ブラックベリーシンドローム

ブラックベリーシンドローム

「ブラックベリーシンドローム。それがひどい頭痛の原因です」


 医者が俺の脳のMRI画像を見せながら言った。脳の一部が黒くなっているのがわかった。


「どんな病気なんですか」


「ブラックベリーシンドロームは、脳が少しずつブラックベリーに変わっていき、数ヶ月で死に至るという後天性の奇病です。原因や治療法は見つかっておらず、患者は死を待つことしかできません」


 死に至る。医者にそう言われた時、俺はまったく実感が湧かなかった。まだ二十一歳だというのに、あと数ヶ月で死ぬというのか。そう思うと、俺はだんだん恐ろしくなってきた。

 まだ死にたくなかった。死ぬわけにはいかなかった。


 俺はくずだ。俺が死ぬ運命にあるのは、当然の報いなのかもしれない。だが、たった一つだけやり残したことがあった。


 俺は高校を卒業してすぐに上京した。現場作業の仕事に就いたのだが、現場監督を殴って怪我をさせ、逮捕されてしまった。どうして殴ったのかと聞かれても、何となく態度がムカついたからとしか答えられない。

 俺は懲役刑になった。ニ年という、長いのか短いのかわからない刑期を終え、社会復帰を果たそうとした。だが、そう簡単に仕事が見つかるはずもなく、途方に暮れてしまった。それでも、実家に帰るという考えは毛頭なかった。


 そんな俺を救ってくれたのがエミという女だった。しかし、エミは半年前、突然俺の目の前から姿を消した。


 俺はエミを探す旅に出ることにした。

 俺はまず、エミがバイトとして働いている古着屋に行った。店員にエミのことを聞くと、彼女は長野県の実家に帰ったのだと言った。


 長野まで行くには車が必要だった。だが、俺は車など持っていなかったし、金もないからレンタカーを利用することもできなかった。そこで、俺はヒッチハイクをすることにした。

 俺は下道から徒歩で入れるサービスエリア行って、そこでヒッチハイクをした。俺は何かに蝕まれるような頭の痛みに耐えながら、何度も駐車場に停まっている車に話しかけた。半日以上かけて、ようやく長野まで連れて行ってくれる車を見つけることができた。


 俺は車に揺られながら、エミと出会ったときのことを思い出していた。


 ある日、俺は適当に選んだ家で空き巣に入った。金目の物はないかと探っていると、家主の女が帰ってきて、俺と目があった。

 俺が焦って窓から飛び降りようとすると、女は「待って」と言った。それから、慌ててクローゼットの中に入って行き、金を握りしめて戻ってきた。


「あなたお金がないんでしょう?これを持って行くといいわ」


 俺は困惑した。女の言っている意味がわからなかった。

 女はさらに俺に近づいてきて、金を押し付けてきた。彼女は泣きそうな顔をしていた。それは恐怖からではなく、憐れみからだった。


「私はあなたのような人を悪者だとは思わない。あなたは被害者なのよ」


 俺は何も言えず、金を受け取って逃げた。そのとき俺は、俺のようなくずがいるということは、あの女のような聖者もいるのだと思った。

 後日、俺は女から貰った金を持って、空き巣をした家に行った。玄関のドアを叩くと、あの女が出てきた。


「あんたに貰った金を返しにきたよ」


 俺たちは一緒に飯を食いに行った。女は俺と同い年で大学に通うために上京して一人暮らしをしていた。それから、俺たちはよく会うようになり、気づけば愛し合っていた。エミは俺のような金のないくずを好きだと言ってくれた。


 ーーけれども、今の俺とエミの間には壁ができてしまっていた。些細なことが積み重なり、それがいつの間にかに大きくなってしまっていたのだ。お互いが少しでも歩み寄ろうとすれば、今のようにはなっていなかっただろうと思う。


 俺は数時間かけ、エミの地元である長野県に着いた。エミから地元のことは詳しく聞いていたので、そこからはあまり時間はかからなかった。

 俺は向かった。エミがよく話していた、まるでヨーロッパのような、美しい景色が広がるあの丘へ。

 不思議と頭の痛みは無くなっていた。エミに会ったら、約束してもらおう。俺が死んだら、完全にブラックベリーになってしまった俺の脳を取り出して、あの丘に埋めてもらうんだ。

 そうしたら、夏頃にはきっとるだろう。ブラックベリーの黒くて小さな実がーー。

 

 


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