第13話

 そんな一件があって、今再びマキとの邂逅を果たすべくこうして駅前に佇むタイトとしては、彼女が如何なる風体でここに顕現するか、途轍もなく不安なのである。


 鬼子母神パーカーと鴉天狗着ぐるみを体験した今となっては、マキに関して「まさか」は通用しない。

 これから暫くの間、旅の道連れとなるのだからタイト君としては出来うる限り常識的な服装でお願いしたい所存だ。でなければ、旅の道連れでなく恥の道連れを同伴しなくてはならなくなる。


 鎧甲冑か。宇宙服か。それとも意表をついてバニーガール…それはちょっといいかもし…いやいやいやある意味一番恥ずかしいぞ…。

 タイトの妄想はそんな感じにほんのりピンクに染まっていたものだから。

 そのおピンク全開の脳内劇場に出演中の女優御本人が背後から迫って来ていた事に気が付いた時、


「おいっす」

「まてまて案外旧スク水ならばっ…ておおおおおおおおおおおおおおおい!?」

「なんだね?そうぞうしい」


 心臓が肋骨を突き破って飛び出さんばかりに驚いたのである。


「あ…いや悪い、ちょっと考え事してた」

「ま、別にいいけど。んじゃ早速行きますか?」

「お、おう」


 そして今、タイトは改めて驚いていた。いや、マキと出会ってからずっと驚きっ放しではあるが、背後から迫られた事以外にも想定外の事態が眼前に展開していた。


 マキの格好が普通なのである。


 まずそのか細い身体に纏っているのは臙脂えんじ色のジャージだ。

 ただ、菱橋の指定ジャージは道端で見掛けた事があるけれど、もっと違う色合いな記憶なのだが。

 という事は中学時代の物か、はたまた誰かのお下がりか?さもその推測を肯定するかの様に、ひざや肘は掠れたり擦りむいたりで損傷していて、ナイロン製故溶けて癒着していたりしている。臙脂色に見えるのも洗濯を繰り返して色褪せているからかもしれない。

 そして足回りはお馴染みの、歴戦の勇士を思わせるくたびれっぷりのあのスニーカーだ。


 正直、この格好でも男と女二人旅に挑むコーディネートには到底思えない。

 だが以前の恰好を知るタイトにしてみれば、鴉天狗と比べれば今のマキは十二単を着て現れたに等しい衝撃だ。…本当に十二単を来てくる可能性もゼロではなかったというのが恐ろしい。


 それに、服そのものこそみすぼらしい印象を与えるものの、ジャージも靴もよく洗濯されている様で清潔感はある。マキ自身も出て来る前に身を清めて来たのかさっぱりした顔立ちで、彼女のその堂々とした立ち振る舞いも有って王侯貴族の様な神々しささえ感じさせる。


(これでもう少しお洒落な服を来ていてくれたら、また違った意味で周囲の注目を集めたろうにな…)

「見惚れるのも仕方ありませんが、そろそろ行かね?」

「あ、あぁ悪い」


 タイトはそうして、本当にマキに見惚れていたから。慌ててリュックを背負い直し、既に駅の中へと向かい始めた彼女の背中を追うのがやっとで。

その小さな背中と両腕に抱える大きな荷物と、ジャージ姿をしてきたその真意とを、問う余裕もなかったのである。




 その日の夜。既に日は落ちて久しいが日付が変わるにはまだ猶予がある、ゆったりと過ぎる自分だけの時間を多くの人が堪能する、週末のそんな時刻。


 住宅街からほど遠い小さな山の麓の自然公園の中。僅かばかりの児童用の遊具に囲まれた見晴らしの良い小高い丘の上には、テントを設置しようと一人悪戦苦闘するタイトの姿があった。


「はぁ…なんとか終わったぞ、問題ないか?」

「倒れる気配はないね、うむ素晴らしい!」

「お褒めに預かり光栄だよ…」


 そう言うが早いか、タイトはその場にへたれこむ。

 元気はつらつなテントの中の声の主とは正反対の疲労困憊であるが無理もない。タイトとマキ、自由気ままな二人旅は言葉通り本当にフリーダム過ぎて、タイトは初日にして既に体力の限界に達していたのである。




 最初に駅に入って切符を買う時。マキから何の前振りもなく差し出された一枚のカードがあった。

「ごめんごめん忘れてた、これがないとね」

「ん?何だ?定期か…?…じゃなくておい!これ!」


 その物体をいぶかしんで暫くひっくり返したりしていたタイトはその正体に気付くやいなや、血相を変えてマキに詰め寄った。


「『免許証』じゃねーかよ!しかも俺の!!」

「そうだよ!御礼はいーよ、父ちゃんにかかればその位あっと言う間だからさ」

「いやまてまてまてまて!写真いつの間に!」

「あの日別れる前に写メ撮ったでしょ」

「あれこんな事が目的だったのかよ!?色調補正まで完璧な仕事しやがって」


 確かにあの日「記念に一枚」という事で写真を撮られたのだが、やけに堅苦しく姿勢を気にしていたのはこういう事だったのか。想像の斜め上過ぎて、もう朝からいきなり突っ込みが追い付かない。


 まずタイトは未成年者だ。二輪ならともかく…いや、二輪を取れる十六歳の証明はかえってする必要がないと言えるが、とにかく普通免許はとれない。そしてこれは明らかに自動車普通免許だ。

 おまけにマキの父親が公文書偽造が得意というのは、一体全体どういう家なのだ。


「いやさキミそんな事言って泊まる所どうするつもりだったん?」

「お前こそ偽造でなんとかするつもりだったのかよ!」


 糸の行方を探る夏の小旅行を企画したあの夕方。その場で大まかな旅の概要は決定しており、主な段取りは次の通りとなる。



 まず、全体の日程は一週間。糸の伸びる方角を辿たどり公的な移動手段を駆使して出来うる限り糸の原点まで近付く事を試みる。


 ただし、その期限は旅立ちから三日後の正午まで。

 それ以降はその辿った先の状況を見て、誰かに遭遇出来る見込みがある場合等、何らかの収穫が見込めるならば続行も考えるが、基本はそのタイムリミットを迎えた段階でこれまで来た道程をUターンして帰途につく。


 短い様であるが、ひたすらに糸を追って交通機関を乗り継いでいくだけの旅である。

殆どが移動時間に当てられるのだから、電車に乗って行くだけでも関東を跨いで九州に至る程の距離は稼げる筈だ。


 互いの金銭状況を確認して、路銀は二人とも充分に用意出来る算段が付いた所で次に問題となったのが、例のタイトの両親の件と、旅先での宿泊場所だった。


 ネットカフェやカプセルホテルの類いは当然ながら未成年者の利用には制限があり、一夜の宿としては使えない。

 ホテルによっては未成年者の宿泊が可能な所もあるとは聞くが、万が一親の同意書、宿泊許可証の提示でも求められたら厄介だ。

 少なくともこの時の段階では、両親の同意の上で旅に出られるかどうかも不透明な状況だったのである。更には結果として両親を欺いての出発となったのだから、当然その様な物は持参出来ていない。


 タイトが頭を抱えた両親の説得と、未成年故の信用問題が招くそれらの障害とに「全て自分に任せればいい」と、何の根拠か分からぬ太鼓判を押してきたのが何を隠そうマキその人である。


 その場の雰囲気に押され、取り敢えずは彼女のが言うがままにその場は解散と相成ったのだが、タイトもそのままマキに任せっ放しにしてはおけなかった。

 自分では説得の方法が思いつかなかった両親の件はともかくとしてである。

 宿泊手段に関してはマキが講じるであろう手段が使えない場合も想定して、自分でも出来る事をしておこうとテントと寝袋を購入しておいたのだ。財布はますます軽くなったのは言うまでもない。


 そして蓋を開けてみれば、マキ渾身の秘策は「偽造身分証で宿泊施設を騙して泊まる」という言い逃れようのない犯罪行為であり、根が生真面目なタイトには到底受け入れられないものだった。


 真夏の夜に野宿とは正気の沙汰ではない(高所ならともかくこれは本当にそうだ)、お風呂にも入れやしないと切符売り場の前で駄々を捏ねるマキを、時間がないからとその場は押し通してやり過ごしたタイトだったが、彼にとってはそこからがまた苦労の連続であった。


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