第29話

「いや~済まんね。折野さんも歳ですからなあ。

体調が芳しくないと人間他人にぞんざいになってしまうもので…あ、いや失敬、全ての人間がそうな訳では有りませんな」


 東洋は正門迄見送りに付いて来てくれた。

 その最中、折野の弁護やら非礼を詫びるやら色々話かけてくるが、当の本人からそう聞いた訳ではないのだから、長々と口上を垂れられる毎にタイトの苛立ちは募る一方だった。


 本当ならば突っ切って行ってしまいたかったが、日暮れも間近で薄暗い中、木々が密集して灯りも疎らな、無駄に広いこの庭を案内なしで通り抜けるのは労を要すると考えてグッと堪えていた。


「あーあーでも解る解る、アタシもお腹減ると超不機嫌だもん。

あとあれだね、生理とかも堪らんですわほんと」

「がっはっは、私は一向に構いませんが、レディが人前でその様な発言は感心しませんなぁ」

「あー大丈夫大丈夫、あたしそういうの気にしないから」

(…気にしろよ)


 腐るばかりのタイトとは裏腹に、マキの方は東洋とすっかり打ち解けている様だった。

 それがまたより一層、タイトの癪に障って仕方がない。


(昨日は字実野さんに対して、あんなに無愛想だったくせに)


 やがて、門まで辿り着くと東洋は改めて二人に謝りながら別れを告げる。


「今日は本当に済まない事をしましたね。

こんな扱いをして於いて言うのもなんだが、是非また訪ねて来て下さいな。

これがここの連絡先です」


 そう言いながら、東洋が小さな名刺サイズの紙を手渡そうとしてくる。


「名刺に見えるかもだが、私個人の身分を表すものではなく、単にここの所在地やらの書いてあるメモ紙みたいなものだがね、一応作ってあるんですよ」

「結構です」


 手で遮ってそれを拒否すると、タイトはテントやらで嵩張る事この上ないリュックを背負い直す。下りとはいえ、これからまた街に出るまでそれなりの傾斜地を歩かねばならない。


「ありがと~じゃ、東洋さんまたね!」


 マキの方はなんの躊躇もなくそれを受け取ると、手を振って別れを告げている。


「早く来いよ!」

「はいさほいさ」


 再びマキに対して怒声を浴びせてしまうが、当の浴びせられた側は至って平気な様相だ。

 むしろ、あんな態度をとられたというのに昨日と比べると格段に上機嫌だ。


(どいつもこいつも…)


 収まり付かず胸の内で更に悪態を付きながら、背後の夕陽の作りだす長い影を追い掛ける様に二人は歩きだす。

 とにかく、今日は朝から本当に最悪な一日だった。


 かくなる上は字実野にあって今日の事を洗いざらい話そう。彼ならこの思いを分かち合ってくれるに違いない。

 だが。同時に字実野に対しても、説明を要求せねばならないのは確かである。


(…どうすればいいんだろう)


 字実野の紹介でやってきた糸視者の集う場所。だが、そこの責任者は字実野の事を罵倒した。

 使用人に至っては、字実野の紹介の件も知らない有様だった。


 これは、一体どういう事なのだろうか。


(まあいい、まずは会ってから考えよう。何にせよ早く会いたいからな)


 場合によっては、酒に付き合うのもいいだろう。いや、今日は大人がする様にとことんアルコールに溺れてみたい気分だ。

 その後、二人は来た時と同じく言葉少ななまま、ようやく駅迄辿り着いたその時である。


「お腹すかね?」


 マキがほぼ丸1日ぶりに食事をとる事を所望してきた。

 タイトとしてはまた長い長い移動時間があるし、電車の運行状況も考えて一刻も早く出発し字実野に会いたかった。

 しかし昼食も満足に採っていなかった事もあり、電車での長い移動を開始する前に腹ごしらえも悪くない。

 字実野への連絡もその時に済ましてしまおうと考え、二人は近くのファーストフード店に入って行った。




「ふぃ…」


 大量の氷で嵩を増した薄味のウーロン茶を喉へ流し込みながら、これまた薄っぺらいバンズと成型肉でこしらえられたハンバーガー様の塊を口に運ぶ。

 しかしながら空腹である事を差し引いてもこれがなんとも旨い。強行軍の後なので体が欲しているのだろう、ポテトの塩分も堪らない。


 だが、タイトの想定ならば今頃二人はシックザールの本部で盛大な歓迎を受けた後、そこで催された賑やかな夜食会の主賓として、寿司やら点心やらを箸で摘まんでいた筈だった。…いささか、都合の良すぎる想定ではあるが。


 それが、である。

 目の前で豪勢とは言えない夕食をガッツンガッツンかっこんでいる相方を見るにつけ、切なさ情けなさが込み上げてくる。


「あぁそうだ!字実野さんに連絡しておかなきゃな」


 沈んだ気持ちを持ち上げる様にわざと大きな声を出して、タイトはスマートフォンを取り出す。

 確か、HERE RINKでチャットが出来た筈だ。その時である。



「連絡する必要、ないよ」



 ナゲットを口に放り込みながら、マキが何でもない様に唐突にそんな事を口にする。


「必要ないって…そんな訳にいかないだろ?あんな事があったんだし」


 困惑するタイトをよそにナゲットの最後の一欠片を片付け、指先を舐めながらマキが尚も放った次の一言は、更に彼を驚愕させた。


「だからもう会わなくていいから」

「なっ…!」


 会わなくていい…だって?


「どういう意味だよ!」


 納得出来ずに詰め寄って来るタイトに対して、コーラを一口啜ったマキは姿勢を正して彼の方に向き直る。

 その表情は至って真面目で、先程の発言が本気である事を窺わせる。


「あのさ。当初の旅の目的と日程、覚えてる?」


 マキから意外な言葉が飛び出して来る。確かに、タイトはこの旅の目的を見失っていた。

 そしてそれをマキはすっかりお見通しであったのだろう。


「…二人が視た赤い糸の行方を辿る、だろ。…でも、もうそれ出来てないだろが」


 二日前の夕刻、二人が山林をさ迷っていた辺りから、どちらにも糸は視えなくなっていた。そこは確かで、今もタイトにはマキの糸は視えない。


「そう、視えないよね。でさ、計画の通りだと、今日の正午の段階で糸の行方が追えなくなった場合には、以降の日程を決める段取りになってた筈なのよね」


 確かにそうだ。旅に出る前、二人でそう決めた。そしてもう糸は追えていない。

 だからなのか。


 マキは、この旅はもう終わりだと言っているのだ。

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