スラローム
聞きたくなかったマコトの言葉
もう耳にしたくなかった咆哮
やっと仲間の痕跡を見つけるところまで来れたのに
なんで、なんで
トラ「おいおい、待て待て…ふざけんなよ…?まさかあいつ俺たちの…」
マット「匂いを覚えたんだろうね…」
いつも冷静なマットの顔も流石に女子供を引き連れた状況では青ざめている
トラ「つまりあれか?俺たちの狩りを横取りしてきたことで俺たちの匂いを辿れば
餌にありつけるって覚えたってことか?」
マット「そういうことだね…」
トラ「ふざけんなよ!?冬眠の時期だろうがなんで動いてんだよ!?」
シアン「冬を寝て越せるほどの栄養が…摂れてなかったのかも…」
マット「…!」
前世でそんな話をテレビでしていたのを思い出し、口に出してしまった
穴持たず
暖冬、もしくは冬眠前の秋に必要な栄養を摂れず冬眠を行わなかった熊
穴持たずは飢えており、凶暴で攻撃的だと言っていた
最悪だ
ただでさえ勝ち目が見えない相手だった
それを子供達を連れているこの状況で遭遇するなんて
トラ「どうすんだ?今応戦したところで死ぬぞ?」
マット「今からみんなを連れて逃げるのも無理だね」
そう。この間食事にありつけたとはいえ体力は限界がきている
固まって逃げたところで確実に追いつかれる
トラ「じゃあ散り散りに逃げるか?」
だめ。それは悪手。土地勘がないこの森で散り散りになれば
また合流するまでにかなりの時間がかかる上に、今は食料がない
生き残れる者もいるだろうが死ぬ可能性の方が高く、合流する前にまた奴に見つかる
考えてる間にどんどんあいつの気配が近づいてきてるのがわかる
このまま何もしなければみんな死ぬ
今一秒でも早く答えを出さなきゃいけないのに
なんで今、前世で動画で見た犬のスポーツのことなんて思い出してるんだ
マット「俺が囮になるからトラはその間にみんなを引き連れて逃げてくれ」
トラ「ばか!そんなことしても大した時間稼ぎにならねえぞ!」
そう。まさしく犬死にするだけだ
それじゃ意味がない。何か…何か…
途端に脳裏に浮かんでいたものが全て繋がる
シアン「お父さんたち…僕と一緒についてきて」
マット「シアン…?」
ごめんなさい。なんて説明したらいいかわからない
ちゃんと説明できればいいんだけどあいつはそんな悠長に待ってくれそうもない
荷物を漁る
マットとトラさんに渡すのは武器、俺が持つのは…
「ダメ!」とカーネに手を掴まれ止められる
カーネ「シアン!ダメだからね!そんなもの持って囮になるつもりでしょ?そんなことお母さんが許すと思う!?」
なんて複雑な表情をしてるんだ…
俺がこれからするであろうことを予知し怒っていて、魔熊に怖がっているし、その先を想像して涙が溢れてる
いつも明るくて元気なカーネ
可愛らしいお母さんにこんな表情させたくはなかった
でも俺はそれ以上に…
マット「シアン…本気?」マットがカーネとの間に入って聞いてくる
俺はそれを手に持ち無言で頷く
トラ「プルプル震えてるじゃねえか…」
うん…だって怖いもん。今まででこんなに怖い思いをしたことがない
だけどあの魔熊よりもっと怖いものがある
俺があの日、死ぬ瞬間に見たどこの誰だか知らない女の子
赤の他人を救えなかったのでさえ、あんなに嫌な思いしたんだ
今、ここにいる一緒に育ち、暮らし、笑い合った大好きなみんなを救えないなんて
それを考えただけで頭の中から血の気が引き、お腹が痛くなりそうだ
あの魔熊は怖い、だけどそれ以上にみんなが死んでしまう姿を見るのがもっと怖い
あの時救えなかった女の子の代わりと言ったらあの子に失礼だけど
今回は絶対に救ってみせる
それができないのであれば、俺は女神に選ばれ2度目の生を受けた意味がない
マットを見つめる。マットも俺の目をジッと見て
マット「…本気みたいだね」
カーネ「マット!!ダメ!ダメだからね!!」
マット「もう無理だよ。俺にはわかるからシアンの気持ち、カーネだって知ってるでしょ?この目をしたらもうやめないよ」
カーネ「あッッ……」
トラ「昔のマットも同じ目をしたな。ほんとお前ら親子はそっくりだよ!」
俺の腕を掴んでいたカーネの手が解ける
みんなの過去のことはわからない
だけど俺が、マットに似てるって言われるのは嬉しくて誇らしい
トラ「シュウうううううう!!」
呼ばれたシュウが駆け足で近づいてくる
トラ「お前がみんなを扇動しろ!できるよな?俺の自慢の息子!」
俺たち親子に対抗したってわけではないと思う
シュウは何回も首を縦にふり頷いている
でもシュウだってトラさんに似て頼りになる男だから大丈夫だと思う
マコト「シアン…」
マコト「帰ってきたらそれ返してね?」
最初、何を言ってるのかわからなかった
だけど俺の手に持っている物を指差しながらそんなこと言うから
シアン「あははははは!激励でも言ってくれるのかと思った」
マコト「ゲキレーってなに?」
ちょっと力抜けちゃった。けどなんとなく
なんとなくだけど大丈夫な気にさせてくれるからマコトはすごいよ
マコトに頷いてから振り返り四つ足になりそれを口に咥える
目指すは歩いてきた場所
そこにいけば勝機はあるはず
カーネ「絶対!絶対3人とも無事で帰ってくること!絶対だからね!!」
口にものを咥えたから返事はできない
だから親指だけ立てて「わかった」って返事をして走り出す
急いでみんなが進む方向とは逆にかけ出す
普通の囮程度じゃあいつは釣られない
だからと言って足止めしようとしても戦力差は歴然
多分目の前にある木の枝を振り払う程度の力で殺される
だからお前を釣るにはこれしかない
俺たちとってもご馳走に感じるこの匂い
数日前にセスさんが体を張って狩った時に残しておいたシカの肉
腐り始めてタンパク質が分解されアミノ酸から発生する腐敗臭
犬が最も好む匂いって聞いたことがある
お前は犬ではないけれど、空腹のお前もこの匂いは好きだろ?
だからこっちに来い
まだ少し離れたとこにいた魔熊が一旦足を止める
鼻を使いどっちに進むべきか探った後、方向を仲間たちの方から俺たちに変えた
ここまでは狙い通り
あとはあそこまで追いつかれずに走るのと
あれができるかが問題
全速力で走る
四足でこんなに速く、長く走ったことがないけど
人間とは体力が比べものにならない
それでもあいつの速度のほうが速く、どんどん距離は縮まってきている
もう少しであそこに到達できるはず
後ろについてきてくれてるマットとトラさんにここで分かれるよう目で頼む
マット「…あっちだトラ」
それだけでマットはわかってくれる
俺が進む方より右にそれ機を待ってもらう
そしてたどり着いた場所は数日前に通った竹林
もう
以前見た時よりも形相が恐ろしくなっている
空腹にくわえ、冬眠もできず、うまそうな獲物は走りまわり逃げていたんだ
相当なストレスが溜まっているんだろう
これから俺を殺し、骨の髄まで食い尽くしてやるって形相だ
だけどここで死ぬわけにはいかない
カーネ…お母さんと3人無事で帰るって約束した、マコトにもこの肉を返す約束も
だから死ぬ気でやるが死ぬつもりはない
魔熊が飛びかかってくる
それを寸前のところで方向転換し左にそれる
魔熊もそれに釣られて左にそれ追いかけようとする
が魔熊はさっきほどのスピードで走れない
俺の背中にその巨大な手が届けばそれでとどめになるのに、届かない
魔熊の邪魔をしているのは俺でもマットやトラさんでもない
数日前に通った竹林
高く真っ直ぐ伸びた硬い『竹』が魔熊のスピードを削ぎ、攻撃の邪魔をする
俺が前世で見ていた動画
ドッグスポーツの一つアジリティのスラローム
犬ってすごいって思った
人間もバイクや自動車で同じことはするが
犬の場合、とても狭いスペースをスピードを殺さずにスルスル避けながら進める
どういう動きをすべきかは頭でわかっている、だけど圧倒的に経験不足
ぶっつけ本番でやるからには頭の中に余分なものを含ませない
単調な動き。竹を真ん中にしジグザグ
前足をつけ、後ろ足がついたら体を捻り、反対側に前足をつける
それの繰り返す
失敗したら死ぬ
この竹は日本に生えていた竹より硬かった
ぶつかれば成長途中の俺の骨は簡単に折れてしまい、あいつの餌になるだろう
だけどそれはお前も同じこと
俺よりも図体がデカいお前にはこの竹はさぞかし鬱陶しいだろう
お前の力なら折れなくはないがそれでも何本も折っていれば打撲骨折は避けられない
空手や武道の達人が数本の木の棒は折れても数十を越したら根を上げるのと一緒
後ろを一瞬ちらっと見る。明らかに疲弊し弱り始めた
あいつを倒すには今が好機!というのに
今までやったことがないことをしている最中によそ見なんてするもんじゃない
ちゃんとブレーキをかけ速度を落としてから確認しないとあっさりと事故は起きる
ましてや競技で行うスラロームと違い等間隔で竹は生えていない
俺は手をつく位置を間違え肩から竹にぶつかってしまう
頭が揺れる、視界が震える。変な汗が出てきた
自分の体のどこが痛いのかも正確にわからない
『ようやくお前を殺せる』と言っているような表情で魔熊がゆっくり近づいてくる
体がいうことを聞かない
もう死ぬかもしれないっていうのに嫌に冷静なのは
一度死んだことがあるからか、それとも…
まだここでは死なないって予感しているのか
トラ「獲ったああああああ!!!!!」
マットとトラさんがあいつの死角、出会った時からつぶれていた右目側から首を狙って槍を突き刺す
「グアあああああああああああああああ」と魔熊が暴れる
お構いなしに手を振り回す
振り回した腕が一発でも当たれば致命傷になる
咄嗟に二人は距離を取って回避はできたが槍は手放してしまった
魔熊がマットたちを睨みつける
首に槍はまだ刺さっている。本来なら致命傷のはずなのに
まだ魔熊は死なないどころか殺意を増している
魔熊は刺さっていた槍を折り、標的を二人に変える
俺を含め全員が絶体絶命のピンチの状況で死がすぐそこに迫っているのに
硬直した身体とは裏腹に耳だけがピクピク動く
魔熊の唸り声、竹の笹がカサカサ揺れる音
それとは別にどこか遠くから「………ゥォォォ」と何かが聞こえる
前にいた世界でも聞いた記憶がある咆哮
ああ、これは犬の…、犬の遠吠えが聞こえる
その遠吠えがだんだん一つから二つ三つ
どんどん増えていく
マットとトラさんも気づいたみたいであたりを見渡している
そして竹の笹を踏み歩く音と共に人影が俺の前に立つ
「お前ら、久々に会ったってのにこんなバケモン相手にしてたのかよ…?」
マット「お前は…」
「おぉマットにトラ久しぶり。そこに倒れてるのはマットの息子か?そっくりだな。遠目で見たとき毛色は違うが小さい時のマットが寝てるんかと思ったわ」
トラ「お前がいるって…ことは…」
「ああ、もう大丈夫だ。お前らの家族ともあったぞ。挨拶しようかと思ったのにカーネが早く行けってうるさくてよ〜あ、そうだ。これがあればまだ戦えんだろ?」
どこの誰だかわからない人がマットたちに何か投げ渡した
マットとトラさんあとその人以外にも何人かの人たちが魔熊を囲い…
そんなに時間はかかっていないと思う
ズシンと魔熊が倒れる音が聞こえ、駆け寄ってきたマットに抱き抱えられる
マット「シアン?大丈夫?」
痛い…お父さん、大丈夫だけど大丈夫じゃないからそんな強く抱きしめないで
だけどそのマットらしい不器用な抱きしめかたに
ああ、もう大丈夫なんだって安心して
俺はそこで意識が薄く…ねむ…
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「お〜仲間と合流できるかすら怪しいんちゃう?って思うとたけど
まさかあの魔熊倒すとは思えへんかったわ
せやけどそこがゴールちゃうでスタートラインや
あの性悪女神どものせいでこれからもっとしんどなるかもわかれへんけど
頑張ってな?シアンくん」
はいお馬さん進んで〜そっち行ったら遠回りやん?
え〜?そっちがええの?まあええけど
次行く時、なんかおもろいもの売ってへんかな〜
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