第39話
「マキイィィィィッ!」
タイトの悲痛な叫びが辺りに響く。
名を呼ばれた当の本人は字実野の放った一撃で軽く四、五メートルは吹き飛んで、さっきまで潜んでいた瓦礫の山に仰向けの態勢で頭から突っ込んでいた。
砂埃が盛大に巻き上がり差し込み始めた朝日が反射する。
その有様は、一瞬それが塵である事を忘れさせる位には美しい光景ではあったが、その中心部には酷い状態のマキが横たわっている事を鑑みれば、背すじに冷たいものが走る他ない。
タイトは人間が殴られて宙を飛ぶ様を、人が暴力をふるう光景を初めて目の当たりにした。
それも、対象は彼の中で半ば英雄と化していたあのマキだ。
破天荒かつ大胆不敵な立ち振舞いからつい忘れがちな事であったが、彼女のその身体能力は、結局女子高生として年相応の域を出ないのである。
それこそ、純粋な力比べの勝負であれば、男子高生として標準以下の筋力のタイトが勝つであろう位に。
それが、タイトが見えていなかったその現実が、字実野の拳一つで顕わになった。
同時にそれはタイトにとって、この現状を打開しうる最後の希望が打ち砕かれた瞬間でもあった。
未だもうもうと粉塵立ち込める廃屋をみつめながら、タイトは脚の力が抜けていくのを感じた。刹那、僅かな足場に危ういバランスでしがみついていたのが足を滑らせ滑落しそうになり、慌てて体勢を整える。
彼を襲った衝撃は、今自分がクレーンの先端にいる事を忘れさせる程であった。
「やれやれ」
そんなタイトの様子を横目に、字実野はマキが突っ込んでいった瓦礫の山を冷めた目で見つめていた。年端も行かぬ少女に手をあげた事への後ろめたさは微塵もない。
(メスガキに本気のパンチなんて久しぶりだな。悪くないぜ)
そればかりか、久しく忘れていた暴力の味を堪能すらしていたのだ。
埃が落ち着いて来たので、マキがどんな状態になっているのか二人にも見てとれる様になってきた。
果たして、煙る粉塵の先にみえ始めたマキは、うつ伏せになった姿勢でピクリとも動かない。
「ま…マキ?」
まさか。
「安心しろよ、あれで死ぬようなタマじゃねぇ。見な」
字実野の言葉を受けて再度マキを見れば、僅かにだが痙攣しているのが解る。
だが、うつ伏せに倒れた姿勢から起き上がろうとしないのには変わりない。
死んでこそいないだろうが、身体に強烈なダメージを負った事にはかわらないのではないか。
「で、でも、でも!」
「タイト!あいつが怪我をしたのはお前のせいだ!」
抗議しようとするタイトの機先を制して字実野が吠える。
「そ、そんな事!」
「いやお前のせいだな。お前がぐずぐずせず俺の提案を受け入れていれば、
嬢ちゃんに手を出さずに済んだのよ」
先の男性の件と同じく、事の時系列を無視した勝手な言い草だ。
けれど、突然目の前で巻き起こった暴力沙汰に冷静さを失ったタイトには、先ほどの様に反論も出来ない。
「ここで俺を待ち伏せしてやっつける段取りだったんだろ?それはまあ解る。
目立つ鉄球の上で片方が注意を引き付けてもう一人が不意討ち。
ま、シンプルだが、この状況下でお前らが出来る最善の策はそれ位なもんだろうからな。
だが、何故お前がそこにいるタイト!体格差を考えれば俺の注意を引くのが嬢ちゃんで、お前が俺の背後から襲って来る形が自然じゃないのか?」
「…それは」
マキが自分で言い出したのだ。字実野の狙いはタイトなのだから、囮になるのはタイトの方がいいだろうと。
タイト自身、それに異を唱える事をしなかった。怖かったのもあるだろう。
だが、一番の理由として彼はマキをヒーローの様に考えていた。
常軌を逸した食欲をもちそれを身体能力に発揮している姿。
何事にも真摯に取り組み怯まない姿勢。
それは確かにマキを万能のヒーローの様に見せていたかもしれない。
けれど、マキは字実野の拳一つで吹き飛んだ。よく考えてみなくても当たり前の話だ。
長距離走者が重量あげの選手に腕力で勝るか?フードファイターがすべからく体術に長けているか?否。考えなくとも解りそうなものだ。
結局、マキもまた等身大の女子高生に他ならなかった。
ならば、無理を言っても自分が字実野に向かう役を担うべきだったのだ。
勝手に字実野に幻滅し、勝手にマキを神聖視した結果が、この有様だ。
しかし後悔してももう遅い。
もし、マキが自分と出会わなければ彼女はああはならなかったのだろうか?
もし、それを未然に防ぐべき糸が視えていれば、違った結末になっていたのだろうか?
「考えたって始まらねぇよ。
済んじまった事はな。でもよ、お前にはあったんだぞ?この結果を回避出来たかもしれない力がな。
タイト。これが最後のチャンスだ。俺の所に来い!
糸視能力に関して引け目を感じなくて良くなる分、俺らにしてみりゃ生きやすい位で、そう考えると悪いもんでもないぜ?裏側の世界ってのもな」
「…そんな、もの…でしょうか」
タイトの思考を全て見透かしているが如く放たれる字実野の言葉が、一言ずつ確かな重みを伴ってタイトに突き刺さってゆく。
今夜降りかかった衝撃的な出来事の連続に、タイトの精神は磨り減り切って冷静な判断を下す事がもはや不可能になっていた。
ただ、ただ己を
「いてっ!」
存外に間抜けな字実野の声と共に、軽い物体が床に落ちた乾いた音が周囲に反響する。
いつの間にか立ち上がったマキが、木の端材を字実野に放ったのだ。
「マキ!お前」
「…てめぇ。なんで大人しく寝てねえんだ」
深い、深い怒りと憎しみをその声の奥に忍ばせつつ、字実野がゆっくりとマキの方に振り返る。
マキ渾身の一投も字実野の怒りを買っただけだった。
そして当のマキはといえば、全くもって酷い有様だった。
絹糸より細く繊細だった頭髪は、血と埃が絡まってさながら山姥の様なボサボサ髪だ。拳をまともに食らったのがそこなのだろう、鼻の頭がひしゃげて血がとめどもなく滴り落ちている。
服も血と埃にまみれ、屑鉄の山に突っ込んだせいで解れて穴だらけだ。
スラリと伸びた足も同様で、しかも膝から下はひっきり無しに震えて鉄球の上にいた先のタイト同様ガタガタしている。
だが、彼女は恐怖で震えているのではない。ダメージが大きすぎて足にきているのだ。
その証にそんな状態だがしっかりと足を踏み締め、傍らに落ちいていた小さな角材を握り締めると一歩、また一歩とふらつきながら字実野に近付いていく。
「やれやれ、まだやる気か?全く…」
この建物の仔細を把握している字実野にとって、ここに追い込んだ人間がどう行動するかなど端から想定済みである。
最初に踏み行った時から、廃材をひっくり返した為に出来た埃を引き摺った跡を確認した時から、字実野は二人の作戦を見切っていたのだ。
「どうしてお前は…」
じりじりと、角材を大上段に構えながら、危うい揺れをみせつつにじりよって来るマキに向き直ると、こちらからツカツカと歩み寄ってゆく。
思えば。顔を会わせた時から何かとハナにつく小娘だった。
「あ…字実野さん」
字実野の発する怒気に惨劇の再来を予感し、声だけは制止しようとも体はその場から一歩も動こうとしないタイトを無視して、字実野はマキに肉薄すると
「こうも俺を苛つかせるんだよ!」
力任せに拳を顔面に叩き込んだ。
「へぶぃあっ!」
情けない声をあげながら、マキが再び吹っ飛んでいく。
鼻腔から噴出する大量の血が朝焼けの陽光に煌めきながら、字実野の拳との間に深紅鮮烈な軌跡を描く。
そのまま顔面から突っ伏すと再び血溜りを広げながら動かなくなる。
「あああああ!?」
「見ろタイト!これが人生の選択肢を誤った者の末路だ!
そしてお前には見えていないかも知れないが、俺にははっきりと視えているぞ、
お前とこいつを繋ぐ糸がな」
「え…?」
「嘘じゃねぇ。バッチリ視えてるぜ…絶望の未来を示唆する、お前的にはあれか…黒死縄、だったか。あの糸がお前達を繋いでいる」
「そんな!」
黒死縄、死を象徴するそれがタイトとマキを繋いでいる。そんなはずはない。
勿論、糸の視え方は個人差もあればその時関わっている事象の「強さ」によっても変動する。あの日二人が見た赤い糸より、黒死縄の方が「強く」視えたとておかしくはないのだ!それも、二人が繋がっているなんて!?
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