第6話 炎の記憶

 そういうわけで、この村に陛下の幼馴染みはいないことが判明した。なぜだろう、とても疲れた気がする。

 このまま城に戻ってもいいのだけれど、また歩いて戻ることを考えると少々うんざりしてしまう。


 というわけで、もう日暮れ時も近いことだし、陛下と一緒に村に一泊することになった。いやらしいことなんか全然考えていない。陛下もそうおっしゃっている。だから問題ない。そう何一つ問題はない。


 しかし、念のために、あくまでも確認のために、夕食前に一度部屋を見ておきたいと私が言うと、陛下は嫌そうな顔をした。これは絶対に確認すべきと思い宿屋に行ってみたら、二人で同じ部屋に泊まることになっていた。


「嘘でしょう」


 予約していた部屋に入り、私はめまいを覚えた。その部屋は宿屋で一番上等な部屋で、とても広かった。宿屋の2階部分の半分近くを占めている。にもかかわらず大きなベッドが一つあるだけだった。どうして。これだけ広ければベッドを四つは入れられるはず。


「おかしいです、同じ部屋で、しかもベッドは一つだけ。どう考えてもおかしいです」


 いたずらがバレた子どもみたいな顔で笑っている皇帝陛下に抗議しながら、ふと足下に目をやった。床にたくさんの家具のあとが残っている。これって多分ベッドを置いていた跡だろうな。つまり本来この部屋にはベッドがたくさんあったのを、わざわざ移動させ、ベッド一つだけの部屋をつくったということに違いない。

 この動かぬ証拠を突きつけても、陛下はすっとぼけ続けた。


「宿は予約でいっぱいだったのだ。この部屋しか空いていなかったのだ。ベッドのことはよくわからぬ」


「嘘! それ絶対嘘ですよね。皇帝が嘘ついていいんですか」


「もちろんいいぞ。正直が美徳であることは認めるが、ばか正直な人間に皇帝など務まらぬ」


「それって犯行を認めたも同じですよ。空き部屋はないか、宿の方に相談してきます」


「待てハルーティ!」

「待ちません」


「いいから待て!」

 いつもとは違う厳しい声色に、私は足を止めた。


「陛下?」


 陛下は大股で窓際に寄ると、叫んだ。

「ハルーティ、しゃがめ!」


 窓硝子の割れる音とともに、しゃがんだ私の頭上を一本の矢が射貫いた。

「な……!」


「立つな! 伏せていろ」


 矢が次々と部屋に打ち込まれる。その後を追うように、外から甲高い笑い声が聞こえた。


「な、何これ……」

 壁のほうに避難していた陛下が、身を低くして外の様子をうかがった。


「おそらく盗賊だろう。この村は襲撃されているようだ。ここから見えるだけでも5人はいる。建物に火をつけられるかもしれぬ。急いでここを出るぞ」


「と……うぞ……く……?」


 一瞬にしてあの日の記憶に連れていかれた。村が焼ける光景で頭がいっぱいになる。目の前が何も見えなくて音なんか何も聞こえなくて、だけど心臓がうるさいぐらいに鳴っていることだけはわかる。膝が震えて、指先は冷たいのに手のひらは汗で気持ち悪い。床に両手を突いた。体に力が入らない。黒い煙と悪臭にえづく。


「ハルーティ? どうした。さあ、逃げるぞ」


 陛下が身をかがめたまま側に来てくれた。私の頬に手をあてる。


「一体どうしたというのだ。ハルーティ、我の目を見ろ」


「え……目……?」


 のろのろと顔を上げて、青い目を見つめる。しかし輪郭がぼやけている。目にたまった涙がこぼれ落ちて、少し視界がはっきりした。陛下が息をのむ。


「……いいか、よく聞くがいい。我があやつらを迎え撃つ。ハルーティはここでじっとしているのだ。できるな?」


「……」


 何を言われたのか、頭がぼんやりしてよくわからない。燃えている。村が燃えているのだ。ああ、早くお母さんとお父さんのところに行かなくては。お母さん、どこにいるの。


 ぎゅっと抱きしめられた。陛下はすぐに身を離すと、部屋を出ていった。扉がしまるぱたんという音を遠くで聞いた。


「何……これ……何だっけ、これ……なんだっけ……」


 私、今何をしているんだっけ?

 どうして体がこんなに震えているのだろう。


 ドアの向こうで、怒声と激しく何かがぶつかる物音がした。心臓がすくみ上がる。私は頭を抱えて縮こまった。何かが燃えている。悲鳴が聞こえる。硝子が割れる音がして、再び焔の気配。自然の火ではない。神様の火だ。すぐ近くにある。


「神様……太陽の神様の焔の……におい……?」


 何だっけ、私も何かできることがあったような……。ああ、そうだ、神様だ……。助けて。両手を組み合わせて祈る。助けて。助けて。お願い神様。太陽の神様。もう何も要らないから。新年のプレゼントも綺麗な靴も要らないから、お父さんとお母さんを助けて。

「どうして……助けてくれないの……」

 父と母の面影が、闇に溶けた。



☆ ☆ ☆


 誰かに頭を撫でられている。時折頬に当たる手のひらがあったかい。


「陛下」

 ぼそぼそと話し声が聞こえる。


「あたりの討伐は完了しました。生き残った盗賊たちは捕らえてあります。夜明けを待って城へ連行し、牢へ入れる予定です」


「いや、殺せ。ハルーティを悲しませるものなどこの世に存在する必要がない。アジトごと全て消し去る」


「しかし……」


「フーランディア。盗賊を牢に入れて、その後どうするのです。しばらく食わせてやって釈放して、それで? また盗賊に戻るだけですよ。盗賊といっても、ああいう連中はただ盗むだけじゃない。村を破壊し、力なき人々を蹂躙するのを楽しむ、どうしようもないゴミなんですよ。生かす必要がどこにありますか」


「でも、あいつらだって心を入れ替えるかもしれないじゃないか。ルタは冷たすぎる」


「そういう議論はよそでやれ。ハルーティに聞かせたくない」

 静かで、だが反論を許さない声だ。二人は足音を立てずに部屋を出ていった。


 体がふわふわしている。抱き上げられて、移動しているようだ。柔らかなものの上に降ろされ、体が沈み込む。

 頬を撫でられた感触。ベッドのきしむ音がして、背後から熱に包まれた。首に吐息がかかり、体がびくりと震えた。


「大丈夫だ、おかしなことはせぬ。サーニスラ神に誓ってもよい。もしよこしまなことをしたのならば、この身は焔に焼かれることだろう。だから、安心して眠るがよい。さあ、目を閉じよ」


 まぶたを撫でられ、そのとき初めて私は目を開けていたことに気づいた。

 目を閉じて、暗闇の中で考える。

 何か……変じゃない? 胸がもやもやする。何か大変なことがあったような……。


「いつも楽しそうにしているそなたしか見たことがなかった。でも、それが全てではなかったのだな」


 陛下の声がすぐそばで聞こえる。心臓に直接話しかけられているみたいだ。


「我は誓おう。そなたを悲しませるものを消し去ることを。そして毎晩語って聞かせよう。世界はことごとく平和で、何も心配はいらないと。村では人々が笑い、花が咲き、子どもたちは穏やかな気持ちで眠りにつくのだ。誰もが何にも脅かされずに平和に暮らすのだ。それをそなたに見せてやろう。そなたがもう悲しまずに済むように、そなたが笑って楽しそうにしていられるように」


 こめかみにキスされる感触がした。


「邪なことをしたら焔に焼かれるはずでは?」


 私はなぜかそんなことを言っていた。


「……ということは、これは邪なことではないのだろう」

 もう一度キスが降ってきた。



☆ ☆ ☆


「朝だぞ、ハルーティ」

「はっ!」


 ベッドから飛び起きて、慌ててあたりを見回す。ベッド脇に立って私の顔を覗きこんでいた陛下は、どこかきまじめな顔をしている。窓から差し込む光が眩しい。いつのまにか朝になっていたようだ。……あれ、窓が変だ。


「窓硝子がないんですけど、昨夜に何かありましたか?」


「……。ああ、これか。もとからなかったぞ」


「そんな馬鹿な。雨が降ったらどうするんです。部屋に雨が降り込んでしまいますよ」


「では、宿の主に窓硝子をとりつけるよう助言しておくとしよう。朝食は食べられそうか?」


「もちろんです。すっごくおなかが減っています。なんでかな」


「夕飯を食べずに寝てしまったからであろうな」


「なんて……ことだ……」

 一日三食を大事にしている私がなぜ。

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