第34話
「おいおいおい、仮にも恩人に向かって随分な言い草だな?
よりにもよって、こんな善人を殺人者扱いとは流石に恐れ入ったぜ」
字実野の声に凄みが増す。タイトは事の成り行きを黙って見守る他ない。
昨日の、和やかだったはずのファミレスの食事の席に流れたあの緊迫した空気が、あの時以上の重圧をもってしてこの場を支配する。
「何か、根拠でもあるのか?場合によっちゃあ、たとえ嬢ちゃんでも只じゃおかないぜ…?」
字実野の表情は幾分か柔らかいものになっていた。口元には軽く笑みすら浮かんでいる。
だが、その眼をみれば全く笑っていない事は一目瞭然。かえって、怒りを内に押し止めているのが顕わになった様にも見える。
そして、微笑みと憤怒、相反する感情を一緒くたに顔に浮かべる字実野のその有り様に、何か得体の知れない恐怖をタイトが感じてしまうのは、彼がマキの発言を意識し過ぎているだけだろうか。
そんな、タイトが字実野に対して僅かなりにも恐怖を喚起されたその眼差しを、全く反らす事なく平然とみつめ返すマキは、字実野の問いにしっかりとした声で返答した。
心地よい、ハープの調べの様なマキの声が、ほぼ漆黒に覆われた廃工場のフロアに反響する。
「無い!これ直感なり!」
「は?」
「おいおい…」
マキの言い放ったその短いが意外過ぎる返答に、タイトは勿論、あの字実野でさえ呆気に取られる。
根拠ないて。いや、確かに夕刻の公園のやりとりの段階で、マキは直感というか「目」で解ったと断定してはいたのだが。
「はっはっはっは!」
マキの高い声が反響したその余韻が消え去るよりも早く、字実野の低いが豪快な笑い声が木霊し、三人だけのその空間を占拠する音を上書きしていく。
(そりゃ、笑うしかないよな)
しかし、彼女の言った事はそれなりに責任を伴う、軽々しく言い放ってはならないものだ。
字実野も、マキにその発言の代価を支払わせるべく先程の凄みのある顔付きになると、静かに、だが確かな威圧感をもった声でマキに迫って行く。
「何の根拠もなく俺を殺人者呼ばわりか。ちょっとばかし、人を舐めすぎじゃねぇか?ここまでコケにされたんじゃ、俺も腹の虫が収まらないぞ」
また、タイトの知らない字実野の表情だ。
口の端を歪に歪めながら、刺すような目線でマキを追い詰めようとするその有様は、昨日までの頼れる兄貴分といった雰囲気とは何もかもが違う。
いや、そもそも、何をもって、タイトは字実野を信頼していたのだろう。
糸視の力を持つ同志だから?途方にくれる自分達に救いの手を差し伸べてくれたから?確かに、そうだ。彼は、字実野は、さっき彼自身がタイトに語った様に、理想的な人生の先輩そのものだった。
だが、その出会いはあまりに短い。
マキとですら、知り合いになってから一月も経っておらず、共に過ごした時間でいえば何十時間という単位だ。
だが、字実野に至ってはそれが僅か数時間なのだ。
ごく短期間の中で裏表なく己が内をさらけ出しまくってきたマキはまた別格にしても、字実野という人間を知るには… いや、知った気になるにはあまりに無理のある時間であった事を、タイトは今更ながらに痛感していた。
そしてタイトがそう思い至るきっかけを作った少女…マキは、自らの発言により追い詰められていた。
少なくとも状況だけ見ればそうだし、字実野もタイトもそう分析していた。
だが当のマキ本人はそれまでと変わらぬ態度のまま、飄々としたものだ。
そして、そのマキが動く。
「ここに来て、確信に変わったけどね」
「…?ふん。俺の面がそんなに悪人に見えるか、あ!?
それとも、へんな糸でも視えて早合点しちまったか、なあ?」
「タイト、スマホでウェブ見てみ」
わざとらしく威嚇してくる字実野を無視して、マキはタイトにスマートフォンでのネット接続を促してくる。
怪訝な表情の字実野の前で、タイトはウェブ閲覧のアプリアイコンをタッチする。 すると、既に幾つかのタブが開いていた。
全てニュースサイト…大手プロバイダや検索エンジンで引っ掛かるものばかりのようだ。
「マキ…お前人のスマホを」
HERE RINKを弄られていた時点で今更な話ではあるが、個人情報の塊、いわば
大前提として、第三者が見られる状態にしていたタイトも悪いとはいえ、相変わらずのデリカシーの無さである。が、当の本人はそんなタイトの気持ちを露知らず、平気な様子で「早く見てみろ」と言わんばかりの顔をしている。
マキに説教するのを諦めたタイトは仕方なく、再び手元の端末の確認作業に戻る。
「あ…」
よく見れば、全てのサイトの記事で取り上げられているのは、先刻字実野によって告知された件の死亡事故に関してだ。
ソースを同一にしているからか、どこもほぼ同じ文面で次の様に記載してある。
崖下にバス転落、 20名死亡 ハンドルの操作ミスか
7月10日午後6時頃、 ○×県△○市の高速道路〇〇線を走行中の旅行会社□×所属の大型バスが、崖下に転落して横転炎上しているとの通報が、付近を散策していた住民からあった。
警察当局及びレスキュー隊が生存者の救護に向かうも、バスが大破している状況から乗員乗客全員の生存は絶望的とみられている。
事故現場はきついカーブの続く勾配の激しい道路であり、先日からの雨により路面状況の悪かった事も作用して運転手がハンドル操作を誤り、ガードレールを突き破って転落したのではないかと当局はみている。
開かれたページをめくり、同じ記事を繰り返し読む内に陰鬱な気分に包まれる。
己の無力感、見識の狭さを痛感する。この旅で実は一番誇りに思っていた、二人のあの大立ち回りが一挙に空虚で意味の無い事に感じられ、心のアルバムに飾ってあった写真が色褪せていく。
これでは、マキの発言の信憑性を裏付けるどころか、字実野の言い分の方が正しい事を証明すらしてはいまいか。
「タイト。よく読んで。『オッサン』の言ってた事思い出して」
字実野がいつの間にかオッサン扱いになっている事も、記事を精査しながら別の思考も同時にしろとか無茶をいう事にも突っ込みたいのを堪えて、タイトはマキの言う通り字実野と交わした言葉を思い出してみる。
(字実野さんはこの事故であの男性が亡くなったといっていた。家族の方も)
不意に、脳髄に閃光が走る。字実野の発言、ニュースの記事がそれこそ視えない糸で結ばれて行きマキの言いたいであろう意図を形作っていく。
そうだ。そうなのか。
だがそれはタイトにとって辛い現実でもある。同時に、その事を目の前の本人に聞いて裏付けを取らねばなるない。
タイトは震える膝に活を入れると、なんとかして大地に足を踏みつける。
「…字実野さん。あなたの仰ったあの、僕らがドローン事件で関り合いになった男性。あの人が亡くなったというニュース、7月10日午後6時の記事で間違い有りませんか?」
「ちょっと待てよ、俺もこっちで見る、履歴履歴と…ああそうだな日付時刻はそうなっている」
「字実野さんがご覧になっているサイトはどこですか」
「『アフーニュース』だ」
「そうですか。僕もこちらで同じページを確認出来ます、他のニュースサイトも。どこも、大きく文章に違いは有りません」
「それがどうした。事故の記事なんぞ、警察の発表をそのまま載せるしかないんだ、違いなんてないだろう」
「…字実野さんは、何故、あの男性がこの事故で亡くなったと、お分かりになったんですか」
こちらを見ずにスマートフォンを弄っていた字実野が、その姿勢のまま一瞬、微動だにしなくなる。
「亡くなった方の詳細は、この記事からは解りません。…子供の話も。
何か、他に情報のソースがあるんですか?字実野さん、答えて下さい。何か、他に情報元があるんですよね?」
「だとしたら、それみしてもらわないとね!あんでしょーオッサン?」
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