第24話 受難

 変化の無い日常というのは、概ね速やかに過ぎていくものである。

 若い頃は全くそう思わなかった。一日一日が発見と驚きと苦痛と挫折の連続で、人生とは未来永劫続くものなのではないだろうかと錯覚する程に。

 決して人生を憂いているわけでもないのに、日々はどうしても加速していく。ただ、それでもやはり節目節目というものはあるのだ。自分にはどうもその節目が多すぎるらしい。

「はあ、新しい装備ですか?」

 昼食を終えた後、いつものようにヒノモト語のレッスンを二人にしていると、上官であるハルナ・オオイ二等陸佐がやってきて紙袋を掲げている。

「そうです。ミサキさんが来る前から開発されていたものですが、漸く実用化されました」

 彼女は少し前から、こちらの事をミサキさんと呼ぶようになった。結婚して姓が変わったのにそのままカラスマさんと呼び続ける事に抵抗があったらしい。実に真面目な彼女らしい事である。

「ハルナ、それは、武器の事ですか?」

 ジェシカが完璧な発音のヒノモト語で聞き返す。あっという間にヒノモト語を習得した二人は、最早日常会話程度ならば母国語と遜色ない程に使い分けられる。自分と同じである。

「武器の開発も進めていますが、そちらはまだです。今回持ってきたのは通信機器と戦闘服です」

 戦闘服……何かこう、宇宙人の装備していた伸縮自在の肩パッドが異様に長いアレを思い出した。国民的アニメのアレである。

「戦闘服?カッコイイの?ワタシ、エンクエの勇者みたいなのがいい!」

 こちらもこなれた発音で言ったメイユィは、レトロなゲームの事を持ち出している。通称エンクエとは、エンドオブクエストというレトロゲームであり、それに出てくるドット絵で描かれた女勇者のコスチュームが彼女のお気に入りなのである。かなり肩から股間周りまで露出した意外と際どいデザインなのであるが。

「エンクエの勇者かどうかはわかりませんが、それに近いデザインではあるかもしれません。どうぞ」

 マジか。そんなものを着て戦えと。まぁ、基本的に竜との戦いでは住人は避難済みであるし、動画に取られる事は無いのだが。それでも迎えに来てくれた各国の軍に露出度の高い格好を晒すのは流石に問題がありそうな気がするが。

 渡された装備?は、黒いセパレートタイプの下着のようなものだった。布地自体は多い。

「えーと、これは、スパッツですか?あとスポブラ?」

 形状としては間違いなくそれだ。ぴっちりとしたレギンスに黒いスポーツブラ。こんなものを着て戦えと。

 というか、ここのトレーニングウェアも似たようなものだった。ひょっとしてこれを開発している連中の中にそういう趣味の奴がいるんじゃなかろうか。

「そうですね、形状としては似たようなものです。ですが、その……乳首は目立たないようになっているので安心して下さい」

「ハルナ、それは安心していいという理由になりません」

 ジェシカの言う通りである。乳首がどうとかいう問題ではない。乳首が問題であるというのであれば、別に下着姿で戦っても良いという事になってしまう。というか、まるっきり下着ではないか、これ。

「いえ、その……すみません。ですが、運動性も耐久性も良いので……と、聞いています。こ、これは私ではどうしようもできなくてですね」

 中間管理職の悲しさよ。二佐にもなって部下に謝りながら破廉恥な格好を強いることになるとは、彼女とて本位ではないのだろう。というか、彼女にこれを着ろと言ったら全力で拒否しそうだが。

「ワタシはいいよ。動きやすそうだし」

「メイユィ、ゲームキャラに慣れすぎじゃないですか?」

「ジェシカだってエッチなアニメ見てるじゃない。あれと変わんないよ」

 エッチなアニメ……見てるのか、ジェシカ。

「エッチじゃないです!アレは表現上の紳士的なモノです!それに、見るのと着るのは違います!」

 ああ、まぁ、少し前のアニメは割とギリギリを攻める事が多かった気がする。ソウと二人で休日に深夜アニメの録画を消費していると、お互い少し気まずくなる事が結構あった。

「ジェシカは紳士的なものという言葉を少し勘違いしている節がありますが……まぁ、着ろというのなら仕方がないでしょう。そもそも私達に断る選択肢なんて無いんですから」

「……すみません。あと、こっちは有用なものです。どうぞ」

 渡されたのは上下の黒い下着と同じ、黒い色をした通信機器。

「ヘッドセットですか?いつものヘルメットではダメなのですか?」

 細い樹脂製のワイヤーイヤホンとマイク。軽量化されているというのは分かるが、ヘルメットにも同じ機能はついている。

「ヘルメットは作戦中に脱いでいるでしょう?これは、作戦中にお互いが離れても通話出来るようにです。多少のノイズはキャンセル出来る最新仕様です」

 渡された黒いものを見る。確かに、これならば動作の邪魔になることはなさそうだ。軽量でかつ頑丈そうである、が。これは……。

「あっ!これ、かっこいい!ねえハルナ、スカウターみたいなのはないの?竜の強さが一発で見えるようなの!」

「メイユィ、いいですねそれ!ハルナ、スカウターを下さい。出来ればこう、片目にかぶさるタイプのものを!」

 完全に昔のヒノモトのサブカルに毒された二人はオオイに詰め寄っている。いや、無理だろう流石に。そもそも恐竜は大きさでその強さが分かる。でかければでかいほど強いし、小さいものの場合は数が多い。これは今までの経験でそういった傾向があることが分かっている。

「いえ、その、スカウターは流石に……サングラスでよければ」

「ノー!サングラス、違います!スカウターとサングラスは全然違うものです!」

「そうだよハルナ。全然分かってないんだから!」

「そう言われても……」

 どうにも収集がつかない。彼女たちがヒノモト語をマスターしてからというもの、やたらとオオイへの距離が近くなった。多分それは、今まであの堅苦しい彼女の連合王国語が影響していたのであろう。

 ヒノモト語で話す彼女の言葉は非常に丁寧だ。とても軍人とは思えない態度でこちらに接してくれる。一方で彼女の習得している連合王国語は完全に軍人のそれであり、とても親しみやすいとは言えない。

 二人がこちらの言葉を理解するようになって、どうやらその垣根が取っ払われてしまったようなのである。良いことなのではあるが、オオイは非常にやりにくそうにしている。

「二人共、スカウターは無理ですよ。ただ、測定器のようなものは作れるでしょうね。詳細な自分の立ち位置から竜の大きさを計算すれば、大雑把な強さは分かるはずです。どうですか、オオイ二佐、博士にそれを打診してみては」

 助け舟を出すと、彼女はほっとした様子で頷いた。

「そうですね、それなら可能かもしれません、ウェアラブル機器としても有用そうですし。わかりました」

「やった!スカウターが手に入りますよ!メイユィ!」

「すごい!流石はミサキだね!これでワタシ達、ベジタ戦士だよ!」

 大喜びしている二人と対照的に、オオイは大きく溜息をついた。中間管理職の悲哀、ここにあり、である。



「へぇ、新しい戦闘服ねえ。エロいのか?」

 夕食に作った肉団子の甘酢和えを頬張りながらソウが聞く。

「エロいんだよ、困った事に」

 今までは私服の動きやすい格好で戦っていた。それ故に時々破れることも多く、あられもない格好でその地方の軍に身体を見せてしまう事もあった。ただ、それでも下着姿というのは違う。

「マジかよ……なあ、それってセクハラじゃねえのか?職権乱用だろ」

「残念なことに機能性は良いらしいんだよ。しかも、着ろと言ってきたのが女上司だぞ」

 ひょっとしてこのためにオオイを上司にしたのではないのだろうか。計画的なものを感じて少し寒気がしてきた。

「機能性って……まぁ、そりゃ過酷な戦闘だから仕方がないってのはわかるけど」

 美味い料理を食べているはずなのに渋い顔をする適当な男。気持ちは分かるのだが、どうしようもない。

「まぁ、誰かに見せるわけでもないし心配すんな。精々防衛隊か他国の軍隊の人に見られて恥ずかしい思いをするだけだ」

「それでもさ……」

 初戦から数度、戦闘を繰り返してきた。今のところこちらが負けそうになるような脅威は見当たらず、今までの格好でも問題はないと言えば問題は無い。ただ、自前の服が破損すれば当然自前で買い直す必要がある。流石にそこは経費で出ないのだ。

 オオイにかけ合ってはみたものの、制服ではないので規定では無理ですと突っぱねられた。当然といえば当然だ。

「こっちの負担は減ると思うんだよ、一応制服なわけだし、破れてもあっちで変えてくれるから」

「それはまぁ、そうだけど」

 意外とこの男は独占欲が強い。同僚に食事を作る事すら最初は難渋を示していたのである。だから、この適当な男が言いたいことはこれだ。

「別に、裸を見せるのはお前だけなんだからいいだろ。抱けるのも」

「恥じらいってもんがねえのかよ」

 それでもこの適当な男は嬉しそうに肉団子を飲み込んで、ごくごくとビールを呷った。


「ソウ、今日はまだ大丈夫だぞ」

「……うん」

 風呂に入った後、下着のままで寝室にやってきて横に寝そべる。大丈夫、というのはつまり、大丈夫という意味だ。具体的に言えば、膣内射精されても妊娠の可能性は低いという意味である。

 基礎体温の測定と生理の周期、おりものの具合から概ね排卵期は予測出来る。なので、可能な限りゴム無しで良いという時にはこうやって宣告するのである。

 勿論例外はある。どうやら安全日でも場合によっては妊娠することもあるそうなのだ。しかし、それならそれで構わない。竜災害の駆逐は何度かこなしてきて、多分自分無しでも残りの二人でどうにかなるだろうという目処は立っている。どうしようもなくなればから無理にでも呼べば良いだろう。そもそも子を成せと言ってきているのは研究者の方からなのだ。

「けど、無しでやるのってなんかちょっと怖いんだよな。気持ち良すぎて」

「そうなのか?こっちはあんまり変わらないけど」

 最初からこちらはもう感じすぎて、彼が絶頂するまでに何度も何度もイってしまうほどだった。これはゴムがあろうとなかろうと関係がない。

 女性の身体というのは本当にこうなのかという疑問はあるにはある。しかし、何も感じないよりは良いのではないだろうか。こちらの反応を見てソウが大変興奮しているというのも事実なのだ。

 ならば、彼自身が気持ち良いというのであればそれで良いじゃないかと思ってしまう。こっちだけよがらせられては不公平だ。同じぐらい気持ち良くなって貰わねば困る。

「ほら、ソウ」

 下着を取り払って彼を誘う。

「ミサキ、可愛い。お前は、俺だけのものだ」

「そうだよ、ソウ。私は、ソウだけのものだから」

 もう、結婚してしまったのだ。他の誰のものにもならない。私は彼のもの、彼は私のもの。独占欲、結構じゃないか。



 ソウが気絶してしまう程にまでその精力を貪り尽くした翌日も、いつも通りに早起きし、いつも通りに弁当を作り、朝食の支度をする。力を使い果たして動けなかった適当な男を叩き起こし、飯を食わせてから部屋を出る。いくら夜の生活が甘かろうが、それはそれ、これはこれだ。

 叩き起こした時は恨み言を言っていた彼であったが、朝食を前にすると元気を取り戻して食欲を見せ始めた。自分が出ていった後に二度寝をするのではないかと心配だったが、それは取り敢えずなさそうで安心した。

 エレベーターで四階まで降りて、渡り廊下とエキスパンションで繋がった立体駐車場に移動する。自分の出勤時間はここの住人のそれとはあまり被っていないのか、出口が渋滞するといったことは今まで全く無かった。

 ただ、住人達の間では長らく朝の混雑が問題になっているらしく、管理費に上乗せする形で費用を出し、別の出入口を設けてはどうかという話まで出ているそうだ。

 ただ、それはそれで駐車場を使っていない住人からの反発が大きい。かといって駐車場利用者だけでは負担が大きすぎる、という事で、中々その話は難航しているようである。

 工事費ぐらいここに住んでいる金持ちどもならいくらでも出せるだろうと思ったのだが、良く考えれば余裕を持って住んでいる人達ばかりではないのだ。

 なんとか買えるだろう、というレベルで将来設計を立てていた人達が半数以上を占めており、彼らにとっては老朽化に伴う修繕であれば兎も角、余計な設備の設置で大金を出すなど、承服しかねる事なのだろう。

 実際の所、ここに住んでいる人達は概ね年収で一千万や二千万を超えるような人達ばかりだ。だが、だからといって生活まで楽というわけではない。

 高額な税金の事もあるし、さして余裕のある生活をしているわけではないのだ。特に自分達の様に二人に分けて稼いでいる年収一千数百万と、一人で家庭を支えている一千数百万とでは所得税の額が大幅に違う。

 世帯収入が上がってまずいのでは、と思った時もあったのだが、これは杞憂だった。単に配偶者控除や扶養控除が受けられないだけの話なので、婚姻届を出す以前に働き始めたこちらにはあまり関係のない事であった。要するに、この国の所得税率とは、一人で頑張って稼げば稼ぐほどに税金を取られるシステムなのである。

 駐車場からスロープを降りて公道へと出る。随分慣れて来たので、混んでいる幹線道路を避けてクルマを走らせる。

 あまり生活道路を飛ばすのは問題なので、単にルートを変えただけだ。朝のこの時間、クルマの流れは基本的に中心部に向けて集中する。故に、反対方向に抜けるこちらは比較的ラクなのだ。

 駐屯地の中へと入り、駐車場のいつもの場所に駐める。外務官のサカキはまだ来ていないようだった。

 監視室の前で待っていると、マツバラ医師とサカキがやってきた。サカキは毎朝の御用聞きに来ているのだが、マツバラは自分達三人の朝の問診をしている。仮に誰かの調子が悪そうなら、出動があっても他の二人に任せるという形を取るためだ。ただ、幸いにして今のところそういった事態にはなっていない。

 三人ともすこぶる健康で体調を崩したことは一度も無いし、誰かが生理の時に出動要請が出たことも無かった。全世界の半分が担当区域だと言われても、今のところ竜災害はそこまで発生頻度が高いわけではないのだ。

「うん、三人とも健康みたいだね。結構結構」

 マツバラは満足げに頷いている。彼女は頻繁に二人の相談にも乗っており、ジェシカもメイユィも彼女に良く懐いている。

「ありがとうございます、ヒトミ。この前の薬、良く効きました」

「そう、良かった。でも、薬が効いてるからって無茶して良いわけじゃないからね」

「わかっています」

 先日までジェシカは体調不良でトレーニングを休んでいた。当然病気などではない。

「ジェシカ、いつも思うケド、ヒノモト語と連合王国語で態度が全然違わない?」

「なんですか、メイユィ。そんなに変ですか?」

 変である。というより、彼女は喋り方さえ普通なら普通の健康的美少女なのだ。

 輝いて見える短い金髪はサラサラとして美しく、大きな瞳に長いまつ毛、くっきりとした目鼻立ちは、ファッション誌のモデルか映画俳優か、と言わんばかりの整った顔とスタイルをしている。

 胸も非常に大きく、自分よりも一回りか二回りほど大きい。トレーニングの最中はぶるんぶるんと揺れていて、ちょっと痛そうだ。

 それが、連合王国語ではやたらと難解なスラング混じりの乱暴で粗野な言葉遣いなのである。そっちも違和感が凄いが、それに慣れた後に丁寧なヒノモト語を聞くと、脳が混乱してしまうのだ。

「連合王国語で喋らなければ見た目相応なんですけどね」

『うるせえな。オレのこっちの言葉がクソきたねえのはわかってるよ』

 これである。彼女の使う一人称まで脳内で別のものに変わってしまう程だ。

「変なの。ヒトミもミサキも、連合王国語で喋ってもあんまり変わらないのに」

「メイユィもあんまりどの言葉でも変わりませんね」

 彼女は丁寧というわけではないが、どの言葉でも少し砕けた喋り方をするだけだ。それが年齢以上に彼女の事を幼く見せて、なんというか、物凄く庇護欲をそそる。

 可愛いのだ。それはもう、抱き締めて頬ずりしたいほどに可愛い。

 小さなお顔にくりくりとした大きな目、ちょこんと収まった小さな鼻と口が、まるで小動物を思わせるような可愛らしさを醸し出している。

 頭の後ろで結った黒いおだんごが、動くたびにぷるぷると揺れているのもまた堪らない。触ると彼女は怒るので触らないようにしているが、許されるのならばずっと抱き締めて彼女の頭を撫でくり回したい衝動に囚われる。

「変わらないよ。普通、そうじゃないの?」

「どうでしょうか。普通は習得した言葉遣いになるはずですが、メイユィはもともと随分とヒノモト語に慣れているみたいですね」

「うん。ジェシカと一緒にアニメ見てたから」

 その割にジェシカは教えてもらった通りの口調である。これはもう個性というものであろうか。

「それじゃ、トレーニング気をつけて。私は一旦研究室に――」

 戻る、とマツバラが言いかけた時、トレーニングルームの入口近くにある内線が鳴った。すぐに近寄って受話器を取り、スピーカーモードにする。

『出動だ。着替えて滑走路前に集合』

 硬い連合王国語が聞こえた。こちらはこちらで違和感のある事だ。

 三人で一斉に自室へと戻り、昨日支給されたばかりの戦闘服に着替える。出てきた時のスカートを外しブラウスを脱いで、下着姿になった所でぴたりと止まった。

(これ、肌に直接つけるんだよな、多分)

 ぴっちりとしすぎている。ブラやショーツをつけたままでは形が浮き出てきてしまうし、それはそれで逆に卑猥ではないだろうか。ふと、置かれた服の上を見ると、取扱説明書があるのに気がついた。

(えーと、素肌のまま着用して、胸元のボタンを押して下さい)

 やはり素肌に着用するものだった。ということは、下着で戦っているも同然だ。なんと破廉恥な戦闘服だろうか。

 とはいえ、これはジェシカもメイユィも着用して出てくるだろう。自分だけいつもの服というわけにはいかない。渋々ブラジャーを外してショーツを脱ぎ、黒くテカったピチピチのレギンスとスポーツブラを着用する。

 書いてあった通りにボタンを押すと、しゅうっと音がしてスポブラが締まった。少し余裕のあったそれが、軽くきゅっと締め付けるように胸を押さえつける。

「おおぉ?」

 いつも見えている足元の視界が広くなった。胸が押し付けられて縮んだことで、なんとなく身体が軽くなったような気分がする。

(案外つけ心地が良いな。ただ、ずっとだと流石に苦しいか)

 どんな細工をしているのか、さらしなんかで締め付けているのとは少し違った感覚だ。そこまでの息苦しさは無く、軽快さだけを感じる。

 歩いてトレーニングルームに出る。ただのブラを着けている時よりも、胸の揺れが小さく、動きやすい。なるほど、運動性が良いというのはこういう事か。しかし。

「マツバラ先生、これ……生理の時は着られませんね」

 両手を広げてマツバラとサカキに見せる。サカキは慌てて顔を逸らしたが、マツバラは眉間に皺を寄せて頷いた。

「そうだね。下がそれだと……まぁ、生理の時は元々出撃させないように言ってあるんだけど」

 そんな話をしていると、ジェシカとメイユィも同じ格好で出てきた。ジェシカは比較的楽しそうにしているが、メイユィの方は流石に恥ずかしいのか少し俯いている。やばい、可愛い。

「ミサキ!これ、胸が楽ですね!あんまり苦しくない割に揺れないです!」

「うぅ……ほ、本当にこれで戦うの?」

 最初に戦闘服を見た時と、二人は全く逆の反応をしている。見るのと着るのとでは全く違うという事だろう。

 二人の気持ち、どちらもよく分かる。動きやすいのは動きやすいのだが、恥ずかしいのもまた同感だ。せめて何か上に羽織るものでもあれば良いのだが。

「恥ずかしいのは仕方がありません、我慢して行きましょう。二人共、ヘッドセットは着けていますね?」

 髪に隠れてしまうほどに細く小さい。頼りないように感じるが、装着した感覚はこちらもぴったりとフィットしていて問題なさそうだ。

 頷いた二人を連れて、マツバラとサカキも一緒に階段を上る。二人共お留守番ではあるが、滑走路前までは一緒に来てくれるのだろう。

 建物の外に出て、滑走路前まで走って移動する。速すぎたのか、後ろからマツバラが息を切らせて追いついてきた。その後ろからはサカキがひいひい言いながら走ってくる。

「サカキさん、大丈夫?走ってこなくても良かったのに」

 イケメンのあまりの醜態にメイユィが心配そうに声をかける。大丈夫、と答えながら顔を上げた彼は、メイユィの格好を見て再び慌てて顔を逸らした。勢いが良かった為、首を捻ったのか悶絶している。

「何やってるんですか。マツバラ先生、サカキさんの首、後で診てあげて下さい」

 マツバラは笑いを堪えているのか、頷きながらもごほんごほんと大きな咳をして誤魔化している。流石に必死な彼を笑っては可哀想だという事だろう。出動前だというのに緊張感がまるで無い。

 クルマに曳かれて鉛筆のような形状をした、超音速輸送機『紫電』が滑走路に姿を現した。オオイはそちらにかかっていたのか、滑走路の反対側からこちらに向かって歩いて来る。

「お待たせしました。あと10分で出発します。今回の出現地はアルヘンティーナ共和国西部の地方都市です」

 耳を疑った。いや、確かにそれはこちらの受け持ち範囲ではあるのだが。

「少し距離が遠いので、マウイから空中輸送機を出して燃料の補給を行います。おおよそ7時間半程度のフライトになりますので、出来るだけ――」

 ちょっと待て。7時間半!?行って帰ってくるのに15時間以上かかるだと!?それは、それはこの航空機の中で食事も用足しも全てしろということだろうか。あの狭い中で?このレギンスを履いたまま?

「ハルナ、食事はどうするのですか?」

 説明を遮ってジェシカが聞く。そう、それも重要だが、多分そちらはどうにかなる。問題は出す方だ。

「機内用の携帯食が出されます。移動中はそれで我慢して下さい。排泄は中に専用の設備があります。搭乗員から説明を受けて下さい。あとは今までと同じです」

 今までと同じく、上空で飛び降りろという事だ。それは別に構わない、構わないが……搭乗員は皆男性だぞ、それでも良いのだろうか。

「……すみません、少し帰りが遅くなることを伝えたい相手がいるのですが」

「あと5分です、移動しながらお願いします」

 仕方がない。こうなってしまえばどうにもならないだろう。移動中は携帯などまず通じないし、そんなに長時間留守にしたことなど今まで無かったのだ。

 ソウの番号を呼び出して、歩きながら出るのを待つ。呼び出し音が7回ほど鳴って相手が出た。

『おう、ミサキか?どうした?』

「ちょっと今日中には帰れそうにないから、ごめん、食事はそっちでどうにかして」

『出動か?そっか、分かった。気をつけろよ』

「うん、ありがとう」

 通話を切って溜息を吐いた。気が重い。15時間か……残業手当は出るのだろうか。

 タラップに近づいて階段に足を乗せると、うしろでこそこそと話をしている二人の声が耳に入ってきた。マイクを切り忘れているので丸聞こえである。

『聞きましたか?メイユィ。あのミサキの声』

『うん。『うん、ありがとう♡』だって。もうたまんないね』

 そんな言い方はしていない。普通に通話していただけだ。いや、どうなのだろうか。自分では分からないだけかもしれないが。

「二人共、マイクが繋がったままですよ」

 指摘すると、二人は慌てて咳払いをして姿勢を正した。

「ミサキ、早く帰って来れると良いですね!」

「旦那様が待ってるもんねー」

 この二人は。しかし振り返って良く見ると、タラップの横に立っているオオイもマツバラも微妙ににやけた表情をしている。笑いたければ笑えば良いだろうに。

 じっと睨むと、二人は流石に気まずかったのかこちらに向かって敬礼をした。そんな事で誤魔化せるわけがないだろうに。

 もう一つ小さな溜息を吐いて、何度も乗った航空機の座席に収まってベルトを締めた。素肌に金具が当たってちょっと冷たい。冷たい、そうか、待て、待てよ。

「あの、防寒着等は」

『離陸します』

 強烈なGで言葉が遮られた。抑えつけられる衝撃に言葉が発せられなくなる。いや、無理をすれば可能だが、そもそも言った所でこの状態では搭乗員もパイロット達も答えられないだろう。

 水平飛行に移り、漸く体感の重力が収まったところで聞きたかったことを口にした。

「あの、防寒着なんかは無いのですか?超高空を飛ぶんですよね?」

 後ろに座っている搭乗員に向かってマイクで呼びかける。この格好である。腕も肩も腹も足も丸出しだ。薄布一枚が覆っているだけに過ぎない。

『あっ』

 あってなんだ。おい、まさか無いのか。

『す、すみません。一応暖房は入るので大丈夫です、多分』

「多分って……嫌ですよ、こんな空の上でお腹を壊すなんて」

『問題有りません、どのような排泄でも可能となっておりますので』

 そういう問題ではない。というか、その排泄はどうすれば良いのだ。見た所個室も何も無いだろうに。

 いつもの座席には壁際のハッチと緊急脱出用のポッド、その他様々な機器類がついてはいるが、隠れて用を足せるような所はどこにもない。どうしろというのだ。

『使い方をご説明します、座席の横にフレキシブルホースがついておりますので、それをその……あてて、スイッチを入れますと吸引が始まりますので』

「どこにあてるんですか?」

『……終わりましたら、蓋をしてお戻し下さい』

「拭くものはどうすれば?」

『……ええ、ど、どうしましょう?副機長?』

『こちらに密閉容器があります。そこへお入れ下さい』

 前部の窓が開いて、ころころとポケットティッシュとプラスチックの容器が三つ転がってきた。これに、拭いたものを入れろと。

「思った以上に過酷なフライトになりそうですよ、ジェシカ、メイユィ」

『クソ◯◯◯◯なクソ◯◯◯じゃねえか。ふざけんなよ!』

『ジェシカ、何言ってるかわかんないよ。でも、やだな……出来るだけ我慢しよ』

「メイユィ、我慢してはいけません。身体を悪くしますよ」

 今までは全て三時間以内で行けるような範囲だった。それも、比較的ヒノモト時間の早い内だったので問題なかったのである。今回は初めての戦闘服に初めてのヘッドセット、初めての長時間フライトだ。最高に最悪の思い出になりそうである。


(う……やっぱりきたか)

 大の方は朝済ませてきたので暫くは大丈夫だ。だが、小のほうはどうにもならない。

 どうにもならない上に、暖房が効いていても機内は寒い。太ももと腕をすり合わせて震えていれば、当然のように用を足したくなってきてしまうのは当然だ。

 メイユィに我慢するなと言った手前、こちらが我慢をするわけにもいかない。仕方なく座席の横にあるホースをずるっと引っ張り出した。後ろに座っていたジェシカが気付いたのか、小さくひっと息を飲む音が聞こえた。

 ワンタッチボタンのついた蓋を外すと、口の部分がゴム製になっている搾乳機のようなものだった。コンプレッサーで負圧にしたタンクに、排泄物を吸引する方式なのだろう。確か、宇宙船なんかもこういう風にして用を足すと聞いたことがある。絶対に宇宙飛行士にはならないぞと強く心の中で決めた。

(当然、脱がないとダメ、か)

 レギンスの上から出せるわけがない。脱がないと、用は足せない。

 少し後ろを振り返る。座席は縦に並んでいるので一番うしろに座っている搭乗員からこちらの姿は見えない。大丈夫だ。

 ごそごそとレギンスを膝の上あたりまでずらす。尻の熱に温められているためか、座席の冷たさはそれほど気にならない。だが、こんな開放的な所で下半身を露出しているという事に、妙な気分になってくる。まさか、機内カメラで見られていたりはしないよな。

 考えても仕方がない。見ないでくれなどと言ってしまえばそれは今用を足しているのだなとバレてしまう。それはそれで恥ずかしい。

 すぐ後ろのジェシカには丸わかりだが、それは仕方がない。ジェシカならば別に用を足していると知られた所で何という事はない。

『ミ、ミサキ……』

 反応するな、馬鹿。バレるだろうが。振り返って人差し指を唇に当て、黙っているように示す。彼女はきれいな顔を泣きそうに歪めて、小さく頷いた。

 改めて前に向き直り、引っ張り出したホースを股間にあてる。尿は尿道から出る。当然だ。つまり、尿道がこのホースの口に収まるようにくっつけないといけない。吸引されるとは言え、うっかりしてこぼしてしまえば大変な事になる。機内では逃げ場がないのだ。

 そっとホースをあてがうと、これがどうにも具合が悪い。ぴったりと収まらないのだ。

 狭い口の部分が敏感な部分にあたったりするものだから、どうにもこうにも、具合が悪い。これ、多分男性用なんじゃないだろうか。どうにかこうにか纏めて口に収まる形にくっつけて、スイッチを入れた。

(あっ、ああっ!)

 吸うのである。当然、空気を吸う音がする。隠れて見えないから良いという問題ではなかった。排泄用のホースを使っているのは、スイッチを入れたら丸わかりだったのである。

 なんということだ。いの一番に人間の尊厳を失ってしまった。死にたい。

 吸引力は強く、こちらの中身ごと吸い取ろうと必死にホースの口は吸い付いてくる。もう、やってしまったのだ、今更何を憚る事があろうか。力を抜いて、放尿するに任せることにした

「ん……んぅっ……あっ」

 まずいまずい、なんだこれ、なんだこれは。

 放尿する快感は良い。これは日常でも良く感じている感覚である。だが、だが、吸われている。尿道だけでなく、周辺もすべて。当然、敏感な部分もである。

 ぶるぶるとホースの中で振動しているのがわかる。堪らない。とんでもなく気持ち良い。ダメだ、これ、続けていたらダメになる。早く終われ、早く終われ。

 ズボボボボという股間から聞こえてくる音を聞きながら、どうにかこうにか出し切った。そのまま続けたい欲求を抑え込んで、スイッチを切って股間から外す。すぐに蓋をして座席の横に戻した。

 荒くなる息が止められない。震える手でポケットティッシュを引っ張り出し、股間をぬぐって容器の中に放り込み、密封した。

 誰も何も言わないのに、機内に重苦しい空気が流れているのを感じる。操縦席にいる者たちも、後ろにいる仲間二人も、一番後ろに座っている航空防衛隊員も、全員が自分の排泄の音を聞いていた。きっとこの機を降りる時に、この女、可愛い顔してアレでアレしたんだなと思われるのである。最悪だ。なんという精神攻撃であろうか。

 暫く放心状態だったが、ふと気付いて慌ててレギンスを引っ張り上げた。あまりの衝撃に、履き直すのを忘れていたのだ。

『ミサキ……』

「ジェシカ、何も言わないで下さい」

 ジェシカは押し黙ったが、恐らくメイユィのものだろう、イヤホンからは小さなすすり泣きが聞こえてくる。あんな可愛い子を泣かせるなんて、なんて酷い仕打ちだろうか。戻ったらオオイに思い切り噛みついてやらねば気が済まない。

 乗り合わせた防衛隊員もとんだとばっちりだろう。女性の排泄音を聞いて喜ぶ変態ならばまだしも、女たちからは変態を見る目で見られ、子供には泣かれているのだ。彼らとて死にたい気分に違いない。

 地獄のような長い時間はじわじわと過ぎていく。途中、配られた味気ないブロック状の栄養食品はパサパサに乾燥していて不味く、ドリンクはこれを飲めばまた出さなきゃいけないんだなと考えさせられ、更に陰鬱な気分にさせてくる。テンションの具合は今までの出動の中でも最低レベルにまで落ち込んでいる。

 途中、ジェシカもメイユィも覚悟を決めたのか、二回程尿を排泄していた。泣きながら用を足すメイユィの声が耳に痛い。だれか、だれでもいいからこの地獄から救ってくれ。



『間もなく目標地点です。降下の準備をして下さい』

 三人が三人とも、死んだ目になってパラシュートのベルトを締め直す。誰も何も言わない。いつものようにカウントが始まり、南半球の春の空へと身を投げた。

 寒い。とんでもなく寒い。というか、痛い。

 それはそうだ。足も腹も腕もむき出しで高空にいるのである。おまけに風を切って落ちているのだから、体感温度は更に低い。凍傷にならないのがおかしいほどである。

 先程までの出来事を忘れさせるほどに過酷な環境の中、アラームが聞こえたと同時に紐を引いた。

「二人共、見えますか。この位置からでも目視出来ます」

『見えるね、降りたらすぐに襲いかかってくるかも』

『どうしますか?ミサキ。着地のタイムラグは』

 上空から確認した地形は、ヒノモト最大の湖、オウミ湖に似た形状の湖があるその東側だ。目視で確認できる着地点には広いハイウェイと、湖から流れ出る川にかかる橋、そのたもとにいくつかの家が立っている。

「先行して引き付けます。二人は着地後すぐにこちらを追いかける形で、挟み撃ちに」

『わかった』『わかりました』

 落下位置が悪ければ湖か川の中へボチャン、という地形だ。慎重にパラシュートの向きを調整しながら降下する。川にかかる橋の上、広いハイウェイのど真ん中に降り立った。

 巨大な白い布ごと降りてきたため、すぐに周囲にいた竜達が寄ってくる。数が多い。

 パラシュートを切り離し、ある程度目星をつけていたパーキングエリアに向かって走る。前方に二匹、細長い首の恐竜がこちらに向かってきている。

 体高およそ1.5メートルほどだろうか。それほど大きくない、Sクラスだ。

 細長い首とぎょろっとした大きな目をしており、イグアナに似たような形状の頭部、その口には鋭い歯がずらりと並ぶ。

 よだれを撒き散らしながら迫ってくるそいつらに、抜き打ちざまに大太刀を叩きつけた。

 急激に加速したこちらの攻撃に反応が遅れた二匹は、首筋に峰打ちを立て続けに食らってアスファルトの地面に叩きつけられる。死んではいないが、今は後ろからも来ている。

 倒れた竜を踏みつけて、パーキングエリアへと入る。そこにも一匹、移動販売用の大きな四角いクルマの上に乗っかっている。下に向かってガリガリと歯を立てていたそいつは、接近してきたこちらに気付いて、標的をこちらへと変えた。

 思いの外軽い音を立てて、コンテナのようなクルマの上からこちらに飛びかかってくる。構えた刀を下から擦り上げるようにして、思い切り振り抜いた。

 空中から重たいスイカが降って割れた時のような音を立てて、竜の頭が弾け跳んだ。斬った、というよりは砕いた、という方が正しい。

 無骨で頑丈な刃はその重量でもって、切断できるものは切断し、切断する価値の無いものは粉砕する。1メートルもの刃渡りのあるそれを、振り上げたその勢いのままに力任せに横薙ぎに、後ろに向かって払う。

 背後からこちらに追いつき、飛びついてきていた一匹がその一撃に吹き飛ばされ、前脚と首を大きく抉られて横っ飛びに吹き飛んでいった。前後にそれぞれの竜の赤い血飛沫が舞う。

 刃を向けて左青眼に構えると、仲間をやられたことに警戒した小さな竜達が、その場に留まって一斉にこちらに向けて大口を開ける。先ほど転がした二匹も、よろめきながらも起き上がってその集団に加わった。

 ヘビのような首の竜達は、こちらを威嚇しながらもじわじわと包囲を広げている。回り込んで一斉に襲う気なのだろう。

 数はざっと見ただけで10匹はいる。屠った二匹を加えなくても、今まで戦ってきた竜達の中でも最多数だ。ただ、一体一体はそう強くない。小型の竜は群れるものの、その力自体は大したことがないのだ。恐らく、最初に殺した鳥モドキよりも弱い。

 しかしこの数は流石に厄介だ。同時に襲いかかられては流石にこちらも避けようがない。力が弱いとは言っても、竜は竜だ。一撃でこちらの四肢を食いちぎり、喉を裂き、頭を噛み砕く程度の力はあるのである。

 包囲を広げる竜達から、少し下がった。あと3秒、2秒。

 唐突にヘビ首どもの両翼が崩れた。右翼の一匹の頭が砕け散り、左翼の端にいた一匹の首が吹き飛んだ。

 猛烈な勢いで突っ込んできたジェシカとメイユィの武器が、確実に竜どもの命を踏み躙る。それに合わせてこちらも中央へと突貫した。

 背後からの強襲に乱れた竜達は、それでも近くに現れた獲物に食らいつこうと鎌首をもたげる。正面にいた竜はこちらの一撃を大きく飛び退って躱したが、こちらの狙いはそれではない。急激にサイドステップを踏み、ジェシカの方を向いていた竜の頭を背後から薙ぎ払った。

「ジェシカ、私の後方へ」

『了解です!』

 頭を吹き飛ばされた竜とこちらの頭上を軽々と飛び越え、今度はジェシカがメイユィの方を向いていたイグアナの頭を、組んだ両腕の手甲の一撃で叩き潰した。

「メイユィ、右方向から、挟み撃ち」

「わかった!』

 先ほどこちらの攻撃を下がって躱した竜どもの横から、激しい踏み込みの音を上げてメイユィが突進する。同時にこちらもそちらへと向かって飛びかかる。左右からの接近に戸惑った竜たちは一瞬反応が遅れ、それ故、瞬く間にこちらの太刀とメイユィの槍の餌食となった。

 統率を失って千々に乱れた長い首の竜たちは、こちらの連携の上に次々と屠られていく。ものの1分かそこいらで、ここに集まってきていた竜達はその生命を終えた。

「まだ居ますね、橋の下でしょうか」

 血圧の上昇は収まっていない。上がった体温が、まだ近隣に竜がいる事を知らせている。原理は全くわからないが、数をこなすうちに体感的に、本能的にそれを理解していた。

 橋のたもとの家々の方にいるのか、ここからでは確認できない橋の下にいるのか。周辺は非常に見通しが良く、この大きさの竜がいれば間違いなくこちらの存在に気が付くはずである。

 パーキングエリアの脇にはハゲ山がそびえ立っていて、その反対側、緩やかな下り坂から進めば橋の下は覗けそうではある。だが、その前に。

 先ほど竜が乗っていた移動販売用のクルマの扉に近づき、扉をコンコンと叩いて呼びかける。

『大丈夫ですか?もう少しその中で待機していて下さい。もうすぐ軍が来ますので』

 この中には数人、取り残されている。こちらも理屈はわからないが、なんとなくそう感じるのである。竜がこのクルマの天井を齧っていた事からも推測は可能だ。

 連合王国語が通じたかどうかはわからない。この国は確かエスパニア語圏だ。残念ながらその言語は習得していない。

 それでも周囲の竜は一旦は駆逐した。隠れている竜もこの近くにはいないので、間違って出てきても今のところは安全だろう。

 二人に目配せをして、パーキングエリアの金属柵を乗り越え、橋の下へと続く下り坂に出た。

 先程のクルマの中にいた人達は、少なくとも8時間以上はあそこに閉じ込められている。ああいったクルマには大抵沢山の食糧や水が積んであるし、簡易トイレもついている。恐らく無事だと思う他は無いだろう。

 湖に隣接するハイウェイは、朝の刻限にも関わらず、真夏に近い日差しを受けてじりじりと炙られている。先程までの寒さはどこへやら、上がった体温も相俟って、じわりと汗が滲んでくる。

 坂道は程なく緩やかになり、コンクリート製の橋の下にそびえ立つ金属製の橋脚が目の前に現れた。

 一定間隔で川の中に立ち並んでいるそれは広い川幅を横断し、向こう側へと続いている。ジェシカとメイユィに手で合図をして、左右に分かれるように促す。頷いた二人がこちらから離れるのを少しだけ待って、橋脚の裏側へと歩みを進める。

 反対側に出た。居ない。だが、近くには居る。身を隠す場所はこの橋脚以外には無い。ならば、他に身を隠す所と言えば、

「二人共、水面を注視。変化があれば――」

 言った途端、水中から大きな水音を立てて少しだけ大きなサイズの一匹の竜がこちらに向かって襲いかかってきた。

 身を守る様に大太刀を横に構えた。振り抜いている暇は無い。一旦受けるしか無い。そう思った時、両脇から二人の武器が胴体と頭に突き刺さった。


 血液の亢進が収まる。どうやら終わったようだ。ほっと息を吐いて、血に濡れた太刀で軽く水を切って、大きく血払いをして鞘に仕舞った。

「ありがとうございます、二人共。水中でも活動できる種類だったようですね」

 そういえば鼻孔が上を向いていて、蓋のようなものがついていたのが見えた。なるほど、恐竜にも色々いるのだ。水中で活動するのは一部の雷竜や魚竜、首長竜ぐらいだと思っていたが。

「ミサキの指示、的確で楽ちんだったよ。すぐに水の中だって分かったのもすごいね」

「そうですね、挟み撃ちも上手にはまっていました」

 褒められて少しくすぐったい。ただ、このヘッドセットは中々便利だ。普通に会話をしているのと変わらない感覚で指示が出せる。マイクとイヤホンだけであれば。

「敵の数が多いと、小さくてもこれはこれで大変ですね。大物は強いですが、全員で集中攻撃すれば良いだけですから。周囲に目を配らないといけないのは、正直疲れます」

 こちらは一撃でも受ければ集中力が途切れるか戦闘不能になってしまうのに、相手はそれはもう沢山いるのだ。上手く立ち回らないと巨竜一体を相手にするよりも骨が折れる。

 先ほどのパーキングエリアに戻って、例のクルマの扉を叩く。安全エスセグーロですと呼びかけると、扉が開いてぞろぞろと女性ばかりが4人程出てきた。

 彼女たちはそこら辺に転がっている竜の死体や、露出度の高いこちらの格好に驚いていたが、助かったのだと分かると皆、近くの路上に座り込んでしまった。

 6歳か7歳ぐらいの女の子まで居たが、どうやら家族で遊びに来ていて巻き込まれたらしい。片言の連合王国語でやり取りしてみると、男たちはクルマで助けを呼びに行くと言って、このコンテナのような場所から出ていってしまったのだという。だが、本当に街までたどり着けたかどうかは疑問だ。

 どちらにせよ出ていった男性達の安否を確かめる方法は無い。生きていれば戻って来るだろうが、そうでない場合は……。

 暫く待っていると、東の方から輸送ヘリと軍用車両の群れがやってきた。アルヘンティーナ国軍だろう。降りてきた隊長と思われる将校に生存者と作戦終了の報告をして、輸送ヘリに乗り込んだ。


「この格好、やっぱり問題ではないですか?」

 ジェシカが近くの店で買ってきた白いパンを齧りながら言う。中身は牛肉を煮込んだもののようだ。

「そうだね……お店には入れないし、軍の人にも街の人にもじろじろ見られるし」

 メイユィが両手に持って頬張っているのは、キャラメルのようなソースが挟まったクッキーのようなものだ。甘ったるい匂いがこちらまで漂ってきている。

「そうですね。せめて上に羽織るものぐらいは用意して欲しい所です。戻ったらオオイ二佐に言っておきますね」

 ピザのような生地にチョリソーを挟んだものを齧りながら言った。辛い味付けだが、どこか癖になる旨味があって中々美味しい。これがレストランで食べられれば最高だったのだが。

 当然の如く、この下着のような格好で店に入って食事をする事などできない。街の人にじろじろと視線を投げつけられる中、恥ずかしい思いをしつつも食欲には勝てず、露店で買って食べ歩きとなっているのである。

 空港は竜災害発生地点のすぐ近くにあり、既に出発の準備も整っていた。しかし、あのクソまずいレーションなんか食いたくないと駄々をこねたジェシカの要望もあって、少し離れた街で食事を済ませることにしたのだった。

「またあれに乗って帰るの?うぅ……いやだよぉ」

「おかしくないですか?通常の航空機で帰れないものですか?」

 そうは言っても、既に準備が整ってしまっているのである。待たせるだけ待たせて自分達は普通の飛行機を乗り継いで帰る、なんてことは出来はしない。経費だって落ちはしないし、何よりもこの格好だ。絶対に搭乗拒否されるに決まっている。

「上の人も、もう少し作戦に従事する私達の事を考えて欲しいですね」

 わざとはっきりと発音して言う。言っておかねばいつまでも改善されないだろう。

 大量に買い込んだファストフードを手に、空港に向かって三人で歩く。空港でこの国の通貨に両替したのだが、物凄く物価が安かったのだ。

 一万エン分を両替したら、大量の紙幣を渡された。露店でこれだけ買い物をしてもまだまだ余っている。通貨価値の差を嫌と言うほど思い知らされた。

 そして、それはこの国があまりお金持ちではないという事を意味する。故に今回の仕事で入ってくる特別手当は、それはそれは少ないものとなるだろう。悲しい。

 それ故に出来るだけこの国の料理を食ってやろうと思ったのだが、この格好では店に入る事も出来ない。なので、ヤケクソのようにファストフードを買い込んできたのだった。

「美味しいですね、メイユィの買ってきたクッキー。物凄く甘いですが」

「そうでしょ?ジェシカの買ってきたお肉の入ったパンも美味しいよ」

「この辛いチョリソー、いいですね!ビールが欲しくなります!」

「ジェシカはお酒を飲むんですか?合衆国では18でも飲んで良いんでしたっけ?」

「16から飲めます!でも、買うのはもっと大人になってからしか無理です」

「ワタシ、お酒、あんまり好きじゃない……苦いし変な匂いするし」

「二人共、出る前にちゃんとトイレには行っておいて下さいね」

「ジーザス!またあのヘルに戻るのですか」

「嫌だなあ……見られるし、聞かれるし……」

 折角現地で美味しい地元料理を食べても、移動の環境で台無しである。こればかりはどうにかして改善して貰おうと、固く心に誓ったのだった。


 帰りの移動はほぼ寝て過ごした。可能な限り排泄をしたくないというのもあったが、比較的緊張を強いられる戦いだったので単純に疲れたのである。

 時差がほぼ12時間ほどもあるため、ヒノモトの朝に出発して現地に着いたのが前日の早朝という訳の分からない状態だった上に、帰還したら到着時には真夜中という、なんともお肌に宜しく無い強行軍なのだ。眠くなるに決まっている。

 この、時差というのも曲者だ。オセアーノや南西諸島各国ならばまだしも、今回のようにアースの反対側ともなると、それはもう身体が混乱してしまう。疲労感も割増である。その割に割増賃金は貰えない。貰える金額は距離や竜の強さによらず、現れた国の懐具合次第なのである。貧しい国に出た場合は割に合わない事この上ない。

 だが、だからといって放置するわけにもいかない。今回助かった四人の命は、自分達が行かなければ間違いなく失われていた事だろう。そう思えば、不満はあれども仕事を放棄しようとはとても思えない。

 やりがい搾取だろうか。いや、どちらかというとやり手の居ないインフラ事業といったところか。

 職業に貴賎なしとはいうものの、大変で人の嫌がる仕事にはもう少し何かあっても良いのではないだろうか。今のところ自分達の換えは利かないのだから。

 それはそれはもう疲れた状態で駐屯地の滑走路に降り立つと、待っていたオオイが毛布をこちらに被せてきた。

「お疲れ様です。まずは戻りましょうか」

 言いたいことは山程あったが、疲れて何も言う気力がない。三人分のヘッドセットを纏めて彼女に渡すと、言われるがままに地下へと戻った。


「それでは、報告をお願いします」

 地下の談話室、出された軽食を、ジェシカとメイユィの二人は黙って食べている。とりあえずこちらもすべき事だけはまずしておく必要があるだろう。

「敵はSクラス、数は12、13でしたか。体高1.5メートルほど。首が長い、イグアナのような顔をした獣脚類でした。耐久性は低いですが、比較的知能が高くて集団で狩りをするタイプのようです。それに加えて、水中での活動も可能だったようです。少し大きな一体は水中に潜んでいましたので、出てきた所をジェシカとメイユィの二人で仕留めました」

 行動の概要は端折った。どうせのだ。

「そうですか、お疲れ様です。カラスマさん、どうされますか?戻られます?泊まっていかれますか?」

「帰ります。彼の朝食と弁当を作るので。それよりも、オオイ二佐」

 言われることを覚悟していたのだろう。彼女は強張った表情をしている。

「あの環境は、流石に我々にはあまりにもきつすぎます。私は兎も角として、ジェシカもメイユィもまだ少女なのですよ?少しは配慮して貰わねば困ります。もし、移動とこの格好が改善されないのであれば、仕事を放棄する可能性もあるという事を念頭に置いておいて下さい」

 実際には断れないだろう。人の命がかかっているのだ。だが、それでも言わないと伝わらない。やらなければならないと当人たちが分かっていようが、その待遇を改善できないような組織に誰が従うだろうか。

「必ず上には伝えておきます」

「頼みますよ。まぁわかるでしょうがね」

 彼女の顔がもう一段階、強張った。知らないとでも思っていたのだろうか。

 あのヘッドセット、非常に小さいがピンホールカメラが内蔵されていた。その画像を録画するメモリも間違いなく入っている。

 所謂ウェアラブルカメラだ。警察官や軍人が着用することで、戦場での活動を記録しておくためのものである。それ自体は戦場での非道な行為を抑止したり、きちんと法に則って司法が機能しているかという判断に使われる、非常に有用な方法である。

 だが、若い女性にそれと知らせず黙って装着させるというのは問題がある。いくら自分達が人外のような力を持っている存在であれ、身体は人間の女性なのである。それを。

「あまり健全とは言えない映像もあると思いますよ。扱いには十分に気をつけて下さいね」

「……承知して、います……」

 ずっとつけていたのだ。そう、航空機に乗っている移動中も、である。

 自分達が性器を露出して、あのような排泄を行っているところまで明確に記録されているだろう。果たして、それを見たお偉方が一体何を感じるのだろうか。

 こんな待遇はけしからんと義憤にかられて改善策を命令するだろうか?仮にも軍人扱いしているのだから当然だと放置するだろうか?人外のものなど、見ても何とも思わないだろうか?それとも……こっそり保存して楽しむために使うだろうか。

 メイユィなど、恥ずかしさのあまり泣いてしまっていたのだ。あれを見て何も感じないというような連中ならば、恐竜に滅ぼされる前に自分が上の連中を皆殺しにしてやる。

 自分達は望んで軍人扱いされているわけではない。たまたま、恐竜に対抗できる能力があり、たまたま、それが権力を持つ人達の目に止まり、ある意味強引に連れて来られたのだ。自分は兎も角、二人は軟禁状態である。非人道的と言わずして何と言おうか。

 今の所、彼女たちは今回の事以外に不満を漏らしてはいない。だが、いつまでこの状態を続けておくつもりだろうか。彼女たちは人間だ。考えて、会話し、笑って怒る普通の人間なのだ。

 防衛隊の二等陸佐という、軍内でもある程度高位にある彼女ですら、中間管理職にしか過ぎない。言わば使い走りのようなものだ。彼女にいくら不満をぶつけた所で、上に届かなければそれまでである。ならば、ストライキという抜けない宝刀を抜く振りでもしなければ、どうにもならないだろう。

「帰ります。報告書は明日でも良いですよね?」

「はい、お疲れ様でした。あの、お疲れのようでしたら」

「大丈夫ですよ。私達は頑丈にできていますから」

 送ってもらう必要などない。第一、クルマが無ければまた早朝にサカキを呼びつける事になってしまう。それはそれで可哀想だろう。

 ジェシカもメイユィも、ハンバーガーとポテトの軽食を食べ終わって、シャワーを浴びてくると言って出ていった。彼女達もかなり疲れている。

 無言のオオイと連れ立って上に上がり、一人、真夜中の駐車場でイグニッションキーを捻った。



 部屋に帰って来た頃には、もう午前2時をまわっていた。

 ソウを起こさないように静かに廊下を歩き、風呂場に入る。一日分以上に凝り固まった汗と垢を洗い流し、着替えてリビングに出た。寝る前にビールでも一本、飲みたい気分だ。

 冷蔵庫を開け、薄暗いキッチンの中でプルタブを引き、缶のままごくごくと胃の中へ直接泡立つ酒を流し込む。

 こんな酒の飲み方をしたのは初めてだ。どれだけ仕事に疲れ、嫌な思いをした日があったって、こんな事はしなかった。そもそも、元の身体は酒に強くないのだ。

 一息に500ミリリットルの半分ほどを飲み干して、はあと大きく息を吐く。正しく、飲まなきゃやってられない、と、あからさまにそういう気分だ。自嘲気味の笑いが浮かんでくる。

 まだ、余裕がある。体力的にも精神的にも、まだまだ自分には余裕がある。

 笑えるだけの寛容さと、殺してやると思えるだけの怒りがあるのだ。

 遠くへの移動は一旦終わった。周期があるのだかないのだか分からないが、明日また同じことをする事になるとは思えない。平常運行がまた、始まるのだ。

 完全に飲み干して洗った缶を紙のように薄く握りつぶして、歯を磨いてから二人の寝室へと入った。

 元々大きめのベッドに一緒に寝るようになってから、自分が使っていた枕はこちらに持ち込んであるのだ。気を使って和室で寝ようかとも思ったのだが、どうにもそういう気分になれなかった。何故だかはわからない。いや、わかっている。

 半分こちらのスペースを開けたまま眠っている彼の横に潜り込む。あとは眠ってしまえばいつも通りの朝が来る。

「お帰り、ミサキ。随分遅かったな」

 起きていた、わけではないだろう。

「ごめん、起こしちゃったか」

 草木も眠る丑三つ時だ。明日も仕事のあるソウが寝ていないわけがない。

「何か、あったのか」

「うん?ちょっと遠くに行ってて、疲れただけだよ」

 彼はこちらに寝返りを打って抱き締めてきた。

「嘘だな。酒の匂いがする」

「酒ぐらい、飲むよ」

「こんな夜中に帰ってきて、か?」

 そうだ。普通ならそのまま寝てしまうだろう。わざわざ何も食べずに酒だけ飲む、なんてことを自分はしない。それを見透かされていた。

「いいよ、別に話さなくて。明日も出るんだろ?もう寝ようぜ」

「うん」

 何も聞かず、彼は再び寝息を立て始めた。こちらをしっかりと腕に抱いたまま。

 今はただ、それが本当に、心から有り難かった。

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