第18話
夏。それは命輝く季節。あらゆる生命が活発に、精気に満ちる時。
勿論、不動に見える植物達にとっても同じ事だ。
タイトは茂りに茂って伸びに伸びまくった雑草達に、道を阻まれスッパリと頬を切られながらその事を痛感していた。だから、
「大体なんでドロップキックなんだよクレイジー過ぎるだろうが」
既に過ぎ去った事を蒸し返し、非難の一つもしたくなる。
「いやね?あれが一番やり慣れたフォームだから狙いが定めやすくてですな」
「お前なぁ…もういいよ俺が悪かった」
その「ドロップキック殺人未遂事件」の現場から逃げ出した二人は宛もなく人気の
ない山林をさ迷っていた。
いや、全く宛もなかった訳ではない。正確には、わざと人気のない方へ逃げて来たのだ。
それには、マキの行った「糸視の力」を活用した作戦が役に立った。
彼らには他人を繋ぐ糸が視える。
それは、裏を返せば糸のある所には人がいるという事だ。即ちなるべく糸の見えない方角へ足を運べば、結果自然と追っ手から逃げられている可能性が高いという寸法である。
しかしだ。地理に詳しくも無い土地で人気の無い方へ無い方へと進んでゆけば…
「ここ、どこじゃー!」
「俺が聞きたいわー!」
当然迷子になるのが道理である。
「どうすんだよ…本格的に日も暮れてきたぞ?」
日の長い夏場とはいえ、あれからかなりの距離を歩き続けた二人である。
喉はカラカラ、足はパンパンで、そして回りは見渡す限りの木、草、また木。
こうなってしまえば、むしろ誰かの糸でも視界に入って欲しい、我儘な言い草だがタイトは思わずそう考えてしまった。
一方、さしものマキもいくばくかは堪えているのか、少し開けた場所に着くと手頃な石の上にどっかりと座り込み両足を広げ(女の子がはしたない!)、天を仰ぐ。
そのマキを視ていて何やら違和感を覚えつつも、タイトもマキに習い腰を落とし、
彼らを捕らえんとする人々からの逃避行は、今や彼ら自身の命を左右する決死行に変わっていた。
空を見上げれば、僅かに昼の面影を残す夏の青空と、夕暮れの赤と宵の訪れを告げる深紫とが、見事なグラデーションで視界一面に広がっている。
一部には既に星の瞬きすら見え始めている。外灯も見当たらないここならば夜になれば満天の星空が広がって、その様はさぞかし美しいものだろう。
しかし、今タイトが一番視たい物はそこにない。それは普段あんなに忌々しく思っていた、人の繋がりを感じさせるあの糸である。
人影は見えずとも、あの糸が見えればその先に何らかの人は居る。だが、周りの風景には糸クズすらも見当たらなかった。
「なんかさ、こうしてるとさ、世界に俺とお前の二人だけしかいないって。そんな気になるな」
「冗談。それじゃ一体誰がアタシのゴハンを作ってくれるのだね」
「お前いっつも飯の事考えてるのな」
「お褒めにあずかり光栄なのだよ」
日が落ちて幾分過ごしやすくなってきた事もあって、僅かばかりの休息でもオーバーヒートした体の熱が引いてゆく。 頭もようやく冴えてくる。
(そう言えば、辺りに人がいようがいまいが、俺とマキの二人しか糸の視える人間がいないって事実は変わらないんだよな…そう考えると、今のこの状況って普段とあんま変わらないかも…ってそうだ!)
タイトは「黒死縄」を発見してからこのかた、あわただし過ぎてすっかり忘れていたある要件を思い出す。
「マキ!糸…俺の、俺の糸は⁉」
タイトは先程マキを視て以来、引っ掛かっていた違和感の正体に気付き戦慄する。
今のマキに、タイトは何の糸も見出だせていないのだ。
他人に付いている糸は常に四六時中視えている訳ではない、とはいえ。
ずっと互いに見えていたあの赤い糸は、それなりに結ばった相手との絆の深さを連想させる物で、旅の行方の指標でもあった筈だ。
それが今、視えない。見当たらない。
「無いね…何も視えない。もしやタイトも?」
「あぁ…最悪、他の糸でも視えるんだったら、それを頼りに人と会えるかもと思ったんだけど…」
どうやら事態は想像以上に悪い方へと進んでいる。
旅の道標も視えなければ、脱出への糸口すらも掴めない。
「ほんと、肝心な時に役に立たない糸だよ」
実際には、先の緊急事態で「役には立って」いるのだが、タイトにしてみればそんな事はもう過ぎた話だ。今役に立たねば結局は意味が無い。
「糸といえばタイト君さ、キミさ」
マキが何やら糸の件でタイトに訪ねようとしたその時だ。
二人の耳に、微かではあるがアスファルトを擦るタイヤの音が聞こえてきた。
「!」
「聞こえた⁉タイト!」
「ああ!近くを車が通った!道路があるんだ!」
舗装された道。それが必要になる位には人の往来があるという証。発見出来れば、取り敢えず人間の生活圏まで戻れる足掛かりにはなる筈だ。
「水!」
「焼きそば!チョコバナナ!玉カステラ!ハンバーグ!ピザ!カツ丼!」
屋台で飯に有りつけなかった事が尾を引いているのか、マキの願望にはそこはかとなく夏祭りの匂いが香る。
程なくして、二人は待望の道路を発見するに至った。全ての問題が解決した訳ではないが、少なくとも糸口は見付かった訳だ。
これまでの生涯のほんの僅か、数時間の事ではあるが。完全に文明と遮断されていた二人は早速そこに立ち入ると、その土とは違う硬い感触と、日中の火照りを残すアスファルトの匂いをしばし堪能する。
そして、道があるという事は。
「タイト!あれ」
「車の灯りだ!おーい!」
暗がりの向こうから小さな光輪が二つ、光を放ちながら近付いて来る。一瞬追手の可能性も考えたタイトであったが、蓄積された疲労と空腹とがそれ以上の思考を阻み、脚は自然と灯りの前へ駆け出してゆく。
やがてそれははっきりと車のライトと判る位にまで二人に接近し、目の前で停車した。
「いやー助かった助かった九死に一生を得るたこの事だね」
「お前さちゃんと御礼言えよ…すみません、突然車に乗せて欲しいだなんで無理強いして」
あれから数分後、今やタイトとマキは車中の人となっていた。
人通りのない夕刻の道路わきに現れた、埃まみれで手ぶらの少年少女二人組だ。
季節柄心霊の類いか、そこまでゆかなくとも物盗りか何かと勘違いされてあのまま走り去られても、なんらおかしくはなかったのだが。
有り難い事に乗っていた若い男~といってもタイトより十は齢を重ねていそうである~は、何の気兼ねもなく二人にドアを開け放ってくれたのだ。
「構わんよ、困った時はお互い様、だろ?」
「本当に困ってましたから正直に嬉しいです、有り難うございます!何せ、僕らあのまま死んじゃうかもなんて考えてましたから」
そこまで話すとタイトはペットボトルのお茶を口に運び喉を潤す。格別に美味い。
ラベルには一級茶葉だの厳選素材だの様々な謳い文句が印刷されていて、普段のタイトならそれを大袈裟な宣伝文句と一笑に付すが、今この時はその宣伝文句以上の味にすら思える。
ペットのお茶をここまで美味しく飲める事は、金輪際ないのではなかろうか。いやそうあって欲しい。
この男は二人に座席を解放してくれただけでなく、その疲労困憊の様子を見てとるや、自販機までいって飲み物を提供までしてくれたのだ。
「はは、そりゃ大袈裟だなあ。
その分じゃ、ここがどこだかもよく分かっていないだろ?今いるのはだいたい『
(『
「重ね重ね御気遣い有り難うございます。…あの、ご都合のよろしい所で構いません、どこか町か、駅の近くを通るようでしたらそこで落としていっては頂けないでしょうか?」
「おいおい、水臭い事を言ってくれるな。
こっちだって、ずっと探してようやく出逢えたんだぜ?もう少しばかり付き合ってくれてもいいだろう?」
「え…?探してたって…どういう意味ですか?」
「タイト。これ、見てみ」
先程から何やら後部座席でゴソゴソしていたマキが、車内灯を付けてタイトを誘う。
助手席に乗っていたタイトは後ろを振り返って、そして愕然とする。
「あっ!?」
「喜んで貰えたか?苦労したんだぜ、それを集めるのも」
マキの脇には、二人がドローン大会の会場に置き去りにしてきた筈の荷物が、何一つ欠けた様子もなく鎮座していた。
この男とは、ついさっき出会ったばかりで、まだ互いに名乗ってすらいない。
それが、何故彼らの荷物を車に積んでいる?
「あなたは…一体」
「誰かって?紹介が遅れたな、俺は
人材派遣業というか何でも屋というか…ま、その手合いで飯を食ってる」
「ですからそうではなくて」
「察しの悪い野郎だな。運命、て奴が信じられないクチじゃあねぇだろ?」
「でもこれはそういう事で片付けていい話じゃ」
「名前。そっちも教えてくれよ、いいだろ?」
「あ、すみません。織部。織部タイトです」
「マキっすわ」
「ふっ、マキっすか…じゃあタイトにマキよ、お前ら今俺に何が視える?」
「は?」
「だからよ。
なんか糸は、視えてないかって聞いてんだよ」
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