第42話

「うわああああああ!!」


 今や時代錯誤の狂えるターザンと化したタイトは字実野だけでない、瀕死のマキも倒れているその区画へ、狂気の特攻を仕掛けてきている。


「くそ!相討ちを狙ってだったか!」


 字実野が今回の計画で一番見誤ったのはこの点である。

 マキは、字実野の想定する以上に冷静に戦力差を把握していたのだ。





 話はタイトとマキ、二人がこの区画へ追い込まれた時点へ遡る。


「あらほらよっと!」


 なんの躊躇もなくひび割れたコンクリの足場からジャンプしたマキは、まるで曲芸の猿の様な身のこなしでクレーンの先端部…鉄球へ取り付くと。

 そのままゆっくり重心をコントロールし振り子運動をする事で、鉄球に乗っかったままタイトの前迄戻って来た。


「タイト。手を出しなされ」


 片足を鉄球に引っ掛け、もう片足の爪先でかろうじて床と接しながら、か細い腕をこちらに伸ばして来る。

 タイトの希望の様に、ここから二人で脱出するつもりだろうか?


 だがマキはともかく、タイトにクレーンのアームを伝って降りる様な芸当など出来ようものか。

 それでも蜘蛛の糸にすがるカンダタの如く、これからの不安と女の子の手を握る事への緊張感から恐々とマキの小さな手を掴む。


(そういえばカンダタ、あいつも糸に翻弄された奴だったか)


 そんな事を考えながら鉄球に片足を乗っけた時である。


「ほいさ!」


 マキが素早く「陸」に上がると引き換えにタイトの腰をぐいっと押し込んだのだ。


「うわわわわわわ!!」


 突然の事に姿勢を保つのが精一杯なタイトは、マキに押された時の勢いも手伝って、揺れの大きくなりだした鉄球の上に取り残された。


「お…おい!こ、こんな所に俺を残してどうするつもりだよ?」


ここから逃げるつもりでいた事を、すっかりと忘れてタイトは声を荒げ咎めるが、そんな事に動じるマキではない。それが


「あんまり騒いじゃダメですぞ。計画がパーになるじゃん」

「は…?」

「タイト君。君はここで囮になりなさい」

「はあああああ!?」

「だから声大きいって。タイト、落ち着きなよ、オッサンに気付かれたら台無しぢゃん」


 しかし、地上数メートルの高さにあるクレーンの先端部に乗せられて、そのまま囮になれなんて言われては動揺するなという方が無理である。


「キミをそこに置いたのは一番目立つし、何よりそこならあのオッサンでもすぐに危害を加えられないだろうって事」

「なななナニ?」


 怪訝な声を出すしかないタイトを放置して、マキは入り口にあった資材やら廃材のガラクタの山に歩み寄る。


「あのオッサンの狙いはタイトだかんねー。とにかく注意を引き付けて置いて欲しいんよ」


 言いながらマキは、アルミ様の蛇腹になった太いパイプを持ち上げ、軽く左右に振る。埃を舞い散らせながら頼り無げにぶらぶらとパイプが揺れる。

 マキは頭を振るとそれを放って近くの別の何かに手をのばす。


「お…おい、お前まさか本当に」


 腐ったベニヤ板に眉を潜めながらマキが返事をする。


「おう、ここで決着を付けるのだよ」


 今夜、いや今日、いやマキと巡りあってから一体何度目の驚愕か。


「無理だろそんなの!お前だってあのナイフの腕前見たろ?ここで投げられたら俺はどうすればいいんだよ?」


 マキの事よりまず自身の保身を優先してしまう。その性根の卑しさを自覚して、そんな言葉が口をついて出た事を悔やむタイトであったが、既に出てしまったものを今更ひっこめる訳にもいかない。

 当のマキの方はといえばそれを意に介する様子もなく、引き続き廃材の山を引っ掻き回している。


「だからタイトが目的なんだから優先的に危害を加えては来ないってば」


 その表情には、これから力の差の歴然とした敵と命のやり取りをするにあたっての決意や悲壮感はまるでなく、あたかも汚れた部屋の掃除をするかの如く、至って平素のマキの顔だ。

 それが、事態を呑み込めない、呑み込まずにいるタイトの苛立ちを加速させる。


「なんでだよっ!?なんで今ここでなんだ!?あの人をやり過ごして、警察にいくとかそういう選択肢はないのかよ!」


 何に使用したものなのか、画板程の面積があるベニヤの合板を拾いあげるマキ。

 腐っていたのか持った部分からそれが割れるのを見てとると、また別の個所を漁りだす。


「うんとさ、タイト。前も話したけどさ、アタシね、こんな奴だからさ、割りと危ない人達とも関り合いになってきたのよ」

「…またその話かよ」


 この期に及んで今更昔語りとは何のつもりだろうか。


「まあ聞いて。過去のアタシの経験則から考えるに、あの類いの素行の悪い輩はすこぶる諦めが悪いんよ。

決めた事が思い通りに進まないのを、面子が潰されたと思うみたい」

「…だからなんだよ」


 一生懸命ワイヤーにしがみつきつつも憮然とした態度を崩さずに、タイトがマキへ話の続きを促す。


「今ここでうまく逃げられても、絶対に諦めず付きまとわれるよ。

警察もさ、正直こういう状況で役に立ってくれた記憶ないんだよね…

余程状況証拠が残っててとか、或いは現場を抑えてたとかなら話は別なんだけど」


 マキはそう言うとガラクタを引っ掻き回す手を一旦止めて大きく延びをする。

 ついでに欠伸もでる。無理もない、普通ならとっくに床に就いてる時間だ。


「そしてさ。今はアタシら二人だけで事に片がつくレベルだけれど、ここで逃げて誰かを頼れば、その人達に迷惑がかかるよ?

迷惑がかかる位で済めばいいけれど、タイト。キミを引き込む為に、タイトの家族の安全を交換条件に出して来ないとも限らないんだよ、従わなければただでは済まない、てな感じにね。

そういう、目的の為なら手段を問わない人間に、アタシ達は関わっちゃったんだ」


 字実野が両親を人質にとる。そんな展開、考えもしなかった。

 いや、彼女の話の通りなら、そして、あの老人を殺害した手際から想像するならば。

 字実野がタイトを自身の手駒とする為に、周囲の人間を手当たり次第に巻き込んでいく可能性も否定出来ないのだ。


 そしてそれでも尚タイトが頑なに拒絶を続ければ、極めて巧妙に危害を…もしかしたら命をも奪っていくかもしれないのだ。その、ドローン大会の関係者の様に。

 タイトは両親が、そして、この間ようやく関係が修復し始めたクラスメイト達が、惨たらしく殺されていく光景を想像すると、そのイメージを振り払うかの様に激しく頭をふる。

 しかし、だからといって。


「…じゃ、じゃあどうするんだよ!逃げてもダメ、警察もダメ、他人を巻き込むから自分達で解決しろと!?無理だろこんなの詰みだろ!」


 打開不能な状況を再び意識せざるを得なくなった、その怒りをマキへぶつけてもしょうがない。

 そうは解っていてもやり場のない怒りは棘のある言霊となってタイトの口から絶え間なく飛び出していく。自分がマキをこの状況へ巻き込んだ事、それを理解しながらも。


「うん詰んでるわ間違いなく。でも、だからってさ。

例え結果がどうなろうとも、今ここでやれるだけの事はやっておきたいんよ」


 マキは廃材の隙間に手を伸ばし、金属バット程の長さがある角材を引っ張り出した。

 何をどうやったらそうなるのか、中途半端に打ち付けられた長めの釘がさながらメイスか金棒のごとき威容を誇っている。それを両手で構え一回、二回と振るってみると頷くマキ。どうやらお気に召した様だ。


「うん、これのフルスイングを脳天にぶちかませば、さしものオッサンも只では済まんに違いあるまい!」


 例えそれを振るうのがマキだとしても、あれをまともに喰らえば確かに字実野とて無事では済まないかもしれない…


「…って、おいマキ、そんなの頭に喰らって当り処悪かったら、その、万が一…し、死んじゃったら!」

「タイトくんタイトくん、アタシの話聞いてたかな?

そりゃアタシだって命まで取ろうって思っちゃいないよ。でも、手加減なんてのも出来やしない。アタシとあのオッサンが闘って、その時そんな余裕なんて、万に一つもあると思う?」

「…ごめん」


 少なくとも、女の子に危険な橋を渡らせておいて、自身はクレーンの突端で腰砕けになっている奴の言えた台詞ではない。

 同時に、マキがその、すらも想定の内にいれているとあって、始めて彼女を恐いとも思う。


「何を言ってんのさ、話したじゃん、タイトにはそこで囮になって貰うのが一番だって。それにね」


 その内に秘めた感情が表面に出てしまっていたのか、異界の生物を見る様な青ざめた顔でこちらを見るタイトに、マキはウインクしつつ親指を立てて見せる。


「さっきの会話からタイトも解っているんだとは思うけど、アタシがあのオッサンを殺す…ううん、多分、傷付けるのも厳しいかもしれないんよ。

まー!アタシの図太いんはタイトもよく知ってるしょ?ワンチャンあるある!!」

「マキ!やっぱり逃げよう、そうすべきだって!なんだって、そこまで悲壮的になるんだよ!」

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