだ。だがそれは、一朝一夕で可能な事ではない。時間だ、時間が足りないのだよ。時間さえあれば、我々は世代を跨いででもそれを成し遂げるだろう。だが、生憎と知性あるかれらは待ってはくれない。そこで』

 彼はこちらを見据えて言う。予測はしていた。だが、そんな事を、私にやれというのか。あの、献身的で心優しい彼女に。

『ヒトミ、気持ちはわかる。君は彼女との付き合いも長いだろう。だが、君も専門家として手慣れたものなのではないのかね?この研究所で、君以外の適任者はいないのだ』

『……承知しました。ただ、彼女が拒否した場合、強くは要求しません』

『無論だよ。それは大前提だ。我々は彼女たちに生かされている。そのお陰で研究が続けられるのだからね』

 その通りだ。我々は彼女たちに生かされている。彼女たちは勝利の女神であり、かつ、我々の命綱を一手に握り締めている断罪者でもある。

 話を一旦そこで止めて、高価な顕微鏡を覗き込んだ。

 竜の精巣から取り出したそれは、未だ元気に蠢いている。どうやら肉体が独自に活動しているというのは真実だったようだ。

 脳を失って尚、動くことはしないものの、知性ある竜の、各所の体細胞は。そして当然、この生殖に必要となる細胞に関しても。

 遅かれ早かれ、こうなる事は必然だったのかもしれない。心の内に重く沈んだ良心という澱は、とうの昔に捨てたものだと思っていた。しかし、今ここに来て、狂おしい程に私を苛んでいた。

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