第35話

 二人の告発を聞いて尚、彫像のように固まったままの字実野であったが、更にしばしの沈黙の後。


「…俺もヤキが回ったな」

「え?」

「いや、お前さんを少し舐めすぎていたか。

ここまで追いかけてきた上に俺の素性迄見破るたぁな、大したもんよ」


 字実野は、再び口の端を歪めて卑しく笑うと、あっさりとマキの告発の正当性を認めてしまった。それはつまり。


「あ…あ…字実野、さん」

「ま、どのみち、ここでゲロる予定ではあったんだがな。

これから一緒に仕事するのに、肝心の業務内容をぼかしていてもしょうがねぇ」


 タイトはガックリと肩を落とし、ついさっき立ち上がったばかりなのに再びその場にへたりこんでしまった。字実野はその様を意に介さず、残酷な告白を続ける。


「そうよ、俺は人殺しさ。だがそれだけで生計を立ててる訳じゃねぇ、あくまで業務の一環てだ。

あの日、あの貯水池にいたのも、実の所あのジジイを始末するのが目的だった」

「なんで…なんでなんです」


 タイトのその問いは、自分達を欺いてきた字実野に対する糾弾であった。

 彼は先程その想いを打ち砕かれる寸前まで、字実野の事をなんとか信じようとしていたのだ。

 しかしその想いは届かず、彼はタイトの質問を別の意味に受け取ったようだった。


「あの萎びた辺り一帯を再開発しようって計画があるんだがな。

その一環であの貯水池を埋め立てる話が上がっていたのを頑強に抵抗している連中…鳥さんの為やら環境保護やら何やらの団体さんの中心があのジジイなのよ。

ドローンのイベントもあの貯水池に関心を集める事で、世論を味方につけようというジジイの作戦のひとつさ。ま、『鳥守るのにドローン呼んでどうすんだ』って皆で大笑いしたがな」

「んで、邪険に思ってた人達に排除するよう依頼されてって話かな?

でも何も死なすこたないじゃないのさ」

「あのジジイはああ見えて地元の有識者と太いパイプがあるし、付近の住民からの人望も厚い。

おまけに年の割りにボケとは無縁で、頭が回る上に石頭の頑固者ときちゃあ、開発したい側からしたら少々非合法でも早急にご退場願いたいもんなんだろうよ。

俺みたいのを使ってでも、な」

「…だ、だ、だからといって!関係ない人間まで巻き込む事は!

あなたのいう通りなら子供まで巻き込んで!」

「…勘違いするなよタイト、俺らがバスごとジジイを葬らなきゃならなくなったのは他でもねぇ、お前らのせいなんだぜ?」


 凄みながら発せられた字実野のその発言に、タイトははたと気付く。


「あの大型ドローンはもしかして!」

「もしかしても何も、それ以外にないだろうよ、俺の差し金さ。若干不確実な要素も多いが、上手くいけば大勢の眼の前で、標的だけをさして疑われもせずに排除出来た。

あんなイベントさえしなければ…てな周囲の悔やむ声をおまけにな」

「そんな…なんで…なんで」

「そこに嬢ちゃんがいきなり突っ込んできたもんだからよ、流石に慌てたぜ?

俺らがドローンぶつけて奴さん亡き者にしようとしてるなんて、普通解りっこないからな。何せ、余計な手間かかればそれだけ経費が馬鹿にならんし、事が露呈する率も高くなるからな」


 後半の方をタイトは聞いていなかった。

 あの老人を救えなかった、それよりも字実野が全て解った上で自分達に近付いていた事を悟ったからだ。運命?くそったれ。


「感謝しろよ?何せ俺らの計画を、突然横から現れて全て台無しにしてくれたんだ。このヤマをもし俺が仕切っていなかったとしたら、二人共今頃土の中だったかもしれないんだぜ?」

「お爺様一人亡き者にするのにヒーコラ言いながら回りくどいやり方する様な連中が、わざわざナイナイする死体を増やしたりしますかね?」

「あんまり俺らを甘く見ない方がいいぜ、嬢ちゃんよ。

ある程度地位のある奴は、多少面倒でも後腐れないやり方を選択しなくちゃならねぇ。

けどよ、お前らみたいな一市民のガキなら、世間の目の届かない所でひっそりお眠り頂くのは、案外なんとかなるもんなんだぜ?」


 一人うちひしがれるタイトの横で、マキと字実野の静かな、そして緊迫する対決が進行する。


「ま、俺にしちゃあ天啓みたいなもんだったがな。

それこそ、あの忌まわしい糸に誰しもが翻弄される様を腐る程見てきたってのに…いや、だからこそかもな、あの時ばかりは運命って奴を信じようと思ったぜ」

「やめて下さい!」


 自分達との出会いは運命だった、夜の宴の席で字実野はそういった。

 糸を視る事を通して、人の「運命さだめ」という物を他者とは全く違う目線で捉える事のできるタイトからすれば、その現実味の無い言い回しはとても甘美かつ恍惚な音色となって脳内を駆け巡った。


 だが、それは今のような状況を想定してではない。決して、殺人に加担する為に出会ったのではないのだ。


「丁度、目星を付けていた奴に雲隠れされた所でな。タイトが糸を掴むのを見た時は二重に驚いたよ」

「その雲隠れした人って以前話してた」

「おう。アイツは糸を結ぶ力…『糸結』が使えたからな。

俺の『糸切』と合わせれば、まさに鬼に金棒といった所だったんだが、すんでの所で臆病風に吹かれてトンズラこきやがった。

タイトの『糸握』はよ、使い込んで行けばやがてはその糸結に発展する可能性を秘めている。

アイツが俺という存在を欲していた様に、俺はアイツの力を必要としていたのさ」


 違う…タイトはその胸中で力なく呟く。

 タイトは確かに自らを導く師匠の様な存在を欲していた。

 それは、糸視の力を活用しつつ、世間に対して堂々と振舞い進んでいける、光明に満ちた道標としてだ。


 だが、今の字実野が導こうとしている先には、彼が想定すらしていなかった、血と汚濁にまみれているであろう、日の当たらぬ社会の暗部へ至る道しかない。

 けれども、当の字実野はその影の世界へタイトが踏み込む事を所望しているのだ。


「そんな訳だ、タイト。思わぬ形で告白する形にはなったが、俺は自分のしてきた事に何の負い目も感じちゃいねぇ。

俺にしても運が悪けりゃ他人の餌になって一巻の終わり、非情なもんさ。

でもよ、俺らにゃあれが、絆を、運命さだめを紡ぐ糸が視える。

そして糸視能力はよ、有効に使えなきゃ生きる上で逆にハンデだ、却って本質を見逃しさえする。解るだろ?」

「だから人殺ししろっていうの?」

「少し黙ってろクソガキが。いいかタイト、もう一度言う、俺と一緒に来い。

最初から汚れ仕事をやれとは俺も言わねえ。だがな、俺は快楽殺人者じゃない。他人の命を奪う事になっても、それはビジネスとしてだ。そして、それが成立する裏には、それを望んでいる人間がいるって事だ」

「そ、そんな…」

「いい加減に認めろ。お前らが余計なお節介して良くなる事は何もねぇ。

あの時ジジイがポックリ逝ってくれてりゃ、余分に十九人も消さずに済んだんだぜ?それもすべてお前らが糸に踊らされた結果だ。

このまま糸に縛られ、呑み込まれて終わる一生か、お前が糸で他人を縛って有意義に生きるか、今ここで決めろ!」


 字実野は、タイトの力を欲している。そして、この場で自分と共に歩むか選べというのだ。


(…)


 タイトは、糸視の力を授かってからの数年間を反芻する。

 確かに字実野のいう通り、肉体的にも精神的にも、ただただ疲れるだけの数年間だった。

 周囲から容赦なく奇異の視線を投げ掛けられ、誤解され、嘲笑われ、誰にも理解されず、誰にも相談出来ず。

 一念発起して世の為人の為に何かやろうとしてみれば空回りし、思い通りに事は進まず、逆恨みされる。


 それでいて、間段なく視界に現れる糸、糸、糸。

 そして自分の体にはそれが視えないという圧倒的な孤独感。


 今、タイトの側にいる二人には糸が何も視えない。しかし、今日この場を離れて再び日常に戻れば、たちまち煩わしい糸と格闘する日々が始まるに違いないのだ。

 どんだけ奔走しても、何の見返りも無い、意味の無いあの糸と。そして、それはこのままタイトが死ぬ迄続くかもしれない。


 耐えられるだろうか。堪えられるだろうか。


 そんな辛い思いをしてまで尚生きるのが人生…と言うならば、字実野のいう通り糸を活用して進む道も有りなのではなかろうか。

 例え、それが他の人間の生き方を踏み躙るものであっても。何故なら、そうしないと自分が他人に踏みにじられるからだ。そして、その道ならば…。


「字実野さん…」


 その時だ。そっと、タイトの腕に触れる柔らかい感触が、タイトを踏み止まさせた。


 振り向けば、マキが彼の腕を掴んでいた。


 そして、じっと、ただ、じっと、真っ直ぐな瞳でタイトの顔を覗きこむ。

 それはいつもの、何に裏打ちされたものやらさっぱり分からない、あの自信に満ちた輝きを湛えていた。タイトはその深淵に引き込まれる。この感覚、いつの時だったか。



 そうだ。あの時、初めてマキと遭遇した、あの死出の電車のホームでだ。

 マキ。マキとのこれまでの旅。

 短い、とても短い、それでいて慌ただしく忙しない、気苦労の絶えない嵐の様な日々だった。苛立ちも、焦りも、さも当たり前のように押し寄せた。


 だが、それでいて、とても充実していた。

 矛盾しているかもしれないがそれは確かだ。糸の絡んだトラブルは、むしろ一人で過ごした日々よりずっとずっと多かったが、それを引き起こした張本人はいつも一途で真剣だった。

 糸の紡ぐ未来を、引き寄せるであろう災厄を、他人事と見過ごさず躊躇なく突貫していく。

 先の事なぞ考えない。いや、糸視に関していえば、そもそも先の事を想定して、なんてのが無理があるのだ。


 ならば、目の前の事に全力で挑む、それでいいではないか。

 そうだ。なんで気が付かなかったのだろう?さっき自分はそのように字実野に啖呵を切って迄してみせたではないか。


 タイトが渇望してきた生き方の指標。道標。

 それは字実野と出会う前から、とっくに「側に居てくれた」のだ。


 心は決まった。

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