第23話

「そうだタイト。お前、スマホ持ってるよな?」

「はい。結構前の機種ですけど」

「『HERE RINK』、使えるか?」


「HERE RINK」とは、位置情報共有アプリケーションのひとつで、その先駆けとなったモノだ。

 登録者同士で互いの現在位置を把握しあえるのは勿論、チャットにメールも可能である。

 個人のプライバシーを晒し合う事と、 それに起因する軽犯罪の危険性等も問題視されてはいるが、キャリアを通さずメールが出来る点等が話題となり、主に若年層を中心とした圧倒的な支持を受け、短期間で爆発的に普及した。


 タイトのスマートフォンは少し前に母が与えてくれた。ニ年以上前に出た古い型なのだが、それでもHERE RINKは購入段階でプリインストールされている程だ。

 巷ではこのHERE RINKで登録を行い、位置情報を共有するグループになる事が「 RINKする」と呼ばれ、このRINKした相手を「HERE友」といい、この一連の流れが学生の間でもコミュニケーションの一環として普通に行われている。


 ただ、タイトは周囲と隔絶した時期と、HERE RINKが流行りだした時期が微妙に被ってしまった事も災いして、これまで誰ともRINKしていなかった。


「入ってはいるみたいです。でも、一度も使った事なくて」

「あるんなら問題ない、RINKしようぜ?

俺がタイトの始めてのHERE友なら、こんなに光栄な事もない」

「あ、でも操作が…」

「どれ、ちょっと本体を見せてもらってもいいか?…おうわりいな。うん、これで良し、見てみろ」

「あぁ、これがそうなんですね。有り難うございます!」


 字実野はタイトの端末を少し弄ると、位置情報共有の設定をしてくれた。

 何か、字実野との関係が恩人というものから一歩進んだような気がして嬉しくなる。


「さて、嬢ちゃんはどうする?もし良ければ」

「あーアタシはいいっス」

「…そう、か」

「おいマキ!言い方ってもんがあるだろ!違うんです、あの、コイツ、スマホ持ってないんです」


 字実野の誘いを言い終わるのを待たずに即効で否定するマキの態度に苛立ちを隠せず、またしても大きな声をあげてしまうタイトだが、同時にこの場でのフォローもきちんと欠かさない。


 もっとも、マキの為というよりは、タイト自身が字実野に悪く思われたくないという理由の方が大きいのだが。


「ほっ。そりゃ、今時珍しいな」


 タイトの言葉を聞いて字実野も唖然とするが、同時に納得もしてくれたようだ。「HERE RINK」の使用に限った話ではなく、流行に敏感で有ろう年頃の女子高生がそうした情報ツールに執着がないというのは、確かに珍しいだろう。


 タイトがその事実を知ったのはあの夕刻の公園で、連絡先を交換する際の事だ。

 あの時は驚いたが(更に言うなれば携帯は持ってなくともデジカメは携行していたのである)、僅かなりともマキと行動を共にする中で、彼女がそれを必要としない理由もなんとなくだが解ったフシもある。


 モノに対する執着が薄いのだ。あるとすれば胃に入るものに関してである。


「必要ないんで」

「マキ!」

「いやいや、俺もよく確かめずに悪かったよ。

それに考えてみれば、スマホより前、みんなが当たり前の様に携帯電話を持ち始めたのだって二十年ちょい前がせいぜい、俺がハナ垂れ小僧の時さ」


 字実野はそう言いながら胸元から取り出したメモ帳にペンを走らせると、そのページを剥がしてマキに手渡す。


「これが俺の連絡先だ。今回の事も何かの縁だ、受け取ってくれると嬉しい」

「…」


 マキは軽く会釈をすると無言でそのメモを受け取る。

 ここに来てからずっとぶっきらぼうなマキと、やはり感情を害した所があるのか同様に表情が固い字実野。

 それはほんの一瞬の出来事であったのだが、そのやりとりの後三人の間に妙に緊張した空気が流れる。


(ったく、たかだかメモの受け渡しでなんでこんなにヒヤヒヤさせられるんだ?)


 タイトはなるべくこの場を穏便に取り計らって欲しいと願うが、当のマキはそんな事なぞどこ吹く風で、そんな彼女の態度にタイトが怒りすら覚え始めていた時だ。


 ふと、そのマキが真剣な表情をし、目線が彼らとは見当違いな方向を向いているのに気付く。

 嫌な予感。マキがこんな顔をする時は大抵…。


「あーありゃ盛大だな。見てみろタイト」


 字実野もマキの視線の先に何があるのか察した様で、こっそりとジェスチャーで指し示す。


「うわ…」


 その先を己の目で確認したタイトも、思わず息を呑む。

 そこには危なげに配膳台を押す一人のウェイトレス。その奥には人目憚らず下品な笑いをあげる若者の集団があり、彼女と彼らは「斑の紐」でしっかりと繋ぎ合わさっていた。


 見た感じからおそらくは大学生、皆一様にいい体格なので運動系の集まりなのだろう。

 人数は八人で男女比は半々。

 少し前にタイト達の更に奥の席へ通されていたが、そこへ向かう時からかなり騒がしい連中で、ここがプライベートな空間であるかの如く奇声や嘲笑を上げる様にタイトは眉を潜めていた。


 その彼らから「斑の紐」が一本づつ伸びて途中でより合わさり、件のウェイトレスに繋がっている。こちらはお下げの黒髪に眼鏡と、いかにも真面目な女学生という感じだ。

 歳の頃も糸の先の大学生グループとそう変わりはないだろう。


 ただ、挙動を観察するにどうにも動きがおぼつかない有り様で、タイト達の注文を取りに来た時も三回程聞き違えた挙げ句、厨房へ戻る道すがら別のウェイトレスに引っ掛かってお盆の上のお冷やを二人で盛大にひっかぶっていた。


 しかし、そのウェイトレスはおっちょこちょいながらも同僚からは邪見にされている様には見えず、巻き込まれた方がやや呆れ顔ながらも、落ち込む相方を励ましつつ後始末を共にする様子を見ていれば、悪い人間ではないのだろうという推察も付く。


 だが、彼女の先に居るあの集団には、彼女個人のパーソナルなど知った事ではない。

 あの様に騒ぎたてる質の人間にとっては周りの人間は目障りであるか、そうでないかに大別されるだけだ。

 そして、一旦不快な存在と認識されたならば最後、様々な形の暴力を覚悟しなければならない。


 これらの状況を見て、あの迂闊なウェイトレスが配膳時に大学生達と何らかのトラブルを起こすのであろうというのは想像に難くない。

 お皿をひっくり返すか、注文を間違えてしまうか。


 同じ様にマキも考えていたのだろう、早速席を立って駆け寄ろうとするのを慌てて腕を掴んで取り押さえる。


 と。タイトの手の平に、少女特有の柔らかで薄い皮膚と、硬い骨の感触と、心地よい暖かさの体温とが伝わってくる。

 それを意識した途端、自分の動悸が沸騰するかの様に激しくなる。

 よくもこんな小さな、細い腕で。身の危険を省みずにやたらと厄介事に首を突っ込む気になるものだ。


「何すんのさ!」


 顔見知りとはいえ(更に言えば人智を外れた大食漢で全くと言っていい程後先を考えない)年頃の女の子へ勝手に触れれば当然の反応である。


「あ、ご、ごめん!て、いうかだ、そりゃこっちの台詞だぞ?お前こそ、あそこに飛び込んで何が出来るっていうんだよ?」

「アタシが代わりに配膳するっしょ」

「あのな…」


 マキも配膳時に何らかの問題が発生すると踏んだのだろうが、彼らの思う通りに事が推移するとは限らないのが、あの糸から視る未来である。

 というか、突如無関係な人間が彼らの陣地に突貫して来て、あまつさえ食事をウェイトレスに代わって配り出しでもすれば、何の解決にもならず事態は泥沼の様相を増す一方だろう。


(かといって、このままマキが引き下がる筈も無いしなあ)


 タイトがこの場をどう収めるべきか、考えあぐねていた時である。


「落ち着けよ二人とも」


 それまで静観していた字実野が口を開く。


「でも、このままじゃ」

「ここでお前らが出ていっても事態はややこしくなるだけさ。

どうだ、俺に任せてくれないか?」


 そう言うと字実野は席を立って、さっさと大学生グループの方へ向かって行ってしまった。

 マキやタイトに代わって、字実野があのウェイトレスに降りかかる災厄を未然に防ごうというのである。


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