第44話

 そして今。


「うわああああああ!」


 野生の雄叫びをあげ、草の蔓ならぬ鋼の鉄球に跨がった狂えるターザンと化したタイトが、何回目かの突撃を敢行する。


(くそ!こんな所でガキの癇癪で死んでたまるか!)


 字実野は、侮っていた。糸が視えるだけの高校生二人組に、自分が遅れをとるわけがないと。

 ここに追い込んでしまえば、自分の想定の範囲内で物事は推移するだろうと。

 あの数日の邂逅で、二人の身体能力、性格、諸々のパーソナルは把握出来ていると。


 それが、だ。

 マキは糸視能力者としての切り札を隠し持っており。

 自他戦力と環境を的確に捉え、玉砕覚悟の作戦を取ってきた。

 だが、それだけではない。


 マキという少女が一癖もふたくせもありそうなのは解っていた事だし、隠し球といってもせいぜい糸に関われる事に留まるのが糸視能力の限界だ。

 この城に入り込んだ段階で、字実野がマキに負ける可能性は無いといっても過言ではなかった。


 しかし、彼はもうひとつ読み違えてしまった。

 マキの事だけなく、よりにもよって、己がその力を欲し、それでいて先頃度胸のない腰抜けと見限ったそのタイトに、マキを巻き込んでの死なばもろともの覚悟等、あろうはずがないと。

 考えもしなかったのだ。


 字実野は足元を見る。あちこちが軋んだ嫌な音を立てている。

 増長し淀んだ眼でみた結果が、これだ。糸は視えても現実は見えていなかった、そういう事だ。いや、そもそももっと冷静になれば「違う糸」も視えていたかもしれない。


「くそ。何が糸を有効に使える、だ」


 だが字実野はここで死ぬつもりはない。

 さっと踵を返し崩壊するであろう廃屋から脱出を試みる。


 幾ら古いと言っても、鉄筋の入った工場跡だ。

 解体途中で野晒しにされていたここが、風雨の浸食で脆くなっていたとして。そこに衝撃が加わった事で崩れ落ちるとしても、建物全体急に粉微塵になる訳もないだろう。


 可及的速やかにこの場を去れば問題はない。

 貴重な糸視能力者の若者を、手勢に加える事なく死なせる結果にはなってしまうが、命あっての物種だ。


(あばよ)


 振り向きもせず、タイトに向かって今生の別れを済ませた字実野が走り出そうとしたその時。

 何か得体の知れない強烈な力に足をとられてしまい、軋み揺れだした足場の不安定さもあって姿勢を崩して倒れこんでしまった。


(は…⁈)


 己に何がおこったか。

 見れば、血塗れの肉塊が、ナメクジが這った跡の如く血の道を作りながら字実野迄忍び寄り、その足首をがっしりと掴んでいる。


 マキだった。

 その瀕死の小さな身体の、どこにそんな力があったのか。

 息も絶え絶え、さながら骸そのものの様にその場に倒れ伏すしかなかったマキであったが。

  タイトが自分の計画通りに動き出し、字実野がその事態に気を取られたその隙を見逃さず、マキは残った力を振り絞って忍び寄ってきた、そうなのか?


 いや、違う。自らが圧倒的な暴力に屈し嬲り者にされる最中も、「この時」が来る事を信じて、力を温存していたのだ!!


「このクソガキがああああああああああああ!!」


 それが、字実野がこの世で放った、最後の意味ある言葉だった。


「うおああああああああああああああああああああああ!!!!」


 これまでで最も大きく。最も永く。最も熱い咆哮を上げると、 タイトは最大加速で突撃をかける。


 瞬間。

 三人の世界は噴煙と、轟音に包まれた。


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