第19話

そのさん


字実野あざみののこと



 衝撃だった。驚愕だった。だって、そうであろう。

 タイトは糸視の力に目覚めてからずっと、マキ以外に力の保有者に出逢う事がなかったのだ。


 それが、マキと出会って、それだってまだ日数にすれば浅いのに、こう続けざまに糸視の力を知る者に遭遇する。

 もしかしたらタイトの想像以上に、「糸視持ち」はいるものなのかもしれない。


「で?どうだ?何色の糸が視える?」

「…すみません、今は何も」

「そうか。実はな、俺の方もお前さん方に何か付いてる様には見えん。ま、糸なんぞ視えないに越したこたないがな」

「そうですか…」

「どうした?糸が視えないのが何かまずかったか?」

「いえ。ただ、僕ら実は自分達の糸を追って旅をしていたから」

「ほぉ。そいつは中々に面白い発想だな。して、どうだ、嬢ちゃんの方は」

「…」


 字実野に問われるもマキはだんまりを決め込んだままだ。

 彼が糸視の持ち主と知ってから、明らかに様子がおかしい。


「すみません、えーと…多分ショックで動揺してるだけです、何せ、僕ら自分達以外に視える人に会ったの、始めてなんで」

「そうか。そらビックリするなー」

「おまけにマキは小さい頃に視える様になってからずっと一人だったらしくて」

「成程、考えただけで身震いがするなそれ。俺は視え始めがちょうどタイト位の時分でな。嬢ちゃん、具合悪かったら荷物どかして横になってくれ」

「でも…本当驚き続きです!まさか、僕達の恩人が、糸の視える人だったなんて」


 タイトは興奮のあまり自分が普段より饒舌になっている事を自覚していた。

 だが、この高揚感を抑える事など今の彼には到底不可能だ。そして、字実野はそんな自分の様子を受け入れてくれている。

 だから、タイトは敢えてその好意に甘える事にした。

 だが、字実野が続けざまに語った内容は、そんな彼に更なる衝撃を与えるに充分だった。


「まあ、そらビックリだわな。

だけどなタイト、俺はそんなに驚いちゃいないだろ?お前達と違って」

「ですね。…まさか、それって!」

「そうよ、この世にゃ俺達以外にも、視える奴らが結構いるんだ、そいつらで集まって互いに助け合いもしている」

「ほほ本当にですか!」

「ここでお前らをこんな嘘で担いでもな。どうだ?会ってみるか?」


 マキと出会うまでの、たった一人で味わってきた絶望と孤独。


 それが、マキと出会ってから、まるでトントン拍子で話が広がってゆく。


「マキ!聞いたか⁉凄い、凄いよ!お前と旅に出て、こんなにも早く事態が進展したんだぞ!」

「今向かっているのは俺の取引先の一つがある街でな、他の連中と引き合わせるにはちと遠いのよ。

で、流石にこれからすぐって訳にはいかんし、それにお前達のその様子、どこかに腰を落ちつかせて一息入れた方がいいだろう。

その上で、お前達がいいならどこかで一緒に飯でも食いながら、その話をしようじゃないか。どうだ?」

「何から何まで至れり尽くせりで、ほんとにもう、僕どういったらいいか!」

「なーに、何人かいるったって、やっぱり普通の連中と比べりゃ圧倒的に少数よ。

それにお前達位若いのは久しぶりだからな、丁重に御迎えもしたくなるってもんさ」

「マジ夢みたいです…ておいマキ、お前さっきから一言も無しに、流石に失礼過ぎるぞ」

「構わないぜタイト。さっきの話聞く限りじゃ、一人で相当辛い生活を強いられて来たんだろう?今、胸が一杯になってても無理はねぇよ。な?嬢ちゃん」

「う…ば」

「ん?なんだよマキ?」

「う、吐き、ぞう…ええええええええええええええええええええええええ!」


 ショックでだんまりを決め込んでいた訳ではない。胸がいっぱいというか、胸まで何かがこみ上げて来ている。

 そして、失礼というか、もうそんなレベルをぶっちぎっている状態にマキは陥っていたのだ。


「く、車、酔うのか?この娘?」

「知りません!でも、今日は無理な運動が多かったし、ええととにかく!これ、失礼します!」


 タイトはそう言うと、ダッシュボードに挟み込んであった大型の半透明ごみ袋を何枚か重ね始める。


「おいおい、それはエチケット袋にしちゃあ、いくらなんでもでかすぎやしないか?」

「足りないかもしれません」

「マジかよ。お手柔らかに頼むぜ」


 字実野はそういうと、ドアの取手のスイッチを操作して、パワーウインドウを三分の二程開け放つ。

 やがて、晴天の夏の夜空に星々の光輝く中。


「おっぶぇるぶええええええええええええええええええええええええええええ!」


 その真下を疾走するライトバンから、この世と思えない壮絶な嗚咽と、聞くには堪えず文字に起こす事さえ憚られる程に醜悪かつ汚濁にまみれた擬音と、胃酸と内容物の濃厚かつワイルドなパフュームとを撒き散らしながらその彼らが向かう先には。

 遠く地べたに人灯す、星の瞬きすら脅かす、眩しく煌めく街の明かりが見えていた。






 熱いシャワーが、体にこびりついた汗を、泥を、埃を洗い流してゆく。

 勢いよく流れ出る水流は不快な汚れだけでなく、心に染み付いていた不浄な感情をも一緒に流していってくれる。


「何しろ、昨日は湯に浸かっててもテントの事が気になって、全然リラックス出来なかったもんなあ…」


 ここは字実野がタイトとマキ、二人の為に取ってくれたビジネスホテルの一室だ。

 当然~と言ってしまうには申し訳ない位、ちゃんとしたホテルだが~マキとは別室で、つまりはタイト専用の部屋だ。おまけに、数日分の滞在費を振り込み済みである。


 流石にここまで至れり尽くせりなのは申し訳ないと一度は断りを入れた二人であったが、糸視の力持つ者同士、助け合いはするものと強引に押しきられてしまった。

 そこでもうそれならばと、半ば無理矢理に豪華な設備を、字実野からの好意を堪能している最中だったのである。


 そして、ここまででも十二分に手助けされているのに、加えてこれから三人で食事会という話だ。

 どんなに鈍い人間でも、何か裏があるのではないかと勘繰りたくもなる。


 だが、タイトはそれでいて尚この現状を受け入れていた。

あのまま、右も左も解らない町中に、車から放り出されて夜営先を探してさ迷っていては、マキ…はともかくとしても、タイトの方は間違いなく過労でダウンしていただろう。

 自身の見通しの甘さが招いた顛末とはいえ、虫の襲来に耐えながらの野宿は正直もうこりごりだった。


 それを考えれば、多少行き過ぎに感じる事はあっても、この親切を享受しておいた方が賢いというものだ。悪い言い方をすれば利用出来るものは利用した方がいいという訳である。


「まだ字実野さんの事、全然解らないものな」


 もっとも、本人は自覚していないが、タイトは既に八割型、字実野という男を信用していた。

 自分達を糸視の力の持ち主だと看破し、自らもそうであるとカミングアウトしたという、その経緯を持ってすれば致し方ない所もあるだろう。


 タイトが明確に疑問と感じる、幾つかの違和感にしても本人に問いただして問題になるような事では決してない。

 この後の食事の席で折をみて確認すればいいだろう。

 そしてそんな僅かな不安よりも、タイトの心中を大きく占有する感情は喜びと期待であった。


 タイトは浴室から出た後、着替えから比較的落ち着いた組み合わせをチョイスするとホテルのロビーで相方を待った。

 ここで落ち合って字実野の開いてくれる夕食会へ向かう予定になっているのだが、

そのマキが中々来ない。


「ったく、どうせいつものジャージだろうに、何をやっているのやら」


 鬼子母神パーカー、烏天狗のゆるキャラ着ぐるみ、色落ちしくたびれたジャージと、マキ流ドレスコードの数々を目の当たりにしてきたタイトは、彼女の服装の美的センスに関して期待する事をとうの昔に放棄していた。


 ただ、恩人にして同じ糸視の力の持ち主という、二人にとって二重に特別な相手が食事に誘ってくれているのである。

 フォーマルな衣裳はやり過ぎかもしれないが、それでも相手に不快感を与えない、最低限「人の道を外れていない格好」では来て欲しい。


 もっとも、彼女の荷物の内訳は大体把握出来ているし、少なくとも着ぐるみは持って来ていない。

 最悪さっきまでの汚れたジャージをまたぞろ着て来なければそれでいい、そんな程度に考えていた矢先である。


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