第55話 防壁
駐屯地内に与えられた待機室で、サカキは先程撮影した動画を編集していた。
あの三人による料理動画などというものが公開されれば、爆発的に再生数を稼げるのは間違いない。
別に広告収入を得られるわけではないが、世の中に彼女達の可愛い姿を配信できるというだけで、彼はこみ上げてくる喜びを隠せずにいた。ニヤニヤしながら端末の画面を見つめるその姿は正しく変態である。ただしイケメンではあるが。
編集といってもそれほどややこしいものではない。冗長な部分をカットして、問題のありそうな部分も飛ばす。ミサキが割と気をつけていたせいか、その作業は比較的スムーズにいった。
編集の終わった動画をじっくりゆっくりと見直して、彼は満足げに頷いた。これならば問題ないだろう、と。
「時間的に……そうだな、ユリアと合わせるか。確か今日の午後15時だったか」
イベント自体は突発だ。今日発表、週末実施。3日間だけの抽選期間を経て、会場に入れる当選者が決まる。何もかも急ピッチだ。
「次からはもう少し計画的にできるかな。第二弾、第三弾も計画してるって言ってたし」
味をしめた、というよりも、ユリア・エンターテイメント側はどうもDDDの動向を伺っていたらしい。隙あらばコラボしてやろうというアンテナを働かせていた所に、今回の彼女達の話が舞い込んできた、という事のようだ。
流石に大企業ともなると世の中の流行には敏感なようだ。そもそもユリアはゲーム関連企業である。まるでゲームの中の登場人物のような彼女達に目をつけるのは当然だろう。場合によっては彼女達をモデルにしたゲームまで作られるかもしれない。
動画を時間予約投稿したサカキは、一仕事終えたとばかりに背もたれに体重を預け、大きく伸びをした。
外務省DDD担当の広報として、彼には意外とやる事が多い。
本省との細かい連絡は当然として、外務省としての今回の彼女達の移動は、防衛省側のように駐屯地宿泊ではなく、民間の宿泊施設の予約が必要になる。
ある程度セキュリティの確保されたホテルで、かつ会場に近く交通の便が良い場所。
移動費も滞在費も先のサイクロプス島と同じく、全て外務省持ちだ。経費申請も予約の手配も彼の仕事である。
裁量権が大きい分、責任も大きい。一つ大きなミスをしてしまえば、即座に彼の評価に直結する。しくじれないというプレッシャー自体は常に感じているのだった。
端末に向き直った彼は、今度はウィスパーラインを開いた。告知をしておく必要がある。
『こんにちは!外務省DDD担当広報です!先日のBF突発エキシビジョンマッチの、記念イベントの日程が決定しました!本日、ユリア・エンターテイメントから発表される予定ですので、参加を望まれる方は是非、チェックしておいてくださいね!ユリアの公式アカウントはこちら』
最近は彼が何かを囁くだけで、物凄い数の返信や引用が付く。フォロワー数は凄まじい数を示しており、如何に彼女達が世界から注目されているかが分かる。
続けてキーボードを叩き、動画投稿に関する事も同時に公開する。
『同時に本日、サブウェイにてDDDパシフィックによるお料理動画を公開します。料理中の模様はドラスタにも投稿しますので、気になる方は是非そちらもチェックしてみてはいかがでしょうか』
写真投稿がメインとなるドラスタグラムの公式アカウントにも、数多くの支持者がついている。この間のミサキのバニー姿を投稿した時には、空前絶後の既読数を記録した。やはり、彼女が三人の中で最も人気があるようだ。
無論、アンチも多数存在する。その多くは主に倫理的にどうかという内容を前面に出している者が多い。
(倫理的に、か。今更だろうに。僕らの生活は彼女達の犠牲の上に成り立っている)
肉を喰らいながら家畜を殺すのはかわいそうだと叫ぶようなものだ。馬鹿げている。
勿論、彼とて彼女達が性的に消費されているのに何かを感じない事もない。だが、多少性的だろうがなんだろうが、肯定的な支持者は多いほうが良いというのが彼の考え方であった。そしてそれは、取りも直さず国のスタンス、方向性でもあるのだ。
アイドル的にでも良いので彼女達の存在を民衆に認知させろ、と言ってきたのは、他ならぬこの国の重鎮たちである。各方面に話はついているので、やりすぎない程度にどんどんやれ、と彼は背中を押されていた。やれと言われればやるのがエリート公務員である。嫌も応もない。
それに、実は女性達からもミサキの人気は高い。どうやら最初に彼女達の存在を公表した時の、彼女の献身的で自己犠牲的な内容の受け答えが原因のようだ。
毅然とした態度と人の生活を守るという強い意志の感じられる態度に、自らの足で進んでいく強い女性というイメージを持たれているようだ。
アンチには女性が多いが、女性の支持者もまた多い。それがあの、ミサキ・カラスマという存在だった。
『どろぼう』
『売女』
『ケチくさい女』
短文で同一のアカウントから続けての返信があった。wisとしてはかなり異質なものだと言える。
ここは匿名掲示板ではないし、このように端的な誹謗中傷だけの返信というのは、余程頭のイカれた奴か、SNSの使い方を知らないネット初心者か。
案の定、返信してきたアカウントを見れば、昨日作ったばかりのフォロワー数0のものだった。捨てアカウントかもしれない。
反応するのは無駄だ。ブロックして、迷惑行為を運営に報告して終わり。これだけだ。
有名税というやつだろう。人間には色々な奴がいる。全ての人間から好かれる存在などいるわけがない。
これだけ誰でもネットが簡単に使える時代になったのだ。馬鹿だろうが『キ印』だろうがその頭の中をいくらでも表に出してしまえる。
ネットというのは人間の汚い部分の坩堝でもある。何の変哲もない囁きですら、お前それを他人に聞かせてどうするんだ、というようなものばかりである。
総じて価値がない。価値が無いものを暇つぶしにいじくり回すのが、このSNSという混沌の海だ。割り切っていなければ、自分とて喜んで見たいとは思えない。
だが、広告としては便利だ。猫も杓子もウィスパーラインを見ている時代、広告媒体として使わないという手は無い。扱い方さえ覚えれば、情報発信側からすれば実に便利なものである。
現に先日の突発的なイベントですら、物凄い数の人間が実況動画に集まった。これは巨大SNSでなければできない芸当だ。利用者達は、刹那的な快楽を求め続ける。
叩かれ続けている例の暴言プロゲーマーだって、別にアカウントを停止される事なく、元気に発信を続けている。信者は何をしても離れないし、ウォッチャーはそんな彼女達を見て面白がり、義憤に駆られた真面目君は彼女に注意を促す。そして知名度が高まっていく。炎上芸という壮大な茶番だ。
『何勝手にブロックしてんだ犯罪者の手先』
意味のわからない返信が付いた。先程の捨てアカウントのメインアカウントだろうか。
アイコンは外車だ。確かヴァイマールの有名な自動車メーカーのものだ。
発信者を探ってみると、フォロワー数の少ない比較的昔に作られたアカウントだった。ご丁寧に自分のプロフィールを公開している。
『ヤマシロ在住のちょいワル親父。愛車はガルボのグランドモデル。イケイケの経営者、よろしく』
「ちょいワルって」
思わず声に出して笑ってしまった。少し前に流行しかけた死語だ。マスコミが流行らせようとした時代遅れの言葉を、まだ喜んで使っている奴がいたとは。
アカウント名はリュウジ。当然ながらヒノモト人である。外車をステータスだと思っている、大分頭が古いタイプの人間だ。自分とは絶対に価値観の合わない存在だろう。
何にしても、こいつが先程のアカウントの主だろうか。その割に、彼?の他の囁きや返信を見てみれば、比較的慣れている感じはする。
ただ、価値観は相当にアレだ。
昔のヤンチャ行為――まぁ、犯罪の自白である――を自慢げに語り、現在もちょくちょくクレーマーのような迷惑行為を行っているようだ。ヤクザや半グレとまではいかないものの、要するに暴力的で反社会的な行動を格好良いと思っているタイプの迷惑なオッサンである。
こういった存在は昔からいたらしい。
自分達の時代にはほぼ絶滅していたが、時折田舎の成人式のニュースで出てくるような、所謂ヤンキーという奴である。
こんな馬鹿どもと一緒にするなと合衆国の大都市の人たちから怒られそうな名称だが、悪さをすることが自分の存在価値だと言わんばかりの、価値観が世間の常識から大幅にずれた人たちの事である。
自称経営者という事だが、こんな奴の経営する会社で働きたいという奴がいるのだろうか。いるのだろう、同じ価値観の奴が。
「うーん、少し泳がせるか。何か釣れるかもしれないし」
ブロックはせずに、無視して静観を決め込む。こういう輩は勝手に自爆していくもので、周辺の人が少し反応するだけでどんどんその姿を裸にしていく。虚栄心と自己顕示欲の塊なのだ。
15時になった。サブウェイの方を見ると、やはり爆発的に再生数が伸び始めた。これが広告収入を得ているアカウントであったら、笑いが止まらないだろう。
事実、こちらが投稿した動画を勝手に切り抜きで纏めている者もいる。一応通報はしているのだが、DDDの知名度からか一定の再生数には達しているようだ。確か、切り抜き動画は広告収入の対象外となったはずなのだが。
実際には抜け道があるようで、あの手この手を使って無理矢理広告収入を得ているものもあるらしい。こういう抜け穴対策というのは、本当にいたちごっこになりがちだ。
動画は大変好評である。何しろ、恐竜の肉を食べたものなど今まではロロしかいなかったのだ。
アトランティックのロロが食べていたというのはあくまでも情報だけであるのに対し、こちらはきちんと唐揚げに調理して食べている。間違いなく世界初である。
可愛い三人がエプロン姿になって、どこか慣れた調子で竜の肉を調理していく。ミサキは普段から毎日料理をしているそうだが、ジェシカとメイユィも彼女から教わって、ある程度はできるようになっている。手つきに危うい所は無い。
『DDDの料理食いてえ』
『恐竜って食えるのか』
『やべえ、うまそう』
『キナイに対する熱い風評被害』
『ボクのソーセージもメイユィちゃんに食べてもらいたい』
『慣れてるな、そういえばミサキちゃんって料理が趣味なんだっけ』
『二度揚げとか、手間かかってんなー』
『ジェシカちゃん、エプロンがはち切れそうだよ!』
『あー、普通にうまそう。恐竜の肉、売ってくれないかな』
殆どが料理に関する感想と、恐竜の肉を食べるという事への驚き。中には調理法に言及したものもあって、専門的な事を言っては他の視聴者に叩かれている者もいる。
ミサキの作る料理は基本的に家庭料理が多いそうだ。今回の唐揚げもそうだが、メイユィに一度、ヒノモトの食べ物では何が好きかと聞いてみたところ、ミサキのカレーという答えが返ってきた。
彼女は辛いものが苦手だと聞いていたが、ミサキの作ったカレーは大好物らしい。確かに、ヒノモトの家庭で作るカレーというのは千差万別だ。辛すぎないルウも沢山売っている。
『やべえ、唐揚げ食いたくなってきた』
『すげえ量……』
『気持ちよく食べるなあ』
『いっぱい食べる君が好き』
動画はもりもりと唐揚げと飯を頬張る彼女達の場面に移った。三人は本当に良く食べる。
一緒に旅行、もとい顔合わせに行った時に見て知っていたものの、目の前にするとやはり圧巻だ。サブウェイにも沢山大食いの人たちの動画が上がっているが、それと同レベルである。しかも、嬉しそうに、美味しそうに、楽しそうに食べている。見ているこちらも嬉しくなってくる程に。
動画の再生数は怖くなるくらいに延々と伸び続けている。海外からの視聴者も多く、その殆どがこれは恐竜の肉なのかと驚いているものばかりだ。
自分も食べてみて驚いた。まるで臭みがなく、淡白だが歯ごたえのある美味い肉だった。
勿論調理法も良いのだろう。唐揚げという選択をしたミサキの判断もさる事ながら、味付けもシンプルでありながらいくらでも食べたくなるようなもので、思わず出されたものを、いつも食べている量よりも沢山食べてしまった。
しかも、今後は昼食を一緒しても良いのだという。平日は毎日食べられるのだ、あのミサキの手料理を。
料理が趣味だという彼女の腕は聞いて知っていたものの、実際に食べてみるとそのありがたさがよく分かる。何というか、安心感があるのだ。
唐揚げ定食というのは特別目立ったものではない。どこの定食屋に入っても必ずあるものだ。店で食べても美味いし、多分彼女の作ったものは店のものとそう変わらないだろう。
だが、それは凄い事だ。日常の生活で店で食べるものと遜色ないものが食べられるのである。どう考えても高い外食やコンビニ弁当と比べれば生活の質が段違いだ。
あの手料理を、サメガイ議員の息子は毎日食べているのだ。おまけにあのスタイルと美貌。そりゃあ、喜んで結婚もするし絶対に手放さないに決まっている。一度しか会ったことのない彼女の夫が無性に羨ましくなった。
ドラスタにも彼女達の調理風景をいくつか投稿して、ぼーっと動画の伸びを見ていると、wisの方がどうにも騒がしくなってきたようだ。釣れたのだろうか。
こちらの囁きを引用する形で、どうやら先程のリュウジという男が炎上を始めたようだ。やはり、期待を裏切らない。
『知り合いの垢を速攻ブロックした雌豚どもの手先、外務省。支払いの督促だかなんだかしらねえが、次会ったら犯してやるからな、雌豚が』
支払いの督促、何の事だろうか。外務省が一般人に対して金を払えという事はまずありえない。税務署ではないのだ。
いずれにしてもこれは犯罪をほのめかす囁きである。一応通報しておくことにした。
彼の囁きには、一気に沢山の返信や引用がついた。
『ブロックされるような事をした知り合いって、本当に知り合いですか?』
『はい、犯行予告。さようなら』
『やれるもんならやってみろよ、恐竜ぶちころがす人たちだぞ?』
『支払いって。こいつ何やったんだろ』
『外車でイキってるおっさんが犯行予告してて草。ちょいワルで更に草』
外車、外車。待てよ、そう言えば。
「あれか……ちょっとまずいな、これは」
ミサキの住んでいるマンションで起こっているトラブルの事だろう。こういう輩は、自分が不利になると自分の知っている情報をばらまく可能性が高い。一部ではミサキがカワチ市の中心部に住んでいる事は知られているが、公開情報ではないのだ。炎上して派手に燃えた挙げ句にミサキにまで飛び火してはかなわない。すぐさま内線でオオイのいる監視室にかけた。
「オオイ二佐、今、うちのwisから引用で炎上してるオッサンがいるんですけど」
『はい?wisですか?ちょっと待って下さい』
カチカチという音が受話器の向こうから聞こえてくる。すぐに見つけたのか、彼女は唸り声を上げた。
『こいつは……なるほど、分かりました。対処は任せて下さい。反応はしなくて結構です』
「承知しています。すみません、ご迷惑をお掛けして」
『いえ、お互い仕事の範疇でしょう。問題ありません。では』
実に頼もしい。彼女の実務能力は一級品な上、司法にも強く働きかけることができる。
情報統制に危機感を持った我が国の中枢部は、特にDDDに対する誹謗中傷や情報漏洩に対して敏感だ。これは決して央華や合衆国に配慮した結果のみとは言えない。
彼女たちは一部、人権が制限されている。であるが故に、いずれ過度な攻撃に晒されるだろうという事は危機管理上口を酸っぱくして言われていた。
時々いるのである。人間扱いじゃないのだから、何をしても良いだろうと考える馬鹿が。
そんなわけがない。彼女たちは各国の国籍を持った立派な人間だし、人権だって当然ある。竜災害に関する事だけが一部法を逸脱してしまうだけなのだ。彼女たちが人間でないなどという事は絶対にない。
現にほら、勘違いしたこのおっさんはどんどん囁きをエスカレートさせていく。
『雌豚は人間じゃねえだろ。犯罪になるわけがねえし。ほら、文句あんなら捕まえてみろよ。できねえくせにネットでガキどもがイキがりやがって。あの雌豚、今度は家に押しかけて穴という穴に突っ込んでヒイヒイいわせてやるからな』
ぞわぞわと怒りが背中から立ち上ってくる。胃液の臭いを感じるほどに内臓から呼気が溢れ出る。何が、雌豚だ。この社会不適合者が。女神のような彼女たちを愚弄するのか、下賤な野郎が。捕まえてみろだと?お望み通りにしてやろうじゃないか。この囁きは致命的だ。具体的に『家に押しかけて』とまで言っている。流石にこれは犯罪予告だと断定できる。
通報するまでもない。こいつの返信には圧倒的な否定の声がぞろぞろと連なりだした。引用が拡散され、世界中からこいつに攻撃の矛先が向けられる。
遠からず破れかぶれになったこいつはミサキの個人情報を暴露するだろう。圧倒的な言語による攻撃が、リュウジという男に向かって浴びせられている。黙れだとかガキがとか一々反応していたそいつのアカウントは、しかし突如として沈黙した。『このアカウントは停止されています』。どうやら間に合ったようだ。
極めて迅速な対処だが、恐らく自分が報告する前にこいつの存在はマークされていたのだろう。まず間違いなく公安の仕事である。
ほっと胸を撫で下ろし、暴漢のアカウント停止に対する嘲笑と喝采、そしてミサキを心配する声の中に埋もれる。あまり心臓によろしくない。
ネット上は再び馬鹿馬鹿しくもどうでも良い渦を巻き始めた。恐らく、自分に関係のない所でも特定の人間にとっては先程と同じ様な行為があちこちで起こっている。
対象がDDDのミサキという、監視を要する者の周辺で起こったから対処されたが、一般の人間にとってはこのような対処は不可能だ。不平等だとは思うが、優先順位があるのは仕方のないことだろう。
立ち上がって階段を降りていく。缶でも何でも良いので、ブラックコーヒーが飲みたい気分だった。
「DDD監理官のオオイです。wis案件の対処をお願いします」
至極落ち着いた調子で、二等陸佐は支給品のスマホに呼びかける。程なくして無表情で頷いた彼女は、ただ一言、こう言った。
「ありがとうございます」
彼女のやった事はこれだけだった。そもそも、彼女が動かずとも組織は勝手に動いていただろう。彼女は数あるうち、一つの引き金の役を担っているだけに過ぎない。
彼女が電話をかけた先は、警察庁公安部サイバー犯罪対策竜災害課という、長ったらしい名前の司法組織である。
公安は警察庁に属する、国家による対ヒノモト工作、対テロ、或いは極左・極右活動家の監視や新興宗教の警戒などを行う国家保安組織であり、彼らのネット上の活動における犯罪を監視するのがサイバー犯罪対策室である。
その中でも、特に竜災害に関する重要案件の処理を担っているのが竜災害課であり、陸上防衛隊で彼らと似たような情報管理を行っていた『情報保全隊』と緊密な連携を取っている。
元々は防衛隊によるクーデターを警戒して作られたその情報保全隊ではあるが、そちらの監視は無論の事、現在はDDDや竜災害に関する流言や情報漏洩の監視を行っている。
つまり、公安の竜災害課と防衛隊の情報保全隊による二重の監視がネットには向けられており、お互いの情報を融通し合い、相互的、かつ独自的に対処を行っている。
以前であればこのような協力体制は認められなかった。軍と警察による情報統制だと騒ぎ立てるものが必ず現れたからだ。
しかし、情報管理の稚拙さから災害を拡大させたと合衆国から極秘裏に指摘を受け、外圧に弱いヒノモト国家上層部は、即座にこの体制を組むことを決定した。
言われるまで動けないというのも情けないが、それでも強固な情報監視組織ができた事は、彼女達防衛隊の幹部達には、大きな前進であると認識されている。
二つの組織は、特にミサキの周辺の人間関係について極めて神経質に情報収集を行っている。今回のリュウジ・ムトウの件もその一環だ。
そもそもミサキ自身が駐屯地の弁護士を使って司法に訴え出た事であるので、当然のごとく公安も情報保全隊もその存在を認識していた。重要監視対象だったのである。
オオイのスマホに着信が入る。間髪入れずに通話ボタンをタップした彼女は、電話に出て相手の話を聞き、言った。
「そうですか。了解しました。勤勉な彼女であれば間違いは無いでしょう」
通話を切った後、彼女は珍しく口元に薄笑いを浮かべると、ふっと鼻から息を吐き出し、独りごちる。
「やはり、あれはあれで使いようがあるというものです」
やや冷めたコーヒーを給湯室の電子レンジで温め直すべく、彼女は立ち上がった。
その男は朝から虫の居所が悪かった。
一族経営の足場工事会社で、残業代が出ないならやめると数人の新卒採用者が申し出てきたからだ。
彼にとって、残業代を出す事など端から考えの外であり、仕事は一式終わらせて満額、という考え方であった。
それ故、最近のガキは仕事というものが分かっていない、やめるならやめろと怒鳴りつけ、直接その場でクビを言い渡したのである。
「これだから軟弱な最近のガキは嫌いなんだ。仕事を何だと思ってやがる」
ヤマシロ市の比較的中心部に近い場所に構えた事務所。その一際大きな社長室でふんぞり返り、イエスマンの総務部長と息子の経理部長に不満をぶちまけた。
「全くだよな。通常以上に金をよこせとか、図々しいにもほどがあるぜ」
「そうですね。人事部長には、もう少しマシな人材を入れるように言っておきましょう」
自分と同じ様な考え方に教育した息子と、上意下達がしっかりとした、つまり只管に従順な総務部長にいくらか機嫌を直したその男は、二人を下がらせて椅子の上で足を組み、大きなタブレットを取り出した。
毎日暇潰しに見ているエロ動画サイトでも見るか、と思っていた彼は、そのタイミングでポケットから鳴ったスマホの着信音に舌打ちをした。
「もしもし?おふくろか?なんだ、どうした?wisの使い方?なんだよ、そんな事、タツミに聞いてくれよ。だいたい、おふくろがwisで何をするんだよ」
男の母親はカワチ市の高層マンションに住んでいる。この男が買ってやったのだ。
タツミというのは彼の息子で、先程の経理部長だ。ネットの事なら若い息子に聞いたほうが早かろうと、彼はそちらに丸投げするつもりで母親にそう言った。
「ああ?登録はできたが書き込んだら書き込めなくなったぁ?そりゃ、おめえ。ブロックされたか停止されたかなんかだろ。どこに何を書き込んだんだよ」
男はエロ動画を見ようとしていたタブレットを操作して、自分のwisを開いた。自慢のガルボをアイコンにしてある。
「はぁ?外務省広報?ああ、あの。そういや何か、裁判所から金払えって来てたな。勝手に人の金を取ろうとか図々しい」
男はそう言いながら言われた通りに外務省広報を開いた。彼には理解できないイベントだかなんだかの告知がされていて、そこに母が書き込んだら三度目を最後に書けなくなった、というのだ。
「ははあ、これか。おふくろ、普通はこんな書き方しねえぜ。捨て垢だと思われたな。しょうがねえな」
かといって、彼は母親を窘めたりはしなかった。元々彼にとって外務省広報としてテレビに出ていたあの若者の顔は気に食わなかったし、そもそもそのDDDのミサキとかいう女が母親と同じマンションに住んでいるのだという。
裁判所から来た督促状の支払先はサメガイとかいう男の名前になっていたが、母が言うにはその男とカラスマは同棲しているのだそうだ。淫売が堂々と表に顔を出していていけすかない、と、彼の母は以前からそう憤慨していた。
「まぁ、俺もこいつらは気に食わねえよ、よし、ちょっくら俺がびしっと言ってやるからよ。じゃあな」
そう言うと、男は鼻歌交じりに外務省広報へ返信をつけた。母親のアカウントをブロックするとは愚かな、淫売、つまり犯罪者の手先である、と。
普段は殆ど鳴らないwisの通知が連続して大量に鳴り響いた。うるさいと感じた彼はけれど、ミュートにするのは負けた気がするとばかりに食い入るようにタブレット画面を見つめた。
「なんだ、こいつら。どいつもこいつもナメやがって。俺を誰だと思ってやがる」
文字通り、顔を真っ赤にした彼には、書き込んでいる対象が、今朝クビにした若者と重なって見えた。『ガキが。ナメてると殺すぞ』と反射的に返す。
「淫売ならこちらが犯そうが何をしようが勝手だろうが。常識ねえのかよこいつら!」
激高して立ち上がった瞬間、肥満腹を机の縁に打ち付けて悶絶する。腹を立てた彼は思い切り高価な机を拳で叩き、再びその痛みに身悶えた。
誰も社長室には入ってこない。彼が怒り狂っている時はだれも巻き添えを食らうまいと入ってこないのが通例となっているのだ。
ふうふうと鼻から大量の無駄な呼吸を繰り返してwisに反論を繰り返していると、唐突にそれができなくなった。『このアカウントは停止されています』。
「なんだこれは!ふざけんな!言い逃げかよ!」
彼は高価なタブレットを叩きつけようとして、どうにか思いとどまってまた机を叩いた。懲りずに全力で叩いたため、やはりまた悶絶するハメになった。
怒りを鎮めるために立ち上がって暫くウロウロとしていた彼は、やっとのことで内線を持ち上げ、コーヒー、と一言だけ言って受話器を叩きつけた。
時間が経ってもなかなか彼の怒りはおさまろうとしない。コーヒーはまだか、雇い主は俺だぞと部屋の中で独り言を呟いている。
部屋がノックされ、盆の上にコーヒーの入ったカップを持った事務員が入ってきた。そして、その後ろには背広姿の女性が一人、男性が一人。
「しゃ、社長。ヤマシロ県警から」
事務員を押しのけるようにして部屋に入ってきた女性は、手帳を広げて男に見せ、言った。
「県警公安第五課だ。リュウジ・ムトウ。先程のwisでの外務省広報に対する書き込みはお前だな。国家に対する竜災害案件騒乱及び犯罪予告の現行犯で逮捕する。余罪も相当多そうだな?」
彼女は電子逮捕状を見せ、後ろにいた男が即座に彼に手錠をかけた。
「警部、送致完了しました」
「ご苦労、尋問は警視庁だ。我々の仕事は一旦ここまで。悪いね、休暇だってのに」
「いえ、公安の常ですから。それでは私は一足お先に」
「気をつけて。警察官が事故らないように」
県警警備部の公安課に異動となってからついた部下を労い、休暇に戻す。突発的な案件であったが、彼女に関する事であるのなら仕方がない。
彼女、そう、ミサキ・サメガイに関する事だ。
ヤマシロ市役所の不審な事件を追っているうち、一時期は彼女が何らかの形で事件に関わっているのではないか、と、ずっと追いかけていた事があった。
結局それは全くの自分の勘違いだった。いや、関わっているといえば関わっていたのだが、被疑者とは全く逆の立場、災害の鎮圧を行うという、どちらかと言えばこちらと同じ、正義に属する者という存在だったのだ。
彼女達の事が公表され、それを知った時は耳まで真っ赤になり、恥じ入ると同時に強い後悔の念に苛まれた。
自分の無鉄砲な突っ走りによって、人類のために奔走してくれている彼女に多大な迷惑をかけてしまった。上の制止を振り切ってまで追いかけた結果がこれなのだから、言い訳のしようもない。
どうにか彼女に謝ろうと思っていたのだが、謹慎を言い渡され、他県への移動が禁じられた。当然の事だ。独断専行によるとんでもない不祥事である。
一週間の謹慎の後、署に出てきた自分に言い渡されたのは、何故か昇進と異動の辞令だった。
イヨ・ミズキ警部は、新たに警備部公安課に設立された、第五課への配属を命ずる、と。
警備部公安課と言えば、警察庁の指揮下にある、国費にて運営されている組織だ。通常の警察組織とはかなりその立場を異にしている。
新設された第五課というのは、主に竜災害に関する騒乱を取り締まる課だという。
辞令を受けた後に署長室に呼び出され、事の経緯を聞いた。最も竜災害を熱心に追っていたのが自分なので、心機一転、職務に邁進してほしいとの事だった。
要は、罪滅ぼしの機会を与えられたのだ。彼女に迷惑をかけた以上、今後、彼女達の障害となるものがヤマシロ県に現れた場合、迅速にそれに対処する。それがこれからの自分の職務であると。
情報は警察庁から直々に降りてくる。正確かつ迅速で、それ故に対応にも同じ迅速さが求められる。警部だろうが休暇中だろうが容赦なく呼び出しがかかるが、そんな事は今までだって同じだった。だが寧ろ、今は彼女の為に、ミサキの為に働けることが嬉しかった。
あれだけ不躾で失礼な態度を取った自分に対し、それでも最後に会った時、彼女は一緒に食事でもどうかと誘った。普通ならありえない。自分が彼女の立場であれば、二度と顔を見せるなと追い返すところだ。
それを、彼女は。まるで女神か聖母のような寛容さではないか。事実を知った時に穴があったら入りたい、いや、埋まりたい程の衝動が起こったのはそのせいだ。
罪滅ぼしだ。最初はそのつもりだった。だが、今はどこか、強い使命感のようなもので動いている。
彼女の邪魔をするものは、彼女に害をなすものは、徹底的に自分が排除する。我らの女神を、絶対に穢してはならない。
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