第51話 面会

 迎えに来た軍用のトラックの荷台に全員で乗り込む。普通、こういう高級ホテルにやってくる出迎えにはもっと良いクルマを使うのではないかと思ったのだが、基地に向かうのであるから文句は言えない。立場としても別に自分たちは高貴な存在ではないのだ。妥当である。

 荷台の中では全員が沈黙したままだ。今朝のことを引きずっているのである。

 メイユィ本人を除けば、最も軽症なのはジェシカだ。彼女は男女の関係に強く興味があるものの、先を越されたという事以外の感想は無いのだろう。比較的落ち着いている。

 次に冷静なのはオオイだ。彼女は立場上この事実をどう処理しようかと悩んでいるのか、顎に手を当てたままずっと考え込んでいる。実務の鬼である。

 傷が深いのがマツバラだ。自身の男性遍歴の無さを間接的に自覚させられた上、自分の産婦人科医としての存在感を見失いつつある。これはメンタルケアが必要なレベルである。

 そして最も危ないのが、シュウト・サカキその人である。

 恐らく彼は、メイユィの事を元々憎からず思っていたに違いない。そもそも、自分たちと接する中でも、彼は特に彼女には丁寧に、優しくしていた。

 それはメイユィがあまりにも可愛らしく、最年少なのが理由だろうと、こちらもサカキも思っていたのだが、実際には胸の内に秘めた特別な想いがあったのではないかと、本人が困惑しているのである。

 彼はメイユィに手を出さなかった。いや、出せなかったのだ。

 崇拝や慈愛に近い想いを抱いていた相手を、そう簡単に抱けるはずがない。それは自らの感情に対して、ある種の冒涜となってしまうからだ。

 それにしても、この中で一番影響が少ないのがメイユィ本人と自分だけである事がなんとも皮肉な事だ。

 メイユィは良いだろう。元々好意を抱いていた相手との関係を、他人からどう思われようが自分の意志を保てば良いだけの話だ。

 だが、もう一人冷静になっているのが、元男性の自分であるという事があまりにもひどい。残酷だ。

 元男性だけが既に結婚しており、彼女たちの中で男性遍歴的には最も優位に……いや、優位だというと結婚が全てなのかと勘違いされてしまうが、兎に角余裕があるというのは事実だ。

 実際の所、自分はサカキとメイユィがどうなろうとそこまで深刻には考えてはいない。倫理的に、それと彼女にとって彼が見合う相手なのかどうかは別にしても、当人たちが合意の上であるのならば、それは歓迎すべき事である。政治的な事は上の人間が頭を悩ませれば良い事だ。

 いずれにせよ、これから重要な会合があるというのにこれはまずい。

「サカキさん、今日会う相手は、DDDの三人だけではないのですよね?」

 一応事前に聞いているが、確認の為だ。そして彼の気を仕事の方に向けるという目的もある。

「え、ええ。例の三人以外に、外務省と国防省の方がそれぞれ一名ずつ来られています。どちらも実務管理者レベルの方ですので、そう気負う必要はありません」

「普段もその方々が近くに?」

「いえ。外務省の方は交代でこちらに滞在されるそうですが、国防省の方は普段はいらっしゃいません。基地での彼女たちの身の回りの事は、駐留している軍の方がされておられるようです」

 立場的にはサカキとオオイに近い感じだろうか。ただ、専属ではなく交代。サイクロプス島の基地は連合王国の土地という扱いになっているが、やはり本島から離れているので、出張扱いという事になるのだろう。

 こちらとは大分違うが、場所が変わればやり方も変わる。あまり深く考える必要は無さそうだ。

 多少は気が紛れたのか、サカキの顔色は幾分良くなった。

「あちらには専属医のような人はいないんですか?」

「それは聞いていませんね。軍医か、研究者が対応しているのでしょうが、そもそも皆さん、怪我をしてもすぐに治ってしまいますから。病気になったという話も聞いていません」

 確かに、病気にも強いし怪我もすぐ治る。だが、医者にかかるというのはそれだけではないだろう。

「マツバラ先生」

「え?な、何?」

 彼女に口を寄せて、サカキに聞こえない程度の音量でそっと囁く。

『あちらも女性三人だけで色々と不安に思う所があるかもしれません。一度、話を聞いてあげもらえませんか』

『ああ、そう、そうだね。確かに』

 マツバラも少し気を取り直した。結婚していなかろうがなんだろうが、彼女が優秀な医者である事に少しも疑いの余地はない。堂々としていれば良いのだ。

 軍用トラックに窓は無い。風光明媚な地中海の海岸沿いだというのに、外の景色が見られないというのは実に勿体ない。

 座り心地もお世辞にも良いとは言えず、全くクッションの効いていない、箱のような座席から振動が伝わってくる。今朝までの快適な環境とは天と地の差だ。

 それでも基地領域までの距離はそう遠くない。ハイウェイのようなスムーズな道路から、慣性が身体を揺らして坂道を下っていく。暫く速度を落とした状態で進んだ後、上下振動が大きく車体を揺らした。

「着いたみたいですね」

 トラックの速度が徐々に落ち、停止する。前の方で扉を開閉する音ががちゃがちゃと聞こえてから、後方の扉が開かれる。なんだか運ばれる荷物になった気分だ。

『どうぞ、こちらへ』

 大尉の階級章を付けた男性が、タラップもついていないトラックの荷台の外で待っている。ジェシカが真っ先に後方へ歩いていって飛び降りた。

 乗る時は後ろのバンパーをタラップ代わりにして上ったのだが、降りる時は後ろ向きになる必要がある。大尉とその隣の上等兵に尻を向けるのも何なので、自分もジェシカと同じ様に飛び降りた。タイトスカートを履いているのでこちらのほうがマシなのだ。

 メイユィもこちらの真似をして飛び降りてきたが、マツバラとオオイは流石にこちらに尻を向けて降りてきた。結構大きな尻がこちらに突き出されており、何とも居心地が悪い。

「あんまり基地っぽくないよ、ミサキ」

「そうですね」

 降り立ったのは普通の駐車場であり、軍用トラックの他にも乗用車が何台か停まっている。ただ、ジープやトラックが多いので、その辺りはやはり軍の施設なのだと感じる。

「あれ、何かな?お店っぽいよ」

「ショッピングセンターみたいですね。あっちにあるのはガソリンスタンド」

「普通の町みたいです!」

 ジェシカの言う通り、降りた場所は少し閑散とした町の一角に見える。敷地が広いので建物や施設の間隔が空いているが、別段戦車や戦闘機が並んでいるという事もない。

『ここからはこちらの車輌で移動します。二手に分かれてご乗車下さい』

 連合王国軍の大尉が、隣の乗用車を示す。言われるがまま、片方のクルマの助手席に乗り込んだ。後ろにはメイユィとジェシカが乗り込んだので、残りの三人はもう片方のクルマだ。

 大尉がこちらのクルマ、上等兵がオオイ達の方の運転席に収まった。すぐに彼がイグニッションキーを捻る。

『広い基地ですね。ヒノモトにはこれだけの規模の基地はありませんよ』

 連合王国語で話しかけると、大尉も小さく笑って答えた。

『そうですね、ヴィクトリア本島にもこの規模の基地はありません』

『ああ、失礼。別に冗句を言ったわけではないのです』

 うっかりしていた。相手は連合王国人だ。素直な感想を述べたのだが、植民地主義を皮肉られたと感じたのだろう。

 サイクロプス島には、非常に広い敷地を持つ連合王国の基地が二箇所もある。島の数%を占めており、公には今もこの国から返還を求められている。

 ただ、複雑な周辺情勢から連合王国はここを手放す気はないらしく、またサイクロプス共和国自体も、返還を求めているのは政治的なポーズだけに留まっている。

 元々この島は連合王国の植民地であったため、独立後も大規模な敷地を持つ基地だけそのまま残している、という状態だ。本島ではとてもこんな広い敷地を軍用に取る事はできない。

『そうですか、こちらこそ失礼。広いのは広いのですが、このように移動も大変です。生活には困りませんがね』

『先程うちの者も言っていましたが、普通の町のようだと』

 彼は前を向いたまま、軽く肩を竦めた。

『全てこの中で完結していますからね。をする必要が無いように』

『ヒノモトのリュウキュウにある合衆国の基地も同じ様な設備が揃っていますよ。ここほどに広くは無いですが』

『ああ。なるほど、経緯は同じですね』

 リュウキュウがヒノモトに返還されても合衆国軍の基地は残っている。ここと全く同じ立場である。

「ミサキ、ヒノモトには合衆国の基地があるのですか?」

 バックミラーに映るジェシカが不思議そうに首を傾げた。知らなかったのか。

「ありますよ。大きな基地がいくつも」

 殆どがリュウキュウに集中しているが、首都周辺やエゾにも沢山ある。基本的に敷地内は合衆国扱いである。

『失礼、彼女は何と?どうしてヒノモト語で?』

『ヒノモトの合衆国の基地についてです。あと、彼女は少し、合衆国の南部訛りが強くて。恥ずかしいのですよ』

『そうでしたか、失礼しました』

 合衆国の海兵隊などであればそこまで気にしないのであろうが、連合王国軍に彼女の乱暴な言葉使いを聞かせて良いのかどうかが分からない。仮に彼らが許容できたにしても、基本的に自分たちとは別の対処エリアなので、無理に砕けた物言いで近づいてもあまり意味はないだろう。

 二台のクルマは基地内のよく整備された道路を北東へと進んでいく。周囲は比較的起伏が激しく、あまり見通しは良くない。

 ただ、流石に道路自体は真っ直ぐ平坦に作られているので、行く先は割とよく見える。だだっ広い演習場のような場所を横目に見ながら、正面にはもう一つ、小さな町のような場所が見えている。

『あれ、何?お城?』

 メイユィが目指す先に屹立している大きな建物を見て言った。城、というか、宮殿というか。

『あそこが普段DDDの、失礼、DDDアトランティックの皆さんが待機している場所です。今から皆さんをお連れするのもあそこです』

 これはまた、なんとも。

 遠目に見ても目立つ建物は、真っ白でかなりの大きさだ。ジェシカ達が暮らしている、味も素っ気もない四角いコンクリートの建物とは差がありすぎる。

『あれは、まさか新たに建てたものではないですよね?』

『勿論です。元々この地に立っていたものを改修して使っています。まぁ、来られる方の身分が、その』

『あー、公爵家のお嬢様ですからね』

 別に貴族だからと言って政治的に何か重要な立場にいるというわけではない。ただ、家柄が家柄だけに配慮は必要となるのだろう。華族がほぼ絶滅したヒノモトから見れば、少し異様に映る。

 両脇に広がる『町』は、通常の建築様式ではない。殆どが鉄筋コンクリート造の頑丈なアパートメントのようなもので、それでも所々に商店やレストラン、銀行らしきものまで見える。道の突き当りには白亜の宮殿、ということで、まるで城下町にいるかのような感覚に陥る。

 クルマは他に何も走っていない片側一車線の道路を進み、程無くして宮殿の前のロータリーに辿り着いた。どうやらここがこの道路の終点らしい。

 ロータリーに停まったクルマから降りると、大尉はそれではと言ってクルマを運転して去っていった。彼は連れてくるように言われただけか。

「はー、すごいですね。アトランティックの人は宮殿住まいですか」

 サカキがぽかんと口を開けて間抜けな顔を晒している。彼も知らなかったのか。

「だだっ広い基地の中だからできるんでしょうが、ヒノモトの国土でこれをやったら周辺から丸見えで顰蹙を買いそうですね」

「ミサキさん、そもそも歴史的建築物のある場所に基地を作ろうとは思いませんよ」

 確かにその通りだ。これは新しく建てたものではないのだ。

 一見するとグリースの古代宮殿にも見えるが、柱や構造物を良く見れば、中東の建築様式の影響も見られる。これって結構重要な建物じゃないだろうか。街中にあったら観光地化するような。

 ぼうっとしているわけにもいかないので、暖かい日差しに照らされながら宮殿の方へと歩く。入り口は正面だろうか。まさか勝手口があってそこからごめんくださいというわけではないだろうが。

 大きな庇のついたエントランス近くまで寄ると、入り口の巨大な金属の扉、ではなく、脇の小さな近代的な扉の中から若い白人男性が出てきた。

『DDDパシフィックの皆さんですね?初めまして。FCDO所属のブレンドン・ベッドフォードと申します』

 FCDOとは外務連邦開発省の略で、一般的には外務省と呼ばれている。歴史的経緯から3つの省が統合されて今の形になった。

『お会いできて光栄です、ベッドフォードさん。ヒノモト外務省所属のシュウト・サカキです』

 外務省には外務省、という事で、サカキが自然な仕草で右手を差し出した。この辺り、彼は本当に如才のない動きをしている。

 二人とも年齢は同じぐらいだろうか。ヴィクトリア人とヒノモト人という違いはあれども、ブレンドンの方も随分と整った顔立ちをしている。任期はあるものの、あちらはあちらでお嬢様方のお世話をするなら若くてイケメンが良い、と判断したのかもしれない。どこの国も考える事は同じだ。

『初めまして、ベッドフォードさん。DDDパシフィック所属のミサキ・カラスマです。こちらはジェシカ・サンダーバード、そっちがジュエ・メイユィです』

 二人とも黙って笑顔で握手を交わした。今の所不自然には思われてはいないようだ。

 オオイとマツバラもそれぞれ挨拶して一通りの紹介が終わると、ブレンドンはこちらへどうぞ、と出てきた扉の方へと案内した。どうやらでかい扉は閉め切り状態のようだ。

 古い建物には良くある話だが、大きくて重たい金属扉を使わずに通用口ばかり使っている内に、錆びついて開かなくなるのである。

 歴史的建造物であるが故に、壊すのを恐れて無理に開けることができなくなり、結局ただの飾りと化す。別段それで運用上は問題ないので、いずれ本格的な修理が必要となるまで放置される、というわけだ。

 入った所は広いエントランスホールになっていた。内装は整えられており、石造りの床には絨毯が敷き詰められている。壁にある燭台はLED照明に付け替えられており、どうやら空調も効いている。暖かい時期にも関わらず、ホール内はどこかひんやりとしていた。

「天井、高いですね」

 ジェシカが上を振り仰いだ。釣られて見ると、ドーム状の天井にはやや色褪せた壁画が描かれている。いや、いいのかこれ、普通に使って。保存が必要なものなのじゃないのか。

 天井画はどうやら受胎告知を描いたものらしく、出入口側を下向きにガブリエルとマリアらしき二人と、周辺には天使たちが飛び交っている。

 先に進んだ外務省の二人に置いていかれそうになり、慌てて小走りで追いかける。薄暗い監視室前の廊下とはえらい違いだ。

 こちらも絨毯の敷かれた長く広い階段を上り、二階の南側、ちょうど天井画の裏側に当たる位置だろうか。大きな木製の両開きの扉を開いてFCDOの人間はこちらを振り向いた。

『どうぞ。中でお待ちです』

 縦に長い扉の取手を持ったままの彼に礼を言って中へと入る。やはり真っ赤な絨毯が敷かれた広い室内。明るい陽光が白いレースの長いカーテンを通して差し込む室内に、四人の人間が大きなテーブルの周囲に立っていた。

 三人は見たことのある顔だ。残った一人の男性は恐らく国防省の人間だろう。彼女達は入ってきたこちらに気がつくと、全員が微笑みを浮かべながら近寄ってきた。

『やあ!初めまして!パシフィックの人たちだね!』

 先陣を切ってやってきたのは、見目麗しき白人女性。ぞっとするほどに整った顔のパーツの造形に、薄く透き通った肌。ゆるくウェーブのかかった髪を肩の辺りで整えており、薔薇色の唇からは流麗なクイーンズが紡ぎ出される。

『初めまして。フレデリカ・ゴールドクラークさんですね。ミサキ・カラスマです、宜しく』

 完全に貴族のお嬢様だ。身長は自分よりもやや高いだろうか。

 言動からは快活そうな印象を受けるものの、思わず目を奪われるような美しさ。アーモンドのように大きな瞳に長い睫毛、高い鼻梁に真っ赤な唇。身に纏った体のラインが見える華美な服も霞むほど、100人中100人が美人だと認めるほどの、完璧すぎる外観である。

『君がミサキだね!宜しく!フレデリカだ。極東の仲間がどんな人か、ずっと会いたいと思っていたんだ。想像していたよりもずっと美人で可愛らしいね!』

 彼女に言われてもお世辞にしか聞こえない。それでもありがとうございますと笑顔でハグを返した。

『おっと、紹介しよう。そっちの背の高いのがゲルトルーデ・アルブレヒト。黒くてちっこいのがロロ・アイナだよ。仲良くしてやってくれ』

 ゲルトルーデは伏し目がちに頭を下げ、ロロは元気によろしくーと両手を振った。可愛い。人種の違いはあれども、どこかメイユィに似た雰囲気を感じる。

『こちらも、背の高いのが合衆国出身のジェシカ・サンダーバード。小さい方が央華出身のジュエ・メイユィです。メイユィはジュエが姓です』

 ジェシカがよろしくなと元気に連合王国語で挨拶して、メイユィもロロと同じ様な感じで返答した。

 フレデリカは思っていたよりも非常に気さくな感じの人間だ。貴族のお嬢様だと聞いていたのでもう少しお高い感じかと思っていたのだが、軽妙で芝居がかった、どことなく男性のような話し方をする。なんというか、印象で言えばヅカのような。

『うむ、実に美しいクイーンズだな、ミサキ。それで、付き人の方々もご紹介いただけるのかな?』

 後ろにいたサカキ達が順番に立場と名前を述べて挨拶をする。彼女は一人一人に宜しくと言って抱きついている。サカキが少しでれっとしたのを見て、メイユィもまた少しむくれるのが見えた。

『こちらも紹介しないといけないな。ブレンドンはもう自己紹介したな?よし、じゃあ、オーウェン、君だ』

 オーウェンと言われた背広姿の背の高い壮年男性が、国防省のオーウェン・ラザフォードですと軽く頭を下げた。彼は普段ここにいるわけではないそうなので、特別話し込む必要も無いだろう。儀礼程度の挨拶に留めて一通りの紹介を終えた。

『さて、本日は昼食を用意させているのだが、まだ時間はあるな。これから協力体制を組むんだ、お互いに情報交換といこうじゃないか』



『ヘイ!ロロ!お前、あのクソ恐竜を食った事があるって本当か?』

 早速ジェシカは事前にミサキから聞いていたことを持ち出した。

『クソ恐竜?クソじゃないけど恐竜は食べたぞー』

『えっ……ほ、本当だったんだ。お腹、大丈夫だった?』

 メイユィは半ば誇張された冗談だろうと受け取っていた為、ロロの返事に驚いて硬直した。食べられるものだと思っていなかったのである。

『マジかよ。どんな味だった?美味かったか?』

『美味いぞ!歯ごたえがあって、意外とあっさりしてる。こっちで食べる牛の肉も美味しいけど、柔らかすぎてダメだなー』

『それはあるな!ヒノモトの牛肉もクソ柔らかすぎるのが多くてよ、なんか物足りねえんだ。そうか、食えるのなら、一度持って帰って焼いてみるか?』

『だ、ダメだよジェシカ。恐竜の肉は研究資料なんだから、勝手に持って帰ったら怒られるよ』

『勝手にじゃなけりゃいいんだろ?ヒトミかアロンの爺さんに一言言っときゃ大丈夫だって』

『え?うーん、良いって言われたらそれでもいいけど。大丈夫かなあ。恐竜っていっぱい種類いるし、毒持ってるのもいるかも』

『毒は平気だぞ。ロロはお腹壊してもすぐに治るから』

『えっ、それは、勿論そうだけど』

 彼女達の身体は頑丈である。そして毒物に対する代謝能力も高い。

『決まりだな!次の出撃に、クソ尻尾か足の肉でも持って帰ろうぜ。ミサキなら絶対美味く料理してくれるって!』

『えー……流石にミサキでも無理じゃない?』

『ミサキは料理が上手いのか?ロロは焼くぐらいしかできないぞ!』

 何故か可愛らしい桃色のワンピースに包まれた薄い胸を張ったロロに対し、服装も身長も肌の色も胸の大きさまで、何もかも対照的なジェシカも親指を立てる。

『バーベキューなら得意だぜ!ただ焼くだけでもコツがあるんだ!』

『やっぱりミサキに任せよう』

 二人に比べればまだ常識人の範疇に入るメイユィは、どこかジェシカに似た人間が増えたことに少しだけ頭を抱えた。




『ミサキはカタナを使うんだったか?トゥルーデと同じだな』

『フレデリカ。私の武器はカタナではない。騎士剣だ。一緒にしないでくれ』

『騎士剣って。ただのロングソードじゃないか。何にでも騎士をつけるのはやめたまえ』

『騎士の使う剣が騎士剣だ。何も問題は無い』

 早くもこの無口な長身の女性がどういう人間なのかが分かった気がする。どうやら彼女は育ての親のせいか、妙に騎士というものに拘りがあるようだ。

『騎士と言っても、君のご両親の先祖は宗教騎士じゃないか。王や領主に仕える騎士とはまるで違うぞ』

『戴くものが違うだけだ。騎士は騎士、何も問題はない。そうだろう?サムライ』

 サムライ……暫く固まったが、ゲルトルーデが鋭い目でこちらを見ているのに気がついた。ひょっとして、自分の事か?

『いや、サムライはもう絶滅していまして。私は剣士ではありますがサムライではありません』

 一応海外に挑むスポーツ選手をサムライと称する事はあるが、あくまでも呼び名だけだ。若干滑っているのでああいう文化は止めて欲しいのだが、マスコミはどうにもそういう称号をつけることで国家への帰属心を表そうとしているのか、やめようという気配が一向にない。

 別段盛り上がっている所に自分が水を差すわけにもいかないので黙っているが、仮に自分の事をDDDのサムライとか呼び始める人がいたらやめてくれと言おうと思っている。

 こっ恥ずかしいのである。

『な、何!?ミサキはサムライではないのか!?ヒノモトの剣士は、剣に全てを捧げたサムライだと思っていたのに』

 何故かショックを受けているゲルトルーデ。いや、その認識は大分古い。いつの時代の人間だ。

『ほら、言った通りだろう?全く、君はリッターとサムライは同じ誇りを持つものだと言って聞かないのだから。いったいいつの時代の人間なんだ』

 フレデリカが呆れたように手を振る。背が高く凛とした雰囲気を放つゲルトルーデは、見た目からは随分と外れたポンコツだった。いや、多分戦闘力は高いのだと思われるが。

『まぁ……確かに剣士の事をサムライと呼ぶ風潮はありますね。剣道を志す人間には、サムライになりたいと思っている人も多いですから。ただ、そもそも主君がいないのでサムライ、武士ではありません』

 それに、真剣を使うなら剣道ではなくて居合道の方を学ぼうと思うだろう。居合自体はあれは演舞に近いものなのでそれもまたサムライとは違うのだが。

 しかし何故かゲルトルーデはこちらの両手を掴んだ。

『そうか!やはり、サムライの魂は消えていないのだな!それを聞けただけでも満足だ!よし!ミサキ、騎士とサムライ、どちらの魂の方が誇り高いか、手合わせといこうじゃないか!』

 いや、何を言っているのだこいつは。ひょっとして脳筋タイプなのか。

『やめたまえトゥルーデ。ミサキが困っているじゃないか。全く君という奴は』

 そうだ、言ってやれフレデリカ。唯一の常識人らしきお前が頼りだ。

『ただ、そうだね。ミサキはたった一人でGクラスを倒したと聞いているが』

『え?はい、確かにサクラダ駅のはGクラスだったと。ただ、あれは地形的に』

『素晴らしいな!我々もGクラスには一度だけ遭遇したが、二人共ダウンしてしまってギリギリの勝利だったのだ!それをたった一人で!なんという戦闘力だろうか』

 あまり良くない流れになっている気がする。こんな話を聞いてこのゲルトルーデが。

『流石はサムライ、凄まじい戦闘力。であれば、是非とも手合わせを願いたい』

 おい、なんだ。何故火に油を注ぐ。ひょっとしてフレデリカはわざとやっているのか。

『だから、やめたまえと言っているだろう。ただ、そうだな。どうしてもと言うのであれば、食事の後であれば問題はないな。勿論真剣は無しだ。訓練用の木剣を使いたまえ』

『承知した。これは、楽しみだ』

『……あの、こちらの意見は?』

 控えめに抗議したのであるが、フレデリカは華麗な笑顔で躱し、ゲルトルーデは獰猛な笑顔で返してきた。もう帰りたい。



『その若さで中佐というのは、なんとも優秀な事ですな』

『過分な評価を頂いております』

 何というか、場違いだ。偉い人間と強い子達。私だけが何か別の存在のように見えてくる。

 オオイは私と同年代でありながら軍の幹部クラス、佐官の中に位置している。これは驚異的な才であり、女性としては過去に例を見ない程の快挙である。

 それに加えて彼女に与えられた任務は、陰ながら世界を守る者達を補佐せよ、という、軍人にとってなんとも心をくすぐられるような立場に違いない。

 対する連合王国のオーウェンは、聞けば国防省の部長クラスだという。いずれ局長、あるいは次官となるようなエリートである。これもまた、優秀だ。

 一度落ちぶれたただの研究者である私には到底及びもつかない世界。正直、一介の医者であり、研究者である私がここにいて良いとは思えない。

『ドクターマツバラは、彼女たちの専属医だとか。その若さで、フェルドマン博士の研究室にいるというのは、なんとも素晴らしいエリートですな』

『お褒めに預かり光栄です』

 私など、到底彼らの足元にも及ばない。ちょっとばかり医療をかじったただの研究馬鹿だ。

 オーウェンはしかし、何とも言い難い顔をしてこちらの二人を眺めている。

『あの、ひょっとして、お二人共、ご自身にあまり自信がお有りでない?』

 バレている。何故分かったのだ。

『何故にそう思われますか?我々は誇りを持って仕事をしております』

 オオイの連合王国語は硬い。であるが故に、勘違いされても仕方が無いのだが。

 唐突にオーウェンは笑い出した。ジェシカ達がぎょっとしてこちらを見ている。ミサキ達は特に気にしていないようだ。

『いやあ、ヒノモトの人は本当に謙虚だ。普通、その歳でそれだけの仕事をしていて、過分な評価などという言葉は出てこないものですよ?もう少し、自信をお持ちになってください。謙虚は美徳ですが、過ぎれば傲慢と映ります』

『はあ、そうでしょうか。私などは一介の医者に過ぎず』

 オーウェンは気障ったらしく目の前に人差し指を立てて振った。壮年ながら整った顔立ちであるが故に、実に様になっている。

『ドクターは、医者ドクターというだけではなく、博士ドクターでしょう。論文は拝見しましたよ?実に素晴らしい。実は私は元軍医でしてね、遺伝に関する貴女の研究は驚嘆に値する。自信を持って下さい』

 論文を。博士課程で出したあれを見てくれていたのか。マスゴミのせいで完全に喪失したその価値を。

『ミズ・オオイ。その若さで中佐など、連合王国のエリートでも滅多にいません。ましてや男ばかりの軍において。私も軍にいたが故に、その厳しさは良く分かっていますよ』

『……ミスター・ラザフォード。ご評価頂き、ありがとうございます』

 硬い口調とは裏腹に、オオイの顔はとても嬉しそうだ。彼女も自分の価値を認めてくれる人が、まさか海外にいるとは思わなかったのだろう。気持ちはわかる。

 連合王国人は本音と建前を良く使い分けるというが、それでも彼の言葉は嬉しかった。確かに、客観的に見れば私の積み上げてきた事は凡人を上回っているはずだ。そう、そうだ。もう少し自信を持とう。そして、可能な限り彼女たちの力になろう。



『いやあ、いいですねえ、サカキさん。任期ありとは言え、この仕事ができて私は光栄ですよ』

『ベッドフォードさん、あまり入れ込むと大変ですよ。何しろ、彼女たちは救世の女神なのですから』

 彼は分かっていない。彼女たちがどれほど重要な存在なのかを。

『確かに可愛いです、美人です、可憐です。ですが、それは手を触れてはならぬものなのです』

 触れかけた。危ない所だった。危うく世界を敵に回す所だった。

『分かっていますよ。ですが、任期の間は彼女たちをこっそり愛でたとしても神もお許しになるでしょう?問題ありません』

『任期があるあなたは良いでしょうが、僕はそういうわけにはいきません』

 ただでさえ、昨夜から今朝にかけてあんな事があったのだ。安定した出世のためには、あんなトラブルは御免である。……いや、でも、彼女が本当に望むのであれば。

『おやおや?でも、サカキさん。どうもあなたの顔はそうは言っていないようですが?』

『気の所為でしょう。ジョンブルのジョークは過ぎれば顰蹙を買いますよ?』

 わかるわけがない。この事は墓まで持って行く。誰にも気取られてはならない。カラスマ達には知られてしまったが、彼女たちは積極的に言いふらしたりはしない。

『そうですか?ふむ。東洋人の年齢は少しわかりにくいですが……サカキさんはどの子がお好みで?』

『酒も入らないのに酔ったセリフは禁止ですよ?』

 まだ食事もしていないのだ。初っ端からこれでは困る。困ってしまう。

『はっはっは!では、スコッチが届いたらゆっくりとお話をしようじゃあありませんか。安心して下さい。本場のものをきちんと持ってこさせておりますので』

 なんてことだ。こんなところで連合王国の本場高級蒸留酒が。だが、騙されない。どれだけ酔っても自らの強い意思は貫き通す。そう、彼女をベッドの上で抱いた時にだって我慢できたのだ。そんな事は造作もない。ヒノモトの官僚魂を舐めるなよ。



『んほぉー!この肉うめえ!クソ恐竜の肉なんてどうでもいいぜ!』

『今日も美味いぞ!ところでこの肉なんだ?』

『ロロ、それは多分仔羊の肉だよ。ラムだよ』

 広間に料理が運ばれてきて、フレデリカの合図とともに開始されるなりこれだ。

 ジェシカとメイユィは、あちらのロロと随分ウマが合ったようだ。出会っていきなり、ごく普通に友達のように接している。恐らく精神年齢が近いのだろうが、それにしても打ち解けすぎではある。

『どうですか?本場のスコッチは。ここは連合王国領ですからね、このぐらいは』

『素晴らしいです!ベッドフォードさん、極上の香りですよこれ!』

 サカキは酒に転んだ。もう彼は戻れない。極上の蒸留酒に溺れた以上、酔っ払って醜態を晒すのは目に見えている。御臨終である。

『こんなレディを放って置くなんて、ヒノモトの男性は目に杭でも刺さっているのではないでしょうか』

『褒めすぎでしょう。ですが、ありがとうございます』

『ラザフォードさんも素敵ですよ。奥様が羨ましいですね』

 こちらはヴィクトリア紳士の手のひらの上で転がされている。三十路を過ぎていても、ありとあらゆる経験を積んだヴィクトリアの紳士には、(おそらく)乙女である彼女たちを手玉にとるなど、子供をあやすかの如くだった事だろう。

 だが、こちらにはこちらの問題がある。

『ミサキ!どうした!飲まないのか?』

『飲んでますよ。ただ、ビールが無いのが遺憾ですね』

 ヴィンテージワインとスコッチとシャンパンしかない。いや、それはもう相当に、圧倒的に贅沢だと思うのだが。

『ミサキもそう思うか!ビールが無いのは明らかにおかしい!フレデリカ!』

『何度も言っただろう。君の国のビール基準が厳しすぎるのだ。ペールエールすらビールと認めないとは』

 いや、それはそう思う。純粋令も行き過ぎれば美味いビール系飲料を排除してしまうのではないか。まぁ、ヴァイマールでもそれ以外のものはそれ以外のものとして美味いと認められているのではあるのだが。

『それはビールではない!私の望むビールとは!大麦とホップと水を原料として作ったものしか認めない!』

『そんな事は分かっているよ。缶のものならば下の冷蔵庫にいくらでも置いてあるだろう。好きなだけ取ってくるがいいさ』

『そうさせてもらう!』

 ゲルトルーデは肩を怒らせて下に降りていった。あれは多分、酔っている。駆逐者でもやはり飲みすぎれば酔うものなのだ。

『どうだい、ミサキ。料理は』

『良いですね、どれも美味しいですし、お酒も最高級です。昼間からこんな贅沢をして良いのか、少し不安になりますが』

 昼食は概ね軽食のようなものばかりだが、どれもこれも最高級の素材を使って手間暇かけたとんでもなく贅沢なものだ。このクラッカーに乗っているチーズのようなものだって、チーズ自体が恐らくできたてのクリームチーズだ。クラッカーは焼き立て。出来合いのものに乗せただけの居酒屋のメニューではない。どう見ても本物だ。

 口に入れればまだ温かいクラッカーはほろりと砕けて、クリームチーズの柔らかで滑らかな舌触りに仄かな塩味と濃厚な乳の香り。こんなもの、一度食べたら居酒屋チェーンの料理などクソだ。いや、クソだとは言わないが、それはもう大分劣る。

『気に入ってくれたようで何よりだよ。でも、この程度、ヒノモトでだって出せるだろう?君の国は僕らの国と同じく、結構な経済大国じゃないか』

 その通りだ。連合王国は植民地時代、ヒノモトは戦後から暫くの間、世界でもトップクラスの島国国家として隆盛を誇った。かなり衰えた今でも尚、その当時の残滓はあり、世界でも有数の経済大国なのは間違いない。どちらの国でも、選ばれし戦士である我々が望めば、いくらでも美酒美食を用意してくれる事だろう。

『我々の国は、どちらかと言えば質素倹約を美とするのです。ゲルトルーデの国と同じですね』

 ヴァイマールも歴史上、軍事大国としてその威を奮った時期があった。ただ、あっという間に潰されたが。しかしその後も欧州連合の筆頭として、連合王国と並んでかなり裕福な国家だと言える。

『わからないな。金があるならば使うのは、金を持っている者の責務だ。なぜそれをしない?』

『それぞれの国にはそれぞれの事情があるのです。ヴィクトリアは……まぁ、紳士の国ですから。それは尊重しますけれど』

 確かに、金があるなら使ったほうが良い。ただ、自分たちの世代はもうそういった浪費を美徳とする時代を過ぎてしまったのだ。幻朧に投資するような時代は終わった。

『ミサキ、君は随分と老成した考え方をするのだな。それを悪いとは言わないが……』

 わかるまい、貴族として、公爵家の長女として育てられた彼女には。

 ヒノモトに産まれた自分とてまだ恵まれている部類だ。ジェシカも、メイユィも、ゲルトルーデだって先進国の恩恵を受けて今ここにいる。

 だが、そういった先進国でさえ明確な格差は存在する。無尽蔵に贅沢をして許される身分など、ほんの僅か、一握りの人間だけだ。

『フレデリカ、貴女は恵まれています。けれど、世の中にはそうではない人の方が圧倒的多数なのですよ』

 彼女は頬に浮かべた笑みをそのまま、動かさなかった。まるでそんな事は知っているとでも言わんばかりに。

『恵まれている、か。確かにそうかもしれないな。公爵家に生まれ、更にはこんな人外の力まで手に入れて。基地暮らしとは言え、毎日望むがままの美食生活だよ』

 彼女の瞳の色が少しだけ変わった気がした。星の光から、深淵な宇宙の色へと。

『少し飲みすぎたな、テラスに出ないか?』

 言われるがまま、お互いシャンパンのグラスを持ったまま、カーテンをくぐり抜けて窓の外に出た。

 海辺の基地に吹く風は比較的強く、酒に火照った頬を気持ちよく洗い流していく。

『ミサキ。君は他の子達と違ってかなり理性的な人間だと思う。違うか』

『そうですね。私は他の子よりも、少しだけ大人です』

 少しだけ、だろうか。概ね数十年ぐらいは違う気がする。

『フフ……実はね、僕もそうなんだ。僕は、彼女たちとは精神年齢が違う』

『それは、経験的な事ですか?それとも』

『両方さ。ミサキ、僕から見て明らかに君は他の人間と違う。だから、言っておこう』

 薄々感じていた。彼女だけ、どこか違う。それは、自分とどこか共通するような。

『僕には、記憶喪失になる前の記憶がある。戸籍が元からあるという事は、そういう事だ』

『……やはり、そうでしたか』

 彼女だけが毛色が違う。

 生まれた時からの戸籍が存在し、公的に元々認知されていた存在なのだ。明らかに、唐突に現れた自分たち……いや、ジェシカ達とは一線を画している。

『気付いていたみたいだね。どうやら僕の目は間違っていなかったようだ。ミサキ、?』

 沈黙した。即答はできない。この答え如何によって、場合によっては自分の立場が崩壊する恐れがある。

『心配しなくていいよ。他に言ったりはしないから。こんな事、他の誰にも言えるもんか。家族にだって記憶喪失の芝居を続けている……けれど、僕は歓喜した。家族もそうだった』

 歓喜?

 どういう事だ。娘が記憶を失って喜ぶような家族?

 まさか、あの噂は本当だったのか、実の兄とできている、という話は。

『違うよ』

 心を、読まれた。いや、そうではない。自分の顔に描いてあったのだ。

『僕はね、兄とはそんな。そもそも……いや』

 彼女は言い留まった。それは真実なのだろう。その先に言おうとした事も含めて。

『わかっています。ただ、記憶を失って喜ぶ家族、というのは他に想像ができなかったので』

『だろうね。こんな事、言えるはずがないから』

 間違いない。彼女は。いや、彼は。

 言わない、言えない。言えば自分の身も危うくなる。そういう事だ。

 ああ、何という事を知ってしまったのだ。彼女は何も言わなかった。なのに、それだけで全てを察してしまった。

 彼女はこちらが隠している事実に気がついていない。彼女は、こう思い込んでいる。ミサキは、元から女性であった記憶を保持する駆逐者である、と。

『君は、もう結婚しているんだってね』

『……ええ』

 そうだ、通常ならば男の精神を持ったまま、男と契を結ぼうなどとは思わない。普通は忌避感を持つはずだ。だが、自分にはなぜかそれがなかった。

『僕には無理だよ。だから、僕は、僕だけが、異質なんだ』

 違う。そうじゃない。彼は、彼女は異質なんかじゃない。それは普通の感情だ。当たり前の事だ。

『違いますよ』

 言わずにいられなかった。

『記憶を失った前後がどうだと、どうしてあなたが判断できるんですか。他の子の精神年齢が幼いのはわかっています。けれど』

 そうだ、自分を特別だと思い込む事は危険だ。

『けれど、私とあなた、彼女たちと、どこが違うのですか。同じじゃないですか』

『僕の家庭環境を知ってもそれが言えるのかい?』

 聞かなければ分からない。

『教えて下さい。伝聞では情報が少なすぎます』

 彼女は苦笑した。美しい顔はどのような表情をしても美しい。

『面白いな、ヒノモトの人間はみんなそうなのかい?いや、君だけか』

 彼女はそう言って、春の海風吹くテラスで訥々と身の上を語り始めた。



 彼女は、いや、は、ロンディニウム在住の由緒正しい貴族、テムズ公爵家の次男として生まれた。

 名をフレデリクと付けられたものの、そこで一つ歪んだ問題が起こった。

 彼の母は、二人目はどうしても女の子が良いと言い張っていたのだ。

 元々良家の娘であった母は絶対に譲る事を知らず、二人目は表面上女の子として育てられる事となった。

 最初のうちは良かった。母に似て可愛らしい顔立ちの彼は、女の子として扱われ、可愛らしい服装をしてもまるで違和感がなかった。戸籍上も女として登録されてしまったため、彼は学校に上がるまで、自分が女の子だと信じて疑わなかった。

 だが、性徴というのは否応なく訪れる。

 彼は思春期を迎える頃、唐突に学校を退学した。以降、家庭教師から学習を受ける形で彼の存在はひた隠しにされ、そのまま年月が過ぎた。

 彼は悩んだ。自分はずっと女の子として育っていたのに、得られる情報を統合すれば、間違いなく性別的には男であるという事に。

 どれだけ周囲が隠し通しても、そんな事は隠せるはずがないのだ。故に、彼は思い悩み、病んだ。

 今まで彼の慕っていた兄は、ある時を境に彼の前に一切姿を見せなくなった。

 外に出られるのは誰もが寝静まった夜半過ぎ、女の子の格好をして、護衛を連れた状態で、真夜中のロンディニウムをただ、ぶらぶらと歩き回るのみ。

 半ば幽閉された状態で思春期を過ごし、成年した。それでも彼の扱いは一切変わらなかった。公的に戸籍が女性として登録されてしまった以上、彼にはそうする以外に生きる術は無かったのだ。

 そんなある日、彼は早朝に全身の痛みを感じて絶叫を上げた。何事かと飛び込んできた使用人の前にいたのは、女性へと変わり果てた彼の姿だった。

 両親は歓喜した。これで、堂々と彼を、いや、彼女を自分達の娘だと表に出せる。

 彼女自身もこれは天啓だと思った。元々自分は女の子だと思っていたのだ。賢しい頭で即座に記憶喪失になった振りをして、家族にもそのように接した。期せずして肉体が家族の願望に追いついたのだ。間違いなく、これは神の采配だろうと。

 両親は待望の”娘”を連れて、ある日、ロンディニウムの中央にある公園に出かけた。20歳になった娘はもう立派なレディとなっていて、どこに出してもおかしくない淑女だった。当然だ、そもそも女の子として育てたのだから。

 そして、そこに、竜災害が訪れた。

 Mクラスの暴竜が、公園にいた人間達を無差別に次々と喰らい、殺していった。

 貴族としてたまたま正装をしていた父の腰から細剣を抜き放った彼女は確信していた。これは、こいつは、殺すべき存在だ。我々の幸福を奪う、許されざる存在だと。



『まさか、と思うだろう?でも、これが現実だよ』

 概ね自分の体験した事に近い。だが、どちらかと言えば彼の方が特殊と言えば特殊だ。元から女性として生きていて、この性転換によって正常化されたのである。

『いえ、わかります。肉体がどうであれ……』

 そこから先は言えなかった。自分も同じなのだと。元は男性であるのだと。

『ミサキはどうだったんだい。ある程度調べてはいるよ、従兄弟と暮らしていたんだろう?』

 公的には違う。フレデリクの、いや、フレデリカのケースが特殊すぎるのだ。

 自分は公的に二人いる。男としてのミサキ・カラスマと、彼の従兄弟として引き取られていた女のミサキ・カラスマ。

 丹念に調べれば違和感に気がつくだろう。だが、知っている者は誰もが口をつぐみ、常識とされる解答だけが真実として世の中に広まっている。情報の多少はあれども、自分たちの識りうる『常識』という劇薬に抗える人間はまずいない。

『私は、彼から沢山の事を学びました。年齢の割に他の子たちよりも知識や経験が多いのはそのせいでしょう』

 嘘をついた。戻れないと分かってから、身内以外には最後まで隠し通すつもりだった。もう、戻れないのだ。どう足掻いても戻れない。ならば、もう一人の自分は抹消するしかない。

『そうか。その従兄弟というのは相当に優秀な人物だったのだろうな。彼は?』

 黙って首を振った。はもういない。いないのだ。

『そうか。残念だったな。悪い事を聞いてしまったようだ』

『皆、多かれ少なかれ、家族と離別しています。気にしないで下さい』

 フレデリカも自分も恵まれている。メイユィやゲルトルーデと違って、家族が生きている。ジェシカのように疎遠になったりもしていない。ロロに至ってはそもそも家族と言えるものがいたのかどうかすら怪しい。

 恐らくロロにも記憶を失う前に血縁者はいたのだろう。だが、何らかの理由で彼女は一人で生活していた。

『そうだね、そうだった。僕は随分と恵まれた境遇だったようだ。半ば幽閉されていた事など些細なことだ』

 それはそれで酷い話だ。は謂わば親のエゴによってその生活を余儀なくされていたのだ。ただ産まれてきただけのには何の落ち度もない。今の彼女だって、結果的にそうなっただけで、駆逐者として性転換していなければ、今だって閉じ込められたままだった可能性が高い。

『人にはそれぞれ事情があります。それを比較するのは野暮な事でしょう』

 比べる事ではない。比べられるものでもない。

『戻りましょうか。料理を彼女達に全て食べられてしまいますよ』

『そうだね、そうしよう』

 彼女達はもう仲間だ。普段は離れていても、強敵にはきっと力を合わせて立ち向かう事ができるだろう。光のカーテンを押し開いて、酒の香り漂う室内へと舞い戻った。

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