第52話 西の謀略
長い木剣を正眼に構えて、冷たい瞳を持つ長身の女性と対峙している。相手もまた、同じ長さの木剣の切っ先をこちらに向けている。
どうしてこうなったのだろうか。
サムライと手合わせしたい、という彼女の願望は、彼女達のリーダーであるフレデリカによって許可されてしまった。こちらはやりたくないと抗議したのだが、既に酔っ払っていたジェシカやメイユィ、挙句の果てにオオイやマツバラまでもが上機嫌でそれを承認した。
サカキに至っては度数の高い酒を飲まされ、情けなくも酔いつぶれて二階広間のソファで横になっている。起きる様子が無いので、マツバラが窒息の危険がないかどうかだけを確認し、広間に置き去りにしてきた。
この宮殿には中庭があった。最初に入った入口の更に奥には中庭に出る扉がついており、そこを出ると周囲を建物に囲まれた、芝生の植えられている区画があった。
水の通っていない小さな白い噴水が中央に置いてあり、広さとしては30メートル四方ぐらいだろうか。建物の大きさに対してそこまで広いというわけではない。
日の当たりにくい南側はじめじめと苔むしており、あまり美しい中庭ではない。ただ、剣を振り回す程度であれば十分だと言えるだろう。
『それでは、先程言った通り。剣が相手の身体に触れた時点で一本とする。急所は狙わない。三本先取、いいね?』
『いや、あの。できれば遠慮したいんですが』
『情けないぞサムライ。この期に及んで臆したか。剣士として恥ずかしいと思わないのか』
『ですからサムライではないと』
聞く耳を持たぬとはこういう事だ。長い銀髪に冷たい眼差し。見た目はクール系美人の彼女は、その外見からは想像できないほどの脳筋であり、騎士マニアであり、狂戦士だった。
『ミサキー、がんばってー』
『負けんなよ!最強の意地を見せてやれ!』
メイユィもジェシカも、酒が入って大喜びでこのイベントを観戦している。いや、彼女達は多分酔っていなくても同じ様にした事だろう。
仕方がない。オオイにまでやれと言われてしまえば逃げようがない。精々怪我をしないように、集中してさっさと終わらせよう。
『それでは……始め!』
フレデリカの合図と同時に、ゲルトルーデは鋭い突きを放ってきた。狙いはこちらの肩口。
恐ろしい速度で突き出された木剣は、風切り音と思えない程の轟音を響かせて空を切る。耳元で鼓膜を振動させるそれを感じて、背筋に戦慄が走る。
木剣だろうと、直撃すればただでは済まない。骨が折れるどころか、今の勢いであれば肩を貫通して骨がぐしゃぐしゃに潰される。一応は仲間であるこちら相手に、ゲルトルーデはまるで容赦がない。
最初の突きを避けられたにも関わらず、彼女は立て続けに斬撃を放ってくる。
彼女の手元に戻った木剣の先端が揺らぐ。脇腹を狙った横薙ぎだ。受けたら多分、お互いの木剣が折れる。間合いを見切って後退。振り回すようにして彼女の剣は、只管メチャクチャにこちらを追いかけてくる。
『どうした!避けているだけでは敵は倒せないぞ!』
敵って。自分もゲルトルーデもお互い仲間である。とは言え、このまま避け続けているだけでは終わらないというのも事実だ。
右方向から振り抜いた彼女の剣を追いかけるようにして、片手を外してリーチを伸ばした切っ先で小手を切った。びしりという鋭い音がして、苦痛に歪んだ彼女の腕から木剣が落ちる。
『一本だ!ミサキ!』
酔っ払った観客から歓声が上がる。見世物ではないのだが。
『くっ……この程度、まだまだ!』
すぐに剣を拾った彼女は、再びこちらを剣で追いかけ回す。先程の教訓か、今度は大振りを控えて細かく何度も突き出してくる。
発想はそれで正しいが、型も何もない、暴れん坊の剣だ。『ゾーン』に入る一歩手前まで集中力を高め、僅かな隙を見てすり足で瞬間的に近寄り、胴を払った。
どすんと結構な音がして、ゲルトルーデはうっと呻く。ちょっと強すぎたか。
『ミサキ、二本目!どうしたトゥルーデ!後がないぞ!』
『分かっている!黙って見ていろ!』
彼女の剣は、恐らく誰かに教えを請うたわけではない。全くの我流だ。
それは自分も同じではあるのだが、一応剣の基本は済ませている自分とは大きな開きがある。まず、足さばきがなっていない。
間合いを制するには素早い移動が必要で、彼女の並足ではそれができていない。
恐らく普段は長大な剣を振り回しているので、竜相手であればそこまで苦戦はしないのだろう。何しろこの威力と速度だ。適当にぶっ叩くだけでもMクラスまでなら容易く両断できるに違いない。
剣道とは、基本的に人間を相手にする事を前提とした剣の道だ。そこに竜だの獣だのを相手にするという事は想定されていない。
なので、対竜であればこの知識と技術はあまり必要がないとも言える。ただ、今、相手にしているのは四肢を持った直立する人間である。人間である以上、関節の動きには限界がある。予備動作だってわかるし、間合いも基本的には一定だ。
彼女は一旦息を整えて、こちらと同じ様に正面に構えた。背が高いので結構様になっている。
こちらが見据える視線が気になるのか、ちらちらと切っ先を動かしている。一度やればわかるが、同程度の反射神経と速度、間合いを持つ相手がしっかり構えていると、中々付け入る隙が見当たらないものだ。
格闘ゲームでもこれは同じだが、であるが故にいかに相手を崩すか、という点が重要になってくる。崩す方法は色々あるが、最もよく使われる手段は、『誘う』事だ。
軽く木剣の先端を僅かに下げて、隙間を見せる。こちらから打つぞ、という気配を見せるだけで、ゲルトルーデは簡単に打ちかかってきた。
勘が良い。であるが故に気配を察知して動いてしまう。彼女はまだまだ我慢が足りていない。下から鋭く刷り上げるようにして彼女の剣先を絡め取り、捻って全力で弾き飛ばした。
手元から自分の得物が消えたことに呆然としている彼女の頭を、軽く乗せるようにして木剣でぽんと叩いた。対竜ならば兎も角、対人としては彼女は素人も同然だった。
『そこまでだ。勝者、ゲルトルーデ』
「えっ」
何故だ。どう見たってこちらの勝ちではないか。三本目を取ったのは自分のはずだ。
『反則負けだな。頭は急所だぞ、ミサキ』
そういえばそんなルールがあった。剣道では面が一本なので、つい忘れてしまっていた。
『ああ、そういえばそうでした。急所攻撃は反則でしたね』
そもそも自分たちの攻撃に急所攻撃もなにもあったものではない。人間相手となれば、どこに当たっても肉を引き裂き骨を断ち、急所であろうがなかろうが殺してしまう。
『はい、私の負けです。ゲルトルーデ、貴女の勝ちですよ』
別に何か賭けているわけでもない。勝負に負けた所で何も害は無い。
『納得いくか!ふざけるな!どう見ても、あれはお前の勝ちだろう!』
長身の美女はその場で地団駄を踏んで悔しがった。気持ちはわかるが、見た目と言動がまるで一致していない。
『もう一度だ!ミサキ!もう一度やろう!』
『往生際が悪いですよ、ゲルトルーデ。勝負は一度きりです。斬られて死んだらそれで終わり。それが剣の道、サムライの道ですよ』
そう言うと、彼女は喉の奥でぐうっと唸って黙った。彼女は自分の信奉する誇りや誉というものに逆らえないらしい。意外と扱いやすい。
『あはは、これは一本取られた、といやつだろう。併せ技で君の負けだ、トゥルーデ。しかし、なかなかどうして。手も足も出なかったじゃないか。ミサキはこんなに強いのか』
驚いているように見えるフレデリカだが、彼女の表情には余裕がある。恐らく、力任せであるゲルトルーデの剣の事は彼女も良く理解しているのだろう。
『すごい!やっぱりミサキが一番強いよ!』
『ゲルちゃん、ぼこぼこだったぞー』
『クソつええな。ミサキ、前からこんなだったか?』
外野の事はさておいて、弾き飛ばした剣を拾ってきてゲルトルーデに渡す。
『竜相手であれば、あなたの戦い方で問題ありません。私のこれは、人と戦うことを前提とした技術ですから。あなたはチェスをその定石を知らないままに経験者と対戦していたようなものです』
何も落ち込む必要はない。我々の武器は竜に向けるものであり、人に向けることを目的としているわけではないのだ。如何に人間相手の立ち回りがうまくなろうが、常識外れの猛獣に対しては殆ど役に立たない。いくらボードゲームの定石を知っていても、マラソンで相手に勝つことはできない。全然方向性が違うのだ。
『だが、負けは負けだ。勝負である以上、これは揺らがない。負けた方は何でも言うことを一つ聞く。これでどうだ』
『いや、終わってから決めるんですか。そういうのって、始める前に決めておく事では』
『このままでは気が済まん!認めないと、私はここから意地でも動かないぞ!』
駄々っ子か。見た目がかなり大人っぽいので忘れていたが、彼女もまた、ジェシカ達と同じ様な精神年齢なのだ。ギャップがすごい。
『わかりました、わかりましたから。それでいいですよ』
何か適当なお願いでもしてやれば気が済むだろう。ビールを一本持って来いだとかその程度の事で。承諾すると彼女は何故かいやらしい笑い方をした。
『そうか!では、ミサキ。今からバニーガールの衣装に着替えてきてくれ。それで皆に飲み物を配って回るんだ』
『……何故?』
『言っただろう、負けた方は何でも言う事を聞くと。負けたのは君だ、ミサキ』
図られた。普通、この流れで言えば負けたのはゲルトルーデだと思うだろう。まさか、この女……!
『卑怯ではないですか』
『サムライに二言は無いな?』
苦杯を嘗めたのはこちらだった。汚いな騎士さすがきたない。勝てなかった腹いせにこちらをハメるとは……騎士道はどうしたんだ騎士道は。
結局その後、何故か宮殿の衣装室に用意されていたタイツとハイレグスーツにヘアバンドを付けて、まだ酔っ払ったままの一同に紅茶と珈琲を笑顔で配って回るハメになった。
尊厳破壊とはこの事を言うのだろう。椅子に腰掛けてクッキーを齧りながら、こちらの腰を引き寄せるエロ親父並の動きをするゲルトルーデに紅茶を淹れ、スマホでこちらをカシャカシャと撮影しているフレデリカに笑顔を強要された。
酔っ払った一同は調子に乗った。ブレンドンとオーウェンの上から下まで舐め回す紳士的な視線に耐えながら、オオイとマツバラに尻を撫でられる。
ロロとジェシカに菓子のお代わりを持ってくるように要求され、厨房の人たちの好奇の視線を我慢して戻ってくると、目を覚ましたばかりのサカキに穴が空くほど凝視され、メイユィがワタシも着てくると言って出ていきそうになるのを必死で止めた。
無駄に長居をして、ホテルまで戻ってきた頃には、午後6時も目の前の刻限となっていたのだった。
「最低な一日でした」
トラックから降りて、部屋のカードキーを受け取りながら漏らした。
「すみません、ミサキさん。つい周囲の雰囲気にあてられて」
「ゴメン……反省してるから」
酔っていたとは言え、尻をこれでもかと撫で回されたのだ。一体彼女達は普段からどんなストレスを溜め込んでいるのやら。逆に彼女達の事が不憫に思えてきた。
エレベーターに全員で乗り込んで最上階のボタンを押す。サカキは下の階だが、どうやら上まで一応ついてくるようだ。
「でも、良かったですね、ミサキ。バニーガールのコスチュームを貰えました」
「何が良いんですか。どこで着ろと」
「それはもちろん」
答えようとしたジェシカをじっと見つめると、流石にきまりが悪そうに彼女は頭を掻いた。
「シュウトさん、ずっとミサキの事見てるんだもん」
メイユィはずっとむくれている。
「いえ、それは……男の習性というか本能というか」
「メイユィ。今日はサカキさんの部屋に押しかけて迷惑をかけてはだめですよ」
「えー」
「えーじゃないです」
ジェシカに良く言っておかなければならない。それか、彼女をこちらの部屋に来させるか。そうだ、それが良い。昨日はジェシカと一緒に寝たので、今日はメイユィと寝よう。そう決めた。
「それにしても、サカキさん。二日もここに泊まったりして大丈夫なんですか?」
最上階の最高グレードの部屋だ。今はある程度閑散期だとは言え、予約は事前に必要だろう。何より宿泊費は相当に高額なはずだ。
「大丈夫ですよ。もともと二泊するつもりでしたから、予定のうちです。飛行機も既に振り替えてあるので、心配しないで下さい」
「そうですか?それならいいんですが」
高級ホテルのロイヤルスイートに宮殿での昼食会である。金は本当にあるところにはあるのだなと思い知らされた。
エレベーターを降りて部屋に向かおうとした所、今日は夕食が出ますので、着替えたらレストランに来て下さい、とサカキが言い残して降りていった。それだけの為についてきたのである。別に下で言っても良かったのではないだろうか。
メイユィが彼を追いかけて行こうとしたので慌てて襟首を掴んで捕まえる。そうか、これもあった。
ジェシカに彼女を押し付けて、部屋に戻って着替えようとして、はたと気がついた。
晩餐用のドレスなんて持ってきていないぞ。
こんな事は全く想定していなかったし、そもそもそんな服は所持していない。無い袖は振れぬ。そういえば振袖はもう着れないのだなと馬鹿馬鹿しい事を考えながら、出かけた時とは別の服装に着替えた。別段ラフな格好というわけでもないし、ドレスコードは平気だろう。ホテルの中なのである。
タンクトップで出てきたジェシカに、流石にそれにはダメ出しをして着替えさせ、三人でエレベーターを降りた。一階のロビーでは、既にサカキ達三人がこちらを待ち受けていた。
二つのテーブルに分かれ、相応に贅沢で上等で豪華で美味いコース料理を少しずつ食べながら、ジェシカとメイユィにテーブルマナーを教えていると、ジェシカがそれはもう面倒くさそうに言った。
「量は少ないし、お酒は基地で飲んだもののほうが美味しかったです」
「それは言ってはいけません。コース料理とはこういうものです。足りないなら、後でまたルームサービスでも頼めば良いでしょう」
ヒノモト語なので周囲を気にしないで良いのは助かる。というか、何故二人は当たり前のように酒を頼んでいるのだ。今更だがメイユィは未成年だろうに。
「そうします。そうです、料理と言えば」
切り分けるのが面倒くさくなったのか、ジェシカはテリーヌを丸ごとフォークで突き刺して口に放り込んだ。もぐもぐと美味しそうに咀嚼している。
「飲み込んでから話してくださいね」
「ふぁふぁっへいふぁふ」
わかってないじゃないか。隣ではメイユィが先にちまちまと細かく色ごとにナイフで切り分けている。それもあまり上品だとは言えない。
「料理と言えば、ですね、ミサキ。ロロから聞いたのですが、恐竜は食べられるそうです!」
「……そうですか。まぁ、爬虫類だか鳥類の間ですから、食べられるでしょうね」
嫌な予感がする。あまり続きを聞きたくない。
「なので、次に恐竜を退治したら、肉を取ってきましょう!ミサキ、料理してください!」
絶対言うと思った。食べられる、と彼女が言った時点である程度予測していた。
「料理してくれと言われても、恐竜の肉なんて食べたことがないですよ。どうやって調理すれば良いのかもわかりません」
ヘビやトカゲなんて食べたこともない。鳥の肉ならば調べればどうにでもなるが、そもそも肉食恐竜の肉なんて美味いのか。毒とか無いのか。
「ロロがね、結構歯ごたえがあってあっさりして美味しいって言ってたよ」
メイユィがカラフルなテリーヌを少しずつ口に運んで、嬉しそうに頬を緩ませた。上品ではないがとても可愛らしい。許した。
「歯ごたえがあってあっさり……ワニに近い感じでしょうか?」
「ミサキはワニを食べたことがあるのですか!?」
「いや、無いですけど。そんな感じだってどこかで見た記憶が」
「ワタシはあるよ。味の薄い鶏肉みたいだった。揚げ物にすると美味しかったよ」
あるのか。いや、そういえばメイユィは央華出身だった。カレーは食べたことがなくてもワニぐらいなら食べるのかもしれない。確か、南西諸島にはそういった料理もあったはずだ。
「まぁ、それじゃあ唐揚げにでもしてみれば良いでしょうか。下味をつければ、多分食べられるでしょう。ただ、揚げ物は給湯室では」
あのIH調理器具は揚げ物に対応していただろうか。
「ミサキさん、揚げ物がしたいなら厨房から鍋を借りてきますが」
「はあ……ありがとうございます。というか、いいんですか?研究素材でしょう?」
オオイにそう聞くと、隣に座っていたマツバラも振り返って言った。
「大丈夫。一応今までの研究で食べられるかどうかもわかってるから。毒のあるのは見つかっていないけど、今の所有害な物質は見当たらないから多分問題ないよ。流石にこっちでは食味まではみてないから、分かったら教えて。それも研究のうちだから」
「は、はぁ。先生がそう仰るなら」
研究というのは実に幅の広いものだ。というか、調べられることは全て調べ倒す、という事なのだろう。それに、あの巨体が食料になるとわかれば、それはそれで有意義な事だ。
庶民の口に入るような値段にはならないだろうが、ただの研究素材として調べてポイ、では流石に勿体ない。美味しいと分かれば金を払ってでも食べたいという物好きだっているかもしれない。
目の前に運ばれてきた仔牛のステーキを見ながら、食べたこともない竜の味を想像して、どの味付けが良いだろうと頭を悩ませるのだった。
「メイユィ、今日は一緒に寝ましょう」
食事が終わって、やはり足りなかったのかルームサービスで昨日と同じぐらいのサンドウィッチを食べ終わった後、彼女が部屋に戻ろうとした所を捕まえて言った。
「えっ……うん」
やはり抜け出す気だったのだ。いくらサカキの精神力が強靭でも、毎晩毎晩迫られては流石に間違いを犯してしまう可能性だってある。それはまだ早い。せめて彼女がもう少し大人になって、分別がつくようになってからだ。
風呂に入っている間に抜け出されても困るので、こちらも一緒に入る事にした。これは決していやらしい気持ちがあるわけではなく、脱走防止の為のやむを得ない措置である。そう、これは必要がそうさせるのだ。
脱衣所で揃って服を脱ぐ。彼女は下着姿のまま、こちらがブラジャーを外そうとしているところをじっと見ている。
「そのうち大きくなりますよ」
「……うん」
彼女の胸はまだ慎ましやかではあるが、実際の年齢がどうなのかは分かっていない。もしかしたらこれから大きくなるかもしれないのだ。このままのほうが小さくて可愛らしいと思わなくもないが、メイユィ自身が成長を望んでいるのだ。希望を捨ててはいけない。
何しろこちらは一晩でこのサイズである。しかも、当時よりもまた少し大きくなった気がする。また採寸が必要だろうか。
浴室に入って彼女の髪と背中を洗ってやり、こちらもシャンプーを泡立てている時、やはりこちらに視線を感じる。
「髪を洗ってるだけなのに、揺れてる」
「そりゃあ、振動があれば揺れますよ」
クルマに乗っていたって、歩いていても揺れるものは揺れる。振幅が大きいか小さいかだけである。
「どうやって大きくしたの?」
「知りませんよ。気付いたらこうなっていたんですから」
大きくしたわけではない。大きくなってしまったのだ。仕事では見られるし動きにくいしあまり良い事は無かった。ただ。
「ソウさんに揉んでもらったから?」
確かに彼はおっぱいが好きだ。特に揺れているのが良いのだという。その気持ちは分からないでもないが、ただそれだけの利点に比べてデメリットが大きすぎる気がする。
「揉まれる前からこうですから、多分関係ない……のかも」
断定はできなかった。あれから大きくなっている以上、その可能性も否定する事はできない。証明もできないので、正直に答えれば、わからない、である。
丹念に泡を洗い流して、今度はトリートメントを馴染ませていく。面倒だが仕方がない。バサバサになるのも嫌だし。
隣では身体を洗い終わったメイユィが、バスタブに溜めていた湯を桶で掬って身体を洗い流している。シャワーが一つしか無いので、二人で入ると少し時間がかかってしまう。
彼女は髪を頭の上に纏めると、大きめのバスタブの中に入って、顎を縁に乗せてこちらを見ている。人が身体を洗っている光景なんて、そんなに見ても面白いものではないだろうに。
こちらもトリートメントを洗い流して髪は終わったので、髪を上げた後にスポンジでボディソープを泡立てて体中に塗りたくる。洗顔料もそうだが、手で泡立てると時間がかかって仕方がないのだ。
「なんかえっち」
「そういう目で見るからえっちに見えるんです」
日常の動作だ。何もエッチな事など無い。ここは『そういうお風呂』ではないのである。
首から脇、胸の下を丹念に擦っていると、メイユィの視線はそれにつられてゆっくりと降りてくる。下半身にそれが到達した時、彼女はやおら危険なことを口走った。
「ねえ、ミサキ。そこに男の人のを入れるんでしょ?無理っぽくない?」
「……」
答えようがない。別に無理ではない。無理っぽく感じるかもしれないが、そうでもなかった。
「痛かった?」
「私はそこまででは。人によるんじゃないでしょうか」
実際、殆ど痛みは無かった。それよりも強烈な快感が圧倒的に上回り、とても初めてとは思えないほどに乱れまくったのだ。
丁寧にそこも手で洗い、足の指の間まで丹念にタオルで擦ってから、シャワーで泡を洗い落とす。メイユィの背後から抱くような格好で、大きめのバスタブに身体を沈めた。
熱い湯に浸かっていると、昼間の疲れが流れ出ていくような感覚がある。普段だとコストを気にしてしまうが、ここは宿泊施設だ。水の無駄遣いはいけないが、水道代に関してだけは何も気兼ねする事は無い。
元々グリースの文化が色濃い土地なので、部屋によっては浴槽がむき出しの所があったりするらしい。ただ、この部屋は加湿器がきちんとついているので、部屋が乾燥するという事も無い。わざわざ風呂の湿気を部屋に使う必要など無いのだ。
視線を下ろせば小柄な少女の白いうなじが見える。この華奢な撫で肩を見ただけでは、あの重たい槍を振り回している所など、とても想像できないだろう。
「メイユィは、どうしてそんなに急いでいるんですか?」
彼女はまだ若い。これからいくらでも素晴らしい出会いがあるに違いないのだ。何も彼一人に拘る必要は無いのではないか、と、大人の視点ではそう見える。
「ワタシたちは、いつ死んじゃうかわからないでしょ?シュウトさんだって」
「それはそうですね。人は結構簡単に死にますから」
竜災害の現場では、人がまるで虫けらやゴミクズのように死んでいた。どの現場にいっても、被害がゼロというわけではない。どこからともなく唐突に出現する恐竜に遭遇すれば、まず間違いなくその場で死ぬ。
それがサカキのいるホテルにならないという可能性は無いし、駐屯地の中にだって出現する可能性はある。
「そうでしょ?だから」
「『おじいちゃん』達の事が、忘れられないんですね」
図星を突かれたメイユィは黙った。
恐らくこれは刷り込みに近い。彼女は単純に愛に飢えている。
子が両親の無償の愛情を求めるように、その対象が優しくしてくれた『おじいちゃん』達、そして次はサカキに移ったのだ。
後ろからそっとその小さな身体を抱きしめる。
「心配しなくても、サカキさんは死にませんよ。私も、ジェシカもいます。だから、焦らないで下さい、メイユィ」
精神が幼いうちに大切な人を失った辛さを感じてしまったが故に、彼女はより強く、すぐに手に入る愛を求める。生存本能の一つと言っても良いが、彼女の場合は歩んできた道が過酷すぎるのだ。
人を殺す事、人に愛される事を同時に求められた彼女が、ただ無償の愛を求めた所で何も悪い事ではない。ただ、それを男性の性愛に求めるには、彼女は未だ幼すぎる。
「そろそろ出ましょうか」
目の前の肌が大分赤らんできたのでそう囁くと、彼女は無言でこっくりと頷いた。
「やっぱりカワイくないよ、それ」
「それじゃあ、明日時間があれば。無ければまた休日にでも出かけましょう」
「うん、そうする」
同じベッドの上、抱きついてきたので抱き返す。胸の奥一杯に広がる感情は、相手に何かを求めるようなものでは絶対になかった。
帰還の日は航空機の都合上、午後からの出発になった。
時間が空いたので約束通りメイユィと一緒に、空港内にあるショッピングモールで三人、色違いの揃いのパジャマを購入した。
メイユィは他の三人も一緒にと言ったのだが、流石に男性であるサカキや可愛らしい寝間着を着るのに抵抗があるオオイとマツバラは、頑なに拒否していた。
それでも揃いの寝間着が買えたことを喜んでいた彼女からは、サカキに対する執着のようなものがかなり薄れたようにも見えた。
午後の便で再び中東の中継空港へ向かい、睡眠を取りながらヒノモトのカワチ国際空港へと十数時間のフライト。自宅であるマンションに帰って来た時には、もう既に夜中の10時を過ぎてしまっていた。
ソウは流石にもう夕食は済ませただろうと、適当な冷凍食品だけ買い込んで部屋の扉を開ける。人感センサーで廊下の照明が点くとすぐに、リビングから寝間着姿の彼が顔を出した。
「お帰り、お疲れ」
「ただいま、疲れた」
わざわざ玄関までお出迎えとは、余程こちらの事が恋しかったのか。そう思って靴を揃えてフローリングに上がると、唐突に彼が抱きすくめてきた。なんだ、本当に恋しかったのか。
「なあ、ミサキ」
「何?」
「バニースーツ、貰ってきたのか?」
おい、待て、何故それを知っている。そりゃあ洗濯する以上は貰ってきたと教えるつもりではあったが、どうして先にその事を知っているのだ。
あまりの事に困惑していると、彼がスマホの画面をこちらに向ける。ウィスパーラインだ。
「ちょ……フレデリカ、何暴露してんだ!」
自らの顔写真をアイコンにしているフレデリカのアカウントの囁きが、写真付きで公開されている。
『本日、パシフィックの皆と協力体制を組みました。これは食事会の模様です』
『余興でミサキがウサギになってくれました!セクシーでキュートな笑顔が素敵ですね』
『こちらで用意したこの衣装は彼女に進呈しました。随分気に入ってくれたようで何よりです』
『これからも、6人でアースを守っていきますので応援宜しく!』
掲載されている写真はあの時のものだ。ゲルトルーデに腰を引き寄せられ、笑えといわれたので無理に笑っている、あの時の。フレデリカめ、まさかこれをしたいが為に写真を撮っていたのか。なんという裏切り。
彼女はこちらのように広報を通さず、自ら直接情報発信をしているようだ。余程情報管理に自信があるらしい。しかし、流石にこれは。
返信は様々な国の言語でずらりと並んでいるが、やはりヒノモト語のものもあった。
『やっぱりエッチなんだ』
『エッチな格好の人、流石です』
エロ水着に留まらず、バニー姿まで世間一般に公開されてしまった。どうしてこんな事に……自分はただ、勝負がしたいというゲルトルーデの要求に応えただけなのに。
「それで、ミサキ」
「……貰ってきたよ」
どうしてこんなに食いつきが良いのだ。いや、分かっている。ソウがこういう服が好みだというのは良く分かっている。彼の書斎にはこれ系のエロマンガやウスイホンが沢山置いてあるのだ。
「着てくれ」
「……食事終わって、お風呂入ってからで良い?」
「今、着てくれ」
今って。確かにもう時間は良い時間ではあるが、少しぐらい待ってくれても良いではないか。洗濯だってしていないのに。
「いや、だから、お腹減ってるから」
「着てから食べれば良いだろ、頼む。一週間近くも放置されて、こんなものを見せられたらもう、限界なんだ」
ああ、うん。確かに一週間の禁欲は辛いだろう。だが、あんなものを着てからキッチンに立てとは、なんと倒錯的な事をさせようとしているのだ。というか。
「抜かなかったの?」
そもそもなんで我慢していたのだ。自分で処理すれば良いだろう。こちらの身体が見たいのであれば、例の週刊誌だってとってあるのだ。
「そんな勿体ない事できるわけないだろ」
勿体ない。その発想は無かった。だが待って欲しい。廊下でいきなり服を脱がそうとするのはやめてくれ。
「ちょ、ちょっと。わかった、わかったから!引っ張らないで、伸びるから!」
言い出したら聞かないのだ。本当に仕方のない男である。
どうにかリビングに戻って和室に入る。当然のように彼はついてきた。
「……見るの?」
「だめか?」
「いや、別にいいけど」
買ったばかりのスーツケースの中、洗濯する物の中から、黒いレオタードとデニール数高めのタイツを引っ張り出す。臭いとか、大丈夫だろうか。
着てから二日ほど経っている。着ていた時間はそれほど長くないにしても、流石に直接肌につけるものだ。ひっぱり出したタイツをくんくんと嗅いでいると、またしてもソウが恐ろしい事を言い出した。
「タイツは無しで頼む。破くのはもったいないから」
「破くの前提なんだ」
そりゃあ、そういう事をするには脱がすか破くかしないとできないが、それ前提という所がまた怖い。要はバニーさんとやりたいから着替えろという事だ。直接的である。ダイレクトである。
「今日はお風呂にも入ってないし、洗ってないから、もしかしたら臭うかも」
「その方が」
興奮する、と言おうとした彼を睨んで黙らせる。どうしてこう彼はコスプレ系になると変態度が増すのだろうか。
一旦着用していた服も脱ぎ、下着も全て脱いだ。スーツは固定のためのワイヤーとカップが入っていたので、ブラを付けなくても問題ないのである。
細々とした小物の中からCストリングを取り出して着用しようとした時だった。
「ミサキ、それ、何だ?」
裸のこちらから視線を外さずも、白い湾曲した靴べらのような下着を指差して聞く適当な男。
「何だって。下着だよ。こういうのじゃないと見えちゃうでしょ」
何故かソウは相当に大きなショックを受けたようで、目を見開いて固まっている。
「バニーガール……下着……つけてたのか」
「そりゃそうでしょ。ノーパンで着るわけにもいかないし」
水着ではないのだ。下着はつける。ただ、こんなもの持っていなかったので、これも当然貰ったものだ。
「知らなかった。大体どんな作品でもずらしてそのまま挿れてるし」
「いや……情報源そこしかないの?」
職業用コスチュームではなくてスケベ専用コスチュームだと勘違いしているのである。まぁ、世の中の大半の男性の認識はそのようなものだが。
気にせず股間を挟むように取り付けてスーツを着用しようとすると、がっしりと腕を掴まれた。
「下着無しで着てくれ」
最早何を言っても無駄である。ため息を一つ吐いて、特殊な形状の下着を取り外してそのまま着用する。思った以上にしっかりとした形状のそれを密着させるように身体に貼り付け、後ろについているファスナーを上げた。
象徴とも言えるうさみみ付きのヘアバンドを装着し、手首にはカフスをボタンで留める。チョーカー状の黒い蝶ネクタイを首に付けて完成だ。
「これでいい?ご飯、食べたいんだけど」
それはもう、穴が空くほどに凝視しているソウの視線が痛い。視線は概ね胸元からふとももにかけてを隈なく往復している。サカキなんかもそうだったが、大体誰でも同じ様な視線の動かし方をする。
「すげえ、本物だ。ていうか、胸、でかくなってねえ?」
「パッドが入ってるんだよ。ブラつけてなかったでしょ?形が決まってるから」
見ているだけに飽き足らず、ソウはこちらの腰から胸までを掌で撫で回した。触り方が極めていやらしい。
「結構硬いんだな。水着みたいな材質かと思ってた」
「ワイヤーとボーンで固めてないと胸がめくれるから……って、もう」
隙間から中に入れてこようとする手を止めて、付き合っていられないとばかりにリビングへと戻る。まずは何か腹に入れたいのだ。中途半端な量の機内食のせいで、やたらと腹が減って仕方がない。
「うおお」
何だ、今度は。もう相手をしないぞ。
無視して一息にキッチンまで戻る。リビングに出てきたソウは、こちらを見て物凄く良い笑顔を貼り付けている。
「ちゃんと尻尾、ついてるんだな。尻もエロくて、最高だ」
呆れてそれ以上何も言う気にもなれない。バニーさんの格好のまま、キッチンに置きっぱなしになっていた冷凍チャーハンを一袋、全て油を敷いて熱したフライパンの上に空けた。
深夜のキッチンに油の香りが充満する。完成された味を想像させる香りに、思わず腹がきゅうっと収縮する。こんな時間に、何という冒涜的な香り。
「ミサキ、俺も……」
「はいはい、そう言うだろうと思ってましたよ」
我慢ができるはずがないのだ。そこも織り込み済みである。
自分の分を多めに皿によそい、ソウの分はやや控えめにする。シンクには空き缶が転がっているので、夕食の後だか最中にこいつは酒を飲んだのだ。そしてこんな時間にシメのチャーハン。成人病まっしぐらの食生活である。
テーブルに二人分の皿と麦茶をごとんと置く。スープも何もない、これだけだ。
夜食にいただきますも何もない。れんげを持ち上げ、黙って二人で食い始めた。
「なんか、違和感あるな」
ソウが一口咀嚼して飲み込んだ後、こちらを見ながら言う。
「何が?」
「だって、バニーがチャーハン食ってるんだぜ」
「ソウが着ろって言ったんでしょうが」
普通に食べて普通に風呂に入って普通に寝る予定だったのだ。風呂に入る前にこんな格好をさせられるなんて、夢にも思わなかった。
「そうだけど。まぁ、これはこれでなかなか」
彼はこちらの谷間を見ながら器用に黄金色の飯を口に運んでいる。要はエロければなんでも良いのだろう。違和感とか言っていてこれである。
股間の違和感を気にしながらも、さっさと大盛りの炒飯を完食した。胃にはまだまだ入るが、空腹で寝られないという事は無いだろう。
二人分の皿とコップを流しに持ち込んで洗い始める。飯と油ものは放って置くと洗剤でも落ちにくくなるのである。というか、朝まで放置するのはなんだか気持ちが悪いのだ。
シンクも軽くシンク用のスポンジで拭き取って、水を切って定位置に戻した、と同時に、後ろから彼が密着してきた。当然、こっそり近寄ってきていたのは気が付いていて、気付かない振りをしていたのだが。
「まだお風呂、入ってないんだけど」
「ごめん、我慢できねえ」
「こんな所で?」
「こんな所で」
分かっていた。下着をつけるなと言っておいて、このまま何もせずに終わるわけがないのだ。彼の手が太ももと尻を這いずり回り、臍の下から侵入してきた。首元で彼が深呼吸する音が聞こえる。
「変態すぎない?」
「普通だよ、男の夢だ」
「わかるけど。実際しようとは思わないでしょ」
「目の前にあるんだから、やらないわけにはいかない」
変な所で男らしい。股の下の布が強引に脇に寄せられたのを皮切りに、長い夜の始まりを感じ取ったのだった
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