第93話 観光
駐屯地に帰還するなり、メイユィ負傷の報告を受けていたマツバラが、研究室にいる他の医師達と一緒に彼女を連れて行った。
自分の時のような事をされるのでは、とジェシカが警戒していたものの、治療のためだからとオオイと二人がかりで説得すると、どうにか納得してくれたようだった。
彼女は元来医者に対する警戒心が強く、先日の一件でどうにもマツバラですら信用できないようになってしまったようだ。
ただその彼女の疑念も、今までの積み重ねに加えて、メイユィが予定よりも早く復帰できた事で払拭されたようだった。
彼女は僅か三日後、いつものように歩いてトレーニングルームへと戻ってきた。
自分の見立てでは一週間以上はかかるだろうと踏んでいたのだが、どうやら治癒促進の研究は早くから進められていたようで、その成果が彼女の早期復帰という形となって現れたという事になる。
駆逐者の驚異的な再生力もそうだが、それを更に促進するという技術にも瞠目した。
通常の人間であれば、義手義足を必要とするような大怪我も、駆逐者にとっては少し入院した、程度の怪我に過ぎないという事になる。改めてその異常性を認識させられた。
とは言っても、純粋な二人にとっては怪我が早く治るというのは喜ばしい事に違いなく、健康体となったメイユィと一緒に降りてきたマツバラに、ジェシカは涙を流して歓喜し、押し倒さんばかりに抱きついていた。
央華の政権交代は恙無く進行したようだ。
各国、特に欧州連合や合衆国は、竜災害対応に協力的であり、対外政策も穏健派であるワン・シーピン国家主席の就任を、諸手を上げて歓迎した。
先任の方策を一転させると豪語した彼は、一部国内の強硬派からは煙たがられてはいるものの、世界的な問題に対応する姿勢が評価され、地盤は概ね固まっていると見られている。
ただ、央華が相変わらず無選挙の一党独裁体制である事に変わりはなく、連邦と共に北コリョを始めとする東側国家に対する支援体制にも変化は無い。
この辺りは流石に一朝一夕に変える事ができないらしく、またワン自身も現体制を肯定している事から、いずれまた別の火種が発生する事も考えられる。全てが万事丸く解決、というわけではないのだ。
続く竜災害は激化が進むものの、世界情勢は今の所小康状態を保っている。
世間にもやや弛緩した空気が漂っているが、それは自分たち、DDDパシフィックの面々も例外ではなかった。
「だから、ねえ。今度の休みに行こうよ」
「シュウトも一緒にです!」
「はあ、まぁ、構いませんが」
少し遠出をして、日帰りで観光と買い物に行こうというのである。
別に服や小物を買う程度であれば、サクラダ近辺やこちらの住んでいる街の周囲でも構わない。だが、ヒノモトの他の街も見てみたいとメイユィが言い出したため、色々とネットで調べたジェシカが、ハリマ県まで少し足を伸ばそう、と提案してきたのだ。
「やったー!ねえねえ、じゃあ、どこに行こうか」
「ハリマには央華街があるそうですよ!メイユィ」
「えー?央華から帰って来たばっかりだし、そこは別に良くない?ワタシはあれ、でっかい観覧車があるみたいだから、それに乗りたい!」
「観覧車なら別にハリマでなくとも……博物館なんかはどうですか?」
「ミサキ、博物館は別に面白くないです。それなら水族館でカピバラが見たいです!」
「ああ、カピバラですか。それは良いですね……可愛いですし」
カピバラは巨大な
「買い物もするんでしょ?ワタシ、ポートタワーにも上りたい!」
「メイユィは高いところばかりですね。というか、景色が見たいならいつも出動で高いところから飛び降りているじゃないですか」
「出動と観光は違うよ!いいでしょ、ねえねえ」
こちらの袖を掴んで揺さぶるメイユィ。別に構わないのだが、なんだか小さな子を持った親になったかのような気分だ。
「メイユィ、メイユィ、ハリマには恋愛に関する神社があるそうですよ。縁結びです!」
「本当!?ね、ね、ミサキ。そこも行こう!」
「神社って。それなら外国人居留地とかも見に行きますか?」
「ミサキの提案は年寄りくさいです!もっとオシャレな所が良いです!」
「神社はオシャレなんですか……?」
「当たり前です!オリエンタルでエキゾチックです!」
意味がわからない。テンションの上がった二人には、どうにもついていけそうにない。これはあれか、カルチャーギャップというやつだろうか。
まぁ、確かにハリマの沿岸部は、近隣のキナイ地方でも”オシャレ”というイメージの伴う地域である。
賑やかなカワチにオシャレなハリマ。この二都市は、歴史ある観光地のヤマトやヤマシロと比べて、商業都市というイメージが非常に強い。
自分が小さい頃に一度大震災に見舞われた都市にも関わらず、凄まじい速度で復興して、再びこのエリアでのブランド価値を復活させた、非常に力あふれる場所だ。
それ故に見て回りたい場所が多いのはわかる。わかるのだが。
「全部見て回ろうと思うと、流石に時間が足りないですよ。日帰りならば一箇所か二箇所に絞らないと」
全て一箇所に密集しているわけではない。観覧車に乗ってタワーに上り、買い物をする、というだけならば可能だが、神社に寄って水族館も見て、という事になると、とてもではないが回りきれない。駆け足で流すのは観光とは言えない。それはラリーだ。
「あっ、そっか。うーんどうしよう。神社にも行きたいし、観覧車にも乗りたい。カピバラ?も見てみたいし」
全てを一度に、というのは欲張りな話だ。時間は皆に等しく与えられ、それが増えたり減ったりする事は無い。それこそ強引に摂理や前提を捻じ曲げる事でもしない限りは。
しかし、あろうことかジェシカがその前提を捻じ曲げる提案を叩き出した。
「簡単です。あちらで泊まれば良いのです!」
「それだよジェシカ!二日あれば全部回れるよね!」
「いや……日帰りじゃなかったんですか」
「見たい所が増えたんだから仕方ないよ!ねえ、いいでしょミサキ。ミサキかハルナが一緒ならいいんだよね?」
「それは、まぁ。決まりごとではそうなっていますが」
問題はない。距離的にもそう遠いわけではないし、急な出動があっても、駐屯地には近くのヘリポートからすぐに戻る事ができる。
「じゃあ決まり決まり!早速ホテルの予約しなきゃ!ジェシカ、取れる?」
「任せて下さい!でも、シュウトには行けるかどうかの相談はしたのですか?」
「してないよ!でも多分、お願いすれば大丈夫!」
「そうですか。えーと、私とメイユィ、ミサキとシュウト。ハルナとヒトミはどうしますか?」
「聞いてみればいいんじゃない?ミサキ」
揃ってこちらを見た二人に、ため息混じりに頷いた。
「分かりました、聞いておきます」
歓声を上げた二人は、喜び勇んでジェシカの部屋へと舞い戻っていった。恐らくまた、ネットで現地の下調べをするのだろう。
談話室に取り残されたこちらは、渋々内線電話を持ち上げたのだった。
翌朝、マンションの車寄せに停まっていた、外務省ナンバーの黒い乗用車に乗り込む。助手席は既にメイユィが占拠していたので、広い後部座席、ジェシカの隣に収まった。
このクルマは、駐屯地に通勤するようになった数日間、サカキに送迎してもらうために乗っていた事がある。
あまり良い印象は無いが、それでもなんだか懐かしい気分になった。
「すみません、サカキさん。休日なのに」
斜め後ろからミラーを覗き込んで言うと、彼は意外と屈託のない笑顔で返してきた。
「いえ、いいですよ。どうせ休日も寝てるか仕事してるかなんで。良い気分転換になります」
「これって残業扱いなんですか?」
「まさか。余暇ですよ、余暇」
となると、無給で付き合わせることになるのだが、良いのだろうか。心配していると、静かにステアリングを切りながら彼は微笑む。
「皆さんと一緒にいると、なんかほっとするというか。三人揃ってる事になんか安心しちゃって。十分休暇になるんで、気にしないでください」
「そうですか?ありがとうございます」
思えば短い間だったが、メイユィがいない間の彼は、毎日どこか思い詰めたような表情をしていた。その時から比べると、随分と憑き物が落ちたかのようにすっきりとしている。この仕事を続けているうちに、どうやらこの状態が彼の居場所になってしまったようだ。
「ハルナとヒトミが来られないのは残念でしたね」
「仕方がないですよ、忙しい人達ですから」
オオイは仕事でムサシ県に行き、マツバラは先の『ゾーン』研究が佳境に入ったとの事なので、残念ながら共に出かける事はかなわなかった。
それにしても公務員の立場たる二人が休日まで仕事とは、一時期しきりに言われていたヒノモトの働き方改革とは一体何だったのか。
「シュウトさん、一緒に観覧車に乗ろうよ。ね、いいでしょ?」
「か、観覧車ですか……」
彼は高所恐怖症だ。メイユィの頼みであれば断りはしないだろうが。
「メイユィ、あんまりサカキさんに無茶を言っては」
「いえ、だ、大丈夫です。いいですよ、ジュエさん」
大喜びしているメイユィと、妙な男気を見せるサカキの様子に目頭が熱くなる。身を挺してまで尽くすこの根性、官僚の鑑ではないだろうか。自分が上長であれば、しっかりと人事評価にプラスしてあげるところだ。
「シュウトは高いところを克服したのですか?では、バンジージャンプなんかも」
「いや、それはちょっと」
笑い声の絶えないクルマは高速道路に乗り、西北西へと向かっていく。目的地はハリマ県の経済、及び人口における中心部、カンベだ。
最初に訪れたのはこの街のランドマークたるポートタワーだった。
歴史ある商業港として発展してきた、広い扇状の港部を見下ろすことができ、北側に目をやれば、街並みの続く山地の威容を感じることができる。最上階の展望は吹きさらしの屋上であり、海風を感じられる素晴らしい場所、なのであるが。
「シュウトさん、無理しないで。大丈夫?立てる?」
「だ、大丈夫です。で、でも、まさか、吹きさらしだとは」
階段を登って屋上展望フロアに上がってきた途端、サカキはその場にしゃがみ込んで動けなくなってしまった。
この屋上展望フロアは、二重に高い柵こそしてあるものの、屋根も窓ガラスも何も無い屋外なのだ。階段の入口に、帽子や手持ちのものを飛ばされないようにお気をつけ下さいと注意書きがあったのはそのせいである。
「すごいです!風が気持ちいいですね!」
ジェシカは大喜びで手前側の柵にしがみついて、360度のパノラマ展望を楽しんでいる。周辺の観光客は、しゃがみ込んでいる男性とその介助をしている少女に視線を集め、あっという間にこちらの正体に気がついてしまった。
唐突にサカキの情けない姿を撮影する会が始まってしまい、あまりにも哀れになったので、仕方なくメイユィに彼を連れて下に降りているようにと言い渡した。
「シュウトも無理をしなければ良いのに」
「メイユィの手前、格好つけたかったのでしょう」
サインをねだってくる他の観光客に、今日はオフなのでと丁重に断りつつ、撮影されるのだけは仕方なく許した状態で二人で暫く景色を堪能し、少し寒くなってきた所で下へと戻った。
「シュウトはどうして高いところが苦手なんですか?」
下に降りて歩みを再開するなり、答えようのない事をジェシカが聞いている。
恐怖症というのは何か理由があるにしても、それを克服する事は非常に困難だ。
徐々に慣らす事で改善する事は可能らしいが、いきなり高いところに上がるという事を繰り返しても、それで治るという事はまずない。
台の上、脚立、建物の二階と徐々に慣らしていくのが通常のセオリーらしい。
「どうしてだかは分からないんですけど……高いところにいたら、落ちる事を想像してしまいませんか?」
「柵もあるので落ちようがありません!」
「いや、でも、突風でタワーが倒れたりとか」
「いや、流石にないよシュウトさんそれは」
「無いとも限らないじゃないですか!」
怖いと言っている人に何を言っても無駄なのだ。この辺り、まだ二人はデリカシーに欠けているような気がする。
「二人共、恐怖症は一種の病気なのですから、なんでなんでと聞いても仕方がありませんよ。すみません、サカキさん。下で待っていてもらえば良かったですね」
「いえ……僕がついていくと言った事なので……」
ひょっとして大丈夫か、と思ったのだが、やはり無理だったのだ。彼の意思を尊重した結果とは言え、引率の一人として少し申し訳ない。
「とりあえず、央華街でお昼にしましょうか。もうすぐそこですよ」
スマホのナビ機能は実に便利だ。クルマに載っている時は車載ナビを使うものの、徒歩移動の際にはこれがあるお陰で地図が必要ない。地図販売業界はこのマップサービスに駆逐されてしまったと言えるだろう。
駐車場とは反対方向、HRの駅がある方向に向かっていくと、央華料理店が沢山居並ぶ通りに出る。
以前ムサシ県の央華街で食事をしたことがあるのだが、入った店があまり良い店ではなくて、ひどくがっかりした覚えがある。ヒノモトの観光地と同じく、あそこも観光地化しているために、地元の人はあんまり近寄らなくなったのだそうだ。
こちらはあまりそういう事を聞かないので、一応は競争原理が成り立っていると見て良いだろう。
「央華風の町並みです!懐かしいですか?メイユィ」
ジェシカが物珍しそうに周囲を見渡している。
軒先に露店が出ていたり、独特の店構えをした店舗があちこちに建っている。
ムサシ県の央華街と比べて派手さはないものの、食べ歩きを主体とした町並みは、雑多な感じがいかにもといった風情だ。
「うーん、どうだろう。キンヤンは普通の都会だったし。あ、でも、ホンハイの裏通りはこんな感じだよ、あっちはもっとゴミゴミしてて汚いけど」
「まぁ、観光地ですからね。綺麗にはしていますよ」
ヒノモトの町並みを央華風にした、という感じだろうか。逆にあちらにもヒノモト風にした場所もあるそうだが、あまりその事には詳しくない。
お互いに独自の歴史のある国であるので、混ざるとどことなく微妙な不自然さのようなものが出てくるものなのかもしれない。
ジェシカが事前に下調べをしていた店に入っていく。予約はしていなかったものの、昼には少し早い時間帯のためか、店内は空いていた。
四人がけのテーブルに腰を下ろして、央華ドレスに身を包んだ店員からメニューを受け取った。
「メイユィ、メイユィ。メイユィが着てたみたいなドレスですよ」
「まぁ、央華服だからね。でも、どうして改造したものばっかり出回ってるんだろう」
彼女の言う通り、央華服はもう少し丈が長くてスリットも短い。こちらでよく見るものはと言えば、先日メイユィが着ていたような太ももが大きく露出するようなものだったり、ミニスカートぐらいの丈しか無いようなものばかりである。
「そっちの方が可愛いからじゃないですかね?」
サカキが適当な事を言った。お前はそれでも外務省の人間か。
「カワイイ?シュウトさん、ワタシのドレス姿、カワイかった?」
「え?あ、はい。良くお似合いでしたよ」
「本当!?じゃあ、また今度着て見せるね。できたら二人っきりの時にでも……」
野獣の眼光をした央華の少女は、隣に座った雑用係のエリートの手を握っている。
サカキも最近はある程度吹っ切れたのか、優しげな微笑みを湛えて彼女に頷いている。
「ミサキ、少し腹が立つのはなぜでしょうか」
「気にしてはいけません」
バカップルとはああいうものだ。まぁ、まだサカキの方に遠慮があるのでマシな方である。人目を憚らずにイチャつきだしたらもう終わりだ。
メニューの端から端まで適当に注文して、積極的なメイユィのアプローチを半眼になって眺めているうち、順番に料理がテーブルの上に並べ始められた。
店員は最初は二品ずつ持ってきていたのだが、あまりに数が多いためか、途中からもう一人やってきて配膳を続けている。
当然ながらテーブルの上には乗り切らなかったので、二人の店員はワゴンに乗せてテーブルの脇に持ってきた。空いたらここからどうぞ、という事だろう。
それにしても提供が早い。結構大きな店なので、厨房の人数が多いのだろう。
ずらりと並んだ央華料理、と言うと乱暴だが、ヒノモト人にはそのようにしか見えないのだ。
実際には地方によって料理の種類や内容が変わるのはこちらと同じで、割と細かく分類されていると聞く。これはどちらかと言えば、央華でも南東部、メイユィのいたホンハイに近い地域の料理のようだ。
テーブルの上を空けないと次の料理が食べられないので、早速全員で手を付け始める。
「このローストチキン、美味しいです!変わった風味ですが、後を引く美味しさですね!」
ジェシカが切り分けられた鶏肉の丸焼きを、すごい勢いで頬張りながら言っている。
「ツイピィジィだね。ホンハイに居た頃、良く食べたよ」
メイユィは春巻きと豚チリのようなものを忙しく口に運びながら答えている。多分あれもちゃんとした料理名があるのだろうが、こっちでは春巻きと豚チリにしか見えない。
ローストチキンにしても、央華では違う名称がついているのだ。いつぞやの酢豚と同じである。
こちらも負けじと肉団子の甘酢がけや黒酢を使ったらしき酢豚を片付けていく。どれもこれも非常に美味い。本格的な央華料理っぽいのだが、ヒノモト人の味覚に合わせたアレンジを行っているようだ。
自分たちに比べて少食なサカキはといえば、蒸籠に入った包子を酢醤油につけて食べている。無難なところだ。
みるみる内にテーブルの上から料理が消えていくが、それでも尚、注文した料理が運ばれてくる。
早々にギブアップしたサカキを尻目に、三人がそこそこ満足したところで、デザートの杏仁豆腐とアイスクリーム、皮を剥かれたライチィが運ばれてきた。
「相変わらず、良く食べますね」
「食べないと戦えませんからねえ」
温かい烏龍茶を飲みながら呆れているサカキに答える。
我々の消化構造はまだ謎らしい。顕微鏡で見られる細胞の様子とは違って、生きている人間の腹の中を見るわけにもいかないからだ。
サカキが代表して、一括で支払いを済ませて表に出た。相変わらず三人で外食をすると、目の飛び出るような金額である。今回は経費ではなくて自腹なので、後でこちらから彼に返しておかねばならない。
昼を過ぎた為か、周辺の人通りはかなり増してきていた。
まだ少しチェックイン時間には早いので、一旦港の方へと戻る事にした。
大きな網のような屋根で飾られた博物館に入り、退屈している二人を宥めながら駐車場へと戻る途中、地震の被害を受けた所をそのまま残している場所を訪れる。
崩れた港の一部分が海に半分沈んだその状態で残されており、当時の被害がいかに大きかったのかを伺わせる。
周囲にはあまりこれを眺めている人の姿は無く、観光に来た往来の人々も、ただざっと眺めてその場を通り過ぎていくだけだ。
「竜災害も、あまりに被害が大きくなればこの様に遺構として保存されるんでしょうか」
同じ災害だ。大地震とは規模が違いすぎるが、世界中のあちこちで起こっている。サクラダやニューデラのように、街や人に甚大な被害を齎したものもある。
「どうでしょう。発生数が多すぎて、残しておこうという機運は生まれないかもしれませんが」
サカキの言う通り、竜災害は世界中で起こっている。年に十回以上も起こるようなものを、一々残しておくのか、という話でもある。
ただ、それは地震だって台風だって同じだ。残すか残さないかの判断は、人が行う。
「ミサキ、これを残しておく意味は何なのですか?」
「そうですね、地震の恐ろしさを忘れないためでしょうか」
ジェシカにこう答えると、メイユィが不思議そうな顔をして言った。
「残してても忘れてるよね?」
「忘れてますね。ただ、対策は変化していきますが」
「対策はそうだけど、これを残すことに意味があるのかな?」
わからない。
忘れないために負の遺産を残すというのは世界中で行われている。
これは二度と誤ちを繰り返さないための教訓だ、と言われているが、実際にその効果の程がどれぐらいあるか、というのは数字ではわからない。
小学生が負の遺産の見学に訪れたとしよう。被害の様子を見て、同じことを繰り返してはいけないのだ、と教師から教わる。
では、繰り返さないために何をすれば良いのか、どうすれば良いのかというのは、既に対策されてしまった後だ。勿論、その対策ができた過程、経緯を知るという意味では大切な事だろうが。
「戦争や迫害なんかの人災は兎も角、竜災害も含めた自然災害って、一定以上の対策は取れないものですからね。だから災害、というんですが」
サカキは外務省の人間だ。どちらかと言えば、人災の歴史の方を教訓とすべきという立場である。
「その一定以上を維持するために必要なんでしょう。或いは、こうやって考える時間を作る事にも意味があるのかも」
日常の合間に、少しでも災害について考える事ができるというのは意味がある、ような気がする。
「よくわかんない。ワタシ達は災害を潰すのが仕事だし」
自分たちは能動的に災害を制圧する側の存在だ。受動的に災害の被害を受ける側の立場ではないため、メイユィには少し難しいのだろう。
竜災害に遭遇した場合、速やかに頑丈な入口の狭い建物に逃げ込む事が唯一の対策とされている。だが、目の前に竜が降ってきた場合、大抵の場合は逃げられずに死ぬ。
一定以上も何も、抗うこともできない人達が大勢いただろう。それに、建物に逃げ込んでも、ニューデラで起こったように建物自体を壊される事だってあり得る。Gクラスにはそれが可能なのだ。
自分やメイユィ、ジェシカとの間でも、竜災害に対する微妙な認識の齟齬が生じる。それは多分、記憶を持っている時間と経験によるものの差なのだとは思う。
同じ事をしている我々でもこうなのだから、世界中、何十億という人々の意見は、国によってだけでなく、個々で大きく食い違う事になるだろう。人類共通の敵ができても、それに対する反応は様々だ。
「クルマに戻りましょうか。そろそろチェックインできる時間ですから」
ただ、今はひとまず難しい事は置いておこう。今日は観光、遊びで来ているのだから。
ジェシカが予約した宿泊施設は、ヒノモトでも有名な外資系のホテルだった。
ウォーターフロントの高層ホテルであり、タワーと並んでランドマークと言っても差し支えないほどの高さを誇る。というか、この港エリアは、先程訪れた博物館と同様、そういったランドマークが密集しており、どれを見ても特徴的なので目移りしてしまいそうになる。
部屋は自分たちにトリプルを一部屋、サカキ用にダブルを一部屋取ってある。
海側に面した窓から見える景色は素晴らしく、港に林立する建物やクレーン、停泊している遊覧船の姿などが一望できる。自然の美しさ、というよりも、建造物の造形美と海のコントラストを楽しむかのような絶景だった。
「明日は水族館に行って、観覧車に乗って、買い物をして、帰りに神社に寄って帰るんだよね?」
「そうですね。神社以外の施設が一箇所に固まっているので」
レストランでの夕食では物足りなかった二人は、買い込んできた菓子をテーブルの上に広げてバリバリと頬張っている。行動が旅館に宿泊した時の夜のおばちゃんみたいで、あまり見た目はよろしくない。
「本当は温泉や橋も見てみたかったです」
ジェシカが少し残念そうに言っているが、それは無理だ。
「温泉は少し離れていますし、そこに行くなら他の予定をキャンセルしないといけませんからね。あと、橋は基本的に移動のために使うもので、観光スポットではないような」
「そんな事はありません!見る所はあると、合衆国のヒノモト観光案内サイトに書いてありました!」
「いや、確かに途中の島で降りられたりはしますが……ただの大きな橋ですよ。渡った先に行くための中継点みたいなもので」
確か、島に降りた先に大きなサービスエリアがあった気がする。休憩所としては非常に充実しているのだが、観光地というほどではない。
「ねえねえ、それじゃあ今度は、その橋を渡った先に旅行に行こうよ。それなら橋も見られるよ」
「ナイスです、メイユィ!そうしましょう!次は橋を渡った先、イヨシマ観光です!」
盛り上がる二人を微笑ましく眺める。良く考えれば、世界各国を散々飛び回っていても、観光らしい観光は殆どしたことがなかったのだ。
出動以外の外出をするにしても、今までは何か別の目的があり、純粋な観光としてどこかへ出かけたのは、今回が初めてだ。今後はこういった事も増えていくのだろう。
恐竜相手の戦闘はきつく、悲惨な災害現場を見ると心がささくれたり、人としての大切な何かが麻痺していくような感覚がある。
時々はこうやって普通の人間のように、単純に楽しむだけの外出をした方が良いだろう。
翌日の為、早めに床について一時間後、ベッドから抜け出したメイユィが、足音を忍ばせて部屋を出ていった。
いくら音を殺していても、駆逐者の鋭敏な感覚を誤魔化すことはできない。恐らく彼女もそれは良く分かっているだろうが、こちらは敢えて何も言わなかった。
分かっていた。彼女がこういった行動に出るだろうという事は。
そもそもどうしてもサカキを連れて行くのだと彼女が主張した時点で、決まりきっていた事なのである。だからジェシカはサカキの部屋を、大きなダブルの部屋にしたのだ。
「ミサキ」
隣のベッドからジェシカが小さく呼びかけてきた。
「いつかみたいに、盗み聞きはダメですよ、ジェシカ」
「……でも、気になります」
「気にしてはいけません。どうしても、というなら、後で本人から聞いてください」
メイユィは央華に一人連れ去られ、酷く寂しい思いをした上、死ぬかどうかの大怪我まで負ったのだ。彼女の思いを遂げるための邪魔をしてはいけない。
糊の効いたシーツを引っ張り上げ、意識的に無意識の領域へと踏み込んでいった。
インターフォンのチャイムではなく、控えめなノックの音を聞いたサカキが部屋の扉を開けると、彼の予想通り、可愛らしい桃色のパジャマに身を包んだメイユィの姿がそこにあった。
いつものおだんごは下ろして、彼女の長い髪は背中に流されている。昼間とは全く違う印象に、僅かに去来した動揺を隠したまま、それでもサカキは彼女を部屋に招き入れた。
「眠れませんか」
黙って部屋の中までついてきた彼女にサカキがそう聞くと、彼女は何も言わずに後ろから彼の背中に抱きついた。
「シュウトさん、お願い」
一旦硬直したサカキだったが、彼も半ば、いや、ほぼ全て予測していた事だった。
胸に回された腕を優しく外して、彼女の方に向き合う。
「ジュエさん、本当に良いんですか?」
「そのつもりで来たんだから。ヒノモトを出る時、約束、したでしょ?」
元よりメイユィはサカキの事を強く求めていた。最初の行動の発露は欧州の島国で、次は南国の夜の浜辺で。いずれもその思いを遂げるには至らなかったが、彼女が一時ヒノモトを去る際、最後の僅かな時間を彼との約束に使ったのだった。
「ワタシが無事に帰ってきたら、愛してくれるって」
サカキは黙って小さく頷くと、彼女を抱き上げてベッドの上に横たえた。
「最初は無事、とはとても言えませんでしたが、ジュエさんが戻ってきてくれて嬉しいです。例えあの時の約束がなくとも、僕はジュエさんを抱きたい」
約束の時にそうしたように、サカキはメイユィの唇に、そっと優しく自分のそれを重ねる。顔を離した後、メイユィの瞳が情欲に潤んでいるのを見た彼は、そっと薄桃色の裾を捲り上げた。
「待って、シュウトさん。自分で脱ぐから」
「じゃあ、手伝いますよ。腕を上げて」
言われるがまま、両手を頭の上に上げた彼女から、すっぽりと上に着ていたものを脱がせる。最後に長い髪を通してメイユィからパジャマを取り払うと、彼女はその下にもう一枚、肌着を着けていた。
肩紐だけでぶら下がった彼女の上半身を隠しているそれも、サカキは迷いなく取り払っていく。上半身が可愛らしいリボンのついた下着一枚だけになった彼女を見て、サカキ自身もその欲望が強烈に滾ってくるのを感じた。
「ジュエさん、すごく綺麗です」
「シュウトさんも脱いで。下も脱ぐから」
下を摺りおろし始めた彼女に、慌ててサカキも自らの服を脱いでいく。上下のスウェットをもどかしくも脱ぎ捨て、お互いに最後の布地を残した状態で再び見つめ合う。
「すごい、パンツの上からでもわかるよ。ワタシで興奮してくれてるの?」
「ジュエさんはいつだって魅力的ですよ。サイクロプスでもリュウキュウでも、我慢するので精一杯だったんですから」
サカキのその告白に、メイユィは泣きそうなほどに破顔して言った。
「今日は、もう我慢しなくていいよ。ううん、我慢なんてしないで。思いっきり、シュウトさんのしたいようにして」
可憐な少女の健気な言葉に、彼の理性は耐える術を持たなかった。
「ちょっとやりすぎじゃないですか?私達は体力があるのですから、少し手加減してあげないと」
朝食の最中、トイレに立ったサカキが見えなくなってから、元気に山盛りのポテトサラダを頬張っているメイユィに言った。
朝、当然のように彼女はサカキと二人で連れ立ってレストランに降りてきた。
つやつやと輝くような肌は、彼女がどれだけ彼の身体を堪能したのかを物語っている。
一方サカキの方はと言えば、精力を全て吸い取られたかのようにげっそりとしていて、それでも尚彼女と居られることが嬉しいのか、無理に笑顔を見せていたのが非常に痛々しい。まるで淫魔に搾り取られた男性のようだ。いや、淫魔に搾り取られた男性というのは見たことがないのだが。
「そうなの?でも、シュウトさん、すごく嬉しそうだったよ」
「そりゃあ嬉しいでしょうよ。メイユィみたいな美少女とやれるんですから、嬉しくない男がいるはずがないです」
「ミサキも結構露骨ですね……」
露骨になるのは仕方がない。何があったのかは一目瞭然なのだ。それにしても、メイユィは手加減が無い。
恐らく彼女は最初からゴム無しでやったのだろう。生ですると、どうにも我々のあそこは強烈に男を搾り取ってしまうようなのだ。
これは経験上知っている事なのだが、一旦始めるとお互いに歯止めが効かなくなる程に盛り上がってしまう。一体どういう理屈なのかは分からないものの、実体験としてそうである以上、まず彼女に説明しておくべきだった。
「メイユィ、次からは避妊具を着けてしてください」
「えっ……どうしてわかったの?」
「経験者ですから。いくら愛し合っていても、お互い守るべき事は守るべきです」
別にメイユィが妊娠したところで、どうにかして穴埋めするつもりではある。だが、あの様子を見ている限り、このままではサカキの方がもたないだろう。大切な広報が潰れてしまっては非常に困る。
「えー、でもー」
「でもー、じゃありません。サカキさんが倒れてしまっても良いんですか?」
「えっ、それは、ちょっと嫌かも」
「でしょう?だから、今後はきちんとゴムをつけてしてください」
「はーい。でも、凄かったなぁ……あれが愛し合うって事なんだね」
「なんだか二人との間に疎外感を感じます……」
「落ち込まないでください、ジェシカ。きっとジェシカにもそのうち素敵な人が見つかりますから」
愛とは性愛のみにあらず、とは言うものの、メイユィの場合は失われた、不足していた愛情を、サカキから思い切り吸い上げた形になるのだろう。
それぐらいに彼女の生い立ちは辛いものだった。最初から家族のいる自分や、まだ生きて故郷にいるジェシカとは違う。
ただ、ジェシカも相応に悲しい感情を背負って生きている。今の所彼女はそれを趣味で穴埋めしているようだが、いずれは彼女を支えてくれるような人が現れるのだろうか。
ブッフェスタイルなのを良い事に、何度も何度もおかわりを繰り返し、またもやサカキが呆れる中、思い切り胃袋を満たしてからレストランを後にした。
「滅茶苦茶食べましたね、三人とも。ホテルを出禁になったりしないでしょうか」
幾分体調を戻したサカキが、ステアリングを握りながら心配そうに言う。
「大丈夫でしょう。そもそもホテルの支配人がこちらの事を知っていたみたいですから」
守秘義務の徹底している一流のホテルだが、チェックインの時にわざわざ支配人が出てきてこちらに挨拶をしてきたのだ。
普通の宿泊客ではそんな事はしないので、こちらが何も言っていないのにVIP扱いだった。あちらが認識していないはずがない。
我々が非常によく食べるというのは、サカキの動画に加えてバーラタでの一件があったため、既に世界中に知れ渡っている事であり、レストランでも料理を補充しにやってきた人達は、笑顔でこちらの様子を眺めていた。話が通っていた証拠である。
周辺の宿泊客もこちらを見ていたので、昨日のタワーでの事も加えて、既にSNSでは我々がカンベに来ているというのが広まっているかもしれない。
「そんな事より、観覧車だよ観覧車!ねぇ、シュウトさん。一緒に乗ってくれるよね?」
「え、ええ。どこでもお供しますよ」
高所恐怖症の彼は、より甘くなった彼女のお願いに、顔を引き攣らせつつも応じた。
がんばれサカキ、愛の力で恐怖症を克服するのだ。
無論、そんな事は絶対に不可能なのだが。
のんびりと群れているカピバラの前で、サカキと並んでこちらに写真を撮らせたメイユィ。
ゴンドラから腰が砕けた状態のサカキを抱えて出てきたメイユィ。
彼にしがみつきながら売り場を回っては、あれもこれもと買い物をしているメイユィ。
既に実ったくせに恋愛成就の願を神社で熱心に祈った挙げ句、ペアセットのお守りまで買ったメイユィ。
結局のところ、今回の旅行というのは彼女の目的を達成するのがメインの旅となってしまった。こちらは引き立て役である。
ただ、何にせよ彼女が幸せそうに笑う姿を見ていると、そんな事はどうでも良くなってきた。
可愛い彼女が幸せならばそれで良い。引っ張り回されるサカキは少し可哀想だが、彼は彼でメイユィの事を大切に思っているのだろうし、振り回されるのも満更でもなさそうだ。あれは多分、ああいう愛の形なのだろう。
駐屯地に向かう途中、マンションの車寄せで下ろしてもらい、サカキに礼を言って家路を急ぐ。
買い物は彼女たちが土産物を物色している間に済ませておいたので、夕食には十分に間に合う。
彼女たちは、こんな所で料理の材料を買わなくても、と言っていたが、手間を考えればクルマで送ってもらえるこの時に買っておくのが効率が良いのである。
適当に食事を済ませがちなソウには、一日空けた分、しっかりと食わせてやらねばならない。土日は家でごろごろしているであろうし、家には居るだろう。
スペアキーで玄関に入り、ただいまーと奥に呼びかけながら靴を脱いだ。
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