第8話 一件落着……と思いきや
「どうした、ハルーティ。……なんだ、あれは。黄色い服? 人が倒れているのか」
陛下が近づこうとしたので、慌てて手を掴んで引きとどめた。
「いけません、陛下。あれは……」
黄色いものが動いた。いや、立ち上がった。その顔には見覚えがあった。
「あなたは昨日の……」
亡くなった方の奥さんだ。悪霊に取り憑かれていた。退治したのに、また別の悪霊に憑かれてしまったのか。どうしてこんな立て続けに。
奥さんはうつろな表情でこちらへと足を踏み出した。私に向かって両手を伸ばす。私を殺そうという意思と、私に救いを求める意思、その両方を込めて、必死に手を伸ばす。それは悪霊の意思だった。神官に対する悪霊の相反する感情。
「様子がおかしいな」
「陛下、少し時間を稼いでいただけませんか。あ、でも彼女を傷つけないようにお願いします」
「わかった」
説明もなく承諾してくれたことに感謝しながら、私は女神セラムに祈りを捧げる。きのうも使った神聖魔法、悪霊を直接冥界送りにする<霜を踏むように命を送る>の祈りの言葉を呟きながら、ゆっくり後退する。
私に向かってくる彼女を陛下が押しとどめてくれた。彼女は陛下を殴ろうとしたり噛みつこうとしたりしているが、陛下は素早くかわしている。
女神セラムよ。
祈りが私を満たしていく。
そのとき悪霊が彼女から離れた。取り憑くのをやめた!? みるみる靄が濃くなっていく。実体化して、触れるだけで凍死する魔法を使う気だ。それも陛下に対して。小さな裂け目のような口と目を引き延ばして、悪霊が笑う。私の焦りを感じ取ったのだろうか。背中を汗が伝うのを感じた。悪霊が完全に実体化する前に神聖魔法を発動しなければ。
陛下が悪霊に向かって手を突き出して焔を放った。もう陛下にも目視できるほど実体化している。だが、火球は悪霊の体を通り抜けてしまった。靄の白さが濃くなっていく。奥歯を噛みしめた。
手をぎゅっと強く握りこみ、私は最後の祈りの言葉を捧げた。<霜を踏むように命を送る>が発動。空中に黒い穴が生じる。
ばきばきと何かが砕けるような音とともに、悪霊が穴に吸い込まれていった。
ふらりと倒れ込みそうになった彼女を、陛下が抱きとめる。
「良かった、間に合ったあ……」
あたりは凍えそうなほど気温が低下していた。その冷気に安堵する。
女性はすぐに意識を取り戻した。
「あ、あら、私、一体どうしたのかしら」
「え、えっと、そこの茂みで倒れていたのを、たまたま通りがかった私たちが発見しまして」
「ええ? いやだわ、私ったら、またやってしまったのね」
「また?」
なんだそれは、聞き捨てならないぞ。
「ええ、このあたりには傷薬の材料になる薬草が生えているんです。きのうは盗賊の襲撃があったでしょう? それで怪我人が出たから、薬草を摘みにきたんですけれど……。実は前に薬草を摘みにきたときも、私ったらこのあたりで倒れてしまったんですよ。今回もまたやっちゃったのね」
やっちゃったというか、憑かれちゃったというか。
「前に薬草を摘みにきたのは、夫が怪我をしてしまったときでした。それで傷薬をつくろうと思ったんです……」
奥さんは激しくまばたきした。こぼれそうになった涙を乾かそうとするかのように。
「でも神官様に見つけていただいて良かった。ずっと茂みに倒れていたら風邪を引いてしまいますもの。前回もそれ以来ずっと体調が悪くて。あ、今は調子が良いんですけどね。本当にありがとうございました」
去っていく彼女を見送ってから、私は陛下にそろそろと切り出した。
「あの、陛下……?」
「なんだ」
「このあたりって、多分ですけど、人がモンスターに襲われたり、あるいは盗賊に殺されてしまった現場、そういうところなんだと思います。そういう場所は悪霊のたまり場になってしまいます」
人知れず殺されて恨みを残した魂は悪霊となってしまうことが多い。つまり悪霊はもとを辿れば人なのだ。だからこそセラム教にとっては、悪霊もまた救済の対象なのである。救済のくせに「退治」と言って、倒しちゃうのもどうかとは思うが。
「悪霊はまだほかにもいるかもしれません。薬草摘みに来た人たちが取り憑かれてしまっては困りますので、このあたり一帯の悪霊を退治してから帰りたいんですけど、いいでしょうか」
陛下は、すっと表情を消した。
「我は構わぬ。だが、退治したところで金にはならぬし、事情を知らぬ村人も感謝はしてくれぬぞ」
「だからといって放置できます?」
がばっと陛下が抱きついてきた。
「はっ? え? 陛下?」
「それでこそセラムの神官殿だ」
なぜ陛下が喜んでいるのかよくわからない。でも、ちょっと嬉しい気がした。
☆ ☆ ☆
夕暮れの中、馬車はゆっくりと進んだ。結局悪霊退治に夕方までかかってしまった。悪霊はほかに4体いたが、全部退治したので、もう安心だ。
馬車にともに乗り込んだ男性三人は既に夢の中だ。きっと疲れていたのだろう。徹夜だと言っていたし。
話し相手もいなくて退屈な私は、皆さんの顔を観察させていただくことにした。
目の前に座るフーランディアは、起きているときのほうが童顔がきわだつ。こうして目を閉じて、人懐こそうな茶色い瞳が隠されてしまうと、わりと年相応に見える。ふわふわの金髪はひよこのようだ。
隣に座っている陛下は褐色の肌が滑らかそう。生まれつききめの細かい肌質なのだろう。羨ましい。目を閉じていると、ちょっと怖い顔をしている。人相が悪いわけじゃない、それどころか整った顔なのに、怖い感じがするのだ。目を開けたら優しい顔なのだけれど。それはつまり私を見ているときは優しい顔をしているということなのかなと考えそうになって、慌てて思考をストップした。
斜め前に座っているルタは、頬が少し赤かった。多分日焼けしたのだろう。雪のように肌が白いのは、もしかしてふだんはあまり外に出ないせいなのかもしれない。いやでも悪神を倒す旅には同行していたんだっけ。そういえば雪山で会ったときも色白だった。じゃあ、日焼けしても赤くなるだけで焼けないタイプなのかな。そんなことを考えていたら、ルタの目がばちっとあいた。青みがかった黒い瞳が、じろりと私を睨む。
「人の寝顔をそんなに熱心に見つめるものではありませんよ」
「す、すみません。皆さんがあまりにもお顔が整っていらっしゃるものだから、つい」
「ますます無礼ですねえ」
ルタは鼻で笑うと、自分の肩をもみほぐしながら、
「ハルーティ、調子に乗っていられるのも今のうちです」などと言い出した。
「はい?」
「近々、サーニスラ教団から神官がやってくる予定です。おそらくセラム教団に対抗して陛下に取り入るつもりなのでしょう。愛らしくて家柄も申し分ない、光り輝くような美しい乙女を寄越してくるはずです」
嫌味っぽく笑う。
「ライバル登場ですねえ」
「くうう」
私が唸ると、呆れたといわんばかりに溜息を吐いて、目を閉じた。
「不満ならすぐにでも結婚を承諾したらいいじゃないですか。こういうのは早い者勝ちなんですから」
「いや、それは……」
「皇帝の妻になれば、セラム教団への資金援助も容易になると思いますよ」
確かに結婚するのが一番手っ取り早いのかもしれない。だが。
「そんな下心で結婚するなんて陛下に失礼でしょう。できません」
そもそも陛下と親しくなって寄附金をいただこうと狙っている時点でどうなのかという話ではあるのだが、結婚ともなると陛下の人生に影響を与えてしまう。さすがにやりすぎだ。
「たしかに教団への寄附は欲しいですが、だからといって私は何でもやるわけではないです。これでも自分なりに線引きしています。陛下を騙したり、本音を隠したりはしません」
だから寄附金狙いなのは伝えているし、色仕掛けは一切してこなかった……してこなかったはずなのだが……どこかで何かがおかしくなってはいるけれど故意ではない。でもこんなの言い訳かな。
「馬鹿ですねえ……」
そんなことを言うくせに、ルタはどこか満足げに息を吐いた。
「もしもの話ですが」
再び目を開けて、馬車の天井を見上げながらまるでひとりごとのように続けた。
「サーニスラの神官が性格の悪いクソ女であったならば、私はあなたに味方してもいい」
「……もしサーニスラ教の神官の性格が良かったら?」
「それ、聞く必要ありますか?」
ルタは大きなあくびをした。
☆★☆★☆★
翌日、ハルーティはエミナの仕事部屋を訪問した。お菓子と土産話を携えて。
「こんなことがあってね……」
エミナはハルーティの話に相づちをうちながら、宿屋の亭主兼料理人のお手製の菓子をいただく。果実で色づけしたメレンゲ菓子は、口に入れるとフルーツの香りとともにとろけてお茶によく合った。噂どおりの腕前だ。
ひととおり話し終わり、ハルーティが部屋を出ていくと、エミナは引き出しから一冊の本を取り出した。表紙に書かれた題字は、『皇帝と神官の恋愛譚』だ。この本にはハルーティから聞いた話やフーランディアやルタから仕入れた皇帝の個人情報などをまとめてある。
「ハッピーエンドを約束してね、ハルーティ」
本の表紙を撫でながら、エミナはつぶやいた。
「だって、そうじゃなきゃ、きっと本が売れないから」
ページを開き、先ほどハルーティから聞いた話を書き足すと、再び本を引き出しにしまった。
「それにしても、陛下の幼馴染みのアーシャという名前。最近どこかで聞いたような……」
しばらく考え込んでから、あ、と、声を上げた。
☆ ☆ ☆
こつ、こつ、と靴音が謁見の間に響く。
大勢の人々が見守る中、鮮やかなオレンジの神官服に身を包んだ彼女は、玉座の前まで進み出た。
「サーニスラ教神官、アーシャ・フィンテスです。どうぞよろしくお願いいたします」
食い入るように彼女の顔を見つめている皇帝陛下に、彼女は微笑みを返した。
「マジかよ、ハルーティにそっくりすぎるだろ……」
フーランディアの呟きは、けっして大きな声ではなかったのにもかかわらず、謁見の間にいやに響いた。
<第一部おわり>
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