第94話 カナリア
何故だか未だ暑い日が続く。
もう秋も半ばだというのに、日中は冷房が欲しい程の陽気が、憎らしいほどに昼日向に降り注いでいる。
秋晴れというには暑すぎるその滑走路上、暑苦しいコートを身に纏ったまま、超音速輸送機、HC-1、通称『紫電』の発進を待っている。
『また央華なの……』
『そのようですね。でも、今回は全員一緒です』
二人が後部座席で会話をしている。
口調こそいつもと変わらないが、どことなくその会話には緊張感が張り詰めている。
そう、全員一緒。我々三人だけではなく、アトランティックの面々に加えて、今回は連邦の駆逐者も呼び寄せているという話だ。
そこまでせねばならない新古生物の発生、という事である。
この話が舞い込んできたのは、いつものオオイから、ではなく、央華にパイプのあるサカキからだった。
「Gクラス、ですか?一体だけ?」
「Gクラスというのは、便宜上そう呼ぶしか無いという事だそうで」
オオイと一緒に地下に駆け込んできたサカキが、忙しなく視線を動かしながら言っている。何故かこちらと視線を合わせようとしない。
「つまり、既存以上の大きさだと?それは……」
現状のGクラス1体であれば、無傷とはいかないまでも、三人いればどうにか鎮圧できる。だがそれ以上、となると。
「私も最初は耳を疑いましたが……央華からドローンの現場映像が送られてきました。確かに今までに見たことの無いサイズで」
取り敢えず着替えて集まりはしたものの、オオイの歯切れは非常に悪い。どういう事だろうか。
「故に、今回は全員で鎮圧に当たることになりました。アトランティックにも連絡を取って、連邦のルフィナ・ナザロヴァも合流します」
文字通り、全員集合、というわけだ。そこまでしなければならないという事は、あちらが承諾した事を考えても余程の事だ。
「参考の為、概算のサイズを聞いても良いですか」
二人は顔を見合わせて僅かに躊躇したが、オオイが意を決したように忌まわしい現実を告げる。
「サカキさんから貰った映像から出した概算ですが、近くの建造物との比較から、体高およそ15メートル。全長は25メートル以上はありそうです」
一旦冷静になって、その大きさを想像してみた。
一般的な五階建てのビルの高さが丁度それぐらいだ。25メートルと言えば、身近な長さで言えば、ジムにあるプールの一辺。
「……それ、本当に獣脚類ですか?サイズ的に竜脚類では?」
最大級、と言われる獣脚類で、その全長は概ね12メートル程度だと言われている。その倍。おかしいだろう。そんな化石は発見されていないぞ。
これが竜脚類であればわかる。巨大化した草食恐竜は見上げるほどの大きさで、全長がそれぐらいあるものの化石も発見されている。最大のものであれば40メートルはあると言われているが、それとて一部の骨が見つかっているだけで本当だかどうだかわからない。
「見た目は完全に獣脚類です。いえ、完全に、というのはおかしいですか。その……これを言って良いのでしょうか」
何だ。オオイにしては珍しく、先程から歯切れが悪すぎる。
「その、恐竜、というよりも、そのまま、竜、いわゆる伝説上のドラゴンに近い形状をしていて」
「はあ?」
ドラゴン。あれだ、財宝を貯め込んでご満悦のトカゲの王様。口から火を吐き、伝説の剣で退治されたりするあれ。
「いえ、大型の獣脚類らしく、頭部は相応に巨大です。ですが、
意味がわからない。
大きさが竜脚類、装甲が装盾類、翼竜類の翼を持っている獣脚類って。
「それは、本当に、恐竜なのですか?」
「わかりません。ですが、竜災害なのは間違いありません。出現地点は……央華の北東部、先日発生した竜災害地点のすぐ近くです。周辺の都市は」
そこでオオイは再び言葉を切った。
「全滅です。生存者は絶望的だと。出現地点の半径20キロメートル範囲で、逃げ切れた人間の存在はありません」
なんだ、それ。
一人も?
生存者ゼロ?そんな馬鹿な。
「そ、そんな。一人ぐらいは」
真っ青になったメイユィが聞き返すが、オオイは頭を振った。
「いません、発生が分かってからすぐに現地で退避命令は出されたようですが……何故かその竜は、一人残らず、逃げる人間から根絶やしにしたそうです。復活した直後の通信と、複数のドローンで現場の確認がされましたが……」
化け物だ。そんなもの、アース上に存在して良い生き物だとは思えない。
「その、根絶やしって。どうしてその竜はそこまで?」
「わかりません。何も分かっていません。建造物は根こそぎ破壊され、動いている人の影はありませんでした。発生から1時間半経過していますが、現場は徹底的に破壊し尽くされています」
何もかも意味不明だ。
異常な大きさ、異様な形状、異質な行動。今までの竜災害とは全く違う。
「兎に角、全員で事に当たるしか……今のところ竜は20キロメートルの行動半径から出ていませんが、あれが移動を始めた場合」
壊滅だ。通った都市が全て蹂躙される。
今まで発生した恐竜達は、一定以上の範囲を移動したという事が確認されていない。だが、今回もそうだとは限らない。
何もかも異常なのだ。今までと同じと考えるのは正常性バイアスだ。思い込みは大きな間違いを犯す。
「合流地点はキンヤンの空港です。キンヤンには戒厳令が敷かれていますが、我々だけ、空港の使用を許可されています」
「避難は?」
「戒厳令です。外出の禁止です。民間人が迂闊に外出すれば、下手をすれば射殺されます」
そんな。
近くに災害が発生しているというのに、逃げられない?ワンは一体何を考えている?
「今回は我々も皆さんの支援として現地へ向かいます。超音速機は使えないので、到着は少し遅れるかもしれませんが」
オオイを含む防衛隊員、そして恐らく、マツバラ達研究者もやってくるだろう。
前代未聞の恐竜を調べたい、というだけではない。それはつまり、我々が負傷する可能性を考慮しての話だ。
滑走路へと向かいながら、死地に飛び込む兵士の気分になった。
流石に央華の北東部は近い。通常の航空機でもそれほど時間はかからないが、超音速機であればあっという間だ。
タラップを使用して滑走路に降り立ったものの、やはり他に離陸準備をしている機体は見当たらない。竜災害の発生直後に、離陸も着陸も全てキャンセルされたのだろう。
やってくる方を制限するのは分かる。わざわざ危険な所に人を呼び込む必要は無いし、誰だってとんでもない怪物が闊歩している地域になど足を踏み入れたくは無いだろう。
だが、戒厳令のせいで、この都市にいる人々は逃げ出すことも禁止されている。もしも恐竜のようなものがこちらに向かって侵攻を開始した場合、この央華最大級の街は全滅する。無論、我々がどうにか処理できればそれは無いが……。
航空機の出入りが無い為良かろうと、滑走路から空港建造物に向かって歩き出すと、向こうからマイクロバスがやってきた。恐らくこちらの送迎なのであろう。
バスから降りてきたのは央華人民軍の制服を着た三人と、もう一人。以前にここで見た顔だ。
『リウさん、リウ・ハオランさんではないですか。国務院の方が何故、ここに?』
メイユィを連れ戻す時、サカキに色々と便宜を図ってくれた青年だ。彼と同窓の学士であり、国務院からこちらに情報を流してくれた人でもある。
「ああ、ヒノモト語で結構ですよ。ジェシカちゃんがわからないでしょうから。いやあ、迎えに縁のある人を使えという主席直々のお達しなんですが、リーさんが嫌がっちゃって」
「あぁ……それは、嫌がるでしょうね」
彼女は散々こちらに脅されている。二度と関わりたくないと思ったのは想像に難くない。
「あっ!シュウトさんのお友達の人。こ、こんにちは」
「やあ、メイユィちゃん。もう怪我治ったんだね、すごいなぁ。まだ一ヶ月も経ってないよ」
「う、うん。ヒトミが一生懸命治してくれて。あっ、ヒトミっていうのはお医者さんで」
「あぁ、分かってるよ、シュウトから聞いてるからね。あいつ、女の子に興味無いみたいな顔してて、ちゃっかりしてるなあ」
彼がどこまで知っているのかは分からないが、サカキがある程度こちらの情報も流しているのだろう。いくら友人だからと言って、情報が一方通行というのは具合が悪い。
央華の人というのは、基本的に他人には冷たいものの、一度仲間だと認識すれば極めて親密に、親切になる。彼とサカキの仲というのも、口調を見る限りその親密さを推し量れるというものだ。
「ハオラン、以前はお世話になりました。アトランティックの人たちはまだですか?」
ジェシカがそわそわとしているが、残り四人の移動距離を考えれば、到着はまだ少し先だろうという事は容易に分かる。それでも聞いているのは、どうしても落ち着かない彼女の感情の表れだろう。
「まだですね。空港のラウンジに移動しましょう。外はまだ暑いですから。全く、10月だというのにどうなってるんでしょうねえ」
異常気象、というわけではないだろう。多少暑い日が長く続くというのは過去にも何度かあった。ただ、今年は全体的に猛暑が続いたため、体感でそのように感じるだけではないだろうか。
彼の後ろをついて歩き出す。央華のキンヤンは一応温帯に属しており、夏はそこそこ暑く、冬はかなり寒い。
央華の国土は広く、熱帯から寒温帯まで広く気候が分布しているのだが、この辺りは比較的ヒノモトに近い。彼が10月なのに暑いと言ったのは、この地は早めに秋が来る事が多い為だ。
実際、まだ日なたにいると汗ばむほどの陽気が継続しており、猛暑とまではいかないものの、日中はヒノモトの基準で真夏日と言えるような気温が続いている。
連れられて来た空港のラウンジには人気が無く、照明も殆どが落とされている。
遠くで人が作業をしているような気配はあるものの、当然ながら客はゼロだ。旅客機の離着陸が無く、街は外出禁止の戒厳令なので当然だと言える。
重たい武器をテーブルの脇に置き、椅子に座って一息ついた。空調は稼働しているらしく、室内はどこかひんやりとしている。ハオランが厨房から、飲み物を入れたグラスを持ってきてくれた。
「ハオランさん、ハオランさんは今回現れた竜の姿は見たの?」
四人がけのテーブル、こちらとは別の卓についているハオランに向かって、メイユィが問いかける。聞くまでもないとは思うのだが、彼女も何となく場が持たないと感じたのだろう。
「見ました。最初は特撮映画か何かだと思いましたよ。流石にあんな生物は見たことが無いです」
生物、というか、恐竜自体が一般人にはどれも初めて見るものだろう。
図鑑に載っている絵やネットに転がっているコンピュータグラフィックス、博物館にある再現された恐竜というのは、あくまでも肉付けを施した想像の産物である。
色がどうだったかとか、発見されていない皮膚の形状だとかは、恐らくこうだったのだろう、という想像に任せて再現するしかない。
実際に今までに屠ってきた恐竜の中には、その再現に近いものもあれば、形状から色から、全く何もかも見たことの無いものが殆どだった。最初に見た羽毛の生えた鳥モドキにしたって、そうだと言われなければ恐竜だとすら思わなかった。
「それにしても、25メートルとは……大きすぎます」
「そうですね、今までのGクラスの倍以上です」
ジェシカの感想に答えはしたが、勝てるだろうか、という言葉を必死で飲み込んだ。ハオランや人民軍の人間を不安にさせるわけにはいけない。勝てるかどうか、ではない。勝たなくてはならないのだ。
「7人でやるんでしょ?大丈夫だよ、きっと」
こちらの不安を察知したメイユィが、彼女自身にも言い聞かせるようにして言った。
確かにこちらは総力戦だ。ヒノモトからも研究者や医者がやってくるし、恐らくドローンでの支援も期待できる。そもそもこれに敗北すれば人類は終わりだ。今までもそうだったが、予備案の全く無い、常に崖っぷちの戦いである事に変わりはない。
じりじりと時間が過ぎていく中、滑走路に向かってガラス張りになっているラウンジの窓から外を見ていると、見たことのない形状の戦闘機が着陸するのが見えた。
「あれは……?」
戦闘機だ。一応武装はしているようだが、胸に抱いているのはミサイルではなくて白いポッドのようなもの。何かを輸送してきた、のだと思われる。
「友軍の到着です。流石に早いですね」
と、言うことは、あれが連邦の駆逐者の足という事だろう。なるほど、単独であればああいった戦闘機での移動も可能となるようだ。
そういえばメイユィも、ヒノモトから央華に戻る時は戦闘機で帰ったと言っていた。旅客機や輸送機を使うよりも、その方が早いのは早い。
「迎えに行きましょう!早く会ってみたいです!」
ジェシカが立ち上がった。こちらも全く同感なので、さっき来た通路を早足で戻る。今度はハオランが追いかけるような形になって、後ろからついてきている。
滑走路に出て、隅っこに停まっていた戦闘機に向かって駆け出す。というか、ジェシカが駆け出したので仕方なく追いかけているだけだ。
戦闘機の近くには、柄の先にどでかい棘付き鉄球をつけたような武器を持った、長く色素の薄い金髪の白い少女が立ち、きょろきょろと辺りを見回している。
間違いない。直感で分かる。彼女は駆逐者だ。
スビンの時には感じなかった、どこか同類を匂わせる空気。
圧倒的な破壊力を発揮するだろう、その小さな体に似合わないほど大きな武器も、我々とそっくりだ。
彼女は駆け寄っていくこちらに気が付き、彼女の方もまた、こちらに向かってゆっくりと歩き始めた。
お互いの距離はあっという間に縮み、一番乗りになったジェシカが、いきなり彼女に抱きついた。
『ヘイ!連邦の駆逐者もクソカワイイな!ヨロシク!俺はジェシカ!』
早い巻き舌で自己紹介された彼女は、若干戸惑っているようだ。遅れて追いついたこちらに向かって、助け舟を求めるような視線を向けている。
『ジェシカ、いきなり抱きついては失礼ですよ、ここは合衆国ではないのですから。初めまして、ルフィナ・ナザロヴァさんですよね?私はミサキ・カラスマ。そっちの抱きついたのが合衆国出身のジェシカ・サンダーバードで、こっちが央華のジュエ・メイユィです』
『メイユィだよ!よろしくね!ルフィナ!』
いきなり気安い二人に驚いたようだったが、それでも彼女、ルフィナは薄く微笑んで頷いた。
『ルフィナ・ナザロヴァだ。フレデリカに聞いていた通り、二人とも元気だな。お前がミサキか。彼女が随分と買っていたが、なるほど。それがお前の武器か』
背負ったこちらの大太刀を見て、白装束の少女は言う。
『ええ、そうです。騒々しくてすみません。フレデリカ達はまだですので、一旦ラウンジで待ちましょう。こちらは連邦と違って暑いでしょう?』
『そうだな。連邦でも地域によっては暑い日はあるが、この間行ったプタハには参った。砂漠があんなに暑いとは』
『ああ、30体規模の大群だったとか。大変お疲れ様でした。今回も厳しい戦いになりそうですので、無駄な体力を使わないよう、冷たい飲み物でもいただきましょう』
彼女は軍人のように無骨な話し方をするが、当たりは比較的柔らかい。何となく、駆逐者同士というのは仲間意識が生まれやすいものだ。ジェシカの不躾な態度にも、あまり気を悪くしたようには見えなかった。
やっとの事で追いついてきたハオランと軍の人たちは、今度は再びラウンジに逆戻りである。もう、出迎えは自分たちだけで良いのではないだろうか。
提供された柑橘のジュースを、ストローで美味しそうに吸っているルフィナを見る。
身長はメイユィと同じぐらいだろうか。少し小柄だが、脇に置いてある彼女の得物はバカでかい鉄球だ。この点、ロロやメイユィと同じで、扱う武器が見た目によらぬというのは駆逐者の常である。
細くて色の薄い金髪はサラサラとしていて長く、透き通るような色白の肌と、バランス良く整った顔の造作は、目を奪われる程の美貌である。
大きな瞳に長い睫毛、ルーシ人らしく凹凸のはっきりとした顔立ちは、身長から来る幼さを跳ね返すような、どこか深くに大人の風貌を覗かせている。
こちらの視線に気がついた彼女は、何だ、という風に小首をかしげた。何気ない動作が非常に美しい。
『ルフィナは棘付き鉄球を使うと聞きましたが、その武器、鎖がついているのですか?』
彼女の脇にどんとおいてある黒い破壊の象徴を見る。見れば見るほどに凶悪な造形をしている。全てを叩き潰す、暴力の権化。
『これか、そうだ。柄の中に二重の鎖が巻いて仕舞われている』
中に螺旋軸のようなものが入っているのだろうか。構造は不明だが、つまりこれは遠距離投擲武器のようなものなのだろう。頭の大きさは比較にならないが、ヒノモトで言う、鎖付き分銅のようなものだ。
『どうしてそのような扱いの難しそうな武器を?』
自分の場合は鉄パイプや鉄骨を竜に叩きつけていたからで、ジェシカは素手で、メイユィは槍で最初の竜を屠っている。彼女にも何かそういった逸話があるのだろうか。
『最初にな、竜と戦った時なんだが、そこらへんにあった石やら何やらをぶつけて殺したんだ。それで、投げるのであれば回収の楽な鎖付きにしてはどうか、となったらしい』
『なるほど、それで。しかし、投擲武器で竜を殺すというのもすごいですね。私もバス停なんかを投げてぶつけたことはありましたが、殆ど効いていませんでしたし』
サクラダで、遠心力をつけて投擲したコンクリートの塊は、竜を怯ませはするものの、倒すまでには至らなかった。
『バス停?そんなものを投げたのか?ミサキは変わったことをするのだな。私の場合、投げてぶつけたのは砲弾だ』
『砲弾!?』
なんで砲弾がそこらへんに転がっているのだ。一体どういう状況で竜と対峙したのだろうか。
『最初は石をぶつけていたが、うるさがるばかりであまり効果がなかったのだ。そこで、鎮圧に来て返り討ちにされた装甲車が転がっていたから、そこの壊れた弾倉から拝借して投げた。金属の塊だからな、それで5体ぐらい倒した』
聞けば、今の身体になった後、為政者から身を隠すために、彼女の母と一緒に田舎町へと移動したのだという。
折り悪くそこで竜災害が発生し、隠れていたものの、やってきた軍はたった五体のSクラスに壊滅させられ、母の身に危険が及びそうになった為、必死で竜と戦ったのだという。
『すげえな。砲弾って。兵器は効かねえんじゃなかったのか?』
ジェシカが感嘆の声を漏らす。そうだ、何故か現代兵器は一切通用しない。しかし、彼女の投げた砲弾は効果を発揮したというのだが。
『わからない。ただ、そういえば弾頭の爆発よりも、ぶつかった時の衝撃で死んでいたような気がしたな。単純に硬いものをぶつけられて死んだのだろう』
『へー、そうなんだ。相変わらず、竜の防御は謎だね』
自分達が竜を攻撃する際、どういった理由でその防御構造を無視しているのかは分かっていない。ただ、防御構造についてはある程度解析が進んでいるらしい。
例の生体、『ジャック』から得られたもののようだが、どうやら単純にバリアのようなもので防いでいるわけではない、という事だ。
ではどうなのかと言えば、これもよくわからないのだが、『攻撃そのものが届いていない』のである。
物理現象に関してはある程度受け付けているようなのだが、ある一定の機構、例えば拳銃であれば、トリガーを引き、撃鉄が動き、弾丸の火薬を叩くといった機構そのものが、連中に攻撃を届かなくさせているのだ、というのである。
であれば、ボウガンのようなものはどうだ、はたまた弓矢のようなものではどうか、と続けてみた所、どうやら金属で直接殴る、といった原始的な方法であれば、通常の物理現象として新古生物に影響を与えうる、という話だった。
だが、そもそもその理屈自体がわかっていない。
そういった機構、所謂人間の積み重ねてきた文明の証とでも言うか、それがどうして通用しないのか、どのようにして攻撃を届かなくしているのか、までは分かっていない。
極論すれば、通常の人間であっても固くて重たい武器で思い切りぶっ叩けば、我々駆逐者と同じ様にダメージを通すことができる。だが、高速で動き回る竜相手に、その硬い表皮を切り裂き、抉り、叩き潰せる程の力を出せるとなれば、それはもう既に人間には無理だ。結局、駆逐者のみが恐竜に対抗できる、という現実は変わっていない。
同様に化学物質によるもの、細菌やウィルスによるものも同じである。
毒は同じ様に届かず、微生物も既存のもの、かつ人間にある程度安全性が認められているもので効果のあるものはない。迂闊に撒き散らせば人類にも影響のあるものは試せないため、これは核兵器も同じだ。
だが、多分核兵器は効果が無いと思われる。核をぶつけるには、ミサイルや臨界状態にするための機構というものが必要となり、それが恐らく攻撃を無効化される引き金になっている。
そもそも核大国である合衆国や連邦が、こっそりと試していないはずがない。情報統制されているにしても、核を使おうという話がこれっぽっちも出てきていない時点でお察しくださいである。
『ところで、どうしてルフィナはその書記長?から逃げてたの?記憶を失うまでもモスコーにいたんだよね?』
彼女はそこで少し口ごもった。こちらではなく、ちらちらと近くにいるハオランの方を気にしている。
「あー、すいません!ちょっと大切な手続きがあるのを忘れていました!少し席を外しますね!移動用のトラックは駐車場で待機していますので、皆さん揃ったら出発して頂いて結構です!」
察した彼は人民軍の人間を引き連れて、空港のエントランスの方へと走っていった。割と気の利く男である。
彼が見えなくなってから、ルフィナはぼそぼそとその身の上の話を始めた。
『私は、その書記長の娘なんだ』
彼女の言ったことが理解できずに、こちらは三人とも固まる。
娘?書記長の?駆逐者である彼女が?
『母は、モスコーでの彼の妾の一人だった。普通、妾が妊娠した場合は、書記長からの寵愛を受けられなくなる事を恐れて、中絶する事が殆どらしい。だが、母は私を産んだ。その事で妾の身分から外され、政治的に利用される事の無いよう、監視下に置かれていたんだ』
それはまた。英雄色を好むというが、彼が英雄かどうかは兎も角、色を好む性質ではあったようだ。
しかし、その話が本当であれば、彼女は国のトップの大切な娘ではないか。政治的なものは兎も角として、何故逃げる必要があったのか。
『28のその日まで、私は母と一緒に慎ましく暮らしていた、らしい。けれどある日、唐突に記憶を失い、若返ってこの身体になった。母は大変驚いていたが、変わらず愛情を注いでくれた。外に出る時も、顔を隠していればそう不便な事は無かった。だが』
駆逐者の特徴と一致する。記憶喪失、若い女性への転換。ただ、彼女の場合はフレデリカと同じく身元がはっきりとしており、きちんとした肉親がいる。
『しばらくそうやって生活していたが、ある日、国内に通達が出た。記憶を失った若い女性がいれば申し出るようにと』
なるほど、他の駆逐者が表沙汰になった辺りだ。広い国土を持つ連邦が、国内に同じ存在がいないかどうか探すのは当然だろう。それは基本的に、殆どの国で捜索がなされた。自分のように動画を公開されて見つかった例というのは稀だ。
『母は私が見つかることを恐れた。当時、母は駆逐者というものが存在するという事を知らなかった。なので……単純に過去の再来になるのではと恐れたのだ』
『過去の再来?』
ルフィナはまた少し押し黙った。あまり言いたくない事なのだろう。
言いたくなければ言わなくても良い、と伝えたのだが、彼女は頭を振ってその内容を話し始めた。
『私は、記憶を失う前、10代後半から20代前半にかけて、父の慰みものになっていたのだそうだ』
再び場が凍りついた。なんだ、それは。
父親が、実の娘を犯す?それも、一国の主が?
『く、狂ってるぜ。どんな脳みそしてたらそんな事しようと思うんだ?クソすぎんだろ!何だよそれ、何だよそれ!』
ジェシカが立ち上がって大声を上げた。近くには人がいない。他国の戒厳令に感謝する日が来るとは思わなかった。
『という事は、駆逐者になって若返ったから、またその、ウリヤノフ書記長がルフィナを襲うと、ルフィナのお母さんが思ったってこと?』
彼女は頷いて続ける。
『そうだ。私が25を越えてから父は来なくなったそうで、母もこれからは安心して暮らしていけるだろうと、そう思っていた矢先の出来事だ』
いくらなんでも、それは。
ヨセフ・ミロヴィチ・ウリヤノフは、今年で確か68歳の老人だ。確かに見た目は50代かと思われる程に若く見えるが、そんな高齢で。いや、待て。
彼女が25歳になるまでは来ていた、と、そう言っていた。つまり65歳まで、あのハゲ頭の男は、それも実の娘を。信じられない。
『私が記憶を失っていた事を、母は喜んでいたようだった。当然だろう。そんな忌まわしい記憶がすっかり無くなっていて、しかも10年は若い姿に戻っているのだ。神が、不憫な私に二度目の人生を与えてくれたのだとすら思っただろうな』
確かに、それは僥倖と捉えてもおかしくない出来事だ。それにしても、なんだこの母娘は。不幸すぎて世の中の天秤がぶっ壊れているのではないか。
いや、ぶっ壊れているのはウリヤノフの頭の中か。ルフィナの話が本当だとすれば、彼は生きていて良い人間だとはとても思えない。まるで獣だ。
『そこで、記憶を失った若い娘は申し出ろ、と言われたのだから、母はそれはもう狼狽えた。私を連れて、夜逃げ同然に地方行きの列車に乗り込んだ』
そこで、逃げた先に竜災害が発生した、というわけだ。不幸もここまでぶっ飛んでいると笑うしかないだろう。いや、笑い事ではないが。
『ルフィナ、お前の人生ハード過ぎるだろ。クソみてえな苦労しやがって』
ジェシカが唐突に彼女の頭を抱き締めた。彼女の白い顔が、はだけたコートの中、黒い戦闘服の彼女の胸に埋もれる。
『おい、やめろジェシカ。全く、お前たちはすぐにそうやって人の頭を抱えたがる』
『わかる、わかるよルフィナ。ワタシも良くそれされるから』
頭の高さが丁度良いのだろう。特に長身のジェシカにとって、メイユィやルフィナぐらいの身長というのは、丁度腕の高さに頭があるのだ。手を広げれば即、豊満な胸の中に包み込める。男であった頃であれば兎も角、今は流石にあまり羨ましいとは思えない。
『……その辺りにしておきましょう、ジェシカ。もうそろそろフレデリカ達が来ますから』
『あいつらが来るまでこうしてやる!クソな人生なんか、オレが吹き飛ばしてやるからな!』
彼女は抵抗しているものの、本気で嫌がっているようには見えない。多分、ジェシカ達が本気で彼女の事を心配しているのだと理解しているのだ。
ルフィナの不幸は恐らく、竜災害に遭遇しただけでは終わっていない。今尚、継続しているはずなのだ。
連邦で秘匿されていた駆逐者というのが、一体どのような扱いを受けたのかというのは想像に難くない。メイユィに対するマオ主席がそうであったように、独裁者というのは往々にして、全て自分の思う通りにできると勘違いしている節がある。
駆逐者として彼女が見つかった後、恐らく手は出されていないと思いたい。竜を素手で屠れるような存在と二人きりになるなど、流石にどれだけ愚かでも実行しようとは思わないだろう。あの書記長は自らの命に対しては非常に慎重だ。
だが、彼女は自分と同じく、あまり外に出せないような実験の被検体になった可能性が高い。
まだこちらは辛うじて人道的なレベルだ。だが、そのようなトップのいる国での人体実験など。
間違いなく、彼女の母は人質として取られている。モスコーに戻ってはいるのだろうが、裏切れば母を殺す、ぐらいは言われていそうだ。
彼女の寄る辺は、恐らく彼女の母だけになっている。そう、だからこそ彼女は声を上げられない。鳴かない、いや、鳴けないカナリアとはそういう事だ。フレデリカはそれを知っていて、こちらに暗に知らせてきていたのか。
どうにかして彼女と、彼女の母を守ってやりたい。だが、自分達にできることは非常に限られる。他国の、しかも赤いカーテンの向こうとなると、外交の手が及ばない事が殆どだ。
となれば、せめて一緒の時だけでも、彼女の支えにならなければいけない。窓の外に、細長い機体が着陸するのが見えた。
『来ましたよ、三人とも。『アイオーン』です』
『よし!このまま迎えにいくぜ!ルフィナ!』
『いいから、離せジェシカ』
『私もルフィナとハグしたい!代わってよジェシカ』
『ほら、歩けなくなるでしょう。ハグはやめて、手を繋いでください』
残りの三人を迎えるため、彼女をもみくちゃにしながらも、再び滑走路へと歩き出した。
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