第25話

 その後、タイトとマキは糸視の力に関して、もう少しだけ話を聞かせて貰った。


 糸は自分に関連する事象の物は本人には視えない事。

 但し、稀に自分に絡む糸が視える人間もいる事、それは慣れない内は強い感情の発露の時が多いという事。

 何より糸の視え方にも個人差はある事。


 それ以前にこの世の中全ての糸が視える訳では無い事。かつてその域に迄「達した」人間もいたが、そういう場合大抵が自らの命を絶っていたという事。

 関連して、糸を結ぶ対象は何らかの事物を中継して視える事もある事。


 強い糸と弱い糸とが有って、得てして強い方の糸が視えがちな事。

 糸視から先、更なる「派生」の発露にも個人差はあるが、他の糸視者との接触を重ねる事でその機会は増えていく傾向にある事等。


 タイトとしては知識でなく体感として把握していた事実も幾つかあったが、こうして「その道の」先輩から話を聞いた事で、改めて生きる上での知識として己の血肉に出来そうな気がした。


「まあざっとこんなものか。さて、今日はお前らも疲れたろうし、

これ以上詳しい話は明日シックザールで改めて聞いて貰おうか。

こちらから事前に話は付けて於くから、安心して訪ねるといい」


 そのまま、簡単な明日の予定を組み立てる。どの交通機関を使うか、出発時間、具体的な目的地の場所等、字実野は簡潔かつ分り易く説明してくれた。


「何から何まで本当に有り難う御座います!」


そんな生真面目なタイトの様子に字実野の方も目を細めて応える。


「言ったろ、こっちも仲間が増えて嬉しいんだ。

それに、今俺に歳が一番近いのはお前らだからな、お節介もしたくなるのよ」

「字実野さん…」


 本心を言えば、タイトはこのまま夜を明かして会話に興じていたかった。

 だが、今日は本当に色々と有り過ぎた。疲れから寝過ごして、字実野の好意を無駄にする様な不様な真似はしたくない。


「そうですね、今日はこの辺でお開きに…」

「おう、あのホテルの場所は大丈夫か?うん、HERE RINKに入ってるな、よしよし。じゃこの後はゆっくり休みな」

「はい!」

「お疲れしたー」


 これで順当にお開きと相成ってくれていれば、終わり良ければ全て良しでなんの後腐れもなく、この会合は成功という事で閉められたのであろう。

 が、そうは問屋が卸さないのがマキという少女の厄介な所である。


 字実野が勘定を支払おうとする段階で、マキが「自分の分は自分で払う」と言い出したのだ。

 年長者として、糸視能力の先輩として振舞おうとしたその面目を潰されたのだから、さしもの字実野も引きつった表情になっている。


 タイトはとうとう我慢ならずにマキの襟首をひっつかみそうになったが、すんでの所で背後から字実野に取り押さえられた。


「たく、なんでお前はそうなんだよ!さっきから失礼極まりないだろうが!」


 マキに食って掛かるタイトを牽制しつつ、やはり固い表情のまま字実野がマキに問い掛ける。


「遠慮しなくていいんだぜ。なのに、なんでか理由を教えてくれないか」

「以前からそう躾られて来たんです。

食事の席で、相手が誰であろうと奢ってもらう様な事はいけないと、ばーちゃんから」


(…お前、散々俺の金でラーメン食い散らかしていたろうが)

 

 タイトはそのままつい口汚くマキを罵りそうになったが、すぐ脇の字実野がやはり不快な気持ちを一心に抑えているのを見て取ると懸命に己を律する。


「そうか。おばあちゃんからの言い付けか。まあ家庭にゃ色々しきたりがあるからな。でも今度からは、事前にそういう話はした方がいいぜ。

それとタイト、お前は俺の方で勘定を持つのでいいか?」


 無論、タイトとしてはここで字実野の顔を立てない理由は存在しなかった。

 というかマキも今日になって、なんでこんなに色々強情なのだ。


 結局、マキは自らの勘定は自分で支払った。彼女としてはタイトの分も支払うか、彼自身に勘定をさせたかった節も伺えたが、タイトの方が怒りの籠った目でじっとマキを睨んでいるのを見るにつけ、流石に言い出せないでいた様だった。


 こうして、途中和やかな雰囲気にもなり、楽しかった筈の会食は最後の最後で微妙な空気になって解散と相成ったのである。

 字実野と別れてからも、タイトは憮然とした面持ちのまま一言もマキと言葉を交わそうとしなかった。

 と、


「ゴメンね」


 ぽそりと、タイトに対してマキが謝罪の言葉を口にした。

 その声のトーンはかつてタイトが聞いた事もない位、力無く沈んだものだった。

 その声色を聞いて尚、ここから今宵の件を糾弾出来る訳が無い。


「もういいよ。戻って寝よう」

「うん…」


 二人は無言で、人の疎らになった見知らぬ歓楽街を言葉少なに並んで歩く。そしてそのままホテルの部屋の前迄、なんの会話もなく別れてしまったのだった。


 タイトは釈然としないまま、荒々しく上着を脱ぎ捨てて真白いベッドの上に身を投げ出す。目蓋を閉じても、先のマキの様子が気になって、悶々としたまま目が冴える一方だ。


(なんだよアイツ)


 ようやく、身だしなみに気を使ってくれたと思ったら、その場に居合わせた恩人に失礼な態度をとる。

 はたまた、食事時に珍しく慎ましやかな態度を見せたと思いきや、会計時にまた一悶着する。


 どれもこれも、それまで見せた事のないマキの姿だった。

 こうなるのなら今まで通り、奔放に、破天荒に、字実野の財布が幾分軽くなったとて、メニューの右から左まで頼んで、豪快に飲み食いに専念してくれた方がまだ良かった。


 本当に、掴み処捕え処のない、不可思議な少女である。

 その不可思議な彼女と過ごして来た数日はエキサイティングかつドラマチックではあったものの、今日新たな一面を見たのもあって、その奇想天外さについていくのが少々しんどくなって来たのも確かだ。


 なにしろ、タイトにとってマキという人物は、その思考が読めないだけに留まらず、殊更に人並み外れて万事が万事エネルギッシュなのだ。太陽と散歩出来たらこんな気持ちにもなろう。


(まあ、いいさ。今度からは字実野さんがいる)


 これまで、糸視の事を共有出来るのはマキだけだった。

 だが、これからは字実野もいてくれる。

 マキとの出会いから全てが変わっていった事など記憶の彼方に消し飛ばし、劇的な字実野との出会いのみ、彼の中で美化されてゆく。


 今、タイトの興味の渦中にあるのは明日から始まる、新たな素晴らしいであろう出会いだ。

 マキだけでない、字実野だけでもない。明日には十数人単位での「同胞」と相対する事が叶うのだ。


 彼らは自分達を見てどう思うだろう。若者が字実野以外に居ないというのなら、もっと若い自分達はまず歓迎されると考えていいだろう。

 糸視能力についても今日字実野に教授して貰った以上に、その深淵に至れるに違いないのだ。それはきっとかけがえのない体験になる。


 もう、糸が視える事で一人世界を呪ったあの日々が甦る事はない。


 そればかりか、彼等の導きによって糸の力を引き出して、まるで冒険小説の主人公さながら八面六臂の活躍が出来るようになる迄有り得る。


 夢が、希望が、妄想がどんどん膨らんでゆく。


 灯りの消えたホテルの薄暗い部屋の中で、タイトはスマートフォン上のアイコンをタッチする。

 表示されたのはHERE RINKのアプリケーションだ。

「同期済」の項目には、字実野の名前がある。彼の方は今の時間は端末の電源が落ちているか、同期を切っているかのどちらかで今どこにいるかは解らない。


 タイトは指をスワイプさせると、表示されているマップの縮尺を調整する。やがて、有る箇所に矢印とウインドウの組み合わさったカーソルが表示される。

 そこが明日目指す「シックザール織糸しいと研究会」の所在地なのだ。


 それを見つめるタイトの瞳はまるで遠足前日の幼児が如くキラキラと輝き、ワクワクからその胸の動悸は収まる事を知らない。

 既にマキの件は忘却の彼方にあったとはいうものの、タイトは昨日とは違い、今度は期待と興奮からその夜もまるで寝付けそうにはなかった。



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