第33話 週刊誌

 朝一番、監視室の前にはオオイとマツバラに加えて、サカキではなく、上階の研究室にいるはずのアロン・フェルドマン博士が、数人の研究員を引き連れて待っていた。

『やあ!おはよう、ミサキ。今日も元気そうで何よりだよ。この間は貴重な研究資料をありがとう!』

 やせ細った老人博士は、両手を大きく広げてこちらにハグしてくる。

『おはようございます、フェルドマン博士。お役に立ったのであれば幸いです。本日は朝からどうされたのですか?』

 普段、彼は滅多に下に降りてこない。何か我々に用事があるにしても、大抵はマツバラを通して話を持ってくる。

『何、簡単な事だよ。そろそろ新古生物の生体が欲しいと思ってね』

『生体。生け捕りですか』

 それは……あまりに危険ではないだろうか。迂闊に飼い殺しにしているものが逃げ出したりしようものなら、大惨事になってしまう。ゲームや映画の世界と同じではないか。

『そうだよ、ミサキ。設備はどうにかなると聞いたのでね、今、ハルナに打診していたところだよ。後は君達が実行してくれれば解決だ』

 どうにかなるようなものなのか、あれが。確かに狭い頑丈な檻であれば、閉じ込めておく事自体はできるだろうが。

『博士、生け捕りには危険が伴う。彼女達の安全を考慮すれば、安易に許可はできない』

 オオイが難しい顔をしている。確かに、殺すよりは生け捕りにするほうが圧倒的に難しい。その最中で怪我をしてしまう事は間違いないだろう。まぁ、多少であればすぐに治ってしまうのだが。

『博士、何か手があるのですか?まさか我々にカウボーイの真似事をしろというわけではないでしょう』

 投げ縄で捕まえろ、というのは流石に原始的すぎる。そんなことが賢い彼らに分からない筈がないので、何かしらの手があるのだろうと考えた。

 博士は実に愉快そうに手を叩いて、その通りだよミサキ、と、後ろにいた研究者に手を振った。

 澄んだ瞳をした白衣の黒人男性が、白い袋からそれを取り出す。

『これは……拘束具ですね。大きい以外はあまり人に使うものと変わらないようですが』

 黒革のような材質で出来た、太い頑丈そうな帯だ。しかし、こんなものであの怪力の恐竜達を縛る事などできるだろうか。

『そうさ。これはね、君たちの戦闘服と同じ素材から作られたものだ。頑丈さは良く知っているだろう?』

『確かに頑丈ですが、破られた事もありますよ。無論、布状と帯状では強度も違うでしょうが』

 一度、鋭い爪に引っ掛けられて破れてしまった事があった。自分ではなくメイユィだったのだが、下に何も着けていない下着同然の布であるため、泣き出しそうな彼女を二人で隠して着替える場所まで移動するのが、実に大変だったのを覚えている。

『その通りだよ、ミサキ。これはね、君たちの戦闘服よりも分厚く、硬く作ってある。留め具も全て特殊素材の特注品だ。この間のGクラスのようなもの以外ならば、こいつで縛ってしまえば必ず動きを封じることができるだろう』

 そんなに頑丈なものが作れるのなら、もっとこちらの戦闘服に応用してくれないだろうか。あんな下着同然の服装ではなく、もっと全身を覆うバトルスーツのようなものであれば。

『おっと、これにはね、大変な予算がかかっているんだ。残念ながら良く動く君たちの戦闘服には使えないよ。申し訳ないね』

 こちらの視線に気が付いたのか、博士は言い訳を口にした。

『つまり、その高額な予算を使ってまで捕獲というミッションを実行したいと。安全面も全て考慮した上で、かつ各国同意の上なのですね?』

 研究所の思いつきだけで、そんな事ができるわけがない。人類の敵、文明の破壊者なのである。捕獲した後の管理は、バイオセーフティレベルP4の管理施設よりも厳重にする必要があるはずだ。

『そうだよ、当然じゃないか。これは各国の研究者の願いでもある。受けてくれるね?』

『承知しました。ですが、この拘束具でもミドルクラスは無理でしょう。スタンダードクラスで良いのですか?』

 大きいとは言っても、それは人間に比較してだ。Mクラスの恐竜でさえ、これで拘束するにはサイズが大きすぎる。

『無論だ。生体であれば大きさは問わない。次の出動にはこれを持っていってくれたまえ。方法は任せるよ』

 彼はグッドラック、と言って階段を上っていった。オオイは渋々白衣の男性から袋を受け取り、彼らを見送った。

「おはようございます。あれ?みなさん、どうしたんですか?」

 定時きっかりにやってきたサカキが、袋を持って佇んでいるオオイを不思議そうに見ている。彼女は軽く肩を上下させ、サンタクロースよろしくその袋を担いで言った。

「上はいつも面倒を仰る」


「ごめんなさい、カラスマさん。所長が無理を言って」

 階段を降りながらマツバラが謝罪の言葉を口にする。

「いえ、上と研究者で決めた事なんでしょう?マツバラ先生が謝る事ではないですよ。それにしても、戦闘服と同じ素材のベルト、ですか。一体何でできているんですか?」

 特殊素材、最新素材だとしか聞いていない。布としては既存のものとそれほど肌触りは変わらないのだが、保温性と通気性の程度や耐久性は、今までに見たことのないものである。材料物性にはそこまで詳しくは無いものの、明らかに市場に出回っているものと違うのは分かる。

「それは……すみません、機密事項ですので」

「私にもですか?そうですか、わかりました」

 別に何でできていようが構わない。予算がかかる、と言っていた以上、希少な素材である事は間違いないのだろう。

 重たい扉のハンドルを回して開ける。やはり彼女達は先にトレーニングウェアに着替えて、元気にマシンでトレーニングを行っていた。

 こちらに駆け寄ってきた二人に挨拶して、マツバラの問診と簡単な触診、その後オオイが中心となったミーティングが始まる。

「以上のように、前回のようにGクラスが出現した場合、もう少し支援の量を増やすように働きかけています。それと、現地記者に対する取材の対応ですが。サカキさん」

「あ、はい」

 漫然と話を聞いていたサカキが話を振られて、慌てて背筋を伸ばす。

「面倒なことになる前に、戦闘が終わればあなたは彼女達にぴったりくっついていて下さい。恐竜から人類を守るのは彼女達の役目ですが、人類から彼女達を守るのはあなたと私の役目です」

「わかりました。すみません、怪我をしたと聞いたのでつい……」

 彼は彼でこちらの事が心配なのだ。ただ、よっぽどでなければ自分達の怪我はすぐに治る。それよりも、この間の悲劇のような事が起こってしまっては意味がない。折角恐竜から人を守ったのに、人が人を殺すのまでは自分達には防ぐことはできない。

「お願いします。他には特にありませんが……これを、渡しておきます」

 オオイから雑誌を一冊、手渡された。週刊秋藝。表紙にはなんと、ここで撮影した自分の写真が使われている。

「すごい!ミサキが雑誌の表紙になってる!」

「格好良いです!カタナを構えた格好が素敵ですね!」

 表紙にするとは一言も言われていなかったが、そういえばトップ記事になるだろうとは言われていた。あまり好きではない週刊誌の表紙に自分がいるという事に、なんだか不思議な感覚がある。

「もう記事になったんですか、筆が速いですね」

「朝一番で送られてきたので。一応、中身は確認してあります。見せても問題ないと判断したので、三人に差し上げます」

 途端にジェシカとメイユィの取り合いになりそうになったので、一旦取り上げて後ろに隠した。

「二人共、トレーニングを終えてからにしましょう。一緒に見るんですよ」

 二人は渋々頷いた。こう言ったのには訳がある。

 こういった週刊誌には、往々にして卑猥な記事が沢山載っているものだ。可能な限りその部分は見せずに、トップ記事だけで満足させる必要がある。

 彼女達の年齢上、別にそのような記事を見られた所で問題があるわけではないのだが、三人でわいわい見ているうちにそういった記事が目に入ると、またぞろこっちの話に飛び火しかねないのだ。それは面倒くさい。

 ミーティングが終わって、サカキが二人に必要なものを聞いている。ジェシカはアニメのブルーレイディスクを、メイユィは部屋の端末からネットで探したらしく、可愛らしいパジャマを要求していた。どちらもサカキが買ってくるには荷が重そうだが、これが彼の仕事なのである。仕方がない。

 彼女達にも各国の軍の給与体系に応じた額の報酬が支払われている。ただ、ずっとこの中にいると、こうやってサカキかオオイに頼んで買ってきてもらうぐらいしか使い道が無いのだ。

 食品や内部での衣類、日用品などは経費で賄われているので、嗜好品や娯楽品ぐらいにしか金の使い道が無い。故に、恐彼女達の預金残高はどんどん積み上がっていくばかりなのは間違いない。

 自分は外で生活しているので、折半しているマンションのローンや共益費であったり、日頃の食料品や衣類、その他の雑貨も全て自前だ。金銭的にはここで暮らしているほうが余裕があるのかもしれない。

「それじゃあ、はやくトレーニングを終わらせましょう!ミサキ、早く着替えてきて下さい!」

 はいはいと言いながら、荷物を自室に置いて、奥にあるロッカールームで着替えてきた。相変わらずタンクトップとぴっちりとしたショートパンツの出で立ちには慣れない。

 戦闘服も恥ずかしいと言えば恥ずかしいが、こちらは密着していない分、動くと上からブラジャーがちらちらと見えてしまうのである。胸も固定されていないので、運動中は間違いなくゆさゆさと揺れている。あまり人前でして良い格好ではない。

 唯一の男性であるサカキは早々に出ていってしまうものの、この部屋には監視カメラが設置されており、上の監視室で常に見られている。あまり良い気分ではない。

 昼間はオオイがいるのでそこまででもないが、夜間、男性の防衛隊員に彼女達が見られていると思うと、なんともやりきれない気持ちになってくる。

 とは言え、これはもうどうしようもない。自分の力でどうにかできるわけではないので、精々彼女達は安全な存在であるという事を広めるしか無い。ここは我慢だ。

 汗だくになって予定のトレーニングを終え、シャワーを浴びて談話室に入る。待ちわびていた二人が、はやくはやくとテーブルの上でこちらを催促している。

「お待たせしました。なんか恥ずかしいですね、これ」

 両脇を二人に固められて、目の前に雑誌を置く。表紙は当然自分の写真で、沢山の見出しタイトルが踊っている。


『独占取材!D・D・Dパシフィックのリーダー、ミサキ・カラスマへ単独インタビュー!』

『薬害問題のその後……被害者達はどうしているか』

『昼下がりの情事 イケナイセレブ奥様達のアソコ事情』

『マンナン島の過去を暴く!第三回』


 他にもずらずらと文字が踊っているが、自分の写真の下半身部分に昼下がりの情事と書かれているのは、ちょっと意図的なものを感じる。気にしすぎだろうか。

 ぱらりと表紙を捲って後悔した。いきなりグラビアページだった。

「あっ!すごいです!この人、おっぱいが大きいですね!」

「ジェシカぐらいあるんじゃない?いや、それよりおっきいかも」

 Jカップ爆乳新人のページをさっさと過ぎる。基本的にこういう雑誌は所々にこういったお色気要素が挟まってくるのだ。広告にしたって、精力剤やら風俗のものが混じっていたりする。コンビニでエロ本を売らなくなったくせに、こういう雑誌は普通に置いてあるのだ。何というか、業界の力の差を感じてしまう。

 目的の記事にはすぐに到達した。カラーグラビアを過ぎて、彼女の情報が終わるとすぐ次が自分の記事だったのだ。

 記事の冒頭部分には、椅子に座って微笑んでいる自分の写真が掲載されていた。黄色い声を上げている二人と共に、記事を読み進める。



 独占取材!D・D・Dパシフィックのリーダー、ミサキ・カラスマへ単独インタビュー!


 本誌記者Iは、かねてよりこの美しき戦士、ミサキ・カラスマに接触を試みていた。発端は、あのヤマシロ県ヤマシロ市役所で起こった惨劇。我が国で最初の竜災害の発生地での取材だった。

 関係者各所への取材と、動画サイトに上げられた情報からIは彼女に接近、接触に成功した。ただ、その時はあくまでも彼女は一般人であり、本誌のポリシーに基づき、記事にする事は断念した。しかし、今や彼女達は公となった存在であり、何としても記事にするべく、果敢にも関係者へと接触し、本記事を執筆する事が可能となったのだ。

 取材を申し入れると、担当関係者は記者Iに目隠しをして、彼女達の拠点がどこにあるかを悟られないようにして記者を案内する。Iが連れてこられた場所は、意外にも物の少ない、殺風景な部屋の中だった(写真2)。

 目の前には記者発表で見た通り、いや、それ以上に可憐で美しい彼女が座っていた。Iは早速記者魂を発揮し、彼女との対談を開始した。


記者I(以下I)「サブウェイに投稿されていたあの二箇所での竜殺しの動画、あれはカラスマさんで間違いないですよね?」


ミサキ・カラスマ(以下カ)「はい、間違いありません」


I「凄い力でしたね。あれは生まれついてのものなのですか?」


カ「分かりません。私達三人は、数年前から記憶喪失になっていたのです。ただ、トレーニングをすれば力が付くことに気が付いたので、竜と戦う為、普段からトレーニングには励んでいます」


I「なるほど、原理はわかりませんが、我々と同じく、鍛錬で強くなれる、という事ですね。ところで、他のお二人、サンダーバードさんとジュエさんは外国の方ですが、随分とヒノモト語がお得意ですよね」


カ「そうですね、彼女達にはヒノモトで暮らす時に不便だろうと思ってヒノモト語を教えたのですが、僅か半年程度で今のように話せるようになりました」


I「頭脳も明晰という事ですね。それにしても半年というのは凄いです。実は、彼女達二人にも取材をしたかったのですが、断られてしまいました」


カ「彼女達はまだ未成年ですので、広報がそのように判断したのでしょう。私は一応成人していますので」


I「そうですね、どことなく、カラスマさんだけは大人っぽい雰囲気があるというか」


カ「ありがとうございます(笑)」


I「質問を変えます。皆さん気になっている事なのですが、新古生物と戦う際、何か武器をお持ちなのでしょうか」


カ「私は刀を、ジェシカ(サンダーバード)は手甲、メイユィ(ジュエ)は槍を使っていますね」


I「見せて頂くことは可能ですか?」


カ「はい、こちらです」(写真3・4)


I「大きいですね。これは、大太刀ですか?何キロぐらいあるんでしょう」


カ「重さは28キログラムあると聞いています」


I「28キロ!良くこんなもの、振り回せますね」


カ「あとの二人の武器もこれぐらい重たいですよ。これぐらい頑丈でないと、武器が折れたり曲がったりしてしまうのです」(写真5)


I「はあ、凄いですね。こんなものを振り回してあの巨大な生き物と。怖くありませんか?」


カ「怖いかと言われれば、怖いですね。戦わなくて良いのなら、戦いたくありません。ですが、戦わなければ新古生物は建物を壊し、人を殺します。私はそちらの方が怖いです」


I「初めてあの生き物と戦ったのはヤマシロ市役所ですよね?どうして戦おうと?」


カ「倒せるとは思っていなかったのですが……市役所では、沢山の人が殺されていました。食べられた人だけでなく、そうでない人も。つまり、あの新古生物はただ、遊びか本能で人間を殺したのです。そう思うと、なんだか腹立たしくなって」


I「そうですか。辛い思いを掘り起こさせてしまい、申し訳ありません」


 そこで、記者は部屋に入ってきた男から時間である事を告げられた。まだまだ聞きたい事は沢山あったのだが、それは次回に譲ることにする。彼女に、次も取材を受けてくれるかと別れ際に言うと、笑顔で快く承諾してくれた。

 本誌では不定期に続報を掲載する事にする。可能であれば彼女だけでなく、他の二人にも接触を試みたい所だ。期待してお待ち頂きたい。



 対談という形に纏められているので、大分その時と違う風に脚色されてはいるが、伏せることは伏せてあるし、話した内容も殆ど同じだ。オオイが問題ないと判断したのも頷ける。

 それにしても、妙に褒めすぎではないだろうか。あまり持ち上げられるとその後のギャップが怖いと思うのだが、大丈夫だろうか。

「ミサキ、これはミサキの部屋ですね。ヒトミとシュウトも一緒ではなかったのですか?」

 ジェシカが写真を指差した。映っているのは自分一人だが、範囲外に確かに二人はいたのである。

「一緒でしたよ。ただ、オオイ二佐は表に出ませんし、他の男性が一緒だとまずいと編集時点で判断したんでしょうね」

「そうですね、カレシがいるのに、他の男性と一緒は良くないです」

 そういう意味ではないのだが、あながち間違っていないので否定しないでおく。

「ねえねえミサキ。怖いって、これ嘘だよね?どうして?」

 二人に見せればまずこれを突っ込まれるだろうとは思っていた。血圧が上昇し、興奮状態で竜を狩っているのはお互いの共通認識である。

「喜んで竜を狩っている、なんて言ったら、他の人が怖がってしまうでしょう?まるで狂戦士みたいじゃないですか」

「うん、確かにそうだけど。そっか、そうだね」

「バーサーカー!確かに、私達はそれに近いですね!」

 実際、自分の指示がなければ彼女達は暴走したまま竜を滅多刺しにしてしまう。今はある程度制御出来るようになったものの、基本的に高揚した状態で戦っているのは今も同じだ。

 自分とて彼女達と一緒にいる、カメラで見られているという意識が無ければ、あの市役所や駅前での戦いの時のように、ただ只管に竜が動かなくなるまで滅多打ちにしてしまう事だろう。

「でも、すごいなぁ。ミサキ、雑誌の表紙を飾っちゃって、記事でもいっぱいカワイイ写真があって。モデルみたい」

「本当ですね。次は、最初のページみたいにセクシーな写真とか撮られたりするんですか?」

「いや、流石にそれは無いと思いますよ。記事も割と堅い内容だったでしょう?いくら週刊誌だからといって」

 本当にそうだろうか。今の熱狂具合を見ていると、案外そうならないとも言い切れないのではないだろうか。少し怖くなってきた。

「記事の最後に、ワタシ達にも接触したいって書いてあるよ。触られちゃうの?というか、ミサキ、触られたの?」

 メイユィが少し不安そうに言う。可愛い。

「違いますよ、メイユィ。この場合の接触は、実際に触るという意味ではなくて、コンタクトを取る、連絡をとって話を聞くとか、そういう意味です」

「フルコンタクトなら負けません!」

 勘違いしたジェシカがその場で立ち上がってシャドウを始めた。そのコンタクトでもない。微笑ましくてついつい頬が緩んでくる。

「記者を伸したりしたらそれこそ大問題になってしまいますよ、ジェシカ」

 立ち上がって手のひらを掲げ、左右から繰り出される彼女の拳をパシパシと受け止めた。

「それじゃ、お昼ごはんを作ってきます」

「ワタシも手伝う!」

 宣言したメイユィだけでなく、ジェシカも黙ってついてくる。最近では食事を作るのは三人でというのが当たり前になってきた。材料も一週間ごとに献立を決めて、オオイに必要な食材を下ろしておいてもらうようにしてある。

 多分、自分が休んだとしても彼女達は自分で作れるようになっているはずだ。妹や娘の成長を見ているようで、なんだか妙に嬉しくなったのだった。



 その日は新古生物の出現も無く、午後からは特に何をするでも無く過ごした。

 昼寝の後は二人交互に今朝の週刊誌を読んでいたようなので、こちらは担当地域の事や恐竜の生態などをネットで調べているうちに、定時になった。二人に別れを告げてクルマに戻り、キーを捻る。

(今日はロールキャベツにするか)

 ひき肉が余っている。少し時間はかかるが、コンソメキューブもあるし作るのは苦ではない。ソウはなんだって喜んで食べるし、自分もロールキャベツは好きだ。

 キャベツと、あと付け合せに何か青物、スープは同じコンソメだと味がかぶるので、ポタージュか、中華スープも良いだろう。具材にきくらげを買って帰ろう。

 まだ明るいがスモールランプを点け、公道に出る。世間一般とは通勤が逆方向なので空いている道を走り、いつものスーパーの駐車場に乗り入れた。

 カートを使うほどの量でもないのでカゴだけを取り、店内を物色する。買うものは決まっているが、日持ちして安いものがあればそれを軸に明日の献立を決められる。好きなように作って良いのだ。自由に料理できるというのは実に楽しい。

 キャベツをカゴに入れて店内を歩いていると、妙に回りからじろじろと見られている気がする。声をかけられるわけではないのだが、主婦やサラリーマンが商品を見る目を止めて、視線をこちらに向けている。

 あの週刊誌のせいだろう。でかでかと表紙に乗せられてしまったため、店頭に平積みされていれば嫌でも人の目に付く。最近はスーパーにも雑誌が売っているのだ。

 レジの近くにある雑誌コーナーを通りがかったが、週刊秋藝は売り切れていた。この時間、いつもの顔見知りのレジ担当の女性の前にカゴを置く。

 バーコードを読み取り、野菜の種類を入力している彼女が、こっそりとこちらに囁いてきた。

『秋藝、見ましたよ。応援しています、頑張って下さい』

 どうにも居心地が悪い。小さくありがとうございますと微笑んで半セルフ会計に進んだものの、突き刺さる視線は相変わらずだ。たかが雑誌一つでここまで変わるものなのか。

 声こそかけられなかったのは、この地域の住民の品性か、それとも一般向けのスーパーという場所柄のせいか。どちらにせよ、慣れてくれるのを待つしかない。引っ越すわけにはいかないのだ。

 マンションの隣にある立体駐車場に白い軽を停めて、渡り廊下から居住棟に入る。エレベーターに乗ると、いつぞやの猫ちゃんの飼い主と一緒になった。

「こんにちは」

「こんにちは」

 お互い挨拶をして、上の階のボタンを押す。彼女は10階に住んでいるらしい。

 先に彼女が降りた。降り際に、小さく頑張って下さいと囁かれた。やはりありがとうございますと返す。

 おかしい。いくら今日発売の週刊誌に載っていたからといって、ここまで知られているものだろうか。いくらなんでもおかしい。

 部屋に戻って料理の支度をしながら、リモコンでテレビ画面のサブウェイを調べる。あった。やはりこれだ。

 テレビ番組の切り抜き動画がかなりの上位にランクインしている。朝や昼にやっているワイドショーの類だ。遅め出勤のサラリーマンが出勤前に見て、主婦層や年寄りが昼間に見るアレである。

『それでは、今日発売の週刊秋藝です。トップは、これです。なんと、ミサキ・カラスマさん。独占取材という事ですが、やられましたね、ヤマウチさん』

『流石は秋藝といったところでしょうかね。記事を書いたIという記者は、中々やり手のベテランでして』

 最近のテレビ番組は、週刊誌の後追いまでやっている。わざわざ雑誌の内容まで映し出しているが、これは宣伝にもなるから出版社は許容しているのか、許可を出しているのだろう。

 ロールキャベツを煮込んでいる間、スマホでウィスパーラインを調べる。ああ、やはり。タイムラインにはこれでもかと秋藝の記事についてのwisが並んでいる。

 昨今のネタ情報というのはとんでもない速さで拡散する。テレビか、ネットニュースか、はたまた漫画雑誌や週刊誌、なんだって話題になったものはテレビで後追いし、切り抜き動画がサブウェイに作られ、それによってwisが流れ周知が進んでいく。まるで大きなメディアスクラムのようだ。

 話題になれば雑誌が売れ、出版社は儲かる。ワイドショーもネタが簡単に作れるし、大衆は好奇心を満足させる。何というか……今までそれに浴していた状態では気が付かなかったが、自分がそのネタにされているとなると、何とも言えない情報社会のいびつさを感じざるを得ない。

 それで不利益が生じない間はまだ良い。周囲が好意的に接してくれて、精々こちらが頭を下げる機会が増えるだけだ。だが、もしこれが悪い方のイメージを与える情報だった場合はどうなるだろうか。

 マツバラが言っていた事を思い出してぞっとした。

『間違っててもロクに修正しようとしないし、人の人生メチャクチャにしておいて謝罪すら無いんだから』

 マツバラの場合、大きく影響を受けたのは彼女自身と研究をしていたチームだけだろう。それでも将来有望な研究医が道を断たれる程の影響があったのだ。

 こちらには家族が、親戚がいる。間違っても悪いイメージを植え付けるわけにはいかない。これは、とんでもないプレッシャーだ。

 少なくとも次回の取材は断れない。イグチが次もお願いしますと言ったのを、記事に書かれてしまった。雑誌は大量に売れたし、恐らく特別に増刷もされるに違いない。読者の多くは続報を待ち望んでいるだろうし、これで断れば約束を破ったという事になってしまう。

 そこそこ安定した幸せな生活が出来ていた時期が、早くも終わってしまった。公表を決断した防衛大臣を殴り飛ばしたくなってくる。

「ただいまーっと」

 玄関を開けてソウが帰って来た。廊下からリビングに続く扉を開けて、こちらに顔を出す。

「おかえり。今日はロールキャベツだぞ」

「おっ!いいな!駅地下でシーレワイン展やってたから買ってきたんだ。丁度いい、開けようぜ」

 シーレはヒノモトとアースの反対側にある南北にある細長い国で、特に安くて美味いワインを産出していることでも有名だ。

 大きなビニール袋から、緩衝用の包みで覆われた二本の瓶が顔を覗かせている。これは楽しめそうだ。

 深めの皿にロールキャベツを移していると、テレビ画面を見た適当な男がああ、と声を出した。

「会社でも散々言われたよ。お前の嫁さんが秋藝の表紙になってるぞって」

「買ってきたのか?」

「いや。駅の売店見たけど、とっくに売り切れてた。おばちゃんが言ってたけど、ものすごい勢いで売り切れたんだってさ」

 駅の売店とか、そりゃあもう速攻で売り切れるだろう。出勤前にテレビを見たサラリーマンが買っていったのだ。

「スーパーでもマンションでも頑張って下さいって言われてさ、なんか、すごいプレッシャーだよ」

 ロールキャベツの皿と中華スープを入れた器をテーブルに並べる。ソウがキッチンに入って、ワイングラスとオープナーを持ってきた。

「これ、コルクじゃないぞ。オープナーはいらないって」

「え?そうなのか」

 最近はコルクを使ってないものも多い。安価で量産できるし、密閉に関しても問題ない。フィレンツェやロマーナのヴィンテージワインなら兎も角、安くて美味いものが多いシーレワインならスクリューキャップ方式だろう。

 グラスの三分の一程にまで赤紫の液体注いで、お互いにグラスを掲げた。口に含むと、強いブドウの香りとしっかりとした主張の味が舌を転がり、喉に滑り落ちていく。

「うん、美味い。やっぱミサキの料理はどれも美味いな」

 ロールキャベツをナイフで切って、フォークで口に運んだソウが言う。

「普通に作ってるだけだよ。作り方が同じなら誰でも美味くできるんだって」

「その普通に作るってのが出来ない奴が結構いるからなぁ」

「お前もか?」

「俺もだ」

 と言っても、彼は面倒くさがって作ろうとしないだけで、手順通りにするのは得意な部類だろう。でなければ技術者などやっていられないはずだ。

「にしてもさ、会社で会う奴会う奴全員がお前の事言ってんの。広まりすぎだろ」

 彼の会社では既に、DDDのリーダーが結婚しているというのは公然の事実となっているようだ。彼の後輩を家に招いたのは失敗だったかと思ったが、あの時はこんな事になるなんて思いもしなかったのだ。不可抗力である。

「大丈夫かな。そんなに沢山の人が知ってたら、すぐに俺が結婚してるってバレるんじゃ」

「あー、どうだろうな。一応良識ある奴ばっかりだけど……まぁいずれ漏れるだろうな」

 どうすべきか。秋藝の記者であるイグチならば、とうにこの事を嗅ぎつけているはずだ。だが、それは敢えて記事にしなかった。

 自分がキナイ総合メンテナンスに勤めていて、ヤマシロ市役所で働いていたというのも彼は知っている。オオイに釘を刺されたとは言え、それも一応は伏せていておいてくれている。それは、記者として公開すればこちらの機嫌を損ねる行為だと理解しているからでもある。

 一般人はそうはいかない。自分の知っている情報を公開して、注目を浴びたい、と思う人間はいくらでもいる。ソウの会社は業界最大手の一流企業ではあるが、そこに勤めている人間全てがこちらの事を慮ってくれる者ばかりであるはずがない。

 最初は証拠が無いのでスルーされるかもしれない。だが、もっともらしい事、例えばどこどこの部署のどの仕事をしている人だ、まで特定するような囁きなり書き込みがされてしまえば、一部それを信じる人が出て、結局は大きく広がっていく事になる。

「心配すんなよ。別にバレたって大丈夫だろ」

 こちらの表情を見たのか、適当な男は適当な発言をした。

「俺やソウは良いよ。でもさ、キョウカちゃんのとことか、トシツグのとことか……おじさんだって議員の仕事に影響あるだろ」

 身元がバレれば周辺に広がっていく。当たり前だ。そうなった時、どう対応すべきかまるでわからない。不安なのだ。

「うちは良いんだよ。親父だってずっと議員やってんだから、その程度で動じたりしねえって。寧ろ、おふくろやキョウカやリンは積極的に自慢したいタイプだろ」

「いや、それはそうかもしれないけど。取材とか野次馬で迷惑かからないかな」

 特に各種メディアにとっては格好の素材だろう。地元の名士や議員が関係者だと分かれば、こぞって押し寄せるのは間違いない。

「だから、気にすんなって。親父の場合は特に、その場合はプラスになるだろうな。案外それを狙って早く籍入れろって言ってきたのかもしれない」

「ええ、そんな事あるか?あのおじさんが」

 穏やかで落ち着いていて、議員とは思えないほどに腰の低い人だ。そのような打算を持っていたとは考えにくい。

「議員ってさ、そういうもんなんだって。俺が言うんだから間違いない」

「お前が言うから信じられねえんだよ」

 とは言ったものの、確かに彼はずっと議員の息子として父の仕事を近くで見ていたのだ。もしかしたら、フユヒコのそういった一面を知っているのかもしれない。

「信用ねえなあ。まぁ、とにかく大丈夫だって。何かあっても、俺がどうにかするから」

「へえへえ、頼もしい旦那様だことで」

 そこまで言うのなら大丈夫なのだろう。何となくそういう気がしてきて、少し安心した。ワインの瓶を傾けて彼にお代わりを注ぎ、こちらも一息吐いた。

「プレッシャー、かかるな」

「竜退治とどっちが大変だ?」

「そりゃあ……」

 即答できなかった。どちらが、という判別が付きにくくなっているのは、竜殺しに慣れたせいか、それとも。

「気楽にいこうぜ。酒飲んで、美味い飯食ってりゃ気にならなくなるって」

「まぁ、その時だけはな。でも、サンキュー」

 彼が注いでくれたグラスを傾ける。繊細ではないが、力強い味がどことなく腹の底から力を与えてくれるような気がする。そうだ、多分、なんとかなる。

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