第15話
タイトはマキの空くなき食欲を異常だと思っていたが、その認識が誤ったものだったと痛感した。
むしろ、これだけアグレッシブに活動するのだからそれ相応なエネルギーが必要になるのだ。そういえばあの日、デカ盛りラーメン十杯平らげたあの後、そんな様な事を言っていたのを思い出す。
普段小食なタイトですら、彼女に振り回される内に著しく体力を消耗し、マキと共に昼を待たずして大振りなハンバーガーを三つも食べきった程であったのだ。
こうしてこの日は尽くこんな調子であったから、日程は大幅に遅れるわ旅費はどんどん嵩むわ、必要以上に人とトラブルは発生するわで、夕刻を迎える頃にはタイトはすっかりヘロヘロに疲れ果ててしまっていたのである。
そして日中のすったもんだの挙句、夜更けのテント設営の時間に至った訳なのであるが、この場所を探す迄もまた一苦労であった。
七月の暑い盛りにあちこち駆けずり回った二人は、日が落ちる頃には汗びっしょりな状態だった。いや、正確にはびっしょりなのはタイトだけで、あれだけ動き回ったのにマキの息は驚く程乱れていなかったし、然程汗にまみれた様子もなかったのだが。
(化け物かよ…)
その様子にまたも驚嘆を隠せないタイトであったが、そこは流石にマキも女の子。 汗をかいたまま就寝するには抵抗があったのだろう、どこぞ入浴出来る所はないかと探し出した。
ネットカフェには簡易シャワーが備え付けられている所もあるのだが、近場には残念ながら存在していなかった。止むを得ず付近を右往左往する内、駅から離れて山の麓に近い辺りだが、なんとか一軒の銭湯を発見した。
更にその近辺にキャンプを決め込むには丁度よい中規模の公園があったので、タイトが先に銭湯にいっている間にマキがテントを設営する。
タイトが戻って来たら入れ替わりでテント設営を引き継ぐ、そのような分担でその日の野営準備の事次第が決定した。
だが、今はまさに夏休み真っ最中である。この時期は明け方まで元気な若者が(他人の事をどうこう言えた義理ではないが)わんさかいる。警察にだって見つかりたくはないのが本音だ。
その点でいえばここならば見晴らしも良いし、事前に対処もしやすい、ゆえに現状を鑑みて身の安全の方を最優先と考え、ここをキャンプ地としたのだ。
糸は…こういう時こそ、役に立って欲しいのだが。あてには出来ない。
最悪、テントを見捨てて一目散に逃げればよい。
…なんだか泣けて来た。
こうして胸中に不安を抱えながらも。湯上がりの火照った身体に冷たい夏の夜風を受け、そこそこ気分よくタイトが件の公園に戻ってみれば。
はたしてテントがあるべき場所にはくしゃくしゃの布地に包まれた何かが蠢いている。
タイトは溜め息をつきながら、その本来テントであるべき筈の皺まみれになった布地を剥ぎ取る。
中には、頭に芝の切れ端をつけたマキが布を取られた事にまだ気付いていないのか、じたばたさせてもがいている手が空を掴んでいる。
「何遊んでんだよ」
「あ。おおタイト君!いやー!突然このテント野郎…ちゃんがさ、
こうブアァと!アタシに覆い被さって来てですな」
「…」
マキはテント設置の経験が乏しかったのだろう。
二手に別れる時に「任せとけ」と威勢のよい啖呵を切ったのはマキ当人であっ
たのだが。これには流石のマキもばつが悪かったのか、
「…ごめちゃい♪」
と片目をつぶって小さなサーモンピンクの舌をペロッと出す。
「しょうがねぇな。さっさと銭湯行って来いよ。閉まっちまうぞ?」
そんなチャーミングな仕草をされてしまえば、全てを呑み込んで彼女の良いようにしてしまう。あまりにちょろい、そんな自分にタイトは苦笑しつつテントの残骸に手を伸ばすのであった。
やがてテントは無事完成し、タイトは次に自らの寝床…ベンチの準備をする。
これは野営の間の見張りも兼ねていた。どうせマキはあてに出来ないので、健気にも自分で起きて寝てを繰り返し警戒にあたろうという訳だ。
「じゃ、お休みなさい、タイト。」
「あぁ、頼むからさっさと寝腐ってく」
「ふんがるごおぉ~」
「大変結構」
元々、二人一緒にテントの中で休むつもりはなかった。
簡素でやや手狭なテントだったし(おまけに今は夏である、夏なのだ)、タイトは男の子でマキは女の子だ、だから諸々の事情で、である。
入念に虫除けスプレーを散布し、蚊取り線香までつけて夏の野外には欠かせない虫対策もぬかりはない。まあそれでもやつらは来ちゃうのだが。
「遠慮しないでこっちで一緒に寝たら?作ったのキミだし」
その様子を見ていたのか、すっかり寝入ったものと思っていたマキがテントから小さな顔を覗かせて魅惑的な提案をしてくる。これには矢も楯も堪らずダイブする者もいるだろう。
が、タイトがここでその申し出を受けるのは男としての沽券に関わる。
「丁重にお断りいたします」
「そ。タイト」
「ん?なんだよ」
「テントとかさ。今日は色々、ありがとね」
「いいって。もう寝ようぜ」
「ん、お休み」
「お休み」
まさかお礼を言われるなんて思ってもみなかったから。
動揺を隠す為にも、明日の為にもさっさと会話を打ち切る必要があったのはタイトの都合である。
かくして、波瀾万丈の旅行初日は幕を閉じたのであった。
次の日の朝。
腫れ上がった瞼を擦りあげ、身体のあちこちにある腫れ物を掻きながらタイト
は昇りつつある太陽を恨めしげに見つめる。眩しい輝きが意識白濁朦朧とした今のタイトには強過ぎる、昨夜は殆ど眠る事が出来なかったのだから当然である。
あの後結局は抵抗虚しく虫たちの熱烈な歓迎を受けた。多少は想定していたとはいえこうなると見張り役も何もあったもんじゃない。
そうして朝を迎えた為に前日の過酷なスケジュールの疲労を寸分足りとも解消するに至らず、体力を著しく消耗する事になった。
無論、タイトの見通しの甘さから来る失策であったが、これから毎日この有り様では、予定の日程をこなすより先にタイトがダウンする事になるだろう。
あんなに拒絶したマキの偽造免許を使ってでも、夜間はまともな宿泊施設に泊まるという選択をタイトが考慮している間に、テントの中からマキが現れた。
彼女の方は万端とはいえないまでも睡眠はとれたようだ。
「おはよタイト!なんだいその顔はシャンとしなさいな」
「お前な…もういいや」
出発の準備が整うと、二人は慌ただしく駅へと向かう。
旅程二日目にして早くも身体的限界を感じ始めたタイトであるが、実は事態は彼の思った以上に進展していく事になる。
タイトとマキ、未だもって預かり知らぬ事ではあるが、実は二人にとって重大な、ある出会いがこの日待ち受けていたのである。
この日の朝の糸は、相変わらず赤であった。
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