第7話

 その日の帰宅中。

 放課後、昼休みの時とは逆に、今度は葉山達の方からタイトに話しかけて来てくれた。

 その事が本当に嬉しくて、タイトは時間を忘れて会話に夢中になる。なんという事のない、取り留めもない内容の、只の雑談。


 しかし、タイトはそのなんでもないやりとりが、心に少なからずの安らぎと平穏をもたらすものなのだという事を痛感していた。

 それはそうした行為から一時期離れていたからこそ、余計にそう感じるのだと思う。


 これまで他人との関わりを避け続けて来たタイトであったが、人と触れあい語り合う事、その小さな喜びを取り戻した事で少しずつその時間を増やしていこうと考えていた。


 そんな、この数カ月の心のわだかまりが解けた事も相まって、小さな幸福感に包まれながらぼんやりと帰途に着いていたものだから、すっかり周囲への警戒を怠ってしまっていた。

なにせ、あんなに煩わしく、いくら視界から振りほどこうとしても完全に断ち切れる事の叶わなかった、あの糸の存在すら忘れかけていたのだから相当なものだ。


 だから、この時のタイトが背後から何者かに急に声をかけられて、無警戒に振り向いてしまったのはしょうがないといえる。


 「みーつけったっ!」


 耳に心地良いが、人目憚らずしっかりと発せられたその声。

 何気なく、本当に何気なく振りむいたその先にいた人物を見て、驚きのあまりタイトも思わず声をあげてしまう。


「あっ!」


 無理もない。目の前に悠然と立つその人物こそ。彼が接触を避けつつも、内心気にかかって気にかかってしようがなかった、あの菱橋の少女だったのだから。


 彼女は線路に降り立ったあの時と同様に、腰に両手をあてた仁王立ちの姿勢で、口元に少し笑みを浮かべ真っ直ぐにタイトを見つめている。


(逃げなければ)


 この状況にして真っ先にタイトが考えついたのが、この場を離れるその一点だった。

 だが、タイトはかつてあの時あの瞬間、あの駅のホームでの出会いから彼の網膜に焼き付いた、この印象的な瞳から目を離す事が出来ずにいる。


 どこか愛嬌を感じさせる顔の中心にある、何度見ても美しい、とてもとても大きな瞳。


 あの時、ただオロオロするしかなかった自分の脇を駆け抜けていったその時に、刹那の間横顔を目撃したのとは違う。

 正面から改めて見るその瞳の眩い輝き、煌めきと、抗えない強大な引力に圧倒される。

 しっかりと見据えられれば、おそらく何人足りとも目を逸らす事が出来ないのではなかろうか。


 まるで蛇に睨まれた蛙のような状況だが、タイトを縛るのは命のやり取りがもたらす緊迫のそれとは違う。さながらその中に拡がる宇宙の中心にブラックホールが有り、そこに吸い寄せられている様な、抗う事のかなわぬ魅力にであった。


「なに?呆けちゃって? 」


 どれ位だろう。タイトが感じた程ドラマチックではないし、時間も短かったが、 二人を中心に時が止まったかの様な、その幻想を現実に引き戻すかの如く彼女が呟く。

 タイトはそれで、夢心地からようやく現実に帰還する。

 同時に、それまで瞳の魔力に囚われて見えなかった彼女の、全体の様子を見てとる余裕も出来た。


 スラッと伸びた手足は染みひとつなく、まるで小学生の様な透明感と光沢を保持している。しかしあまり身長がある方ではなければ、色気を感じさせる様なプロポーションでもない。

 ただそこは別にいい、ここで問題とすべきは奇抜とも前衛的ともいえない、彼女が着ている服装のそのセンスだ。


 どこまでも地味な色合いのグレーのパーカーには、気の触れた書道家が内なる声に導かれるままに書き殴ったかの様なファンキーな習字のレタリングに金色の刺繍で「鬼子母神!」と記されている。ご丁寧にも「角」はちゃんと除かれている文字で。

 スカートはフリルの重なった、かろうじて可愛らしさを感じさせるデザインではあるが、恐らく自分と同世代であると思われる彼女の年齢を考えると、いささか少女趣味に過ぎる様な気がしないでもない。

 おまけによくよく観察すると、サイケな色合いをしたハートマークをした瞳の髑髏のプリントが、ビッチリと入っている凄まじさだ。


 (どこで買ったんだよこの服)


 そのあまりにも独特なコーディネートにいぶかしみながら足元に視線を移せば、これは意外にもさる有名メーカーのスニーカーだ。

 但し、所々色褪せていたり可水分解によるヒビがあったりとくたびれまくっており、随分長い間酷使しているのが見て取れる。


 総じて、決してお洒落とは言えない。

 もし彼女と特別な関係であったとしても、この格好でデートの待ち合わせに現れた日には千年の恋も覚めてしまうのではなかろうか。よく見れば髪もろくにセットしてないようで、肩までのミディアムボブは好き勝手な方向に跳ねていた。


 ただ、それら奇抜な出で立ちも、彼女の瞳の魔力の前には欠点にすらなっていない様にも感じる。

 今も自信ありげに微笑みながらこちらを見ているその姿に、ある種の畏怖を感じこそすれど幻滅はしないタイトだ。


 「ああ解ったぞ!キミあたしのこの素敵なファッションセンスに圧倒されちゃっ

た訳だ!フフン?ま、巷にゃあたしみたいなコーデの娘、滅多に居ないからねぇ」


 性格的にはかなり幻滅しそうだが。


「…で、あんた、俺に何の用だよ?」


 色々と衝撃的すぎて最初こそ圧倒されるばかりだったタイトだが、僅かずつだが平静を取り戻しつつある。

 そこで彼が最初にやったのが「取り敢えず知らんぷり」というのは情けないかもしれないが、未だ彼女の正体が判明していないのもあり


「視えるんでしょ?キミも、『糸』がさ」


 …どうやら目的の方は彼が憂慮していた問題で間違いなさそうだ。 と、なれば。  ここはもう逆に思いっきり開き直る他ないとタイトは決めた。


「あぁ。視える、視えたぞ、俺も糸が視える。あんたさ、俺を糾弾しに来たんだろ?あの時電車を止めなかった事を。でも普通無理だろ!あんなの!!出来るか!大体みんながみんなあんた」

「ストップストップ!あのさ、アタシは構わないけどちょい声でかくない?」


 相手に自分を非難させまい、反論を許すまいと、機関銃の様に放ったタイトの自己弁護の弾丸をひらりとかわした彼女の一言に、タイトも我に帰り周囲を見回す。


 先程話しかけられてから気が動転するやら見惚れるやらキレるやらですっかり忘れていたが、ここは自分の最寄り駅の目の前だ。当然、人の往来も多い。

 確かにここは目立つ。


 幸い、辺りに同じ高校の人間の姿は見当たらないが、万が一にもクラスメイトに見つかってしまったら大変だ。

 駅前で女の子相手にわめき散らかしていた、なんて事が学校で広まってしまったら、今までひっそり影の様に過ごしてきた日々の苦労が水の泡だ。

 それこそ、今日はせっかく新しい一歩を踏み出せた記念の日だというのに、それもあえなく水泡に帰するだろう。


「場所、変えよう。あんた井野から通ってたよな?あそこまで行くって事で、いいか?」

「了解了解!何を隠そう、あの日以来ずーーーっとあそこでキミと遭遇する為に張ってたんだけどさ、まさか野暮用でフラりと立ち寄ったこんな所で逢えるたあ、神様もタマには粋な事すんねー!」


 まさか寄りにもよって、迂闊にも警戒を解いてしまっていた時に。

 散々自分を探していたっぽいのに今日はその気が無かったその相手に、こうもあっさり簡単に見つかってしまうとは。

 今、運命の神様とやらが気紛れに括ったであろう、自分の糸が視えるなら果たして何の糸が視えるのやら…とまで思考してタイトは今更ながらに気付く。


その気にさえなれば、目の前の彼女にそれを視る事を頼めるのだ、という事に。




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