第27話

 時間は早いが、通りは通勤中のサラリーマンで溢れている。流石は勤労大国日本である。

同時に、人の流れの分だけ糸も目につく。


「頼むから、今日は面倒起こすなよ」

「大丈夫、約束する」


 これまでならこういった苦言に対して、何かしらの口答えが返って来るのが常だったものだから、今か今かと待ち構えていたタイトはあっさりと恭順の意思を示され、少しばかり面食らった。


(調子狂うな)


 面倒起こすなと言って起きながら勝手な言い種ではあるが、マキは約束通りそのままずっと静かなままだった。


 すれ違う通行人に病気を暗示する「病の灰」が見えても、まるで目に入ってないが如くスルーだし、すっかり日が高い所に上がってお昼時になっても、飯だ飯だと騒がずおとなしく電車の座席に座って、ぼんやりと車窓から風景を眺めているばかり。


 こうまでガラリと立ち振る舞いを変えられては、体調でも悪いのかとやはり不安になってしまう。が、だからといってここで変に藪を突くのも愚策と考え、タイトも貝のように押し黙る。

 何しろ、藪から出てくるのは蛇といっても良くてマムシで下手すりゃコブラ、事によっては最悪アナコンダの類かもしれないのだから、余計なちょっかいは出さないが吉なのだ。


 やがて電車が目的地に付く。夏場の午後の日射しが容赦なく照り付ける中、シックザールの本部を目指す行軍が始まった。



 地図によれば本部の所在は静閑な住宅街の先、小さな山の中腹に位置する邸宅である。

 昼下がりに直射日光に晒されながらひたすら傾斜の緩い坂を登る道中は、タイトの方からマキに対して弱音を吐いたりもしたのだが、それに返答はくれるもののマキの方はついぞ一言も声を発さなかった。

 そうしてタイトが汗だくになりながら石作りの階段を登りきった先、立派な門構えの西洋風の屋敷が見えてきた。


「ここか…!」


 期待にタイトの胸が踊る。

 入口には金属製のプレートで「シックザール織糸研究会」の標札がかかっている。

 間違いなくここだ。だが、周囲を見回しても呼び鈴の類いも見当たらない。人の気配も感じられない。見れば、門に錠もかかっていない。…となれば。

 言い訳は中でたっぷりとさせて貰おう。


「失礼、しまーす」


 タイトが出来るだけ大きな声で挨拶をすると、二人はシックザール本部の敷地内へと足を踏み入れた。


 一応手入れはされている様だが、若干過密状態とも思える庭木の間をすり抜け、建物へと近づこうと試みる。

 相変わらず人の気配は無く、鬱蒼と茂る様々な植物を掻い潜る様に進んでいく。

 黄色い煉瓦の歩道が道しるべになってはいるものの、密集した低木に囲まれた道はまるで建物へ来る事を拒んでいるかの様で、タイトの脳裏を少しばかり不安が過る。


 と、彼のすぐ脇の茂みが蠢いた。


「うわっ!」


 ほんとに蛇でも出たのか。タイトは不意討ちを食らってすっとんきょうな声をあげる。同時に、


「うおっ!」


 茂みから現れた蛇。…ではなく人間の男性も大層驚いた様子で、よろけて手に持っていたバケツを地面に放り出し、中から小さなシャベルや、袋に詰まった肥料やらが辺りに散らばった。

 そのまま尻餅を付きそうになりつつも、側の低木に体を預けてそれを防いだその人物は、見た所五、六十代とおぼしき頭の禿げ上がった初老の男であった。


「ああすみません!」


 慌てて、タイトはそれらを拾いにかかるとマキも続けてそれに倣う。


「ああ、いやいや、こちらこそすみませんね。何しろ、こんな所にやって来る人なんて珍しいもので」


 そう言いつつバケツの中身をあらかた集め終わり、ゆっくりと立ち上がったその男は、二人の姿を値踏みするかの様にじっくりと見つめた後、ようやく話しかけて来た。


「はは。こりゃいい若者と美人さんだ。学生さんの到来とは何年ぶりかねぇ。

お二人は、もしかしたら、恋人同士…ですかな?」

「違「違います」


 マキが何か言うより早く、タイトが全力で否定する。それにしても、いきなり品定めするような目付きに初対面の人間へマナー違反の質問。

 タイトはこれが求めて来たシックザールの人との邂逅かと、やや幻滅した。


「あぁこれは失礼しました。お似合いに視えたもんでね…して、こちらへのご用向きは?」


 今度はタイトより先にマキが応える。


「ここ、シックザール織糸研究会だと聞いて来たんですけど」

「ええ、そりゃ標札の通りなんですよ。でもうちじゃ織物とかそういうのは」

「あー違います。『視える』んですあたしら」


 どうも勘違いしている様子の男が言い終わらないその内に、マキから発せられた言葉に明らかに男の様子が一変する。


「なんと!そりゃ、あの糸が…て事ですか!」

「そうです、はじめまして僕は織部タイト、こちらはえーと、マキ。僕ら、字実野キリヤさんの紹介で来たものです!」


 辺りに乾いた音が響く。再び、男がバケツを地面に落としたのだ。


「あーあーもーもー」


 マキが早速、それらを拾い集める。


「あーいや、度々申し訳ない、いや、ほんとにびっくりしましたなあ」

「あの、こちらも突然来訪してすみません。僕ら、どうしても自分達以外の『視える人』に会ってみたくて」


 自らも散らばった肥料をかき集めつつ謝罪しながら、タイトは妙な違和感を覚えていた。

 …自分たちが来る事は、字実野から事前に伝わっている筈だ。

 その連絡は、この人には伝わってない?


「いやいや、重ね重ね申し訳ない。申し遅れましたが私は東洋、東洋ツムグと申します。

これでも、ここじゃ一番の若輩者でしてな、雑務や庭の手入れなんかをさせて頂いております」


 東洋、と名乗った男の自己紹介を聞いて、タイトは少し安心する。聞いた感じではここでの地位はあまり高くはないのだろう。

 ならば末端にまで自分達の到来の旨が伝わっていない、それだけなのだと自らを納得させる。


「確かにここには糸の視える者、『糸視者』が集っております。

善は急げ、皆に会って頂きましょう」


 その後、東洋の案内で二人は黄色い外壁に蔦の絡まった、二階建てのこじゃれた館といった佇まいの、シックザールの本部の中へ案内された。


「暫くこちらで待っていて下さいな、直に代表達を呼んできます」

「宜しくお願いいたします」


 二人は大きなテーブルが設えられた、客間の様な所に通された。

 そのテーブルの長さと一定距離で数脚置かれた椅子を見るにさながら会議室といった印象だが、違うのはオフィスなどの殺風景な部屋とは違い、壁沿いに置かれた戸棚には花瓶や動物の置物の類い、凝った装飾の額に収まった大きな鏡の手前には飾り皿や年代物とおぼしき壷や調度品がならび、カーテンも派手な色使いの刺繍で重たそうなものがかかっている。


 総じて、お金持ち…それも、上品な貴族の風情というよりは、目利きの出来ない成金の収集物といった物で、部屋が彩られているという印象である。

 所狭しと乱雑に並び立てられたそれらは正直、タイトの趣味と合わないものだった。


 だが、彼の普段の生活の中では中々御目にかかれない珍品ばかりというのも確かで、それらを眺めて暇を潰すには丁度いい代物だった。

というのも、二人はここに通されてから、かなり長い間待たされる事になったからだ。


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