第16話
そうしてまた朝から電車で揺られ、気まぐれに降りてはカロリー補給がてら糸を見つけてひと悶着を繰り返し、今また二人が降り立ったのは「奥鷹」
ここまで来るともはや都下とは言い難い。
それでも、諸々の事情で想定より全然…というか殆ど進んでいない。なのに時刻は既に午後三時を回ったくらいだ。
さて、その奥鷹駅周辺は拓けているといえばそうなのだが、どちらかというと緑が目に入る割合が多く、駅の規模の割には人通りも少ない。ただ、その分「糸」が視界に入る割合も減るのだから二人、特にタイトにとっては他人がいない事は悪い話ではない。その代わりに、
「うおぉ~!飯屋!どこぞに飯屋は~!」
こう寂れていては飲食するにも事を欠く。
「参ったな、まだそんな遠くに来てないはずなのに、こんな侘しい所があったなんて」
駅中には流石にキオスクもコンビニもある。ここはひとつそこらで手を打ってもらおうとタイトが持ち掛けようとした瞬間
「…フン、スン…」
マキが鼻をひくつかせながら辺りを伺い始める。
まさか。
「こっち!こっちから何かいい匂いがする!」
「…もう驚くのにも疲れたよ」
もしかしたらこいつにとって糸視の力もこの身体能力のほんの一端に過ぎないんじゃなかろうか。
マキの披露した新たな?能力に閉口しながらも、足取り軽く近くのサイクリングロードへ何の迷いもなく入ってゆくマキを追うべく、タイトは肩の荷物を背負い直した。
行き着いた先は、小さな貯水池~沼、といっても差し支えないだろう~がある自然公園の外れだった。
何やら敷地内でイベントが催されている最中で、先刻通り過ぎてきた駅の様子とは正反対にそこそこの人出がある。
見ればわずかばかりに屋台も出店している様で、どうやらマキのセンサーに反応したのはこの匂いであった。
(こういうのはエスパーといっていいんだろうか…いや、違う気がする)
連れの嗅覚に感嘆しつつ辺りの様子を伺ってみると、市街地と違い広く解放された空に、色とりどりの物体が飛んでいる。
昨今、色々な意味で話題になる事が多いクワッドコプターのラジコン~ドローンと云う名称が一般的になりつつある~の大会が催されていたようだ。
ようだ…というのは、既に大まかなプログラムは終えた様子で、沼の畔の一角にあるテントの前で大会の運営責任者とおぼしき、初老の男性によるスピーチが始まろうとしている。
おそらくは閉会宣言の類いであろう。今空を飛んでいるドローンは、参加者達が大会に関係なく遊んでいるだけのようだ。
(それにしても随分飛んでるな。お互いに当たったりしないのかな?)
深い濃い蒼の色の広がる、夏の空を切り裂くように極彩色のドローンが多数飛
び交う様は美しくもあるが、ドローン同士、或いは辺りの人間に衝突したりしないだろうか不安になってしまう。
タイトがそんな心配をする程に、沢山のドローンが乱れ飛んでいる。
そして、幾つかにはやはり「糸」が絡み付いているのも視てとれる。
勿論、糸自体は絡み合ったりもつれたりするように見えても、現実の人、物、事象に影響を及ぼす事はない。
そうはいっても、凧の糸宜しく多数の糸が空を飛ぶドローン同士に付いている様を見れば、もしやとも思ってしまう。
タイトがそうして空を舞うドローンに想いを馳せるうちに、なにやら人と人とが言い争う声が聞こえて来た。
これは…と嫌な予感にかられながらマキの行方を追うと、かくして彼女は近場の屋体のお兄さんと何やら口論をしていたのである。 おいおい。
また何か変な糸でも視えてたかとげんなりしつつ様子を伺っていると、どうやら屋台を閉めたいお兄さんにマキが無理強いをしているようだ。
「いーじゃん!ちょっと位なんか作ってくれても!」
「いやだからもう材料が残っていないんですって」
…まあ大会がもう終了モードなんだから、屋体の方も当然店仕舞いの準備に入るよな…。
マキの超嗅覚は謂わばその残り香に反応した、という訳だ。
当人にしてみればそれで収まるはずもなく、諦めきれずにお店側に食い下がろうというのも解らないでもないが、店の方からすれば迷惑千万。
(やれやれ…)
当然、あの二人をそのままにはしておけまい。その無益な争いを平定すべくタ
イトが歩みを二人に向けた、まさにその時である。
屋台のお兄さんに突っかかっていたマキの視線が一瞬横に動いたかと思うと、見るまに表情を変えタイトに向かって全速力で走り寄ってくる。
その様は初めてマキと出会った、死出の電車の止まっていたあのホームを想起させる。
「マキ?おい」
「デビルクロ縄ー!」
まるでその時のデジャブの様に、タイトとすれ違い様に鋭い一声を放つマキ。
(なんだって?)
辺りに自分の荷物を放り散らかし、尚も加速を続けるマキの行く手を視てみれば、その遥か先。先程タイトが見ていた閉会のセレモニーとおぼしき場所。
一段高くなったステージの中心で、拝聴している参加者が辟易しているであろう長い演説を行っている初老の男性。その頭に絡み付くのは、デビルクロ縄ー~タイトの呼ぶ所の黒死縄だ~
そして、天へと伸びるその縄の反対側の端。そこには一機の大型ドローンが、真っ直ぐその男性に向かって高速で飛行してきていた。
(まずい⁉)
さっきタイトが視た時にはそんな糸なかったはずだ。
いや、普段から出来るだけ「視ない様に」しているから気が付かなかったのか?
いずれにせよ、もう衝突まで時間はない。誰がコントロールしているのか解らないし、それを確認して対応するには時間が無さすぎる。
(でも)
タイトは知っている。彼女が、マキが、いつも一生懸命に生きている事を。
常に、その時一番大事な事を最優先して、なりふり構わぬ振る舞いをする事を。
それは時には面倒事に巻き込まれたりトラブルの種になったりもするが、本当の緊急事態、あの駅で遭遇した死の電車や、今まさに死が迫っているあの男性を救うべき、この様な事態にはその行動力は他の誰よりも頼もしいという事を。
あの時タイトが見た俊足もかくや、今のマキの全速疾走する様はこれは野生のカモシカかチーターか。
タイトも荷物を地面に置くと慌てて彼女の後を追う。もはや、男性とドローンの距離は百メートルもない。このままいくと数秒後には、このセレモニーは凄惨な事故現場に変わってしまう。
飛行しているドローンをひっつかまえるのは現実的ではない。マキもそう考えているのだろう、一直線に男性の方へ走りよっていく。
しかし、マキと男性の間には、他のセレモニー参加者の人だかりが出来ている。
あれを掻き分けていてはとてもじゃないが間に合うものではない。
と。
彼女は人だかりを迂回して側に生えている広葉樹の大木へと進路を変更する。
そうか。マキはやる気だ、そうなのだ。人だかりが邪魔ならば、飛び越してし
まえばいい!
マキは大木に組つくと靴も脱がずに猿も驚嘆する手際でスルリスルリと登って
ゆく。そして。
「行けええぇマキイィィ!」
タイトは叫ぶ。マキを、己を鼓舞するが如く。
マキの狙いは明らかだった、大木の枝から飛び出してあの男性に抱きつき姿勢を崩させて、大型ドローンの進路上から遠ざけるつもりなのだ。
ドローンはもはや十数メートル先だ。
飛びついて倒れた拍子にマキも、男性ももしかしたら怪我をしてしまうかもしれないが、それでもドローンのジャイロに頭を巻き込まれて死ぬ(想定)よりかはマシだろう。
マキは飛んだ、かつて死出の電車を救うが為に線路に飛び込んだ時の様に。これならなんとか間に合う!
しかし。
(あ…おいマキそれは駄目ぇ!)
大木の枝から飛び出したマキの姿勢は明らかに男性に抱きつく格好ではない。両足を突きだし、ピッと爪先を揃えたその体勢は。
「駄目だそれヤバイって!」
「おりゃああああああああああああ!!!」
「えーとそれで、ですね!この沼一帯の美しい自然を護るべく我わあへぶあろあれれぁぁぁ!!!!」
マキの華麗なドロップキックはしっかりと「標的」を捉え、数秒前まで得意満面に長ったらしいスピーチを打っていたその顔面に、彼女の両足がクリーンヒットした。 そりゃあもう、見事なまでにだ。
眼鏡を、入れ歯を吹っ飛ばしながら男性はそのままステージの上に勢いよく引っ繰り返る。その上に突っ込んできたマキを乗っけて。
(あの馬鹿野郎…!)
確かに事は急を要した訳だから、なりふり構っていられなかったのは解る。そこはいい。が、こういう時こそ「その先」の事態までを想定しないといけないのだ。
辺りの注目を集めていたその男性にドロップキックは、枝から飛び出して抱き付いて姿勢を崩させるのより、周囲の人間の心情も考慮すると遥かに状況説明が難しい。
…というか普通に警察沙汰だぞこれは。
事態を如何に収束させるか、その事にタイトが思案を巡らそうとした刹那である。
タイトの顔色がみるみる青ざめてゆく。
男性の頭に絡み付いていた糸は、確かにゆっくりとその拘束を解いていた。だが。
(マズイ!『シフト』か!)
マキの行動により男性はドローンの進路上から剃らす事が出来た。だが、それで肝心のドローンの暴走が止められた訳ではないのだ。
空飛ぶ悪魔の鎌は続けざまに、~男性と入れ替わって進路上に飛び込んで来た「マキの」体に黒死縄がまとわりついている~へと振るわれようとしていた。
タイト呼ぶところの「シフト」という現象は、視認してる状況から糸の種類や対象が変わる事で、それが最悪の形で起ころうとしていたのだ。
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