第32話

そのよん


タイトのこと



 次にタイトが目覚めた時、そこは車の座席の上ではなく、柔らかい「何か」の上だった。

 自宅の…いや、そんなはずはない、ならホテルのベッドの上だろうか。

 にしては、妙にごわごわとしている。それに、やけに埃っぽいしカビ臭いし、加えて何か、機械油の臭いの様なものも鼻につく。


 未だはっきりと覚醒しきらぬまま、タイトは上半身を起こすと取り急ぎ身体の状況を確認する。鞄はない。そしてスマートフォンを落とした事にもようやく気付く。

 これではHERE RINKでの所在確認も不可能である。仕方ないので目視にて現状を把握すべく周囲を見渡してみる。


 みればタイトが寝ていたのはビニールシートを被せられた廃材の山のようなもので、そこにあまり清潔とはいえない毛布が敷かれ寝かされていたのだ。体の上にも同じような毛布がかけられていて、彼を包み込んでいた機械油の香りはどうやらこの毛布から漂ってくるものらしかった。


(これは…ここは一体?)


 目覚めたばかりというのもあるが、ぽつんと点灯する緑の非常口の案内以外、あたり一面薄闇に包まれていて、今一ここがどこか把握しきれない。


「よう。お目覚めのようだな」


 静寂が支配していたその空間に不意に、聞き覚えのある男の声が響いた。

その方をみると数メートル離れた先の。ここと同じようにビニールシートにくるまれた廃材の上、小さな照明のスポットに照らされる様に、字実野が座り込んでこちらを眺めていた。


「字実野さん…」

「ここはどこだと言いたげな感じだな?安心しろ、ここは俺の城だ。俺だけの、な」


 そう呟く字実野の様子は、マキから聞いた話が尾を引いているからか、未だ得体もしれない場所の中で暗がりに潜んでいたからか。その表情はどこか歪んで、恐ろしげに見える。

 見知った、親しみを感じた人物の筈なのに、全く未知の、危険な野性動物の様にすら思えてしまう。ほんの一日前まで、あんなに慕っていた人物なのに、だ。


 何を考えている。そんな筈はないのだ。俺は、あのマキの、何の根拠も無い与太話に影響されてしまっている、それだけだ。


 胸中に渦巻く疑念を払い除けようと、もっと近くによれば以前の字実野に見えるだろうとばかりに、タイトは立ち上がって歩みよろうとする。

 が、何故か足に力が入らずよろけてしまう。たまらず、傍らの廃材の山にもたれ掛かる。


「あんまり慌てなさんな。薬の効果が切れるまで、もう少しかかるだろうからな」

「薬…?」

「悪く思うなよ、ここの地理を第三者に把握されるのは面白くなくてな。

一服、盛らせて貰ったのよ。大丈夫、後遺症が残ったりはしねぇ、こちとらその手の配分は慣れたもんだからよ」


 何を…何を言っているのだ?この人は。

 そもそも、自分は宿~あのホテル~に連れていかれるのではなかったのか。

 再び困惑する他ないタイトであったが、それでも闇に目が慣れてくるにつれ、この場所が何なのかの検討位は付いてくる。


 天井や壁に、まるで血管の様に張り巡らされた様々なサイズの剥出しの配管。山が崩れたのがそのまま放置で転がっている、錆の浮いた大量の一斗缶。

 片隅で埃を被っている背の高さほどある四角い機械と折りコン。

 そして暗がりの中で唯一光の存在感を感じさせる明滅する非常灯。


 何を作っていたかまでは解らないが、工場。それも使われなくなってかなり久しいのは間違いない様だった。


 そして周囲に他の人の気配が感じられないのをみるに、どうやらタイトは字実野と、この不気味な廃工場に二人っきりである様だ。



 あの人は人殺し。



 マキの、圧し殺した声とあの真剣な表情が思い出され、何処とも知れぬ場所でその人物と二人きりであるという事実に、タイトは思わず背筋に怖気が走った。


「で?どうだったよ?」

「はい?」

「行ったんだろうがよ、シックザールのババア共の所へ?

んで、ババア共に歓迎されたか?いやそんな筈はねぇな。少なくとも俺の知ってる折野のクソババアならば、なあ」

「な…なんですって?なら…なんで、なんでなんです?」

「わざわざあそこに行かせたのかって?お前には見せておきたかったのよ。

糸に縛られ、がんじがらめで身動きが取れなくなった連中の哀れな末路をな」

「字実野さん…」


 字実野はシックザールの人々を哀れといった。

 他にも、その発言の端々に、彼らに対する嫌悪、蔑みの感情がみてとれる。


「タイト、あいつらはよ、折野のババア達はよ。自分が手にした力に翻弄され、善人面するのにも疲れ果て、終いには自分達と外界とを隔絶して、侘しい余生を送っているんだ。

解るか?タイト、お前も今のままなら確実にあいつらの様になる。

これは糸の視せる事のない、だが、確かな来るべく現実の未来の話だ」

「あ…あ…」


 すぐに言葉を紡ぐ事が出来ない程、タイトは字実野の言葉に動揺していた。

 字実野の態度がこれまでと丸っきり違う事もその要因の一つだが、主たる要因はその発言に思い当たる節があったからだ。


 マキに出逢う迄、自分はどうだったか。

 正に字実野が言う、シックザールの老人達の状態そのものだった。

 しかも、彼らはタイトの様に糸視に不馴れな存在ではない。

 字実野の言う通りならば、長きに渡ってその力と向き合って来た人々の筈なのだ。

 だが、そんな人達でさえ。この厄介な糸の前にただただ押し潰される一方だったというのなら、それはタイトに衝撃を与えるに充分だった。


「タイト。お前はいいのか?

このまま、ババア共の様にあの小癪な糸に人生を狂わされ続けてよ?」

「そ…それは」

「俺は嫌だぜ、まっぴら御免だ。折角そこらの連中には無い力なんだ、それを有効に使わないなんて手はねぇ!

糸を使える奴が、力に、糸に飲まれちまうなんて、そんなこたぁあっちゃいけねぇんだよ!」

「あ…あなたは以前、みだりに力は使わないって!」

「おう、今だってそうさ!使い処はよく吟味してるし、そもそも使いたくても使いようがないのは、お前もよく知ってるだろ?

でもよ、封印しちまうこたぁねぇ、我慢するこたねぇんだ、タイト!」


 その豹変に動揺するばかりで、一向に考えの纏まらないタイトに追い討ちをかけるように字実野は畳みかける。


「今までよぉ。糸が視えて、なんかいい事あったか?誰かに感謝されたか?

世の中の役に立ったか?いいや、そんな事一度足りともあった筈ねぇよな?

どいつもこいつも、視えねぇのが当たり前の白痴ばかり、そのくせこっちが糸絡みで面倒みてやっても素知らぬ顔、当たり前だよな、視えてねぇんだからよ!

でもよ、それだけじゃなくて馬鹿にされてすらこなかったか?奇異に見られて憐れみすらかけられなかったか?

ホントはよ、憐れなのは視えねぇ奴らの方なのに、だ!」


タイトの眼から困惑の色が薄れ、今はじっと耳を傾けている。

彼の心を掴んだと見てとるや、字実野は「仕上げ」にかかる。


「俺らはよ、神様じゃねぇ。いや、みんな誰しも神様のばら蒔いた糸の操り人形よ。

だがな、俺達はそこから一歩先に踏み込める。

タイト、俺達は特別なんだ、糸が視えるのは人生に於いてのアドバンテージなんだ」

「あ、ああ…」

「一緒に来い!タイト!俺がお前を導いてやる、そして本当の糸の使い方を教えてやる!」

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