第25話 管理職

 ある種の覚悟を決めてここに来た。

 車止めのローポールにチェーンのかかった入口。外部の人間に対してほぼ門戸を閉ざされた場所。幕僚課程を終わらせた自分とて、配属されず、用がなければわざわざ訪れたりはしない。この国の国防の枢要部、統合幕僚監部。

 入口で身分証を提示し、中へと入る。普段は車両で入るのだが、今日は徒歩だ。左手奥にある防衛庁舎A棟に入り、エレベーターで下る。

 広い広い会議室に入ると、既に揃った面々が入ってきたこちらを一斉に見た。

 一番奥、会議室の上座と言える場所に座っているのは、現防衛大臣のミチル・キウチ。向かって右に座っているのは我らが防衛官トップの統合幕僚長、ヒデサト・ウチダ陸将。

 その向かいには副長のユウイチ・シノノメ空将、続いて総括官と、ずらずらと将官達が居並んでいる。地方勤務の二等陸佐に過ぎない自分にとっては、未だ遥か上の人々だ。

 心臓がきゅっと縮むのが分かる。緊張で口からそれが飛び出てきそうだ。だが、ここで怯むわけにはいかない。自分には、彼女たちの将来がかかっているのだ。

「お待たせ致しました、皆様。DDD監理官のハルナ・オオイ二等陸佐です。本日お集まり頂いた要件は、先日のアルヘンティーナ共和国における、竜災害派遣についてです」

 用意させておいたノート型端末に、持ってきたメモリーカードを差し込む。すぐに起動したファイルを確認する。非常に大きな容量だが、今の端末のスペックであれば然程問題にはならない。

「失礼、オオイ君。大臣である私まで呼びつける、という事は、先の災害はそれほど特筆に値するものだった、と見て良いのだろうね」

 防衛大臣であるキウチが片手を上げて発言した。

「その認識で結構です、大臣。今回、ナナオ研究室電子情報部が開発した、ヘッドセット型マイクロピンホールカメラと極小大容量メモリにより、貴重な現地での戦闘の様子を入手する事が出来ました。今までは口頭と書面による報告のみでしたが、より現状に即した、リアルな現場をご覧いただけると思います」

 そう、リアルだ。

 自分が初めてこの動画を確認したとき、自らの置かれている立場と、彼女たちのありのままの姿をこの目でみて、雷に撃たれたような気分になったのだ。

 このような致命的かつ切迫した事実を知らずして、この国の国防、いや、世界の防衛を語れようか。

「そうかね、それは実に有意義そうだ。是非、始めてくれたまえ」

「かしこまりました。ただ、閲覧にあたって。これは、出撃前からの一部始終が録画されたものになります。何も無い部分はカットしてありますが、これはつまり、のありのままの姿が映されているという事になります。その点、十分にご理解頂いてからご覧下さい」

 長い前置きに、誰一人として女性の居ない国防の幹部達は怪訝そうな顔をした。わかるだろう、普通は。だが、彼らは見ないとわからない、理解できない。そういう事だ。

 三人分の映像を、分割画面で映し出す。大きなスクリーンに、高い解像度の映像が映し出された。最初は、彼女たちが着替え終わって自分の所にやってきたところからだ。


『マツバラ先生、これ……生理の時は着られませんね』

 初っ端から強烈な音声に面食らった男性陣はいきなり鼻白んだ。大げさにのけぞりはしないものの、それぞれが渋い顔をしている。

『そうだね。下がそれだと……まぁ、生理の時は元々出撃させないように言ってあるんだけど』

 溌剌とした元気な美少女と、恥ずかしそうに俯きながら小柄な少女がやってくる。

『ミサキ!これ、胸が楽ですね!あんまり苦しくない割に揺れないです!』

『うぅ……ほ、本当にこれで戦うの?』

 露出度の高い、身体のラインがくっきりと見える戦闘服、いや、下着そのものに身を包んだ彼女たちが映されている。

 彼らはそれほど問題だとは認識していないようだ。先程の発言よりはいくらか弛緩した顔をしている。それどころか、微笑ましそうに顔を綻ばせている者さえいる。


『ちょっと今日中には帰れそうにないから、ごめん、食事はそっちでどうにかして』

『うん、ありがとう』

 映像の中のカラスマが、サメガイ議員の息子との通話をしている。この辺りはまだ和やかなものだ。だが、気付いているだろうか。

 新婚ほやほやの彼女が、急な出撃で露出度の高い衣装を着せられ、あまつさえ帰ってこられない日があるという現実を。

 大半の者は気付いていないようだ。ただ、彼女たちと同じ年頃の娘を持っている幕僚長だけが渋い顔をしている。

 ジェシカとメイユィの茶々が入った時には、笑い声さえ漏れる始末だ。

 舞台は『紫電』の中に移った。カラスマが懸念を表明している。

『あの、防寒着なんかは無いのですか?超高空を飛ぶんですよね?』

 先程の格好を思い出した全員がその場で凍りついた。防寒着無しで、超音速機の高高度巡航を行う、という恐ろしい事実に。

「ま、待ってくれ!『紫電』に乗るのに、あの服装でか!?」

 副長であるシノノメが慌てて口を出した。動画を一旦止める。

「そうです。防寒着の申請を出しましたが、却下されました」

 それだけ言う。こちらは申請を出した。だが、間に合わなかった、といえば仕方がないように聞こえるが、要は出し渋られたのだ。新型戦闘服があるのなら、あの頑丈な娘達には必要ないだろう、と。その新型戦闘服が何なのかを確認すらせずに。

 動画を再生した。映像に流れている音声に、同乗している二尉の声が入る。

『問題有りません、どのような排泄でも可能となっておりますので』

 流石に一同がぎょっとした。ざわざわとざわめきが広まる。動画は容赦無く続く。

『使い方をご説明します、座席の横にフレキシブルホースがついておりますので、それをその……あてて、スイッチを入れますと吸引が始まりますので』

『どこにあてるんですか?』

『……終わりましたら、蓋をしてお戻し下さい』

『拭くものはどうすれば?』

『……ええ、ど、どうしましょう?副機長?』

『こちらに密閉容器があります。そこへお入れ下さい』

 たまりかねたのか、幕僚長が手を上げた。

「すまない、これは必要な場面なのかね」

「必要だと思うから流しています」

 彼らは『紫電』に乗ったことが無い。超音速輸送機が必要な幕僚幹部などいないからだ。

 映像は更にショッキングな場面へと推移していく。カラスマが自分の履いているレギンスを引き下ろして、自らの性器と泌尿器にホースの口をあてがっている。男性向けのホースは彼女には合わないらしく、相当に手こずっている様子が映されている。

「オオイ君……これは、その……」

「お分かり頂けませんか?彼女たちは、このような苦労をしているのですよ」

 動画からはメイユィのものらしきすすり泣きが聞こえてくる。その場にいる全員が気まずい感情を隠す事も出来ず、下を向いて唸っている。

 動画は長時間のフライトは飛ばされ、場面は目標地点への投入場面へと突入した。

『先行して引き付けます。二人は着地後すぐにこちらを追いかける形で、挟み撃ちに』

 着地した彼女の前に恐ろしい形相の恐竜が襲いかかってくる。まるで画面のこちらにまで飛び出してきそうな迫力に、思わず大臣が仰け反っている。このあたり、防衛幹部達は特に驚いた様子を見せてはいない。当然だ。この程度で驚くようでは防衛官などと言っていられない。

 凄まじい速度で走り出したカラスマを、残りの二人が着地後に追いかけている。時速3、40キロメートルは出ているだろうか。生身の人間とはとても思えない。

 カラスマの画面が、首の長い恐竜を纏めて二体、叩きのめした。そのまま速度を緩めることなく突進し、先にいた恐竜の頭をかち割っている。

「凄まじいな。あの動画より、遥かに速く、強い」

「彼女たちは常にトレーニングをしていますから」

 画面が振り回されたと思ったら、追いかけてきた恐竜が彼女を取り囲んでいる。油断なく視線を回しているところが、ヘッドセットを通して伝わってくる。

『ジェシカ、私の後方へ』

『了解です!』

『メイユィ、右方向から、挟み撃ち』

「わかった!』

 的確な指示により、統率を乱された竜達が次々と屠られていく。まるで戦闘の芸術品を見ているかの如く、それぞれが、たったの一撃で急所を貫き砕き、叩き斬っている。

『まだ居ますね、橋の下でしょうか』

 彼女が生存者のいるらしきクルマに近寄っていき、連合王国語で呼びかけている。

「ま、待ってくれ。どうしてまだ居るとわかったんだ?」

 大臣が当然の疑問を投げかけてくる。

「わかりません。彼女たちは、近くに竜がいると血が滾るのでわかるのだと言っていました。現在その現象は研究中です」

 映像は橋の下へと移った。

『二人共、水面を注視。変化があれば』

 そこで唐突に、目の前に先程よりも大きな竜が現れた。流石にこれには全員がぎょっとしたのか机がガタンと音を立てる。

 出てきた竜は、予めカラスマが両舷に展開させていた二人によって一瞬で片付けられた。状況判断も危険予知も卓越している。カラスマは現場指揮官としては最適任だろう。

「……過酷な現場だな」

 幕僚長が重苦しい言葉で唸った。だが、その一言で片付けて良いものだろうか。

 現地の軍のヘリにのった彼女たちは一旦空港に戻り、両替を済ませた後に街へと繰り出している。しかし、レストランへ入ろうとして彼女たちは自分達の格好を見下ろして溜息をついている。そりゃあそうだろう。こんな格好で飲食店に入れるわけがない。シュウナンの海の家ではないのだ。

 仕方なく彼女たちは衛生観念も定かではない露店でファストフードを買い、それなりに楽しそうに食い歩きをしている。だが、交わしている言葉の多くが彼女たちの衣装に関する不満だ。

『上の人も、もう少し作戦に従事する私達の事を考えて欲しいですね』

 カラスマがこちらに聞かせるように放った一言が決定的になった。間違いない、彼女は最初からこのカメラに気がついていた。そしてその上で、恥を忍んで尚自分の排泄まで見せつけたのだ。

 こんな人間がいるだろうか?自らの恥部をさらけ出してまで、仲間の為に訴えかけるような、そんな自己犠牲精神に溢れた人間が。

 状況判断と指揮能力、危険予知能力に長け、冷静沈着にその場での最適解を導き出す、稀有な人材。彼女に一度、防衛隊に入りたいのかと聞いたことがあった。彼女は答えた、竜を殺すより大変な事など無いだろうと。その通りだ。

 今、垣間見た彼女たちの戦闘を見れば、今まで自分達がいかにぬるま湯に浸かっていたのかというのを、嫌と言うほど思い知らされた。防衛隊に入りたいのか、だと?とんでもない。彼女こそ、その防衛隊以上に国防の為の戦闘を経験してきた人間ではないか。

 ヤマシロ市役所でのSクラス5体を屠った手際、前代未聞のGクラスをたった一人で叩きのめしたあの能力。そして、たった二人を率いて、放置すれば街一つ壊滅させるほどの恐ろしい大群を殲滅したあの判断力。

「彼女こそ、我が国に現れた救世の女神ではないですか」

 うっかり口走ったその言葉に、誰も返答を返さなかった。理解しているのだろう。竜災害とはいかに恐ろしいものなのか、そして、彼女たちがいなければ自分達ではどうしようも無いものだという事が。

「……聞くと見るのとは大違い、という事だな。実際の現場ではもっと過酷、いや、苛烈なのだろう。副総理が彼女の事を持ち上げていたのも、分かる気がする」

 キウチ防衛大臣が深く椅子に沈みながら言った。

「よろしい。可能な限り彼女たちの要望を受け入れよう。まずは長距離移動の負担軽減からだ。それから、あの格好……あれは、研究室で開発したものかね?」

 防衛大臣の言葉に、調達を担当している者が答える。

「そうです。性能自体は素晴らしいものですが、素材が貴重でして。予備も考えるとあの布面積が妥当との事で。防寒性能も、まぁ……彼女たちの能力があれば平気だと言われたものですから……」

 それは言い訳だろう。ただ、予算が逼迫している防衛庁の幕僚幹部ならばその判断をしたとしても責められるものではない。現場を見ていないのだから当然だ。

「せめて移動時と、戦闘後だけでも良いです。上に羽織るものがあれば」

「も、勿論です!すぐに相応しいものを用意しましょう!」

 諸々の不安はあったが、これなら大丈夫だろう。こちらを憐れむような彼女の視線には耐えられない。あの、全てを知っていて許しているというような、まるで神の視点のような彼女の。

「それはそうとして、残りの二人の成長も著しいですね」

 シノノメ副長が発言した。それはその通りだ。ジェシカもメイユィも、ヒノモト語をあっという間に習得してしまった。その後のコミュニケーションも、心なしか随分と円滑になったような気がする。やはり言葉の壁というのはあるものなのだろう。

「彼女たちはヒノモト語をほぼ完璧にマスターしています。性格も随分と落ち着いてきましたので」

 特にジェシカだ。あの乱雑な連合王国語を抑えるだけで、随分と印象が変わった。

「うん、そうだな。そろそろ頃合いかもしれない。ウチダ君、ハルゼル氏とヤン氏に連絡を取ってくれたまえ。そろそろ公表の時期なのではと」

 キウチの言葉に戦慄する。公表。まさか。

「オオイ君。君に裏方として頑張ってもらうのは継続するが、そろそろ彼女たちを表舞台に立たせてやろうじゃないか。広報窓口は、あの、えー、何と言ったか。外務省の」

「……サカキですか」

「そう!サカキ君に任せよう。彼なら見た目も良いし、総合職としてそつなくこなしてくれるだろう。よし!善は急げだ!総理にもご報告せねばな!」

 彼女たちを救済するどころか、新たな問題を持ち出してしまったかもしれない。ムサシ県からの高速鉄道の中で、再び胃薬が必要になった事を自覚した。

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