侵略
第53話 狩猟
「ジェシカ、右から二体。メイユィと連携して倒して下さい」
『オーケー!クソ多すぎるぜ!』
羽毛の生えた前かがみの中型竜をジェシカの手甲が打ち据え、怯んだ所に彼女の背後から飛びかかったメイユィが頭部を一撃で破壊する。その後ろから迫っていた竜も、二人の左右からの同時攻撃で一瞬にして沈黙する。
こちらはこちらで二体同時だ。挟み撃ちはそちらの特権では無いとばかりに、獰猛な
相手に合わせてやる道理は無い。片方を無視して右側の竜に一足飛びで近寄ると、顎の下を掻い潜って、下段から力任せに刃を振り抜いた。
股の下から顎の先まで、ばっくりと切り裂かれた竜が、苦悶の声を上げる暇もなく絶命する。
降り注ぐ体液と内臓を浴びながらも、左方から来ていた竜に思い切り諸手突きを放った。
竜を着るような格好でもう一体の竜の喉を刺し貫く。一体どちらが化け物なのか判りはしない。
首を貫かれても尚も息絶えずにもがいている竜の首を、捻った刃を振り抜いて頭蓋骨ごと粉砕する。技術も何もあったものではない。単純な力任せの暴力だ。
「ミサキ、こっちは終わったよ……うわ、なにそれ、大丈夫?」
返り血と臓物で汚れたこちらの姿を見て、メイユィとジェシカが若干引いている。
「大丈夫です、怪我はしていません。体表の羽毛が斬撃を通用しにくくしているので、腹側からか突きでしか倒せませんでした」
周辺に転がった竜の死骸を見渡す。どれも同じ、多少の個体差はあれどもMクラスの中型竜だ。
体高およそ3メートル弱、体長は尾羽根のような尻尾を含めれば5メートル以上はある。中型竜の範疇ではあるものの、背中側にびっしりと生えた羽毛はまるで耐刃繊維のように摩擦が大きく、いつものように一撃で切断する、という事がほぼ不可能だった。
そうなれば殴るか突き刺すしか生命活動を止める手は無い。苦戦した挙げ句、どうにか三人で7体もの中型トリモドキを始末したのだった。しかし。
「まだいますね、中型のくせにこんなに群れをなすなんて」
「なんかおかしいね、こないだのコリョの時もそうだったけど」
「とりあえず、倒すしかありません。それにしても、暑いです」
暑い。緯度の低い場所に位置する南北に細長いこの国は、5月だというのにむしむしと湿度が異様に高く、蒸し暑い。
動けば当然汗をかくし、湿度が高すぎてそれが蒸発しないため、気持ちが悪い。それに加えてこちらは暖かい竜の血と臓物を頭から被ったのだ。それはもう、暑いわ臭いわ気持ち悪いわでもう最悪である。
「なんか、ミサキだけ汚い事になるの、多くない?」
「知っています!それは、ヨゴレ役というらしいです!」
言われてみれば確かに何故か自分が汚れ役になる事が多い。リーダーという立場上ある程度そうなるのは仕方がないが、竜の涎をかぶったり血液をかぶったり、研究の被検体になったりエロ衣装を着せられたり。
「馬鹿なことを言っていないで、さっさと片付けましょう。早くシャワーを浴びたいです」
仕方のない事だ。未だ精神の幼い彼女達にひどいことを押し付けるわけにもいかない。自分が我慢すれば彼女達は守られるのだから、自ら進んで穢れを被って納得するしかないのだ。
まだ近くに竜がいる。血液の亢進は収まっていない。
視線を巡らすと、畑の間を通る狭い農道の先に、赤い提灯がたくさんぶら下がった寺院のような建物が見える。
この国の首都から北東へ200キロメートルほど離れたこの場所は、ヒノモトの田舎によく似た風景をしている。
片側一車線の道路の両脇には低い草木が生い茂り、その向こうには広い田んぼや畑が延々と続いている。
途中、商店が一軒あったが、全滅していた。文字通り、全滅である。
店の中は商品や破損した棚が散らばってぐちゃぐちゃ、壁一面は血まみれで、カウンターの裏と奥の住居部分には、食べ残しと思われる人間だったものの残骸が転がっていた。
こういった、木造ばかりで鉄筋コンクリート造の建物が殆ど存在しない場所で竜災害が発生すると悲惨だ。
見通しも良く、一旦見つかれば時速数十キロで走り回る竜相手から逃げ切ることはほぼ不可能である。
木造の建物など、このサイズの竜が数度体当たりでもすれば簡単に壊れてしまう。現に商店の入口の柱はひしゃげて折れており、広げられた入口には竜が侵入した痕跡がそのまま残っていた。
古い寺院も基本的に改修などがされていない限りは木造だろう。あのように真っ赤で目立つ場所が竜に襲われた場合、助かる見込みはほぼゼロである。
「寺院を確認します。竜は何故か赤を好むそうなので」
牛ではあるまいに、赤マントを振って誘導、というわけではないのだが。
そもそも牛は赤色を識別して興奮しているわけではなく、マタドールの場合、牛は動くものに反応しているだけだ。ただ、駐屯地の裏山で飼っている『ジャック』は、明らかに赤色に反応したらしい。可視光の波長識別がどの程度できるのかはわからないが、少なくとも赤には反応する、という事だけはわかっている。
『ジャック』のお陰で様々な竜の生態が明らかになっている。肉食、獰猛という当たり前の事はさておき、色や光への反応、知能程度。視力や動体視力、聴覚などの生体器官に関するものや、嗜好、忌避反応なども既に明らかにされている。
ただ、肝心の兵器が通用しない、といった部分は未だ解明されていない。仮説に仮説を重ねている状態で、どうにか意味があるのが古代の植物による刺激だけ、という有様である。
それにしたって、近代兵器が通用しないのであればもっと昔のものならばどうだ、という事で、順番に試していって延々と遡った挙げ句にようやく、というただの経験則である。
現状有効打となり得るのが、結局自分たち6人の扱う棒っ切れだというのだから笑えない。いっそ絶滅に倣って隕石でも降ってくれば効果的なのだろうが、その場合は人類も一緒にお陀仏だ。どうしようもない。
どうしようもないのでやるしかない。他に選択肢は無い。目の前の赤い提灯に向かって、三人で慎重に足を進める。
参道の脇はまるで茶畑のように刈り込んだ植物が植えられている。人ならばしゃがめば隠れられるが、でかい竜が隠れるには背が低すぎる。伏せているのを警戒する必要は無いだろう。
提灯の間をくぐり抜け、大きな社と事務棟のようなもの、土産物を販売している店舗のようなものに三方向を囲まれた広場に出た。中央には大きな鐘撞き堂がある。
「オリエンタルでエキゾチックです!観光で来れたら良かったのですが」
「残念ながら社殿が血まみれではありがたみもなにもないですけどね。来ましたよ」
破られた社の壁から、のそりと先程の羽毛竜が二体、這い出てきた。
「ミサキ、こっちからもきたよ」
事務棟の裏からも二体、店舗の陰から一体。これまた大所帯なことで。
不穏な空気を象徴するかのように、上空でごろごろと音が鳴り響く。日が陰り、少しは涼しくなるかと呑気に考えた瞬間、一斉に襲いかかってきた。
五体。その全てがこちらを標的にしている。流石にこれは捌けない。両脇にいた二人が、最も外周にいた二体に向かっていく。だが、その二体はジェシカとメイユィには目もくれず、一直線にこちらに視線を向けている。
「恐竜にモテるのは勘弁してほしいですね」
背後に大きく跳躍して距離を取る。広がって向かってきていた中型トリモドキが近づき、射線状に重なる。まだだ。
ジェシカが右にいた一体を殴り飛ばした。胴体の真横、その脇腹を、捻りを加えた抉り込むような一撃で、インパクトと同時にこちらにも竜の骨の折れる音が聞こえるほどの剛腕。
吹き飛ばされた巨体が近寄ってきた一体の導線を遮って倒れ込む。邪魔をされた竜は気にする事無く、倒れた竜の頭を踏み潰した。鋭い鉤爪が頭部に突き刺さり、目玉から脳液らしきものが噴き出した。
メイユィが左方から上半身の捻りだけで連撃を叩き込む。ぼんぼんと爆発音がして、羽毛に複数の赤黒い穴が穿たれた。
それでも尚こちらに近寄ってこようとする竜に、彼女はなんと槍の柄を振り回して脳天を叩きつけた。重量のある強烈な急所への一撃に、体中に大穴を空けた竜は流石に堪らずに倒れ伏す。残り三体。
相性の悪い竜を三体同時に相手をするのは流石に厳しい。通常状態であれば。
ゲルトルーデとの立ち合いに使った『ゾーン』一歩手前まで集中する。全力を出せば、まだ残りがいた場合に対処できなくなる。
空間把握によって三体の位置と方向を確認。最も効率の良いルートを選び出し、そちらに向かって滑るような足さばきで突進する。
一番近くにいた左側の竜、その首元に峰打ちを放った。斬れないのであればぶっ叩けば良いのだ。
コマ送りになった視界の中、竜の表情の無い顔面がたわんでいく。曲がった首の衝撃が徐々に伝わり、頸椎の折れるボキボキという感触が剣を伝わってくる。
跳躍してその竜の側面に回り、全身を使った当身を放った。吹き飛んだ竜が中央の竜にぶつかり、視線を遮る。
ジェシカの倒した竜を踏みつけていたがために遅れていた一体が、仲間ごと噛み砕いてやるとばかりに大きな口を開けている。口腔内の汚らしい舌苔や、歯にこびりついた生き物だったものの残骸まではっきりと視認できる。
当身を放った体勢からくるりと回転し、逆袈裟の位置から遠心力を利用した斬撃を放つ。竜の死角からの一撃は、狙い違わず顎から脳天まで、容赦なく真っ二つに切り裂いた。
エイリアンさながら、開いた口腔と切断された傷口で、4つに分かれた顔面が崩れ落ちていく。休む間も無く、中央の竜が倒れ込んできた同胞を押しのけて迫る。
『オラァ!』
ジェシカが脇から飛び蹴りを放った。右後方から足の付け根の重心に一撃を食らって、僅かに巨体がよろめく。
「殺す」
聞こえた瞬間、竜の頭が弾け飛んだ。メイユィの突進と共に放たれた螺旋突きが直撃したのだ。血と脳漿を後方に撒き散らし、流石に絶命した竜が勢いのまま、地面に倒れ伏した。
まだうごめいていた首の折れた竜の頭部に刀を突き刺してトドメを刺すと、やっとの事で血流がもとに戻っていく。
「うええ、メイユィ、撃つ方向を考えて下さい。脳みそがかかりました」
「知らないよ。それぐらい我慢して。ミサキはあんなになっても平然としてるんだから」
「でも、なんか変な臭いがします。臭いです」
ジェシカが戦闘服に張り付いた桃色の肉片をつまんでは捨てている。こちらは全身血まみれで、ところどころに糸状のものが張り付いている。湿度が高いが故に乾かず、生々しい臭いはそのままだ。
『クリア。応援をお願いします』
周辺にいるであろうこの国の軍に呼びかけて撤収を促す。流石にもう慣れたものだ。
「しかし、Mクラスが12体ですか。異常ですねこれは」
多すぎる。通常Mクラスは五体もいれば大規模災害だ。その倍以上。
恐らく近隣の住人で生存者はゼロだろう。流石に建物の中は確認する気にもなれない。あとは軍にお任せである。
すぐにヘリの音と、近くの車道にぞろぞろと大型のトラックやジープが到着する。迷彩服の男たちが降りてきて、こちらを見てぎょっとした。怪奇!血まみれ臓物女!である。
指揮官らしき人間がジープから出てきた丁度その時、ごろごろと鳴っていた空から、ぽつぽつときたな、と思った瞬間に凄まじい勢いで滝のような水が降り注いできた。
「わぁ!ちょっと、すごい!ミサキ、雨宿り!」
「ああ、丁度良いです。シャワーの手間が省けました」
スコールだ。それはもうバケツどころか空の栓が抜けたのかと思われるほどの土砂降り。あまりの雨音に、怒鳴らないと会話ができない。脳漿をかぶったジェシカも嬉しそうに雨の中ではしゃいでいる。
蒸し暑い中、大汗をかいた自分たちに思わぬ天からの大サービス、というわけではなく、この地方は雨季になれば毎日のようにこうした土砂降りがある。湿度が高いのも当然と言えよう。
ごしごしと手のひらで顔や身体を擦って、竜からの返り血を洗い流す。あまり清潔とは言えないものの、あのままよりは大分マシだ。戦闘も終わった後なのでナイスタイミングである。
こちらをやや遠巻きに眺めている軍人や兵士の視線もそこまで気にならない。いや、そうでもないか、やはり少し気になる。
『あのう、もう、撤収作業を始めても?』
『はい、お願いします。お疲れ様です』
やや遠慮がちに話しかけてきたこの場の指揮官に笑顔で解答したが、ジェシカが走ってきてこちらの腕を引っ張った。
「ミサキ、ミサキ。少し持って帰りましょう」
「持って帰る?……ああ、そういえば。本当に食べるんですか?」
アトランティックのロロから恐竜の肉の味を聞いて、食べてみたいという彼女の要請があったのを忘れていた。一応マツバラにもオオイにも許可を取っているので問題はないが。
「食べます!だから、ほら、美味しそうな部分をとってきてください!」
「はいはい。どこがいいですかね、やっぱり鳥みたいに羽が生えてますから、もも肉あたりでしょうか」
指揮官に自分たちもサンプルを持ち帰るよう言われている、と半分嘘をついて、比較的状態の良い一体から、付け根から脚を切り取って膝関節辺りで切断した。
サンプルである。研究サンプルではない。試食という意味でのサンプルなので間違ってはいない。
血は抜けていたのであまり血抜きの必要は無かった。土砂降りの中、大木のような恐竜の太ももの肉をブルーシートに包んで担ぎ、いそいそと軍用トラックの中へと乗り込んだ。
「うわっ!ミサキさん、これ、新古生物の脚ですか?」
超音速輸送機にブルーシートに包まれたものを持ち込むと、案の定、顔なじみの防衛隊員に驚かれた。
「そうです。ジェシカがどうしても食べてみたいというものですから」
「ロロに聞きました!美味しいそうです!」
比較的若い搭乗員は、そうですか、と頬を引きつらせて笑っている。得体の知れない肉なのだ。はっきり言ってゲテモノの類である。世間一般的には彼の反応が当たり前なのだ。
「結構疲れたね。屋台のお料理は美味しかったけど」
メイユィが座席について大きく息を吐いた。確かに疲れた。Mクラスばかり、あんなに沢山一度に相手にしたのは初めてだ。
それに、着てきたコートは暑かったので現地に脱いでおいたのだが、雨を吸ってぐしょぐしょになっていた為、ずっと戦闘服のままだった。そのため店に入れなかったので、いつかのように市場のようなところで屋台巡りをしたのである。
「薄味で酸っぱいものが多かったですが、美味しかったです!タコスのようなものが私は美味しいと思いました。ただ、パクチーはちょっと苦手です」
「ワタシもあれはあんまり好きじゃないかも。でも、あれぐらいの量なら平気だよ」
「あの香草、ヒノモトの方が大量に使ってる料理がありますからね。使いすぎるとカメムシ臭くてどうにも……少量ならいいんですが」
あの悪臭を放つ昆虫のものと似たような臭いがするのだ。どこをどう勘違いしたのか、ヒノモトではそれを大量にぶちこむようなものが時々売られていたりする。最早食材に対するテロである。
「ワタシはやっぱり米のミェンが良かったよ。だしがすごく効いてて、さっぱりしてて」
メイユィはフォーが気に入ったようだ。
香草や柑橘を主とした出汁に入った、心地よい食感の麺料理は自分も好きだ。あまり家で作ったことはないのだが、ヒノモトでも似たようなものが鍋の具材として売られている。
「皆さん、市場の露店で食事をされたのですか。大丈夫ですか?お腹は」
「大丈夫です!私達は頑丈なので!」
頑丈、というか、少々悪い水を飲んでもあまりお腹を下すことはなくなった。多分、ずっと都会で暮らしているヒノモトの人間が、突然今日のような料理を食べたらお腹が痛くなったりするのだろう。衛生的にも気を使っている店ばかりではなかったので、敏感な人間にはあまりおすすめできない。
この国でも都会にいけば大丈夫だろうが、今回は山間の大きな湖の傍の町だった。まぁ、田舎である。あまり気にしてはいけない。
何より戻ってから竜の肉なんてものを食べようというのだ。それに比べたら遥かにマシである。
「それにしても、欧州から帰ってすぐに出動とは。ある程度予測できるというのは何だったのでしょうか」
「そうだねー。でも、なんとか倒せて良かったよ」
「肉も手に入りました!問題ありません!」
肉は別にいいのだ。できればこんなでかいのではなく、Sクラスのものを少量取ってくるだけで良かったのである。
そもそも大量に調理してまずかったらどうすれば良いのかわからない。まさかオオイ達に食べさせるわけにもいかないし。
二人が屋台の料理について楽しそうに語り合う中、湿った戦闘服と座席との接触点を気にしているうちに、音速の壁を突き破る輸送機がゆっくりと動き出した。
「以上です。個体数が多いので少々苦戦しましたが、怪我はありません」
ヘッドセットを手渡して口頭での報告をオオイに対して行う。戦った新古生物の特徴、数、主観的なものと客観的なものの評価を分けて端的に告げるだけだ。
「お疲れ様でした。もう遅いので、報告書は明日でも結構です。それから……持ち帰ったアレですが」
「はあ、すみません」
「いえ、構いません。一応、言われたとおりにラップで巻いて冷蔵保管庫に入れてありますが、本当に食べるんですか?」
食べると言っているのだ。主にジェシカが。
「マツバラ先生にも食べてどうだったか教えて欲しいと言われているので。まぁ、どうにかして調理してみます」
「そうですか。揚げ物用の鍋は既に下に置いてあります。IHでも可能という事でしたので」
オオイは何事にも手回しが良い。このように下らない事でも忘れずにきっちりと対応してくれる。この場合、ありがたいのだかありがたくないのだかわからない。いや、して貰っているのにありがたくないなどと言ってはバチが当たる。
「ありがとうございます。それでは下で着替えて……ああ、サカキさん、お疲れ様です」
報告を切り上げて下に戻ろうかと思ったところで、サカキが廊下を歩いてくるのが見えた。片手に紙袋を下げている。
「カラスマさん、オオイ二佐、お疲れ様……です」
こちらに挨拶したサカキがすっと視線を逸らした。下着のような、いや、下着そのものの戦闘服姿のこちらに気を使っているのである。サイクロプス島の宮殿では散々バニー姿を凝視していたくせに、白々しい。
「ジェシカとメイユィの頼まれ物ですか?丁度良いです、一緒に降りましょうか」
「あっ、はい。そうですね」
先導して階段へと向かう。最近靴底の減りが早い。少し滑りやすくなってきたので、また新しいものを買ってこなければ。
戦闘で強烈にグリップを効かせる関係上、どうしても普通に生活しているよりも消耗が早いのだ。
靴だけではない。下着も汗や血で汚れるし、借りているコートの損耗なんてそれはもう、かなりのものだ。
戦闘服も時々破れるし、正しく衣類は消耗品扱いだ。なるほど、高価な戦闘服の布地を増やしたくない気持ちも分からないでもない。ただ、まるで下着のようなこれは流石にどうかとは思うが。
素肌に着用するぴっちりしたスポブラとレギンスは、身体のラインをくっきりと浮き立たせる。材質のせいか乳首こそ目立たないものの、尻や股のライン、胸なんかはもう、大きさから形まではっきりと分かってしまう。
今だって階段を降りているこちらの尻に、なんとなくサカキの視線が刺さっているのを感じる。実際に見えているように分かるわけではないが、感覚的に足音や空気の流れから、彼の動きと顔の位置、向きを計算するとそのように感じてしまうのだ。
見られても別に減るものではないし別に構わないのだが、これが公共の場であったら彼の評価が周囲から下げられてしまう。それはそれでエリートの彼としては問題であろう。
「サカキさん」
オオイが嗜めるような声を発したが、サカキはその声の意味がわかっていないようだ。
「はい、何ですか?オオイ二佐」
「……いえ、女性というのは案外、男性の視線に敏感なものですよ」
「す、すみません、つい」
本能のようなものなのだろう。尻や乳を観察してしまうのは、丈夫な子を産み、育てられるかの品定めである。理性のある人間と言えどもその本能に逆らうことはできないという事だ。サカキやソウのように優秀な人間でもそこからは逃れられない。
重たい扉を開いて明るい部屋の中に入る。二人は部屋にいるようで、トレーニングルームには誰もいなかった。
「着替えてきますので少し待っていてもらえますか」
出掛けはここから着替えて出発したので、『紫電』に着替えを積んでいなかったのだ。コートがあるからどうにでもなるかと思っていたのだが、まさかスコールで着られない状態になるとは思わなかった。比較的近場だからと油断したのがまずかったようだ。
緑色の部屋に入って胸の締め付けを緩め、まずは上から脱ぐ。
天然のシャワーを浴びたとは言え、そこから暑い町中を歩いて食べ歩きをしたのだ。やはり少し汗臭い気がする。
荷物の中からデオドラントシートを取り出して、蒸れた肌を拭いていく。ひんやりとした気化熱が気持ち良い。
監視カメラがついているのは分かっているが、先程監視室にいたのはオオイたった一人であり、彼女は今トレーニングルームにいる。人の目は無い。
どれ下も、とレギンスを下ろしてお尻と下腹部を拭いていると、唐突にバンと部屋の扉が開かれた。
「ミサキ!報告は終わりましたか?カラアゲを作って下さい!」
これだ。作るのは明日だと言っておいただろうに。
「ジェシカ。人の部屋に入る時はノックぐらいしてください。それに、恐竜の肉は明日の昼の予定で……」
振り返った。ジェシカが笑顔で扉の前に立っている。それは良い。問題は、彼女の後ろにサカキもついていた事だった。
「……なんですか、これ。サカキさんって何かそういう、ラッキースケベの星の下に生まれてるんですか」
胸と股間を隠しながら半眼で睨むと、長身のイケメンは蒼白になった。
「す、すみません!」
サカキは慌てて回れ右をして逃げていった。ただ、しっかりとこちらの裸体を見ていたのはわかっているのだが。
どうもおかしい。ひょっとして狙っているのではなかろうか。彼はメイユィから好意を寄せられているというのに、こんな事を彼女が知ったらどう思うだろうか。言わないけど。
ため息をついてジェシカを追い出し、下着と衣服を着用してトレーニングルームに戻る。トレーニングルームの出入口付近で待っていたサカキはこちらと目を合わせない。まぁ、しっかりとこちらに目を合わせてくるようならそれはそれで怖いが。
オオイも何か呆れたような目を彼に向けている。ただ、さっきの事は不可抗力なのだろうから許してあげて欲しい。見られたのは自分なのであるから、許すかどうかはこちらが決める事のはずだ。
「か、カラスマさん」
階段を上りながら、サカキがやや上ずった声を上げた。
「何ですか」
謝罪ならいらない。しつこく謝られてもそれはそれで困る。しかし、彼が発したのは謝罪の言葉では無かった。
「明日の昼、恐竜の肉を調理されるんですよね。良かったら、それ、動画に撮って流しても良いですか」
恐竜肉料理を公開すると。
「いいんですか?オオイ二佐」
彼女は前を向いたまま頷いた。良いのか。
「構いません。別に食べられるかどうかというのは隠す事でもありませんので。食べたいと思ったところで、一般人が竜を狩ることなんてできませんから」
いや、それはそうだが。もしも美味しいとなると欲しいという要求がどこからか殺到するのではないだろうか。
「まぁ、それなら……ああ、ならサカキさんも明日はお昼を一緒にしましょうか」
道連れである。嫌だとは言わせない。
「え?良いんですか?それでは、是非」
いや、忌避感とか拒否感とか無いのか。彼は食に関しては案外チャレンジャーらしい。エリート公務員としては非常に珍しい。
上に上がって、お疲れ様でしたと言って駐車場に戻っていくサカキを見送った後、オオイにこっそりと囁いた。
「オオイ二佐、明日の昼、一応マツバラ先生に待機しておいてもらっても良いですか」
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