第91話 帰還

 自分たちが到着した日の翌朝早く、出入口の方が何やら騒々しかったので目が覚めた。

 ジェシカもメイユィもまだ眠っている。メイユィは痛みのために何度か夜中に目を覚まし、その度にジェシカが痛み止めを飲ませていた。

 胃に何も入っていない状態でこの薬を飲むのは良くないので、適当に近所のコンビニで買ってきたパンを少しずつ与えた。

 本来ならばもっと栄養のあるものを沢山食べさせたいところだが、それは帰ってからになるだろう。これ以上ここに借りを作るわけにはいかない。

 今日も早々に二人を連れて朝の便で帰るつもりをしていた。この状態のメイユィを超音速機に乗せるわけにはいかないので、一般的な旅客機で戻る予定をしていた。

 廊下、というか共用部分に出ると、耳に入ってくる声は聞き慣れたものだった。

『だから言っているでしょう!ジュエさんに会わせてください!』

『許可の無いものはお通しできません。然るべき通達をもって連絡をいただかないと』

『彼女は私の担当者です!いくら央華だろうと、身内が会ってはならぬという法は無いでしょう!』

『ですから、その証明も手続きも――』

『許可なら私が出します。通してあげてください』

 無駄な押し問答だ。彼は我々の迎えなのだから、通さないという方がどうにかしている。杓子定規にならずとも、素直に上に連絡を取れば良いのに。リー女史は今ひとつ融通がきかない。

 カウンターの前で通せんぼをしている彼女の後ろから声をかけると、女は驚いたように、男は安堵したような表情をしてこちらを見た。

「カラスマさん!ジュエさんは!?」

「奥です。怪我をしていますのであまり騒がないようにしてください」『リーさん、彼はヒノモトの外務省の人間です。政情不安が予測される今の状態で、他国との外交に亀裂を入れたくはないでしょう?ただでさえ各国からの批判が相次いでいる時に』

 彼への返答に続けて央華語で彼女に呼びかけると、少しやつれた感じのする女は、渋々といった風情で頷いた。

 サカキを連れて奥へと戻る。少し焦ったような彼は、二人になるとすぐに声をかけてきた。

「怪我をしてるって、ひどいんですか?」

 ひどいどころの騒ぎではない。駆逐者でなければ死んでいた。

「心して彼女と面会してください。あなたが動揺すれば、メイユィが悲しみます」

 彼が神妙に頷いたのを確認してから扉を開ける。二人は自分が出ていってから目が覚めたのか、ジェシカは椅子に座ってこちらを、メイユィは仰向けに寝たまま天井を見つめていた。

 サカキは黙ってベッドの縁に近づくと、膝立ちになって彼女と目線の高さを合わせた。

「シュウトさん、来てくれたの」

「ジュエさん……ごめんなさい……僕が、僕がもっと抵抗していれば」

「シュウトさんのせいじゃないよ。それに、できる範囲で色々としてくれたんでしょ?ミサキからちょっとだけ聞いたよ」

 リーから得た情報から、ある程度推測できる事を彼女には少し話した。

 ヒノモトに留学経験がある役人、という話しと、いつもと違った情報ルートから、恐らくサカキが色々と裏で手を回していたのだろうと当たりを付けたのだ。

 科挙の時代から、この国では基本的に国家の中枢で働いているような役人は、総じて学歴が高い。その為海外に留学してその国の情報や人脈を持ち帰ることも多く、それらは党に便利に使われる事もあれば、逆に警戒される事にも繋がる。

 サカキは省庁勤めの総合職のとして、当然の様に帝大を出ている。かの大学には様々な国からも留学生を受け入れている為、恐らく彼はその伝手を使ったのだろうと考えた。

 結局はワンに捕捉されていたものの、その情報があったからこそ間に合ったという事実もある。

 だが、綱渡り同然の危険な状態だった。メイユィが武器を捨ててまで少女を助けようとしたというイレギュラーがあったにせよ、結局はあのワン・シーピンも、どこかで竜災害というものを甘く見ているのではないだろうか。

「でも、ジュエさん。こんな大怪我をして」

 彼はメイユィの手を握ろうとしたが、その左手は無かった。代わりにそっと肩に置かれた手を、メイユィは横目で見ている。

「でも、生きてるよ。ワタシは駆逐者だから、足も腕も再生するだろうって。まだちょっと痛いけど」

 一晩寝た事で、彼女の腕と足は徐々に再生が加速している。左腕、骨から途中がちぎり取られていたその断面は、今は薄く塞がり、内部で細胞増殖が繰り返されているのがわかる。

 痛みは当然あるだろう。修復は神経も同時に行われる為、刺激は常に発生しているはずだ。多少は痛み止めが効いているにしても、今でも相当な苦痛を伴っているはずである。

「シュウト、シュウトはどうやってここに来たのですか?」

 じっと話を聞いていたジェシカが、そこで漸く口を開いた。

「防衛隊に配備されている垂直離着陸機です。こちらに着いたのはつい先程ですが……すみません、到着が遅れてしまって」

 民間機ではなく防衛隊の輸送機を使って来たのか。外国の軍隊が央華の空港を使うには結構面倒くさそうなのだが。今朝まで時間がかかったのはそのせいだろうか。

「どうしてまた、防衛隊の輸送機で?オオイ二佐は?」

「二佐は駐屯地で待機中です。自分が行くのは無用な問題を増やすだけだと言って。防衛隊の輸送機で来た理由は、その、もしジュエさんが、歩けないような状態になっていた場合に、民間機で帰るのは問題があるだろうと、彼女が」

 そう言われれば確かにそうだ。足と腕を失った駆逐者が、民間人に混じって飛行機で移動していれば、事実がどうだとしても様々な憶測を呼んでしまう。

 そもそもそれ以前に、大怪我をしてもすぐに治ってしまう我々を見て、かれらがどの様に思うだろうかという所にまで考えが至ると、少し、いやかなり危険だ。

 それこそ今回のように、死ぬ寸前まで使い倒して大丈夫だと思われてはかなわない。いくら自分たちの再生力が高かろうが、痛みも感じるし死にもする。世論が『化け物を化け物にぶつけて倒す』のを良しとする風潮になる事だけは避けたい。オオイはそこまで考えていたのか。

「シュウトさん、ミサキもジェシカも。帰ろう?ワタシ、早く皆と一緒にごはんが食べたい」

 懇願するように言ったメイユィに頷く。無論、そのつもりだ。

「帰りましょう。サカキさん、迎えに来てくれて助かりました」

「勿論です。表にクルマを待たせているので、今すぐにでも」


 現地でレンタルしたであろう大きめのバンは、空港の裏側、搬入口の方へと入っていく。

 折角身を隠して帰ろうというのに、駐車場でストレッチャーに乗せられたメイユィを見られては意味がない。この辺りは、オオイが防衛隊員に良く良い含めておいたようだ。

 ジェシカがメイユィを背負って、サカキが先導する形になり、荷物を搬入するルートで滑走路の隅に出ると、既に離陸準備を済ませていた陸上防衛隊の輸送機がこちらを待ち受けていた。

 その手前、何故か荷運び用の台車の横に、一人のスーツ姿の若い男性が立っている。彼はこちらを見つけると、笑顔で大きく手を振った。

『シュウト!こっちだ!もういいのか?』

 サカキも手を振り返して彼に近寄っていく。

『ああ、ありがとうハオラン。色々と手配してくれて助かったよ。これ、頼まれてたもの』

 サカキはクルマの中でこちらに書かせたサイン色紙を彼に渡している。ああ、奇妙なタイミングでサインを書かせるなとは思ったが、このためか。

 恐らく彼が、サカキの情報源となった人だろう。しかし、こんなに堂々とヒノモトの航空機の前で話をしていて大丈夫なのだろうか。

『ああ!ありがとう!ミサキちゃんもジェシカちゃんも、遠い所お疲れ様。メイユィちゃん……ごめん、うちのせいで、そんなひどい怪我を……』

 ジェシカ達の方を見て顔を歪ませた彼に、メイユィはうっすらと微笑んで見せた。

『大丈夫だよ、そのうち治るから。シュウトさんのお友達?ごめんね、もう帰らないといけないから』

『ああ!いいよそんな事気にしなくて!ゆっくり休んで、元気になってね。俺たちは皆、君たちの事を応援してるから』

 重要な情報を掴んで流せる地位に居る割には、かなり気安いタイプだ。彼は台車の持ち手をぽんと叩いて言った。

『酒が飲めないのは残念だけど、またな、シュウト』

『ああ、ハオラン。酒はまたの機会にでも。また連絡するよ』

『楽しみにしてるよ、じゃあな』

 僅かな顔合わせになったサカキの友人に別れを告げて、広々とした輸送機の中に乗り込む。中にあった寝台にメイユィを固定し、自分たちは彼女を囲む形で、両端にある座席に腰を下ろしてベルトをつけた。


 うるさい垂直離陸の後、水平飛行になって大分静かになったところで、サカキに気になっていた事を聞いてみる。

「サカキさん、あのハオランって人が、今回の竜災害の情報をくれた人ですか?」

 彼は若干青ざめた顔をしていたが、頷いてその問いに答えた。

「そうです。彼は大学時代の友人で、今は国務院に勤めています」

 国務院。なるほど、それならば竜災害の規模もすぐに把握できるだろう。この国の枢要部である。しかし、ならば尚更。

「彼は大丈夫なんですか?竜災害の情報をサカキさんに流したりして」

 危ないだろう。既にワンには捕捉されていたし、場合によっては国の重要情報を流したという事で処分されてしまうのではないだろうか。

 しかしサカキは、大丈夫だと言って頷いた。

「どうも、彼は僕に話をした事を上長にも報告したみたいですね。それでも処分の話なんかは出てきていないので、国の危機に独自のルートを使って、DDDに情報を流すというのは、単純に国のために必要な事だと認められたようです。というか、彼の直接の上司というのが何というか……三人の熱烈なファンらしくて」

「は?」

 メイユィの事はわかる。彼女は央華出身の駆逐者であり、公式にも間違いなく国の宝であろう。だが、何故私達の事も。

 彼は何故か照れたように頭に手をやって言った。

「いやあ……どうも、こっちの動画サイトに、サブウェイに投稿していた僕の動画が転載されているらしくて。央華語の字幕もついてて、妙に人気があるそうなんですよ」

 いやいや、わけがわからないぞ。そもそも国務院の偉い人がそんな動画を見ていていいのか。いや、別にいいのか?動画サイト自体はこっちの国のものだし、そちらで消されていないのであれば。

「それって、著作権者に怒られたりしないんですか?あと、サブウェイにも」

「まぁ、見つかれば怒られるでしょうね。削除要請は時々出されてるみたいです。その辺りが央華っぽいというか何というか」

 いいのか、それで。サカキの一連のあの動画は、一応外務省の公式の広報という事に……ああ、広報、広報か。なるほど、広報だとすれば、広げて報せる事が目的だから、転載されるという事は寧ろ願ったり叶ったりという事か。

 何とも意外な事だ。上層部の考えたこちらの偶像売りが、変な所で有効に働いている。まさか防衛大臣や外務大臣がこの事を見越して、自分たちに恥ずかしい事をやらせている、というわけではないだろうが……。

「そういえば、ワタシをキンヤンまで運んでくれた、リャンさんっていう戦闘機のパイロットの人も、同じような事言ってたよ」

「本当ですか!コスプレして良かったですね!メイユィ!」

「これは、単純に喜んで良いのでしょうか……」

 今まで単純に上の趣味でエロい格好をさせられて、公開処刑を受けている、とまで思っていたのだ。これが計算の上でやったという事なら、とんでもない深謀遠慮である。

 空を滑る輸送機の中、何とも言えない気分になってしまった。

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