第56話 幕間の鰈
夕食が完成する頃、適当な男が帰ってきた。
彼はただいまも言わずにリビングに入ってくるなり言った。
「俺も行く」
「分かってるって。チケットは貰ってあるから心配すんな」
何もかも省いた言い方をされても、何が言いたいのかは承知している。だが、その上でもう一つ言っておく。
「トシツグの家族も招待するけど、良いよな」
「トシツグ君の?良いに決まってるだろ。てか、ウミちゃんは大丈夫だったのか?」
「それが気になったから呼ぶんだよ」
ソウの許可が得られたのですぐにワイアードを起動する。週末にムサシ県まで行けるかどうか確認すると、すぐにOKが出た。
宿泊費や移動費はこちら持ちだ。招待なのだから当然である。四人分の入場チケットをワイアードで送り、手元のIHのスイッチを切った。
暖かくなってきたせいか、ソウは背広の上着を着ていかなくなった。自分でネクタイを外して定位置に掛けている。
こちらは大きなカレイの煮付けを皿に乗せて、食卓へと運ぶ。
カレイは煮ても揚げても非常に美味い。骨離れの良い淡白な白身で、柔らかい肉質が清酒に実に合う。なので、今日はキリっと冷やした辛口純米大吟醸の冷酒である。
美味そうな煮魚にも関わらず、彼は少しだけ不満そうだ。
「唐揚げ、食ったんだろ」
「ああ……うん。あれはその、資源の有効利用というか何というか」
ソウは唐揚げが大好物だ。その上食べたことも無い恐竜の唐揚げをこちらが食べたという事で、羨ましくて仕方が無いのだろう。
「美味かったか?」
「そこそこ美味かったよ。俺としては普通の鶏肉の方が良いとは思ったけど」
これは本当である。唐揚げにするなら、やはりもう少し味のしっかりとした鶏肉のほうが自分の好みだ。サカキは竜のほうが美味いと言っていたが、好みの問題だろう。
「そうなのか。でも、ずるいよな。恐竜の肉なんて、一般には回ってこないだろ?絶対」
良く冷えた冷酒の瓶をとんとテーブルに置くと、彼の機嫌は少しだけ直った。やはり煮魚には清酒である。
「無理だろうなぁ。そもそも厚労省の認可も出てないし。あれだ、ジビエみたいなもんだよ」
許可はしないので自己責任でどうぞ、でも生はダメよ、と、その程度のものである。世界保健機構ですら、竜の肉を食べたらどうなるかなんて調べてもいない。研究所で毒は無いよと言われたので食べただけだ。あと、恐竜の種類は違うだろうがロロによる実体験というものもあった。
「でも、食ったんだろ。サカキさんも」
「ああ、うん。サカキさんも食べたな。まぁ、彼は広報だし……人間が食べて大丈夫かっていう人体実験に近かったけど」
「なんだそれ、怖いんだけど」
まぁ、上に医者が待機していたので大丈夫だ。具合が悪くなれば胃洗浄だってしただろうが、幸いにしてそれはなかった。
箸で大きめに切り取ったカレイの煮付けを、皮ごと口に放り込む。美味い。ほんのりと香る生姜の芳香に、じんわりと染みた酒と醤油ベースの味付けが、淡白な白身に染み込んでなんとも言えない。ガラスの猪口に注いだ冷酒をきゅっと流し込めば、そこはもう旨味と香りのパラダイスだ。
「なぁ、ミサキ」
「なんだよ」
ソウは珍しく酒が進んでいないようだ。それはそれで健康的で良いのだが。
「その、エリザベートのコスプレって、貰えるのか?」
「……しらねえよ。ユリアの社長に聞けばいいだろ」
「はぁ!?社長って……スギタ社長が来るのか!?」
サカキがそのように言っていた。重要案件なので来るのである。
「来るよ。結構このコラボ重視してたみたいだし。多分、今後も別のゲームでよろしくって言って来るんじゃないか?」
ブランディッシュ・ファイト自体はユリア・エンターテイメントの
「マジかよ……うちもユリアとはいくつか仕事で関わりがあるんだけど。一応、部長に言っておいたほうがいいか?」
「アホか。お前が来るのはプライベートだろ。仕事の話を遊びに持ち出すな」
「あっ……そうだな。
まぁ業界の雄のトップが来るというのだ。狼狽えるのは仕方が無い。
「社長が来るぐらいなら、多分貰えるよな」
「お前な……水着とバニーだけに飽き足らず、エリザベートコスでもやりたいのかよ」
「やりたいに決まってるだろ!あの、あれを、あんなのを、お前が着るんだぞ!そんなの他人になんて見せたくないのに!」
ダメだこいつ。欲望に忠実過ぎる。
「わかったわかった。ちゃんと聞いてやるから。お前はしゃしゃり出てくるなよ、話がややこしくなるから」
一応は広報同行の公式の場で、旦那が出てくるというのは大スキャンダルになる可能性が高い。客席で他の人と並んで、じっと見ていて欲しい。
「分かってるよ。忘れるなよ、絶対だぞ」
しつこく念を押す彼は、カレイを口に入れて美味そうに酒を啜った。どうやら唐揚げの件はもう忘れたらしい。
「けどさ、ソウ。お前ってそんなにコスプレ好きだったか?確か、前は三次元にすると萎えるとか言ってただろ?」
嘗ての彼曰く、二次元は二次元だからこそ美しい。リアルにすると萎える。という言葉を
それはまあ、理解できる。アニメチックな平面世界の美しさというのは、現実ではあり得ない理想を表現した世界なのだ。そこに美的に完璧な理想を求めるというのは良く分かる。
「いや、それは……それは、その。ミサキだったらOKというか」
誤魔化すように猪口を呷り、躊躇うようにカレイをつつく。
「ふーん」
それはそれで、何というか、気恥ずかしい話ではある。
要するに、彼は理想とする二次元と同程度にこちらの事を見ているという事になるのだ。
自画自賛になるが、確かに自分は可愛い。それはもう、絵の中から飛び出してきたのかと思うような美少女である。つまり、ソウはその三次元の欠点を全て無視できるほどにこちらの事を気に入っている、という事なのだ。
「笑うなよ」
「笑ってねえよ」
嘘だ。どうしても笑いが堪えきれない。こいつの三次元での理想が自分という事なのだ。笑わずにいられようか。
「ふ、ふふ」
「……おかわり」
空になった瓶を受け取って、ニヤつきながらキッチンに持って行く。これは、今夜も随分と燃え上がりそうだ。
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