第81話 残酷な現実
駐屯地の周囲には、以前ほど過激ではないにしろ、プラカードを持って座り込む人が増えた。
門は塞いでいないので入るには問題はないのだが、両脇にしゃがみこんだ老人達がこちらをずっと睨んでいるのは若干気持ちが悪い。
入るのに邪魔をすれば公務執行妨害になるという事を学習したらしいので、これでもマシな方だ。出動の邪魔さえされなければなんでもいい。
相変わらずSNSでの攻撃は続いているものの、基本的に内輪で盛り上がっているだけなので、サカキも基本的には放置するつもりのようだ。これが央華や連邦、北コリョであったのなら、即座に投獄されてしまうのだろうが。
いつもの場所に借り物の白い軽を駐めて、研究所とトレーニングルームのある建物に歩き出す。車路を横切ろうと思った時、サカキのクルマがやってきたので待つ事にした。いつもより少し早い出勤のようだ。
スムーズに一発でバック駐車を決めたサカキは、遠隔でロックをかけてこちらに駆け寄ってきた。防衛省ではあり得ない事である。
「おはようございます、カラスマさん。表の連中に、何か言われませんでしたか?」
「おはようございます、サカキさん。大丈夫ですよ、流石に学習したようですから」
あの暴力事件を経て、サカキが意外と忍耐強くて理性の強い事がわかった。伊達に一流大学を卒業しているエリートではないという事だ。
「カラスマさん、その……ミンさん、どうですか?」
どう、とは。少し抽象的過ぎる気がするが。
「まだ一日も経っていないので何とも。ただ、やはりヒノモトに警戒はしているようですね」
「警戒、ですか。うん、まぁそれは折り込み済みなんですけど」
どうやら彼の望む方向性の答えではなかったようだ。だが、だとすればどういった意味なのだろうか。
「トレーニングはまだですよね?」
「まだですね。今日の午前中に一緒に行う予定ですが」
「そうですか。では、もし何か違和感があったら、僕かオオイ二佐に連絡を貰えませんか」
違和感。トレーニングで?
少し考えて、彼が何を言いたいのかに思い当たった。そうだ、南コリョなのだ。
「わかりました。ただ、まだ慣れていないだけの可能性もあることを考慮に入れてください」
「わかっています。さすが、カラスマさんですね」
褒められる程の事ではない。少し考えればわかりそうなことだ。だが、それは……。
「そこまで、するでしょうか」
「する可能性があるんです、あの国は」
「いや……しかし」
あまりにも突拍子のない話だ。そんな事が。だとすれば、自分の計画はご破産だ。できればサカキの考え過ぎであってほしいものだが。
『以上。開発中のシミュレーションシステムはもう少し先になりそうだが、完成したらすぐに投入される予定だ』
ブリーフィング、というよりも、朝礼だ。いつもの丁寧なヒノモト語ではなくて、固いオオイの連合王国語に、若干ジェシカもメイユィも戸惑いがちである。
「うーん、やっぱりハルナはヒノモト語で話すほうが好き」
「そうですね。ハルナの連合王国語はカワイくないです」
「そんなにおかしいですか……?」
若干悲しそうにしているオオイがちょっと可愛い。まぁでも、一度覚えた言語というものはなかなか変えられないものだ。ヒノモトでも方言を覚えてしまった外国人がそのままというのは良くあるので、全世界共通の悩みなのだろう。
『質問がある。そのシミュレーションシステムとは、どこの開発のものだ?』
スビンがオオイに聞く。確か、新古生物の動きを記録した媒体から取り込んで、AIで動きを再現した、VRの発展型のような感じで実戦の練習を行えるというシステムの事だ。
『開発はユリアだ。調整は防衛省が行っている。まだ時間はかかりそうではあるが――』
『何故ヒノモトの企業なのだ。南コリョにも世界一の精密機器企業があるだろう』
あるにはある。だが、それは少し問題があるのだ。
『ユリアのセキュリティは世界一だ。万が一にでも、情報が漏れてはならない。故にこの選択は間違っていない。合衆国からも央華からも了承を得ている』
淡々と返しているオオイだが、その口調のせいで若干冷たい印象を受ける。もう少しその、優しく言えないものだろうか。
『ヒノモトがセキュリティだと!?どの口でそんな事を言うのだ!』
『南コリョの企業は、政治体制と繋がりが強すぎる。現在のあの企業のトップに疑惑がある以上、不適切だと合衆国も判断した』
『何!』
激昂しかけたスビンを慌てて宥める。
『ミンさん、このシステムはあくまでも対竜災害のシミュレーションシステムです。どこが作っても、世界に恩恵のある事です。南コリョでも、ユリアのゲーム機は普及しているでしょう?』
『しかし!これはゲームではないのだぞ!』
真面目すぎるのも問題か。
彼女の言いたいことはわかるが、これは全世界でのプロジェクトであり、各国との相談の上で白羽の矢が立ったのはユリアなのだ。南コリョ一国が異議申し立てしようが、そこはどうしようもない話なのである。
『面倒くせえな。どこだっていいだろ。ゲルトルーデよりクソ真面目だなお前』
『なんだと!?』
ああ、もう。ジェシカの連合王国語も乱暴だから、より面倒くさい事になる。口を出さないで欲しい。
『ねえ、完成はまだ先なんでしょ?どうでもいいから、話が終わったならトレーニングしない?』
ナイスだメイユィ。その通りだ。
『そうですね。私達がすべき事は、訓練して竜を駆逐する事です。トレーニングがその準備段階なのですから、まずはそっちをしましょう』
そうやって促すと、どうにかこうにか三人はロッカールームの方へ歩いていった。
疲れる。三人ではこんな事はなかったのに、どうして一人増えるだけでこんな事になってしまうのだろうか。
原因は分かっている。記憶が消えていないが故に、我を通したがる人間がいるせいだ。
だが、記憶が残っていても自分やフレデリカは皆と仲良くうまくやっている。連邦の子は知らないものの、それでも駆逐者というのは仲間意識が強いものなのだ。
なのに、彼女は。
「やっぱり、微妙じゃないですか?カラスマさん」
ずっと黙って観察していたサカキが言った。
「まぁ、記憶が残っているという事は、国家の軍人教育の影響を受けやすいという事でもあるので……例外なのだと思うしか」
サカキも自分とフレデリカの事は知らない。なので、イレギュラーは彼女だけだと思い込んでいるのだ。実はそうではないのだが。
とは言え、駆逐者に深く関わったものがスビンを見れば絶対に違和感を覚えるだろう。それは、自分とフレデリカが記憶喪失のフリをして上手く立ち回っているからなのだ。
「南コリョの軍人教育ですか。正直、僕は近寄りたくもないですけどね」
「まぁ、気持ちは分かりますが……」
外務省であるサカキは、国家間の関係性やその国の体制を良く勉強している。毛嫌いするのも仕方のない事だろう。
同じく南コリョに毎度嫌がらせを受けている防衛隊のオオイも、あまり良い顔をしていない。彼女の場合はDDDを監理する立場にあるが故に、相当複雑な心境だろう。胃に穴が空いてしまわないか心配である。
「私も着替えてトレーニングにしますね。サカキさん、メイユィ達から要望は?」
「聞いていないですね。まぁ、何かあったらカラスマさんが聞いておいて下さい」
彼はぷいと後ろを向いて入口の方へと向かっていった。オオイもそれに続く。
「ちょっとこれは、問題かもね」
マツバラだけが残って眉間に皺を寄せている。
「国がどうとか言っている場合ではないのに……」
「いや、違うよ、カラスマさん。言語や国家ってのは諍いの元ではあるんだけど、この場合はそうじゃない。根っこにあるのは不信感だね」
不信感か。まぁ、言われてみればそうなのだが。
「その不信感を生み出しているのが、国家や言語なのでは?」
「それは原因じゃなくて、要因の一つだね。原因は……まぁ、すぐにわかるよ。私はデータを貰ってるから科学者の立場として、一旦は信用する。ただ、現実は残酷だね」
「残酷?」
どうしてそのような言葉が出てくるのかが分からない。
聞き返したのだが、マツバラは唇の端に小さな笑みを浮かべて部屋を出ていった。
マツバラの言った意味は、すぐに理解できる事となった。
『とりあえず、これからやってみましょうか。使い方はわかりますよね?』
『馬鹿にするな。何度も使ったことがある』
新しい機材の前で、6つに分かれた腹筋を誇示した彼女がトレーニングマシンの前に立つ。
彼女は綺麗なフォームで、上から伸びているバーに手を伸ばした。力を込めて、ぐいっと引き下ろし……身体が浮いた。
『ああ、下にあるリングに足を通して下さい。体重のほうが圧倒的に軽いんで』
言われるがまま、彼女は足元にある留め具に足を通して、もう一度バーを引っ張った。全力を込めているようだが、バーは微動だにしない。
『……ああ、そうですね。これは私達向けなので。ただ、軽い重量にはもうできないので……あちらにあるバーベルでやってください。500キログラム程度なので、多分』
『500キロだと!?』
あー、うん、まぁ。
『そうですね、まぁ……私達に合わせたものなので……その、トレーニングの初心者向けだと、外でないと無いかも』
『何だよ。こんなクソ軽いものも持ち上げられないのか?あんだけ大口叩いたくせによ』
ジェシカは少し黙っていて欲しい。連合王国語だと口調がアレなので喧嘩腰に聞こえるのだ。
彼女はヒノモト語だとこう言っている。『これはまだ軽い方ですが。スビンならもっと重いものが持ち上げられると思っていました』だ。意訳すれば多分こうなる。
『お前らはこれを持ち上げられるというのか!冗談も大概にしろ!』
いや、うーん。これでももう軽いレベルになってきているんだけど。
『持ち上げられるよ?ほら』
メイユィがリングに足を通して、ひょいっとバーを引き下げた。後ろにあった1.5トンの重りが軽々と持ち上がる。
何度もひょいひょいと上げ下げした彼女は、笑顔でスビンに問いかけた。
『スビンはまだ鍛錬が足りていないみたいだね。がんばれ、すぐに追いつけるから』
残酷だ。こんな華奢で小さな子供に、ムキムキの軍人が励まされている。あまりにも残酷だ。ひょっとして、マツバラが言っていたのはこの事か。
『な、なんだ。お前、トリックでも使ったのか?これ、何キロあるんだ?』
『今は1500キログラムだね。入れ替えたばかりだけど、段々物足りなくなってきたところだよ。ミサキもジェシカも、ちょっと飽きてきたって言ってた』
そこまで言わなくても良い。まだ彼女はそこまで……いや、待てよ。
『ミンさん、普段から鍛えているって仰ってましたよね』
『あ?ああ。当然だ。でなければこんな身体にはならない』
『それは、駆逐者になってからも続けていましたか?』
この質問で全てがわかる。彼女が、本物なのかどうかが。
『……駆逐者というのは、産まれながらのものではないのか?』
その瞬間、子供が欲しいというこちらの希望はあえなく潰えた。
「どうするんでしょうね、南コリョは。今朝早々に駆逐者を出したって大々的に宣伝していましたけれど」
サカキが呆れた様子でモニターを見ている。
「それはあちらの国の落ち度でしょう。こちらはどうもしません。自業自得……いえ、この場合は因果応報と言うべきですか」
「どっちでもいいですよ。まぁ、彼女が全てを知っていてここに来たってわけじゃないのがまだマシ、というか……残酷ですね」
「残酷、ですね。彼女は国に帰って、どういう扱いをされるのか」
「あっちの国民性でしょ?知ったこっちゃないですよ」
「サカキさん、辛辣ですね」
「辛辣にもなりますよ。オオイ二佐だって同じ気持ちでしょうに」
「まぁ……でも、この場合、個人に責任は無いような気がしますが」
サカキは少し黙ってオオイの言葉を反芻した。
「だとしても、です。しかし、教育というのは本当に大切ですね」
「そうですね。あとは、俯瞰的な視点と広い視野でしょうか」
「それができる人は、とっくに南コリョで軍人なんて続けてないと思いますけどねえ。とにかく、この悪趣味なモニターが初めて役に立ちましたね」
「耳の痛いことを言わないで下さい。これも命令なんですから」
「わかってますよ、オオイ二佐がそんな人じゃない事は。仕事に戻ります」
サカキは手を振って監視室を出ていった。取り残されたオオイは、すぐに上に報告するべく、手書きの報告書をまとめ上げて、プリンタを兼ねているスキャナにそれを読み込ませた。
彼女はその日の夕方をもって、飛行機で南コリョへと送り返された。
まさか駆逐者でもない一般人を戦場に投げ込むわけにもいかない。いくら鍛えていようが、恐竜相手に生身の人間が立ち向かえるわけがないのだ。現場に死体を増やされては困る。
彼女が言っていた、『初めて竜を斬ったのは斧だった』という言葉は、自分たちが倒した後の竜を斧で切断した時の事らしい。
死んだ後の竜の細胞は、普通に人間でも切断できる。どうやら生きているときにしかあの頑健な体細胞は機能しないようなのだ。
自分達が南コリョで倒した恐竜を回収した軍が、この程度の硬さであれば、既にいる人間でも倒せるのではないか、と馬鹿な判断をした結果、送り込まれたのがミン・スビンという軍人の女性だったらしい。
確かに彼女は随分と鍛えている。並の猛獣であれば、どうにかこうにか制圧できるぐらいの力はあるだろう。だが、相手は兵器の通用しない、既存の猛獣よりも遥かに頑丈で俊敏、かつ攻撃力の高い新古生物なのである。
直前に自分が一般人に蹴られまくっている動画が出回った上、WDO、世界竜災害対策機構主催の首脳会談で、駆逐者を出していない国の肩身の狭さを実感したのが動機と思われる。
ただ、例えそのような理由があったと言えども、南コリョの見通しの甘さ、情報収集不足、見栄を張りたがるトップの性質が相俟って、本来存在しないはずの駆逐者をでっちあげ、結局は大恥をかいたという事になる。
研究室に渡されたかの国からのスビンの情報は、盛りに盛られた数字だったという事だ。同じトレーニングをすれば、すぐに我々と同じようになれると思ったらしい。
というか。
「馬鹿だろ」
大量に大皿に盛られたメンチカツを敵のように箸で串刺しにしたソウが、呆れて言い放った。
「ちょっとネット調べりゃわかんだろ!?ミサキ達がどんな経歴だったとか、どの程度の力持ってんのかとか。動画だって大量に出回ってるだろうに」
その通りだ。
外務省の広報から情報を随時発信しているので、自分たちがどの程度の速度と腕力を持っているかは、動画でいくらでも見つけることができる。そもそも、公的に我々は一旦記憶喪失になったという事になっているのである。そこに疑問を持たないというのは、あまりにも情報処理能力がなさすぎる。
「ごめん、ソウ。子供はもうちょっと先になりそう」
「お前が謝るなよ。謝る事じゃないだろ。糠喜びさせたのは、あの馬鹿国家なんだから」
それはその通りなのだが。
「もっと注意深く見てれば、違和感には気付いたかも。現に、サカキさんは会った初日から疑ってたみたいだし」
「そうなのか?まぁ、伊達に良い大学出てるわけじゃないってことか」
「多分、学歴じゃなくて外務省職員だからじゃないかな」
「あー……なるほどな。じゃあ、オオイさんも気がついてたのか?」
「多分」
自分にはその視点は無かった。世界的な災害だからこそ、そんな下らない嘘はつかないだろうと純粋に信じていたのだ。
「マツバラ先生は?」
「先生は、一応貰ったデータは信用してたみたい。けど、科学者は基本的に再検証しないと結論を出さないから」
「まぁ、そうか。そうだな、論文もそうだからな」
いくら有名雑誌に掲載された論文だからと、それが正しいというわけではない。
何度も追試を行って再現されないと、それは科学的な事実だと認められないのである。彼女の場合、送られてきたデータそのものが完全なる嘘っぱちだったという事だ。
「災害規模は大きくなる一方だし、希望が見えたと思ったら偽物だったし。どうする、ミサキ」
「しょうがないよ。私達の子供と世界を天秤にかけるわけにはいかないし」
「だよな……はぁ」
振り出しに戻る、だ。落胆は酷いが、それでもまだ希望は捨てていない。
「きっとまた、チャンスがくるよ」
「……そうだな」
彼は私を愛している。この感情が続く限り、いつかはその願いが叶う時が来るだろう。
そういえば、男性の生殖可能年齢はいくつなのだろうか。確か70代でも妊娠事例はあったと思うが、場合によっては冷凍保存も視野に入れなければならないかもしれない。
そこまでこの戦いが長引くとは思いたくないものだが。
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