第2話

 数分後。タイトは一人、駅へと至る道程を行く。

 彼が通う高校までは最寄りから数駅揺られて、更に通学バスで十分程。

 今朝はギリギリ迄寝てしまったから、HR開始迄の時刻を逆算すると少しばかり急いだ方が良さそうだ。


 なのに、彼の歩みは遅々として進まなかった。



―誰にも会いたくない。誰かと出会えば、自然と『それ』に注意がいってしまうから



 そんな思考が無意識の内にタイトの歩みを遅らせている。

 だが、朝の通勤ラッシュの時間帯は多くの人間を駅へと誘い、故に彼らとの接近遭遇も起こるべくして起こりうる。これはタイトの意向と関係なく、もう仕方のない事だろう。

 早速、とばかりに。すぐ傍のマンションの出入り口からサラリーマンと思しき一人の中年男性が現れた。


 何やら慌ただしい様子のその男は、すぐ眼前を歩いていたタイトにも気付かず肩から衝突する。

 堪らず体勢を崩し軽く男を睨み付けるタイトであったが、相手は余程急いでいるのかタイトへ詫びの一言もなく、そのまま小走りで雑踏の中へ紛れてゆく。

 呼び止めてその非礼をなじる事も出来たのだが、タイトがその時注目していたのはその男の鞄だった。


 彼が小脇に抱える簡素な鞄には、どうみてもアクセサリの類には見えない、細いが異様に長い、草色の紐がついているのがタイトには。正確にはタイトにだけは「視えた」

 紐は地面に擦れそのまま途切れることなく、男が出て来たマンションの出入り口の中にまで続いている。

 おそらくは、彼の自室にでも繋がっているとタイトは推察した。


(『忘却草』か。大方、仕事で使う書類か財布でも、中に置き忘れて来たんだろうな。)


 そう思案した後、タイトは残酷な笑みを一瞬だが浮かべた。そして男が急ぎ駆けて行った道すがらを何事も無かったかのように歩き始めた。


 次にタイトの視界に入って来たのは、コンビニからのっそりと出て来た頭がすっかり禿げ上がった赤ら顔の男性だ。

 片手に競馬新聞、反対の手には朝からワンカップ。そしてその懐から伸びるは、赤茶けて、錆だらけで、今にも切れかかっているワイヤー状の細い糸。こちらはおそらく財布にでも繋がっている筈だ。


(あーあ、『擦り切れ損』じゃん。 その感じだとズタボロに負けるだろうな、御愁傷様)


 それ以外にも、タイトが一瞬でも「それ」を「視る」事に注視するや否や。

 たちまち壁や民家の窓際、果ては遥か空の彼方をゆくヘリコプターにまで。

 色とりどりの、様々な形状の「糸」が纏わり、絡まり、辺り一面の人、人、物に結び付く。


 更に「視る」事を止めずにいれば、もはや電線なぞ物ともしない量の、途方もない数のそれが視界一面に広がって、まるで嵐にあった文化祭の飾り付けか、クラッカーを鳴らしに鳴らしまくった祝賀会のお開き間際といった様相だ。


 青 黄 しましま 斑模様。

 ピンクに水玉 らせん状。


 色が様々なら形も素材も様々、毛糸の様であったりピアノ線の様だったり。

 それらの「糸」は片や知り合い同士を繋ぎ、かと見ればどう見ても顔見知りですらない者同士まで、一本残らず必ずや、誰かと誰か。誰かと何かを結えている。


 人の数だけ、繋がる糸。


 目に見える世界を覆いつくす程に展開される乱雑で、乱暴な、極彩色の奔流。

 そんな光景が眼前に広がると、タイトは心底うんざりした様子で意識の「拡散」を試みる。なんでもいい、今日の小テストか、すぐ自分を指名する嫌な数学教師の事とか。とにかく、糸を忘れるのだ。


 彼がそうして「糸」以外の事柄に意識を傾ける事に成功すると、視界に荒れ狂っていた色の洪水は少しずつ薄れてゆき、わずかに視界の端に捉えるか、人の側にあるのが辛うじて見えるか見えないか位までには落ち着いてゆく。


 目下の所、彼の心中を乱す「ある状況」とは、この奇怪極まりない謎の怪現象であった。

 タイトの視界には、人の近しい未来や縁の深い事象、状況が様々な「糸」のかたちを取り、それが象徴する事柄に関係が深い、身体の部位や所有物等に纏わりついているのが見える。


 即ち、タイトは人の運命…もしくは未来や事象を糸という形で「る」事が出来るのである。


 しかし。「運命が視える」といっても、それは所謂予知夢、天啓、お告げとかいう超常の力だったり、神憑り的な類いとは全く違うといってよい。

 そしてそれは、それらより優れているという意味合いではない。

 逆に、より限定的で、扱いに困る力なのである。




 例えば。あなたの友人が明日、どこからか飛んで来るボールに当たって怪我をする、そんな未来があるとしよう。


 これがもし一般に(という表現も正しいかというと疑問だが)、予知能力の名で呼ばれる力をあなたが有していたのであれば。

 前日の晩辺りに、その友人が「いつ」「どこで」どんな種類のボールで、頭のどの部分に当たってという所までが具体的に把握出来る程に、夢という形では有れど映像として認識出来ている…かもしれない。


 一方、タイトが有する「糸を視る力」は。

 彼の頭の辺りになんらかの「糸」が纏わりついている…という、それだけでは未来の事象と何ら結び付け様のない情報しか得られない。

 これでは時間の特定など論外で、ボールが当たる事すら、それだけで予想するのは難しい。今朝からタイトが視える糸と象徴する事象を関連付けられているのは、途方もない経験則によるものだ。


 つまり、その手の予知能力にあると思われる「ビジョン」の類を伴わないのだ。カードを使わないタロット占いといった方がいいかもしれない。

 おまけに、似た様な事象であっても微妙な差異が影響して、視える糸の種類も変容する。


 先程のボールの話を例とするならば、あの場合タイトに視えるのは友人の不運を示す「斑の紐」だったかもしれないし、怪我や病気を暗示する「灰色病棟」だったかもしれない。

 しかも前述の通り時系列の特定は困難であり。そこから関連する事象を特定するには、糸を視た人間側の経験と想像力による補完が必要不可欠なのだ。

 逆に言えば本人の経験則やその場の状況等から分析する事で、極めて正解に近い解答を導き出す事も不可能ではない。


 朝のタイトの父親の場合だと、対象が長年共同生活を営んで来た家族の一人であり、その下腹部に絡みついていたのが病気を暗示する糸だという状態から逆算して、かねてから過度の飲酒で肝臓を患っていた事を連想。

 それにより糸の暗示した事象をほぼ断定する事が出来たと言う訳だ。


 しかし、これがタイトにとって全く予備知識のない赤の他人である場合、当然であるが凡そ《おおよ》を推測するのが関の山になってくる。


 結論として、どうにも痒い所に手の届かない、なんとも微妙な「使えない」力なのである。

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