第28話

 とにかく、長かった。

 東洋の言葉から、なんとなく自分達の来訪は彼等の預かり知らぬ話、もっと言ってしまえば歓迎されていない雰囲気というのは察せられた。にしても、いくらなんでも待たせ過ぎではないか。

 午後二時には到着してこの部屋に通されて、ようやく代表に会えると告げられたのが六時過ぎだ。


 その間、車の止まる音がしたり複数の人間の行き交う音も聞こえはしたが、二人に声がかかる気配だけはついぞなかった。

 ただし、決して放置されるに任されていた訳ではなく、二人を待たせている事への詫びの言葉とお茶とお菓子とを携えて、東洋が幾度か現れはした。

 だが、彼が引き合わせるといった代表とやらは一向にやってくる様子はない。

尋ねる度に帰って来るのは「申し訳ないがもう少しだけ待って欲しい」の一点張り。

 だから、扉が開き頭髪の薄い頭が覗く度に、失望させられる一方であったのだ。


 東洋が用意してくれたお茶もケーキもそれなりにちゃんとした物であったのだが、 そんな有様だからタイトはそれを口にする気にはなれなかった。

 そのタイトとは対称的に、マキはといえば昨夜から続いていた粗食傾向はどこへやら、パクパクとあっという間に平らげてしまい、遂にはタイトが口を付けなかった分のケーキまで食べる始末だ。タイトは、そんなマキの態度も気に入らなかった。


 それでもようやく、面会の用意が整ったと東洋から知らされタイトの顔にも明るさが戻って来る。もう陶器のパンダの模様を数えなくて済むのだ。

 そわそわとして気もそぞろ、心ここに在らずといった風に立ったり座ったりな彼を見るにつけ、マキをして


「少し落ち着いたら?」


とたしなめられる始末だが、


「ここまでお預け喰らったんだぞ?むしろ緊張するなて言う方がどうかしてると思うね」


 と返すタイト。だが折角対面したのに、極度の緊張で言いたい事も言えないなんて事になったら本末転倒なのは確かで、それこそ四時間以上待ったのが水泡に帰す。

 はやる気持ちを押さえ付け、直立不動の姿勢で待つ事更に数分、ようやっと部屋の扉が開かれた。


(遂に、来た…!)


 中へ入って来たのは東洋の押す車椅子に座った一人の老女だった。

 額には深い皺が刻まれ、上品に結わえられた髪は真っ白、小さな丸眼鏡の奥には切れ長の一重まぶたの瞳が光っていた。


 東洋は出会った時と変わらない、どこか間の抜けた感じのままなのだが、彼女の方からどうも只者ではなさそうな、ピリピリと緊迫したものが感じられる。

 それはさながらオールドミスの教頭が、生徒を叱る寸前に放つプレッシャーを想起させる。どう見ても、二人を歓迎している様ではなかった。


「…」


 二人の正面に陣取った老女は、初対面の折りに東洋がして来たように、上から下まで舐める様にジロジロ見回すと、挨拶もないままこちらへ向けてその尖った顎をしゃくる。

 どうやら、着席を促している様だった。


 タイトは指示に従いながらも、その胸中には疑惑がどんどん広がってゆく。

 眼前の彼女から放たれる無言の圧力の前に、自分は萎縮してそのまま潰えてしまうのではないかとすら感じる。

 念願叶ってようやっと、シックザールの偉い方と対面となったというのに、心に掛かった不安の雲はかえって大きくなる一方だ。


「…自己紹介位なさいな」


 目の前の老女から、最初に発せられたのがその言葉だった。


「あっはい、織部タイトと申します」

「マキでーす」


 相変わらずのマキの能天気ぶりに苛立ちを覚えつつも、相手の放つ悪意に全く動じる事のないその胆力に、素直に関心もする。

 それよりも、まずは挨拶しろとは。要求する前に自分から先に名乗るのが礼儀ではないのか?


「ふん、詰まらない名前だこと。…で、ここに一体何の用があって来たのです?」

「あの、私達名乗りましたし!今度はおばーさまのお名前を教えて頂くのが筋じゃないでありませんですかねー?」


 人に名乗らせて於いて自分は名乗らない。流石に彼女もその態度が気になったのだろう、マキが一言物申す。

 もっとも、無礼千万といえばそれこそマキの方が十八番なのだが。


 一方でタイトはというと、この老女からの初対面の人間へのあんまりにもな態度と、親から付けて貰った名前に対する失礼極まりない物言いに呆気に取られ、何も言い出せかった。


「はっ。如何にもあの男の僕らしい。小娘の癖に随分と生意気な口をきく。

私は折野おりの。折野ツルです。一応、ここの代表という事になっています」


 折野と名乗った老女は相変わらず頑なな態度を崩そうともせず、散々待機させた事への謝罪も、ここまでやって来た事への労いの言葉も一向に口から出てくる様子はない。

 どうもこちらの出方を待つのみのようだ。仕方なく、タイトはまずはここへの来訪の理由を述べる事にする。


「あの、僕たち、これまで字実野さん以外には糸が視える人間に出会った事が無くてそれで、字実野さんからこちらの話を伺って、それで、是非皆さんに御目にかかりたくて…」

「それだけ?」

「え?えーと、糸視の力に関してまだまだ未熟なので、その、是非とも!色々ご教示頂きたく…」


 タイトはなんとか受け入れて貰おうと一生懸命説明をするが、それも折野の心には何も響く物が無いようで、眉一つ動く様子がない。

 やがて、彼女は二人へ冷たくこう言い放った。


「糸を」

「はい?」

「私に付いている糸を、答えて御覧なさい。さあ早く!」

「はっはい!」


 折野から彼女にかかる糸を教える様に言われて、タイトは慌てて彼女を凝視する。

 だが、実の所東洋に関してもだったのだが、「何もかかっている様には」視えなかった。

 しかしこういう事は経験上珍しい事ではなかったから、タイトは有りのままを答える事にする。


「何も視えません」

「あなたの方は」

「同じっす、何も視えないっす」


 …どうだろう。これは明らかに自分たちを試している、その力を測っている。

 自分の解答が折野の望む通りなら良いが。

 結論から言うと、二人の答えは彼女の思惑通りだった。

 だが、その事がタイトにとって喜ばしい展開にはなる事はなかったのだが 。


「そうですか。視えませんか。…そうでしょうね」

「あの、何かそれが…」

「私達は、糸を『隠す』事が出来るのです。あなた達にはその私達の力を超えるだけの『糸視力ししりょく』がないと解りました」

「そんな!」


 そんな力、聞いた事がない。そもそも、自分達はこの世の全ての糸が視える訳ではないのだ。


「安心しました。あの卑劣な男が放って来た手下にどれだけの力があるかと思えば、ろくに糸も視えやしない半人前だったとは」

「あのっ、あのっ…!」


 一体全体、どうなっているというのだ。

 字実野の紹介でシックザールの面々から歓待を受けるかと思っていたら、実際には長々と待たされた挙げ句、魔女の様な見た目の老婆に糸視の力へケチを付けられ、蔑まれている。


(しかもコイツ、今字実野さんの事を卑劣って!)


 字実野から連絡がいっていたかどうか、それはこの場で本人達に聞けば解る話だ。

 だがこの段で、もはやタイトにとって目の前の老女は「敵」となっていた。

 その発言から鑑みるに、折野が字実野に敵対心を持っているのは明らかだったからだ。


 ならば、もはやここに居る必要はない。

 長居は無用、というよりこれ以上ここにいて不快な思いをするのは耐えられなかった。


「まあまあツルさん、あんまり若い衆を虐めなさんな、年甲斐もない」


 これまでだんまりを決め込む一方だった東洋がようやく口を開き、二人をフォローする。

 当の折野は全く聞く耳を持たず、それを無視する形で彼に別の指示を下した後、これまでよりかは少しだけ優しい口調で、二人に諭すように語り始めた。


「東洋さん、この二人をお見送りして。聞きましたね、面会はこれで終わりです。

…糸視の力というものは、総じて不幸しか生みません。

その力を手にしたならば、最良なのは目を穿つ事。

それが出来ぬならば、何も視ぬ事、視えなかった事に努めなさい。

ここの事も、糸視なんてつまらぬ力の事も全て忘れてしまいなさい。

いずれは糸そのものが視えなくなる日が来るやもしれませんから。

あなた方の様に愚かな若者には、それが分相応な生き方でしょう」

「解りました、こちらへはもう二度と来ません」


 彼女の話をタイトは後半の方はよく聞いていなかった。聞く気が無かったというべきか。

 全校集会の校長の長話を聞いている時の気分だった。あちらはこちらへ敵意をむけてはいない分だけマシだが。


 大体が、尊敬できかねる人間の、説教臭い話程ウザい物はなかったから、また語りだされる前にタイトの方でさっさと会話を打ち切ってしまいたかったのだ。


 タイトと折野のそのやりとりを聞いて、恐る恐るといった調子で東洋が己の意見を述べる。


「どーでしょうなあ?もう日も落ちますし、今日の所はこちらに泊まっていって頂くというのは?」

「あーそれさんせ…」

「必要有りません。宿、有りますから」


 東洋の発言に賛同するマキを遮る形でタイトはその提案を一蹴すると、そそくさと帰り支度を始める。そんなタイトを見ながらマキは東洋に向かって肩を竦めてみせた。

東洋の方も右手を顔の前に上げて小さく頭を下げて応える。


「東洋さん、何をぼさっとしているのですか。二人共支度が終わりますよ」


 その段階で、マキの方は帰り支度もそこそこに、すっかり冷めた紅茶を胃に流し込んでいる最中だったから、折野の発言は暗に「グズグズしないでさっさと消えろ」と言っているのだろう。


(言われなくとも消えてやるよ)

「字実野とも会ってはなりませんよ。不幸になりたくなければ、ね」


 まだ少しもた付いているマキを引っ張って、扉へ向かったタイトの背中に投げ付ける形で付け加えられたその一言に、タイト自身も驚いてしまう位失礼な返答が飛び出す。


「あなたの様な隠居老人よりは頼りになります」

「タイト!」


 終始不躾な態度を取っていたのは相手の方だとはいえ、年上の人間に対する相方の失言を聞いたマキが、珍しくタイトを叱責するも


「マキ、今更お前に礼儀作法の事でグダグダ言われる筋合いはないよ。行くぞ!」


 折野に向けた調子も変わらぬままマキにも乱暴な口調で言い渡すと、大きな足音をわざとらしく立てながら数時間前まで憧れだった本部の施設を後にした。

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