第19話 最初の休日
「あー、悪いんだけどさ、ミサキ。明日と明後日、大丈夫か?」
「何だ?呼び出しがなければ大丈夫だぞ」
ソウが晩飯の鶏肉とキノコのキムチ炒めを頬張りながら、申し訳無さそうに言う。
「妹にさ、料理教えてくれって言ってただろ。あれ、明日に来るって、妹が」
なるほど、そういえば彼女は自分の作った料理を喜んで食べていた。教えてもらえるとなればすぐに教えてもらいたいと思うのは自然である。
「いいぞ、別に。教えて欲しい料理の希望とかあるのか?」
「任せるってさ。適当な奴だなぁ」
そこはお前も同じだろうと思わず突っ込みそうになった。なんだかんだ言っても兄妹なのである。似ている所はあるのだ。
「何時頃に来るんだ?」
「午後だってよ。泊まってくらしい」
午後から来るというのであれば、夕食に適した料理が良いという事だろう。泊まるという事であれば朝食も、かもしれない。
「そうか、んじゃ晩飯を作りながら教えるって事になりそうだな。明日の晩、何か食いたいものとかあるか?」
次にソウはこう言う、「なんでも良い」と。
「なんでも良いぞ」
「やっぱお前ら兄妹じゃねえか」
実際の所、こいつは何を作っても美味い美味いと言って食うので、献立に困るという事はない。流石に毎日同じものばかり、というのでなければ良いのだろうが、教えるとなるとどうだろう。家庭料理の方が良いのだろうか。
「スタンダードに肉じゃがにするか?カレーやシチューは市販のルウを使うから誰でも同じ味になるだろうし、同じような材料でレパートリーが増えるのは嬉しいだろ」
どれも基本的な材料は同じだが、味が違うだけだ。クリームシチューの場合はちょっと変わった野菜を入れたり、肉じゃがの場合はさやいんげんや糸こんにゃくを入れたりする事があるだけである。というか、肉じゃがも普通の家庭なら誰でも作れるだろうが、キョウカは作れないのだろうか。
スマホでワイアードのやり取りをしていたソウは、それで良いってよ、とこちらに言った。今更肉じゃが、と言われるかと思ったのだが問題ないらしい。
そういえば彼女と彼女の母が初めてこちらに来た時も肉じゃがだった。二人共ビール片手に美味そうに食べていたのを思い出す。
「しかし、キョウカちゃんだって肉じゃがの作り方ぐらい知ってるだろ?」
ネットで調べてもいくらでも出てくるのだ。やろうと思えば子供だってレシピ片手に作れる時代である。
「知ってるのは知ってるんだけど、あんまり作らないんだってよ。カレーとかは結構作るらしいけど、それ意外はなんていうか、その」
「なんだ?」
ソウにしては珍しく言い淀んだ。言って良いのか、という顔をしている。
「うん、まぁ。まずいんだよ。カレーとかは普通に食えるんだけど、それ以外の和食系や央華は全滅だ。師匠が師匠だからしょうがないんだけどさ」
彼の母のハルコはあまり料理が得意ではない。それは知っている。子供の頃に彼の家で食事をご馳走になった時は、大体が寿司やピザといった出前だった。それ以外は絶対に彼がこちらに食わせようとしなかったのだ。
「そんなの、毎日の食事はどうしてるんだよ。まさかずっとカレーやシチューばっかりってわけにはいかないだろ?」
「あー、うん、出前が多いんだよ、だから。それか家族で外食」
どういう事だ。そんな事をしていては食費が、いや。そうだった。こいつの実家はお金持ちなのだ。自分とは基準が違うのである。
「ソウ……たまにでいいから、キョウカちゃんの家族、こっちに呼んでやれよ」
「すまん、身内の事ながら」
出前や外食も良いだろう。スーパーで惣菜を買ってきても冷凍食品で済ませても問題ない。最近の冷凍食品は質も非常に高いし美味い。
基本共働きの家庭も多いだろうし、そういう所は別にそういったものに頼っても良い。寧ろ、存分に使って良いのだ。しかし、キョウカは確か専業主婦である。それでいて外食や出前ばかり、というのは流石に問題ではないだろうか。別に手作りが至高などと言うつもりはない。専門家が作ったもののほうが当然の如く美味い。
しかし、子供が全く家庭料理の味を知らないというのはちょっと問題ではないだろうか。たまに作ったものがまずい、となれば、その子だって美味い家庭料理の味を知らずに育ってしまう。それでは悪循環だろう。
「それにしても、肉じゃがを不味く作るって、どういう作り方してるんだ?レシピ通りに作るだけだろ?」
分量を間違えなければ、焦がしたりしない限り普通の味になるはずだ。大体醤油味なのである。多少の味の濃さはあるだろうが。
「うん、まぁ、そのレシピが親譲りなんだろ。俺は怖くてあいつらが料理してる場所は見たくねえ」
見たくねえって。食べた事があるのにどうやって作っているのか知らないのか、自宅で。一体どういう事なんだ。訳が分からない。
「まぁいいや。明日来るんだったら、午前中に買い物を済ませとこうぜ。月曜からの弁当の材料も買っておきたいし」
「おっ、そうだな!あいつが来るんだったらビールも無くなるし、買い足しておかないと」
そうだ。こいつの家族はみんな酒を飲むのだ。すぐに資源ごみの袋が空き缶だらけになってしまう。
「別に飲むのはいいけどさ、健康診断で引っかからないように気をつけろよ」
「大丈夫大丈夫。ひっかかっても気にせず飲むから」
本当にこいつは。
しかし、自分が健康診断で引っかからないように、というのも何かおかしい気がする。引っかかりまくりなのだ。別次元で。
血液検査の結果は無事にオオイに渡っただろうか。あのマツバラ医師には出来るだけ迷惑がかからないようにして欲しいものだ。
翌朝、適当に朝食を済ませた後、スーパーの開く時間を待って外に出た。
エントランスを出ようとしたところで、あまり見たくない顔が駅の方角からこちらに歩いてくるのが見えた。
「なんだよ、しつけえなあ」
ソウがうんざりとした声でぼやく。その気持ちは大変によく分かる。やってきたスーツの女は例のヤマシロ県警警部補、ミズキだった。
またエントランスに陣取られては困るので、渋々その場で立ち止まって待つ。女は急ぐでもなく、ゆっくりとこちらにやってきた。
「お久しぶりですね、サメガイさん、カラスマさん?お出かけですか?」
変な抑揚をつけて喋る年増女。そうだよ、近所のスーパーまでお出かけだよ。
「これから買い物なんですが、何の御用ですか?手短にお願いします」
急いでいる事をアピールするが、当然の如くこの化粧と面の皮が厚い女には通用しない。
「構いませんよ。歩きながら話しましょうか」
「ついてくる気ですか……」
何なのだ一体。今度は何があったというのだ。
仕方がないのでソウと並んでいつものスーパーへ向かう。普通に後ろからついてくる。
「今度はどんなトリックを使ったんです?あの災害、紙袋を被っていたのは貴女でしょう?」
「そうだったとしても、今更でしょう。周辺は大いにぶっ壊れて、復旧には多大な時間とお金がかかるんです。まさかあれも私がやったとでも言いたいんですか?恐竜に殺された人の遺族に怒られますよ」
あれだけ目撃者がいて、防衛隊まで出動して、その上でまだこちらが犯人だと思うというのであれば相当に頭がイカれている。狂人の類だ。
「そうですね、アレは貴女が殺したようですが、不思議です。どうして市役所の時といい、サクラダ駅の時といい、貴女のすぐ近くに恐竜が現れるんですか?」
知るかそんな事。恐竜に聞けよ。
「知りませんよそんな事。こっちが聞きたいぐらいです」
この女は、自分に関係なく世界中で恐竜が出現している事を知らないのだ。だから短絡的に自分と竜災害を結びつけようとしている。しかし、この事はまだ伏せておかねばならない。ただでさえ我が国の情報管理が甘いと思われているのだ。下らない事で情報を漏らすわけにもいかない。
「あなたがあの生き物に関係しているのは確かです」
関係はしているだろう。それを殺す仕事を始めたのだ。
「恐竜がいるという事は認識したんですね」
スーパーについた。カートにカゴを二つ入れて、店内に入る。生鮮品を扱うスーパーの店内は強く冷房が効いていて涼しい。表を歩いて滲み始めた汗が一瞬にして引いていく。
「はー、涼しいな。おいミサキ、アイス買って帰ろうぜ」
「いいけど、コペンダーズばっかり買うなよ。確かに美味いけど、別に普通のラクトアイスでいいだろ」
「別にいいだろ、金は俺が出すんだし」
「そういう問題じゃない」
コペンダーズは誰もが知る高級アイスクリームだ。非常にミルク感が強くて濃厚で美味いのだが、相応に値段が張る。自分たちは馬鹿舌なのだから別に普通のカップアイスでも問題ないのだ。いや、味の違いはわかるけど。
「仲がよろしいのですね」
当たり前だろう。何年付き合っていると思っているのだ。
「悪かったら一緒に住んだりしませんよ。おい、ソウ。アイスは後だ。先に野菜と芋だよ」
真っ先にアイスケースのある方へと向かおうとする適当な男の襟首を捕まえて、入口付近にある生鮮野菜のコーナーを回る。夕食は肉じゃがと決まっているのでその材料で良いのだが、昼と明日の食材、それから月曜日以降の弁当に入れるおかずを作らなければいけないのだ。
冷蔵庫にあったものを思い出しながら、慎重に品を見定めてカゴに入れていく。玉ネギに大根、白菜、トマトにさやいんげん。そういえばきんぴらごぼうを作るのだった。あれは弁当に入れても美味い。人参を多めに手に取り、まだ土のついている牛蒡を物色する。
「あの恐竜はどこから来たのですか」
「知りませんよ。それもこっちが教えて欲しいです」
本当に、どこから来たのだろうか。野菜みたいに土から生えてきたというわけではあるまいに、突然、唐突に出現した。
粗方芋と野菜をカゴに入れ終えて、次は魚のコーナーだ。
「昼は何にする?夜は肉じゃがだし、魚がいいよな」
「魚かぁ。おっ!刺身にしようぜ!冷酒買って帰ってさ」
「昼間っから酒かよ。どうせ夜も飲むんだからやめとけ。しかし、刺身か。じゃあ、ちょっと豪勢に海鮮丼はどうだ」
「いいな!いくらも載せようぜ!」
ソウがカゴに入れようとした刺身盛りを戻して、サクの方を買う。切れてツマが入っているだけで値段が上がって量が減るのは腑に落ちない。切るだけなら家で出来るのだ。
サーモンとキハダマグロ、ソウがどうしてもというのでイクラの醤油漬けと、ヤリイカをカゴに入れた。
「あの恐竜、専門家に聞いた所、ジュラ紀に生息していたデラサウルスという獣脚類の仲間ではないかという話でした」
「そうですか、大発見ですね。ジュラ紀の恐竜が現代にいたなんて」
本当にそうだ。もう、古生物学会は大騒ぎだろう。いや、あれは新古生物という扱いになるのだったか。割とどうでも良い。肉のコーナーではソウが焼肉用の高い肉の前で止まっている。
「おい、焼肉用は今日は買わないぞ。肉じゃが用のこま切れと弁当用の鶏肉だ。焼き鳥、好きだろ?」
「おう!焼き鳥でいくらでもビールが飲めるぞ!」
「だから、弁当用だってのに」
タレに漬け込んでグリルで焼くだけだ。簡単かつ美味しい。ベーコン巻き用のお徳用ベーコンパックもカゴに入れた。これも作っておけば冷凍しておける。
豆腐も買う。納豆をカゴに入れようとしたところソウが嫌そうな顔をしたので戻した。こいつの納豆嫌いは筋金入りだ。こっちが食べているだけでも嫌な顔をするのである。一度わからないように料理して食わせてやろうか。
「あのような大きさの生き物が唐突に現れた理由とは何ですか」
「だから、こっちに聞かれても困りますって。ああ、おい、ソウ。卵はそっちの高いやつじゃなくてお徳用の方にしろ。味の違いなんかわかんねえだろ!」
4個入りの高級卵を買おうとするのだ。正直、焼いてしまえばどれも同じ味なのだから、勿体ない事この上ない。ヒノモトの卵は生でも食べられるが、卵かけご飯にしたところで、どうせこいつは醤油の味しかわからないのだ。
結構カゴにいれたのでいっぱいになりそうだ。もう一つ近くのカゴ置き場から持ってきて、こちらはソウに持たせる。彼は嬉々として冷凍コーナーのケースの前に立った。
「ミズキ警部補、事件、いや、あの災害を追いかけるのは結構ですが、無理に追いかけなくてもじきに真相がわかると思いますよ。上が事件としての捜査を打ち切ったんでしょう?それには相応の理由があると思いませんか?」
上の人間は知らされているからこそ災害として処理しているのだ。どれだけ胡散臭かろうが、圧力をかけて黙らせる必要ももう無い。サクラダでそれが分かっただろうに。
「どうしてそのような事がわかるんですか?やはり貴女は何か知っているのでは?」
知っている。知っているが、言う事は出来ない。
「サクラダのあれはどうみても人為的なものではありません。防衛隊だって出てきたじゃないですか。そういう事ですよ」
適当な男が入れたコペンダーズのアイスをケースに戻し、この男と同じ名前のアイスを三つ、カゴに入れた。
「私の分はいりませんが」
「彼の妹の分です」
流石にこれは恥ずかしかったのか、彼女は少し顔を赤くして黙った。ちょっと可愛い。
満載のカゴをレジに三つおいて、精算機で金を払う。勿論支払いはソウのカードである。ここは頻繁に利用するので作った店のポイントカードが、今の買い物で一回分貯まった。集めると500エン分の割引券として使えるらしい。還元率は約0.5%。悪くはないがお得だと言い切ることも出来ない。それでも何も無いよりマシである。
大きな手提げにも流石に全ては入り切らなかったので、仕方なく袋を買った。この有料レジ袋、一体誰が得する制度なのだろうか。
ネギと大根とゴボウのはみ出した手提げを持ったまま、来た道を帰る。ソウが重そうにしていたので、袋を一つ受け取った。ビールを買い過ぎなのである。
「何か他に聞きたいことがあるんですか?」
彼女はもう何も言わない。終わったという事か。一体何が聞きたかったのかさっぱりわからない。
「正直、どうすれば良いのか分からないのです。手がかりが、貴女しか無い」
そりゃあそうだろう。別に事件でもなんでもない。なんで出てくるのかだって、研究者が今必死に調べている所なのだ。一介の警察官に分かるわけがないだろう。
「私だって別に手がかりじゃないですよ。現場にいたのは本当に偶然なんですから」
ジェシカやメイユィだって恐竜に遭遇しているが、そうでない所に出現したものもいるそうだ。そっちは結局兵器が通用しないので、周辺を封鎖して暫く人が近寄らないようにしていたらしい。彼女たちは一度そういった所に出かけていって退治したそうだ。多分、こっちの受け持ち範囲外でも同じことが起きている。
マンションのエントランスについた。彼女はまだ後ろに立っている。
「どうしますか、ミズキ警部補。お昼、一緒に食べていきますか?」
ソウが渋い顔をしたが、別にもういいだろう。彼女はもうこちらを犯人だとは思っていないようなのだ。二人分も三人分も、作る手間はそう変わらない。
しかし彼女は首を振って、お気持ちだけ頂きますと言って駅の方へと帰っていった。
「何が聞きたかったんだ?」
「行き詰まったんだろうな。まぁ、そりゃそうか。こっちだって何もわかんないんだし」
大荷物を抱えてエレベーターに乗る。しかしこのマンション、地震でも起こってエレベーターが止まったら大変そうだ。復旧は病院や避難所が優先なので、こういった民間のマンションは後回しになるのだ。つまり暫くの間は階段で上り下りである。そうなったら自分は良いが、ソウはもうダメだろう。全然鍛えていないのだ。
今のところ彼の腹は出ていないが、あんまりだらしない生活をしているとすぐに中年太りになってしまう。気をつけなければ。
重たいビールの袋を持ったまま、13階の共用廊下へと出た。
海産物多めの昼食を終えた後、暫くしてから適当な友人の適当な妹がやってきた。化粧も格好も、相変わらずアラサーとは思えない若々しさである。
「今日は宜しくお願いします!先生!」
「ああ、うん。そんなに難しいもんじゃないから、気楽にね」
気合を入れて自前のエプロンまで持ってきたようだ。システムキッチンに立つと、ハチマキまでも付けんばかりの気合の入れようである。
「それじゃ、ちょっと早いけど始めようか。晩ごはんにはまだ早いけど、肉じゃがなら問題ないだろうし」
煮込み料理なので作ってすぐに食べなければいけないわけではない。寧ろ時間が経ったほうが美味しい。勿論この時期、食中毒には気を付けなければいけないが。
「まずは芋を洗って皮を剥いてくれるかな」
「わかりました!」
彼女は張り切って鍋に水を張り、その中に洗っていない芋をどぼどぼと入れ始めた。
「ああ、いや。ちょっとまって。それはどういう工程?」
意味がわからない。普通はまず、流しの水で芋を洗うだけだろう。何故鍋の中に芋を入れる?そして何故今、IHのスイッチを入れようとした?
「はい!じゃがいもは茹でると皮を剥きやすくなるので!」
あー、うん、なるほど、そういう発想ね、完全に、いや、三分の一ぐらい理解した。
「ポテサラとかマッシュポテトの時はいいけど、肉じゃがの時はそれはやめておこうか。あと、土ついたまま鍋に入れちゃだめだよ」
「そうなんですか?いつもこうやって剥いてました」
ソウの方を見る。何故か彼は悲しそうな顔をしている。
彼女は鍋を下ろして、軽く水で洗ってヒーターの方へと戻した。いや、あれだとほんのり土の味が残るのではないだろうか。ひょっとしてまずいって、こういう事なのか。
「それじゃ、流水で洗ってから皮を剥こうか。……ちょっとまって、なんでまな板の上に乗せてるの?」
彼女は洗い終わったじゃがいもを、まな板の上に乗せて包丁をあてがっている。
「え?持って皮を剥こうとすると危ないので、まな板の上で」
待て。どうやってそれで皮を剥くつもりだ。疑問に思ったので一つやらせてみると、ずどんずどんと彼女は皮ごと身を切り落とし、芋が小さなかけらになった。
「できました!」
「うん、それは皮を剥いたんじゃなくて身を削ぎ落としたんだね。包丁での皮剥きが怖いなら、ピーラーを使おうか。芽を取る部分もついてるから」
引き出しを開けて手のひらサイズの皮むき器を取り出す。芋にあてがって引くと、薄く綺麗に剥けた。
「あっ、こんな便利なものがあるんですね。流石カラスマさんです」
「安いものだと100均でも売ってるから、探してみるといいよ」
まさかここまでだとは思わなかった。一体彼女の母親は娘にどのような料理方法を教えたのであろうか。
確かにネットのレシピでは皮を剥く方法なんて書かれていない。それは基本中の基本であり、今更言及することではないからだ。高校生の頃、スーパーでバイトをしていた時に、溶き卵を買いに来た人がいたが、その類だろうか。
玉ねぎの皮を剥かせてみると、さきっちょと根本の茶色いのが気になるといってずっと剥き始める。人参はピーラーがあったので問題なく出来たが、やはり今まではそぎ切りにしていたのだという。あまりにも勿体ない。というかそれだとレシピに記載されている分量が変わってしまうだろう。
分量が多いのでフライパンではなく鍋の中で肉と野菜を炒め、水と料理酒とだしの素を入れる。その時点で彼女が棚から胡椒を取り出したので、慌てて止めた。
「隠し味に入れると美味しいと聞いたので」
「うん、それは普通に作って物足りなかったら後から入れようか」
メシマズの基本をこれでもかと押さえている彼女に脱帽した。もう何をされても笑顔で許せそうだ。
くれぐれも分量を守って作ろうねと念を押して、どうにかこうにか出来上がった。
「簡単でしょ?分量と手順を間違えなければ、絶対に同じ味になるから」
「そうですね!これなら私でもできそうです!」
本当だろうか。だいぶ怪しいが、これ以上自分が教えることはできない。というか、手順通りに作っただけなのだ。
彼女はその、手順の前提が大分突拍子もない事になっていた。ひょっとしてこうして作った料理を今まで家族に食べさせていたのか。そりゃあ、外食や出前も多くなろうというものだ。
夕食の時間までは間があるので、朝に買ってきたアイスで休憩する事にした。自分と同じ名前のアイスを舐めながら、適当な男が呟いた。
「お前ん家のカレー、妙に具が小さかったり煮崩れてるなと思ったら、ああやって作ってたのか」
「そうだよ?」
なんという事だろうか。それでも食べられるレベルになるあたり、カレーの味というのは本当に強力なものだ。
「キョウカちゃん、子供の頃、学校で調理実習やったでしょ?その時はどうしてたの?」
誰でも調理実習でカレーぐらいは作る。その時におかしいと思わなかったのだろうか。
「うん、あの剥き方教えたら、同じ班の人もこの方が楽だって真似してたよ」
「マジかよ……広めんなよ……というか、それでおかしいと思わなかったのか」
一度これで正しいのだと認識してしまえば、中々後から修正は困難になる。だって、野菜の皮の剥き方なんて誰も教えてくれないのだ。
「お兄ちゃんだって料理できないじゃん」
「いや、流石に野菜の皮の剥き方ぐらいはわかるぞ」
不毛な争いになりかけたので止めた。料理はするが方法が間違っているのと、正しい方法は知っていても料理をしないのとは同じレベルだ。
「まぁ、でも、これで肉じゃがは大丈夫でしょ。シチューとかカレーも基本は同じだから、そっちも大丈夫だね」
「そうですね、ありがとうございます、カラスマさん」
これで彼女の夫と娘はまともな肉じゃがを食べられるようになった。小さいが大きな一歩である。中々感慨深い。
「時々テツヤさんとリンちゃんを連れて遊びに来ればいいよ。その都度料理教えるからさ」
「はい!ありがとうございます!」
彼女の夫は大人しい性格の公務員だ。それ故に出される料理がまずくても何も言えなかったのだろう。あまりにも不憫過ぎる。ひょっとして彼女達の父であるフユヒコも同じ経験をしたのだろうか。想像してちょっと空恐ろしくなった。
「そういや、二人の実家には料理を作ってくれる家政婦さんとかいなかったのか?あんだけ広い家なんだから、掃除も大変だろ?」
ヤマシロ市の中心部からは大分外れているが、広い敷地に大きな二階建ての屋敷が立っているのだ。何度も遊びに行った事があるが、部屋数も多いし廊下も長い。掃除が大変だろう。
「掃除のハウスキーパーさんは雇ってたぞ。でも、料理はしてくれなかったな」
「そういう契約にしたんだって、おばあちゃんの代から」
ということは、やはりこの二人はハルコの料理を食べて育ったのだ。弟子がこの体たらくなのだから、師匠の方の腕も知れてしまう。ソウが絶対に彼女の料理をこちらに食べさせなかった理由にも合点がいく。まだまだ世の中には自分の知らない、思いもよらぬ事があるのだなと、少しだけ遠い目になった。
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