第20話

「お待たせ。少し支度に手間取った」


 背後からマキの声がしたので、タイトは愚痴を言いつつそちらへ振り向いた。


「ったく、大したタマでもないんだからさっさと…」




 目が点になる。二の句が告げない。幻覚でも視ているのかと己が視力を疑わざるを得ない。信じられない夢じゃないかしら。


 果たしてそこに立っているマキの服装は、サンバの衣裳でもなければ河童の着ぐるみでもない。

 至って、至って、至って普通の、その辺の年頃の女の子の服装だった。



 沢山のフリルの付いたゆったりしたデザインの、薄いピンクの生地のキャミソールは、正面に合わせ目がきて僅かだが胴回りが露出する形になっており、隙間から可愛らしいお臍がほんの少しの色気を伴って、慎ましくも顔を覗かせている。


 柔らかなカーブを描く腰をすっぽりと包みこんでいるのは、ターコイズのホットパンツと黒のレギンス。小ぶりながら美しい稜線の臀部のラインを、煽情的かつコケティッシュに魅せている。


 流石に予備の靴までは持ち合わせていないのか、足回りは御存じのくたびれたスニーカーだが、他は総じてまともなチョイスの衣裳だ。

 彼女の年齢を考えるとやや幼い、ロリータファッションに片足突っ込んでいる体であるように見えるが、元が小柄で線の細いマキの事、よく似合っているしその彼女の魅力を存分にアピール出来ている。


 ぶっちゃけた話、タイトの好みにどストライクなのである。


 タイトは目の前の現実をまだ受け入れきれずにいて、よもや角度によっては不動明王のホログラムでも浮き出て来るのではと勘繰って、あちこち角度を変えて覗いてみるが流石に杞憂の様である。

 そうして、しばし、言葉を失い見惚れてしまう。 よく見れば口元には薄くリップまで引いてある。


 これまで、マキが化粧をしていた事は皆無であった。

 下手な化粧は却って彼女の魅力を損なう位、マキは綺麗な肌をしているからこれまで全く気にはならなかったのだが、そのマキが簡素な事とはいえしっかり顔を整えて来たのは衝撃であった。

 更には、普段伸ばし放題でこれはみっともないとまで思っていた、あちこち好き勝手に跳ねていた栗色の髪も、しっかり櫛が入れられている。


 これから恩人に面会するに当たっての、彼的な理想像そのものな姿のマキにひたすら嘆息するタイトであったが、平素のファッションが鬼子母神パーカーで、人の家にはゆるキャラの着ぐるみで押し掛けてくるマキにここまでさせる字実野に、少しばかり嫉妬もしてしまう。


(…まあコイツにとっては全てが普段通りなんだろうけどな)


 マキは選択の困難さや世間体に左右されず、常に自分の最善を尽くそうとする人間だ。あくまで彼女にとってのベストだが。

 今回のお色直しも、彼女としては当然そうするべきと判断したからそうしただけの事で、マキとしてはファンシー鴉天狗着ぐるみにて織部家を襲来した時の調子と変わりないのだろう。


 それにしても、だ。

 タイトは恥も外聞もなくマジマジとマキを見つめる。


「タイトくんタイトくん、ヨダレ」

「あ、ああ、ごめん」

「ほんによく呆ける男だねキミは。さて行きましょか」


 二人は清閑なホテルのロビーから、喧騒うずまく週末の夜の歓楽街へと揃って足を踏み入れる。

 相変わらず、行き交う人に絡み付く色とりどりの糸の乱舞は鬱陶しい。

 しかし、今のタイトにとってはその糸が視界を覆う様も気にならない。


 今夜はこれから、彼にとって記念すべき出会いを遂げた人物との素晴らしい時間が待っている筈であり、そこに同席するのは隣を歩く、この可愛らしい格好をしたマキなのだ。


 ああ。このマキが自分の彼女であるならば、どんなに良かったであろう。

 この素晴らしい夜が更に薔薇色に、輝く時間になったであろうに!


 この時初めて、タイトは明確にマキの事を気になる異性として自覚したのである。


 字実野は勿論、今周囲を行き交う人間にまでこの姿を見て欲しい。

 今やタイトの目には忌々しい糸ですら、歓楽街のネオンの灯りと相まってマキの美しさを引き立てるステージの演出に見えていた。


 しかし。


「おっと」


 マキの背中のタイトが「気付かない振りをしていた」いつものリュックに人目を憚らず引っ掻けてあった生乾きのジャージが地面に落ちる。

 すかさずかかんででそれを拾うマキ。


「あの。マキさんマキさん。それ、どーーしても持っていかないと、駄目…ですかね?」

「駄目です」


 タイトはホテルの自室に着替え等の荷物は置いてきたのだが、一方マキは旅の荷物全てを持参してゆくつもりの様だった。

 とっても似合っている、チャーミングかつキュートなファッションのマキが所々ほつれたカバンとリュックを抱えて、がに股の姿勢から気合い一声勢いよく立ち上がる。


「あ、どおっこいせ!っと!」


 その拍子に肩に懸けたバッグの中から、食べかけの松前漬けが入ったジップロックが地面に落ちて湿った音を盛大に立てる。


「おお…」


思わず顔を覆って天を仰ぐタイト。

台無しであった。


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