第8話
二人は電車に乗ると手近な座席に並んで座る。到着迄それなりにあるから会話しようと思えば充分な時もある。
しかし、自分を気遣ってか、はたまた電車内で大声を出されたらと気後れしているのか(こっちは可能性としてあまり無さそうだが)、彼女から話かけてくる様子は一向に無い。
あの日の騒動に触れられたくない一心で、タイトが頑なに接触を拒んできたこの少女。しかしその件に関してすっぱりと諦めがついた。そもそも糾弾されても仕方のない事、彼女にはその権利があると思う。
そこの腹をくくる事が出来たなら、後に残るは待ち望んでいた「視える」人間と出会えたという嬉しい事実だけだ。
彼女が自分へ如何様な感情を抱いているか、それはまだ分らない。が、少なくとも自分にとっては始めての「同胞」と言える。
安堵。期待。興奮。焦燥。
それまで拒否し続けて来た事で内に押し秘められていた、様々な感情が次々と沸き上がる。
それらをすぐにでも彼女と共有したいが、今この場はとてもそんな雰囲気ではない、くれぐれも車内ではお静かに。
それでも、尚も高揚する気分に収まりのつかないタイトは、取り敢えず当たり障りのなさそうな所から
「いつ頃からなんだ?…『視える』の。」
「うーん。幼稚園に通ってた位からかね?とにかく周りから散々にうざがられて、そりゃもう充実した幼少期を過ごしたって感じ」
そんなに早くからか。
ある程度、物事の分別が付く年齢に達した後に糸が視え始めた自分と違い、あらゆる面で純粋で無防備な幼少期に、他人と共有出来ない異様で不可思議な能力を会得してしまった少女。
それは、タイト以上の地獄の苦しみだったと想像出来る。
「そうか。俺はさ、高校に入ってからなんだ。それじゃあんた、大変だったろ?」
「まーね。だれも信じちゃくれなかったからね!」
この話しぶりだと周囲に糸が視える事を隠す気もなかったか?駅で見せたあの行動力の、この少女なら有り得るかもしれない。
もしそうならそれが引き起こすであろう様々なトラブルから、自分だったら心が耐えられそうにもないが。
「でもね、ばーちゃんが居たから」
「…お婆さんは信じてくれたって事か?」
「どうだろ?でもばーちゃんはいつもあたしの話真剣に聞いてくれたし、鼻で笑う事もなかったかな」
どうやら糸視の力に否定的な周囲の人間の中で、 彼女の祖母だけは味方に付いてくれたようだ。もっとも、だからといってその事実に心の底から肯定的であったかどうかは怪しいものだ。
まして、本人以外には想像もつかない次元の話だ。彼女の祖母からすれば、時期次第では愚にも付かない妄想をさも現実の様に語ってしまう場合もある、極めて微妙な世代がしゃべるお話である。
彼女もその点は理解していたのか、
「勿論、大暴れしながらとち狂った妄言を吐くアタシをおさめるのが目的だったんだろうけどさ」
…どんな光景だ。
「それでも嬉しかった、今のアタシがいるのは、だいたいばーちゃんのオカゲだね」
「そっか…良かったな」
例え
「ところでなんかお腹すかね?」
そんなタイトの心中などいざ知らず。ここまでの話題の一切をぶったぎって、少女が薄い腹をさすりながら上目遣いで問いかけてくる。
正直食欲はあまりなかった。今は何よりも糸視に関しての情報交換をしたかった。
しかしその旨をタイトが口にする間もなく
「よっしゃ駅着いたらラーメン!ラーメン食いに行こー!君の奢りでな!」
こちらの意向を全く意に介さず彼女の中で勝手に話が進行するしまくっている。
しかもしれっと付け足された最後の一言は、そのまま聞き流すには抵抗が有り過ぎた。当然、抗議してみる。
「おい待てよ、なんで俺が」
「君さ、察し悪くね?ラーメン一杯で勘弁してあげるって言ってんの、こないだの件」
「…」
やはり、というか当然だが。あの件に関しては彼女もおかんむりだったという訳だ。
タイトもこの少女も、他人の運命に干渉する事が仕事でもなければ、 あの事件に関して事前の打ち合わせがあって、その上であの様な醜態に陥った訳でもない。
理屈だけでいえば、タイトが彼女に対して謝罪や御礼をする必要性はないと言えるが、 理屈や道理だけで回っている訳でないのがこの世の中の仕組みというやつだ。
むしろ彼女があの件で負ったであろう負債を考えれば、ラーメン一杯で御機嫌を直して頂けるというのはそれは色んな意味でお手軽に過ぎるだろう、感謝すらせねばなるまい。
「解ったよ、旨いラーメン屋なら心当たりもあるんだ」
「ムフー!残念ながら行く先も既に決まっているのだよ」
「マジ?お手柔らかに頼みます…」
タイトは今、バイトの類をしていない。というか糸視の力が発現して以降、必要以上にうろつきまわる訳にもいかず、放課後は速攻で帰宅する生活をしてたのにアルバイトなんてもっての外だ。
加えて、(タイトは高校生なのに)お年玉は両親の管理下にあり、月の小遣いもたかがしれている。
要は財布の中身は常にカツカツなのだ。
こうなればこれから訪れるであろう店が良心的値段であるか、彼女がすこぶる少食である事を願う他ない。
彼女は人より「若干」アグレッシブなきらいがあるから、その見た目より大喰らいな可能性も捨てきれないが、 電車の座席にチョコンと座り、そのか細い足をブラブラさせている様をみれば、その身体に丼一杯分の麺も入らなさそうに思える。
(まぁ二、三千円で事足りるだろ)
この、来るべき消耗戦に対するタイトの想定は、残念ながらありとあらゆる方面から裏切られる事になる。
駅を出てずんずんと迷いなき歩みで先を行く少女が向かうのは、駅前のラーメン屋激戦区~麺屋横丁と呼ばれている~の中でも新規開店と閉店を盛んに繰り返す、まさに弱肉強食、群雄割拠な一帯だった。
ここは出店が多い分味も値段もピンキリで、味はともかくとしてもそれこそお値段に関しては高い所はトコトン踏んだくられる。
嫌な予感がしてきたタイトの想像通り、 少女が
この店はレギュラーサイズの量が他多数のラーメン店の大盛レベルで、そのボリュームは成人男性の一日分のカロリー摂取量に匹敵する。
そして肝心の一杯の値段だが。タイトが行こうとしていた店の、それこそ倍近くにもなるのだ。ますます痩せ衰えるであろう己が財布の事を思い、絶望から軽い目眩に襲われた。
そんな意気消沈の有り様のタイトと、対称的に元気満々やる気満々な菱橋の少女の二人組が、熱気とニンニクの香り渦巻くその窮屈な店内に入ったその時である。
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