第33話

「…ます、違い、ます」


「あ?何だって?」


 自らの期待していた返答が却って来なかったのか、字実野の表情がやや強張ってゆく。

 だが、なんとか自らを奮い起たせて、タイトは震えながらも言葉を紡ぐ。


「マキが、いました」

「嬢ちゃんが、どうした?」

「字実野、さんは、先程、糸が視えてもいい事はないと、誰の役にも立てないと、そう仰有いました。…でも、アイツは、マキ、はいつでも…他の誰かを救ってて。

あのドローン大会の一件、あれも、そうです。

アイツが…マキは、字実野さんが仰有る事のみが、糸視者としての在り方ではない。そう、思えるのは、おかしいでしょうか?」


 所々たどたどしくはあったが、タイトは字実野を前にして思った事を言えて安堵した、なんとかなった。


 字実野の言い分は、正直正しいとも思える、それでも。

 マキとの短く、大変だったが忘れようもないあの日々を。

 否定されてしまったように感じて反論せずにはいられなかったのだ。


「…ククク」

「字実野さん?」

「いや、大した演説だったぜ?ほんと、あのメスガキは録な事をしねぇ」

「あ、字実野さん!」


 タイトの主張を嘲笑ったばかりか、マキまで貶める字実野に対して、流石にタイトも怒りを隠せない。

 だが、続けざまに字実野から放たれた言葉は先程のタイトの言葉に、心に深く亀裂を穿つものだった。


「タイト。お前、あのドローン大会の『黒』付いてた男、アイツが死んだのを知らないのか?」

「!?馬鹿な!だって!あの時!」


 そうだ。マキと、タイトの二人の尽力であの「黒死縄」の付いた男性の生命の危機を未然に防いだではないか。


「本当よ。あの後、あの大会の関係者と、その家族を乗せたバスごと崖下に落下してな。可哀想に、年端もいかない小さなガキも何人か居たそうだぜ?

それにしても…やれやれ、速報にもなったんだがな?

全く、スマホ持ってるなら常よりニュースサイトの一つもチェックしとけよ」


 まさか。そんな。あんなに、あんなに精一杯やったのに。

 二人で、マキが、己が危険も省みず、頑張った事が、全て徒労に終わった…?


「解るか?お前らの努力は、全部無駄だったって訳だ。

単なるてめぇの自己満足、豚のクソ。

嬢ちゃんに感化されて勘違いしちまったんだろうが、それが糸だよ、タイト」

「そんな…嘘だ…」

「そんなもんよタイト、あの男はどうやっても死ぬ運命だったって事だ。

もう、あの嬢ちゃんにひっついて無駄な事をすんのはやめたらどうだ?

ありゃ、男を不幸にする女だ、あんなのの傍にいたらいけねぇ」


 膝から力が抜けていく。そのまま、地ベタに座り込むタイト。


「タイト。俺には解っていたぜ、お前が自分を導いてくれる存在をずって待っていたのをな。

俺が糸を有効に使って上手く世渡りする方法を教えてやる!

俺の仕事を手伝え。そうして、何も視えない盲目野郎共を一緒に見返してやろうじゃねぇか?なあ」

「あ、字実野さん、僕…」


 字実野の言葉が、消耗し切って摩りきれたタイトの精神に、まさしく視えざる糸の如く絡まりついていく。

 朝からの度重なる衝撃的な展開に神経を揺さぶられ、まともな思考の出来なくなったタイトが字実野の甘言に飲み込まれようとしていた、正にその時だった。



「その人の言う通りにしちゃ駄目だよ」



 聞き覚えのある、あの凛とした澄んだ声が、薄闇に包まれた廃工場の淀んだ空気の中に響き渡る。


「…マキ 」


 声のした方向に向き直った二人が目にしたのは、まさしくあのお騒がせな少女。マキその人であった。



 だが、これまで午前中走り回っても汗一つ流さなかったマキが、肩は大きく上下し、額から珠のような汗をポタポタと垂らしながら激しく息をしている。


「ふん、来ちまったか。それなりに厳重なバリケードがしてあるはずだが、よく入って来れたもんだ。…いや、そもそもどうしてここが解った?」


 マキはその問いには答えず、字実野を牽制する様に強い眼差しで見据えながらタイトとの間を別つ様な立ち位置に付くと、タイトに向かって無言で何かを放ってよこす。


「あ!これ」


 彼が慌てて両手でキャッチしたそれは、マキとの騒動の時に落としたと思っていたスマートフォンだ。

 画面をみてみるとHERE RINKが起動している。だが。


「そうか、あのアプリを辿ったか?

いや、ここに来る道中、同期は切断しといた筈だぜ?」


 そうだ。アプリを利用してここに来るのは可能だろうが、それもタイトと同行する字実野がアプリの接続を切っていては不可能になる。


「糸、辿ったから」

「…何?」


 字実野の問いに答えたマキの発言には、タイトにもピンとこないものがあった。


「このスマホとタイトの間に『グリーン失セター』が視えたから。

『印』を付けて。…あとは、『これだけ』視える様にして、ここに行き着いた」

(なんだそりゃ。初耳だぞ。)


 尚、「グリーン失セター」はおそらくはタイト言う所の「忘却草」の事と思われる。


「なるほどな。お前、『糸込しこみ』と『』が使えるのか。それも、かなり使いこなしているみてぇだな。

ま、ガキの時分から糸視者のお前が、これまで何も他の力に目覚めていない方がおかしいし、むしろこれで合点がいったてなもんだ」


「糸込み」と「分け視」。共に、先日字実野から教わったばかりであった。

 特定の糸に目印をつける力と、特定の糸のみを視る力だ。


 タイトが「糸握」の力に目覚めていたのと同様に、マキも人知れず糸視能力の派生型に目覚めていたという事だ。

 今にして思えば、マキが危険な糸ばかりやたらに見つけられたのも、「分け視」の力を活用して、そうした糸のみ視える様にしていたのだろう。


「だがそれにしてもあの距離を辿ってこれるたぁ只物じゃねぇ。糸を視る力そのものも、かなり強いみてぇだな。

どうだ?嬢ちゃんも一緒に俺の仕事を手伝わないか?」


 当初からその予定だったのか、はたまたここにマキが居合わせた事で計画を変更したのか、字実野はタイトだけでなくマキをも籠絡しにかかった。しかし、


「お断り申す」

「即答かよ。まあ、そう言うとは思っていたけどよ」


 自分から提案をしておいてその実最初から期待もしていなかったのか。

 とりつく暇もないマキの態度にも、さして顔色を変える事もない。

 しかし、続け様にマキが放った発言には流石に驚きを隠せないようだった。


「人殺しの片棒担ぐなんて、真っ平ごめんだから」

「あ?」


 あぁ…とうとう言っちゃったよ…。

 字実野の顔に明らかに不快を示す兆候が表れる。

 これまで、マキの無礼千万な振る舞いに寛容な態度で通してきた字実野も、いきなり殺人者扱いされては流石に堪忍袋の緒が切れたのだろう。当然である。

 だが、


「…ハッ」


 次の瞬間、字実野の表情は明らかな軽蔑と嘲りの様相を呈したものになり、マキの発言をさも取るに足らない事であるかのように鼻で笑ったのである。

 しかし、それも致し方無いといえる。それだけ、マキの発言は突拍子もなかったのだから。


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