第7話 幼いから


「あ、そうだ、昨晩は陛下はどこで休まれたのですか」


「どことは? 普通にハルーティと一緒に寝たが」


「え、いや、嘘ですよね」


「嘘ではない。昨夜はベッドの中で、陛下はどこにも行かないで、ずっと一緒にいてとハルーティが甘えてきて、それはそれは可愛らしかった。おかげで我はあやうく焔に焼かれるところであった。どうにか耐えたが。覚えておらぬか?」


「間違いなく嘘だってわかって安心しました」


「これは本当に嘘ではないのだがな……。だが、ハルーティよ。ああいう姿は決してほかの男に見せるでないぞ。もし見せた場合は、相手の男が焔に焼かれることになるであろう」


「もう何の話やらさっぱりです」


 宿屋の二階からおりて一階に行くと、食事処にはすでに客がおり、宿屋のご主人でもある料理人が鉄板で薄い生地を焼き上げているところだった。


 私たちに気づいたご主人は、焼き上がったばかりの生地の上に焼いた肉とタマネギを刻んだものを乗せて、赤っぽいソースをかけてから二つ折りにしたものを出してくれた。


「いただきます! これ、ソースが甘辛くて美味しいですね」

「うむ」


「何のお肉だろう。山鳥かな。塩味がいい感じですね」

「うむ」


「いろんな野菜を乗せても合いそ……ぐっ、う、ぐふっ、気管にっ、入っ……」

あるじよ、何か飲むものを頼む」


 食事が終わるとご主人にお礼を言って、窓硝子のことも伝えて、宿を出た。



 けさの村は……なんというか、随分と荒れていた。地面は踏み荒らされ、あちこちに血痕みたいな染みができている。民家の壁には傷が入り、黒く焦げたようなところもあった。


「たった一晩で一体何が……!?」


 驚いて立ち尽くしていたら、「神官様!」と声をかけてきた人がいた。


「ああ、昨日の」

 葬儀を頼んできたお兄さんだ。


「昨日は本当にありがとうございました。それよりお二人は大丈夫でしたか」


「え、えっと、何の話でしょうか」


「え?」

 お兄さんは戸惑ったように頭をかいた。


「いや、だって、きのうの夕方、盗賊の襲撃があったじゃないですか。それで神官様は大丈夫だったかなと思って」


「盗賊の……襲撃……?」

 全身から血が引いていく感覚がする。


「ハルーティ」

 陛下がそっと私の肩に腕を回した。


「陛下、きのう、盗賊が村を襲ったんですか」

「……ああ」


「そうだったんですか。私、全然覚えてない……」

「かなりショックを受けていたようだからな」


「私、子どもの頃に故郷の村を盗賊に焼かれて、両親が死んで、それでセラム教団に拾われたんです」

「そうだったか……」


 襲撃の記憶がないのはどうしてだろう。ショックだったから? わからない。こんなことは初めてだ。ずっと教団の山にひきこもって暮らしてきたおかげで、これまで盗賊と遭遇することもなかったから、自分がこんなふうに記憶を失うなんて知らなかった。


「とにかくお二人がご無事なようで良かったです。それにしても盗賊だなんて、本当にムカつきます」


 お兄さんは荒れた村を見渡した。


「悪神がいなくなって世界が平和になっても、貧しい者は貧しいまま。俺たちに救いはありません。でも、だからといって盗賊になるなんて恥ずかしくないんですかねえ」


 陛下が険しい顔で黙って耳を傾けている。


「またあいつらがやってきたらと思うと、気が滅入りますよ」


「それなら心配要らぬ。このあたりの盗賊どもは一掃した。アジトの場所も吐かせて、全て破壊済みだ」


「え、そうなんですか?」

 私が驚いて陛下を見上げると、陛下は頷いた。


「昨夜のうちに全て片付けた」


 お兄さんは深々と頭を下げた。


「昨夜は帝国の兵士たちが動いてくれたと聞きました。でもまさかそこまでしてくださるなんて。皇帝陛下、なんとお礼をいったらいいか。あ、皇帝陛下だって言ってもいいんでしたっけ? きのうは仮面をつけていらっしゃったからお忍びデートなのかと……もう気づかないふりはしなくていいんですね」


 陛下の正体ってばれてたんだ。いや、まあ、そうか。昔この村に来たことがあるって言ってたもんね。宿のご主人とも親しげに話していたし、村のどこに水車小屋があるのかとか、地理にも詳しそうだった。村人たちとは顔なじみで、みんな気づいた上でスルーしていたのだろう。この村の人たちって優しいな。


 でも帝国の兵士って? 私はあたりを見回したが、それらしき人の姿は見えなかった。もう撤収したのだろうか。

 村に残る傷跡が不安と恐怖をかき立てる。昨晩どれだけの襲撃があったのかが想像できて、胸が重くなった。何もかも焼き尽くされて、みんな殺されていたかもしれなかったのだ……。心臓のあたりがぎゅっと痛くなる。


 胸をおさえて村のあちこちへ視線を送っていたら、陛下が私の頭を真上からわしっと掴んだ。

「へ、陛下、なんですか、その掴み方は……」


「いや、やたら頭部が回転しておったのでな、つい。では、そろそろ帰るとしよう。帰りは馬車に乗るぞ。ルタ!」


 陛下が大きな声を出すと、やる気のなさそうな宰相が物陰からのろのろと出てきた。いつから潜んでいたのだろう。目がいまにも閉じそうになっている。


「徹夜明けで疲労困憊の私をお呼びでしょうか、陛下」


「馬車の手配を頼む」


「承知いたしました。他人のデートを見守るよりは楽しそうです」


「そういえばフーランディアはどうした。もう帰ったか?」


「俺ならここにいますよ!」

 宰相とは対照的に元気みなぎるフーランディア将軍が、近くの民家の屋上から飛び降りてきた。


「徹夜ぐらい俺にはどうってことないですよ!」


 他人様のお宅の屋根に勝手にのぼったらだめですよ、将軍。というか、なんで潜んでいるのだろう。きっと皇帝陛下を警護していたのだろうけれど、隠れる必要ってある? まさか一般兵たちもその辺の洗濯物の影とか樽の中とかに隠れているのだろうか。


「フーランディアは見舞金を村人たちに配っておけ。盗賊に襲われたことに対する見舞金だ」


「了解です」


「我らは馬車の用意ができるまで、もう少しデートをしてくる」


「はい、いってらっしゃいませ」


 問答無用で拉致されるときのあの肩ガッチリをやられ、私は引きずられるようにしてその場をあとにした。



☆ ☆ ☆


 川近くの木立に入ると、陛下は肩ガッチリを解除してくれた。朝のやわらかな木漏れ日の小道を歩く。ここに生えた木々はどれも同じ種類のようだから、人工的な林なのかもしれない。細長い葉っぱが風にあおられて、木漏れ日を揺らした。

 

「今回はあまりデートらしいことができなかったな。それが本来の目的であったのだが」


「本来の目的は幼馴染みを探すことですよ」


「……探さなくてよいではないか」


 声がいつになく真剣で、いつもの軽く笑うような感じが消えていて、だから私は陛下のほうを見ることができない。


「探さなくてよい」


 歩きながら指先が触れる。


「ハルーティ」


 なんだか会話が良くない方へと向かっている。私は両手で胸のムーンドロップを包み込むように握った。


「結婚しよう」


 かすかにかすれた声に、どきんとしてしまう。どうして。いつもふざけたことばかり言い合って、いつも一緒に笑っていて、それなのに急にそんな声を出すの、ずるいと思う。


「私はセラムの神官なんです。異教徒とは結婚できません」


「それは言い訳であろうな」

 一刀両断だ。


「……まだ時期が早いということなのかもしれぬな。ハルーティは幼いからな」


「私って幼いですか? 世間知らずなのは認めますが、幼いと言われるとは心外です。私が幼いなら、陛下だって幼いことになりませんか。だって私と一緒になって遊んでいるんですから」

 少しむきになって言い返してしまう。


「そなたに合わせているだけだ。我は大人の男なのだ、そなたが気づいていないだけで」


「そうでしたか」

「うむ」


 そっと盗み見るように見上げた褐色の横顔には、何か企むみたいな笑みが浮かんでいた。


「妻にしてから育てるか、育ててから妻にするか。前者がダメなら、後者でいくしかないのであろうな」


「育てるというのは……?」


「色恋のあれこれをだ。ハルーティはまだ知らぬであろう、会いたくて焦がれる夜も、嫉妬に身を焼かれる朝も。今のそなたも十分可愛らしいが、我はほかのそなたも見てみたい」


 春風が木立を通り抜けていく。木々がざわめいた。


「我の幼馴染みは、アーシャは、我にとって初恋であった」


「……はい」


「だが、それだけだ。今も好きなわけではないし、そなたのことが気になったきっかけにはなったが、それだけだ」


「……はい」


 少しの沈黙のあと、陛下が不満げな声を出した。


「ハルーティの初恋のことも教えてほしい。不公平ではないか、我ばかり話して」


「私の初恋ですか」


 語ろうと口を開いた瞬間、

「いや、やっぱりいい」と、さえぎられた。


「なん」

「言うな、聞きたくない」

 陛下はちょっと不機嫌になってしまった。理不尽だ……。



 しばらく歩いていくと、木の種類が変わった。今までとは違い、多種多様な木が生えている。下生えも旺盛だ。このあたりは人の手が入っていないのかもしれない。


 会話が途切れたことで、昨夜のことを考えてしまう。


 どうして私は何も覚えていないのだろう。盗賊のことがショックだからって、夜のことがまるごと記憶にないなんて。自分への自信みたいなものが揺らいだような、不安な気持ちだった。

 昨晩具体的に何があったのかを陛下に聞いてみようか。でも、なぜか聞きたくないという気持ちが私の口をふさぐ。唇を噛んでいたら、 陛下が優しく「どうした?」と尋ねてくれた。


「昨日の夜のことが……盗賊のことが……ちゃんと知っておいたほうがいいのかなって。過去を乗り越えるためにっていうか。でも、でも」

 言葉も頭も空回りしてしまう。知りたい。いや知りたくない。わからない。


 陛下はしばらく黙って前を向いていたが、やがて穏やかに見守るような顔をして私を見つめた。

「ゆっくりでよい。大事なことは、ゆっくり進めたらよい。慌てずとも、心の準備が整うのを待つのだ」

「待つ?」

「うむ。無理して辛いことに向き合うのではなく、自然と向き合えるようになるまで待つのだ」


「ハルーティは昨夜、心の傷が開いて、血が出てしまったのだな……。記憶を失ったのは、傷口からこれ以上血がでないように止血するようなものなのだろう。ならば無理に昨夜のことを知ろうとせずともよい。無理をすると、また血が出てしまうであろうから」


「傷が痛くてたまらないときは、我慢せずに痛いと言うがいい。全部我が聞いてやろう。痛みをどうしたら取り除けるか考えてみようではないか。だがまあ、いまは止血をしておるわけだから、焦らなくてよい」


「よいかハルーティ」


「痛くても苦しくても、それが永遠に続くわけではない。必ず良くなる。なぜかというと、そなたの隣には我がおるからだ。安心するがいい」


 少しだけ泣いてしまって、涙をぬぐったら、不思議なぐらい気持ちが落ち着いた。不安な気持ちが涙に溶けて、体から出ていってくれたみたいに。「陛下、ありがとうございます」と言うと、「そこは、陛下、愛していますと言うべきであろうな」と言って、陛下は微笑んだ。



 下生えの背丈が高くなり、膝に絡んで歩きづらくなってきた。

 そろそろ引き返そうかと話していたときのことだった。茂みの中に、鮮やかな黄色いものが見えた。一瞬、花かと思ったが、花にしては大きい。おそらく服だ。誰かが倒れている。


 ぞくり、と背筋が凍った。さっきまで胸を満たしていたあたたかなものが消える。黄色い布地の上に、白い靄が見えたのだ。悪霊だ。

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