第22話

(凄い。それって!)

「もし、もーしもーし、タイトくん」

「わっ!びっくりしたな、いきなりなんだよ」

「なにやらフワフワしてる所申し訳ないけどさ、アタシあの時からずっと気になってる事があるんだけんども」

「え、俺に?」


 字実野の言葉に軽い興奮状態に陥っていたタイトは、マキが話に横槍を入れてきた事で平静を取り戻す。

 そういえば、ドローン大会の場所から逃走して一息ついた先で、何やら聞こうとしていたような気がする。


「…なんだよ」


 字実野との会話を中断させられた不快感もあって、ぶっきらぼうにマキを促す。


「あのさ、あの時。アタシが『デビル黒縄ー』のオッサンを助けた後さ」

「助けた、ね…」


 マキのキックによりドローンの軌道から逸れて、結果「黒死縄」の拘束から逃れた訳だから。マキが老人を命の危機から救った、その事実に間違いはないのだが。

かといってあの蹴りの勢いはドローンが当たって死ぬよかマシでしょ?でしょ?位のレベルで強烈だったと思われるので、それを助けたと胸を張って言うのもどうかと思う。


「アタシ、見えない何かに引っぱられて地面にひっくり返っちゃったんだよね。

タイト、なんかやったんと違わない?」


 思い出した。あの時は無我夢中だったから出来てしまったが、確かにあの時。

 何やら思う所があるのか、字実野も事の成り行きをじっと見守っている。

 マキには思い当たらない事実の様だし、ここはちゃんと説明しておく必要があるだろう。


「実はさ、糸を『手繰たぐった』みたいなんだ…」

「なんですと⁉」


 驚きのあまり元々大きいマキの瞳が更に見開かれる。

 キラキラと輝くその有様にまたも見惚れるも、我に返って慌てて目を逸らす。

 そういえば、初めて会った時もこの輝きに目を奪われたのだっけ。

 そのままマキは無言で見つめ続け、タイトに話の続きを促す。


 カラカラになっていた喉にお冷を流し込んでごまかすと、じっと待ってくれている二人の為に、あの時の事を自身も邂逅しつつ話し出す。


「あの時、糸が『移った』のが見えて。なんとかしなくちゃ、て思って。夢中で黒死縄に手を伸ばしたら、いつの間にか、糸を掴んで引っ張っていた」

「なる、アタシはそれに引っ掛かったのか!イヤイヤこりゃびっくり」

「あ、ああ」


 実際にはマキの感想と実態は少々違う。あの時、黒死縄が『シフト』したのはマキだったのだ。

 その様を目の当たりにしたタイトだが、事を起こすには何かもかも手遅れな状態だった。

 しかし、タイトはこの時これまで気が付けずにいたある事実を発見する。


 マキとドローン、これらとタイトとの距離は開いていたがそれらを結ぶ黒死縄、それ自体はタイトのすぐ上を走っていた。

 恐らくはそれを辿って行けば、終点にはドローンの操縦者がいると思われた。

だが、瞬きする様な時間でマキの人生は終わってしまうのだ。


 そう考えた瞬間、無駄と解っていてもタイトの手はその運命を紡ぐ糸に伸びていた。

 いつもなら、その手は虚しく空を掴んで終わる筈であった。

 しかし。あの時は掌に、固く締められた縄の感触が反ってきたのだ。

 タイトがそのままそれを思い切り引っ張ると、マキとドローンは地面に叩き付けられた、という訳である。

 

 だが、何故かタイトはこれまでマキにその事実を告げられずにいた。

 それを話した瞬間、マキとこれまで通りに接する事が出来なくなる。そんな気がしてならなかったから。


「やはり、そうか!あまり前例が無い事だからよ。お前の口からそう聞く迄、確証が無かったんだが、そうかお前さん『糸握しあく』が使えるんだな。こいつはレアな『派生』だぜ」

「感心しきりな所申し訳有りませんが、あたしゃ何の事だがさっぱりなんですが」

「そうか、嬢ちゃんは本当に『視える』だけなんだな。

タイト、他にはなんか心当たりはないのか?糸を視る以外に関して」

「すみません。実は、糸を掴めた事そのものが始めてなんです」

「成る程。その時は必死で、それでたまたま力が顕れた、て所だろう。

そして、二人は糸を視る以外の事はあまり把握していないようだな?」

「つか、ビックリなんですけど。初耳なんですけど。何故教えてくれなかったし!」

「あの状況下で説明出来るかよ!ただでさえ切迫してたのに」

「その『しあく』の件はどうなん?それがあると解ってたら、もうちょいスマートに解決出来たかもですやん」

「言ったろ、始めてだったって。

…この件に関してちゃんと説明のないまま来ちゃったのは謝るよ、ごめん」

「まあまあ。色々と厄介な力だ、初めての割には巧くやった方じゃないか?」


 納得のいかない様子のマキをなだめるかの様に、字実野が間に入ってくれる。

 これまで自由奔放且つ支離滅裂な発言行動を繰り返すマキと。マンツーマンでしかやりあって来なかったタイトにとって、助太刀に入ってくれる援軍がいる状況はとても頼もしかった。


「ま、あんまごちゃごちゃ言ってもしゃーないか。タイトがアタシのミス、フォローしてくれたって事でしょ」


 マキはそう言いながらカマンベールチーズを千切って口に運ぶと、チャーミングに微笑んでみせる。


「お、おう」


 やはり真相を言い出せないタイトは、そのマキの顔をみて火照りを自覚出来るほど真っ赤になってしまい、その照れ隠しもあって字実野に話題をふり直す。


「あの、字実野さんは先程糸握とか、派生とか仰有っていましたよね?

それってもしかして、今回僕が出来たように、糸には『視る』以外にもそれに関わっていけるやり方がある、って事ですか?」

「そうだな。二人は糸が視える様になってから、長らくそれ以外を自覚していない様だが。

実の所、あの、人の繋がりと未来を司るしゃらくせえ糸には、色々な形で『干渉』する事が出来る」


 二人、思わず息を飲む。


「例えば、視界に入る糸を選り分けて特定の糸のみ視る『

選んだ糸に目印を付けて追跡なんかに使える『糸込しこみ』

タイトのやったのは『糸握』

他にも関係ない他人同士の糸を強引に結んじまう『糸結しけつ』なんてのもあるんだぜ」

「まさか、そんな…」


 人の運命を象徴する糸。タイトはそれを触れ得ざるものだとばかり思っていた。


 これまで、先の一件以外碌に触る事が叶わなかったという実体験も勿論だが、糸と云う物を忌々しく思う一方で、それをどこか神聖視している部分もあったのだろう。


 それが、触る事が出来たばかりか、更なる干渉をも行えるというのだ。

 驚きのあまりやや青ざめた表情をみせるタイトに、字実野が安心させるかの様に更に言葉を紡ぐ。


「まあ、それが出来るからといって、積極的に他人の糸にちょっかい出す奴なんて俺は知らないがな」

「字実野さん…」

「なんといっても、あれに一番翻弄されてるのは他ならぬ俺達自身だからな。なら尚の事、糸を使って人様の運命を弄くる事に臆病にもなるさ。

特にシックザールの様たちはかなり保守的だし、『糸結』を使える奴も一人、ちょうどお前ら位の若いのに一人いたんだが、こいつが人一倍ビビりでな。やってみせろと頼んでも袖にふるばかりで、とうとう俺の前から逃げていっちまった。

今頃、どこで何をしているのやら」


 そう言うと字実野は寂しそうに麦茶の入ったグラスを傾ける。

 その人物の事に、何か思う所があるのだろう。その『糸結』が使えたという人物は、字実野にとって、どんな存在だったのだろうか。

面倒見の良い字実野の事だから、きっと良い関係を築いていたに違いない。


 そこまで考えてタイトは、名も知らぬその人物に嫉妬している自分に気付き、己がとても卑しい人間に思えて嫌気がさして来る。


 しかし、タイトがそう考えてしまうのも仕方がないのかもしれない。

 何せ、彼はずっと字実野の様な存在を求めてきたからだ。


 周囲に絡まり合う糸に翻弄され、それへの対処を暗中模索する度に思い描いて来た、己より糸の扱いに詳しく、自らを導いてくれる師匠の様な人物。

 タイトは出会ってたかだか数時間のこの男に、その己の理想像を重ねるまでになっていた。


「悪い、なんか変な空気にしちまったか?」

「いいえ、とんでもない!」

「それよりもっとですね、糸の力の詳しい話を聞きたいとゆーか」

「マキ!」


二人に無関係な人物への物思いにふけた事を詫びる字実野に対し、それをスルーして更なる話を催促するマキにタイトは思わず声を荒げる。


「タイトあんまり大声だすなよ。いいんだ、むしろ流してくれた方が有難いからよ。

ただ、これ以上詳しい話となると、俺からするよりはシックザールのばあ様達に聞いた方がいいだろう」

「そですか」

「あの。そのシックザールの方々って、何人位いらっしゃるんですか?」

「だいたい二十人ちょっとて所だな。殆どは俺らより歳上のじさまとばさまばかりさ」

「そうなんですか…」


 二十人という数が、多いのか少ないのかはタイトには未だ推し測る事は出来ない。

だが、ほんの少し前までその存在を半ば絶望視していた事を鑑みれば、自分以外にもこれ程の視える人間が、しかも自分の接触可能な範囲内にいたという事実は奇跡に近い。

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