第30話

「で、探索は終了で、お家へUターンしろ、そういう事か?そういう事かよ?」 「しょうがないじゃん、タイトもこの夏休み終わったら、進路の事とかちゃんとしないと駄目なんじゃない?あたしだって、休み明けには復学出来るし。

もっとも、アタシも『いとみ会(マキにはシックザール織糸研究会という正式名称は覚えられなかったようである)』には興味あったし?

あそこに行くのには反対しなかったけれど、旅の目的とはズレていたのよ。タイト君、予定通りに帰るなら、今が丁度潮時だよ」


 マキの言う事は確かに一理ある。

 だが、これ迄散々に自分を振り回して来たマキに、今更優等生ぶられてもタイトがそれを許容出来る訳もない。

 それこそ、昨日から彼女に対して不満が溜まりに溜まっているタイトなのだ。


「んな事、言われなくたって解ってるよ。でも、それにしたって字実野さんに連絡は必要だろうが。

ホテルだって、あの人にちゃんと引き払う手続きをしてもらわないと」


 タイトとしては、ここで字実野との縁が切れるのはなんともしても避けたかった。

 それ以前に、道理としてもタイトの理屈は筋が通っている筈だ。


 だが、ここでマキはもっと衝撃的な事実をタイトに告げる。


「引き払ったよ」

「は?」


 コイツは、マキは何を言っているのだろう。

 まさか。


「今朝、フロントで揉めてたのは…」

「うん。安心して、タイトの分もちゃんと払ってあるかんね」

「な!な…なんて事してくれたんだよっ!」


 薄い合板のテーブルに、タイトの拳が叩き付けられる。

 勢いで中身の減っていた紙コップがひっくり返り、タイトの大声とその物音のせいで、疎らながらも複数いた客が一斉にこちらの方を振りかえる。

 しかしマキは臆する事なく、黙って静かな眼差しでそれを受け止める。


 しばし、二人の間に静寂が訪れる。

 そして、タイトがゆっくり息を吐くと、静かに宣戦布告を告げる。


「…場所、変えるぞ」

「そうだね、その方がいいね」



 自分が抑えきれぬ怒りの感情に支配されつつあるのはタイトも自覚していた。

 マキの返答如何によっては、かつて憧れ、眩しく見えたこの少女に罵詈雑言を吐いて罵ってしまうかもしれない。「ここでそれは」まずいだろう。

 いずれにせよ、ファーストフードの座席は口論をするには不向きな場所だった。





 タイトとマキ、二人の決戦の地は近くにあった公園の外れと決定した。

 思えばマキと出会ってから、始めて互いの糸を確認し合ったのも夕暮れの公園だったし、旅の最中野営しようと四苦八苦したのも公園での事だった。


 だが。今この、街灯の灯が明滅する中で、錆びかけた遊具が寂しげに軋む小さな公園は、怒りに燃え眼前の少女を睨み付けるタイトと、それを冷静に見つめ返すマキによる合戦の舞台であった。


 何故そんな事をしたのか。

 字実野の何が気に食わないのか。

 彼女に言いたい事は山の様にあったが、頭に血が昇った今のタイトの精神状態では、マキを論破するべくそれらの要点を纏めて適切な文章に組み立てる事が出来ずにいた。


 対して、マキの方はタイトに伝えたい事、話すべき事が既に理路整然と構築済みだったのだろう、戦はマキの先制攻撃で始まった。


「タイト。あの人にはもう会っちゃ駄目」


 そしていきなりこの発言である。

 破壊力は抜群だろうが、故にタイトの怒りに余計に火を注ぐ羽目になったのは、まさしく火を見るより明らかだった。


「なんでだよ!」


 まるで折野と同じ事を言う。

 誰も彼も、何故彼の回りの人間は字実野に対して過剰に否定的な反応をするのか。


「あのね。タイト。お願いだから大声出さないで、聞いて」

「…さっさと言えよ」

「うん。アタシね、ホラ、こんな奴だからさ。

糸の視えるまんま、気が付いたまんま、色んな事に首突っ込んで来た」

「…」


 それはそうなのだろう。短い間とはいえ、共に過ごした中でそれは充分に実感した。

 だが、それが字実野とどう関係するというのか。

 それよりも、タイトにはあのマキが慎重に、言葉を選んで話そうとしているのが気にかかった。

 そうまでさせる程の理由が、マキにはあるという事か?


「だからさ、やっぱり危ない目に会う事もあったんだ、今みたいに近くにタイトが居てくれる訳でもなく、一人で突っ走ってたしね…。

でね、アタシ、そうした中で、人の…命を奪う様な人間とも、何度か関り合いになった。それこそ、アタシが命を狙われた事もあったんよ」


 衝撃的だが、マキなら考えられる話だ。

 タイト自身、一度は彼女の命を救っている側だ。

 仮に黒死縄が視える度にいちいち関与していったとしたら、いつかはそういう危なっかしい目にも会うだろう。

 だが、それも字実野と何の関係がある?…もしや。


「待てよ」


 タイトにも、この後マキが何を言いたいのか、朧気おぼろげながら解って来た。

 が。

 なんだよ、それ。


「そういう人達ってね、『目』が違うんだ。人の命を奪う、奪った事のある人はね、目つきが、光が他の人と全然違う」


 待てよ…。

 待てよ…。

 もう、言うな。

 なんでだ。

 なんでなんだよ。

 

 なんで「マキが」そんな事言い出すんだよ!


 昨日からずっとだ、なんで前みたく大飯食らいだけど底抜けに快活で、無茶無謀だけどいつでも明るい、あのマキで居てくれないんだよ。


「それでね、始めてあの人を見た時、アタシ、わかっちゃっんだ。この人、誰かを…」


 やめろ。


「殺めた事があるんだっ」

「やめろおおおおぉぉぉ!」


 マキが言い終わるより早く、タイトは激昂した。


「あの人の目…アタシが昔見た、殺人…の目と」

「なんでだよ!なんでなんだよ!

お前、お前そんな『キャラ』じゃないだろ!なんでそんな顔でそんな事、いきなり言いだすんだよ!そんなのお前じゃねぇ、マキじゃねぇぇ!」


 マキの言い分は確証も無く言い掛かりと一蹴して問題はないものだった。だが、タイトは知っている。


 マキが、常日頃猪突猛進、物事の仔細を把握しないまま走り回っている様に見えても、その実彼女が何事にも真剣に、真摯に打ち込んでいる事。本当に大事な事項を最優先で遂行する事の裏返しである事を。


 そして今。自分勝手な事を言っているのはむしろ自らもそうであると自覚出来ていない程、タイトは意識錯乱に陥っている訳ではない。


 それでも、彼は叫ばずには要られなかったのだ。

 ずっとショーケースに飾られ垂涎の的だった、やっと手に入れたその貴重な工芸品を、贋作と鑑定されるのを黙ってみている訳にはいかなかったから。


「だいたいお前、なんだよ!目が目がって!

俺達糸視者なら、まずはその目で糸を視てみろよ!」


 その一方でタイトは、あんなに忌み嫌っていた糸視の力を、自己正当化の為に引き合いに出している事には気が付いていない。


「視えなかったよ。何か、アタシの話と結び付く様な糸は」

「それみろ!何も視えないくせに、偉そうに!」


 違う。

 何も視えなくなっているのは、多分自分だ。いや、視ようとしてすらいなかった。

 だが、タイトはそれを認めてしまう訳にはいかない。


 しかし、例えマキの理屈が無茶を通り越して狂気の域に達していたとしても、ここで冷静に彼女と話し合う事さえ出来ていれば、この後巻き起こる事態を回避する糸口になったかもしれなかったのだが。


 マキの突拍子もない発言に激しく心を乱されたのも確かだが、何より彼の心を掻き乱したのは彼を見つめるマキの、その大きな瞳であった。


 哀しい色をしていた。


 常日頃豪放磊落、悲嘆にくれる事なぞ遥か時空の彼方に打ち捨てたかの様に振る舞っているマキの瞳に、彼が知る中で初めて悲哀悲痛の色が浮かんでいる。

 かつて宇宙の深淵に例えたその深い黒色の瞳孔は、悲しみにくれる彼女の内面を現すが如く、溢れ返る涙の海に埋もれて沈もうとしている。


 そんなマキの姿なんて、見たくなかった。

 タイトの中にあるマキはそんな顔をしていてはいけないのだ。そして何よりも、マキにそんな顔をさせているのが他ならぬ自分である事が、一番耐えられなかった。


 もう見ていられはしない。

 既にここに来る迄の猛りたった気勢はタイトには無い。今はただ、マキの見つめるままに立ち尽くすのみだ。

 逃げ出したい。この場から。そう考えていた正にその時だった。

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