駆逐隊
第17話 誤算
翌日、こちらを見送るためだけにわざわざ有給を取ったソウは、地下駐車場までついてきた。例のイケメンを見て、若干敵意を見せた彼はしかし、黙ってこちらを見送った。
「羨ましい話です」
外務省の職員がこちらにアイマスクを手渡そうとするが、拒否した。
「必要ありません、ナナオ駐屯地でしょう?近くで空港のある防衛隊の駐屯地など、そこにしかありませんし、高速にも乗っていないのですから丸わかりです」
彼は少し肩を竦めてクルマを出した。気付かれるだろうというのは分かっていたのだろう。ステアリングをゆったりと切って公道へと出た。
「羨ましい、というのは?」
まさかこちらの境遇が、という訳ではないだろう。誰がどう見ても過酷な労働に身を投じねばならない立場だ。命の危険だってある。
「待っていてくれる人がいる、という事がですよ」
「そのせいで苦しむ事があったとしても?」
彼は答えずにまた肩を竦めた。動きが一々気障ったらしい。
クルマは案の定、幹線道路を南へと走り続けて、南東にある大きな敷地の中へと向かう。入口で身分の確認を済ませた後に、クルマに乗ったまま駐屯地内を進んでいく。
駐車場ではなく、大きめの建物の車寄せに黒塗りの防衛隊公用車は止まった。クルマから降りると、初夏の日差しが強く照りつける。すぐに庇の中へと入り、なんだかがらんとした無機質な建物の中に入った。
以前は目隠しされていたので気が付かなかったが、内部は子供の頃を過ごした小学校か中学校のような内装だった。
小さなタイル張りの床に、並んだ部屋には大きな窓がついている。入口付近には購買と思われる小さな店があった。何故か土産物まで売っている。
「一般の方も見学に来られるんでしょうね」
隊員が防衛艦や戦闘機の模型やキーホルダーなど、買っていくわけがない。いや、家族への土産とする事はあるだろうが、そうそう売れるものではないだろう。
「申し込めば基本的に一部の人を除けば入る事ができますから。団体で見学に来る人もいるそうです」
彼は外務省職員なので、そこまで詳しくは無いのだろう。それ以上の説明は何も無かった。別に詳細な説明を求めていたわけでもないので、黙って後ろについて歩く。
堅牢そうな階段を二階分上がり、これまた頑丈な引き戸を開けて中に入る。円卓には今日は一人しか着いていなかった。
「決まったかね」
ジョウジ・アシダ副総理大臣は、答えは決まっているだろう、と言わんばかりの態度で、こちらに体裁だけの質問を投げかける。
「お受けいたします」
こちらもそれだけしか答えない。能書きは何もいらない、他に選択肢は無いのだ。
「よろしい。では、君の直接の上司を紹介しよう。オオイ君」
彼の斜め後ろにいた、防衛隊の制服に身を包んだ、20代後半から30代前半に見える女性がこちらに近寄ってきた。すっと右手を差し出してくる。
「陸上防衛隊二佐のハルナ・オオイです。よろしく」
「ミサキ・カラスマです。宜しくお願いします、オオイ二佐」
陸防の二佐、佐官である。年齢から見て、恐らくは最短に近い幕僚過程修了者だろう。
味も素っ気もない挨拶が終わったのを見るや、アシダ副総理は立ち上がって、あとは宜しく、とオオイに言って部屋を出て行った。部屋の隊員が一人、彼の後ろを追いかけて出ていく。
「こちらへ」
軍人らしく言葉少なに表へ出ると、階段を降りて外に出る。外で待っていた美形の外務省職員も、こちらについて歩き出した。
「彼も?」
「彼は雑用です」
「なるほど」
央華と合衆国から招かれた人間がいるわけだから、諸事には外務官を使う、というわけだ。雑用と言われたイケメンは渋い顔をしたが、事実なので仕方無く黙っている。面倒な国での大使館勤務に比べれば余程マシだろうに。
オオイは背筋を伸ばした理想的な姿勢で、スタスタと大股で歩いていく。左手にある広い滑走路を横目に見ながら、奥にある小さな建造物の中へと入っていく。
「基本的に、任務が無い時はこの建物に駐在してもらいます」
ここに?ヒノモトの都市部近郊に?
「普通はもっと、移動に便利な場所にするんじゃないんですか?例えば、中間点であるマウリとか」
パシフィック海の中央部付近に位置する島を例として挙げてみる。常夏の観光地だが、あそこは合衆国の一部だ。
「国家同士のパワーバランスのせいです」
「……ああ、なるほど。それでヒノモトですか」
大災害を鎮圧しうる戦力を自分の所に置きたいと思うのはどこも同じだろう。そして、海を挟んでにらみ合う央華と合衆国であれば、その欲望は真正面からぶつかり合う。
双方が同じ戦力を出す、となったのなら、拠点をどちらに置くかどうかでも揉めに揉めるだろう。なので、立場は合衆国寄りでありながら、地理的に央華に近い、表面上は不戦をモットーとしているヒノモトに置くのが落とし所になった、というわけだ。
彼女はちらりとこちらを見て、すぐに正面を向いた。表情に乏しく、何を考えているかはあまり推し量れない。
建物の中は先程と同じくタイル張りの頑丈そうな内装だが、全体的に薄暗く、人は誰もいない。彼女は入ってすぐ左にあった階段をリズミカルに降りていく。素直にその後ろに従った。
階段を降りていく途中、オオイは唐突に口を開く。
「今から残りの二人を紹介します。大雑把に説明しますが」
自分と同じく、恐竜を屠る力を持った女性。
「ステイツ、合衆国出身の子は、ジェシカ・サンダーバード。自称18歳。央華社会共和国出身の子は、ジュエ・メイユィ。こちらは自称16歳」
「自称?」
年齢が自称とは、こちらと同じではないか。まさか。
「記憶が無いのだそうです。二人共、育った場所で拾われるまでの記憶が無い。そのため正確な年齢は不詳。見た目は相応なのでそこは問題になりません。各国の法律上の問題点もクリアしています」
記憶が無い。自分にはある。無いというのは嘘か、それとも本当に記憶喪失なのか。会ってみれば多分、わかる。
「なので、注意して下さい。彼女達は、年齢よりも基本的に幼い。貴女ほど精神的に成熟していませんので」
なるほど、社会生活の期間が短ければ、相応の精神年齢にしか育たないだろう。しかし、少し嫌な予感がしてきた。
オオイは階段を降りきった先、大袈裟な金庫のような扉のノブ、というよりもハンドルを力任せにぐるぐると回して引っ張り開けた。分厚い金属の扉が開き、中の明るい室内から光が溢れ出す。
三人が中に入ると、彼女は再び扉を閉めた。ガコンという重苦しい扉が閉まり、がちゃんと外でロックのかかる音がした。ひょっとしてこれは、中から開けられないのか。
薄暗い廊下や階段と違って、地下の明るい室内は広々としていた。床は柔らかいマットで覆われており、部屋のあちこちには様々な器具が置いてある。どこかで見たと思ったら、これはジムにあったものと同じだ。そう、ここはどうみてもトレーニングジム。
広い部屋の各所にはいくつか扉があるが、まず目についたのは正面の奥、短パンにタンクトップ姿の、一人の金髪の少女が異常にでかいサンドバッグを殴っている。素手で。
いや、素手じゃない。一応拳にはバンテージのようなものを巻いているが、激しい勢いでバッグを殴っている彼女の拳がめり込むたびに、ボクシングジムですら見たことが無いような大きさのサンドバッグが、その勢いでドンドンと跳ね上がっている。大丈夫なのか、あれ。
哀れなサンドバッグを殴っていた彼女は、扉の閉まる音に反応してこちらを振り向いた。
自分よりは頭半分ぐらいは高い身長に大きな胸、碧い瞳にくっきりとした目鼻立ち。短く適当に刈られた金髪は輝くように美しく、合衆国のアクション女優です、と言われても全く疑いようのない美少女だった。
彼女はこちらに向かって笑顔で駆け寄ってくると、前にいたオオイに向かって呼びかけた。
『ヘイ!オオイ!もっとすげえバッグはねえのか?あんなんじゃクソぬるくてトレーニングにもならんぜ』
まるで戦場傭兵かバックストリートに屯している若者のような巻き舌で粗雑な言葉遣いが少女の口から漏れる。年頃の娘そのまんまの可愛らしい声でそんな言葉を聞いた自分は、思わずずっこけそうになった。なんだこれは。見た目と声と言葉が全然合ってないぞ。頭がどうにかなりそうだ。
合衆国の一部地方の強い訛りが入った彼女の言葉は随分と乱暴で、見目麗しい彼女の口から出てきた言葉とは到底思えない。
『ジェシカ。今の所それが一番頑丈なやつだ。今手配しているからもう少し我慢してくれ。それと、言っただろう。その言葉遣いは直せと』
そういうオオイも、連合王国語では随分と硬い言葉遣いだ。まぁ、これは防衛隊で学んだものなのだろうから仕方がない。
『うるせえな、どこにいってもそればっかりだ。クソ面倒くせえんだよ……ん?』
美しき暴漢はオオイの後ろに立っているこちらに目を向けた。満面の笑顔になって抱きついてくる。
『ヤー!お前が三人目か!随分クソ可愛らしいスケじゃねえか!何人ぐらいにファックされたんだ?宜しく頼むぜ!』
この子は多分、この言葉を女性に対する定型の挨拶と勘違いしているのだ。まともに答える必要はない。
『ミサキ・カラスマです。宜しくお願いします、ジェシカ。あと、それはあんまり初対面の女性には言わないほうが良いですよ、驚かせてしまいますから』
『何?そうなのか?オレの町じゃあ、皆こんな風に言ってたぜ?』
いったいどこの町出身なんだ。そんな町、聞いたことがないぞ。いや、合衆国には一度しか行ったことがないので、知らないだけでそういう町もあるのかもしれないが。
「この通りです、カラスマさん」
「よく分かりました。これではあまり表には出せませんね」
後ろで聞いていた外務官も少し引いている。外務省の人間は外国語に堪能である事が多いので、彼も彼女に最初会った時は相当面食らった事だろう。
とはいえ、反応を見る限り性格まで粗暴というわけではないようだ。言葉は乱暴だが笑顔は可愛い上にハグは優しかったし、力加減もしっかりと出来ている。あのサンドバッグを殴っていたラッシュには流石に驚いたが。
『ジェシカ、メイユィはどこだ?』
『あん?知らねえよ。多分また隅っこでマスでもかいてんだろ。今日は一度も見てねえ』
『仲間だろう。少しは気にしろ』
『会ってまだ一週間だぜ?そんなに早く慣れるかよ』
彼女達の言葉から、なんとなく事情が把握できる。彼女達がここに連れてこられたのは一週間前、自分が連れてこられるよりも前の話だ。という事は、このチーム――佐官が指揮官とは言え、部隊の行動単位と見れば、人数的には班と行ったほうが良いか――の結成自体は、あのサクラダの災害よりも前に計画されていたという事になる。あの恐竜が来ようが来まいが、自分がここに呼ばれるのは最初から決まっていたというわけだ。
「全く、協調性の無い……多分、部屋でしょう」
言うとオオイは左手の奥へと進んでいく。いくつかある扉のうち、ネームプレートのついた扉の前に立った。そのままノックしようとして止まり、こちらを振り向いた。
「サカキさん、お願いします」
「はあ、分かりました」
そういえばこのイケメンの名前を聞いていなかった。苗字はサカキというらしい。雑用をしてくれるそうなので、覚えておかねば流石に失礼だろう。
『ジュエさん。サカキです。いらっしゃいますか』
流暢な央華語で呼びかける外務官。多分、彼が駆り出されたのはこれが出来るからだろう。ついでにイケメンなので女の子からも受けが良いだろう、という、上の人間の浅はかな考えが透けて見える。まぁ、大体においてそれは正しいのだが。
奥から気配が近づいてきたかと思うと、そっと遠慮がちに扉が開いた。中から背の低い、髪を後ろでおだんごに纏めた可愛らしい少女が姿を現した。
(か、可愛い……!)
それはもう、可愛い。小さな顔にくりくりとした黒目がちのお目々がふたつ。小さな鼻に、控えめでかわいらしい唇。ほんのりと頬に朱が差した顔は、小動物を思わせるような、なんとも保護欲をそそる姿形だ。
身長は自分の頭一つ分は低いだろうか。自称16歳という事らしいが、それよりも大分幼く見える。ああ、自分にもこんな妹がいたらと思うほどの美少女である。
さっきのジェシカとはまるで方向性が違う。彼女は溌剌としたモデルのような健康美であるが、こちらのメイユィという子は、お人形のような可愛らしさである。どちらがどう、と比べることは出来ないのだが、どちらも抜群に可愛い。なんだこの班。
『何?今日の分のトレーニングは、終わったよ』
彼女は視線を上げて、後ろにいるオオイとこちらを見た。
『誰?』
伝えてあったはずだろうが、それでも彼女は聞いてくる。
『こんにちは、メイユィ。私はミサキ・カラスマ。貴女の仲間です。宜しくお願いします』
右手を差し出すと、彼女は恐る恐るこちらの手を握った。可憐だ。やわらかいおてて。思わず抱きしめてしまいたい欲求を必死で我慢した。
『ジュエさん、こちらの人はジュエさん達と同じ、DDDの仲間です。仲良くしてあげて下さいね』
自分に対して向けられていた嫌味など全く無かったかのように、サカキは優しげに少女に語りかけている。そりゃあそうだろう。こんなに可憐な子に意地悪に接する奴なんてそうそういるわけがない。しかし、それにしてもこの態度の変化はどうだ。
しかし、DDDとは何だ。初めて聞くが、それがこの班の名前だろうか。
「オオイ二佐、『DDD』とは?」
「今からそれを説明します。サカキさん、博士を呼んできて下さい」『メイユィ、表に、集まって』
拙い央華語で彼女に言うオオイ。この国では央華語まで使える人間は少ないのである。
連れ立って中央に戻ってくると、汗を拭き拭きジェシカが待っていた。
『ヘイ、メイユィ。あんまり籠もってばっかりいると○○○からカビが生えてくるぜ』
『ヘイじゃないよ、ジュエだよ。あと、ジェシカ、何言ってるか、わかりにくい』
やり取りが面白くてちょっと笑ってしまった。挨拶に対して黒ではなく朱だよと言っている。それにしても、メイユィも一応連合王国語は理解できるようだ。オオイが無理をしてでも央華語を使っているのは、多分平等に接しようという配慮からだろう。
細かいとは思うだろうが、同じ集団の中で国同士の扱いが違うとちょっとしたことで不満になったりするのだ。言葉の壁というのも中々厄介なものである。
ジェシカとメイユィでは大人と子供ぐらいの身長差がある。だが、二人共別にそれはあまり気にしていないようだ。概ね対等に会話しているので、仲が悪いというわけではなさそうである。少しほっとした。
政治的影響を受けた者同士がぶつかると、それはもう収集がつかないことになる。自分たちこそ正義だと主張するのは、国内ではいいだろうが、共に他国の人間と行動する共同生活では致命的になりかねない。良く留学生でそういった諍いが発生すると聞いたことがあるが、お互いの文化を割り切って理解できる寛容性が無いと、対立が対立を呼んでしまうのである。
彼女達の場合はそういう寛容性だとか文化だとかいうレベルにあるわけではなく、単に精神性が幼いが故に拘るべき主張が無い、という事だろう。ある意味彼女達の幼さは、この点有利に働いていると言える。
トレーニングジムとしか呼べない部屋の真ん中で突っ立っていると、どうやって出たのか、サカキが重たい扉を開けて再び戻ってきた。後ろにはガリガリに痩せたメガネに白衣の老人を連れてきている。
老人は並んでいるこちらを見ると、目を輝かせて突進してきた。物凄い勢いで目の前にやって来ると、両手でこちらの手を握りしめてぶんぶんと激しく上下に振った。
『やあ!君がヒノモトのデストロイヤーか!素晴らしい!宜しく頼むよ!』
デストロイヤー。駆逐者、駆逐艦。恐竜を駆逐しろ、という事だろうか。
『博士、まずは自己紹介を』
『おお!すまんすまん!つい興奮してしまって』
オオイが窘めると、老人は手を離して少しだけ距離を取り、白衣の襟元を直した。
『私はアロン・フェルドマン。新古生物の研究をしている者だ。学者の観点から、君たちに協力するように言われている。まあ、アドバイザー件オブザーバーのようなものだ』
成程、あの恐竜どもの専門家という事か。それにしても、初めて聞いた単語がある。
『宜しくお願いします、フェルドマン博士。その、失礼ですが、新古生物、というものについてお伺いしても?』
そう聞くと、彼は嬉しそうに早口で喋りだした。
『新古生物というのはね、正に今、各地で出現している恐竜の呼び名の事だよ。本来絶滅したはずの存在が、現代に突然出現する。本来はあり得ない話なのだが、元々私は古生物が現在の環境でどのような進化を遂げるか、という事を研究していてね。現環境における爬虫類や鳥類の生態も含めて、生物としての限界はどこにあるのかを総合的に研究していたのだ。いくつか論文も発表しているのだが、見る目の無い奴が多くてね。君、潜在的遺伝古生物に関する考察という論文を見たことがないかね?無い?それは実に残念な事だ。まぁ、雑誌に掲載されたわけでもないので仕方がないと言えば仕方がないがね。そもそも遺伝というものは現在分かっている部分ではまだ解き明かされていない部分も多く――』
専門家というのは自分の分野の話となると、延々と語りだす。彼もその例外ではない、という事だろうが、これでは話が進まない。
『大変良く理解出来ました、博士。今度、その論文を送って頂ければ、是非拝読したいと思います。それで、オオイ二佐』
適当なところで遮ってオオイに話を振ると、彼女はほっとしたように話を引き継いだ。
『聞いての通り、彼は現代に現れた恐竜に関する専門家だ。加えて、君たちの身体データの分析や武器の制作も彼のチームに一任してある。今後、疑問点や技術的に必要な要求があれば、私を通して彼に依頼する事となる。宜しく頼みます。博士』
彼女がそう言うと、痩せこけた老人は鷹揚に頷いた。
『私のいくつかの要求は既にオオイ二佐には伝えてある。普段はここの上の研究室にいるので、何か疑問があればいつでも連絡してくれたまえ』
要求。データの採取、という事だろう。正直言って自分のこの力がどこから出てきているのか全く不明なので、それを解析してくれるというのはありがたい。マツバラはわからない事だらけだと言っていたが、それでも専門家がいるというのであれば何か分かることもあるかもしれないのだ。
オオイは改めて、雑多に並んでいるこちらに向かって言った。
『君たちはこれから、D・D・D。デストロイヤーズ・オブ・ダイナソー・ディザスターとして、各地の竜災害の鎮圧にあたってもらう。最初は三人一組で全ての災害に向かってもらうが、慣れて来次第、単独やペアでの行動も行う予定だ』
なるほど、竜災害を駆逐する者達、という事か。最初は三人で、というのは、自分以外の二人が未熟すぎるという判断だろう。
『オオイ。任務が無い時は、どうしたらいいの』
メイユィが可愛らしい連合王国語で尋ねる。
『日中、普段はここでトレーニングに励んでくれ。君たちの能力は、通常のトレーニングでも飛躍的に上昇する事が既に分かっている。必要な器具はいくらでも取り寄せるが、基本特注品だ。時間がかかることだけは許して欲しい』
『外出はできねえのか?』
粗野な合衆国訛りが、ごく当たり前の事を聞く。
『単独では遠慮してくれ。必要なものがあればこちらで持ってくる。どうしても外出が必要な時は、私に言ってくれ。同行する』
『なんだよ、折角ヒノモトのアニメショップとか見てみたかったのに』
意外にも彼女はそういったサブカルに興味があるようだ。年頃の少女そのものである。
『それと……一応聞くが、君たちに、既に決まった特定の相手はいるか』
決まった相手。
『何、それ、恋人?いないよ』
『いるわけねえだろ』
いないのか、二人共、そんなに可愛いのに。
こちらが黙っていると、全員の視線が集中する。いや、その。
『……います。サクラダ中央市内に』
一度だけだがやった事でもあるし、そもそも一緒に住んでいたのだ。特定の相手、と言われれば間違いなくそうだろう。
『えっ、何、ミサキ、恋人、いるの?』
『マジかよ!ファック!クソ可愛い顔しやがって、羨ましいぜ!』
ジェシカの四文字の使い方が今ひとつあっていない気がする。なにかこう、接頭語のような感覚で使っているのだろうか。あまり上品ではない。
『博士』
『うむ、素晴らしい!では、配慮してあげてくれたまえ』
オオイは頷くと、こちらに向かって言った。
「カラスマさん、貴女は通いで結構です。そのお相手とは、ご一緒に暮らしていらっしゃるのですよね」
「え、あ、はい」
「では、毎朝ここに来て、8時から17時まで詰めて下さい。送迎はサカキさんに」
「え?僕が!?」
どういう事だ。定時出社の定時帰宅ではないか。ブラック労働だと絶望して覚悟を決めて来たのだぞ。どういう風の吹き回しだ。しかも、イケメンの送迎付き。
「それはありがたいのですが、緊急時はどうすれば?」
初動が遅れるのではないだろうか。それはそれで問題だ。
「こちらの時間で夜間や早朝の場合、ヘリを向かわせます。いずれにせよ音速機は準備に時間がかかるのですから、大したロスではありません。近隣にヘリポートは?」
ヘリポート、ヘリポート……ある。
「マンションの屋上が確か、緊急用のヘリポートになっています。そこが使えるのであれば」
緊急医療用に作ったらしいが、今まで一度も使われたことがないとソウが言っていた。無用の長物だろうと思っていたのだが、まさかこんな使い道が。
「結構です。では、そのように。基本的に土日は休みですが、緊急出動があれば容赦なく迎えに行きます。常にスマホの電源は入れておいて下さい。海外旅行は出来ませんが、まぁ、作戦任務自体が旅行のようなものです」
そんなわけがあるか。
しかし、土日が休みで基本定時退社というのは素晴らしい。
『何だ?二人共、何言ってんだ?』
『ヒノモト語、よくわかんない。難しい』
彼女達にそれぞれ、自分は通いになるので、朝来て夕方帰るのだと伝えた。二人共、なんだそれだけか、と興味なさそうな顔をした。
『二人共、ここに住み込みで寂しくないんですか?』
家族だって置いてきただろう。記憶喪失だとは言え、一人で生きてきたわけではないだろうし。
『オレの家族はまぁ、結構フリーダムだから。学校にも入るかって言われたけど、見学に行ったところであのクソファッキンがいてよ。まぁ、あっちにゃ居づらくなったし丁度いいんだ』
クソファッキン、とは、多分恐竜の事だろう。学校で……多分、多くの若い学生が犠牲になったのだろう。
『私のファミリーは、みんな死んじゃったから。あれのせい。全部あれのせいで、おじいちゃんも、若も、野郎どもも、皆死んだ。殺す』
央華語で何やら物騒な事を口走るメイユィ。可愛らしい顔に壮絶な笑みを浮かべている。なんだこの子、大丈夫か。しかし、一般的な家族、という単語ではなかった。何だろう。
『今の所、カラスマ君だけだね。期待しているよ、君。なんならもう、さっさと作ってしまいたまえ』
ニコニコと老人がこちらの肩を叩く。特定の相手と作れ、つまり、子供をか。
『博士、まだ早いです。せめて任務が二人でも安定して出来るようになってから』
『おお、そうだな!でもまぁ、どうにでもなるだろう。今の所はな』
意味深な言葉を残して彼は戻っていった。見ていると、出口のところでカードキーを扉の近くの端末に通している。なるほど。
「無理を承知で聞きますが、オオイ二佐。あのカードキーは、我々には」
「すみません、それは出来ません」
分かっていた。当然だろう。こちらは通いというだけでもう十分な待遇なのだ。それ以上は求めない。
『我々に用事のある時は、中にある内線を使ってくれ。各部屋に一つずつ置いてある。番号は番号表を確認してくれ』
『わかりました』
今の所は思っていたよりもずっとホワイトな職場だ。出動要請があるまでは適当に筋トレをしていればいいだけというのである。遊んでいるのと同じではないか。
『それでは、カラスマさんには契約書を渡すのでこちらへ。二人共、あとは自由にしていてくれ』
言われたジェシカとメイユィは各々の部屋らしき所へと戻っていった。まだ午前中だが良いのだろうか。まぁ、トレーニングには個人のペースがあるので何とも言えないのだが。
重たい扉の外に出たと同時に、気になっていた事を聞いた。
「私は表にいて良いのですか」
「……貴女は理性のある方です。特に、副総理からも自由にして良いと言われておりますので」
彼女たちに理性が無い、というわけではないのだろうが、怖くて仕方がないのだろう。人外の力を持つ存在が。
「多分、通常の兵器で私達を殺すことは出来ますよ」
「そうでしょうね。でも、そうすれば我々は恐竜に唯一対抗出来る力を失ってしまいます」
恐竜を殺せる存在は怖い。けれど、その存在に頼らなければいずれ人類は築き上げた文明を破壊されてしまう。これも、感情と理性のせめぎ合いというやつだろうか。
「安心して下さい。彼女達は自分の事を人間だと思っていますから」
どうみても普通の女の子の反応だった。ジェシカの言葉使いは兎も角として。
「貴女は違うのでしょう」
「そりゃあ……常識的に考えれば。それでも、私は人間です」
いかに力が強かろうと、自分は一人で生きていく事など出来ない。社会性動物である人なのだ。身体が人外であれ、人と会話をし、意思疎通を行い、協力して生きていく事しか出来ないのだから。
「そうですか。そうですね。どうぞ、こちらへ。駐屯地の事務棟へとご案内します」
彼女は先導して建物を出た。途端に強くなった日差しに晒される。
「オオイ二佐は立場上、私達の上官になるのですよね。どうしてそのように丁寧に接して下さるのですか」
彼女はDDDの指揮官という事になる。恐らく、ヒノモトの防衛隊からそれを選出するという事で央華や合衆国からは相当突かれたはずだ。それでも、その二国のどちらかから出すよりは理性的な選択肢だと言えるのだが。
「貴女は実質、DDDのリーダーとなります。私は単なる派遣場所の連絡係のようなものです。無論、形式上命令は出しますが……実質は貴女が現場の指揮官となります」
それはまぁ、分かる。彼女たちにあれやこれやと細かい報告書や申請書を出せと言っても、多分無理だろう。自分であればある程度管理職としての経験もあるし、その辺りは問題ないが。
「対外的に問題は?」
「ありません。というより、私は表に出ませんので。窓口は外務省のサカキさん、そして貴女です」
「え」
それは、色々とまずいのではないだろうか。自分の事を知っている人間は沢山いるのだが。
「大丈夫ですか?その、情報統制とか……」
「問題ありません。不必要なことは全てこちらで握りつぶしますので。今回のことで、政府も官僚も思い知ったようです。我が国の情報統制の脆弱さを」
「それは……しかし。そうだ、そういえば、その情報統制を嗅ぎ回っていた記者がいたみたいですが」
そうだ、消されたのではないか。そこまでやったのか?この、防衛隊が。
「ああ。秋藝の社会部の記者ですね。一時期拘束しましたが、取材の優先権をエサにして逃がしました。素晴らしいですね、カラスマさん。危険を察知して余計なことを言わないその行動。長生きしますよ」
皮肉げな笑いを唇の端に乗せるオオイ。
「やはり、あれは防衛隊からだったんですか」
無言の通話。怖いのでああいう事は今後はやめてほしい。
「それでは、ヤマシロ県警の方は?」
「そちらは放置しています。アレはアレで使い道がありますので。まぁ、発表されれば彼女も思い知るでしょう。自分が追っていたモノの恐ろしさをね」
「オオイ二佐って、結構いい性格していますよね」
彼女はあははと実に愉快そうに笑った。なるほど、女性でこの歳にしてこの階級になるだけの事はある。実に優秀な指揮官だ。
沢山の防衛官が働いている建物の中に入り、隅っこにある打ち合わせスペースに座るように促された。言われた通りに座っていると、男性防衛官がお茶を持ってきてくれた。ありがとうございますと言って受け取ったが、なんというか、非常に安い、100均で売っているような茶だった。
「お待たせしました。どうですか?わが隊自慢の茶は」
「結構なお点前で。予算不足で消耗品にも事欠くというのは本当だったようですね」
再び彼女は愉快そうに笑った。契約書を目の前に置く。
「本来、これは事務方の仕事ですが、あまりにも特殊な状況ですので。良くご確認下さい」
書かれている契約内容に目を通す。内容はほぼ、防衛官のものと大差ないようだ。立場上そうなるのは当然なので、急遽作り上げたのだろう。割と粗は目立つが、問題はあまり無い。
「俸給ですが、これは規定を見ないとわかりませんよね」
「そうですね。21号俸ですから、年収で500万と少しです。それに加えて、出動があった場合は危険手当が付きます」
普通の職場からすれば結構な額だ。市井の中間平均よりは上だが。
「危険手当の額は?」
「書かれてある通りです」
そう、こう書かれている。『被害に相当すると認められる復旧額の歩合により支払う』。これだけでは何の事か分からないが、要するに被害相当額を防げば沢山貰えるという事だ。
「抽象的ですね。民間だったら書き直せと蹴り飛ばされますよ」
「民間ではないですからね」
平然としている。これだから公務員は。
「歩合の割合はわかりませんか?」
「それは、出動した国によります。別表……ああ、そういえばこれは機密事項でした。申し訳ございません、それはお教えできません」
少し考える。国によって違う。そう、例えば、自分たちの所属する大きな国であれば、その経費と取ることもできよう。だが、それ以外の国、例えばステイツの南部諸国だとか、オセアーノ、南西諸島各国だとすれば、その金は復旧にかかる金額の予定額から出した割合を三国に対して支払う事になるだろう。
「……案外ビジネスライクなんですね。経済は戦争とは良く言ったものです」
「おわかり頂けたようで。災害は災害ですが、人員を出す方にもコストがありますので」
そのコストの一部が自分たちの俸給、というわけだ。なるほど、しっかりしているというかちゃっかりしているというか。
「いいでしょう。出来ればお金を持っている国に出てくれれば助かりますが」
「災害ですからね、どうなるかはわかりません」
貧乏な国にたかって国民が疲弊しては意味がない。人を助けるために災害に立ち向かったのに、経済で殺すことになっては本末転倒だ。だから国によって違う、という事なのだろう。
書類をよく確認してサインする。半分を受け取って、持ってきたバッグに丁寧に畳んで仕舞った。
「オオイ二佐、いくつか質問してもよろしいですか」
「なんなりと。答えられる範囲であれば」
聞きたいことは山程あるが、とりあえず一点だけ聞いておきたい。
「あの二人の生い立ちについて、です」
自分はこうなる前の記憶を持っている。だが、彼女たちは記憶喪失だという。そして、あの精神の幼さ。とても自分と同じ様に、成人男性から転換したようには思えない。
「そうですね、我々で把握している範囲であればご説明する事は可能です。場所を移動しましょうか」
彼女は立ち上がり、衝立で区切られただけの場所である打ち合わせスペースから、奥にある会議室へと誘った。扉を閉めて、先程よりは大きな机の前にお互いが座る。
「ジェシカですが。彼女は、ステイツの南部州にある農場の近くに倒れていました。そこを近くの農場主が見つけ、保護して養育しています。二年前の事です」
「……二年前?」
そんなに前から、それで、あの性格なのか。
「そうです。記憶を何もかも失った状態で倒れていたので、農場主夫婦が引き取りました。余裕のある家庭だったようですね、周辺環境は兎も角として。そして、ある程度経ってから学校に入れようと、彼女たちは近くの大きなハイスクールに見学に訪れました。そこに……偶然、現れました」
現れた。恐竜がか。
「銃で武装した教師もいたのですが、軒並み殺されました。家族を守ろうと、彼女は災害に挑みました。素手で」
「素手で!?」
信じられない。自分は鉄パイプとはいえ武器を持って挑んだ。素手で倒すなど、とても無理だと思ったのだ。
「そう、徒手空拳で、です。そして、苦戦の末にMクラスの恐竜を屠りました」
「Mクラス?いや、そもそも素手でアレを倒したっていうんですか。とんでもないですね」
とてもではないが自分に出来るとは思えない。硬い表皮に素早い動き、一撃でもまともに食らえば致命傷となるような相手なのだ。
「ああ、我々は現れた竜に、大きさで一時的にランクをつけています。カラスマさんが市役所で5体屠ったのが、S(スタンダード)クラス。ジェシカとメイユィが倒したのがM(ミドル)クラス。サクラダに出現したのがG(ジャイアント)クラスです。Gクラスが出たのは初めてですが、それを倒した貴女も初めての存在です。放置しておけば更に甚大な被害が出た事でしょう。ありがとうございます」
頭を下げる彼女に困惑する。知らない間に随分と色んな事が国家間で決まっていたようだ。それにしても。
「あの鳥モドキより大きなものを、素手で、とは。ジェシカは物凄い戦闘力ですね」
オオイは頷いた。しかし、表情は晴れない。
「倒したには倒しましたが、それまでに大きな被害が出てしまいました。少し前、合衆国の学校で銃乱射事件があったというニュースをご存知ですか?そうですか、アレです。アレの被害者は、全て竜によるものです」
ネットニュースで見た。確か40名以上が犠牲になったという話だ。たった一頭で……。
「それで……彼女の家族は助かったようですが、居心地が悪くなったのでしょう。国家の要請に、彼女は一も二もなく承諾して、ヒノモトにやってきた、というわけです」
「そうですか」
眼の前で鬼のようになり、素手で巨大なトカゲを殴り殺すジェシカを見て、引き取った家族はどう思ったのか。想像に難くない。
「メイユィは?」
あの大人しそうで可愛い彼女が、Mクラスの竜を屠ったというのはちょっと想像しにくい。一体何があったのか、どうしても気になる。
「彼女は、これは、絶対に他言しないで欲しいのですが」
前置きに頷く。そもそも央華社会共和国は情報統制の厳しい国だ。自分とて奴らのエージェントに狙われたくはない。
「彼女は、メイユィは、ホンハイの武闘派マフィア、そのボスの養女でした」
「……はぁ!?」
意味がわからない。あの、可愛らしく可憐で控えめで大人しい彼女が、マフィアの?
「彼女の最初の記憶は、路地裏のゴミ捨て場だったそうです。そこで目を覚ました彼女は、あるならず者に捕まりそうになります。本能的に必死で逃げた彼女は袋小路に追い詰められ……近くにあった掃除用のモップで、ならず者を滅多刺しにして殺しました」
「……壮絶すぎませんか?」
可愛らしい彼女の事だ。悪い奴が捕まえて手籠めにしようとしたり、どこかに売っぱらおうと考えるというのは理解できる。しかし、モップで滅多刺しにして殺すとは。
「そのならず者というのが、ホンハイを拠点とする武闘派組織の一員であり、その対抗勢力だった組織のボスが、その状況を目撃します。そのまま彼女を自分の養女として迎え入れ、ジュエ・メイユィという名前を与えました。理由は……」
「血の雨、ですか。なんというか……彼女に似つかわしくないと言うか」
朱き美しい雨、という意味の名前だ。それだけなら女性の名前として可愛いものだが、名付け理由を聞いてしまうと酷く生々しい。
「彼女の戦う姿を見ればその認識を改めますよ。兎も角、彼女はホンハイの巨大組織の娘として迎え入れられます。比較的裕福な環境で育てられたそうですが……槍を使う武術はその頃に習得したようですね」
「彼女は槍を使うのですか」
モップで滅多刺し、というところに才能を見たのだろう。
「そうです。彼女の獅子奮迅の働きにより、その組織はホンハイトップに躍り出ます。しかし、ある時、その組織の拠点とするビルに、竜が現れました」
「それで、彼女はファミリーが、と……」
聞き慣れない言葉だったが、翻訳すればそういう意味の内容だった。
「そうです。組織は竜によって全滅。任務で出ていた彼女が戻ってきた時には、総勢70名余りが全て竜に殺されていました。怒り狂った彼女は、ボスの部屋にあったレプリカの
レプリカで。いやいや、モップもそうだが、レプリカの蛇矛であの化け物を殺すとか、どういう技術をしているのだ。信じられない。あの小さくて可愛い
「そういった、央華社会党としてはあまり表沙汰にしたくない存在というのが彼女です。こちらに送り出してきたのは厄介払いの意味もありますが、きっちりと央華の戸籍を作っているところに強かさを感じますね。なので、彼女は天涯孤独です」
そういえば、マフィアの抗争で沢山の人が死んだというニュースも見た。あれは、彼女の所属していたマフィアの事だったのか。
「誰も彼も、大変な人生ですね。自分が恵まれているのではと錯覚してしまいそうです」
「貴女が、ですか?御冗談を」
何を言うのか。こちらには今現在も理解者が沢山いるのだ。恵まれているのには間違いないだろう。
「とりあえず、彼女たちの生い立ちについては以上です。貴女は現場の指揮官である以上、彼女たちの事を知っておく必要があると思ってお教えしましたが……」
「分かっています。誰にも言いません。言えるはずがないでしょう」
とてもではないが口を滑らせる事も出来ない。どれだけ酔っ払ってもこれは誰にも言わないと約束できる。というか、重すぎる。
「結構です。質問は以上ですか?では、お送りしましょう。送るのはサカキさんですけどね」
大分早い時間に戻ってきてしまった。要件は午前中で終わってしまったし、帰りにサカキに無理を言って近くのスーパーにも寄ってもらった。戻ってこられた事が嬉しくて、奮発してステーキ肉なんて買ってしまった。スジを切ってラップで包み、冷蔵庫に入れる。
荷物はそのままになっている。持っていくことを想定して纏めておいたのだが、それも必要なくなってしまった。これは喜ぶべき事だ。間違いない。
これからもあいつと一緒に暮らせる。弁当を二人分作って、朝は同じぐらいの時間に出て、先にこちらが帰ってきて夕食を作る。一緒に酒を飲みながら食べて、風呂に入って、その後は。
ぶるぶると頭を振った。待て、こんなに上手い話は無い。これは孔明の罠だ。きっと今にも緊急呼び出しの連絡があって、すぐに出撃しろと屋上のヘリポートに迎えが来るのだ。きっとそうに違いない。
しかし、いつまで経ってもその想定した状況は来なかった。
昼飯を適当に作って自分で食い、友人が帰ってきたらすぐに食べられるようにビーフステーキの準備をしておいた。
「お帰り、ソウ」
玄関を開けて帰ってきた疲れ果てた顔の友人を、笑顔で迎え入れる。
「え?ミサキ、おま、なんで?」
「ここから通って良いってさ。思ったよりホワイトだったよ」
「……マジかよ。俺の覚悟、返せよ」
「おほ、うめぇ!柔らかくてジューシィで、ステーキハウスみてえな肉じゃねえか」
赤ワインをビールのようにごくごくと勿体なく飲みながら親友が言う。
「肉はそんな良いもんじゃないぞ。焼き方に気をつければ誰でも作れるよ」
「でも、うちで親が作ったもんは硬くてパサパサしてたんだよな。高い肉買ったって聞いたから期待してたのに」
「それはまぁ、多分、下処理と熟成と焼き方の問題だろうなぁ」
「全部じゃねえの、それ」
彼の母であるハルコは、それほど料理が得意ではないという。夫が政治家という立場上、あまり家に帰って食事をすることが無かった為、あまり熟達していないというのが理由だろうが。それがフユヒコがこちらに来た時に、ただの麻婆茄子をそれは喜んで食していった理由なのだろう。
「キョウカちゃんはどうなんだよ」
「あー、師匠がアレだからな。うーん、テツさん、大丈夫かな」
「……休みの日に連れてこいよ。リンちゃんまで舌が悪くなったらかわいそうだろ」
「うん、そうする。いやあ、しかし良かった。思ったより余裕そうじゃね?」
今の所はそうだ。まだ一日も経っていないが、想定していたように毎日どこかに駆り出されるという事もなさそうである。勿論、油断は出来ないのであるが。
「まだわかんねえよ。夜中に呼び出されるかもって脅されたし。ああ、その時は屋上のヘリポート、使わせて貰うって」
「あれ、ついに使い道が出来たのか。無駄なもんだと思ってたのに」
こんな都会のど真ん中にヘリポートがあるのだ。無駄といえば無駄だが、非常時には役に立つものである。確かカワチは県庁にもあったはずだが。
「そういやさ、給料もそこそこ出るみたいだぞ。お前程じゃないけど、年収で500ぐらい。プラス歩合だってさ」
こいつはその倍弱である。命を掛けても一流企業に届かないという悲しさ。
「へぇ、結構いいじゃん。でもさ、世界中飛び回ってそれかぁ?」
「防衛隊の俸給に即してるんだと。階級は一尉ぐらいだ」
「尉官のトップでその額か……大丈夫か、この国」
防衛隊にはその他の保障もあるので一概には言えないが、命をかけるには確かに安いだろう。平和な国ならでは、とはいえ、これではなり手がいなくなってしまうのではないだろうか。
「まぁでも、これでローンの話は解決だな。……あ、しまった」
「なんだよ?」
そう、収入が増えるのは良い。しかしだ。
「えーと、戸籍がちゃんと出来たんだよ。んで、ここに住んでるのもそれで良い。で、そうなると、だな。俺は俺で稼ぐから、扶養家族ではない。世帯収入というのがあるわけで」
「あっ!ああっ!」
ソウが文字通り蒼白になった。こいつの収入は額面で一千万にギリギリ届かない額だった。それが、自分の分が合わさることで超えることになる。そう、税金である。
「ちょ、ちょっとまってくれ。それってさ、今までより、使える額が減るってことじゃね?」
「……そうなるな。すまん」
なんという落とし穴だろうか。この国の税制は一体どうなっているのだろうか。嫁が自立出来たと思ったら暮らしが苦しくなるとか、もう考えたやつは穴を掘って埋めてしまったほうが良いのではないだろうか。
世の中のパワーカップルと言われる人々は、概ねこの苦悩に直面するのだろうか。自分達がその立場になって、初めて身につまされる思いだった。
尤も、後で調べ直した所、その心配は杞憂だと気付いたのだが。
食事の後、だらだらと端末で動画を見ていたソウの尻を蹴り飛ばして風呂場に放り込んだ。あまり夜ふかしをしては次の日に差し障る。
風呂に入った後にすぐに寝るのであればまだ時間はそこまででもない。だが、自分が風呂に入った後、一線を越えてしまった自分達がする事の時間は考慮すべきだろう。
決まっている。やるのである。
風呂場で念入りに自分の身体を隅々まで綺麗にして、寝間着に着替えると当たり前のようにソウの寝室に入り込んだ。スマホを眺めていた彼は、ぎょっとしてこちらを見たが、分かっていたのだろう。枕元にそれを置いて、掛け布団をまくり上げてこちらを誘った。
「あれで最後だって思ってたんだけど」
「良かったじゃねえか。思い出が出来て」
「恥ずかしいだろうが。あんだけ覚悟決めて送り出したってのに」
ぎゅうぎゅうとベッドの上で身体を押し付け合って、お互いの興奮を高め合う。
「そういえばさ、顧問の博士が、さっさと作れって言ってた」
子供を、である。コンドームを着けていたソウは、驚いて聞き返してきた。
「重要な戦力を行動不能にするのか?なんでだ?」
そんな事は決まっている。知りたいのだ。この化け物の身体から生まれる子が、同じ能力を持っているかどうかを。そして、それ以前に人間との間に子を成せるかどうかを。
「学者の考えることはわからないよ。だから、ソウのしたいようにしてくれ。孕ませたいと思ったら……いつでも生でしていいんだぞ」
ゴムを被った彼の陰茎が、猛烈にその存在を主張し始めた。
「まだ、早いだろ」
「そうかも。でも、そう、思わなくなったら……んっ」
唐突に始まった行為に為すすべもなく、流されるままに没頭していった。
目を瞑ったままこちらを黙って抱き締めてくる相手に、こちらも腕を絡ませて応じる。密着した肌がお互いの熱を伝え、恍惚とした時間が流れる。
「良かった、ミサキが出ていかなくて、本当に」
「早いよ」
その結論を出すにはまだ早い。だが、今だけは、その喜びを分かち合っても良いのではないだろうか。
彼自身をこの身の中に感じられているうちに、そう思った。
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