第95話 侵略者
『やあ、ミサキ。早速仲良くなったみたいだね』
ヒノモトのものとは少し形状の違う超音速輸送機から降り立った三人は、以前にバーラタで出会った時と同じく、それぞれが思い思い、バラバラの格好をしていた。
フレデリカは胸元に縦のフリルが散りばめられたブラウスで、貴族令嬢、というよりも、男装の麗人とも言うべき貴族スタイルで、下は簡素でスリムなパンツだ。
ゲルトルーデは以前とは違って、今回は黒い半袖のシャツにデニムパンツ。スタイルの良さがシンプルな服装に際立って、何というか、エロい。
ロロは前回と同じく真っ赤なジャージ姿だ。担いだ無骨なハンマーに似合わぬ、眩しい笑顔に癒やされる。
『駆逐者同士ですからね、二人もああですし、すぐに仲良くなりますよ。カナリアの声も聞けましたから』
そう応えると、フレデリカはぴくりと眉を動かして言った。
『そうか、それなら良かった。我々も何とかしてやりたいのだが、央華と違って連邦は守りが固くてね、どうにも難しい』
『情報戦のライバルですからね、連合王国とは。しかし、どうにも……やりきれません』
『そうだね。少なくとも一緒にいる間は、辛さを忘れてくれれば良いのだけれど。しかし、今回は楽勝でゆっくりと食事会、というわけにはいかなそうだぞ』
ルフィナを中心に戯れている5人を眺めながら、神妙な声になるフレデリカ。彼女も今回の異常性がよく分かっているのだ。
『流石に今回は分業では無理ですね。総員でかからないと』
『そうだね。あの大きさでは……しかし、たて続けに央華か。一体何があった?』
『分かりません。今回は何もかもが異常です。大きさだけでなく、出現法則も、形状も』
滑走路から建物内を通り過ぎ、駐車場に出る。そこには既に後部の扉を開いた状態で、央華人民軍の輸送用トラックが待機していた。
手前で待っていたハオランが、こちらに軽く手を上げて近寄ってくる。
『お待ちしていました、皆さん。私はついていく事ができませんが、こちらのトラックで移動してください。戦闘支援も行う予定ですので、竜の移動範囲の外、待機場所で一旦お待ちになってください』
ハオランは丁寧な連合王国語でそう言った。彼もサカキと同じマルチリンガルだ。優秀な事である。
お世辞にも乗り心地が良いとは言えないトラックに乗り込んで移動を開始する。
最初は先程までと同じように会話に花を咲かせていた四人と一人だったが、時間が過ぎるにつれ、段々と言葉の数が少なくなっていく。
全員が本能的に理解していた。今回の竜は、明らかに今までと違うと。
本能、本能である。
現場に近づくにしたがって、身体の芯から、どことなく湧き上がってくる不安。
締め付けられるような、動けなくなるようなそんな感覚。これは、そう、恐怖だ。
この身体になってから、ついぞ忘れていたあの感覚。人が人ならざるものに抱く、身がすくむような冷たい感覚。
だが、恐れて立ち止まってしまえばそれは死を意味する。自分たちが死ねば、その時点でこの世界も終わる。人の歴史は、数え始めてから僅か数千年でその幕を下ろす事になってしまうだろう。
恐竜、恐竜とは。
古代に生きた爬虫類の大雑把な総称である。
地層に分布している化石の発掘状況から見て、数千万年はその姿を変えながらアース上で繁栄し、ある時を境にほぼ全てが絶滅してしまった。
実際に滅びの過程には数百年から数千年程度の猶予があっただろう。だが、長いかれらの種の繁栄の歴史から見れば、まさに一瞬と言って差し支えない。そして我々の歴史というのは、所詮その一瞬の間にしか過ぎないのだ。
人類は、ここから先、いずれ太陽がこの星を飲み込んで消滅してしまうまで存続するものだと思っていた。いや、叡智ある存在とはそうあるべきだと思い込んでいたのだ。
道を走っていたトラックは徐々にその速度を落とし、僅かに遠心力を感じさせた後に停まった。
前方の運転席から人が降りたのを確認して、自分たちも立ち上がる。もう、無駄口を叩く者はいない。
トラックの後部から地面に降り立つと、そこには仮設の陣屋のようなものが設置されていた。
あちこちに簡易テントが張られ、その間を人民軍の兵士や将校たちが忙しく走り回っている。
今までは直接現場に降り立つ事が多かったため、こういった光景を見るのは何だか新鮮な気分だ。まるで災害地の防衛隊の拠点のようである。
だが、よくよく考えればここから先は災害地なのだ。似ていて当然だろう。
物資の集積や基地との通信設備、いくつかある天幕の中では、作戦会議のようなものもしているのだろう。とは言っても、結局恐竜を倒せるのは我々だけなのだが。
陣が形成されているのは、キンヤンの都市部から伸びてきたハイウェイのすぐ脇だ。向かう方向に竜の出現地があるらしく、道路は大きな車止めで封鎖されている。
ただ、キンヤンは戒厳令下だ。やってくるクルマも無いし、ましてや歩いてくる酔狂な人間などいるわけがない。形式上のものなのだろう。
周囲を見回していると、DDD到着の報せを受けたのか、一人の将校がこちらに向かって駆け足でやってきた。
『DDDの皆さんですね。私はこの作戦の指揮官、ホァンです。我々はここで、皆さんのサポートを後方から行うように言われています』
下士官を二人連れてやってきた中佐は、央華語でそう言うと畏まって敬礼した。
自分たちは一応は防衛隊所属という事にはなっているが、敬礼で返すのも何かおかしいので、小さくお辞儀でもって返答とする。
『お疲れ様です、ホァン中佐。現在の新古生物の位置はどの辺りになるのでしょうか』
巨体故にすぐに見つかるだろうが、正確な位置を把握しているのであれば、こちらから奇襲を行う事もできる。少しでも有利な状況で戦う為に、彼らから情報を得ておく事は必要だろう。
『目下の所、対象はツェン市内中心部を流れるシン川のほとり、すぐ向こう側で蹲っているようです。順番にドローンを飛ばして、常に現場の状況を確認しております』
『そうですか、ありがとうございます。ヒノモトからの支援部隊が到着次第、すぐに我々だけで向かいます』
位置情報は常に把握できているようだ。恐らく、こちらに流れてきた映像はここから発信されたものだろう。
昨今の軍は情報化、機械化が進んでおり、概ね大規模な軍を持つ所では、こうやって少し離れた所から現場の状況を確認しているらしい。
今までは恐竜の行動半径というものが明確ではなかったのだが、研究が進むにつれて、ある程度は接近しても安全だと思われるようになっている。
ただ、それはあくまでも、我々が鎮圧を行えているから、というだけの話だ。長期的にどうなるかというのは、今後わからない。
『ミサキ、彼は何と?』
央華語のわからないフレデリカがこちらに確認を求めてくる。
『今の所、竜はこの先の街、川の近くでじっとしているそうです。ヒノモトからの支援部隊が来てから動き出すと答えておきました』
『そうか、わかった。しかし、央華語は何を言っているのかさっぱりわからないな』
『勉強すればすぐに話せるようになりますよ。駆逐者は皆頭が良いんですから』
『それはまぁ、そうだろうけどね。僕は基本、受け持ち範囲の言語しか習得していなかったものだから』
アトランティックの受け持ち範囲、となると、それでも結構な言語数になるだろう。連邦の端から南サハラまでとなると、相当の数だ。まさか全て、というわけではないだろうが。
そもそも連合王国は、世界中のあちこちに植民地を持っていた、かつての世界の覇者だ。殆ど連合王国語で通じるし、基本的にそれだけでもあまり困る事も無かっただろう。
イラブ地域や連邦ではそうはいかないだろうが、基本的に欧州の言語は基礎部分が似通っていて、習得は比較的楽な部類である。
ホァンから現場の詳細な地形などを聞き出しているうち、急に近くの天幕内が騒がしくなった。近くにいた中尉がそちらに走っていったが、すぐに血相を変えて飛び出してくる。
『動き出しました!西南西に向かって、全力疾走を始めています!』
西南西。と、言うことは。
『なんだと!?その方角は……こちらではないか!』
ホァンの顔色が変わる。こちらに向かって移動を始めた?途中は壊滅していて人はいないと聞く。と、言うことは。
『中佐!直ちに撤退命令を!竜の目的はここです!』
例外が始まった。
ここは竜の活動圏外のはずだが、何もかも異常なあの竜が、きちんとその法則を守ってくれるのかというのは常に疑っていた。
『し、しかし、我々はここで皆さんを支援するようにと』
『現場裁量です!全滅よりはマシです!早く!』
彼も軍人だ。こちらの言葉に即断し、部下に撤退命令を飛ばす。すぐに慌ただしく撤収作業が開始されるが、悠長に天幕を片付けている者たちまでいる。そういうレベルの話ではないのだ。
『どうしたんだ、ミサキ!』
『竜がこちらに向かって移動を始めました!軍は撤退させます!メイユィ!撤収準備よりも退避を急がせてください!』
『わかった!』
メイユィが片付けを行っている兵士達の元へ飛んでいき、怒鳴るようにして退避を促している。越権行為だが、竜の移動速度を甘く見てはいけない。
基本的に、竜は大きくなればなるほど長距離を迅速に移動する。歩幅もそうだが、筋力が異常に増強されるためだ。
小型は小型ですばしっこいものの、長距離の移動速度はそこまででもない。だが、Gクラスの全力移動ともなると、敵う速度を出せる車両は、高速鉄道ぐらいのものだ。
鈍重な装甲車は勿論、トラックでさえもすぐに追いつかれてしまうだろう。街が襲われて、逃げるものから全て皆殺しにされた、というのはそういう事だ。
ホァン中佐の命令で、現場は一旦そのままにして退避を優先しろ、と怒号が飛んでいる。兵士達もどうにか車輌に乗り込んでいき、順番にキンヤンへの道を引き返していく。
人数的に無駄に規模が大きい。500人から600人の大隊規模だろうか。
鎮圧後の現場処理人数としては適正だが、偵察部隊としては数が多すぎる。統率はされているものの、車輌の通れる道幅は限られているのだ。
このままでは間に合わない可能性が高い。撤退を始めても、竜がここで止まってくれるという保証はどこにもない。それどころか、軍を追いかけてキンヤンにまで到達してしまえば……。
『ミサキ、打って出よう。このままでは大惨事になってしまう』
フレデリカの提案に、一も二もなく頷く。
『そうしましょう。可能な限り全力で迎撃、場合によっては遅滞に努める必要があります』
撤退準備をしている人民軍を尻目に、全員で同時に東北東へ向かって駆け出した。
ツェン市というのは、その市街は基本的に高地にある。
いくつかのハイウェイで他の街と繋がっているものの、キンヤンから見ればそこから先は、元々遊牧民族が暮らしていた自治区になっており、田舎も田舎、という感覚らしい。
実際には街もあり、人も沢山暮らしているのだが、その途中にあるツェン市にしても、キンヤンと比べて規模自体はかなり小さい。
あちこちを開発で削られた山肌が見える中、軽く蛇行しているように見えるハイウェイを疾走する。
周辺はほぼ山地だが、高い山がつらなっているというわけでもなく、ハイウェイによって切り拓かれた周囲は比較的平坦に均されており、見通し自体は悪くない。
見通しが悪くない、というのは、あちらにとっても同じだ。
竜は目線が高い分、都市部のビル群のように隠れる場所も無いため、逆にこちらが見つかりやすくなる。不利だ。
とは言っても戦う場所を選べるわけではない。竜に『こちらでお願いします』と言って、『はいわかりました』と、お願いを聞いてくれる紳士であれば別なのだが。
『うおお、クソでけえ。なんだありゃあ』
走りながら、その姿を見たジェシカが驚きの声を漏らす。こちらも声にこそ出さないものの、同感だ。
こちらに向かって全力疾走してくる竜、いや、本当に竜だ。
皮膚の形状は他の恐竜と変わらないように見える。だが、特徴的なのはその大きさと異様な姿。
大きな頭部、比較的前方に向かってついている両の目は、視野が狭くとも正確な立体視ができることを示している。
頭部からとさかのように生えた骨の入った背びれは、背中で立ち上がり、一部は剣竜のように、背面部は概ね装盾類の装甲に覆われている。
前脚のすぐ背後から伸びている大きな翼は、まるで翼竜のそれだ。まさかあの巨体で空を飛べるという事は無いだろうが、何の為についているのか意味不明である。
挙句の果てに、走りながら揺れている大きな尻尾の先には、ご丁寧にスパイクのついたコブがある。正しく恐竜と言われる種の合成獣、キメラとしか言いようがない。
『あんなナリをして、なんて速さで走るのだ』
苦々しそうに呟いたのはゲルトルーデ。それにも全くの同意だ。
ごてごてとあれこれ身体につけているくせに、走りは異常に軽快だ。
跳ねるように地面を蹴り、地響きを立てながら物凄い速度で移動している。実際にGクラスが走っているのを見たのは二度目だが、その倍以上の体躯でこれだけの速度、というのは正に圧巻。押しつぶされるような威圧感がある。
『同時に足を攻撃するぞ!こちらは向かって左、ミサキの方は右だ!』
『了解!』
平坦になっていて走りやすいのか、竜はハイウェイに沿って、迷わずこちらに向かってくる。我々の存在に気づいているのかいないのだか、その視線は真っ直ぐに進む方向、即ち軍が展開していた方向、あるいはキンヤンへと向けられている。
これだけ大きいと、首を切断するとか頭部を一撃する、なんて事は夢のまた夢だ。奴の頭は遥か上空十メートル以上。跳ねて届くような高さではない。
ならばどうするか、こちらから届かないのならば、相手に下げて貰えば良い。
Gクラスを相手にする時のセオリー通り、高速で駆けてくる竜の左足、その着地点めがけて三人で飛びかかった。
最初に直撃したのは、最も破壊力のあるメイユィの一撃だった。
重く鋭い槍の一撃は竜の足を削り取り、巨大な大穴を穿つ。
次にその少し上、関節部分と思われる湾曲した所に、ジェシカが組んだ手甲を思い切り横殴りに叩きつける。浸透力のある打撃は確かにその衝撃を内部へと伝えた。
最後に自分の大太刀が、メイユィの穿った穴と反対側、つまり内側を大きく切り裂く。
流石にこの太さの足を両断するのは不可能だが、痛みで多少でも怯んでくれれば良い。反対側は四人で攻撃しているはずだ。同時攻撃であれば、体勢を崩して転がせる事も可能かもしれない。
だが、その希望はあっけなく潰えた。
竜は確かにそのまま数歩、どすどすと歩いたかと思えば動きを止めた。
しかしその頭部は下がるどころか、持ち上がって自らの脚部を攻撃した愚か者共を睥睨している。
効いていない。
確かにこいつの足には大きなダメージを与えたはずだ。だが、どの攻撃も骨に達する程ではなく、関節へのジェシカの攻撃も全く効いた様子がない。まるで痛みを感じていないかのように、ただ竜は平然と立ち止まって、視線を足下へと向けている。
唸るような鳴き声が聞こえた。ぐるぐると、くるくると。高音と低音が入り混じった独特な声。
思わずその場から飛び離れたこちらのいた場所を、その傷だらけの巨大な足が踏みつけた。
『どうなってんだ、こりゃ』
『ミサキ、全然効いてないよ!?』
確かに足は大きく抉った。だが、その傷はもう再生の兆しを見せ始めている。そもそもこいつ、痛覚が無いのだろうか。
反対側の足を見ると、やはりあちらも困惑して死のスタンプから逃げ回っている。同じ様にして足先をハンマーで潰され、足首を切り裂かれ、関節を鉄球で一撃され、細剣で貫かれても、全く動じていない。
「怯まず攻撃を続けます!痛みは感じずとも、組織を壊せば自然に膝をつくはずです!」
あちらも同じことを考えたのか、振り下ろされる足に向かって攻撃を再開した。致命傷など望むべくもないが、再生を上回る速度で攻撃すれば、或いは。
二度目の大太刀を叩きつけた所で、周囲の空気が大きく揺らいだ。
暴風が吹き荒れ、砂塵が舞う。一瞬のうちに、竜はこちらの射程圏内から外れ、少し後ろに下がってこちらを見ていた。
『飛べんのかよ……』
『飛べはしないでしょう。どうやら跳躍の補助機能のようです』
贅沢すぎる機能だ。少し高くジャンプするためだけに、あの大きな翼を使っているのである。飛ぶことを諦めた鶏やダチョウと同じなのであろうが、それでもあの見た目は退化した翼のようには見えない。
『……いう……だ?……るいが』
聞こえているのは風に乗った竜の唸り声だけ。だが、何か、変だ。
身体の内にあるものが何か燃えている。いつもの血流の亢進だけではなく、もっと別の何か。
誰も声を発していない。だったら、今聞こえたのは、いつもの幻聴か?
大太刀を左正眼に構えて、遥か上空にある竜の頭部を見据える。
左右に分かれた我々に、竜は些か困惑しているように見えない事もない。まるで、この地に自分を害する事のできるものが居るというのを、今初めて知ったとでも言うように。
竜の左足が少し前に出た。進み寄る、という動作ではない。これは、この一撃は。
警告を発する間も無く、大きく背後に跳び退る。予備動作が見えたのは一瞬だった。殆ど勘で、残りは反射で、理性的に動けた部分は何もなかった。
鼻先すれすれ、目の前を巨大な塊が通り過ぎていく。巨大質量の急激な動きによって発生した風圧が、遅れてこちらを巻き込んで荒れ狂う。
「ジェシカ!メイユィ!」
二人は反応が遅れたのか、その一撃、尾だ。尾の一撃に巻き込まれ、遠く左方に弾き飛ばされた。防御体勢は取っていたようだが、あの速度、この質量の直撃を受けて、無事でいられるとは思えない。
竜の前に立っているのは自分を含めて三人。ロロとゲルトルーデの姿も見えない。防御か回避が間に合ったのは三人だけ。一瞬にして戦力の半分を喪失した。ただの尾の一振りだけで。
出し惜しみをしたつもりは無かった。だが、ここまで強烈な不意打ちをかませる相手だとは思っていなかった。
油断。そう、油断だ。どこか相手は知能の低い竜だと侮り、こちらの想定しない攻撃をしてくるのだと考えもしなかった。
集中しろ。確かに四人は今は戦闘不能だ。だが、打撲、骨折程度なら、時間を稼げば戦線に復帰できる可能性はある。
諦める事はできない。例え自分の攻撃で倒せる事ができないにしろ、負ければ人類の歴史はここで終わりだ。簡単にその選択肢を取る事は許されない。
意識を集中して目の前の竜に向ける。『ゾーン』はまずい。いくら力を上げて素早く動けたところで、制限時間内にあの竜の首を斬り落とす事は不可能だ。
いくらまだフレデリカとルフィナが健在だとは言え、ここから更に戦力を落とすわけにはいかない。
竜の顔を睨みつける。その異形の竜はと言えば、何故だか訝しげにこちらを見ているような気がする。
竜の表情が読めるというわけではない。何故か、どうしてだかわからないがそのように感じるのだ。
『脆弱な生き物が、
今度ははっきりと聞こえた。なんだ、これは。誰が、どこで喋っているのだ?
聞こえてくるのは竜の喉の奥の唸り声。低音と高音が混じった複雑な音声。いや、そうだ、これは、鳴き声ではない。音声だ。
どういう事だ。何故、分かる。というか、これは本当に、この竜が発している言語なのか。
この感覚は、そうだ。夢の中だか幻覚で聞こえたあの声に似ている。
論理建てて言語として明確に定義できるわけではない。単語だ、文法だと言われても何とも説明ができない。だが、分かる。何故か理解できるのだ。
『傷もつけられた。かの者達が尖兵を殺したか』
尖兵。そう、他の竜災害は尖兵だとこいつは言っている。つまり、これは、間違いなく侵略。竜によるこの世界の侵略だ。
『待って下さい!話ができるのであれば、少し話を!』
喉をごろごろと鳴らし、こちらも唸り声のような言語を発する。だが、この言葉は竜には届かなかったようだ。
怪訝そうな顔をしつつも、こちらに向かって今度は縦の一撃を放ってくる。集中していたためか、こちらは予備動作までもがはっきりと見えた。
『ミサキ!何をしている!というか、何を唸っているんだ!』
『攻撃しろ!防御一辺倒ではジリ貧だぞ!』
離れたところからこちらの様子を察したフレデリカとルフィナが、武器を振り回しながら怒鳴っている。何故だ、彼女たちにはこの竜の言葉が理解できないのか。
『この竜、知性があります!先程から唸っているのは言語です!』
彼女たちにも分かるはずではないのか。これは、これは。竜言語だ。
だが、いくら呼びかけてもこちらの言葉は通じない。何故だ。きちんと発音しているはずなのに。
声か、声が悪いのか。確かに竜と人の声帯は異なる。九官鳥やカラス、オウムが人の言語を真似るのは、声帯が比較的近いからだ。だが、爬虫類に近い竜の声帯は人のそれとは大きく違う。こちらがいくら声を真似ても、ただの唸り声にしか聞こえないのだ。ならば。
『待って!待ってください!あなたは知性のある存在でしょう!』
竜の動きがぴたりと止まった。驚愕の感情がこちらに伝わってくる。
声帯だ。声帯が問題なのであれば、一時的に変えれば良い。
以前、ゲームのオフラインイベントで、声優の声真似をしたことがあった。
元々その声優と声がよく似ている、というわけではない。だが、声真似をしているうちに、一時的にであれば声帯の形状を変化させられる事に気がついた。
どうしてそんな事ができるのかさっぱりわからないが、恐らく身体の硬質化なんかと似たようなものなのだろう。
我々、駆逐者は、訓練をすれば肉体の一部を変化させられる。
他の皆は恐らくそれを無意識にやっているのだと思うが、強く意識すればそれが可能である。これはマツバラにも言っていない。何故か。
意識的な肉体の形状変化など、明らかに人としての範疇を逸脱している。これが目に見えない戦闘用の肉体変化ならば、誰にも警戒されたりはしないだろう。
だが、もし。ある日、一緒に暮らしていた人間が、全く別の人間と入れ替わっていたら?
実際にはそこまで身体全てを変化させるのは難しいだろう。だが、人の恐怖を煽るには十分過ぎる能力だ。ただでさえこちらを魔女と罵る人々がいるような状態で、火種を無闇に撒き散らす必要などどこにもない。
ただの声帯変化にしたって、悪意を持って使えばなりすましや詐欺に使えてしまう。無論、そんな事を顔の知られている有名人がするだろうとは思わないだろうが。
ただ、それでも目の前の知性ある竜には効果的だったようだ。
『何故小さき存在が、吾らの言葉を理解し、扱える』
『こちらも知性ある存在だからです。言葉が通じるのであれば、対話の余地もあるでしょう』
実際には、そんな事は恐らく、無い。
この竜は知性がありながら、大量の人間を殺戮し、建造物を破壊している。どちらかと言えば、知性の無い獣としての行動であった方がまだマシだ。
しかし、ただ今は時間が欲しい。ジェシカ達の復帰もそうだが、ヒノモトからの支援も得られていない。急すぎる戦闘は、何もかも危険すぎるイレギュラーを引き起こした。
『吾らと汝らは違いすぎる。そもそも、この地に吾のように言を操る者が訪れたのは初めてのはず。何故吾らの言葉を理解するか』
『わかりません。あなたが喋っているのを聞いて、理解しました』
何故かと聞かれても、身体が知っていました、としか言いようがない。
そう、身体だ。身体が知っていた。脳が知っていたのではなく、身体が。
『ミサキ、さっきから何を言っているんだ?会話を……しているのか!?竜と!?』
フレデリカとルフィナが、視線を竜から外さずに歩いて近寄ってきた。
『そうです。あれは特殊な言語で言葉を発しています。私には何故かそれがわかりました』
『分かった!?あの唸り声がか?』
ちょっと静かにしていて欲しい。今はあのでかぶつと話をしているのだ。一々声帯を戻すのが面倒くさい。
頭の上からこちらを見下ろした巨大な存在は、少し考え込んでいる風をしていた。だが、唐突に哄笑……笑った。そう、笑い声だ。これは笑い声。
ぐっぐっと引きつるような声が、竜の首から、喉から発せられている。
『これは傑作だ。あのじじいの埋め込んだ種が、よもや成果を結んでいようとは。だが、全て思い通り、というわけでは無いようだが。おい、汝、汝は雌だな』
自分のどこが雄に見えるのだろうか、と思ったが、全く別の種族なのだから雌雄の判断はつきにくかろう。素直にそうだ、と返事をした。
『素晴らしい。そして汝らは、我らが試験の為に送り込んだ尖兵どもを殺した。そうだな』
『そうです。何の試験か知りませんが、私達を殺し、食らったので』
そこで再び竜は笑い声を上げた。表情に乏しい竜の顔で、ぐぅぐぅと唸るように声を引き攣らせている。
『当然だ。吾らはこの地を再び我が手に取り戻すべくやってきたのだからな。だが、あのじじいの種が芽を出したのであれば丁度良い。種族の問題はこれで解決するであろう』
種族の問題?そもそもじじいとは誰だ。この竜と同じような知性を持つ巨大な存在が他にいるのか。
いや、それは当然いるのだろう。単独で言語を習得する種族というのはいない。言語とは、他者とのコミュニケーションに使うものだ。つまり、こんな存在が、少なくとも種を維持するほどの数。
ぞっとした。仮にそいつらが一斉にアース上に現れた場合、自分たちではもうどうする事もできない。
知性があり、計画的に人を殺戮する巨大な生き物が大量に現れるなど、悪夢に等しい。こちらは対抗手段が7名と限定されているのだ。しかも、この強さ。7人がかりでも倒せるかどうか怪しいこの存在が、まだ沢山いる。
『棲み分けはできませんか。こちらはそちらに干渉しない。そちらもこちらの領域を脅かさない。そうすれば、ある程度は共存できる可能性があると思いますが』
苦し紛れの提案だ。実際に大量にこんなものが現れた場合、まず間違いなく資源は枯渇する。この竜、一体どれだけの量の食事を必要とするのか。
『何故、吾らが汝らに配慮せねばならぬ。元々この地は吾らのものだ』
『それは、遥か昔の話でしょう。今は我々にも生きる権利があって然るべきです』
あたりをつけて言ってみた。恐竜だ。
元は彼らの地だった、というのであれば、それしか考えられない。
こんな異形の恐竜など、化石にすら残っていないのだが、一体全体どうやってこの現代に現れたのか。しかも、尖兵だと言って知性の無い恐竜をけしかけて。
『そんな事は知らぬ。だが、そうだな。汝ら、先程の力。仲間であろう。汝らだけは、吾らが苗床として残してやろう。吾が仔を孕む為のな』
何を言い出すのだ、こいつ。人が竜の仔を孕めると……いや、待てよ。
記憶が蘇る。最初の竜、市役所での鳥モドキ。それから、『ジャック』との面会。
まさか、そんな事が。
『あなたがたには雌がいないのですか。何らかの生殖異常ですか?』
まだだ、まだ情報を引き出せ。わからないことが沢山ある。
『答える必要を感じぬ。だが、理屈は分かった。まさかじじいの種が、尖兵を殺していたとはな。だが、それも今日で終わりだ。吾はこの地から、汝らに姿の似た種族、全てを駆逐する。汝らも吾に従え』
どうやら交渉決裂のようだ。竜はこちらを無視して、ハイウェイを通ろうと足を踏み出した。生かせるわけにはいかない。連合王国語で、二人に呼びかける。
『交渉決裂です、この竜は、侵略者です!』
『わかっていたさ!』
『だが、時間稼ぎにはなったな!』
通り過ぎようとする竜の前に立ちふさがる。散開した二人が、その死角、左右の後方に陣取って囲む。大きな竜に、小さな包囲。全力で走られれば抜けられてしまうだろう。
竜はこちらを何の感情も無い目で睥睨し、動きを止めた。爬虫類とは少し違う瞳孔が、冷たくこちらを刺し貫く。
『何のつもりだ。汝らは生かしてやろうというのだ。尖兵を殺したとて罪は問わぬ。大人しく他を滅ぼす手助けをせよ』
『同種が殺されるのを黙ってみているわけにはいきません。この先に進みたいのならば、私たちを殺してから進めば良いでしょう』
殺してみろ。そうすれば、お前たちの繁殖の手はなくなる。そう、脅したつもりだった。だが。
『ぐっぐっ、汝らごときで吾を止める事などできぬ。別に、汝らを蹴散らして進んでも構わぬのだぞ。ほれ、どうせ傷などすぐに治ってしまうであろう』
知っていた。恐らくそうなのだろうと。だが、それでも引くわけにはいかない。自分たちは竜ではなく、人だ。
『だったら、そうすれば良いじゃないですか。私たちは、絶対にあなたの苗床なんかにはなりません!』
『ゾーン』一步手前まで再び集中力を引き上げる。いつでも限界突破が可能な状態で、目に力を入れて威嚇する。
『そうか、では、そうさせてもらおう』
再び必殺の尾撃が放たれる。だが、それはさっき見た。
縦に振るわれた破壊の一撃を、瞬発力だけでもって前進、竜の内側に回避する。背後では打ち付けられたハイウェイのアスファルトが、無惨に砕け散って黒い灰を巻き上げる。
そのまま股下を通り抜ける途中、上部を斬り裂いてから通り過ぎる。
鳥モドキやジャックの時に見た生殖器は、蛇のような半陰茎ではなかった。だが、どうやら通常時は体内に仕舞われているのだろう。お礼ついでに切り取ってやろうかと思ったが、それは叶わなかった。
渾身の大太刀の一撃とは言え、この巨大な竜にはあまり効果が無かったようだ。鮮血は飛び散ったものの、それで動じた様子は無い。
こちらの攻撃と同時に、フレデリカがその身の軽さを武器に、竜の背中を駆け上がっていた。こちらに注意を向けさせて、フレデリカで動きを止める。例えそこでトドメを刺せなくとも、自分たちにはまだ後詰めがいる。
こちらの意図を理解したルフィナが、竜の動こうとする先々に鉄球を振り回す。一撃一撃は有効なダメージとは言い難いが、衝撃で一々行動を阻害されるため、竜は鬱陶しそうに尾を振り回す。
あの尾だ。あれがある以上、内側にいるこちらよりも、外にいる二人の方が危険度が高い。
可動範囲を見てみると、中に骨が入っているのか、そこまで縦横無尽に振り回せるようではないようだ。効果範囲は背面全方向に、前は200度までが限界のようだ。つまり、背後よりも正面にいたほうが避けやすい。
ルフィナは巧みに鎖と鉄球を操り、どうにかその尾の攻撃を回避し続けている。流石に慣れてきたのだろうが、恐ろしい集中力だ。あまり長く続けられるとは思わない方が良いだろう。
こちらも効果の薄い下からの攻撃は諦め。動き回る尻尾にタイミング良く飛び乗って、逆立つ鱗上になった鎧の上を駆け上がる。これは装甲なのだろうが、掴まれる突起が多くて足場としては優秀だ。
下からの攻撃が無くなった事に気がついた竜が、その巨大な身体を揺する。振り落とされまいと突起を掴み、アクロバティックに跳び上がりながら大きな山を上っていく。
それにしてもでかい。
知性のある生物がここまで大きく成長できるというのは、生物学会から見れば垂涎の研究素材だろう。これは、種としての特異性だけでなく、もっと何か別の要因が関連しているのではないだろうか。
ごつごつした背中を上っていくと、頭部の背後、丁度竜の死角となっている場所に捕まっているフレデリカを発見した。機を見てこの竜の動きを止める腹積もりだったようだ。
目で彼女に合図をすると、金髪の麗人は頷いて細剣を持った腕を引いた。
狙いを定めて、彼女は竜の後頭部に思い切り細剣を根本まで突き刺した。頭蓋骨を貫通したわけではない。恐らく、骨の継目を狙って正確に間を通したのだろう。初めて見る個体に対して、恐るべき観察力だ。
びくりと一瞬竜が痙攣し、その動きを硬直させる。同時に前方に飛び出して、一番柔らかそうな首の付け根に、思い切り大太刀を振り下ろした。
結論から言えば、刃は通った。通ったのだが。
(でかすぎる!)
当然、切断には至らない。即座に反対側に回り込み、再び刃を振るった時、全身に衝撃が走った。
一瞬目の前が暗転し、気がついた時には地面に倒れ伏していた。アスファルトの上でなかったのが幸いし、気を失っていたのは僅かな時間だけだったようだ。
『ミサキ!』
声がしたので見上げると、目の前には巨大な竜の足の裏。
鋭い鉤爪が生えた四本指のそれが、目前に迫ってくる。
全力を振り絞ってその場から転がり出す。物凄い振動と衝撃と共に、土の塊が周囲に吹き上がる。ただの踏みつけだが、この重量でやられるととんでもない。まるで近くで大地震が発生したかのようだ。
転がって逃げた場所に、再び即死の鉄槌が振り下ろされる。転がっていては同じことの繰り返しだ。膝を曲げて地面を蹴り、一気にその場から抜け出した。
『大丈夫か、ミサキ』
『問題ありません。少し身体を打っただけです』
痛みは随所に残っているものの、動くにはまだ問題ない。大太刀を手放してしまった為丸腰になったが、身体は動く。
一体何で打ち据えられたのか、と思ったが、竜を見上げて納得した。翼だ。
頭上には尾は届かないだろうと思ったのだが、こいつには別の稼働部位があった。恐らく、ハエを打ち落とすかの如くに翼で薙ぎ払われたのだ。
視線を周囲に巡らせると、少し離れた所に武器が落ちている。拾いに行っても良いが、今この竜はそれを狙っている。敢えて攻撃してこないのはそのせいだ。
『吾に二度も手傷を負わせるとは。少々仕置きが必要なようだな』
『次はその素っ首、斬り落とします』
『やってみろ、できるものならな』
最初につけた足の傷は既に完治してしまっている。やはり、他の竜とは段違いの再生力だ。Gクラスの時もそうだったが、一撃で即死させないとキリがない。やはり、使うしか手はなさそうだ。
『フレデリカ、二度目は』
『難しいだろうね。君の話が本当なら』
知性がある。二度目は通用しないと言いたいのだろう。こちらと同じだ。
取れる手段が極端に減ってしまった。あの手しか残されていないが、今の不完全な状態では、上手くいくかどうか怪しい。せめて、四人が戻ってきてくれれば。
吹き飛ばされた四人の様子は見られていない。まさか死んだ、という事は無いだろうが、これだけ治癒に時間がかかっているとなると、相当の痛手を負わされたという事になる。
あの質量と速度の一撃だ。巨大なダンプカーが激突してきたよりも、まだ大きな衝撃だろう。もしかしたら、戻って来られないかもしれない。
『フレデリカ、ルフィナの牽制があるうちに、切り札を使います。制限時間は15分が限界です。それ以降は戦力になれません』
『例のあれか。わかった。何をすればいい?』
『合図したら、私の武器を拾って投げて下さい』
徒手空拳でそびえ立つ暴竜に対峙する。半身に構えたこちらに、竜は意外そうに言った。
『棒っ切れを拾わないのか』
『あなたなんて素手で十分です』
『抜かすな』
直後、尾の一撃が飛んでくる。集中度合いを限界突破し、唐突にゆっくりになった世界の中、振り下ろされる巨大質量を見た。
人一人殺すには大きすぎる、無駄の多い一撃。当たればぺちゃんこだろう。だが、当たらなければ良いのである。
余波まで計算して、ギリギリの位置に避ける。大地を叩いた尾に飛び上がり、戻ろうとする力を利用して、跳躍力へと変える。
再び飛びかかったこちらに、少し動揺を見せた竜は前脚を向ける。こちらは空中で動きの制御のしようがない。だが、脇あいから飛んできた棘鉄球が前脚の手首にあたる部分を打ち据えて軌道を変える。
死の手をすり抜けて、再び竜の背中に舞い戻る。ここは死角になるが、厄介なものを先に始末しておく必要があるだろう。
『フレデリカ!』
『受け取れ!ミサキ!』
真っ直ぐに飛んできたそれを迷いなく掴み取り、はためくようにこちらを打ち据えようとしている翼に振り上げる。
『飛べない翼など、無駄でしょう。軽くしてあげましょう』
隅についた鉤爪を斬り飛ばし、今度はその根本に向かって飛び降りる。
落下の力と渾身の膂力でもって、上段から一気に刃を振り下ろした。
ばつん、と、意外に軽快な音とともに、頑丈な筋肉に支えられていた翼が落ちていく。
竜の驚愕の絶叫を無視して、反対側にもその刃を振り下ろした。
落下の力が無かったため、刃は途中で止まってしまった。力の度合いを強め、そこから強引に、純粋に、力のみで押し切る。
「おおおおおおおッ!」
裂帛の気合と共に振り抜いた刃で、異形を異形たらしめる象徴の両翼を斬り飛ばした。
こいつも竜だ、いずれこの翼も再生する。だが、今すぐにとはいかないだろう。これで下準備は整った。
こちらの意図を悟った異形は、その場で激しく暴れ始めた。こちらを振り落とそうとする意図に加えて、地上にいる二人も巻き込んで踏み潰そうというつもりだ。
ロデオなら何度もやっている。竜の背中に乗るのは初めてではない。ましてや今は『ゾーン』の最中だ。
その場で軽くステップを踏みながら、少しずつ背中を上っていく。いつの間にか周辺にはいくつかドローンが飛んでおり、こちらの戦闘の様子を観察しているようだ。
殆どは央華の軍が持っていた偵察用のものだが、その中に一つ、違ったものが見える。
だが、まだその時ではない。さして苦もなく竜の首元に到達し、先程斬りつけた傷跡にもう一度、遠心力を乗せて回転斬りを放った。
硬い背中側を避けるようにして首に食い込んだ刃は、その太い首の三分の一ほどまで埋まり、ばきんと少し嫌な音がした。
構わず力を込めると、びしりと音がして、金属部分にヒビが入っていく。まずい、これは、武器がもたなかった。
新調されて間もない武器ではあるものの、その材質は通常の鋼鉄だと思われる。
今まで全力で振り回してもびくともしなかったものだが、この竜のあまりの硬さに刀身が耐えきれなくなったのか。
びしびしと刃が割れ、食い込んだ刀はその場で止まった。恐らく、芯を残して中で粉々になってしまっている。
『ぐおおおおおお!』
流石に痛みを感じたのか、異形の竜が暴れ具合を酷くする。周囲には粉塵が、砂塵が、灰が、土砂が巻き上がり、視界が遮られる。
まずい、手がなくなった。
このまま『ゾーン』を維持していても、この竜にトドメを刺せる武器が無い。どうする、切るか。だが、反動の無い十数秒の期間はとうに過ぎている。今この集中を切らせば、間違いなく自分は暫く戦闘不能になってしまう。フレデリカと、ルフィナだけでは。
『やかましいんだよ!このクソトカゲもどきが!』
『暴れすぎだぞ!ちょっと静かにしてろぉ!』
足下で怒鳴り声が聞こえたと同時に、ずんと大きな衝撃が走る。
『ミサキさん!離れてください!』
妙に聞き慣れた男の声が聞こえた。慌てて竜の顔面から離れると、近くに飛んできたドローンが、赤いカプセル状のものを投下した。
それは竜の鼻先にこつんとおちて、同時に赤い粉塵を周辺に撒き散らす。何かが腐ったような、それでいて酸っぱいような、独特な臭いが鼻を刺す。
『がああっ!これ、これは、クラメアの種かっ!小賢しい!』
粉塵をまともに吸い込んだ竜は、苦痛に身悶えて首を捩る。暴れようともがいているが、どうやら足下が叩き潰されたらしく、竜の動きは鈍い。ゆっくりとその首が下がっていく。
『ジュエさん!』
『はああああっ!』
下から閃光が閃いた。
突き抜けるようにして、黒い閃光が竜の首を三分の一ほど抉り取り、上方へ抜けていく。
メイユィの突きは、こちらの抉った反対側を貫通した。だが、だがまだ、竜の首は繋がっている。
『ミサキ!こいつを使え!』
砂塵と赤い粉塵の舞う中、その闇を切り裂いて回転する刃が飛んできた。
しっかりと柄を握る。これは、ゲルトルーデの大剣。
迷わずそれを、メイユィの抉った傷跡に叩き込んだ。
全力で打ち込まれた刃は、剥き出しになった竜の筋を経ち、肉を斬り裂いていく。だが、最後の最後、ガキンという衝撃と共に刃が止まった。首の、骨。
思い切り踏ん張ってみるものの、どう足掻いてもそれ以上刃は進まない。どうする、どうする。あと少し、皆が戻ってきて、後少しで終わるのに。
『ミサキ!トドメだ!』
フレデリカの声が聞こえ、再び粉塵を斬り裂いて何かが飛んできた。回転するそれを受け取って、納得した。そうか、これならば。
飛んできたのはロロの使っていた巨大なハンマー。柄のギミックを稼働して長さを伸ばすと、思い切り、頭の上で振り回した。
「終わりだ!古代の異形!」
遠心力を乗せたその一撃を、骨に食い込んだ大剣に向かって叩き込む。
金属のぶつかり合う凄まじいインパクト音と共に、激しい衝撃が竜の首を揺らす。
骨に食い込んでいた大剣は、巨大な鉄槌の後押しを受けて、漸くその異常に硬い骨を肉体から切り離した。
ぶちぶちと残された筋の千切れる音と共に、重量のある頭がゆっくりと垂れ下がっていく。
踏み砕かれて粉々になったアスファルトの上、どちゃりとそれが下に落ち、遅れてガランと二本の剣が隣に転がった。
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