第9話

 …見られている。なんだかとっても見られている。

 それまで汗をかきかき一心にラーメンをすすっていた先客達が、それとないながらもその実興味津々な視線を送って来ているのをタイトは感じとったのだ。

 確かに店の傾向的に女子同伴は珍しい。加えてその女子が「少々」奇抜な格好をしているとあれば、これは尚の事殿方の好奇の目を引いて当然であろう。


(もしかしたらカップルだと思われている…?)


 ふと、そんな想像が頭をよぎる。しかしそれが嬉しいかといえば。

 目をひん剥いた鬼女がスパンコールで背中一面に彩られているパーカーという出で立ちの少女を見て、ロマンチックな妄想に浸りきれる訳がない。そんな事を考えていたタイトが辺りに気を向けると、いつの間にやら客達の間に先程までの視線とまた違う、奇妙な空気が流れている。


 驚嘆、羨望、顰蹙ひんしゅく、期待、敵意、そんな様々な感情がないまぜになって不特定多数の意識がある一人の人物に集約している、そんな空気だ。


 タイトは意識を集中して、「糸」を視ようと試みる。これはこういう時こそ活用すべきものだからだ。

 だがそんなときに限って、周囲の客と少女を結ぶ糸は視えない。しかし一本、図太い糸…というかワイヤーがよりにもよってその彼女の口から伸びているのを発見する。

タイト呼ぶ所の「擦り切れ損」だ。その糸が結ぶ先は、にこやかな笑みを浮かべながら少女に愛想をふり撒いている小肥りの店主にである。


 その脇では血相を変えた従業員の一人が、何やら必死に店主へ耳打ちを繰り返している。

 だが自身を取り巻く周囲の反応などいざ知らず、少女は券売機の前に陣取ると豊富なラインナップを誇るトッピングのボタンを怒涛の勢いで上から下まで右から左から、片っ端から押して押して押しまくっていた。


 …他人の財布とはいえもう少し遠慮してくれてもいいのではないだろうか?あの有り様では一番スタンダードなラーメンとの組み合わせでも軽く三千円は超えてしまうだろう。

 唯一幸いなのは替え玉が無料である事だが、元の一杯の量からして規格外な訳で、追加で替え玉するような人間がそもそも小数なのだ。


「というか、食べ切れるのかよ」


 ぼそりと零れたタイトの呟きを余所に、少女からは更なる驚愕の発言が飛び出した。


「おっちゃん!バケツラーメン!」


 それまで恐る恐る、或いは用心深くといった様子で彼女の動向を見守っていた周囲の客達が、この時一斉にどよめく。

 目を見開いて口からメンマを噴き出す客もいれば、まるで何かを得心したかの様にガッツポーズを繰り出す輩もいる。度肝を抜かれたのはタイトも同じだ。 


「バケツラーメン」とはこの店特有の裏メニューで、券売機に該当するボタンが無い為に客から店員へ直接注文しなければならないが、提供する側の同意もないとお客へ出される事がない、規格外の超特大ラーメンだ。


 初期は名前の通りバケツに入って供されていたらしいが、食べ辛いのと衛生面の問題を指摘され特製の超巨大ドンブリに変更された。

 形式こそ変わったもののそのボリュームには変更がない為か、インパクト重視でその名称のみが引き継がれている。


 勿論、定価も高いしお残し厳禁、罰金まである。普通ならばその存在を知っていても頼む者などいない、店側もそれと知った話題作りの為のメニューなのだが、最近はモラルの欠片もない連中がSNS映えだのなんだのといって、最初から完食する気もないくせに注文し写真を撮りまくるなんて事例も起きているらしい。


 なんとも嘆かわしい話であるが、少女が注文したメニューはそんなレベルの代物なのだ。それをこの細くて小さな少女にどうにか出来るとは到底思えない。まさかこいつも低俗なマナーの動画配信者の類か何かか?取り敢えず食べ物を粗末にしちゃいけません!

 タイトのそんな怪訝な視線に気付いたのか、少女が一言


「大丈夫、ちゃんと食べるつもりだよ」


 …大丈夫じゃねーよ…

 全く何を考えているのか解らない。食べれもしないのに注目だけ集めてどうしようというのだ。

タイトは改めてこの少女との出会いを後悔し始めていた。



 さて。しばしの後、カウンターに並んで座る二人の目の前に差し出されたのは、 タイトは(この店では)標準的な只のラーメンだが、 少女の方はその名の通りバケツに満載されたのと同じ量の化け物ラーメンである。その迫力たるや湧き上がる湯気ですら地獄谷の如き様相をみせている。


 もとより食欲がない上に財布に負ったダメージから気力がマイナス状態のタイトは、 並んだ二つの丼を眺めているだけで喉の奥から何かもよおして来てしまう。

 気力が平常時で、尚且つ一食抜いた状態だったとしても。彼女の目の前に鎮座する野菜と肉と麺とで出来たこの九龍城砦を攻略するのはタイトにはどうやっても無理だと思わせる、それだけの存在感が有る。

 それなのに、である。


 隣の少女はその体積の軽く十倍はある丼を抱える様にして舌なめずりすらしているのだ。この小柄な娘がそれを平らげるつもりなのか?手品でもするつもりなのか?

 タイトが抱いたそんな疑問は、次の瞬間彼女の腕から電光石火で伸びた箸に絡めとられた麺がその小さな口に「飲み込まれていく」音が消し飛ばしていった。


 次から次へと口の中へ麺が消え去る様はその音も含めて、まるで掃除機で麺を吸いとっているかのようだ。しかも山盛りのトッピングを崩さず、殆ど麺のみをすすり上げている。 この店以外では全く役に立ちそうもないそのテクニック、そして堂に入った食べっぷり。


(こいつ…もしや初めてじゃないな⁉)


「オッチャン!替え玉!!」


 オッチャンと呼ばれた店主が青ざめつつも最低限の接客マナーを崩さずに苦笑いを浮かべながら、出してから二分も経っていないそのバケツ(丼)に新しい麺を入れる。信じられない事にこのバケツラーメン、替え玉が可能なのである。

 

 気付けば、二人の回りには他の客の人だかりが出来ていた。そういえばこの店に入った瞬間、明らかに店内の空気が変わったのを思い出す。

 最初は、少女の奇抜な格好に皆引いているのだと思った。


 しかし思い返すと、他の客の視線は明らかに彼女に対して尊敬の念が籠っており、 対照的に店主始め店のスタッフの表情は、例えるならば急な雷雨に見舞われた捨て犬の、庇護欲をそそる哀しげなだった。


「替え玉!次!」


 タイトがそんな事を考えている間に、追加の麺を葬り去った少女はさも当然であるかの如く次の犠牲者を要求する。

 繰り返すがここのラーメンは普通盛りで他店の大盛レベルである、そしてバケツラーメンのボリュームはその遥か上を行く。

 店主の表情は明らかに先ほどより固い。オプションの茹で加減でいうならばバリ固だ。


 少女は合間合間に残してあるトッピングの山を崩すが、それよりも麺の塊が消える速度の方が早い。スープも信じられない程並々と丼に湛えられている。

 スープが麺に絡む前に、少女の口腔内に収まっているのだ。

 ラーメンの美味しさは麵とそれに絡むスープとのハーモニーにあるとタイトは思っているが、果たしてあの食べ方で美味しく頂けているのかどうか、皆目検討もつかない。


 少女が五回目の替え玉を所望した。もはや店主は不快な表情を隠そうともしない。

 しかし彼女は全く意に介さず店員が数人がかりで投げ込んだそれを、瞬く間に飲み込んでいく。

 そのリズミカルとも言うべきスピード感溢れる食べ様を見て、タイトが連想したのはわんこそば。但し椀ではなく丼でぶちこまれるハイパーギガンティックわんこそばである。


 替え玉七回目に突入。少女の額から珠のような汗が噴出するが、それを拭いもしなければ、水差しの冷やに手を伸ばす事もしない。

 気付けば、周囲じゃ堂々とスマートフォンで撮るわ仲間を呼ぶだわで店内大混雑でちょっとしたお祭状態だ。

 にも拘わらず、少女から次の生け贄の指命がある度に、店主の表情は憎しみと悲しみの相入り交じった複雑な物へと変貌してゆく。


「凄いっすね、今日のペース!」

「こないだの特大チャーシュー七枚特盛十秒殺しもスゴかったけど、今日のはアレ超えたな」


 近くの客の称賛の声が聞こえる。

 なんとなくそんな気もしていたが、少女は他の客の間でただの常連ではなくレジェンドクラスの人物らしい。ここは新装開店ではなかったか。

 同時に、周りからは


「やっぱアイツ彼氏?」

「じゃねーの?さっさと声かけねーからだよ」


 …どうやら店内に入った瞬間の微妙な空気の正体は、彼らの「英雄」が男同伴でこの戦場に現れた事に対する動揺と、それへの遠慮が原因のようだ。

 誇らしいよりも恥ずかしさが際立って、タイトは思わずコップのお冷やを一気飲みする。

 自分の丼に一度も箸を付けていないのに汗だくだ。

 無論、この少女の食べっぷりにてられて、申し訳ないが今更食べる気にもならない。


 ふと、少女から注がれる熱い視線に気付く。その数秒前まで思慮していた事柄から連鎖して更に汗が噴き出してくるタイトだが、よく見れば彼女がまじまじと見つめているのはタイトではなく、麺が伸びかかったラーメンどんぶりだ。

 まさか。


「喰う、か?」

「マヂで!?いやーチャーシューもメンマも食べちゃったからさー箸休めの追加どーしよっかなーて考えてたのよねー♪」


 信じられない有り得ない。彼女は既に、一本に並べたらゆうに五十メートルトラックを一周はするであろう量の麺を平らげているのである。

 一体それがその小柄な体躯のどこに格納されているのか、これはもはや現代科学に対する挑戦ではなかろうか。

 少女は新たな犠牲者の処刑もあっと言う間に敢行すると、無慈悲な宣告を店主に向かって言い放つ。


 見れば店主の表情は審問会で死刑判決を受けた罪人の様に、悲しみを通り越して諦めすら浮かべた哀悼の涙を溢している。

 そのクシャクシャに歪められた顔の筋肉を大量の汗と涙が伝う様は、タイトに掃除の時間に絞ったボロ雑巾を思い出させた。


 考えて見れば、ここのラーメンは確かにやや高めの値段設定だが、通常からしてこのボリュームの麺である事を考えると、結構なサービス価格といってよいし、有名な大盛りチェーン店の様に回転率が重視されているでもない。

 そしてこの話題作りの為のバケツラーメンの替え玉(無料)など、本来は想定の範囲外に違いないのだ。


 それを、今この少女はもう九回行っている。この騒ぎでちょっと来客が増えた所で、売り上げ的によくてイーブンになればいい所でなかろうか。ネットで話題になるかもだがそれで固定客がどれだけ付くものやら。

 この全身胃袋な源索動物少女と出会って最初、タイトはその大きく深い輝きを秘めた瞳の中に宇宙を感じた。


 が、実際に宇宙をたたえていたのはむしろ少女の体内の方の様だ。

 文字通り口に開いたブラックホールは、箸に捉えられ抗う術も持たない小麦色の犠牲者を次から次へと果て無き深淵へと誘ってゆく。そして。


「皆の衆!アタシは今日、前人未踏の替え玉十五杯を達成する事を今ここに宣言する!」

「おあいそ!おあいそでーす!」


 もう耐えられない。脂汗を流した店主が泡吹いて昏倒する前にこの少女を店から追い出さねばならない。そしてそれは今夜彼女が来襲する原因を作ったタイトの仕事である、ワイヤーを断ち切らねばならなかった。


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